---------------------------------------------------------------------------- d)ヘーゲル
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ヘーゲル(Georg Willhelm Friedrich Hegel 1770-1831)
南ドイツの先進小国の中級官吏の家庭に生まれ、テュービンゲン大学の神学部に入学し、ロマン主義の文人たちや十五才年下のシェリングと親交を結び、フランス革命に際しては、彼らとともに「自由の樹」を建てて祝ったという。そして、いまだ統一されていない自国ドイツの政治的状況にも深く関心を持って、社会改革者をめざし、卒業後は家庭教師として過ごして、キリスト教研究を展開しつつ、革命家の著作の翻訳などをしていた。だが、彼の社会改革運動は結局は挫折し、三十代はじめに『フィヒテとシェリングの哲学体系の差異』を発表して、イエナ大私講師(無給講師)になる。当時は、かねてからの親友であり、同大学の同僚でもあったシェリングが活躍の絶頂にあり、彼と共同で哲学雑誌を刊行し、体系的哲学の構想を深め、彼の哲学の根幹構造である〈論理〉〈自然〉〈精神〉の3段階構造が成立してくる。また、政治的にも、かつての共和理想主義から中央集権現実主義へと転向していく。
一八〇七年、シェリング哲学を克服した彼の最初の主著『精神現象学』が出版されるが、同年、イエナがナポレオンひきいるフランス軍に陥落し、大学も閉鎖されてしまった。そこで、彼は新聞編集者や高校(ギムナジウム)校長をしつつ、残る体系の完成と整備とにはげみ、『大論理学』や『エンチクロペディ(哲学諸科総覧概論)』などを執筆し、ハイデベルク大教授となった。
さらに、一八一八年には、フィヒテの後任としてベルリン大学に招かれ、彼の研究は、それまでの体系的労作の改定増補をしつつ、かねてからの関心領域であった法哲学や歴史哲学、美学、宗教学などの広範囲な講義と著作を行うこととなった。そして、彼の名声は全ドイツを席捲し、弟子たちによってヘーゲル学派が形成されていく。また、一九三〇年には、ベルリン大学の総長となる。が、しかし、翌年にはコレラのために急逝してしまった。
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彼の哲学は、〈論理〉〈自然〉〈精神〉という3段階をもつ史上無二の壮大な体系であり、中でも彼独特の《論理学》が、〈自然〉と〈精神〉との双方に共通する存在論かつ認識論として展開され、現実的なるものと理性的なるものの同一性を保証している。そして、この意味で、彼は、〈精神〉に根拠を求めたフィヒテの《主観的観念論》と、〈自然〉に根拠を求めたシェリングの《客観的観念論》を統一する《絶対的観念論》としてドイツ観念論の完成者なのである。彼にとって真なるものは、フィヒテの〈精神〉やシェリンクの〈自然〉のように、すべてであるような、たんなる普遍的実体なのではなく、もっと多元的な主体なのであり、この多元的な諸主体の闘争と統合をつうじて、より高次の主体へと発展し、この次元において、ふたたび新たな闘争と統合が繰り返され、さらなる高次へと展開していくとされる。このような存立と闘争と統合とからなる3つ組みの自己展開運動は、カントの論理学にならって《弁証法(対証法)》と呼ばれ、これこそが彼の《論理学》の根幹の論理にほかならない。
逆に言えば、彼の最初に設定した主体は、そもそも、けっしてそれだけで自主独立して存立しうるモナドのようなものではなく、あくまでさまざまな他の主体との諸関係のうちにのみ存立しうるものであり、むしろそれらの関係を自己自身の中へと含み込んで、それらの矛盾からその解消へと自己展開していく、きわめて開放的かつ能動的な性格を持っている。それゆえ、真に実在するのは全体のみであり、それを構成する、その中のさまざまな個別的なものは、それらを包括する全体に比べれば、たかだか内包された諸関係として、より少ない実在性しか持たない。このような真に実在する最高の存在者こそ絶対者であり、これはまさに存在そのものであると同時に、理性というきわめて精神的なものでもあるのだ。
それゆえ、彼の哲学は、ある意味では相対主義的であるが、また、ある意味では絶対主義的である。つまり、全体に対する諸要素に関しては相対的であるのに対して、諸要素に対する全体に関しては絶対的なのである。その体系は、どのレベルもが《弁証法》という同一図式で整理されているというフラクタル(全体・部分相似形)構造を持っている。そして、これらの諸次元は歴史的な展開として発生論的にダイナミック(力動的)な位置付けを与えられるのである。
