最終更新: nevadakagemiya 2022年09月28日(水) 00:26:12履歴
「祈りましょう。私たちへ溢れんばかりに与えられる水は決して当然のものではなく、大いなる恵みであることに。その恵みの前では万象が等価であることに」
小麦色の肌は日に焼けているのではなく元からこういった肌色。琥珀色の瞳。
色素の薄い水色の髪をボブカットにし、前髪はぱっつんに切り揃えている。両方の横髪を結って三つ編みにしている。
常に蝶を象った髪飾りを身に着けているが、これはイヨンに転機を与えた祀り手からの餞別で大切にしているもの。
非常に豊満な体付きをしている。体表にあまり筋肉の面影はなく、見るからに全身が女性的な柔らかさで覆われている。
その身体に祀り手特有のコードキャストによる青い紋様がまるで刺青のように刻まれている。
衣装は常日頃から祀り手の法衣。かなり肌が露出しているが水着を普段着代わりにしている者も多い珊瑚の海ではそう珍しいことではない。
肌に密着する下着の上から透ける素材のゆったりとした上着と前垂れ、飾り袖、足輪とサンダル、頭にはヴェールという構成。
祀り手であることを示すため基本的に彼女たちは年中この法衣で過ごし、個人的な服を着る機会は少ない。
表情は豊かな方。かつては笑うことは少なかったが、精神面の改善に加え参拝客の応対にはそれなりの愛想が必要なため自然と微笑むことができるようになった。
それでも未だに何かと失敗することは多いため、眉がハの字になっていることは多い。
色素の薄い水色の髪をボブカットにし、前髪はぱっつんに切り揃えている。両方の横髪を結って三つ編みにしている。
常に蝶を象った髪飾りを身に着けているが、これはイヨンに転機を与えた祀り手からの餞別で大切にしているもの。
非常に豊満な体付きをしている。体表にあまり筋肉の面影はなく、見るからに全身が女性的な柔らかさで覆われている。
その身体に祀り手特有のコードキャストによる青い紋様がまるで刺青のように刻まれている。
衣装は常日頃から祀り手の法衣。かなり肌が露出しているが水着を普段着代わりにしている者も多い珊瑚の海ではそう珍しいことではない。
肌に密着する下着の上から透ける素材のゆったりとした上着と前垂れ、飾り袖、足輪とサンダル、頭にはヴェールという構成。
祀り手であることを示すため基本的に彼女たちは年中この法衣で過ごし、個人的な服を着る機会は少ない。
表情は豊かな方。かつては笑うことは少なかったが、精神面の改善に加え参拝客の応対にはそれなりの愛想が必要なため自然と微笑むことができるようになった。
それでも未だに何かと失敗することは多いため、眉がハの字になっていることは多い。
イメージカラー:水色
特技:特になし
好きなもの:グルメ巡り、電子錠
苦手なもの:(だいたいそうだが強いて言うなら)自分自身、お酒(特にワイン)
CV:小野涼子
【一人称】拙(海淵教団では自分のことをなるべくそう呼べと教えられる) 【二人称】あなた 【三人称】あの方たち
イヨン・メルセルタは珊瑚の海の中流階級出身である。俗な言い方をすればいいところのお嬢さんだ。
父は“蒼”の王城務めの役人ともなれば上流階級という扱いをされてもおかしくはないメルセルタ家の娘として生まれた。
極端な富豪というわけではないが何一つ不自由ない暮らしができ、その家の娘ともなれば身の振り方を間違えなければ遊んで暮らすことも不可能ではない立場である。
そんな家にあってイヨンは何か問題のある扱われ方をされていたかといえば、そんなこともない。
父も母もイヨンをめっぽう可愛がり、愛してくれた。身と心のどちらにしても飢えるような暮らしをイヨンは送らなかった。
ただ、イヨンには何の才能も無かっただけだ。
珊瑚の海の施策通り、教育を受けるために学び舎に通ったイヨンだったが徐々に周囲から遅れがちになっていった。
