大学水準の西洋哲学として知っておくべきことのすべて


---------------------------------------------------------------------------- B マッハ

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マッハ(Ernst Mach 1838-1916)
 オーストリアに生まれ、ウイーンで学び、他大学の数学・物理学教授を経て、ウィーン大学の哲学教授となり、さらには、1901年、上院議員にもなっている天才的俗物である。
 彼の業績は哲学以前にすさまじいものがある。実験においては、超音速の先駆的研究をてがけ(いわゆる速度単位の「マッハ」は彼の名にちなんだもの)、理論においては、相対性理論を先取りする時空間・質料論をうちたて、さらにまた、感覚の生理学的実験や理論においても、ゲシュタルト心理学の祖と呼ばれる。
 しかし、これらの輝かしい個別的業績は、その根本において、彼独自の哲学的信念に支えられたものであると言われる。[ヘーゲルの自然哲学は、自然科学の堅実な事実研究の成果に対して思弁の暴力を加えるものである]として、これを排し、むしろ非大陸合理論的、イギリス経験論的立場をとって、[自然科学は思弁以前の純粋要素からすべて説明されるべきである]と考えた。そして、彼は、この純粋要素として〈感覚〉を考え、ヒューム同様に、[物体はもちろん、自我その他もそれらの複合体にすぎない]とし、[このような概念や法則は思惟を経済化(節減)するための人間の主観的なものである]とした。ここから、《不可知論》《主観的観念論》《相対主義》が生じ、このような《科学哲学》は、彼を師とあおぐウィーン学団の《論理実証主義》に引継がれ、また、その《実用主義》的科学観は《プラグマティズム》にも大きな影響を与えた。
 しかしながら、このような反思弁、反ヘーゲル的哲学は、したがってまた反マルクス的でもある。知ってのとおり、自然科学の分野はもともとヘーゲル・マルクス哲学の言わば理論的アキレス腱であり、マルクス主義内にこのようなマッハ哲学への内応者が次第に生じつつあることは、正統マルクス主義者によって容認すべからざるところであった。彼らは、実証か思弁か、観念論か唯物論か、という図式で対立し、レーニンは自然科学的物質概念と哲学的物質概念の区別によって《弁証法的唯物論》を擁護するととともに、マッハ哲学の《不可知論》《主観的観念論》《相対主義》性を批判して[マッハ主義はブルジョワジー妥協的イデオロギーである]という無茶苦茶な断定を下し、これを政治的に強く排した。しかしながら、マッハとその継承者たちの方は、このような批判はほとんど無視して、自分たちの哲学の《不可知論》《主観的観念論》《相対主義》性をむしろ積極的に主張し、この問題枠組の中での細部の構造検討へと研究を深めていった。

【感覚要素】
 マッハ(『感覚の分析』)
 ヘーゲルの自然哲学は、自然科学の堅実な事実研究の成果に対して思弁の暴力を加えるものであり、本来、自然科学は思弁以前の純粋要素からすべて説明されるべきである。
 この世界の純粋要素とは〈感覚〉に他ならず、事物も自我も等しくこの〈感覚要素〉から構成されているのである。世界は、この〈感覚要素〉から一元的に成立している。(《感覚要素一元論》)
 この〈感覚要素〉とは、色、音、圧、時空間などであるが、しかし、それらは自存恒常的なものではなく、相互依存的で変化しやすいものである。つまり、それぞれの個別諸科学において、これらの〈感覚要素〉間の関数的依存関係が設定されてのみ、そこで問題とされる〈感覚要素〉も相対的に決定されるのであって、絶対的な原子的〈感覚要素〉があるわけではない。また、対象は、これらの離合集散によって説明されるのだが、その背後に絶対的な実体があるわけではない。
 かくして、すべての科学的命題は、感覚についての命題に還元されうるのであり、自然科学とは、実は、事物と事物とのではなく、感覚と感覚との連関の法則を立てることなのである。そして、そこでは、事物はたんに感覚の複合体にすぎないがゆえに、ただ直接の感覚的所与(データ)の純粋な記述こそ、もっとも科学的な方法とされる。

【思惟経済 Denko゙konomie】
 マッハ(『感覚の分析』)
 科学は経験的事実を説明するものなどではなく、単にこれを記述するのみで、その際、できるだけ多くの事実をできるだけ少ない思惟の労力で記述しようとする〈思惟経済の原則〉が働いている。つまり、科学の概念や法則は、実は、人間の意識から独立の客観的実在に根拠を持つものではなく、この〈思惟経済〉という主観的な実用目的の産物にすぎない。
 それゆえ、事物も自我も恒常的な実体ではなく、個別諸科学において経済的思惟のためにそれぞれに措定された関数的依存関係に基づく〈感覚要素〉の複合体にすぎないものであり、そしてまた、このような対象は、すべて〈感覚要素〉から構成された仮設的なものとしていずれも等価である。また、このような思惟経済化のための要素の構成を排した所与の現象そのものは、実はむしろ不可分な、ひとつの全体でしかない。

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