彼が執着したこの《弁証法》の図式は、根本的には、他でもない、神学的な《三位一体論》に基づいている。だが、彼はこれを純粋な論理としてきわめて抽象化することによって、どんな分野にでもこの図式を転用でき、この図式によって分数的にその部分へと分割し、また、逆に、級数的にその全体へと拡大していくことができるようにした。そして、この図式は、空理空論の誇大妄想を無限にふくらますためのかっこうの道具となったのである。言わば、これは神なき抽象的神学体系であり、定規一本を繰り返し用いることで無限の直線が引けるように、この神話はまさにこの図式によって、まったく自動的に無限に産出することができるのである。また、直線が引けたという事実から、まさにその直線こそがそこに潜在的に存在したにちがいないと考えてしまうように、彼はこの図式を手がかりに問題を整理して体系化したにもかかわらず、しかしまた、逆に、このように整理された体系を眺めて、この図式の現実法則としての実在性への確信を強め、さらに体系構築を深める、という悪しき循環へと陥っていってしまったのだ。もちろん実際には、現実というものは別様な図式でも整理することは可能であろうはずなのに、彼は自分のの体系的整理の仕方こそが唯一絶対と固く信じて、「理性的なものは現実的、現実的なものは理性的」などと言っている。たしかに、彼の体系は哲学史上まれにみごとなものではあるが、このような自己完結的、自己満足的な哲学体系になにか意味があるのか、と冷静に反省するならば、やはり空理空論の無用の形而上学として批判されることは避けられまい。
さらにまた、彼の著作の膨大な文章の量には圧倒されてしまうものの、しかし、少し詳細に検討するならば、いかつい言葉の大安売りでけむにまいた非「論理」的な文章だらけであり、また、いわゆる弁証法的体系すらも、言われているほど明確なものでもなく、増補による階層的混乱や、骨相学などの突出した補論があったり、また、逆に、場合によっては、たんに形式のためだけの、内容的にはかなりあやしげな議論も含まれていたりする。とくに、体系の第二部をなす《自然学》に関しては、彼の最も弱点とされる部分でもあり、そこで展開される形而上学的体系構想は独創的で興味深くはあるが、その中で言及される諸論は、むしろ自然の方をその体系的形式にむりやり一致させた感があり、時代錯誤の古代ギリシア自然学や中世練金術をほうふつとさせるところもある。また、彼が、その弁証法的発展を実証的に裏付ける歴史哲学においても、[精神は東洋、ギリシアローマ、ドイツの3段階を経て発展してきた]などというその根本枠組自体からして、誰もがそうとうにいんちきくさいと感じずにはいられないだろう。
彼の哲学体系の全貌は、おおよそ次のようなものである。
質
存在 量
程 度
本 質
論理学 実体 現 象
現 実
主観的概念
概念 客観的概念
理 念
時空間
力動 地上運動
宇宙運動
普遍物質
自然哲学 物体 個別物体
磁気・電気・化合
地 質
生物 植 物
動 物
自然的心
心 感じる心
現実的心
意識自体
精神哲学 意識 自己意識
理性
主観的精神
精神 客観的精神
絶対的精神
ところで、ベルリンで活躍したヘーゲルは多くの信奉者を獲得し、彼を中心に弟子たちによって《ヘーゲル学派》が形成された。これには、哲学のみならず、神学、法学、歴史学、から自然科学、芸術学にまでいたる研究者たちが集った。が、しかし、ヘーゲル死後、聖書とヘーゲルの神概念との関係に関してその内部に論争が起こり、両者はまったく一致しないとする急進左派は、《青年ヘーゲル派》とも呼ばれ、より現実的な問題へと関心を移し、しだいに政治批判へと先鋭化していった。そして、この中には、まさに、後に《社会主義》を理論的根幹を打ち立てる若きマルクスや、政治運動よりもより過激な直接行動に訴える《アナーキズム(無政府主義)》を主張したロシア貴族バクーニンらが含まれていたのである。このような動きに対して、国王は当然ながらこころよく思わず、ヘーゲル学派全体に対して圧力をかけ、十九世紀半ばには、早くもヘーゲル学派は分散解消してしまう。だが、そのころ同時にマルクスによって『共産党宣言』が提示され、ヘーゲルが歴史展開の原動力と考えた闘争は、それまでの国家対国家の平面的戦争としてのみならず、国際的な階級対階級という立体的対立をも含んで、歴史は複雑に並行展開していくことになるのである。