何らかの障害があるというわけではないのだが、ただ要領が悪くどんくさかったのだ。他人が1の労力で果たすことを2つや3つの労力をかけてしまう不器用さだった。
やる気が無いわけではなく一生懸命取り組むのだが、それでも多少の頑張り程度では全体の平均に届くのがやっとだった。
落ち込むイヨンに両親や友人たちは何かと気をかけてくれたが、それがイヨンの悩みの根本的解決になることはなかった。
それが10歳までのこと。SE.RA.PHにおいて月の民が成人を迎える5年ほど前の話だ。
転機があったのは学び舎に海淵教団の祀り手が説法にやってきたことだ。
月の民も、AIも、サーヴァントでさえ、このエリアに満ちる水の前には平等だという文句に感銘を受けたイヨンはたびたび祭殿へと通うようになった。
学び舎にやってきたその祀り手は引退間近の女性だったが、自信がなく辿々しい喋り方のイヨンの話を真摯に受け止めて答えを返してくれた。
嘆きや悩みに対し、寄り添って尽くすのではなく向き合って自らとの対話を促す。子供だから仕方ないのではなく、仕方ないということを当たり前にしない。
両親や友人たちと話をするのとは全く違う気配のするその遣り取りにイヨンが夢中になり、そしてその姿に憧れて自らも祀り手となることを夢見るのに時間はかからなかった。
イヨンは両親に海淵教の祀り手となりたいということを打ち明けた。
もちろん驚かれたが、祀り手となるというのは非常に高い倍率であることが示す通り珊瑚の海においてとても名誉なことである。
イヨンを愛してはいたが、彼女が多方面において才能に欠けることも分かっていた両親は内心難しいだろうとは思いつつもイヨンが志願することを引き止めはしなかった。
やがてやってきた聖別の儀の日に、イヨンは彼女の話をずっと聞いた祀り手以外には知らなかった秘めた才能を発揮することになった。
一心不乱に祈ること。脇目も振らず、内的世界に埋没し、ただ懸命に祈りを捧げるという行いにおいてイヨンは格別の聖性を持っていた。
結果としてイヨンは祀り手に選抜された。それから4年。成人したイヨンは今も海淵教の祀り手として祭殿を任されている。
父は“蒼”の王城務めの役人ともなれば上流階級という扱いをされてもおかしくはないメルセルタ家の娘として生まれた。
極端な富豪というわけではないが何一つ不自由ない暮らしができ、その家の娘ともなれば身の振り方を間違えなければ遊んで暮らすことも不可能ではない立場である。
そんな家にあってイヨンは何か問題のある扱われ方をされていたかといえば、そんなこともない。
父も母もイヨンをめっぽう可愛がり、愛してくれた。身と心のどちらにしても飢えるような暮らしをイヨンは送らなかった。
ただ、イヨンには何の才能も無かっただけだ。
珊瑚の海の施策通り、教育を受けるために学び舎に通ったイヨンだったが徐々に周囲から遅れがちになっていった。
何らかの障害があるというわけではないのだが、ただ要領が悪くどんくさかったのだ。他人が1の労力で果たすことを2つや3つの労力をかけてしまう不器用さだった。
やる気が無いわけではなく一生懸命取り組むのだが、それでも多少の頑張り程度では全体の平均に届くのがやっとだった。
落ち込むイヨンに両親や友人たちは何かと気をかけてくれたが、それがイヨンの悩みの根本的解決になることはなかった。
それが10歳までのこと。SE.RA.PHにおいて月の民が成人を迎える5年ほど前の話だ。
転機があったのは学び舎に海淵教団の祀り手が説法にやってきたことだ。
月の民も、AIも、サーヴァントでさえ、このエリアに満ちる水の前には平等だという文句に感銘を受けたイヨンはたびたび祭殿へと通うようになった。
学び舎にやってきたその祀り手は引退間近の女性だったが、自信がなく辿々しい喋り方のイヨンの話を真摯に受け止めて答えを返してくれた。
