最終更新: nevadakagemiya 2019年09月14日(土) 21:25:53履歴
燃え盛る瓦礫。
熱に軋む鉄板。
割れ落ちるガラス、揺らぐ空気。
「素に、銀と鉄……」
吸い込んだ息は喉を焼き、吐く息が言葉を殺す。
爛れ始める皮膚を押さえて、ただその足取りを進めながら。
幼い少女は繰り返す。全てが崩れる直前、何処から漏れ聞こえていた誰かの声を。
たった数分ほど、一度しか聞いていないにも関わらず……その綴りに狂いは無く。
「礎に……石と、契約の大公……」
完全記憶能力。或いは、もっと極単純な生物的な機能かもしれないが……。
彼女の内に眠る生存本能が、更には燃え盛るような“何か”の感情が、ラーニングされた詠唱を出力している。
降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ。
時折吹く熱風にも臆する事無く言葉は続く。崩れ落ちた建物の中心……即ち、爆心地へと足を進めながら。
繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する。
そこは地下駐車場と思しき空間。十数階建てのマンションの下に設けられた、広々としていて殺風景な石の箱。
今となっては天井を塞ぐ蓋も無く、見上げれば鉛色の夜空に燃え盛る火炎……そして僅かに残った支柱が顔を覗かせて。
……足元に、魔法陣めいた奇妙な図形が描かれているのを見た。
今まで感じたことのない奇妙な気配。形容するなら、それは……“魔力”とでも言うような感覚で。
その気配の奔流に触れ、少女は確信した。この魔方陣こそが、この災害の元凶であると。
「――――告げる」
少女の言葉に呼応するように、瓦礫に埋もれた魔法陣は胎動する。
赤く、僅かな光を伴って。燃え盛る業火の中に在って尚映えるその赤は、少女の心を映しているかのよう。
彼女を突き動かす感情は……決して一言で収まるものではない。混濁した感情は、ただその“詠唱”を綴る事だけに注がれていて。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。
数刻前、この言葉を呟いていた男が居た。
以前からこの崩れ落ちたマンションに住んでいた男で、いつも荒れた髪によれよれの服装で、薄気味悪い雰囲気を漂わせていたことを覚えている。
なまじ通学時間に丁度遭遇するものだから、自然と顔も覚えていた。少女にとっては挨拶など交わす気も無かったし、名前すらも知らないが。
それでもその雰囲気は、幼い少女の目にも異様に映っていたようで、彼女の中では「魔法使いのおじさん」と半ば蔑称じみた名で認識されていた。
不気味ではあれど害は無いので、階段ですれ違う彼の姿をいつも眺めては、また一日が始まるんだなと日常の象徴として捉えていたものだが。
今朝……いつにもまして不気味な雰囲気を漂わせる彼を見て、少女の“日常”に亀裂が走った。
胸騒ぎを抑えながら学校へ向かい、帰宅する。いつもよりも遅い時間、日もくれた頃にマンションへと帰ってくると―――――
「誓いを此処に……」
地下駐車場へと繋がる階段から、感じたことのない気配を覚えた。
それは、今にして思えば“魔力”の流れだったのだろうが……少女は怪訝な気持ちと、僅かな好奇心を抑えきれずに階段を降り
そこでこの呟きを耳にした。国語で学ぶ小説の一文など耳にも残らない彼女が、何故か聞き入って記憶してしまうほどの“呪文”。
「我は……常世総ての、善と成る者……!」
長い詠唱が終わったかと思えば、その駐車場には魔法使いのおじさんと……燃え盛る鋼鉄の雄牛に跨る、少女とそう変わらぬ年齢と思しき幼女がおり。
驚きと共に瞬きをしたその瞬間――――――――――――少女の記憶は、爆風と衝撃を伴って途切れたのだった。