【「理性的なものは現実的 Was vernu゙nftig ist, das ist wirklich;、
現実的なものは理性的である。und was wirklich ist, das istvernu゙nftig.」】
(『法哲学綱要』序文、『エンティクロペディ』6)
〈理性〉と〈現実〉の一致に対する信念の表明。前半は〈実践〉を、後半は〈観想〉を意味する哲学的態度のテーゼとも解される。
たしかに、日常では、偶然的なものまでが〈現実〉と呼ばれているが、それは可能的であったものにすぎず、厳密な意味では〈現実〉的なものと呼ぶに値しない。また、〈理性〉的なものも、優れすぎて〈現実〉性を持つには至らないとされるが、世界はまさにあるべきようになっているのであり、〈理念〉と〈現実〉との間には小賢しい当為(すべきだ、のはずだ)の迷妄が入り込むすきはない。 《哲学》とは、彼岸的なものを打ち立てることではなく、〈理性〉的なものの根本を究めることであり、まさしく、それゆえに、実在的で、〈現実〉的なものを把握することなのである。
【『精神現象学』1807】
ヘーゲルの主著。その基本的構図は、A「意識」、B「自己意識」、C「理性」であり、その後にd「精神」、e「宗教」、f「絶対知」の三章があるが、これがC「理性」の中に含まれるべきものなのか、それともABCと並ぶ独立の章であるのか、はっきりしない。また、後にの『エンチクロペディー』〈精神〉の部との異同並行関係も曖昧である。それゆえ、この本が、彼の壮大な体系に先行する導きの書であるのか、それとも、まさに体系の一部分をなすものなのかもわからない。彼自身、この本の構成には不幸な混乱があることを認めている。だが、ようは、彼の体系全体が最初から完全に構想されていたものではなく、彼の思想的発展の中でしばしば変転し、文章の校正すらまともに行わなかったためにこのような錯綜が生じてきていると言えるだろう。
以下、基本的内容を図式的に整理する。
A「意識」: α〈感覚〉は「存在者」に関する直接的で豊かな認識だと確信しているが、しかし、実は、「いま」「ここ」の「これ」ということは、むしろ主観こそが単一にして普遍的であって、客観にとってはたかだかその一契機にすぎないのであり、それゆえ、最も抽象的で貧しい真理である。そこで、β〈知覚〉において、「でもあるもの」としてそれらの多数の性質を担う、客観にとって単一にして普遍的な「物」自体へと転倒しなければならない。が、しかし、この単一と普遍の反転運動は、γ〈悟性〉においてこそ、主観から客観への外化、また、客観から主観への外化として二重化された主観と客観の2つの「力」として把握されるのであり、このことによってはじめてこのような知の運動は概念として現実化し、せつな的な感覚的内界という此岸は転倒されて、永続的な悟性的外界という彼岸が開かれるのである。
B「自己意識」: かくして、意識が知っているものを意識自身が認識するとき、それは自己意識にほかならならず、この最初の対象は、区別のないα〈自我〉である。しかし、この自立性は、まさに他者に対する自立性にすぎないのであり、そこで、自我はこのような他者を廃棄し、隷属させようとするβ〈欲求〉となる。ところが、この欲求によって、その対象である他者もまた滅ぼすことのできない自立的な同じ自我であることが明らかになり、それゆえ、むしろ、我々である我と、我である我々とが同一であるというγ〈精神〉の概念に至るのである。
C「理性」: ここからさらに、意識はそのまますべての実在でもあるという確信が生じ、この確信こそがまさに理性である。しかし、この実在性はとりあえずは「純粋範疇」として、いまだ全実在の一般的抽象にすぎず、それゆえ、まず、α〈観察的理性〉によって、さまざまな物の本質を概念として経験するが、このことはまた、物の一般的本質が個別的な意識自身であるということにほかならない。逆に、β〈行為的理性〉によって、さまざまな行為を行いながら、その個別性に執着してしているが、このことはまた、みずからが物として行為を行い、一般的な現実に入っているということにほかならない。だが、γ〈立法的理性〉においては、個別性と普遍性とを等しく本質的契機とし、個別的行為を事柄そのものとしてその普遍的本質のみを経験する。このとき、意識は、もはや個別と一般とにわずらわされることなく、その実在が現実かつ行為であるような「人倫的実体」となっている。