嘆きや悩みに対し、寄り添って尽くすのではなく向き合って自らとの対話を促す。子供だから仕方ないのではなく、仕方ないということを当たり前にしない。
両親や友人たちと話をするのとは全く違う気配のするその遣り取りにイヨンが夢中になり、そしてその姿に憧れて自らも祀り手となることを夢見るのに時間はかからなかった。
イヨンは両親に海淵教の祀り手となりたいということを打ち明けた。
もちろん驚かれたが、祀り手となるというのは非常に高い倍率であることが示す通り珊瑚の海においてとても名誉なことである。
イヨンを愛してはいたが、彼女が多方面において才能に欠けることも分かっていた両親は内心難しいだろうとは思いつつもイヨンが志願することを引き止めはしなかった。
やがてやってきた聖別の儀の日に、イヨンは彼女の話をずっと聞いた祀り手以外には知らなかった秘めた才能を発揮することになった。
一心不乱に祈ること。脇目も振らず、内的世界に埋没し、ただ懸命に祈りを捧げるという行いにおいてイヨンは格別の聖性を持っていた。
結果としてイヨンは祀り手に選抜された。それから4年。成人したイヨンは今も海淵教の祀り手として祭殿を任されている。
イヨンと出会ったところで彼女に何か特別なものを見出すことは難しいだろう。
ごく一般的な、珊瑚の海なら海淵教の祭殿を探せばどこでも見ることができるような信心深い祀り手である。
聖務に対して真面目な姿勢。信者との応対でも良く言えば落ち着いた、悪く言えば鈍臭そうな態度を除けば、さしあたって引っかかりのあることをしたり言ったりするわけではない。
(祀り手が信者たちに接する時は大抵そうだが)微笑みを浮かべた愛想のいい態度は好感や安心感を覚えさせるに足るものといえる。
例えばそれは接する者が「自分は信者ではない」と伝えたところで変わらないだろう。海淵教はおおらかな教えである。
珊瑚の海に満ちる水マテリアルが信仰の対象ともいえる彼らにとって、相手が信者ではなくとも自らの信ずるものが例外なく恵みを与えていることに違いはないからだ。
故に海淵教を信じていない人たちのためにも祈る。イヨンもやはりそういう考え方で接し、相手のために祈るだろう。
だがイヨンと行動を共にする機会があると彼女の欠点が見えてくる。
とにもかくにも不器用。何か特定の分野ではなく、あらゆる面でぎこちなさを露呈させる。
決して不真面目に取り組んでいるからそうなるのではないのだが、丁寧にやりすぎたり、小さな事が気になったり、様々な要因によって他人よりも作業が遅れがち。
掃除をやらせれば、ひとつの落ちにくい汚れをいつまでも綺麗にしているせいでなかなか全体が片付かない。
祭殿の管理に必要な帳簿の計算をすれば、計算のミスがないか気になって逐一確かめているせいで他の者が済ませるより倍の時間がかかる。
料理をやらせれば、分量をきっちり図ることに拘りすぎたり、また他の作業に集中しているせいで鍋を吹き溢したりなどでうまくいかない。
一事が万事この調子なのでなかなか教団の本部にも一人前と認めてもらえない。イヨン自身、いつまでもそういう扱いをされていることには落ち込んでいる。
15歳、つまりSE.RA.PHの成人ともなると優秀な祀り手はひとりで地方の祭殿を任されるような者もいるが、未だにイヨンが教団本部の祭殿に留め置かれているのはこういう理由である。
だがイヨンは祀り手としてはその百難を補って余りあると教団からは認識されている。
何故ならば、イヨンの祈りは他のどの祀り手にも比べられないほど敬虔なものであるからだ。
先んじて言っておくと、イヨンには特別な能力など何もない。その祈りが何らかの神性や力を帯びているという可能性は全くないし、それによって起こる奇跡も存在しない。
