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nevadakagemiya 2020年02月01日(土) 02:00:42履歴
虚空の中に夢を見る。
何もない、誰もいない、暗い、昏い、暗闇の底。どこでもないばしょ。
少女は己の業を憎む。己の描いた物語を想う。
どうしてこうなってしまったのか? ただその後悔だけが渦巻いていく。
少女の名は、アザトース。今はそう呼ばれている。
かつてはH.P.ラブクラフトという名で呼ばれた記憶が少女にはある。
だが"それ"は、彼女にとっての夢か現実か、信じられなくなっていた。
当然である。他でもない彼女が描いた空想が、現実を壊し侵食してゆく様を見せつけられたのだ。
それに並の人間の精神が耐えられるはずがないだろう。己のせいで、世界が罅割れゆく。それは人類最悪の罪業と言ってもいい。
己の所業が生み出した災厄を胸に、少女は自問自答を続ける。なぜ、こうなったのかと。
ただ1人。一人ぼっちで、少女は膝を抱えて己を悔いる────。
「────本当にひとりぼっち?」
声が響く。盲目白痴にその精神を閉ざしかけていたその少女は、ハッと顔を上げる。
その少女の眼前には、理想の英雄が立っていた。万人に正義の味方と望まれ座へ刻まれた、理想の少女が。
「だれ?」
「私が誰か、なんてどうでもいい。
私が誰であろうと、私が此処にいるという事実は変わらないから」
理想の英雄は謡うように言葉を紡ぐ。コギト・エルゴ・スム。我思う故に我あり。
フランスの哲学者が唱えた言葉を引用しながら、理想の英雄は静かに指を立て、その美しき指で少女を差す。
「貴方も同じ」
「…………ボク?」
「そう、貴方が"アナタ"でなかろうと、
貴方であっても、アナタが此処にいるのは変わらない」
その言葉に、少女は先ほどまで己の内側に渦巻いていた、沸騰する混沌が如き悪夢を思い出す。
己が空想の根源なのか、それとも空想が生み出した触覚こそが自分なのか、それとも己が描いた空想が現実を侵食しただけなのか。
単純な答えのはずなのに、考えれば考えるほど脳細胞を抉り喰らうかの如き至高の迷宮に嵌った刹那を、少女は思いだしていた。
「貴方が此処にいる理由は、貴方の本質には関係ない。
貴方がアナタじゃない? そんなことは"読者"にはどうでもいいの。
大切なのは、貴方が此処にいるという事。貴方が此処にいる理由。
それがあるからこそ、貴方という存在は座(ここ)にいるの」
「────。此処に、いるのに……理由があると、言うのなら…………」
少女は、声を振り絞りながら眼前の理想に問う。
その立つだけで気圧されそうな理想の威光。なるほど確かに目の前の英霊は気高いのだろう。
悍ましき邪神を描いた自分とは違う。だからこそ問う。
英霊らしき英霊だからこそ、問いたい答えが其処に或る。
「ボクは何のために、此処にいる?」
「────そう、それが貴方の聞きたかったこと」
「ボクはなんで、英霊なんてものに召し上げられてしまったんだ…?
恐れ多くも甚だしい!ボクはただ……夢を描いて……物語を紡いだだけだというのに……。
なんでボクなんかが、貴方のような、気高い理想の英雄と同じように、英霊なんてものになってしまったんだ!?」
「そんなこと、決まっているでしょう?」
理想の英雄は、口端を吊り上げて、目を細めて笑った。
それはまるで、子供に言い聞かせる慈愛に満ちた母親のような、
それでいて、愚かしい幼子を嘲笑する狡賢い悪魔のような、相反する印象を抱かせる笑みであった。
「英霊が存在する理由なんて、たった1つしかないでしょう?」
「────それ、は……?」
「簡単な事。そう望まれたから。"斯く在れかし"。それが英霊が座に刻まれるただ1つにして絶対の理由。
存在を望まれれば、どんな木っ端な英霊でも座に刻まれる。ええ、私のような、儚い夢想の非実在でも」
「望まれた……? 誰かに……? ボクが?」
少女は口から言葉を溢すように吐き出した。馬鹿げている、と。
目を開き、嘘だ、在り得ない、違うと捲し立てるように叫ぶ。
「何故、否定するの?」
「ボクが……こんなボクが、誰かに望まれた結果だっていうのか…!?
