ImgCell-Automaton。 ここはimgにおけるいわゆる「僕鯖wiki」です。 オランダ&ネバダの座と並行して数多の泥鯖を、そして泥鱒をも記録し続けます。

 ────この手に掴めたものは果たして何だったのだろうか。
 荒れ果てた野の中心で一人の男が空を眺めていた。
 憔悴し、ボロ布のような黒布に身を包んだ男はどんな乞食よりも見窄らしい。
 力尽きたような彼の側には漆黒の鎧と腰に佩いた一振りの剣。
 豪奢な、一介の騎士には手に入れられないようなそれらは彼が貴い立場にいた者だと物語っているが、
 道行く人が彼を見かければ間違いなく警邏を呼んでこの物乞い男がどこで宝物を盗んだかを自供させるだろう。
 それほどまでに、彼は擦り切れていたのだ。
「――――ああ」
 掠れた声。
 星の囁きすら存在しない荒野の静寂には呼吸すら痛いほどに響く。
 時の概念から脱却している"座"の中に幽かな彼の存在があった。
 だが、それも長くは続かない。
 再び静けさが舞い戻った自分の世界の中で彼の王は今一度悔恨という名の思索に己を沈めていく。
 ――――俺の生涯で、掌から零れ落ちなかったものはあったのだろうか。
 何千何万と思い返した欠地と妄執の一生。
 裏切り。攻め入り。奪い。殺し。追われ。失くし。そして最後には必ず離れていく。
 目を瞑ったまま、もはや擦り切れることもない剣の刻印を指でなぞる。
 彼の名。領地なしのジョン。ジョン=ザ=ラックランド。父王ヘンリー二世の与えた哀れ名にして呪い名。
 この名前こそ全ての始まりだったのだろうか。
 彼を憐れみ、母の愛の代替だったとしても息子を愛した父を裏切ったことこそ。
 何度、何度思っただろう。
 あの時、もしも己が裏切らなければ、と。
「…………無理だな」
 自嘲したように笑う。
 あの状況で兄に勝てたわけが無い。
 獅子心王リチャード。
 その誉れは時代を越えても響き渡る程に。
 勝てるはずがない。
 剣術も馬術も彼が兄王に勝てた試しなどなかったのだから。
 きっと己が裏切らずとも、城は陥落し、父と自分は命を落とした。
 ――――詰まるところ、彼の道はこれ以外なかったのだ。

 風も吹かない荒野。
 薄く微笑んだ男が星のない空に力なく手を伸ばす。
 きっと自分が欲しかったものがその帳の先にあるのだとでも叫ぶかのように。
 ――――そして、それは起こる。
 無風の辺獄に突如エーテルの渦が現れ中空を掻き乱す。
 渦の中から漏れる声が久遠の静寂を破った。
 そう、それは呼び声だった。
 彼を呼ばう。呼ばう。
 鎖のように広がり渦の中へと引き込んでいく。
 セイハイ。
 そんな言葉が男の脳裏に浮かんだ。
 聖杯。それはお伽噺の中の万能の釜。
 兄王が寝物語にしつこく聞かせたアーサー王も求めた願望器。
 キリストの血を受けたと言われるソレはどんな願いも叶えるという――――
「いいだろう――――応えよう!」
 召喚に応じる。
 仄かな興奮を浮かべて掠れた宣誓を返した。
 鎖は彼を縛り、引きずり込んでいく。
 ――――やり直し。
 地獄のような停止の中で幾度となく願ったもの。
 狂うことも出来ずに願い続けた唯一の活路。
 今度こそ、今度こそ何かを掴むのだと。
 静かな、静かな含み笑いが空に解け、渦とともに消失する。

 ただ、"永劫の唯一"が欲しかった。
 それが欠地王ジョン=ザ=ラックランドが呼び声に応えた理由だった。


『extra_opening "a vow of his domain"』


 狂乱か、剣か。
 それが本来の彼に許された現界のはずだった。
 だというのにどうしたことだろうか。
 彼の思考は澄みきったままでありながら、それでいてセイバーとして得るはずのステータス補正も保有していなかった。
 それだけではない。
 聖杯から受けた知識に拠ればサーヴァントとはマスターに使役される使い魔だ。
 しかし、彼が召喚された廃墟のなかには生活の痕跡すら残されていなかった。
 ――――イレギュラー。
 つまりはそういうことなのだろう。

