---------------------------------------------------------------------------- B プラトン
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プラトン (Platon 427-347BC)
プラトンは、アテネ王の末裔に生まれたが、王家などはるか昔になくなっており、むしろ彼の家庭は母が再婚したこともあって、母方の関係が強く、ソロン以来の正統民主派に属し、名門ながら特に豊かというわけでもなかった。また、彼が生まれたころは、すでにアテネは全盛期を過ぎて、スパルタとペロポンネソス戦争に入っていた。彼は、家柄にふさわしい一般教養を身につけ、とくに文学、詩や演劇に関心をもっていたらしい。身内の年長者たちの中にはソクラテスと親しく接触し、弟子となっていた者もいたが、プラトンも二十のときに六十二のソクラテスと出会い、その言葉に感銘を受けて、自作の悲劇作品を焼き捨て、彼の門下に入ったと言われる。
その後、アテネはスパルタに破れ、ソクラテスの弟子たちによる反動政権が樹立されるが、この中にはプラトンの身内の者も少なくなく、彼も参加をさそわれ、また、彼自身もこの政権に放埓だった国家の倫理的再建を期待していた。ところが、事態を見守るうち、その恐怖政治の実体をみせつけられて失望し、また、師ソクラテスまでも利用していると憤りを覚えたらしい。そして、この反動政権の崩壊後の政治的混乱の中で、彼は政治への意欲を高めたのである。
だが、彼が二十八の時、師ソクラテスもこの混乱にまきこまれ、あらぬ告発を受けて死刑となるという事件を目の当たりにして、政治の難しさを痛感し、スキャンダラスにただ騒ぎ立て、支離滅裂にものごとをひっかきまわす人々を嫌い、真の政治は哲学なしにはありえないと思うようになった。また、弁明の機会、逃亡の準備がありながら、みずから死を選び、毒杯を手にした師ソクラテスの行動は彼の心に大きな謎を残し、彼をソクラテス研究へと向かわせた。そして、他のソクラテスの仲間や弟子の何人かとともに隣国へ逃れ、また、エジプトなどにも旅をしつつ、この間に、『ソクラテスの弁明』を始めとするソクラテスを主人公とした初期対話篇を執筆し、ソクラテスの思想を自分のものにしていった。
一方、ソクラテスの他の弟子たちの中には、自分なりの一派をなす者も現われ、これらは「小ソクラテス派」と呼ばれた。そのひとつは《キュニコス(犬儒)派》と呼ばれ、禁欲主義的であり、また、ひとつは《キュレネー派》と呼ばれ、快楽主義的であり、もうひとつは《メガラ派》と呼ばれ、論争主義的であり、さらにもうひとつ《エリス派》と呼ばれるものもあった。それらは、たしかにそれまでのソフィストたちと違って実践的な活動を重視したが、しかし、また、それらはそれぞれ、犬のように暮らし、現世より天上界的幸福を求め、浅はかで小賢しい知識を破壊したソクラテスの表面的な一面のみを継承したものにすぎず、その思想的な奥行に関して、とうてい師ソクラテスに及ぶものではなかった。
プラトンは各地への遍歴の後、四十にしてアテネへ戻り、その郊外に「アカデメイア」という学園を設立し、哲学研究と理想の政治家の育成にあたった。その入口には「幾何学を知らざる者、この門を入るべからず」と書かれていたように、ここではピュタゴラス的な算術や数学、天文学、音楽理論なども哲学の予備学として重視されており、多くのすぐれた数学者や天文学者もここから世に送り出された。また、この時期に、『国家』を始めとする中期対話篇が執筆され、ここでは、ソクラテスが主人公とされてはいるものの、プラトンの中心思想である《イデア論》に関して、政治論や認識論、霊魂論などの関連において積極的な展開が行われ、円熟を深めた。
こうして彼は研究と教育と執筆の日々を送っており、このころ若きアリストテレスもアカデミアに入門してきたが、プラトンが六十の時、南イタリアのシシリア島にある弟子の国で老王が死去し、若い王が王位に就いた。その弟子は師プラトンの理想国家を実現すべく努力し、プラトンをこの王の教育のために招いたのだが、この弟子は陰謀によって追放され、プラトンも王によって強制的にその国に止められることとなってしまった。だが、彼はその王の素質、人柄に失望し、いったんはなんとかアテネに帰国したものの、この王はその弟子の処分でおどし、ふたたびその国に無理やり招いた。しかたなく渡航したが、話はさらにこじれてプラトン自身も監禁されることとなり、外交的に脱出して、ようやくアテネに戻ることができた。その後、この弟子はアカデメイアの学徒たちの支援のもとに、この国を急襲し、王を追放して民主新政権を樹立するが、数年後には仲間から暗殺されてしまった。このような多忙の間にもプラトンの執筆活動は続けられ、『ソフィステス』など、後期著作が記された。ここでは、もはやソクラテスは主役ではなく、また、その文体も対話より一人の叙述の方が大きな部分を占め、内容的にも自然論、宇宙生成論、非在論など、非ソクラテス的、むしろ、ピュタゴラス的なものが入ってきている。