気がつけばマンションの外駐車場。
危険を感じて階段を駆け上がっていたのが幸いしたか、崩落には巻き込まれずに済んだようだが
地下駐車場で起こった“爆発”により、マンションは……少女の棲家は、炎と煙を伴って崩れ去っていた。
唖然とし、状況を受け入れられない少女の前に、投げ出された住人が“落ちていた”。
少女の住む部屋があるのは12階。帰宅時間は7時過ぎだった、母親や弟は当然として、早帰りの父親も居ただろう。
咄嗟に空を眺め、部屋が“あった”場所へを視線を向けた。そこは遥か上空、建物が無くなってようやく実感する12階という“高さ”。
「…………我は、常世総ての……悪を敷く者」
……だから。
目の前に“落ちていた”住人が自分の家族でなかったことに安堵するのは間違いで。
あの高さから落下した人体が、五体満足の姿を保てているはずもなくて―――――――――――
――――――見覚えのある服と、側に■■かる■■を目にした瞬間。
少女の脳裏に最初に過ぎったその感情は。
「されど汝……善悪の彼岸にて輪廻を巡り……ただその御魂を、終末の澆季に囚われん…………」
殺す。
殺してやる。
殺害、という表現では生ぬるい。
終わらせてやる。閉ざしてやる。その全てを、破壊してやる。
溢れ出る感情の波は言葉として、記憶に無い詠唱を綴らせた。
魔法陣を睨む瞳。そんな少女の感情に突き動かされたように、その円はより一層光を増して。
「……汝、破滅を齎し廻る者。我はその命運を見届ける者――――――――」
ドクン、と右手が跳ね上がる。
燃えるように熱い。千切れるほどに痛い。それでも、少女にとってはそんな苦痛など些細なこと。
もう、それ以上の地獄を歩いて辿り着いてきたのだから……何てことはない。その苦痛に勝るほど、彼女を突き動かす“感情”は強く。
「汝、三大の言霊を纏う七天」
瞳を見開く。
血も混じり、綺麗な栗色の瞳は真紅に染まって。
「抑止の輪より来たれ」
手を開く。
流れ出る血は手の甲に“何か”を刻み、その傷は“証”となった。
何を思って言葉を綴り、何を願って喚んだのか。
言葉は時空を超えて座へと届く。少女の悲痛な叫びを聞いて、どの英雄が立ち上がるだろう。
炎の中、破滅の中で。さらなる“破壊”を願った少女の声に、一体誰が。
「天秤の守り手よ―――――――――」
――――――――――その日。
少女は“終わり”に出会い、そして。
「…………問おう。貴方が私のマスターか」
“
◆◆◆
「殺せ」
私に課せられた命令は、ただそれだけだった。
人間に、それも年端も行かぬ少女に喚び出されるなど、滅多なことも在るものだと来てみれば。
私の問いかけにも答えず、燃え盛る炎の中で尚強く“燃える”その少女は、現れた私に怯える様子も無く。
殺せ。殺し尽くせ。何もかも終わらせろ。力強く、芯の通った言葉で言い放ってみせたのだ。
だから、私は頷いた。
別に彼女の命令を聞く義理も無い。
このクラス――――――ターミネーターという極めて異例のクラスである私に、サーヴァントとしての機能など存在しない。
令呪の束縛も、おそらくは受け付けないだろう。もし私を喚び出したマスターとやらが、物欲に塗れた魔術師ならば即座に帰還していた所だったが。
彼女の命令であれば、私の“目的”とも一致する。それに何より――――――私は、彼女を気に入った。
目的のために進み続ける。そのためならば、手段を選ばない。
私と似ていて、けれど対象的なその姿に……僅かな『光』を、見出していたのだ。
ひとまずその場を離れ、落ち着ける拠点を探した。
が、どうにも彼女の棲家は先程の瓦礫の山のようで、聞けば先に召喚されたサーヴァントに破壊されたのだという。
私を差し置いて破壊三昧とは、いい度胸をしているようだ。ならば手向けとして、そのサーヴァントを“破壊”しに行こう。