イヨンは月の民の平均値をとってもそれを下回るような非才の人間であり、神秘にまつわるようなバックボーンや社会の中で特殊な血筋であるということもない。
そして、そうであるのに全く宗教の事を知らない者が見ても息を呑むくらいイヨンの祈りは清らかな聖性に満ちている。
自分の中に埋没し思惟の果てを目指すとい瞑想にも似た能力、そのただ一点においてのみイヨンは神がかった才能を発揮する。
実はイヨンの鈍臭さはこれに一因があり、自分の考えに深く沈み込んでしまいがちであるために他が疎かになるという悪循環が働いている。
イヨン自身はこれを才能だと認識していないが、密かにイヨンを認めている祀り手は教団内部にも一定数存在する。
これという特技の持てないイヨンの楽しみは必然とひとりでできることになる。
「食いしん坊みたいに思われるのが恥ずかしくて………」と本人はなるべく周囲に隠しているつもりの趣味はグルメ巡り。
大食漢というわけではなくあくまで常人と同じ程度の量しか食べられないのだが、それでも美味しい食事処の情報探しには余念がない。
オフになると画舫乗りの画舫に乗っていそいそと噂の店へ向かうイヨンの姿がある。ちなみにマイブームは最近珊瑚の海で提供する店が出現し始めた“ラーメン”とかいう謎の麺料理。
また電子錠(旧世紀における知恵の輪のようなもの)の攻略が密かな楽しみ。
解けても解けなくても誰にも迷惑がかからないのがいい、というのが理由。就寝前などに手慰みに弄っているのがイヨンにとって癒やしの時間。
解けなくてもいい、というがこれまで取り組んできた電子錠は100%の突破率。
………実は普段は鈍臭さとして欠点になっている面も裏返せば慎重に石橋を叩いているお陰でほぼミスがない。他人より時間がかかるというだけで決して悪い特徴ではない。
やはりと言うべきか、苦手なものは自分自身。何をするにも鈍間な自分をイヨンはあまり好んでいない。
それでも昔は苦手を通り越して嫌いであったため、こんな調子でも改善した方。海淵教とその祀り手と出会ったことはイヨンにとって運命であった。
今は失敗をやらかした自分を責めをするが必要以上に悩みはしない。苦手ではあるが、そんな自分はそれほど嫌いではない、というのがイヨンの自分自身への評価となる。
そもそも苦手なものなどイヨンには山のようにある。あらゆる作業はイヨンにとって「他人より出来が悪いもの」だ。
だからかつてはいじけて自分の殻に引き籠もっていたイヨンだったが、今はだとしても気に病みすぎず取り組もうとしている。
それらとは別に、お酒、特にワインが苦手。
この場合の苦手は「飲みすぎてしまう」という意味合いであり、好きか嫌いかで言うならむしろ大好き。
ただ飲み始めるとついつい口にしすぎて酔っ払ってしまうのでそういう意味で苦手にしている。なので一口含むまでは遠慮するが、口にするとどんどん消費量が増えていく。
なお、酔っ払うと普段は信仰の影に隠しているネガティブな部分が顕になり、面倒くさい形で一緒に飲んでいる者に絡んでくる。
ただ一点を除いて他に才能や特技といったものは一切無い少女。
しかし逆に言うと、無いからこそある種の達観や到達点のようなものを持っており、聖職者としては一廉の資格を持つ。
そして何より、そのいかなる曇りも混じらない極まった集中による祈りには神気が宿る。
ごく一般的な、珊瑚の海なら海淵教の祭殿を探せばどこでも見ることができるような信心深い祀り手である。
聖務に対して真面目な姿勢。信者との応対でも良く言えば落ち着いた、悪く言えば鈍臭そうな態度を除けば、さしあたって引っかかりのあることをしたり言ったりするわけではない。
(祀り手が信者たちに接する時は大抵そうだが)微笑みを浮かべた愛想のいい態度は好感や安心感を覚えさせるに足るものといえる。