そして、彼は、八十才にして、執筆中に死んだとも言われる。アカデメイアはプラトンの甥が継ぎ、それまで中堅として活躍してきたアリストテレスはこれを機会にアテネを去っていった。
プラトンの哲学は、師ソクラテスの死の謎に始まり、ソクラテスその人を研究し、その思想を消化していくことによって、新たにひらかれたものである。だが、ソクラテスは著作を残さなかったために、どこまでが師ソクラテスの思想の再録であり、どこからがプラトンの独創であるのかはわからない。そして、これは、弟子プラトンが師ソクラテスにまつわるさまざまな誤解に基づく中傷を弁明するためにソクラテスの真の見解を公開したのだとも、また、若きプラトンが自説を権威づけるために著名であったソクラテスの口を借りて語らせたのであるとも言われる。
それゆえ、彼の思想は、ソクラテスと同じく、多分に宗教的、オルフェウス教的であり、独断的な形而上学に支えられている。しかし、多少、推測を交えて言えば、ソクラテスが〈魂の浄化〉という実践面ばかり重視し、現世的知識に対する破壊的議論に終始したのに対して、プラトンはピュタゴラス的に教義的理論面も尊重し、存在論や認識論の場面で、その教義を論証する積極的、建設的議論を展開したと言えるだろう。すなわち、魂は肉体という牢獄にあり、それゆえ、現世的な知覚は虚妄ではあるが、純粋な思惟、魂の目によっては天上界的な〈真実在〉をも知ることができ、そして、この世のさまざまな物も、まさにその〈真実在〉の影響によってこそそのようであることができるのである、とされた。
つまり、彼の哲学の基本構図は現世界と天上界の《二世界説》である。そして、さらに、人間と他の諸物の《二世界説》がこれに交差する。魂は本来は天上界に属するのであるが、現世界の肉体の中に閉じ込められているのであり、他の諸物も天上界のそれそのものを範型としてできている。肉体の中の魂は現世界の諸物を肉体を介して知覚しても虚妄でしかなく、いったん天上界の範型を経てこそ真に知ることができるのである。
このことはしばしば三角形を例にして主張される。すなわち、現世界にある三角形はなんらかの特定の角度や辺の長さに固定されたものでしかないが、純粋に思惟することによって、三角形一般の特徴と性質を知ることができ、これを知っていてこそ、多様な三角形も理解できるのである。というんも、現世界の多様な三角形もまた、この理念的三角形を範型とし、その特質を分有しているからに他ならない。
もちろん、このような天上界と現世界、人間と諸物という二重《二世界論》における《存在論》、《認識論》は、魂と肉体、イデアと諸物の四つの世界の関係において複雑な問題を持つ。これに関して、彼は、基本的には、魂の現世の存在に関しては《肉体牢獄説》、イデアと諸物との存在に関しては《離存分有説》、魂によるイデアの認識に関しては《想起説》をとっていたと言うことができる。肉体と諸物の関係は虚妄でしかないが、肉体と諸物との関係は、魂とイデアとの関係に比喩(アナロジー)される。これらの関係を図示すれば、次のようになる。
天 上 界
〈イデア〉 ← 〈 魂 〉
《想起説》
《離存分有説》↓ ↓《肉体牢獄説》
現 世 界
〈 諸物 〉 〈 肉体 〉
【想起 anamnesis】
(『パイドン』)
我々にとって学ぶことは想起することにほかならない。というのは、人間は質問されることによって、もしその質問が上手にさえされれば、ものごとがどうなっているかを、自分ですべて説明することができるからである。
しかし、なにかを想起するには、それをいつか以前に知っていたのでなければならない。だから、我々の魂は、生まれる前にはイデア界にいて知識を得ていたのだが、生まれるときにそれを失ってしまい、後になって感覚を用いてこれらのものについて以前に持っていたあの知識を取り戻すのにちがいない。美とか、善とかも、実は、すべてそのような〈真実在〉が天上界に存在し、我々は、それらが前から存在し、我々のものであったことを発見し、感覚される事物をすべてこの〈真実在〉との関係において比較してみているのである。
【真実在 ontos on】【イデア idea】