 霊体化する。
 数日前に顕在したまま街をうろついた時に通報というものをされて以来こうするようにしていた。
 如何な欠地王と言えど冷たい拘置所の中で一晩眠るのは御免蒙った。
 眠る。
 そう、眠るのだ。
 サーヴァント――既に死した英霊の写し身――には必要のない欲求。
 付与されるべき現代の知識がロクに無いことも異常であるがこれこそが抜きん出た問題だ。
 というのも睡眠欲によって夜間の活動が出来ないのだ。
 ジョンは霧がかったような状況の中で一つだけの指針を持っている。
 それは召喚に応じた際に聞こえた声。
 この声を探すことこそが現在彼の出来うることだったが同時にそれは砂の中から麦粒を見つけるようなことだ。
 当然運と時間が必要であり、であるからには夜の探索が出来ないことは大変な痛手だった。
 
 一晩借りた屋根を後にしてジョンは再び放浪を始める。
 当て所もない、流浪者のような足取り。
 霊体化していなければその服装も相まって通報は必然だったろう。
 朝から昼に移り変わる霧の街を、ただ、ただ、歩く。
 そうしているうちに少し開けた場所に出た。
 ハイド・パーク。
 ウェストミンスターからケンジントンにかけて広がる公園。
 ロンドンに存在する八つの王立公園の一つ。
 もっとも、ハイド・パークに存在するイーバリー卿荘園跡を買い上げたヘンリー八世の。その時代より遥か遡ったプランタジネットの王は知る由もないのだが。

 疲れを感じた彼は公園に設置してあった粗末なベンチに腰を下ろす。
 召喚されてからはや四日。何の収穫も無かったことは少しばかりこたえていたのだ。
 行き交う人。地の上を飛び交う鳥たち。
 サリサリと澄む池の前で、ジョンは自分が実体化していることにも気づかず力を抜く。
 思えばこうして穏やかな気持になることなど"座"は疎か生前も数える程度にしか無かった気がした。
 そよぐ風。鳥の声。跳ねる水音。人々の談笑。
 ――――ただ、ただ懐かしい。
 言葉もわからない異国の地。
 だというのに不思議と懐かしさを感じることがこの数日間の中でも度々あった。
 肌を撫でる空気。空を行く雲。朧気に輝く太陽。賑わう街。全てが、懐かしかった。
 おかしな話だ。彼が民と交わることなどありもしなかったと言うのに。
 それだというのに、ジョンの心を締め付けるものがこの街にはあったのだ。

 瞠目してからどれくらいの時が過ぎただろうか。
 南中した太陽が雲の切れ間から光の舌を伸ばしてジョンの瞼を舐めた。
 顔を微かに顰めて意識を浮かび上がらせる。
 どうやら心地よさのあまり居眠りをしてしまっていたようだった。
 やってしまった。
 ため息をつきながら右の手で顔を覆った。
 と、その時、ふとすぐ側から自分を見つめる視線に気がついた。霊体化が解けていたのだとやっと気がついた。
 視線の主は座っているジョンの肩口に届くか届かないかくらいの幼子だった。
 腰元まで伸びた銀髪。つぶらな赤目。どこかウサギを思い浮かばせた。
「申し訳ないがどいてくれ。俺は直ちに仕事を始めなければならない」
 無駄だとはわかっているが言葉を発する。
 全く仕事というのも何やらおかしな表現だ。己はそれにすがるしか無いと言うのに。
 また自嘲をしながら足取りを進めようとする。
「しごと、なのに、ねて、いた、の?」
 その時ジョンの背中に思いがけない音が突き刺さった。
 言葉が通じないと思っていた。
 間違いなく異国の地であったはずの住人の喉から発せられたその発音はまさしく――――。
「……俺の言葉がわかるのか?」
「ちゅう、えいご。すこし、べんきょうした、ことがある」
 たどたどしいながらも彼女の言葉はジョンのものと同じものだった。
 驚きに染まったジョンに再び彼女は懐かしい発音を投げかける。
「ところで、そんな、ふるいことば、をつかう。あなたは、だれ?」

 ザイシャ=アンディライリー。
 それが彼女の名前だった。
 道すがら聞いた話によればジョンはある界隈の人々にとって注目の的だったらしい。
 それというのが魔術師という人種だった。
 なんでも彼らは幽体を視覚できるものも少なくないらしく、ここ数日間街を彷徨い歩くジョンの姿は筒抜けだったということだ。
 ただの浮遊霊にしては保有するマナが多かったこともあって戦々恐々としていた彼らがその解決法として雇ったのが彼女だという。
 なんでもザイシャは魔術師の端くれではあるもののどちらかと言えば彼らの使い走りに近いらしく、日頃から仕事を請け負ってはこなしているということだった。
 「これでも、わたし、うれっこ」
 拙い言葉で自慢げに言っていたのはジョンの記憶にも印象強く残っていた。