例えばそれは接する者が「自分は信者ではない」と伝えたところで変わらないだろう。海淵教はおおらかな教えである。
珊瑚の海に満ちる水マテリアルが信仰の対象ともいえる彼らにとって、相手が信者ではなくとも自らの信ずるものが例外なく恵みを与えていることに違いはないからだ。
故に海淵教を信じていない人たちのためにも祈る。イヨンもやはりそういう考え方で接し、相手のために祈るだろう。
だがイヨンと行動を共にする機会があると彼女の欠点が見えてくる。
とにもかくにも不器用。何か特定の分野ではなく、あらゆる面でぎこちなさを露呈させる。
決して不真面目に取り組んでいるからそうなるのではないのだが、丁寧にやりすぎたり、小さな事が気になったり、様々な要因によって他人よりも作業が遅れがち。
掃除をやらせれば、ひとつの落ちにくい汚れをいつまでも綺麗にしているせいでなかなか全体が片付かない。
祭殿の管理に必要な帳簿の計算をすれば、計算のミスがないか気になって逐一確かめているせいで他の者が済ませるより倍の時間がかかる。
料理をやらせれば、分量をきっちり図ることに拘りすぎたり、また他の作業に集中しているせいで鍋を吹き溢したりなどでうまくいかない。
一事が万事この調子なのでなかなか教団の本部にも一人前と認めてもらえない。イヨン自身、いつまでもそういう扱いをされていることには落ち込んでいる。
15歳、つまりSE.RA.PHの成人ともなると優秀な祀り手はひとりで地方の祭殿を任されるような者もいるが、未だにイヨンが教団本部の祭殿に留め置かれているのはこういう理由である。
だがイヨンは祀り手としてはその百難を補って余りあると教団からは認識されている。
何故ならば、イヨンの祈りは他のどの祀り手にも比べられないほど敬虔なものであるからだ。
先んじて言っておくと、イヨンには特別な能力など何もない。その祈りが何らかの神性や力を帯びているという可能性は全くないし、それによって起こる奇跡も存在しない。
イヨンは月の民の平均値をとってもそれを下回るような非才の人間であり、神秘にまつわるようなバックボーンや社会の中で特殊な血筋であるということもない。
そして、そうであるのに全く宗教の事を知らない者が見ても息を呑むくらいイヨンの祈りは清らかな聖性に満ちている。
自分の中に埋没し思惟の果てを目指すとい瞑想にも似た能力、そのただ一点においてのみイヨンは神がかった才能を発揮する。
実はイヨンの鈍臭さはこれに一因があり、自分の考えに深く沈み込んでしまいがちであるために他が疎かになるという悪循環が働いている。
イヨン自身はこれを才能だと認識していないが、密かにイヨンを認めている祀り手は教団内部にも一定数存在する。
これという特技の持てないイヨンの楽しみは必然とひとりでできることになる。
「食いしん坊みたいに思われるのが恥ずかしくて………」と本人はなるべく周囲に隠しているつもりの趣味はグルメ巡り。
大食漢というわけではなくあくまで常人と同じ程度の量しか食べられないのだが、それでも美味しい食事処の情報探しには余念がない。
オフになると画舫乗りの画舫に乗っていそいそと噂の店へ向かうイヨンの姿がある。ちなみにマイブームは最近珊瑚の海で提供する店が出現し始めた“ラーメン”とかいう謎の麺料理。
また電子錠(旧世紀における知恵の輪のようなもの)の攻略が密かな楽しみ。
解けても解けなくても誰にも迷惑がかからないのがいい、というのが理由。就寝前などに手慰みに弄っているのがイヨンにとって癒やしの時間。
解けなくてもいい、というがこれまで取り組んできた電子錠は100%の突破率。
………実は普段は鈍臭さとして欠点になっている面も裏返せば慎重に石橋を叩いているお陰でほぼミスがない。他人より時間がかかるというだけで決して悪い特徴ではない。
