大学水準の西洋哲学として知っておくべきことのすべて


---------------------------------------------------------------------------- B ヒューム

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ヒューム(David Hume 1711-76)
 イギリスの郷紳の家庭に生まれ、十二才で大学に入り、好成績で卒業するが、哲学と古典ばかり読む精神的に欝の状態が続いた。そこで、二十三のときにフランスに転地して、ここで、かねてからの構想であった哲学的主著『人間本性論(人性論)』を書き、帰国して出版するが、自信作にもかかわらず、「輪転機から死産した」と言うほどに、世間からはまったく無視されてしまった。その後、大学のポストを求めるも失敗し、狂人侯爵の家庭教師をしたり、将軍の秘書をしたりしていた。
 四十代にしてやっと、ある図書館長の職を得、この地位を利用して資料を集め、全6巻の大著『英国史』を執筆し、この本で彼は一躍、有名になった。それまで不遇だったが、彼にとって、名声は念願の望みだったのである。さらにまた、大使館秘書として、ふたたびフランスに渡ると、当時のイギリス崇拝の傾向もあってか、天才として社交界に大いに歓迎され、啓蒙思想家たちとも親交を得、このとき、世間の悪評高いルソーとも知りあった。
 その後、思想上の理由から亡命を強いられ、また、どの国もその入国を拒否したルソーを、ヒュームは人の好いことに、敬愛をもってイギリスに招くが、この男は虚栄心と被害妄想であちらこちらでもめごとを起こし、最後には、さすがのヒュームもルソーと罵倒の書簡をかわすこととなり、ルソーはフランスに帰って行った。
 ヒューム自身は、フランスからの帰国後、国務次官としての重職につき、晩年は引退して、哲学上の批判を受けながらも穏和に暮らした。
 彼は、哲学においては、ロック、バークリーの影響を深く受け、《イギリス経験論》の典型、その帰結というものを明示した。すなわち、デカルト的《主観的観念論》を採り、かつ、〈神の誠実〉や〈神への内在〉などの《機械仕掛けの神》を用いない以上、ロックのように、客観的な物体は〈不可知体〉であり、むしろ、バークリーように、そんなものは存在しないという《独我論》にいたらなければならない。しかし、ヒュームはさらに、唯一存在するとされていた〈主観〉ですら、そんなものは、たかだか、さまざまな〈観念〉の総称にすぎない、としてしまったのである。つまり、デカルトのいう〈物体〉と〈精神〉の2〈実体〉の両方がここへきて否定されてしまった。
 さらにまた、彼は、デカルト来、十七世紀哲学の支柱となった〈合理性〉に関しても、そんなものは、たんなる経験的な習慣であって、思い込み(〈信念〉)にすぎない、としてしまった。近代の懐疑は、ついに理性そのものにまで至ったのであり、彼は近代《懐疑主義》の代表的人物となった。ここへきて、それまで共栄共存してきた、いわゆる《大陸合理論》と《イギリス経験論》は決定的な対立をせまられることになる。つまり、《経験論》は、〈合理性〉すら経験的なものとしてしまったのである。もちろん、《合理論》の方では、あくまで、《合理性》を超経験的なもの、アプリオリなものとして擁護することになる。これが後のカントの中心課題となったのである。
 つまり、彼は、〈実体〉も〈理性〉も否定し去ってしまったのであり、言わば、後のニーチェなどに代表される《ニヒリズム》の先駆者なのである。しかも、その主張は、病的な《懐疑主義》を吹飛ばすような、ニーチェの言う力強い、没落への《ニヒリズム》である。そもそも、「哲学的体系はその想像におよぼす全影響を世俗の体系から得る」のであり、「以上のような理性と諸感覚に対する懐疑的疑惑は、人生の絶対に治癒されえない病気である」が、「この病気につける薬があるとすれば、それは不注意と油断だけであり、だから、私もこれらに頼っているのである」と言う。つまり、〈実体〉や〈理性〉までおよぶ病的な《全面的懐疑》は、その懐疑の根拠を〈実体〉や〈理性〉に求めているがゆえに、はじめから腰砕けなのであり、それならば、むしろ、哲学は世俗の思い込みに立脚して、構築されなければならないのである。