……拠点は、そのサーヴァントから奪えばいい。
私はそのように生きてきた。略奪と破壊は、私の役割だから。
◆
鋼鉄の雄牛は燃え尽きた。
嘗て国を統べ、私腹を肥やし、人の苦悶こそを興行として弄んだシチリアの処刑王は絶望と共に消滅した。
純潔なる誓いは破られた。
女神に忠義を示し、至高の狩人として駆け、星すらも支配した大熊の弓手は、最期まで誇りを捨てずに死した。
信仰の加護は途絶えた。
狂乱に囚われて尚崇高なる祈りを以て、遍く民衆に暴君と罵られながら神に殉じた血塗れの女王は、私を破滅の神と呼び息絶えた。
青き光は潰えた。
人類を新たな段階へと昇らせたエネルギー。私も見知った名であった彼女は、始まりと終わりは表裏一体であると説き瞳を瞑った。
白雪の毒は消えた。
絶世の美貌を以て中世を絶望の縁に落とし、兄と共に稀代の殺人鬼として語られたルネサンスの暗殺姫は、殺戮は終焉ではないと零し殺された。
黄金の太陽は墜とされた。
しかして尚輝きを失うこと無く、世界を征服した者として立ち塞がったかの王は、征服者としての功罪を告げ己が“王”で在ることを恥じずに消えた。
…………聖なる槍は振り下ろされた。
彼は、私を知っているようだった。この剣に貫かれ、今際の際であってもその飄々とした笑みを崩すこと無く。
双剣を帯びた野蛮なる騎士は、人を“終わらせる”という事の意味を告げて退場した。
聖杯戦争は“終わった”。
雄牛が暴れ、星が振り、血は燃え滾り、青き光は炸裂し、毒が蔓延り、太陽は耀き、そして聖罰が下った。
街は最早壊滅し、およそ建物と呼べるものは存在せず、崩れ落ちた瓦礫には……あの時以上の炎が立ち上っていて。
儀式は部外者……それも正しい英霊でない“部外者”により終わらせられた。
それでも聖杯とは律儀なもので、降臨場所とされた霊脈のある土地にて現れた。
惨憺たる風景の中でも輝かしく気高く在る黄金の器。場にそぐわぬその雰囲気は、血に塗れた偽りの勝者を嘲笑っているようでもあった。
「……マスター。次は、何をすればいい?」
罅割れた仮面から、“戦士王”を名乗るサーヴァントの声が漏れた。
抑揚の掴めない声。男か女か、子供か老人かすらも測れないその声に、少女は答える事無く佇んでいた。
瞳に映るのはひたすらの廃墟。
少女がただ「殺せ」と命じた瞬間から、この街は一瞬にして戦場と化した。
復讐はとうの昔に果たされた……少女の家族を、居場所を奪ったライダーのサーヴァントは、戦士王により即座に破壊せしめられた。
ライダーを喚び出したマスターの男も同様に。聞けば名声に取り憑かれ、界隈での地位向上の為にこの聖杯戦争に参加したのだという。
そのために少女の家族は踏み躙られた。生きたい、と願うことすらも叶わずにその生命は奪われた。
だから彼女は、男を殺した。
意味のわからぬ譫言を叫びながら命乞いをする彼に刃を突き立てて、他でもない少女自身が、この運命に終止符を打った。
けど、それだけで良いのだろうか?
彼はこの聖杯戦争に参加することが目的だった。
ならばこの枠組が存在する限り、同じ犠牲は生まれ続けるのではないだろうか。
復讐の対象は何も一人ではない。何よりも―――――もう、少女は後に退くことなど出来ないのだから。
「全員、殺そう。そうじゃないと終わらない」
少女の返答を聞いて、戦士王は何を思ったのだろう。
呆れ?怒り?何れにせよ、そのサーヴァントは異を唱えることもなく……こくり、と頷き歩き始めた。
そして、たった3日。3日という時間を以て、この街で繰り広げられた聖杯戦争は“終わった”のだ。
その末路が、この地獄。
戦火は広がり、街の被害は拡大していった。
死傷者を数える者すら居ない。ただただ“死”だけが、この街を覆っている。
誰のせいで?
