大学水準の西洋哲学として知っておくべきことのすべて


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シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling 1775-1854)
 南ドイツの牧師の家庭に生まれ、早熟の天才として十五才でチュービンゲン大学神学部に入学し、五才年上のヘーゲルや、ロマン主義の文人たちと親交を結び、フランス革命に際しては、彼らとともに「自由の樹」を建てて祝ったという。そして、早くも十九才で、フィヒテに関する論文で哲学の表舞台に立ち、二十には大学を卒業して、二十二でフィヒテのいたイエナ大の助教授に、翌年にはフィヒテの後を受けて教授になり、[すべてが自我である]とする主客未分の汎神論的《同一哲学》を展開した。
 だが、彼はロマン主義の文人の一人、W・シュレーゲルの夫人と懇意となり、十二才も年上の彼女を離婚させ、結婚した。このため、このイエナの町にはいたたまれなくなり、ヴュルツブルグ大教授となったが、ここでのカトリック的風潮とは折り合いが悪く、数年後にはさらにミュンヘンに移り住んだ。しかし、この地に大学はまだなく、ここでの仕事は学士院の事務局長にすぎず、また、問題の夫人も死去してしまい、さらに、思想的にも、彼の哲学は多くの批判にさらされるようになり、かつての友人ヘーゲルまでが嘲笑するにいたって、彼のそれまでのドイツ哲学の主導的地位は見る影もなく失われてしまった。このような失意の日々の中で、やがてベーメのようなドイツ神秘主義思想を吸収し、みずからの汎神論的な前期哲学を克服して、実在の暗い根源的力を強調する神智学的な、新たな哲学を構想し始めるのである。
 一八二〇年、四〇代半ばに再びエルランゲン大で教授に復帰し、以後、新設されたミュンヘン大教授を経て、さらには、四一年、ヘーゲルが死んで一〇年にしてようやく、ヘーゲル主義者の急進思想を抑えるためにベルリン大教授に招かれることになる。そして、光と闇、愛と存在、拡張と収縮といった対立の苦悩の中から統一が成就されていく神秘思想をみずから展開し、また、神話や啓示などの宗教意識の形而上学的解釈を探求した。そして、彼の講義の聴講生の中には、若きキルケゴールやフォイエルバッハ、マルクスらがいたのである。
 彼の哲学は、フィヒテ哲学を補完する意図で構想された《自然哲学》の初期と、主観客観の《同一哲学》を中心とする前期、神智学的意志論の《積極哲学》を中心とする後期に分けられる。前期の哲学は、フィヒテの主観主義的観念論を批判した客観主義的観念論として、ドイツ観念論の第2段階に位置付けられ、明るい汎神論的なものである。後期の哲学は、これとは対照的に、暗く神秘主義的なものであり、その後、あまり省みられることはなかったが、しかし、現代にいたって実存思想の先駆として再評価されるようになった。しかし、いずれにしても、彼の哲学は、前期後期をつうじて多分にロマン主義的であり、芸術や文学と共通する神秘主義的直観を強く重視している。

【勢位 Potenz】
 (『世界霊について』『私の哲学体系の叙述』『人間的自由の本質』など)
 世界の根源的な力の構造。
 彼の初期《自然哲学》期においては、絶対者の下に、〈勢位〉は〈重力〉〈光体〉〈生命〉の3つに分けられる。〈重力〉とは、同質的質料を成立たせるものであり、Aで表され、〈光体〉とは、この質料から無機物を成立たせるものであり、A2 で表され、〈生命〉とは、この無機物から有機物を成立たせるものであり、A3 で表される。
 次の前期《同一哲学》期においては、体系は、〈絶対者〉〈自然的世界〉〈精神的世界〉の3つに分けられる。〈絶対者〉とは、実在的なものと観念的なものの無差別であり、〈自然的世界〉は「見える精神」として、〈精神的世界〉は「見えざる自然」として連続的に一体であり、前者では実在的なものが優勢、後者では観念的なものが優勢という量的差別にすぎず、同一のものであり、自然は精神にむかって生成していく。また、さらに、前者は、〈重力〉〈光体〉〈生命〉の、後者は、〈学問〉〈道徳〉〈芸術〉の3つの〈勢位〉を持つ。これらの勢位は、絶対者が自らを展示する永遠の形相であり、「イデー(理想)」と呼ばれる。
 後の後期においては、世界の時代は、根拠として収縮する〈闇〉の原理と、愛として拡張する〈光〉の原理の対立の中で、未分化の神が完全展開された神へと自己実在化していく過程としてとらえられ、人間もまたこのような神の似姿として、〈闇の情念〉〈人格の精神〉〈光の心〉の3つの勢位を持つ。さらに、〈情念〉は〈我意〉〈意志〉〈悟性〉の、〈精神〉は〈渇望〉〈欲望〉〈感情〉の勢位を持ち、また、〈心〉は我意+渇望で〈芸術〉に、意志+欲望で〈道徳〉に、悟性と感情で〈学問〉に導く。
 たが、晩年に至るにしたがって、ベーム的な神秘主義的傾向をさらに強め、本質しかとらえようとしない《消極哲学》を越え、事物がその本質と矛盾しているかぎりの事物の実在を対象とし、その実在の積極的条件を明らかにする《積極哲学》を企図し、神話や啓示を探求した。ここにおいては、もはや、勢位は副次的なものとなり、ただ〈ありうるもの−A〉〈あらねばならないもの+A〉〈あるべきもの±A〉の3つに分けられ、神は、これらから絶対的に自由な主体として、A0 で表される。

【同一哲学】
 シェリングの前期哲学の根本。
 フィヒテは、[自我がすべてである]という主観的反省的観念論を打出したが、これでは、独我論であり、独断論にすぎない。だが、主観的精神哲学と客観的自然哲学とは、根本的においては通底しており、本来の哲学の探求対象である絶対者は、主客のまったき無差別にある絶対的〈理性〉であり、無限の自己同一的なものとして、精神的であろうと、自然的であろうと、存在するものを支配している。そして、主観とか客観とかいうものは、たかだかその存在形式における〈勢位〉の量的差異にすぎず、むしろ、[すべてが自我である]というべきなのである。
 しかし、この客観的生産的観念論は、あまりにも無差別で、一元主義的なものであるとして、ヘーゲルによって「すべての牛も黒くなる闇夜」として嘲笑されるところとなった。

【消極哲学 / 積極哲学 negative / positive Philosophie】
 シェリングの後期哲学の根本。
 これまでの哲学は、ひたすら本質をとらえようとしたが、しかし、本質などというものは、しょせん実在の消極的条件にすぎず、それゆえ、このような哲学は消極的なものでしかない。そこで、存在の積極的条件を探求する《積極哲学》こそ、なさなければならないものである。
 そして、シェリングは、この存在の積極的条件を〈没根拠 Ungrund〉である神の意志に求め、神話や啓示を探求し、世界の時代を、未分化の神が完全展開された神へと自己実在化していく過程と考えた。
 つまり、本質などというものは、たかだか存在の可能的形式にすぎず、これから現実的な実在そのものを導くことができるものではない。たとえば、金貨の本質がわかったとしても、金貨が現実に実在してくるわけではない。それゆえ、哲学は、このような可能的形式よりも、むしろ、事物が現実に実在することそのものの方をより根本的な問題として探求すべきだ、とするのである。そして、これは「存在忘却」というハイデッガーによる哲学批判の先駆であるとも言われる。

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