最終更新: centaurus20041122 2014年05月03日(土) 09:00:43履歴
島の高台にあるアパートに夜風が吹きこんで、エアコンは必要がなかった。
花苗は近田とベッドをともにしたあと、近況を話していた。
花苗の就職活動はそれほど辛くはなかった。選り好みをしなければすぐに決まったようなものだ。サーフィン女王の名前はかなり大きく、スポンサードしてくれた会社や、マリンスポーツ関連、バイトしていたスポーツクラブは湘南にマリンスポーツに特化したショップを開店するから、そこで働かないかという破格の提案まであった。
それらの話をすべて頭の中に入れて、熟慮した結果が、新島の中学校へ赴任する体育教師、だった。
新島は観光とサーフィンの島だ。だが、過疎化しているには違いなく、希望するとほぼ間違いなく配属されるという話を聞いて、その道を選んだ。
地方公務員というわけだが、東京都教育委員会に兼業届を出したうえで、校長の特別のはからいで、それまでとおり全日本のサーキットに出場することが出来ていた。同僚や先輩たちも「サーフィンの島、新島」というのは十分すぎるほどわかっており、いわばその広告塔の役割を花苗に期待していたのだ。
「調子はどうなんだ?」
近田が聞くのは、もちろんサーフィンの調子だ。近田はマリンスポーツ系のスポーツ用品会社で商品開発をしている。その会社は以前、花苗をスポンサードしていたが、公務員になった今、花苗は表向きスポンサードされることができない。そこで、自由意思の基金を受け皿として作り、そちらに入金してもらうことで全日本を回っていた。
「まあまあ、かな……」
まあまあどころではなく、花苗は結局、大学2年から社会人1年めまでの4年間、全日本チャンピオンとなった。知名度はあがり、タレント事務所にマネジメントを委託するまでになっていたけれど、本人の意識はいつも「自分はまだまだ低い場所にいる」という強迫観念に似た意識だった。
「あまり生き急ぐなよ」
近田が心配して言う。この4年、近田はずっと花苗の精神的支柱として支え続けていた。
たぶん、彼と結婚するのだろう、花苗もそう思っている。
社会人2年めの今季も向かうところ敵なしの状況だった。昨年4連覇したことで、世界サーキットの一部としての、ハワイ・パイプラインコンテストへのゲストエントリーが認められ、日本人女性のサーファーとしては初めて出場。結果は第二ヒート敗退だったが、「ハワイの波」を体験して、「まだまだ私は井の中のかわず」という思いを強くしていた。
「今年も、パイプライン行くんだろ?」
軽く確認の意味で近田がいう。
「そうね、行きたいね」
世界の波乗りたちの聖地。パイプライン。北極海で生まれる爆弾低気圧が作りだす波が、どこの陸地にもぶつからず、減衰しないままオアフ島の北岸でブレイクする。
その巨大な波に挑むことが、世界の波乗りたちの究極の目標だった。
「仕事はどう?」
「ん、問題ないよ。なじんでるし、協力してくれてる」
「いい職場でよかったな」
「うん」
花苗と貴樹、あるいは明里とは携帯メールではつながっていたが、あの「プチ同窓会」以来、会えないままだった。お互い、日々の些事に忙殺されており、自分の周りのことをこなすことでいっぱいで。
それでも、明里の出ていたファッション誌は欠かさず見ている。編集後記で必ず貴樹のことを明里が書くからだ。それで二人の近況はある程度知れる。
花苗自身が取材され、登場するサーフィン雑誌は実は明里が勤める出版社から出ている。そのツテで毎号送られてきていたのだ。毎号毎号、明里を誌面で見るたびに貴樹を思う心は減衰し、その思いはもう化石のようになっていた。明里のモデル卒業号のときに貴樹まで登場していたのは驚きを通り越して、笑ってしまったけれど。
今は、近田が大きな体と同じように大きな心で見守ってくれている。
東京と新島という「ちょっと遠距離恋愛」だけれど、それまでに培っていた気持ちがつながっていた。
まだ24歳。でも、24歳。
しなやかでのびやかな体はいまだに新鮮さを失わないけれど。
でも、いつかは近田とともに家庭を築かなければならない。
ゴールがわかっていてそこへ走っていくというのは、安心すると同時に退屈で少し憂鬱なのものなのかもしれない。そう思って花苗は笑ってしまう。これってまるでマリッジブルーみたい。まだ、婚約もしてないのに。
「花苗、これからちょっと忙しくなりそうなんだ」
近田が言う。「これまでのようにここには来れないかもしれない」
「うん……」
そういうことを近田が言うのは初めてで、花苗は不安になる。
「でも、2年かかる今の仕事を終わらせれば、ケジメはつけられるし、会社的にも俺のことを認めさせられると思うんだ」
最近になく近田が饒舌になっているので、さらに不安が募る。
「だから、その」
珍しく近田が口ごもって花苗の不安がさらに高じた。
「なに……?」
「うん、そのときは、俺と……一緒になってくれないか」
極めてオーソドックスかつわかりづらい、昭和的なプロポーズだったため、花苗は最初意味がわからず、ぽかんとしていた。
「つまり、結婚してくれ、という意味だ」
またまた、しゃちほこばった表現で改めて説明して、ようやく事態を把握した花苗は、勝手に流れだした涙にも気付かずに、ただ「うんうん」とうなづくだけだった。
幸せはある夜、急にやってくる。
まるで、星が落ちてくるように。