ライダーを喚び出した男のせいか。
聖杯戦争を初めたという、ランサーのマスターのせいか。
それともこの聖杯戦争という枠組みを作った者のせいか。
…………いや、結局は単純明快で。
全て私が悪いのだ。
「……は、はは……殺したよ……お母さん……お父さん……ユウ…………」
「…………後何人殺せば、終わるかな」
少女の瞳には、最早一寸先の道すら見えていないのだろう。
復讐という導の光は消え、脚を立たせる怒りすらも失った今、少女はただ息をしているだけの亡骸だ。
そしてその背中には今……この街を破壊した、という罪が。数え切れぬ人を殺めたという重荷だけが残っている。
……その背中を知っている。
何度も何度も見てきた背中だ。
剣を握り、戦いの運命に立たされ、進まざるを得なくなり、破壊の道を選んだ少女の末路。
その動機が使命感なのか、復讐という動機なのかに関わらず……その目的が果たされた時。あとに残るのは、ただひたすらの罪の意識だけなのだ。
だから、戦士王は知っていた。その背中を。その末路を。彼女が背負った罪の重さを。
それでも尚、彼女は「殺せ」と命じたから。
戦士王はそのように振る舞った。「救え」と言われたわけでも、「助けて」と言われたわけでもなく。
ただ「殺せ」と言われたから――――――破壊の限りを尽くした。戦士王は、そのためだけに存在するのだから。
だが、もし。呼ばれたのが私でなければ。
……別の
そう考えることもあった。こんな殺戮のための機械ではなく……物語に語られていた、輝かしき騎士王であったなら。
彼女を―――――――私と同じ道に進ませずに済んだのではないかと。
「……戦え」
ならば、戦士王もまた「責任」を果たすだけだ。
一度その手を血で穢した者は、二度と元の世界へは戻れない。
一人や二人であれば犯罪者として罪を償うことも出来るだろう。だがそれが、何百人という数であれば……。
戦い続けるしか無い。
己の選択は間違っていないのだと、己自身に言い聞かせて進み続けるしか無い。
それは罪の重さから逃れるための現実逃避であり……背負った“命”を無駄にしないための、唯一の方法なのだから。
そうだ。戦い続けるしか、ない。戦い続けて、殺し続けて、進み続けた先にこそ…………きっと、自由が。
「え……」
「戦い続けろ。俯くことは死者への冒涜であり、何より自分自身への冒涜だ」
顔を上げる少女に向かって言葉を続ける。
言い慣れた言葉だ。そして同時に、聞き慣れた言葉でもある。
何度私はこの言葉を聞き、そして繰り返したのだろう。呪いのように染み付いたその言葉を、私はまた呟いている。
『剣』はただ言葉を続けた。
その言葉により、少女はより過酷な運命を歩むことになるだろうに。
戦士王はそう言い続けるしか無い。例え破滅の輪廻に巻き込むことになろうとも。
それが、彼女のサーヴァントとしての役割であると。
「私とお前で、この街を戦場に変えたのだ」
「貴方の家族があの男に殺されたように……貴方は多くの者を殺した。セイバーのマスターも、アーチャーのマスターも」
「…………っ」
輝かしき太陽の王。栄えあるセイバーのマスターは、中学生ほどの少年だった。
父の期待に応えるために参戦した。この聖杯戦争で勝利を掴んで、父に認められるはずだったのだと。
純潔の狩人。美しきアーチャーのマスターは、「美」を体現したような女神の如き女性だった。
母性を感じさせるその女性は、若くして亡くなった娘を蘇らせるために参加した。そして最期には……少女を、娘と重ねて「送り出した」。
「それは到底許されることではない。この現代であれば尚更だ」
「アサシンのマスターや……バーサーカーのマスターのように……あの男以上の外道をも上回る所業を、貴方は成した」
ファム・ファタールの化身。暗殺姫たるアサシンのマスターは、人を「人」とも思わぬ悪辣だった。
