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nevadakagemiya 2022年01月25日(火) 19:48:19履歴
何が起きたのか。分からないままに石沢啓哉は路地裏で目を覚ました。
彼が覚えているのは、幼い子供がフードを被った男に腕を引かれ、路地裏へと連れ込まれそうになっていた事。
そして、子供が声を上げて助けを求めているのに、誰も気付きもしない事。考えるよりも先に体が動いて、助けに割って入った事。
───最後に、子供に対して逃げるように叫んだ直後、後頭部に衝撃が走って気絶した事。ただそれだけである。
もうろうとした意識のままに、周囲を見渡す。自由に身動きが取れない。
何度か動こうと試みて、石沢啓哉はその自らの身体が縛り上げられているという事に気付いた。
人一人としていない、ビルとビルの狭間に生まれた空間。夕暮れにも拘らず、日が差し込まないそこは真夜中のような様相だった。
何が起きたのか。誰かいないのかという疑問よりも先に、石沢啓哉は先ほどの子供は逃げ切る事が出来たのかという疑問が脳裏を過ぎっていた。
「憎しみの連鎖は、断ち切らねばならん……。
君も、そうは思わないかァ? 少ォ年ン」
声が響いた。まるで電波の悪い通話のように、ノイズ交じりの音声だった。
響いた方向へと視線を向ける。そこには先ほどの、フードを被っていた男の姿があった。
男は手に持つ、何か杖のようなもので、地面に何かを描いている。杖には、薄暗闇でも紅と分かる色がついていた。
色は分かっても、地面に倒れ伏している啓哉では、その描いているものが何なのかまでは把握しきれない。
だが、この状況が明らかに普通ではないということぐらいは、即座に理解する事が出来た。
「お前は……何だ……?」
「俺が何かと問うかぁ……。そりゃ難しい問いだなァ。
昔はミスターアンタッチャブルだの、異端児の極北だのと、さんざ批判されたものヨォ。
どいつもこいつもパンクじゃねぇ呼び方しやがって。メイソンじゃあ階位でしか呼ばれねぇしよォ。
そうだな。ここは1つ、何かパンチの聞いた呼び名で呼んでくれや。袖振り合うも他生の縁、ってこの国じゃあ言うんだろう?」
「………………何を、しようとしている?」
名前を聞こうとしても、まず話がかみ合わない。
そう判断した啓哉は、彼が何者かよりも、彼が何を成そうとしているのかを聞く方向にシフトした。
何故子供を攫おうとしていたのか。何故自分を縛り上げているのか。その答えを問おうとした。
するとフードの男は、待っていましたと言わんばかりに口端を三日月状に吊り上げて笑い、そして饒舌に語り始めた。
「俺がなにをしようとしているかって? 簡単さ。世界平和を実現しようとしているのさ!」
「………………世界、平和?」
「アーァそうさ! まったく巳崎の野郎も俺に黙ってこんなパンクな真似しやがって! 羨ましい!
俺だってモレーの野郎に町1つ任せてもらいたかったぜェ! 俺だったら5倍、いや10倍は楽しい事を出来るってのによォ!」
「どうやって……世界を平和にするっていうんだ……? この状況から……その言葉に繋がるとは思えないが……」
「おぉっと話が逸れたか……。こいつは下準備だよ。もうすぐこの街で、どでかい祭りが始まるんだ。
そのどでかい祭りに勝つ事が出来れば、俺の最高にパンクな計画が始動を開始する! そうすりゃ世界はまるっと平和になるぜェ!
……で、だ。俺はその祭りの"相棒"を呼び出したい。既に準備は整ったが……まぁ念には念だ。"もう1人ぐらい使ったほうが良いと思ってな"。
そう思ってたら、良ーぃタイミングでお前さんが乱入してきたわけだ。お前運が悪ぃなぁ? たまにいるんだよ暗示にかかりにくい奴!」
「──────何を、言っている?」
使う? 何を? "もう1人"? それはどういうことだ?