d「精神」: しかし、この精神の本質である「人倫的実体」はいまだ形式的にすぎず、内容的には個別的である。そこで、この精神の本質が現実的でもあるとき、それはα〈人倫〉なのである。そして、これは自己疎外してβ〈教養〉となり、個人を妥当させることを通じて、次の現実性を獲得する。さらに、ここから、現実と義務とがそれぞれ自立していながら相互に一致するγ〈道徳〉の段階に至る。
e「宗教」: しかし、ここまでの精神は世俗的是在におけるものにすぎず、精神自身が精神を生み出したと直観してこそ、精神の自己意識、すなわち、神に至る。だが、たとえ精神が意識の対象となっても、精神の現実が精神の中に閉じ込められている間は、実体的自然と神とが混同されたα〈自然宗教〉でしかない。そこで、精神は主体的活動を経て、作品や演技、文学として対象化され、そこに神を見るβ〈芸術宗教〉となるが、ここでは、逆に精神は没落してしまっている。そこで、さらに再び、主体を述語に引下ろし、実体を主語に高めることを通じて、実体が自己外化して自己意識となる側面と、自己意識が自己外化して実体となる側面が統一され、思惟と是在の一致した神人一体のγ〈啓示宗教〉となるのである。
f「絶対知」: ところが、この精神もまだ、精神が対象と確信の関係にあるという点で、そのもの意識を越えてはいない。精神の完成は、精神が何であるか完全に知ることであり、このとき、精神は自らの是在を廃蔵し、思い出にたゆたい、この直接的な姿で再びはじめからやり直す。しかし、ここではすでに一段高い段階に至っている。こうして形成される精神の国は、次第に広がりを得、歴史となるが、それはまた、概念の面から言えば、まさに現象する知の学なのである。
【存在 sein / 無 nichits / 成 werden】
(『大論理学』、『エンチクロペディー』小論理学)
ヘーゲル独特の論理学における冒頭の「存在論」、「質」の章、〈存在〉の項の3契機。
始元、すなわち、〈絶対者〉はただひたすら〈存在〉するだけのものである。それゆえ、それは何物でもない、まさに〈無〉である。このように存在と無とは同一であるが、これらは空虚な抽象にすぎず、この無として存在する絶対者は、真には、かならず具体的な何かに〈成〉っているのである。
【即自 an sich / 対自 fu゙r sich】
基本的には、
〈即自〉とは、[実在において]
〈対自〉とは、[現象において]
ということ。
とくに、ヘーゲルにおいては、それぞれ、弁証法の契機として位置付けられ、
〈即自〉とは、発展の朋芽を含みながらなお自己同一である状態
〈対自〉とは、その内在していた自己の特殊性が展開し、自己が対象と意識とに分裂した状態
〈即かつ対自〉とは、この分裂が廃蔵(止揚)されて、それ自身に還った状態
であるとされる。
これを意識がある対象を知る場合で言えば、この対象そのものが〈即自〉であるが、ここに、その〈即自〉と、意識への〈対自〉との二義性が現れる。後者は知ないし概念にすぎないかのようであるが、しかし、このとき、このことによってむしろ前者の方が変化し、〈即自〉であることをやめ、むしろ、意識に対してのみ即自である〈即かつ対自〉と成り上がるのであり、これこそが意識の新たな対象である。このようにして意識の対象に関する経験が積み重ねられ、この系列は学的な進行へと高められる。
また、サルトルにおいては、
〈即自〉とは、事物独特の充実した在り方
〈対自〉とは、意識独特の空虚な在り方
を意味する。
【弁証的なもの das Dialektische】
(『小論理学』など)
論理的なものは、
α 抽象的ないし悟性的側面
β 弁証的ないし否定的に理性的な側面
γ 思弁的ないし肯定的に理性的な側面
の3つの契機がある。
すなわち、〈悟性〉は、その内容に普遍性の形式を与えるが、〈弁証的理性〉は、[それがあくまで特殊的なものと対置的に考えられている一面的、制限的なものにすぎない]ことを現示し、そこで、〈思弁的理性〉は、さらに、このような対立的措定の相にある規定の統一を把握する。それは、もはや単純な形式的統一ではなく、区別された諸規定の統一である。弁証的なものとはこのように内在的な超越なのである。
なお、いわゆる〈正〉〈反〉〈合〉という形式主義的な《弁証法》の定式化は、ヘーゲル自身のものではなく、後世にでっちあげられたものである。
【自己疎外 Selbstentfremdung】
ある存在が、自己自身の内にある本質をその矛盾によって外化し、他者として疎遠なものとすること。
