大学水準の西洋哲学として知っておくべきことのすべて


---------------------------------------------------------------------------- E アルベルトゥス・マグヌスとトマス・アクィナス

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アルベルトゥス・マグヌス

トマス・アクイナス(Thonas Aquinas 1225-74)
 イタリア、ローマ南のアクィノの領主の家庭に生れ、5才のときに近くのモンテ・カシノ修道院に入れられ、他の貴族の子弟と一緒に初等教育を受けた。ところが、聖職者叙任権闘争以来の教皇党と皇帝党との対立の影響を受け、この修道院は彼が10代半ばの時には皇帝党に占領されることになり、彼の生れる前年に創設されたナポリ大学に移った。彼はここでフランシスコ会と並ぶ托鉢(乞食)修道会であるドミニコ修道会に入会するするが、家族は貴族としてこれにおおいに反対し、彼を居城に軟禁した。
 20のころ、彼はようやく開放されて、パリに旅行し、やがてケルンでアルベルトゥス・マグヌスに師事するようになって、30代はじめにはパリ大学神学部教授に任命された。しかし、大学内に勢力を伸そうとする托鉢修道会と非修道会教授とは対立しており、学生をも巻き込んで、暴力沙汰にまでいたった。また、ドミニコ会は大学教授経験者をつぎつぎと作り出して、会の要職に配置する方策をとっており、彼もこれに従って数年の後、ポストを譲ってイタリアに戻り、十年近くにわたって各地で講義を行ない、主著『神学大全』の執筆も始められた。
 40代半ば、彼はドミニコ会の方針によってふたたびパル大学に赴くことになる。というのは、大学における托鉢修道会攻撃が再燃したからであり、彼はフランシスコ修道会とともに協動戦線をはってこの論争に応じた。数年の後、反対派のあいつぐ死去によって、この論争も決着をみたが、しかし、
今度は彼のアリストテレス的な革新思想がフランシスコ会をはじめとする保守的な学者から攻撃されることとなった。しかしまた、さらに、同じアリストテレス派の人々も、その解釈をめぐって論争を強いられた。この相手は、同じパリ大学のブラバンのシゲルスらであり、彼等はイスラムのアリストテレス注釈家アヴェロエスに従って、万人知性の単一性をしていたのである。後者の論争においては、
シゲルスを説得することはできなかったものの、後進たちはトマスを支持するようになり、トマスもこれに応えるために膨大な量のアリストテレス注解を口述筆記させた。
 かくして3年の後、彼はふたたびイタリアに戻り、ナポリの聖ドミニコ修道会でドミニコ会独自の大学の設立に努力した。しかし、この後、急速に体力も衰え、帰国後二年、50を前にしてこの世を去った。
 彼の死後、彼の教説は誤謬として断罪されるなどの論争を呼び、なかなか評価は安定しなかった。しかし、14世紀前半になってようやく彼は聖人に列せられて断罪も撤回され、スコラ最大の学者として高くたたえられるに至ったのである。

【「恩寵は自然を破壊せず、むしろ前提とし完成する。
  Gratia naturam non tollit, sed praesuppoint et perficit.」】
 (『神学大全』I-1ー8、2ー2)

【5つの道 quinque viae】
 (『神学大全』I-2-3)
 神の観念からアプリオリに神の存在を導き出すアンセルムスの本体論的証明は万人に有効であるわけではないとして、彼は、可感的世界からアポステオリに神に遡る5つの道を示した。すなわち、(1)運動の系列から第一作動者へ、(2)因果の系列から第一作出因へ、(3)偶然と必然の対比から最必然者へ、(4)真や善などの程度から最完全者へ、(5)目的的に作用する自然からそれらを目的づける最高知者へ至る道である。

【超越 transcendentia,transcendentalia】
 スコラ(トマス『真理論』)
 範疇に包摂されず、むしろ、それらの範疇を越えて、すべての対象に述語する概念。すなわち、〈在 ens〉〈真 verum〉〈一 unum〉〈善 bonum〉〈物 res〉〈或 aliquid〉がそうである。ただし、〈美〉が含まれるかどうか、は、議論の余地がある。

【存在の類比 analogia entis】
 スコラ、トマス・アクィナス
 存在はいっさいのものに通じる最普遍者であり、いかなる類的限定をも越える超越者であって、〈一義的 univoce〉には把握できず、しかしまた、共通性のない〈多義 aequivoce〉でもなく、ただ、あらゆるものにおいてさまざまな内実として〈類比的 analogice〉にのみ、開示される。そして、存在するものは、実体 substabtiaについてはより先に、量・質・関係などの付帯性 accidensについてはより後に語られる。
 これは、アリストテレスの存在論に発し、特に、トマス・アクィナスにおいて、神を論理的に把握する方法として重視された。すなわち、創造者と被造物という区別の上で、ただ類比的にのみ、つまり、神についてより先に、被造物についてより後に「ある」と語られる。そして、被造物から神へと遡る因果の道によって、神は完全ゆえ、どこまでも神を認識できる優越の道に至るが、しかし、また、同時に、神は完全ゆえ、神を認識つくせない否定の道に至らざるをえない。このように、我々は、言葉では知られざるままの神に、類比的に結ばれるのである。

【物体的/根拠的区別 distinctio realis/rationis】
 トマス

【付存形相/離存形相 formae adhaerentes/ 】
 トマス
 形相は、質料との関係によって、付存形相と離存形相との2つに分けられる。
付存形相とは、つねに質料と結合し、質料と離れてはありえないものであり、離存形相とは、質料と結合するが、質料から離れてもありうるものである。
 この区別は、フランチェスコ会スコラが、質料の普遍性を主張したことに対する反論である。

【能動的知性の光 lumen intellectus agentis】
 トマス(『真理論』)
 可感的表象 phantasmaを可知的形象 species intelligibilisへと高める抽象をなすもの。可知的対象を受容して認識する可能的知性 intellectus possibilisに対する。見るために光が必要であるように、知るためにもこのような光が必要なのである。表象と形象の間にはおおきなへだたりがあるため、多くの媒介を経て、想像・記憶・識別などによってなされる。

【神の似姿 Imago Dei】
 トマス(『神学大全』II)
 人間が神に型どって造られたということは、人物とその肖像のように静的な意味でではなく、人間が、自ら働きの原因であり、その働きをとおしてみずからの世界を創造するように、つまり、自由な創造主体として神のようにふるまうという動的な意味でなのである。しかし、この場合も、人間の働きの第一原因はあくまで神であるがゆえに、その創造の営みもまた、神へと秩序づけられてこそ成立つのである。
【個体化原理 principium individuationis】
 個体を個体として他から区別する形而上学的原理。トマスは、これを指定された質料 materia signataとし、それゆえ、天使のような非質料的な存在者は形相によってのみ区別されるがゆえに、同じ形相(種)の天使は二人といない、と論じた。
 これに対して、ドゥンス・スコトゥスは、アリストテレスの形而上学から言って、個体化原理は質料ではなく、形相に属さなければならないとし、種に共通な「通性原理」とともに、個々に特殊な「個性原理」を考えた。つまり、それは、特定差異 diferentia contrahensであり、最下位の形相であるそれ性 haecceitasである。たとえば、人間をソクラテスに特定するのは、ソクラテス性にほかならない。ここにおいて、普遍的本性と個別的差異は物体的区別でも根拠的区別でもなく、形相的区別 distinctio formalisなのである。

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