民衆を「餌」と捉え、サーヴァントの糧とすることで力を培っていた彼らは……少女と自分は似ていると、そう言い残した。
血塗れの女王。宗教改革と称して多くの異端を血の海に沈めたバーサーカーのマスターは、文字通りの殺人鬼だった。
近頃頻発していた殺傷事件の犯人であった彼は……自由を奪われ、刃を手にする少女を前にして、お前たちこそ本当の悪魔だと叫んだ。
「ならば、貴方の行いは間違いだったのか?あの日、私に告げた命令は間違いだったのか?」
「……違うだろう。あの日抱いた貴方の決意は、決して間違いでは無いはずだ。何より、間違いになど「してはいけない」……」
「キャスターのマスターを思い出せ。そうだ――――――貴方が殺した、貴方の「親友」だ」
「――――――ッ!」
新たなる力の発見。青の光を生み出したキャスターのマスターは……少女の、親友だった。
親友はいつもと変わらぬ笑顔で少女を出迎えた。そんな親友に向かって……少女は、己の決意を貫いたのだ。
結果として、親友は少女が「参加者」である事を見抜いており、騙して勝利を得るつもりであったとはいえ……
震え、怯える親友を前にして、少女は刃を振り下ろしたのだ。自らの決着を付けるためだ、と言って。
もう後戻りは出来ないのだ。
その決意をしたはずだ。少女は、引き返すにはあまりにも多くの命を奪ってきた。
だからもう―――――道は、前にしか残されていないのだ。
「……戦え。進み続けろ。貴方の『復讐』を、単なる犯罪に貶めてはいけない」
「聖杯戦争は終わった……だがこの世界に魔術師が居る限り、いつか何処かで、またこの惨劇は繰り返される」
敵はまだ存在している。それらを駆逐するまでは終わらない。
怒りこそを糧として、憎しみこそを燃料として、ただひたすらに進み続けろ。
悔いる暇すら無いほどに……戦って、戦って、戦い続けて、そして―――――――――
――――――――そして。
「これは―――――――――――」
自分自身が破滅するその瞬間まで、戦い続ける。
「――――――貴方が初めた物語だろう」
「……は、は。戦士王が自分から話すなんて……初めてだね」
「そうだ……まだ、終わってないんだ……わたしは……みんなの命を背負って……戦い続ける……」
立ち上がり、少女は歩き出す。
煙に包まれた街、空に浮かぶ聖杯へ向かって。7基の魔力が注がれた願望機を見据えて。
その瞳に煌々と――――――あの日、あの瞬間と同じ炎を灯して、あらんばかりの声を叫ぶ。
戦え。
もう、君にはその道しか残されていない。
私はその背中を押すために喚び出された。そして、きっと。
きっと、最期には。
「聖杯。私の願いを叶えて」
「私に、世界を壊す力を――――――――――!!」
背中を押した「責任」を、取らなければいけないんだ。
◆◆◆
私にとってはつい先日の事だった。
私達『ターミネーター』は原則として、召喚され破壊したあらゆる記憶を受け継ぎ座へと持ち替える。
少女が聖杯を手にして、役目を終えた私が座へと帰還してから……何年が経ったのだろう。
喚び出された場所は見覚えの無い、けれど慣れ親しんだ廃墟の街。私が帰るべき場所……炎に包まれた崩落都市。
まるで以前の続き。サーヴァントとして数日間を走り抜けたあの日々の続きが、目の前にあるようだった。
……誰かと共に歩むことなど、一度としてなかった。
だから、一時的なものとはいえ……共に戦い続けた少女のことは、いつも脳裏の片隅にあって
炎の中で見た瞳を思い出す。「殺せ」と私に告げたあの瞳を。私が持ち得なかった……“感情”という炎の色を。
そして同時に……一抹の懸念があった。全てを壊すと誓った彼女の末路が、如何なるものであったのか。
刹那、崩れ落ちる瓦礫の音で現実へと引き戻された。
ああ、そうか。私には思い出に浸る事すら許されない。私はただ……戦い続けることしか出来ないのだから。
