kagemiya@ふたば

テロワーニュ・ド・メリクール、出生名アンヌ・ジョゼフ・テルヴァニュは、裕福な生まれではなかった。
所謂平民の出であり、旧体制が深く根付く時代では下流家庭として扱われ、職業選択の自由すらも与えられない。

そんな中で生まれた少女は、幸いにも「美貌」という唯一無二の才能があった。
平民という生まれでありながら少女はその境遇に甘んじることはなかった。生まれで全てを決められる世界に対し、疑念を抱いたのだ。
在るが儘に生きる。そのためならば何でも使う。幼少期、天涯孤独となった少女に芽生えたその思いこそが後の革命家という偶像に繋がったのだろう。
少女が選んだ道は娼婦であった。絶世の美貌に多くの男が惚れ、貴族のみならず英国の皇太子すらも虜とした程の人心掌握術を発揮した。
それも裏の勤勉あってこそ。平民でありながら読み書きを可能とした少女は、多くの男を相手取り、パトロンとして契約を交わした。

20歳を超えた頃、少女……テロワーニュは「カンピナド伯爵夫人」の源氏名を用いロンドンで生活していた。
深い教養を身に着けていたのはこの時相手にしていた貴族や王族から学んだものであるのだろう。
興味、好奇心こそがテロワーニュの根底を成すものであった。そういった意味では、娼婦という職業は天職であったとも言える。

やがて欧州に動乱の時代が訪れ、パリに革命の兆しが芽生え始めた頃。
パリを訪れていたテロワーニュはパレ・ロワイヤルにて一人の男の演説を聴く。
────フランス革命、始まりの日。男の演説に強く惹かれたテロワーニュは、自ら立ち上がり体制に立ち向かうという事を覚えた。
革命とはなにか。彼らは何のために戦うのか。私は何のために立ち向かうべきなのか。人々は、どうして平等ではないのか。
それらの疑問を解消すべく書庫へ通い、独学で革命理念の知識を身に付ける。のみならず国民会議場に足繁く通い知識を深めたというのだ。
率先して革命の場へ足を運び、先頭に立って時代が変わりゆくさまを目に焼き付けた。
勤勉に、熱心に。常に革命の場に現われ人民の前に立つその姿を見て────ある者が、彼女こそが革命の象徴であると叫んだ。

テロワーニュはただ、革命の何たるかを理解したい一心だった。
その背中に影響を受けた人々は彼女を旗印として召し上げ、革命に挑むためのシンボルとした。
自ら私財を投じてサロンを開き、革命家達を招集してさらなる教養を深めていった。

やがて10月事件……ヴェルサイユ行進にも参加し、マリー・アントワネットの元まで迫ったとも語られる。
伝説として知られ、真偽も疑われる逸話であるが…………事実、テロワーニュは宮殿に押し寄せ室内まで忍び寄り、彼女と対面した。
そこで彼女の在り方を知った。その言葉を知った。女性であり王族である彼女の言葉を聞いて、ただ満足し立ち去った。
“何もしなかった”からこそ歴史に残らず、荒唐無稽な伝説としてのみ断片が残された。けれどテロワーニュにとっては、欠かせぬ歴史の一端である。

次第に王党派からの攻撃が激しさを増す頃、彼女はベルギーに帰郷した際に身柄を拘束される。
本人のその意志はないとしても、民衆にとって彼女は革命の象徴であった。広く顔が知られていた政治犯は、オーストリアへと送られた。
ハプスブルク家に重要視され、当代の皇帝自らが尋問に当たるほどであったが……彼女から有益な情報は得られなかったという
否、引き出せなかった。理解できなかった、という表現が正しいだろう。自らの価値観を確立するテロワーニュの精神性は、誰にも理解することが出来なかった。
何を考えているかわからない。人の気持ちがわからない。人でありながら人間の持つ本質を見せぬ女に、手のうちようがなかったのだろう。

釈放された彼女は旧体制に捕らえられながらも屈さなかった英雄として、革命家達に持て囃された。
決して己を曲げぬ姿を称し「自由のアマゾンヌ」の異名まで与えられた。そうして来る8月10日――――。

テュイルリー宮殿襲撃事件に際しても先頭に立ち民衆を引き連れた彼女は、体制が変わる様を目撃した。
顔を合わせたマリー・アントワネットが囚われ、塔に連れられる姿を見た。その様を見て湧き上がる、混沌とした人々の姿も見た。
全ては平等の名のもとに。闇の中に消えていく姫君の背中を見送り、フランスは再び激動の時代を迎えることとなる。

共和政府が立ち上がりフランスの在り方が変わり始めた頃。
テロワーニュは全ての人間が……女性も王も市民も、全てが平等である世界を望み声を上げた。
この世界の在り方は間違っている。初めて自らの意思で声を上げ、世の女性たちを味方につけて立ち上がった。
二分される国の中でさらなる軋轢を及ぼし、女性が立場を得ることに恐怖を抱いた嘗ての革命家達は……テロワーニュを排した。

ただ己の意思の赴くまま生き、民衆の理想を押し付けられて風評を捻じ曲げられ、初めて挙げた声は無情にも掻き消されたのだ。

最後には味方であったはずの女性市民から性的暴行を受け、歴史の中からその姿を消した。
やはり、自由とは自らを由しとすることなのだ────もし次があるのなら、私は私だけを信じて生きよう。
人知れず絶えた命は召し上げられ、英霊の座にて蘇る。人民が望み、そして排した革命家のカタチ……悲劇の狂戦士、テロワーニュ・ド・メリクールとして。