石沢啓哉の脳内に、問いかけだけが降り積もる。疑念が疑念を呼び、そしてその重なり合った疑念は1つの確信を生む。
語り口調、行動、そしてその本心。全てにおいて、目の前の男を信じてはならないという、言うなれば直感が石沢啓哉の中に生まれていた。
「なぁに心配すんな。痛みは一瞬だからサァ」
「何を言ってるんだ……? あの子は、あの子はどうなったんだ!? もう1人ってどういうことだ!!」
「お前自分よりもあのガキの事先に心配すんのかァ? 変わってんなぁオイ!」
ケラケラと耳障りな笑い声を響かせながら、フードの男は背後を指差した。
そこには人物はおろか、何も存在しない。ただ男が杖を用いて描いていた、"血のように紅い"謎の文様だけしか─────。
「………………まさ、か─────」
「オォ? 察しが早いねぇ。そうだよ。お前さんが守ろうとしたじゃりン子は、"文字通り地面の沁みになった"ぜ?
いやァインドの大英雄様を呼び出すんだ! 人間の命の1つや2つぐらい捧げねぇと、景気が悪いってもんだろうゥ!?
お前さんもそう思うよなァ少年ン!! 何せ世界平和成就の序曲だァ! そこらのガキが2,3人死のうが屁でもねぇだろ!?」
「お────ま、えぇぇぇぇぇぇえええええ!!!」
石沢啓哉は、縛られている事も忘れて、無我夢中で男に喰いかかろうとした。
だが男は啓哉の顔面に横蹴りを入れ、その動きを制止する。そうして心底面倒そうに啓哉を見下しながら問いを投げかけた。
「オイオイ何だ何だぁ? お前このジャリの家族か何かかぁ?」
「知らない……! そんなことは関係ない! 例え見知らぬ人でも……傷つく所なんか、命が失われる所なんか見たくない……!
だから助けようとしただけだ……! お前……なんでこんな……!!」
「意味わかんねぇなぁ。赤の他人が死んだだけなのにそんなに激昂できるのかよ。
もしかしてお前、目に映る皆助けたいとかそういうタイプの夢見がちかぁ?」
「…………ッ!!」
石沢啓哉は息をのんだ。
出会って間もない男に、自らの内に抱えている願いを見透かされたような気分になったからだ。
その反応を見て、男は鼻で笑いながら啓哉の腹部を蹴り上げて嘲笑した。
「オイオイ図星かァ! まぁメイソンにもそういう夢見がちな礼装野郎がいるからわかるよォ!
幼稚過ぎて、パンクじゃねぇなぁ!! どいつもこいつも助けようなんざ、幼稚園で卒業しろっつーんだよなぁ!!!」
「お前も……ゲフッ……! 世界……、平和とか……抜かし……ガハ……てんじゃ……ねぇか……」
「あぁー? ああ。まぁ、そうだな。俺が成そうとしているのは世界の平和そのものさ。
だが、それと"世界中を救う"というのはイコールじゃあねぇなぁ。俺が救うのは、俺だけさ」
「…………どう、いう……」
男は石沢啓哉をいたぶる様に蹴り続けた。
そして啓哉が問いを投げると、満足したかのように蹴るのをやめた。
するとゆっくりと、男は顔を覆っているフードを脱ぎ去り、その素顔を石沢啓哉に対して晒した。
石沢啓哉は、その晒された素顔に驚愕した。薄暗闇に晒されたその顔は、半分が機械に覆われていたからだ。
「昔の話だ。俺の研究は異端として迫害されてな。だがそれでも俺は研究をやめなかった。
"空間をエネルギーへと変換する計画"。核兵器なんざ目じゃねぇ。史上最大の兵器を創り出す夢の研究だった。
だが連中は俺を恐れ、俺の研究所ごと俺を焼き払おうと火をつけた……。ま、俺はこの通り生きてるがな……」
「…………じゃあ、目的は……復讐じゃないか」
「ちげぇんだよ!! そんなチンケな事で俺は動かねぇ。
復讐なんかしたらそれでまた復讐が生まれちまうだろォ? 俺が殺した奴のガキとか、そういうな?
俺はそんな醜い連鎖を終わらせてぇんだよォ。圧倒的な力でなぁ。だがどれだけやっても、命がある限り憎しみの連鎖は終わらねぇ。
そこで俺は考えたのさ! "俺がこの世界そのものとなる事"で憎しみの連鎖は断ち切られる。世界は平和になる、ってなぁ!」
「そんなことが……出来る、わけが……」
「出来んだよォ! 南米で最後の1ピースを見つけた時ぁ心躍ったぜ!
俺と同じような事しようとした奴が2万年以上も前にもいたっていう事実になぁ!
