大学水準の西洋哲学として知っておくべきことのすべて


---------------------------------------------------------------------------- B 論理実証主義

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【還元主義 reductionism】
 論理実証主義
 多様を単一の次元に還元して説明しようとするもの。とくに、[すべての有意味な言明は直接経験に言及する語に基づくなんらかの論理的構成に同値である]とする論理実証主義の経験への還元をさすことが多い。
 しかし、この還元される直接経験に関して、すなわち、検証命題の統一的な書式をめぐって、現象主義と物理主義の間でプロトコル論争が生じた。初期ラッセルらの現象主義は、個人の感覚界での瞬時の出来事である「感覚与件」による言語を主張した。しかし、これは、物事の恒常性、普遍性を還元しきれず、また、私の経験外の事象にも言及できないことから、かわって、カルナップらの物理主義によって、恒常的、普遍的な物体の振舞を間主観な時空間上的に記述する「物言語」が主張された。
 しかし、いずれにしても、検証命題への還元、検証命題からの論理的構成という点に関して、決定的な解答は得られず、事実上失敗に終わったといえよう。

【検証理論 verfiability theory】
 論理実証主義
 ある文が有意味であると言えるためには、その文に言われていることの真理性を、肯定または否定するためのなんらかの経験的手段が規定されえなければならない。ただし、検証手段がおそのまま意味なのではない。
 しかし、これによると、法則など全称命題は、その全称的な検証手段はありえないがゆえに、無意味となってしまう。そこで、ポッパーは対偶の反証可能性に基礎をおくことを提案したが、それでも、全称と存在の両方を含む命題は、検証も反証も不可能である。そこで、少なくともその命題を支持する経験的手段を規定できることを有意味条件とする確証 confirmation に緩和され、経験的支持の増加によって確証性が高まるとされた。
 また、そのような検証の基礎となる経験的手段として、事実と対応する感覚与件を言語考えるラッセルらの現象主義と、物体を時空間上に記述する物言語を考えるカルナップらの物理主義とのプロトコル論争を生じた。

【反証可能性 falsifiability】
 ポッパー(『科学的発見の論理』独1934、英1959)
 形而上学も経験科学もともに実証されうるものではないが、経験科学は、無形而上学とちがって、反証されえ、このことこそ、有意味性の基準であり、また、無意味な形而上学と有意味な経験科学との境界設定の基準である。これは、
普遍命題の論理的な実証と反証の非対象性に由来する。すなわち、普遍命題は、
経験による単称命題によっては実証されないが、充分に反証されうる。また、その客観性は、それが相互主観的にテストされうることによる。そして、反証可能性が多様であるほど、経験的意味は豊かであり、普遍性も高く、また、反証に耐えてくることによって、確証性も高まる。しかし、ただし、確率命題は、反証可能性を持たず、無意味である。

【還元命題】
 カルナップ
 水溶性であるなどの傾性 dispositionは、その発現の物理的事実そのものではなく、それゆえ、その発現以前には検証方法に欠け、無意味となってしまう。そこで、このような傾性は、つぎのように還元されなければならない。たとえば、「Xは水溶性である」は、「「Xを水に入れる」ならば「「Xは水溶性である」=「Xは水に溶ける」」という命題に還元される。つまり、その傾性の発現される条件がみたされたときのみ、その表現と発現の事実とが同値になる、ということである。これは、前件が偽のとき、とりあえず真として有意味性が確保される。

【内容語法/形式語法 inhaltliche/formale Redeweise】
 カルナップ(『言語の論理的構文論』)
 記号の使われ方は、その指示対象によって、内容語法と形式語法とにわけられる。内容語法とは、その記号の内容である事物を指示する使われ方であり、形式語法とは、その記号という形式そのものを指示する使われ方である。たとえば、「バビロンは大きな町である」は、前者であり、「彼はバビロンと書いた」は、後者である。そして、両語法の混同が、哲学に混乱を生じさせている。

【寛容の原理 principle of tolerance】
 カルナップ(『言語の論理的構文論』『意味論序論』)
 論理学は、構文論的には変形規則から、また、意味論的には形式の規則と解釈の規則(指示の規則と真理の規則)からなる体系であり、つまり、ある言語の文法規則の体系にすぎない。したがって、その規則の選択は、真偽によるのではなく、規約によるものであり、哲学における対立も、規約選択の問題と真偽の問題とを混同していることによることが多いが、複数の体系は両立しうるものなのだから、この選択を制限したり、禁止したりすべきではない。もちろん、有効性や適切性の問題は残っている。

【ゲーデルの完全性/不完全性定理 Go゙del's completness / incompletness theorem】
 ゲーデル(1930,31)
 完全制定理とは、1階の述語論理において、すべての恒真式は定理であり、また、逆に、すべての定理は恒真式である、というメタ定理。
 不完全性定理とは、述語論理によって公理化された理論が整合的、その集合が回帰的、1階の自然数論の定理式を持つ程度に強力であるとき、この理論の文でありながら、その肯定も否定も定理式とはならないものが必ず存在する、というメタ定理。つまり、証明も反証もできない命題が存在し、かりに、その命題かその否定を公理に加えたとしても、同様である、というもの。
 後者の定理の系として、自然数論や集合論の整合性は有限の立場から証明されえない、ことが得られ、これは、数学の基礎付けのために公理論の無矛盾性の証明をめざす形式主義のヒルベルトのプログラムに根本的な限界があることを示し、大きな影響を持った。

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