違う…違う! こんなボクを、誰がどう望むというんだ!?」
慌てふためく少女の背後に、凛としたテノールボイスが響き渡った。
「簡単な答えだ。お前は人理の大敵として、人の滅びの具現として望まれた」
◆
「大敵(われわれ)が座に刻まれた理由なぞ、実に明解な事だ。
人類の滅び、その原因、ただそれだけの単純な事。欠伸すら出る退屈な問いだ」
背後に響いた声に、少女は振り向く。そこには一人の男が立っていた。
それは血の通わない死人が如き蒼白の貌を持つ、大江山に立ちし鬼の首魁であった。
「滅────び……?」
「我らが在り方(クラス)を忘れたか? 人理の大敵……其は人に屠られるべき、"敵"だ。
人に討たれ、滅ぼされ、対策されるべき災害こそが我らだ。それこそが、お前の望まれた姿だ!
お前も、私も! 人類を滅ぼすべき災厄と定められ、そして人類に滅ぼされる終末なのだ!」
ザン、と。
声高に叫ぶ鬼の首魁の首が、一閃と共に虚空を舞い、そして同時に地へ力無く転がり落ちる。
同時に無情なる神秘殺しの眼光だけが、漆黒の暗闇に閃光が如く走るのが少女の目に映った。
「違う……ちが、う……!
そんな……、ボクが…終、末……!?」
少女は涙を流しながら、地に膝をついて地を見やる。
頭を抱え、吐き出された言葉を否定しながら、子供のように泣き喚く。
「終末なんて……嘘っぱちだ! そのはずなんだ……!
ボクが書いたのは……全部空想だ!! そんなもので人類の敵…!?
そう望まれた!!? ふざけるのも大概にしてくれ!! 」
少女は叫ぶ。まるで、そうでもしないと己を保てないとでもいうように。
逆に言えば、"それ"を認めてしまえば、今度こそ壊れてしまう、そう言いたいかのように、
少女は叫び続ける。叫んで主張し続ける。自分が大敵となるはずがないと。
「ボクが書いた嘘が! 夢物語が!! 現実を壊すとでもいうのか!!?」
「おや? 可笑しなことを言うね。空想(ユメ)が現実(リアル)に劣ると、誰が決めたのかな?」
◆
「"自分が書いた物語は空想でしかない?" ンン〜、ナンセンス!
夢か、現実か、そんなのどちらでもいいじゃないか! むしろそれらを踏み越えてこそ!
そんな曖昧な領域をとっぱらってこそ! 蝶☆サイコーな作家と言えるんじゃあ、ないかな!?」
パピヨンマスクの男が突如として現れ、少女の顔を覗き込みながら高らかに嗤う。
そのふざけ切った態度と姿と声に、たまらず少女は声を荒げて立ち上がる。
「ふざけるな……!! ボクがどんな気でいるかも知らないで!!」
「じゃあどういう気持ちなんだい? 言ってみなよ、"人類の脅威"ニュービー」
「ああ言ってやる! ボクが書いた物語で、ボクの夢で!! 人が死ぬだなんて在り得ない!!
あり得ていいはずがない!! 僕が書いたのは全て空想だ!! 嘘っぱちだ!! だから……だから……!!」
当初の威勢は何処へやら。
途中から少女の声は、まるで絞り出すかのように儚い声色へと変わっていった。
だがそれでも声を荒げる。今までの現実(くうそう)を否定する。何故か? 彼女は知っているからだ。
これは逃げであることを。これは薄っぺらい自己防衛であることを、彼女は知っているからこそ声を荒げる。
────だが、現実(ユメ)は無情に、彼女に空想(しんじつ)を叩きつける。
「在り得ていいはずがない、だって?」
「………ッ、そうだ……ボクの描いた物語が……本当なわけ……!」
「強がりはよせよ人理の大敵(アークエネミー)。その理由、その根拠、お前が一番よく知ってるだろ?」
パピヨンマスクの男が舌を出しながら邪悪に微笑む。
────ドグン、と。右目の奥が痛んだような気がした。
痛い。苦しい。悶えるほどに、今すぐ抑え込みたいほどに、ズグズグと痛む。
まるで何かが飛び出しそうなほどに、強く、強く、吐き気と共に痛みが増す。
駄目だ。此れだけはダメだ。此れだけは触れちゃいけない。
触れちゃいけないと分かっているのに、抑えずにはいられなかった。
────そして、それに彼女は触れた。触れてしまった。
そして自覚した。その身体の半分が、沸騰する盲目白痴の混沌が如き異形へ転じていることを。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
彼女は頭皮を掻き毟りながら発狂した。
その絹のように美しい髪に爪を立て、醜い己が肉体をガリガリと傷つけていく。
血がボトボトと地面に汚らしくまき散らされ、嗚咽と涙が雫となって零れ堕ちていく。
「嘘だ!! 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!!!