こいつを完成させれば、俺という単一の"世界"だけが完成する! 争いもねぇ! 復讐もねぇ!! 最高にパンクなユートピアだァ!!
だがリソースが足りねぇ! 足りな過ぎる!! そんな時だ! この街で聖杯戦争が起きるって聞いたのは!
流石に英霊7基もくべりゃあ、始動には十分だろうよォ! 俺はやってやる! やってやるぜェ!
この街の人間全てを犠牲にしてでもなぁ!! 俺は俺の野望を成就させるゥ!!!」
「………………そうかよ……。それが、こんな事をした目的かよ……」
石沢啓哉は、自分の内側に沸々と煮えたぎる怒りを感じていた。
彼自身、激しい感情を抱くような経験は余りない。あるとすればそれは、悲哀や後悔といった、自分自身に対する後ろめたい気持ちだけだった。
何故なら彼は、自己という存在を誰よりも下に見る存在だからだ。だがそんな彼が、生まれて初めて他人に対して深い激情を抱いていた。
─────目の前の男は、生かしていてはいけない存在だ。
口では復讐は良くない、世界を平和にしたいと美辞麗句を謡ってはいるが、その実ただ自分のためにしか動いていない。
そして何より、その目的の為に人の命が失われようと笑いながらそれを踏み躙る。生粋の外道。
下劣畜生たる眼前に男に対して、石沢啓哉は明確な殺意を抱いていた。
そんな時だった。
じり……、と何かが近づく音がした。
男は無我夢中で己の計画を語っており、その近づく影に気付いていない。
それが何なのか。新手なのか。それとも別のナニカなのか。
石沢啓哉は激情の中で思考を素早く駆け巡らせる。だが"それ"は、思考よりも早くに動いた。
その跳躍は獣の如く素早く、その爪は命を刈り取る死神の鎌の如く、鋭利であった。
「まぁテメェら凡人にゃ言ってもわからんだろうがァ? 特別に教えてやるぜェ!
俺がやろうとしているのはなぁ! なんと世界そのものをまりょゲァ──────」
『谿コ縺呎?偵j諞弱@縺ソ遐エ螢…………』
一瞬の出来事だった。フードの男の頭部上半分が、文字通り"食いちぎられた"。
そしてその直後、何が起きたのかを石沢啓哉の意識が理解するよりも早く、男の右半身が散り散りになり、コンクリート壁の沁みになった。
石沢啓哉も、その衝撃で壁へと叩きつけられた。一瞬のうちに、肺の中の空気が絞り出される。だが同時に、彼を縛っていた紐がちぎれ自由を得れた。
また同時に、"ナニカ"から距離を取りそれを観察する余裕も出来た。薄暗闇のなか、石沢啓哉は目を凝らしてその"ナニカ"を観測する。
目の前の存在を知れば、何か今の状況を打開できる策が浮かぶだろうという、安易な考えがそこにはあった。
─────だが、それをその視界に正しく認識した瞬間、彼は激しく後悔した。
人だった。
いや、正確には、"人の面影を残す何か"だった。
下半身だけは、確かに人の形をしている。だが上半身が、この世のあらゆる節理を否定するかのような異形だった。
豚の頭部が無数に脇腹から生え出て、衣服を突き破っている。右腕があるはずの場所には、夥しい数の巨大なムカデが生え出ている。
そして右手は大量のかぎ爪の生えた指が覆い、頭部は内側から蝙蝠の羽根が湧き出てきたかのような異形と化していた。
「うわあああああああああああああああああああああ!!!」
『?偵j縺呎諞弱@縺…縺呎谿コッ!!!』
石沢啓哉は、本能のままに叫んだ。いや、彼の本能が彼に叫ばせたというのが正しいだろう。
彼の本能が告げる。今すぐここから這ってでも逃げろ。でなければ死ぬ。死という結末が待っていると。
だからこそ叫んだ。その内側に眠る、生命として当たり前の生存本能を呼び起こさせる為に、本能が彼を叫ばせた。
─────だが、彼は逃げない。
それは何故か?理由は簡単だ。
何故なら彼にとって、既に"生きる"という生存本能よりも、優先するべき事項が存在する故である。
逃げるよりも先に、彼は立ち上がった。震えるよりも先に、彼は目の前の異形を睨みつけた。
「っ……! ったく……、何が……何が起きてるんだよ……。
平気で人を殺す奴は出てくるし……。化物は出てくるし……!」
異形はどこか、様子を窺うように石沢啓哉から距離を取っている。
石沢啓哉は、そんな異形を睨みながら恨み節を吐き捨てる。そして歯を食いしばりながら、怒りに身を震わせた。
それは自分が理不尽に晒された事に対する感情の発露でもなければ、自らを路地裏に連れ込んだ男への怒りでもない。
今目の前に起きている状況その物に対して。いや、それ以上に─────この街で何かが起きようとしている、そのこと自身に対して、彼は怒りを抱いていた。
何故か?