つまり、対象は、はじめ、普遍性の形式の下にあるが、[それはあくまで特殊的なものと対置的に考えられている一面的、制限的なものにすぎない]ということで否定され、外化されなければならない。このような否定は、弁証法の第一転回である。
さらに、第2転回として、このような対立的措定の相にある普遍と個別の両規定は、〈否定の否定 Negation der Negation〉され、統一的に把握されなければならない。そして、ここに、矛盾する両規定が高められて、再びそのもの自身の中へと廃蔵(止揚)されるのである。
たとえば、〈理念〉、すなわち、神の創造の設計図は、その論理的な内部矛盾の発現によって、これに対立する〈自然〉になり、理念はこの中を転変するが、次に、人間が創造されることによって、〈精神〉へと還帰する。
マルクスにおいては、〈自己疎外〉は歴史的な問題であり、[人間が、その宗教的、政治的、経済的諸条件の帰結として、自らが自らの主人であることができず、その価値が物象化して個人から独立した物となり、さらには、むしろ、逆に、それによって自己が規定されるような物の奴隷となる]という転倒状況を意味した。とくに疎外された労働に関しては、〈生産物の疎外〉、〈労働活動の疎外〉、〈類的本質としての精神能力の疎外〉、〈人間の疎外〉の4規定を持ち、これが回復されるべきことが求められるのである。(『経哲草稿』)
また、現代の実存主義や神学、社会学においても、この〈自己疎外〉の問題は、中心的課題としてしばしば論じられる。
【止揚(廃蔵) aufheben】
否定する、高める、保存するという三つの意味を含む弁証法の本質的概念。
事物の発展は、否定的な対立矛盾を通じて、さらにそのような低次段階の矛盾の否定によって高次段階に進むが、その際、低次の対立は捨てさられてしまうのではなく、高次の新たな秩序の中に組み込まれて統一されるのである。
【悪無限と真無限 schlechte / wahrhafte Unendlichkeit】
(『大論理学』など存在論、質の章、定在の項)
単に終わりないことによる無限は、有限の否定にすぎず、それはどこまでいっても有限を越えられず、直線的な無限累進となり、〈悪無限〉と呼ばれる。
これに対し、この否定的な悪無限をさらに否定することで、肯定へと廃蔵(止揚)した無限は、移行や他者において自分自身と関係し、有限と無限を統一して完結するものであり、円環的な全体となり、〈真無限〉と呼ばれる。
【人倫 Sittlichkeit】
(『精神現象学』、『法の哲学』)
自己と世界の一体化したものが〈精神〉であり、〈精神〉は〈主観的精神〉〈客観的精神〉〈絶対的精神〉へと発展する。
また、その〈客観的精神〉は〈法〉〈道徳〉〈人倫〉と発展する。つまり、客観的精神のその本質が〈人倫〉、すなわち、習俗である。というのは、個々の存在者は各自の対自存在を持ちながらも、このような普遍的実体の中に、即自的にも、対自的にも溶解している。つまり、個人は、自分の行為の形式のみならず、行為の内容をも民族において持っているのであり、個別の個人は、普遍的な人々の普遍的な習俗として、普遍的な習俗をなすのである。
そして、〈人倫〉は、個人の未独立な〈家族〉、諸個人の対立する〈市民社会〉、共同体的な〈国家〉の3段階に弁証的に発展する。そして、これこそ〈自由〉の理念にほかならない。
【理性の詭計 List der Vernunft】
(『歴史哲学』など)
世界史において、人間どもは自分なりの関心を遂行するが、それに伴って、その関心とはおよそかけはなれたものが実現する。というのも、世界史は、時間における〈世界精神〉の展開過程であり、意識における自由の進歩であるからである。
たとえば、歴史上の大人物は、彼自身の個別的な目的が〈世界精神〉の意志である実体的なものを含むような人物なのであり、それゆえ、彼らの生涯は、情熱にふりまわさた悪戦苦闘ではあっても、けっして幸福ではない。というのは、〈世界精神〉は侵されたり、損なわれたりすることなく、歴史の背後に控えているのであり、〈世界精神〉がその理性を実在にもたらすために利用されるものは、損害を受け、危害を被るからである。つまり、このような個別者どもを相互に廃蔵(止揚)しあうよう働き疲れさせて、ただ自分の目的のみを実現するという媒介活動が、〈世界精神〉の〈理性の詭計〉にほかならない。そして、このように歴史的事象すべてが本質的に神自身の御業であるということを洞察ことによって、世界の神からの疎外が消失し、精神の宥和が成就される。
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