ボクが書いた物語のせいで……!! ボクのせいで世界が滅びるだなんて! ボクがこの世界の滅亡だなんて!!!」
「嘘じゃない」
幼い声が響いた。声の響いた方向には、少女が1人、ぬいぐるみを抱えて立っていた。
しかしそのぬいぐるみは、みるみるうちに触手に塗れた異形へと転じていく。
同じように、少女もまた触手に塗れた化け物に変わっていく。
「貴方が書(ひら)いた扉でしょ? 貴方が招(えが)いた邪神たちでしょう?」
「違う……違う、違う……。ボクは……僕は、こんなことの為に……物語を書いたんじゃない……!」
「でも、結果は違ったの。例えその発端が魔神でも、その根源は貴方のせい」
ニコリ、と少女の口端が歪んで笑みに変わる。
「貴方が書いた物語のせいで、あれは此方に手を伸ばした」
魔女狩りを呼んだ咎の少女が、眼前に立っていた。
「お前さんが描いた空想で、こうして俺ぁ深淵と繋がっちまった」
深淵をその筆で描きし東洋の絵師が、見下していた。
「貴方が記した夢物語のせいで、こうして私たちは異形となり果てた」
神焼く炎を纏った傾国の美女が、顔を覗き込んで笑っていた。
「お前のせいだ」
「貴方のせいだ」
「貴様のせいだ」
「お前さんのせいだ」
「手前のせいだ」
「貴殿のせいだ」
「おかあさんのせいだ」
「お前のせいだ」
「お前がやったんだ」
無限に響き渡る、外よりの降臨者に魅入られた邪神の触覚たちの声。
少女は自覚する。嗚呼、自分は罪人に他ならない。このおびただしい数の被害者は、総て自分のせいで化け物に堕ちたのだと。
そして、更なる傷を抉る言葉が、彼女の心の臓腑に突き刺さるように響く。
「お前のせいで、タイタス・クロウは死んだ」
「無駄死にだ。犬死にだ。か弱い人理にお似合いの、愚かな死だ」
嘲笑が響き渡る。死した神殺しの犠牲を嘲笑う神々の声が響く。
千貌のトリックスターが、全にして一なる扉が、黒き山羊孕む豊穣神が、黄衣の王が、
深淵に眠る王が、地を穿つ魔が、闇の丘に眠る眼光が、青白く醜い楕円が、神殺しの死を嘲笑う。
その嘲笑の中で、少女は思い出す。自分の為に死んだ一人の男の姿を。自分の空想が殺してしまった、抑止力を。
「────ボク、が……」
「ボクの……物語(ユメ)、が……」
「あいつを……タイタスを────殺し、た────?」
「……ぁあ……あ、ぁ…ああ!! うわああああああああああああ!!
ああ……っ!! ひっぐ……! ああ、あああああ!! あああああああああ!」
自分のせいで、明確に人の命が失われる刹那を、少女はとうとう思いだした。
いや、思い出してしまった。あの日、自らが異界の根源へ変わった時のことを、
そして、それを止めるために、一人の男の命が霧散して消失したことを。
それが最後の引き金だった。それが彼女の精神を、最後に支えていたものを粉々に砕いた。
彼女の精神は、とっくのとうに限界だった。己が人類の敵だと、世界の破滅の原因だと、そして────、
生きているだけで人を殺す災害だと、完全に気づかされた。それが彼女の精神の、一切を磨り潰すように反芻される。
「こんな……!! こんなもの!! こんな…化け物ォォォォ!!
死ね! 死ね!! 死んでしまえ!!! 生きているな!! 存在するなあああああ!!」
爪を立て柔肌を引き千切り、声を荒げて自分を否定する。
頭皮が引き千切れるほど掻き毟り、爪が剥がれるほど自傷する。
異形と化したその頭部の右側を握り締め、触手を引き千切り地面に投げつける。
だがそれは、己の芯に痛みを響かせるだけで、怪物の死には至らない。ただ痛ましく、地に散らばった触手が蛆のように蠢くだけだ。
当然だ。化け物は死なない。災害は滅びない。その事実が、彼女に自分自身は化け物だと思い知らせた。
「消えろ! 消えろ!! 消えろ!!! 消えてしまええええ!!! こんな……化け物おおおおおおお!!