通常ならば、自らが身の危険に晒されるから、と答えるだろう。
当然の帰結だ。自分の住まう街に異形の怪物が蔓延り、そして平気で目的の為に人を殺す狂人が出歩いているのだから。
自分の命が、安全が脅かされる。その状況に怒りを抱くのは至極当然と言える。
だが、彼は違った。
「お前が何なのか……。あいつがなにをしようとしてたのか……。
そもそもこの街で、何が起きようとしているのかさえ……分かってないけど……」
「また、俺の目の前で誰かが死ぬって言うんなら……! 俺はそれを止めてやる……!!」
「また止められなかった……! また俺が守れなかったせいで誰かが死んだ!!
もう嫌なんだよ!! 沢山なんだよ!! 誰かが死ぬのを見るのは! 俺のせいで誰かが死ぬのは!!!」
悲痛なる叫びが木霊する。彼の中で怒りが、悲哀が、反響する木霊のように増幅していく。
彼にとって、自分の命などどうでもよかった。ただ、手が届く場所で誰かが死んだ。"自分が助けられなかった為に、誰かが死んだ"。
その慚愧の念だけが、彼を突き動かしていた。自分の身の安全や、生命の危機などどうでも良い。ただ自分の知るところで誰かに死んでほしくない。
そんな傲慢とも言える救済願望こそが、彼を突き動かす原理だった。
故に彼は後悔する。故に彼は慟哭する。俺の弱さを自覚しながらも、異形に対して立ち向かう。
己が弱いと分かりながらも、ただそうする以外の道を選べない。それが、歪な救済願望を抱く、石沢啓哉という男だった。
そして薄暗闇の中に、1つの紅の輝きが灯る。それは彼の中の激情に呼応するように、彼の叫びと共に光を増していく。
その輝きは、初めはぼんやりとした輪郭から、やがて1つの幾何学模様へと形を成し────そして石沢啓哉の手の甲に刻まれていく。
「お前が何だろうと……! お前らが何をしたいのだろうが関係ねぇ!!
俺の目の前で誰かが死ぬって言うんなら……!! 今度こそ死ぬ気で止めてやる!!
たとえ俺が死んだって良い!! 誰かの命を脅かすなら……俺が排除してやる……!!」
「俺は俺の命に代えても!!! もう絶対に誰も死なせたりはしない!!!」
決意の叫びが響き渡った。だが、どれだけ決意を固めた所で、異形に叶う力が彼に宿る筈がない。
奇跡などこの世界にはなく、あるのはただ理不尽な痛みと虚しさだけ。そう分かっていても尚、彼は叫ばずにはいられなかった。
それが石沢啓哉という少年だった。自分の命よりも、他者の命。その為ならばどれだけ勝算が無かろうと、可能性が零でも吶喊する。
自暴自棄ではなく、狂乱に身を任せるわけでもない。"ただそれが当たり前であるかのように"自分を投げ捨て誰かを助ける。
歪んだ救済願望故に、彼は策も何もなく異形へと立ち向かおうとしていた。
その刹那であった。
異形が、一瞬のうちに両断された。
「勝てもしないだろうに、ラークシャサへと立ち向かうとは。
とんだ蛮勇なマスターだ……。まぁ、ボクみたいなロクデナシを呼ぶ時点で、今更かな?」
凛とした声が響いた。
それと同時に、黄昏の日差しが路地裏に差し込んだ。
褐色の、麗しい女性だった。金色の衣を身に纏う、しなやかな肢体を持つ戦士だった。
石沢啓哉はその女性の姿に、先ほどまでの激情すらも忘れ、ただただ呆然と美しさに見蕩れるしか出来ずにいた。
「─────ひとまず、状況を確認する前に、一言聞かなくちゃいけないことがあるけど、いいかな?」
「君が、ボクのマスターかな?」
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