【二重認識説】
 (『人性論』第1篇第1部)
 人間の心に現れる〈知覚〉はすべて、〈印象〉か、〈観念〉かである。
 〈印象〉とは、極めて勢よく激しく入ってくる〈知覚〉であり、初めて心に出現した感覚、情緒、情感がそうである。
 〈観念〉とは、思考や推理におけるこれらの〈印象〉の淡い映像のことであり、経験された〈印象〉を原因としてのみ、〈観念〉が形成される。
 両者は容易に区別しうるが、しかし、認識において心に現れる〈知覚〉は、すべて二重に、〈印象〉としてと同時に〈観念〉としても出現する。〈観念〉は、かつての〈印象〉の正確な再現として、もとの〈印象〉に類似しているのであり、この新たな〈印象〉と、かねてからの〈観念〉との比較によって、認識が生じるのである。ただし、これは単純な印象・観念の場合であって、複雑な観念の場合は応じる印象がなく、複雑な印象の場合は正確な観念がないこともある。

【観念連合の法則 law of associations of ideas】
 (『人性論』第1篇第1部)
 〈観念〉を心に呼出す機能には、〈記憶〉と〈想像〉とがある。〈記憶〉は、〈観念〉を原〈印象〉のままに思い出す機能であり、知覚に勢いがあるが、〈想像〉は原印象の順序、形式に拘束されず思い起こす機能であり、知覚は淡くなえている。
 このように〈想像〉は、すべての単純観念を自由に分離し、また、接合することができるが、これはただ偶然によるばかりではなく、諸言語がたがいに対応している事実からもわかるように、一般に普及している原理によることもある。想像において、ある観念からもうひとつの観念を導出したり、また、空想において複数の観念を結合する哲学的関係は、およそ、〈類似〉〈反対〉〈程度〉〈数量〉〈同一〉〈位置〉〈因果〉の7つである。これらは、観念のみに依存し、それゆえ、確実的なものと、観念以外のものに依存し、それゆえ、偶然的なものがある。
つまり、このうちの〈類似〉〈反対〉〈程度〉〈数量〉の4つが前者であり、〈同一〉〈位置〉〈因果〉の3つが後者である。
 観念以外のものに依存する関係である〈同一〉〈位置〉〈因果〉のうち、〈同一〉と〈位置〉とは、実在対象そのものに依存するかどうかはともかく、少なくとも経験的な〈知覚〉として充分に与えられる。だが、〈因果〉はけっして〈知覚〉には与えられない関係である。

【恒常的連接 constant conjunction】
 (『人性論』第1巻第3部)
 〈因果〉はけっして〈知覚〉には与えられない唯一の関係であるが、これは、さらに、〈接近〉〈連続〉と、〈必然〉の3つの関係からなる。
 だが、〈因果〉についての推理は、因果の一方の〈知覚〉によって、〈類似〉の対象が〈接近〉や〈連続〉の似た関係にいつも置かれていた、という経験的な過去の実例の〈恒常的連接〉を思い出し、それに合うように、もう一方を補うことにすぎない。
 つまり、因果関係は、実在の対象間の〈必然〉的結合ではなく、単に、主観の観念間の偶然的連合にすぎず、これは〈信念〉による結合である。

【知覚の束 bundle of perceptions】
(『人性論』第1巻第4部)
 我々はいかなる時も〈知覚〉なしには自分自身をけっして捕えられない。言わば、心は、いくつもの〈知覚〉が次々と登場する一種の劇場であり、さらに、その場所の念すらない。つまり、人間とは、思いも及ばない早さで連続し、永遠の流転と動きの中にあるさまざまな〈知覚の束〉にすぎず、そこには共時的な単一性も、通時的な同一性もない。

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