「きがえ、おわった?」
「ああ。済んでいるよ。大きさも悪くない」
「よかった」
 木陰の中にひょいと首を出すザイシャに、衣替えを終えたジョンは返事をした。
 彼の格好、つまりはボロ布のようなマントを纏った姿では街を歩けないとザイシャが持ってきたこの国の服に着替えるよう言われたためだ。
 サイズは少しばかり余裕があったが、小さいよりはマシだった。
 ザイシャは着替えを済ませた彼を眺めて満足気に頷くと手を取った。
「こっち、きて」
「……どこへ行くというのだ」
 警戒したような声色を見せたジョンにザイシャはキョトンと首を傾げた
「あなた、だれか、さがしてる。ちがう?」
「確かに探しているが……それがどうかしたか?」
「でも、いつも、おなじところ。あなた、あるいてる、ずっと」
「む……」
 ザイシャの言う通りだった。
 土地勘の無い彼にはこの一体全てが同じ景色に見えてどこをどう歩けばいいのか見当もつかなかったのだ。
 文字通り放浪してたのである。
「しかし、それがどうしたというのだ。お前は俺にこの服をよこした。なれば代償としてお前の役目を全うさせよう。それが契約だ。
 お前の仕事が俺を何処かに連れて行くことならば従う。しかしそれだとわからない。魔術師にしか見えぬのなら霊体化すればいい。服は必要ないだろう。何故だ?」
「ごめん、はやくて、ききとれない」
 男は心中で舌打ちをした。
 ザイシャという少女はとぼけているのか単純に聞き取れないのか。
 言葉が通じにくいということがもどかしかった。
「……要するに街を歩く理由を聞きたい」
「ああ、それなら、かんたん。あなた、だれか、さがしてる。それは、いい?」
「まぁそうだな」
「じゃあ、こうりつ、あげる、ひつよう。だから、まち、あんないする」
「は……?」
 つまりだ。
 ザイシャという娘はジョンのために街を案内しようと申し出ているわけだ。
 訳がわからない、というのが彼の正直な感想だった。
「だいじょうぶ」
 何を企んでいるのだろうと疑心暗鬼になっている男の心中に気がついたのかザイシャは付け足す。
「きょうの、しごと、じかんで、おかね、ふえる。あなた、あんない、する。わたし、おかね、もらえる」
「そういうことか……」
 緩く笑うザイシャを見下ろしながら安堵にも似た溜息。
「委細承知した。それでは案内を頼む」
 コクリと頷いてまたジョンの手を引く。
 今度は抵抗せずに足取りを進めた。

 それから数時間もの間、彼は少女に手を引かれていた。
 ザイシャが教える名前はどれも彼には馴染みのないものだったが、時折、やはりあの懐かしさが襲うのだ。
 そして、これが最後と連れてこられた建物でこの地特有の馬車――電車とザイシャは呼んでいた――に乗り、一時間ほどで目的地に到着した。
 ここはどこか彼は尋ねたが、彼女は黙りこくって手を引くばかりだった。
 プラットホームを出てすぐさま彼が感じたのは潮の匂い。
 もう、彼にも薄々わかっていた。
「ここ、ぜっけい」
 そう言ってザイシャは手を離す。
 ここはきっと港なのだろう。船らしき影が無数に停泊している。
 しかしこの場所が何なのかなんて既に彼にはどうでも良かった。
「――――――――ああ」
 感嘆の声が漏れる。
 そうだ。
 どうしていままで気が付かなかったのだろうか。
 ここは、この異国は――――。
「ドーヴァー、なのだな」
「うん」
「ここは、イングランドだったのだな」
「うん。いまはすこしなまえがながくなったけど」
 ザイシャの発音がこの海のように急に澄んだような気がした。
 波風をその一身に受ける。
 懐かしい。そんなの当たり前だ。
 この国はイングランド。彼が仮にも治めていた彼の"土地"。
 ドーヴァーから臨む景色は彼の時代から変わらず向こう岸を映していて、
 ――――ああ、これがどうして胸を締め付けないと言えようか!

