大学水準の西洋哲学として知っておくべきことのすべて

 哲学というと、宇宙の原理や人生の原理、つまりその根本となるべきものを探求する学問のように言われることがあります。専門的に言えば、それがアルケーです。カネが世界を支配する、とか、愛こそはすべて、とか、有名になったもん勝ち、とか、こういうのも、アルケーでしょう。

 とはいえ、アルケーに関しては、哲学の歴史の中で、いろいろなものが登場してきました。いわゆる、XX主義、というやつです。経験主義や合理主義、観念主義や実存主義、さらには資本主義や社会主義までいろいろ。まあ、そういういろいろを勉強するのが哲学の講義みたいになってしまっています。しかし、言うまでもなく、そのそれぞれに根拠があるのか、というと、どうも怪しい。XX主義の中ではXXがアルケーで、XX主義の中ではXXがアルケーであることは当然自明のこと。けれども、それは、XX主義という枠組みの中での話。その枠組みの外側からすれば、なんのことやら。つまり、それは、一種の宗教です。

 奇妙な話ですが、XX主義なんて言っている哲学の学説は、どれもこれも、じつはむしろ哲学からもっとも遠いところにあるものかもしれません。ソクラテスにしても、XXこそがアルケーだ、なんて言っているやつを捕まえてきて、ほんとかよ、とまぜっかえす。とはいえ、枠組み次第でなんでもアルケーになる、なんて言うのもまた、相対主義、という別のアルケーになってしまいます。結局、よくわからないんじゃん、っていうのですら、不可知主義、です。よくわからないかどうかもわからない、なんて言ってみても、これまたさらに、懐疑主義、と呼ばれています。

 根本となるべきアルケーが何であるか、を論じるのは、なにをアルケーにしても、宗教めいてしまいます。そうではなく、そもそも人間にアルケーを探求できるのかどうか、できるとすれば、どんな方法がありうるのか、を探求するのが哲学なのかもしれません。実際、カントがやったのは、そういう哲学。まあ、軽々しく、これこそがアルケーだ、なんて言っているヤツ。哲学の中でも、XX主義なんていうのを研究しているヤツ。まあ、それこそ根本から哲学をわかっていない、およそ哲学とは関係の無いヤカラであると言うことになるでしょう。

 

 

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