世界の誰かの次に。
(つづく)
花苗は近田とベッドをともにしたあと、近況を話していた。
花苗の就職活動はそれほど辛くはなかった。選り好みをしなければすぐに決まったようなものだ。サーフィン女王の名前はかなり大きく、スポンサードしてくれた会社や、マリンスポーツ関連、バイトしていたスポーツクラブは湘南にマリンスポーツに特化したショップを開店するから、そこで働かないかという破格の提案まであった。
それらの話をすべて頭の中に入れて、熟慮した結果が、新島の中学校へ赴任する体育教師、だった。
新島は観光とサーフィンの島だ。だが、過疎化しているには違いなく、希望するとほぼ間違いなく配属されるという話を聞いて、その道を選んだ。
地方公務員というわけだが、東京都教育委員会に兼業届を出したうえで、校長の特別のはからいで、それまでとおり全日本のサーキットに出場することが出来ていた。同僚や先輩たちも「サーフィンの島、新島」というのは十分すぎるほどわかっており、いわばその広告塔の役割を花苗に期待していたのだ。
「調子はどうなんだ?」
近田が聞くのは、もちろんサーフィンの調子だ。近田はマリンスポーツ系のスポーツ用品会社で商品開発をしている。その会社は以前、花苗をスポンサードしていたが、公務員になった今、花苗は表向きスポンサードされることができない。そこで、自由意思の基金を受け皿として作り、そちらに入金してもらうことで全日本を回っていた。
「まあまあ、かな……」
まあまあどころではなく、花苗は結局、大学2年から社会人1年めまでの4年間、全日本チャンピオンとなった。知名度はあがり、タレント事務所にマネジメントを委託するまでになっていたけれど、本人の意識はいつも「自分はまだまだ低い場所にいる」という強迫観念に似た意識だった。
「あまり生き急ぐなよ」
近田が心配して言う。この4年、近田はずっと花苗の精神的支柱として支え続けていた。
たぶん、彼と結婚するのだろう、花苗もそう思っている。
社会人2年めの今季も向かうところ敵なしの状況だった。昨年4連覇したことで、世界サーキットの一部としての、ハワイ・パイプラインコンテストへのゲストエントリーが認められ、日本人女性のサーファーとしては初めて出場。結果は第二ヒート敗退だったが、「ハワイの波」を体験して、「まだまだ私は井の中のかわず」という思いを強くしていた。
「今年も、パイプライン行くんだろ?」
軽く確認の意味で近田がいう。
「そうね、行きたいね」
世界の波乗りたちの聖地。パイプライン。北極海で生まれる爆弾低気圧が作りだす波が、どこの陸地にもぶつからず、減衰しないままオアフ島の北岸でブレイクする。
その巨大な波に挑むことが、世界の波乗りたちの究極の目標だった。
「仕事はどう?」
「ん、問題ないよ。なじんでるし、協力してくれてる」
「いい職場でよかったな」
「うん」
花苗と貴樹、あるいは明里とは携帯メールではつながっていたが、あの「プチ同窓会」以来、会えないままだった。お互い、日々の些事に忙殺されており、自分の周りのことをこなすことでいっぱいで。
それでも、明里の出ていたファッション誌は欠かさず見ている。編集後記で必ず貴樹のことを明里が書くからだ。それで二人の近況はある程度知れる。
花苗自身が取材され、登場するサーフィン雑誌は実は明里が勤める出版社から出ている。そのツテで毎号送られてきていたのだ。毎号毎号、明里を誌面で見るたびに貴樹を思う心は減衰し、その思いはもう化石のようになっていた。明里のモデル卒業号のときに貴樹まで登場していたのは驚きを通り越して、笑ってしまったけれど。
今は、近田が大きな体と同じように大きな心で見守ってくれている。
東京と新島という「ちょっと遠距離恋愛」だけれど、それまでに培っていた気持ちがつながっていた。
まだ24歳。でも、24歳。
しなやかでのびやかな体はいまだに新鮮さを失わないけれど。
でも、いつかは近田とともに家庭を築かなければならない。
ゴールがわかっていてそこへ走っていくというのは、安心すると同時に退屈で少し憂鬱なのものなのかもしれない。そう思って花苗は笑ってしまう。これってまるでマリッジブルーみたい。まだ、婚約もしてないのに。
「花苗、これからちょっと忙しくなりそうなんだ」
近田が言う。「これまでのようにここには来れないかもしれない」
「うん……」
そういうことを近田が言うのは初めてで、花苗は不安になる。
「でも、2年かかる今の仕事を終わらせれば、ケジメはつけられるし、会社的にも俺のことを認めさせられると思うんだ」
最近になく近田が饒舌になっているので、さらに不安が募る。
「だから、その」
珍しく近田が口ごもって花苗の不安がさらに高じた。
「なに……?」
「うん、そのときは、俺と……一緒になってくれないか」
極めてオーソドックスかつわかりづらい、昭和的なプロポーズだったため、花苗は最初意味がわからず、ぽかんとしていた。
「つまり、結婚してくれ、という意味だ」
またまた、しゃちほこばった表現で改めて説明して、ようやく事態を把握した花苗は、勝手に流れだした涙にも気付かずに、ただ「うんうん」とうなづくだけだった。
幸せはある夜、急にやってくる。
まるで、星が落ちてくるように。
世界の誰かの次に。
(つづく)
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