大学水準の西洋哲学として知っておくべきことのすべて


---------------------------------------------------------------------------- A フォイアーバッハ

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フォイアーバッハ(Ludwig Andreas Feuerbach 1804-72)
 法哲学・刑法学者アンゼルム・フォイアーバッハの子に生まれ、ベルリン大学に学び、ヘーゲル哲学に深く感化されて、さらにそれを超克すべく、ヘーゲル批判へと発展し、ある大学の私講師となって、ヘーゲル左派の先鋭として宗教批判を徹底した。しかし、このために保守派の人々の反感をかって職を失い、以後、一時期を除いて、いなかの城舘にこもる隠遁の生活をしつつ、宗教批判の執筆に専念した。生活は、フォイエルバッハ家所有の工場によっていたが、しかし、これも晩年は破産し、困窮のうちに死んだ。
 彼が生涯の仕事とした宗教批判はヘーゲル批判に基づいている。すなわち、ヘーゲルは抽象的な精神(神)を想定し、その自己展開の過程として自然や歴史をとらえようとしたが、本来、人間はそれ自身、自然物に他ならず、それゆえにこそ他の自然物を確証できるのである。そして、このような自然的なる人間の働きである精神を、人間とは独立のものとして定立するからこそ、人間はこのような精神(神)に支配されることになってしまう。このような状況を彼は「人間の自己疎外」と呼び、このような精神(神)への転倒を批判して、[自然以外のなにものも存在しない]という人間主義的《唯物論》を展開し、宗教の虚構をあばいて、現世にこそ理想の実現を求めるべきことを説いた。
 彼の関心の領域は、あくまで思想的分野に限られていたが、この理論は、同じヘーゲル左派の多くの後進たちに大きな影響を与え、やがてマルクスとエンゲルスに至って現実の社会問題に応用され、この天上への批判は地上の批判として政治運動にまで徹底されていくのである。

【「人間が人間にとって神である」】
 (『キリスト教の本質』)
 人間を動物から区別するものは〈意識〉であるが、それは、[人間が人間自身の〈類的本質 Gattungswesen〉を意識している]ということである。〈人間の類的本質〉とは、精神、すなわち、理性・意志・心情であり、いずれも不可欠である。つまり、認識し、意欲し、愛するためにこそ、人間は存在する。
 ところで、主観が本質的に関係する対象は主観自身の本質にほかならない。それゆえ、人間が本質的に対象とする〈神〉とは、実は、人間の対象的本質そのものであり、人間の内面が表現されたものなのである。つまり、〈神〉とは人間の類的本質を理想化して人間から外化した幻想にほかならない。まさに、「神学の秘密は人間学である」のだ。
 だが、にもかかわらず、このような理想の外化によって、むしろ人間はこの理想の神に支配され、神を主体的とすればするほど、みずからの主体的な類的本質を失い、非人間的となっていく〈人間の自己疎外〉へと追いやられてしまう。それゆえ、人間は、この宗教的理想を再び人間のうちに取り戻し、人間愛として、みずから主体的に現実の中にこそ実現すべく努力しなければならないのである。

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