ここに辿り着くまで、多くの命を奪ってきた。何やら世界の均衡を崩す組織がまた生まれ、私はその排除に呼ばれたらしい。
崩れ落ちた壁の先を覗き込む。
もう構成員は残っていない、あとは組織を仕切るボスを殺すだけ――――――――――
――――――――そう、思った矢先。
「…………遅かったね、戦士王」
崩れ落ちた壁の先。燃え盛る炎の先に居た、その“ボス”は。
見知った瞳で、聞き慣れた声で。しかし大きく成長した姿で……此方を見据えていた。
十数年の月日が過ぎた。
あの日、聖杯により“力”を得た少女は、ただひたすらに魔術社会の根幹を破壊するために進み続けた。
いつしかその思想に賛同する者も現れ、初めはテロリスト集団に過ぎなかったその団体は、組織として成立し始めた。
彼女達の誕生により魔術社会の在り方は揺らぎ始めた。それは、世界の均衡を崩しかねないほどの大きな影響力で。
……そのために、私は呼ばれた。
一瞬、頭が真っ白になった。どうして私が?何故彼女が?少し考えを巡らせれば、すぐに答えは出るだろうに。
私はその事実を……受け入れたくなかったのだ。
「…………何故、貴方が」
「あの日、戦士王は言ったでしょ……戦えって」
少女はあの日から戦い続けていた。
一日も休む事無く、全てを奪った者たちに報いるために、そして全て奪った責任を取るために。
一度は挫けかけた彼女を奮い立たせたのは、他ならない私自身だ。だから……“こうなる”と、最初からわかっていたんだ。
なのに、何故。
私はこんなにも……“躊躇っている”?
「……ねぇ、私……聞きたいことがあったんだ……」
「あの日……聞きそびれたけど……いつかまた、きっと出会えるって……思ってたから……がんばれた……」
……崩れ落ちた瓦礫が、彼女の半身を潰している。
もう動くことは出来ないだろう。その命も、保って一時間と言ったところだ。
自らが手を下すまでもないのに……私は、彼女へと歩み寄った。
「………………なまえ」
――――名前?
ああ。そういえば私は……マスターの名前すら聞かずに居た。
それは必要なかったからだ。マスター、という呼び名さえあれば支障は無かった。だから聞くこともなかったし、違和感も覚えなかった。
「私は…………イオリ、って言うの……」
名前とは、他人を「個人」として認識するための符号だ。
他人を「個人」として捉える必要のない私にとって、名前など不要な要素でしか無かった。
それに……名前を知ってしまうと、それだけ“罪”の重さは膨れ上がるから。
多くの者を斬り殺した。多くの兵士を打ち負かした。だがその兵士一人ひとりの名前など、私はもう知る由もない。
……その名前を聞いて、その人生の重みを知って、切り倒すべき命を「個人」として捉えてしまったら、私はとうの昔に壊れていただろうから。
だから、名前というものを聞くことはなかった。
……そして今。殺すべき対象が、息も絶え絶えな中で名を告げた。
イオリ。イオリ・ナナセ。私があの日、聖杯戦争を共に駆け抜け、マスターとして付き従った彼女の名は――――――イオリ。
「…………ねぇ、戦士王……」
「あなたの……名前、は…………?」
鼓動が早まるのを感じる。
応える義理はない。私はただ、剣を振るってこの仕事を終わらせればいい。
戦え、と『剣』が告げる。殺せ、と剣が告げている。なのに私の身体は、少しも動かなくて。
名を答えれば、この縁は強固な“絆”となる。
絆とは鎖だ。運命の奴隷として結ばれる鎖。お互いが逃げ出せぬように結び付けられる束縛の証。
この戦士王にそんなものは不要だ。そも……この“戦士王”に、個人としての名前は有りはしない。
ターミネーターであり、戦士王。それが私だ。戦い続けることしか出来ない進撃の化身、抑止に組み込まれた殺戮機構……。
…………それでも。
私は、目的のために進み続けていた。それは束縛のためなのか?運命に縛られ、奴隷として戦い続けることなのか?
