大学水準の西洋哲学として知っておくべきことのすべて

 さて、前講では、アルケー、すなわち原因の原因の原因、大元の原因を探求しました。しかし、それぞれの人のものの見方、見る角度、つまりアスペクトによってばらばらで、どれが本当のアルケーなのか、結局、よくわかりませんでした。そこで、今度は逆に、結果の結果の結果、究極の結果、ディケーについて考えてみましょう。

 ディケーは、古代ギリシア語で運命、宿命を意味する言葉です。しかし、アルケーと同様に、ただそれが究極の結果として定まっているだけでなく、むしろそれが積極的にすべてのものごとをそこへと引きずり込んでしまうような、なにか恐ろしい深淵です。

 古代ギリシアの演劇などでも、たとえば『オイディプス』のように、主人公は自分の呪われたディケーを知って、どうにかそれを避け、そこから逃れようと必死に努力しますが、その結果、むしろみずからディケーの罠に落ち、かえって自分自身でディケーを実現してしまうことになります。はたしてこんなディケーのようなものが実在するのでしょうか。そんなものがあらかじめ定められていて、私たちをそこへと引きずり込もうとしているのでしょうか。

 考えてみれば、因果ということがすでにディケーです。どんなものごとも、それが生起してしまった以上、その結果を退け避けることはできません。火は灰になり、雨は川を経て海に注ぎ、生まれた人はすべていつか死ななければなりません。

 水こそが万物のアルケーだ、と言ったターレスの弟子たちも、すぐにこの問題に直面しました。何がアルケーであるか、という話はさておき、なにかアルケーがあって、それがものごとを生起させる原動力となったとしても、それは、そのままなんでもアルケーの思うがままにものごとがうまく運んでいくということまで、けっして保証するものではありません。

 
 たとえば、おカネがアルケーであったとして、たとえおカネを自由に支配できるようになれたとしても、そのことは、かならずしもそ人がそのおカネの力でなんでも自分の思いどおりにできるということを意味しないのです。その人がどう考えて自分のおカネを使おうと、おカネは、そのおカネそのもののディケーにのみ従って、しかるべき結果を引き起こします。たとえば、良かれと思って残した莫大な遺産のせいで、遺族たちが相続争いを始め、かえって一族がばらばらになってしまった、などという話も世間によく聞くところでしょう。


 さて、ミレトス学派の人々は、ミレトス市、つまり、いまのトルコ西岸のギリシア人港湾都市で活躍していましたが、その後、その東に巨大な帝国ペルシアが出現し、ギリシア人のエーゲ海へと迫ってきます。このために、多くのギリシア人がさらに西、地中海のまんなかに浮かぶシチリア島や、それに連なるイタリア半島の沿岸に移住し、新たな都市を建設しました。

 この移住は、彼らの世界観も大きく変えることになります。それまで 

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