やはりと言うべきか、苦手なものは自分自身。何をするにも鈍間な自分をイヨンはあまり好んでいない。
それでも昔は苦手を通り越して嫌いであったため、こんな調子でも改善した方。海淵教とその祀り手と出会ったことはイヨンにとって運命であった。
今は失敗をやらかした自分を責めをするが必要以上に悩みはしない。苦手ではあるが、そんな自分はそれほど嫌いではない、というのがイヨンの自分自身への評価となる。
そもそも苦手なものなどイヨンには山のようにある。あらゆる作業はイヨンにとって「他人より出来が悪いもの」だ。
だからかつてはいじけて自分の殻に引き籠もっていたイヨンだったが、今はだとしても気に病みすぎず取り組もうとしている。
それらとは別に、お酒、特にワインが苦手。
この場合の苦手は「飲みすぎてしまう」という意味合いであり、好きか嫌いかで言うならむしろ大好き。
ただ飲み始めるとついつい口にしすぎて酔っ払ってしまうのでそういう意味で苦手にしている。なので一口含むまでは遠慮するが、口にするとどんどん消費量が増えていく。
なお、酔っ払うと普段は信仰の影に隠しているネガティブな部分が顕になり、面倒くさい形で一緒に飲んでいる者に絡んでくる。
ただ一点を除いて他に才能や特技といったものは一切無い少女。
しかし逆に言うと、無いからこそある種の達観や到達点のようなものを持っており、聖職者としては一廉の資格を持つ。
そして何より、そのいかなる曇りも混じらない極まった集中による祈りには神気が宿る。
珊瑚の海の海淵教の祀り手としての生活。
即ち特別な役割があるわけではなく、SE.RA.PHにおいては一市民に過ぎず、特別な役割を持つ人々にとっては背景でしかない。
だが同時にSE.RA.PHを彩る重要な役割のひとりとも言える。
即ち特別な役割があるわけではなく、SE.RA.PHにおいては一市民に過ぎず、特別な役割を持つ人々にとっては背景でしかない。
だが同時にSE.RA.PHを彩る重要な役割のひとりとも言える。
個人より先に祀り手として接するのでさほど月の民やAIたちと態度に変わりはない。
とはいえさすがに珊瑚の海の民として“蒼”の王城で務めるサーヴァントが相手だとやや畏まる。
なんせ父親の職場の偉い方たちなので。
とはいえさすがに珊瑚の海の民として“蒼”の王城で務めるサーヴァントが相手だとやや畏まる。
なんせ父親の職場の偉い方たちなので。
海淵教は民間信仰に過ぎず、“蒼”の王城で執り行われている政治とは切り離されたものではあるが、それでも汎く民衆に伝わっているものであるのは違いない。
なので祭典などの行事においてセレスに謁見する機会というのは祀り手たちにとって珍しいことではあるけれども無いわけではない。
イヨンもセレスの前で頭を垂れた経験はある。とはいえ、数ある祀り手たちのひとりとして。個人的な交友関係などあるはずもない。
感想は「多くのサーヴァントを引き連れて歩むお姿は威厳に満ちていて、このような偉大な王の落胤の方へお目通り叶ったのは光栄だった」とのこと。
他の祀り手たちと同じくイヨンにとっても最も敬意を捧げるべき相手。出くわしたならばその場で跪き、顔の前で手を組み、最も偉大なる者を前にする時の姿勢で祈りを捧げる。
例えレヴィアタンの小型端末がどのようなことをしていても、である。少なくとも祀り手としてはぞんざいに扱うなど以ての外。そのような不心得者は祀り手には存在しない。
とはいえ祈りを捧げた後の態度は敬意こそ欠かさないものの祀り手によってまちまち。イヨンは親しむよりは畏敬の念を保つ方。楽にせよと言われると逆に困ってしまう。
たびたび訳アリの客を抱えるナギィにとっては複雑な事情を全く抱えていないタイプの客。とはいえイヨンにとっては切実である。みんなにバレると恥ずかしいという点で。
