大学水準の西洋哲学として知っておくべきことのすべて


---------------------------------------------------------------------------- C プラグマティズム

----------------------------------------------------------------------------
 《プラグマティズム》とは[知は行動(プラグマ)に基づく]とする立場であり、パース、ジェームズ、デューイを代表者とし、19世紀末からアメリカで流行した。
 《プラグマティズム》の創始者であるパース(Charles Sanders Peirce 1839-1914)は、アメリカのマサチューセツの数学者の家庭に生まれた。家には日々、一流の学者、芸術家が訪れ、このアメリカ数学界の中心的指導者であった父親直々に幼少より知的な英才教育を与えられ、12才のときにはもう自分専用の化学実験室を持っていたほどであったが、しかし、道徳教育はまったく欠けていたと言われる。その後、ハーヴァード大学に入学するも、その授業には関心を持てず、卒業後、別の学校で科学博士号を得、ハーヴァード天文台の助手となった。そしてまた、このころ、友人たちと「形而上学クラブ」を作り、プラグマティズムの研究が始められた。このクラブには、後にジェームズも参加している。しかしながら、ジェームズを始めとする、その才能を高く評価する周囲の人々の努力にもかかわらず、彼のでたらめな自中心的性格がわざわいしてか、安定した教授としてのポストはなかなか得られず、長い間、合衆国測量部技師として口に糊しつつ、他の研究者との交流もないまま、数学、論理学、哲学に関する質の高い論文を学術雑誌に発表し続けた。彼にはまとまった主著はないものの、膨大な量の論文を残し、死後、この論文集の出版によって広く一般にもその哲学的意義が認められるようになった。
 ジェームズ(William James 1842-1910)は、アメリカ、ニューヨークの定職を持たない自由な宗教家の、暖かな家庭に生まれ、幼時は家族とともにヨーロッパを旅行し、青年期には一時、画家をめざすも、やがて、ハーヴァード大学理学部に入学して、化学、後には生理学を学び、医学部に移ることになる。また、このころ、アマゾン探検隊に参加するが、このような具体的な仕事より、抽象的あN仕事の方が自分には向いている、と痛感し、次第に哲学に関心を深める。しかしながら、同時に身弱、憂鬱に悩まされ続け、卒業後も療養の日々を過ごした。また、このころ、パースの「形而上学クラブ」に参加して、そのプラグマティズムに感銘を受けた。そして、三十のころ、ハーヴァード大学の生理学講師、助教授となり、後には、哲学、心理学の教授となる。彼は、『心理学原理』で心理学者として不動の地位を得るが、彼はここからさらに宗教的経験へと関心を深めていく。しかし、六十のころから、ふたたび哲学の分野に立返り、闘病生活をしながら独特のプラグマティズムの展開を行った。
 デューイ(John Dewey 1859-1952)は、プラグマティズムの大成者ではあるが、時代的には少し後の時代であるので、別の章で述べる。
 「プラグマティズム」とは、ギリシア語の「プラグマ(行動)」という言葉に基づくものであり、その創設者であるパースにおいては、[意味とは行動への影響の概念である]とされた。つまり、実験の結果として得られた以外のもの、つまり、形而上学的な非経験的実在は無意味である。そんなものは、たかだか探求の目標としての意味の虚焦点にすぎず、「オッカムのかみそり」によってそぎ落とされるべきものなのであり、哲学は共同体の普遍的、習慣的信念である概念そのものを明確に確定することだけで必要充分なのである。
 ところが、ジェームズは、このパースの《プラグマティズム》の理念を継承しつつも、反省以前の直接の〈純粋経験〉を重視する立場から、これを意味論から真理論へと転換した。つまり、[知覚は、だれかの行動に影響を与える限り、真である]とした。もちろん、パースにとっては、真偽などという形而上学的概念はむしろ排除すべきものであり、そもそも、彼の立場は、個人の個別的、一回的知覚を問題とするものではなく、あくまである共同体に普遍的、習慣的な信念に関するものであった。それゆえ、パースはこのような誤解をなげいて、自分の哲学を厳密な意味でのプラグマティズムとして「プラグマティシズム」と名称変更する。
 ジェームズの《プラグマティズム》の中にも、すでに効用性を重視する態度が含まれていたが、デューイに至ってはこの功利主義性を全面に押出して展開することになる。すなわち、デューイにおいては[知識は、行動に役立つものが真である]とされ、哲学の純粋目的であるはずの真を、善や美の単なる手段に引きずり下ろしてしまった。
 以上を、端的にまとめれば、パースは《意味論的プラグマティズム》であり、ジェームズは《真理論的プラグマティズム》であり、デューイは《功利論的プラグマティズム》である。このように、同じく[知は行動に基づく]という主張を採りながら、そして、先行者の理論を正しく継承したと自称しながらも、その立場は根本的なところでかなり異なっているのである。
 なお、《プラグマティズム》の特徴として、パースは《実在論》を挙げ、ジェームズは《唯名論》を挙げているために、この点において、両者の《プラグマティズム》観が異なり、対立的である、とする解釈がしばしば通用している。しかし、これは誤解で、《プラグマティズム》は〈普遍〉に関しては《実在論》的であり、対象に関しては《唯名論》的である、ということであり、両者は矛盾しない。パースは[共同体の普遍的、習慣的信念としての概念が実在する]という《概念実在論》(スコラ的穏和実在論)であり、対象の実在に関してはあえて否定はしないものの、むしろ哲学には不要な問題とみなす《唯名論》的立場を採っている。そして、このような事情こそが彼の〈プラグマティズム格率〉の表現を難解にしているのである。