うぅ……! うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
少女は泣き叫んだ。自分のせいで大勢の人が悪夢を見たと。
少女は慟哭した。自分のせいでたくさんの世界が滅びを見たと。
少女は絶望した。自分のせいで、タイタス・クロウは死に絶えたと。
自責の念が彼女を縛り上げる。咎の意識が剣の如く突き刺さる。
深く、深く、柄まで通り臓腑に至るかのように。罪業の意識が心を抉る。
だがどれほど痛んでも、その痛みは反響する鐘の音の如く響き続け、何時までも残り続ける。
肉体は傷つけど傷つけど再生し続け、死による逃避すら許すことは無い。
「(嗚呼────)」
彼女はようやく悟る。これは自分自身に与えられた、罰なのかもしれないと。
「(そうか……。ボクは────)」
化け物に死は許されない。災害に終末は許されない。
このまま人々に討たれ続け、そして咎の意識にさいなまれ続けろ。
それが、世界が言い渡した罰だと、少女は気づいた。
「ボクは────、生まれてきちゃ……いけない存在(いのち)だったんだ……」
目を閉ざす。それが運命だというのならば、それが罰だというのならば。永劫に滅びであろう。
それが異界の扉となった者の使命だというのならば、永劫に化け物であり続けよう。その罪業を背負い続けると。
彼女は誓い、その目を閉ざす。盲目白痴に相応しいよう、目を、口を、耳を、その総てを閉ざし、一介の大敵へ成り下がろうと────、
🕈✌✋❄
「(────、だれ?)」
👎⚐ ☠⚐❄ ☝⚐
「(こえ、が────?)」
その、刹那であった。
「────るな」
「…めちゃだめだ!」
「────────諦めちゃダメだ!!!」
1つの、たった1つの、声が響いた。それはまるで、黎明を照らす一筋の光のように、眩く温かい声であった。
いや、それは錯覚ではない。文字通りに、一筋の光が差した。その光は、遍くを照らす光明となって、暗闇を覆っていく。
光に照らされた邪神たちは────否、偽りの幻想たちは、朝日に消えゆく霞のようにその姿を蒸発させていく。
「…………き、み……は…………?」
「────────、やっと……やっと、会えた────!」
その光はまるで、絶望に閉ざされかけた1人の大敵に差し伸べられる、掌のようであった。
光に照らされたその大敵は、否、一人の少女は、その目の前に立つ1人の眩い光を背に受ける少女を見やる。
黄・碧・緑・紫・金の差し色の入った白銀の衣が光を反射し、虹の如き鮮やかなる美しい印象を抱かせる。
それ以上に少女の心に深く印象に残ったのは、その今にも泣きそうで、それでいて心からこの状況に安堵するかのような、美しい笑みであった。
「良かった……よかった…! 声が…こえが、届いて……!」
「へ……? え? うわ、ちょ、ええ!?」
その虹のような少女は、朗らかに、それでいて心の底から、安堵したかのようにはにかむ。
そしてそのまま、目の前に立つ小柄な少女の身体を、力いっぱいに抱き締めながら、絞り出すように歓喜の声を上げた。
「君が……すべてを捨てる前で……! 話ができて……! 本当に良かった…!」
「────?????? ま、まって…待って!? え? え? え??? 何!? 何なの!?」
「あ……っと、ごめん! 苦しかった!?」
「いや、えーっと、そうじゃないんだけど…!」
慌てて虹のような少女が抱き締めていた少女から離れる。
あまりにも唐突が過ぎるその救いの手に、しどろもどろになりながらももう一人の少女は問う。
先ほどまでの絶望が嘘であったかのように。
「ぅえっと……そのぅ……、えと、……キミは……、いったい……!?」
「ああ、私? そうだった、ごめん! まだ自己紹介していなかったね!!」
コホン、と咳払い1つ。そうして虹のような少女は、意気揚々と己の名を高々にあげた。
「私はパイオニア! パイオニア計画! クラスは、ハービンジャー!!」
まるでそれは、自分が此処にいるのが当然であるかのような、そんな堂々とした名乗りであった。
「君を、助けに来た!! 一緒に行こう!」
続
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