実はコミュニケーションを取ってみたいと以前から思っており、彼女の画舫に乗るとそれとなく話しかけている。だがだいたい撃沈でいつもしょんぼりしている。くすん。
料理店に行くというのは建前………ということはないが、ナギィの画舫に乗るのがひとつの目的となりつつあるというのも最近は無くもない。
(少なくともイヨン視点からは)とても優秀な後輩。細かなことに気がつくし何でもできる。祀り手として先輩なのに世話を焼かれるのはイヨンの方。先輩の威厳はどこ行った。最初から無い。
何かと仕事の遅れがちなイヨンをフォローしてくれる優しい子。イヨンはシュティンに対し頭が上がらないと考えており、故にシュティンが困っていることをサポートするのは当然のことであって、助けているという意識さえない。
夜間にイヨンが祭壇へ祈りを捧げた時、ふと気がつくと啜り泣きが聞こえてきてそれがシュティンのものだったということがあった。慌ててイヨンはシュティンを宥め、温かい飲み物を渡したりして(※指を火傷した)、そしてシュティンより先に横で寝落ちした。
ただ無心に祈るということを特筆するべき能力とも思っていないイヨンにシュティンの自分へ対する視線の意味を理解するのは難しい。
なので祭典などの行事においてセレスに謁見する機会というのは祀り手たちにとって珍しいことではあるけれども無いわけではない。
イヨンもセレスの前で頭を垂れた経験はある。とはいえ、数ある祀り手たちのひとりとして。個人的な交友関係などあるはずもない。
感想は「多くのサーヴァントを引き連れて歩むお姿は威厳に満ちていて、このような偉大な王の落胤の方へお目通り叶ったのは光栄だった」とのこと。
- レヴィアタン
- 御本尊
他の祀り手たちと同じくイヨンにとっても最も敬意を捧げるべき相手。出くわしたならばその場で跪き、顔の前で手を組み、最も偉大なる者を前にする時の姿勢で祈りを捧げる。
例えレヴィアタンの小型端末がどのようなことをしていても、である。少なくとも祀り手としてはぞんざいに扱うなど以ての外。そのような不心得者は祀り手には存在しない。
とはいえ祈りを捧げた後の態度は敬意こそ欠かさないものの祀り手によってまちまち。イヨンは親しむよりは畏敬の念を保つ方。楽にせよと言われると逆に困ってしまう。
- ナギィ・ニュレーネス
- 贔屓の画舫乗り
たびたび訳アリの客を抱えるナギィにとっては複雑な事情を全く抱えていないタイプの客。とはいえイヨンにとっては切実である。みんなにバレると恥ずかしいという点で。
実はコミュニケーションを取ってみたいと以前から思っており、彼女の画舫に乗るとそれとなく話しかけている。だがだいたい撃沈でいつもしょんぼりしている。くすん。
料理店に行くというのは建前………ということはないが、ナギィの画舫に乗るのがひとつの目的となりつつあるというのも最近は無くもない。
(少なくともイヨン視点からは)とても優秀な後輩。細かなことに気がつくし何でもできる。祀り手として先輩なのに世話を焼かれるのはイヨンの方。先輩の威厳はどこ行った。最初から無い。
何かと仕事の遅れがちなイヨンをフォローしてくれる優しい子。イヨンはシュティンに対し頭が上がらないと考えており、故にシュティンが困っていることをサポートするのは当然のことであって、助けているという意識さえない。
夜間にイヨンが祭壇へ祈りを捧げた時、ふと気がつくと啜り泣きが聞こえてきてそれがシュティンのものだったということがあった。慌ててイヨンはシュティンを宥め、温かい飲み物を渡したりして(※指を火傷した)、そしてシュティンより先に横で寝落ちした。
ただ無心に祈るということを特筆するべき能力とも思っていないイヨンにシュティンの自分へ対する視線の意味を理解するのは難しい。
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