違う。
違うだろう。
私が戦い続けるのは――――――誰かのためじゃなく。世界のためでもなく。
自分のために、初めた事なのだから。
「……アルトリア。アルトリア・ペンドラゴン。私は、そう呼ばれていた」
兜を外し、一人の人間としてイオリへと向き直る。
アーサーという符号ではなく、アルトリアという個人の名を。剣を握った時点で失われた、遠い昔の“私”の名前を。
「アルトリア…………そっか、アルトリア……かぁ……」
「なあんだ……ふふ……もう、私のほうが…………年上に、なっちゃった……ね……」
……夢は終わり、目覚める時が来た。
剣を握り締めて歩み寄る。イオリは噛みしめるように私の名を呼んで、過ぎた時に思いを馳せるように呟いた。
私にとってはほんの少し前の出来事なのに、彼女にとっては十数年という経過があって……その積み重ねがあって尚、彼女は私の事を思い続けていたのだ。
自分の生き方を定めてくれた者として。きっと、彼女の目には―――――私は、輝かしき英雄として映っていたのだろう。
その期待に、私は答えられたのだろうか?
ただいたずらに、彼女を破滅の運命に進ませただけなのではないだろうか?
繰り返す疑問に応える者などいない。私に出来ることは、ただ……この“夢”を、終わらせることだけだ。
「…………イオリ、最期に言い残すことはありますか」
それは情けか、別れを惜しんだ私の甘さか。
振り上げた剣を下ろす前に、私はイオリへ向かって言葉を投げた。
崩壊を始める建物。もう、この“世界”は長くない。
それでも尚、イオリは笑って……あの日々の中でも見せたことのない、晴れやかな笑顔を浮かべて。
……幼気な笑顔を残して、告げる。
「ありがとう。これからも一緒だよ、アルトリア」
振り下ろした剣は少女の首を跳ね、血を吸い、魂を喰らう。
そして―――――その“
“これでずっと戦えるね”。
そんな言葉を聞いて、彼女の遺言の意味を知る。
より強い縁があるからこそ、その結びつきはより強固に、魂は明確な“個人”として刻まれた。
彼女はもう、戦いの運命から逃れられない。そして私自身も……もう、後戻りはできないのだ。
脳裏に響くイオリの言葉。
炎の中で跳ね飛ぶ、彼女の笑顔を想起して――――――――――
――――――――私は、人を殺して初めて吐いた。
◆◆◆
戦え。
戦え。
繰り返される言葉が止むことはない。
燃え盛る戦場、人々の命が尽きる中、私は燎原を進み続ける。
その先に自由があると信じて。未だ見ぬ世界……“こうならなかった世界”の可能性を見出すために。
背後に立つ亡霊に背中を押されて、私はただ進み続ける。
幾万人の罪を背負って、歩んできた道を屍で埋め尽くして。そして、歩むべき道も骸で造る。
立ち止まるな。進み続けろ。戦え。
その先にこそ『希望』は在ろう。『自由』は在ろう。
そうだ……その先に、必ず。
『
“あるはずでしょ?”
◆◆◆
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