我々が見たり、聞いたりして、「ある」と思っている感覚的事物は、つねに生成消滅し、変化するものにすぎない。それゆえ、そのような感覚的事物は、また、ある意味で「ない」でもある。だから、「本当にある」のは、不生不滅、不変同一の〈イデア〉だけであり、これは、感覚によってではなく、しかしまた、推理の〈媒介識〉によってでもなく、ただ〈上昇知〉によってのみ知ることができる。
そしてまた、感覚的事物はこの普遍一般的な〈イデア〉を範型とし、その特質を分有していることによって、それであることができるのである。たとえば、ベッドは多数存在するけれども、ベッドというもののイデアは唯一無二であり、現世界のそのような多数のベットは、鏡に映った虚像のように、このイデアの模造にすぎないのである。
しかし、このような《イデア論》は、アリストテレスが『形而上学』Α9で「イデア論批判」を展開してたように、多くの問題点を残している。たとえば、ソクラテスにはソクラテスのイデアがあるというように、この現世界の個々の事物すべてに同じ数だけイデアが必要になってしまうし、また、現世界の人間が人間のイデアに似ているためには、その人間たちと人間のイデアとを同じとする人間性のイデア、〈第三人間〉のイデアが必要となり、これは無限後退に陥る。それに、そもそも、イデアの存在の主張自体が独断的であり、〈離存分有〉という現世界との係わり方も不明確で、理論的にもその役割がなく、不要のものであるとされる。
【離存 xorismos】【分有 methexis】
(『パイドン』『饗宴』)
〈離存〉とは、〈イデア〉が、この世の感覚的事物とは別に、純粋な形で、離れて存在するということ。すなわち、不生不滅で永遠である〈イデア〉は、生成消滅で変化する感覚的事物から離在し、なんの影響もこうむらないが、感覚的事物は〈イデア〉にあずかること、〈イデア〉の特質を分有することによって、そのようであることができ、そのイデアと同じ名を持つ。たとえば、あるものが美しいのは、美そのものにあずかるからにほかならない。
プラトンは、この関係を、他に、「臨在 parousia」「共在 koinonia」「分取 metalambanein」「模倣 mimesis」などとも表現しているが、いずれにしてもその曖昧さはぬぐえるものではなく、アリストテレスによって厳しく批判された。(『形而上学』第1巻第9章「イデア論批判」)
【デミウルゴス demiurgos】
(『ティマイオス』)
不変で不生不滅の〈イデア(形相)〉を範型とし、所与の〈コーラ(素朴)〉を材料として、世界の諸物を作る神のこと。
〈コーラ〉は純粋な受容体であり、〈イデア〉を忠実に模写することができ、正4面体によって〈火〉、正8面体によって〈空気〉、正20面体によって〈水〉、正6面体によって〈地〉となる。そして、
〈デミウルゴス〉は、不可分自己同一の〈一者のイデア〉と、可分変化生滅の〈他者のイデア〉とを投影的に混合して、世界霊魂を創造し、これに世界身体を従属させ、前者が原理となって、運動や時間、理性・感性が生じる。
【善のイデア idea tou agathou】
【太陽の比喩】【線分の比喩】【洞窟の比喩】
(『国家』第6、7巻)
学び知るべき最大のものであり、これなしには他のいかなる知も役に立たない。
〈見るもの(視力)〉があっても、太陽がなければ〈見られるもの〉がはっきりしないように、〈知るもの(知力)〉があっても、〈善のイデア〉がなければ〈知られるもの〉も明らかとはならないのである。そして、このように〈認識される〉ということのみならず、そもそも〈ある〉ということも〈善のイデア〉によっている。(《太陽の比喩》)
太 陽 善のイデア
↓ = ↓
見るもの→見られるもの 知るもの→知られるもの
そしてまた、〈見られるもの〉ないし〈思い doxa〉、すなわち、〈生成〉における〈幻覚 eikasia〉と〈所信 pistis 〉の先に、〈知られるもの〉ないし〈知 noesis〉、すなわち、〈実在〉における〈媒介識 dianoia〉と〈上昇知 episteme〉を並べることができる。そして、〈知〉と〈思い〉との関係は、〈上昇知〉と〈所信〉との、〈媒介識〉と〈幻覚〉との関係と比例しているのである。(《線分の比喩》)
見られるもの(思) : 知られるもの(知)
= 幻 覚:媒介識 = 所 信:上昇知
これは、かがり火によって洞窟の壁に映し出される影とその影の元である模造物、そして、洞窟の外の太陽による影と本物にたとえられる。この外界の太陽こそ、〈善のイデア〉であり、最後には直接に見てとられるべきものである。(《洞窟の比喩》)
かがり火 太 陽
↓ ↓
模造物 = 本 物
↓ ↓
囚 人→洞窟の影 哲学者→外界の影
【イデア数 arithmos eidetikos】
わずかに『フィレボス』と『ティマイオス』だけに片鱗が示し残されて、またアリストテレスが『形而上学』で言及しているだけの、プラトン後期の中心的教説。アカデミアの不文の教説 agrapha dogmataのひとつであったらしい。
