大学水準の西洋哲学として知っておくべきことのすべて

 「ブルータス、おまえもか!?」「……」「ならば、このカエサルもこれまでだな……」。シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』の有名な一節。ガリアを征服し、クレオパトラを妻とした男。しかし、民会を属州市民にまで拡大強化したことが元老院の反発を招き、紀元前44年、公然と元老院議員たちに虐殺されてしまう。

 いまの、この平和な日本で暮らしていると、殺人なんて、よほどの凶悪犯でないとありえないと思っていますが、人が人を殺すのは、人の力からすれば簡単で、小柄な女性でも、ハンマーや銃を使えば大男でも殺せてしまいます。それが防げているのは、常識的な感覚と教育で、ふつうは人を殺そうなんて思わないこと、と、隠すにせよ、逃げるにせよ、殺してしまった後の始末の面倒さを事前に想像できるから。実際、常識が無い、激昂してしまう、後先を考えない者が、なんでこんなことで、というようなつまらない理由でも、人を殺すときは殺してしまいます。

 むしろいまの我々の方がいわゆる平和ボケで、広い世界、長い歴史を見るなら、殺されない、ということが、どれだけ大変なことか。いまは観光地の巨大な城も、ある日、あれを破壊するほどの大軍が押し寄せ、一族すべて皆殺しにしに来る、という危機感の上でこそ、文字通り築かれたものです。ろくに鎧戸も無く、一階がガラス窓のまま、などというのは、いまの日本くらいのものでしょう。

 国境なき世界、などというと、なにかすばらしいもののようですが、いままで遠く離れて、どうにかごまかしていた問題が露呈する、ということでもあります。たとえば、隣村とこっちの村で、たがいに悪口を言っていても、その二つの村が山で隔てられているうちは、何事もありません。しかし、街道ができて、双方の悪口が相手方にまで聞こえるようになってしまうと、やっかいな揉め事に。

 ローマでも同じことが起こりました。あちこち征服して統一国家を作ったのはいいのですが、もともと隣り合っている国々など、仲が良かったはずもなく、互いに国内で争いを始めます。民主主義とやらも同様で、かつては元老院の貴族たちが、市民たちに知られず、好き勝手にやっていられたのに、なにもかも民会が騒ぎ立てるようになり、にっちもさっちも行かず、互いに憎みあうばかり。いくら話したところで、どのみちどちらも納得などするわけもなく、行きつくところは、面倒くさい、じゃまだ、殺してしまえ、という、単純明快な解決策。

 ローマの問題は、遠い昔の話ではありません。船や鉄道、飛行機で、人々の交通が爆発的に増大し、ネットでだれもが言いたいことを言えるようになった、とはいえ、それで人々の相互理解が進むどころが、むしろ逆に、嫌いな相手が実際に目の前に現れたせいで、よけいに憎悪と対立が悪化。壁を作って追い返せ、毒ガスで抹殺してしまえ、やつらはネズミだ、ゴキブリだ、と、騒ぎは大きくなるばかり。

 こんなもの、どちらかがどちらかを完全に皆殺しにしない限り、終わりはしません。現実には、皆殺しなど、容易ではなく、その生き残りが応援とともにまた逆の壮大な復讐を仕掛けて、いつまでも惨殺が続くばかり。とにかく冷静に話し合って、などと言ったところで、おまえは裏切り者だ、敵の回し者だ、と言われるのがオチ。関わりあって良いことなどありません。

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu

トップページ


古代1 アルケーの探求
古代2 ソクラテスの時代
古代3 ヘレニズム
中世1 帝政ローマ時代
中世2 ゲルマン時代
中世3 スコラ哲学
中世4 科学のめばえ
16C 宗教改革の時代
17C 人間学と自然科学
18C 理性の崇拝と批判
近代1 ナポレオン時代
近代2 ブルジョワ誕生
近代3 帝国主義へ
近代4 世紀末と実用学
戦前 社会と科学
戦中 実存と行動
戦後 自由と技術
現代 閉塞と回顧

【メニュー編集】

Wiki内検索

管理人/副管理人のみ編集できます