大学水準の西洋哲学として知っておくべきことのすべて


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コント(Isidor Auguste Marie Francois Xavier Comte 1798-1857)
 フランスの小官吏の家庭に生まれ、エコール・ポリテクニック(理工科学校)で数学や物理学、さらには政治、道徳などを研究した。そして、二十の頃、初期社会主義者サン・シモンを知り、その思想的影響を受けつつ、秘書として雑誌の編集などに活躍した。しかし、社会改造のプランに関して、師と対立し、やがて、決別することとなり、思想的にも独自の《実証主義》を打ち立てた。しかし、職としては、エコール・ポリテクニックの教授を望むも、いつまでもその復習教師に甘んずるをえず、定職のない経済的不安にたえず悩まされ続け、また、妻とも不和が続き、たびたび、狂気の発作や自殺の企てにまで追込まれた。さらに四十代半ばには、とうとう妻と離婚し、さらには復習教師の職すらも失い、彼の思想に理解のあったJ・S・ミルらの援助に頼る日々を強いられることになる。このような困苦の生活の中である夫人と出会い、ひとときの幸せを得るものの、これもまた、わずか二年にして彼女の死というかたちで悲惨な結末をむかえることになってしまう。彼は、その後、なおも実証主義を政治論や産業論に発展させるが、愛する彼女の死は、精神的にも身体的にも彼を激しく動揺させ続け、次第に彼は神がかって、彼女を女神として崇めたてまつる人類愛の《人間教》なる宗教を唱道して、みずからその「大司祭」を任じ、最後には、世間からも友人や弟子からもみはなされ、孤独のうちに六十にして一生を終えたのである。
 彼は、ドイツ観念論的な具にもつかない形而上学に脊を向け、《実証主義》という反形而上学・科学主義を明確に打出した。この彼の基本姿勢は十八世紀来の《啓蒙主義》であり、知によって人間は進歩し、幸福へと近づくという考えであったが、一方また同時に、フランス革命やナポレオン戦争を経て、破壊や革命、混乱よりも保守的的秩序からの漸進的な建設を重視する伝統主義的な一面も持ち合せており、彼は「秩序と進歩」を自らの標語とした。また、知は根源的には人間のためのものであるとして、人間を中心とする諸科学の再編を試み、その頂点に、新たに人間学たる《社会学》を創設し、置きすえた。そして、この学は、秩序の面に光をあてる《社会静状学》と、進歩の面に光をあてる《社会力動学》とからなる。
 晩年に至り、彼は困苦の生活と愛する人の死にうちひしがれて、知のみでは人間は幸福にはなれないことを悟り、かの《実証主義》は、〈秩序〉を基礎とし、〈進歩〉を目的とすることに加えて、〈愛〉を原理とするようになり、人類貢献者を崇拝する宗教へと変様し、その社会学は《人間教》へと様変わりする。
 この神がかった晩年の思想はともかく、彼の反形而上学・科学主義の《実証主義》は、十九世紀半ばの唯物論論争や進化論論争、また、反ドイツ観念論的思潮に大きく影響を与え、同世紀末から二十世紀初頭にいたる《論理実証主義》として再生され、やがて科学の基礎を問題とする《科学哲学》として大きく採り上げられるようになっていくのである。

【実証主義 positivisume】
 【「備えるために予見すべく知る savoir pour pre゚voir, afin de pourvoir」】
 (『実証哲学講義』1930-42)
 想像や推理ではなく、事実観察により、その背後に超経験的実在を立てることなく、現象間の恒常的関係を法則としてとらえ、また、それを絶対化することなく、観察によって相対的なものとし、それを空虚な博識としてではなく、「備えるために予見すべく知る」というように合理的予見に活かす立場。また、近代自然科学の方法と成果に基づき、諸科学の統合をめざす。
 〈三状態の法則 loi des trois e゚tats 〉によると、人間の精神は、いっさいを絶対的な意志の介入によって説明する〈神学的段階〉、絶対的な隠れた性質によって説明する〈形而上学的段階〉を経て、この〈実証的段階〉に至るとされる。
 〈実証的〉とは、
   〈架空的〉ではなく〈現実的〉
   〈無 為〉ではなく〈有 用〉
   〈不 明〉ではなく〈確 実〉
   〈曖 昧〉ではなく〈正 確〉
   〈消極的〉ではなく〈構成的〉
   〈絶対的〉ではなく〈相対的〉
  ということであり、これこそ、普遍的良識へと導くとされる。
 そしてまた、実証的な基礎科学は、《数学》《天文学》《物理学》《化学》《生物学》《社会学》の順に低位の抽象から頂点の具体のヒエラルキーをなす。実際、歴史的にも、抽象的なものほど、より先に実証化される。
 このような反形而上学・科学主義的哲学は、自然科学の飛躍的な発展に伴い、その後のさまざまな哲学に大きな影響を及ぼした。しかしまた、このような実証主義のプログラムには、観察や法則化、人文科学の方法などに関して、実際は少なからぬ問題点が山積していることが指摘されているように、多分にオプティミズム(楽観主義)的な面があり、安易に全面的な肯定をするのは危険であるとされている。

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