すなわち、〈イデア〉とこの世の感覚的事物との間の中間者 metaxy として、そのどちらにも属さない〈限り〉と〈無限〉、ないし、〈自〉と〈他〉、〈一〉と〈大小〉(〈不定の二 aoriste dias〉)を考え、これらをそれぞれ個体原理、質料原理として、両世界の関係を説明しようとしていたらしい。
【媒介識 dianoia / 上昇知 episteme】
(『国家』)
〈見られるもの〉が似像の〈幻覚〉と原物の〈所信〉に分けられるように、〈知られるもの〉も〈媒介識〉と〈上昇知〉に分けられる。
〈媒介識〉とは、数学的論証のように、仮説を前提として結論へと演繹していくものあり、数学的対象に関するが、〈思い〉よりは明瞭ではあるものの、〈知〉というには不明なところが多すぎる。
これに対して、〈上昇知〉とは、〈魂の目〉を働かせて、仮説から出発しながら問答法によってより高次の一般的規定へと上昇し、無仮説の始源、すなわち〈イデア〉へと遡っていくものであり、それが知られれば、現世界のそれらすべても直知される。
【術の比喩】
(『ゴルギアス』『国家』)
身体や魂を善くする術は、次のように分類できる。
真 正の術 まやかしの術
魂 に関する術=政治術 立法術 ←→ 詭弁術
司法術 ←→ 弁論術
身体に関する術 体育術 ←→ 化粧術
医 術 ←→ 料理術
真正の術は、魂や身体の世話をし、それを最善の状態にすることを目的にしているのだが、まやかしの術は、何が最善かを少しも考えず、また、なぜそうなるのかという原因の理論的説明もなく、その場その場でこころよい思いにさせて、無知な連中の心をつかみ、あざむき続けているのである。そして、このように〈化粧術〉と〈体育術〉との関係は、〈詭弁術〉の〈立法術〉との関係に、〈料理術〉と〈医術〉との関係は、〈弁論術〉と〈司法術〉との関係に等しい。
それゆえ、我々は、身体に関して、〈化粧術〉や〈料理術〉に溺れておらず、〈体育術〉や〈医術〉を求めなければならないように、魂に関しても、まやかしの〈詭弁術〉や〈弁論術〉に陥ることなく、真正の〈立法術〉や〈司法術〉を身につけ、魂をより善い状態に導かなければならないのである。
また、〈医者の術〉は医者のためになることをする術ではなく、患者のためになることをする術であり、〈馬丁の術〉は馬丁のためになることをする術ではなく、馬のためになることをする術であり、〈船長の術〉は船長のためになることをする術ではなく、船のためになることをする術であるように、〈支配者の術〉は支配者のためになることをする術ではなく、被支配者のためになることをする術でなければならない。それゆえ、魂をより善くする術である〈哲学〉を身につけた哲人こそが支配者にふさわしいのであり、また、そうでなければならないのである。
【魂の3部分説】
(『国家』第4巻)
魂には、
〈思惟の部分 logistikon〉と、
〈意欲の部分 thymoeides〉、
〈情欲の部分 epithymetikon〉がある。そして、人はこれらのどの部分が支配しているかによって、
知恵を愛する者、
勝利を愛する者、
利益を愛する者に分類される。
これは、国家が政務を審議する者、補助する者、金もうけをする者の3つの種族から構成されていたようなものである。そして、実際、国家も個人も、同じような仕方で、また、同じ部分のおかげで、知恵ある者であり、勇気ある者であり、その他の徳に関しても同様なのである。
しかし、このように徳のある正しい人、正しい国家あるためには、〈思惟の部分〉が支配し、〈意欲の部分〉がこれに従って構想をやりとげるという、言わば、音楽と体育の調和の下に、〈情欲の部分〉はこれらに指導されることによってこそ、なのであって、けっして、〈情欲の部分〉が他の部分を支配するようなことがあってはならない。
逆に、悪徳、不正とは、これらの部分がそれぞれの分を守らず、他の部分へ干渉したり、反乱を起こしたり、また、支配をしたりする混乱や倒錯であると言えよう。
【哲人王】
(『国家』第5巻)
哲学者たちが王となるか、今日、王たちが哲学するかしないかぎり、つまり、政治的権力と哲学的精神とが一体化されないかぎり、国にとっても、人類にとっても不幸である。というのは、国には、知恵を愛する者、勝利を愛する者、利益を愛する者がいるが、これが国として正しくなるのは、〈思惟の部分〉が支配し、〈意欲の部分〉がこれに従って構想をやりとげ、〈情欲の部分〉はこれらに指導されるこよによってこそであるからである。
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