【プラグマティズム格率 pragmatic maxim】
 パース(「我々の観念を明確にする方法」1878)
 「ある対象の概念を明晰にとらえようとするならば、その対象がどんな効果を、しかも行動に関係があるかもしれないと考えられるようなどんな効果を及ぼすと考えられるか、をよく考察せよ、そうすれば、このような効果についての概念は、その対象についての概念に一致する」というプラグマティズムの原則的テーゼ。たとえば、〈固い〉という概念は、その性質を持つ物体をひっかいても傷がつかないだろう、ということを意味する。
 これは、直接経験による《直観主義》に対して、科学的実験による《実証主義》を主張するものである。しかし、ここにおいては、個別的実験や、直接の対象そのものはむしろ不問にふせられているのであり、ただ共同体の普遍的、習慣的信念として経験に蓄積されている概念から論理的に対象概念を明確化しようというのである。
 それが、真理論的なものにすりかえられた。ジェームズにおいては[どんなものでも、たとえ神秘的な経験でも、それが実際的な効果を持つならばプラグマティズムは考慮する]というように拡大解釈され、さらに、デューイにおいては、[行動に役立つものは真である]というように功利主義化していった。

【アブダクション abduction】
 パース(『論文集』第5巻など)
 不可解な事実に対して、それを説明する仮説を構想する推理であり、新しい観念を導入する唯一の論理的手続きである。探究の過程は、この〈アブダクション(発想)〉に始まり、次に、こうして得られた仮説から予見を〈デダクション(演繹)〉し、最後に、その予見を事実から〈インダクション(帰納)〉するという3段階からなる。〈デダクション〉は[そうあらねばならないこと]を、〈インダクション〉は[すでにそうであること]を、〈アブダクション〉は[そうであるかもしれないこと]を提示するものである。

【断片的(ピースミール的)思考法】
 パース、ヴィットゲンシュタイン、クワイン他
 デカルトのように[全体を根本から再建する]というのではなく、現状の全体はとりあえず受入れてしまい、うまくいかないことが明らかになった時点で、そのうまくいかない部分だけ改善していこうという思考法。
 デカルト以来、マルクスに至るまで、近世、近代哲学の方法は、いったんすべてを破壊して、自我なり経験なり、ひたすら根本(アルケー)から全体系を再構築するという革命的方法を採ってきた。しかしながら、この時代になって次第に、なにもそれが唯一の哲学の方法ではないことが認識されるようになったのである。そればかりか、根本まで破壊してしまった場合には再建が不可能であること、むしろ破壊するにはそれだけの理由が必要であることが分かってきた。つまり、知識は全体としてあるのであって、その個々の部分は相互依存的であり、いずれかの部分のみが根本であるとは言えないのである。ここにおいては、言わば大洋上の船の修繕ように、沈まないように少しづつ修理していくしかない。
 以後、体系的哲学書はすっかり影をひそめ、論点をきわめて限定した論文中心に哲学の歴史は進んでいくことになる。この傾向はとくに英米系に顕著である。

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu

トップページ


古代1 アルケーの探求
古代2 ソクラテスの時代
古代3 ヘレニズム
中世1 帝政ローマ時代
中世2 ゲルマン時代
中世3 スコラ哲学
中世4 科学のめばえ
16C 宗教改革の時代
17C 人間学と自然科学
18C 理性の崇拝と批判
近代1 ナポレオン時代
近代2 ブルジョワ誕生
近代3 帝国主義へ
近代4 世紀末と実用学
戦前 社会と科学
戦中 実存と行動
戦後 自由と技術
現代 閉塞と回顧

【メニュー編集】

Wiki内検索

管理人/副管理人のみ編集できます