「あのね、ジョン」
 郷愁に未だ震える彼にザイシャが囁く。
「私、嘘をついてた。本当はお給料のためなんかじゃないの」
「……………………」
「私はフリーランスの魔術師。一応名前は売れてる方だけど戦闘に特化してるわけでもないからそこまで稼げない。だから賭けに出たの」
「賭け?」
「そう。これから始まる聖杯戦争。そこにあなたのマスターとして参加できないかって」
「……どうしてそれを俺に話す」
 するとザイシャはバツの悪いように笑う。
「まあ結論から言うと諦めたからかな。ジョンってそこまで強そうには見えないし」
「身も蓋もないことを言うのだなザイシャ」
「あはは、ごめんごめん。でももう一つ理由があってね」
 愛想笑いを崩して少女は彼を見つめる。
 男もまたその視線をまっすぐ受け止めた。
「私、思ったんだ。こんなに嬉しそうに街を見てる人を戦いに巻き込みたくないって」
「嬉しそう……?」
「気づいてなかった? 公園でも、街中でも、ジョンは嬉しそうに笑ってたよ」
 まるで、やっとのこと故郷に帰れた人みたいにさ。
「故郷、か」
「そ、故郷」
 いつだっただろうか。
 ちょうど今のようにリチャードと海を眺めた事があった。
 どのようなきっかけでそうなったのかはまるで覚えてはいない。
 昔から仲の悪かったリチャードとジョンがそのように振る舞うなど今では想像もつかないというのに。
 しかし、ジリジリと痛むこの右手のように今でも鮮明に焼き付いているのだ。
 穏やかに、ただ穏やかに。
 言葉もなく、兄王と並んで、ただあの海を眺めた日のことを。
 あの時と同じように波は押し寄せては引いていく。
 途切れのない音はやはり昔と変わっていない。そのことに奇妙な心地よさを覚えた。

 その時だった。
「やっと追いついた!」
 無粋な声が波に揺らぐジョンの心を呼び戻す。
 振り向けば二人の少女がそこに立っていた。
 一方は夕日よりも深い赤をその瞳に湛え、同色の黒髪を後ろでまとめた気の強そうな少女。
 そしてもう一方は琥珀の瞳と黒髪、そして軽装鎧を身に着けた少女――――サーヴァントだった。
「あー、忘れてた……」
 やってしまったとばかりにザイシャが頭を抱える。
「もしやお前の仕事の依頼主とは」
「うん。あの二人。ジョンの名前もあの人達から聞いたんだ」
「ほう、俺の真名をか……」
 改めて二者に意識を向ける。
 と、その時。ドレッドの少女がザイシャに食って掛かった。
「ザイシャ=アンディライリー。アンタへの依頼にドーヴァーくんだりまで連れて行けだなんて一言もなかったはずよ。説明してくれるんでしょうね?」
「依頼人と言えど私のスタイルに口を出される言われは無いよ。そもそもそれを言うならサーヴァントだなんて教えられてない。説明を要求」
「え……? …………あっ」
「やっぱり言ってない。ただのゴーストだって騙された」
「…………じ、実体化自由にこなせるジョン欠地王なんてサーヴァントくらいしか思いつかないじゃないの!」
「あはは、うっかりしてたねエリカ」
「うるさいこのバカサーヴァント!」
 飄々と少女をからかい、対する少女は苛立ちをぶつける。夫婦漫才のようなやり取り。
 しかしその間もサーヴァントの少女はジョンへの警戒を怠っていなかった。
 常に一定の距離を測り、彼女のマスターを守りきれる位置取りを取り続けている。

「さて、と。本題に入ろうか。ジョン=ザ=ラックランド」
「ああ、俺もそのつもりだオデュッセウス」
 マスターを背に隠しながら彼の真名を告げた彼女――――オデュッセウスに同じく真名で返した。
 ぎょっとしたような彼女に彼は微笑みかける。
「何を驚くオデュッセウス。いや、アーチャー。お前が俺の真名を知っているんだ。俺がお前の名を知っていてもおかしくはないだろう」
「……やはりキミがそうだったのか」
 彼の右の手の甲に彼女は視線を落とした。
「そうなんだろう――――ルーラー」
「ご明察。お前の名前がわかったのもクラス特性によるものだ」
 ジョンの右手に刻まれた聖痕。
 それこそが令呪。サーヴァントへの絶対命令権。
 真名看破能力と令呪を持ち合わせていることが何よりの証拠だった。
 ――――ルーラークラス
 それは願いを持たないサーヴァント。
 ある特例によってのみ彼らは呼び出される。
 それこそは――――
「俺はずっと思い出せなかったのだ。どうしてここに呼ばれたか。なぜこうして誰かを探しているのか」
 ジョン=ザ=ラックランド。
 彼は本来願いを持っているはずの英霊だった。
 しかし先に勃発したオランダ聖杯戦争の中で彼の願いは召喚とともに叶えられるものであると発覚した。
 それが故に彼は、願いを持ちながら聖杯へかける願いを持たない曖昧な存在として、この曖昧な聖杯大戦へと呼ばれたのだ。
「俺を呼んだのが聖杯か、貴様か、それとも別の勢力なのか。それは俺にもわからん。しかしだオデュッセウス。何故俺がお前に逢いに来たかという問いへの答えはたった一つ」
 そして、イレギュラーなルーラー故に召喚時にバグが発生した。
 彼が現代の知識を持たず、現代の言葉を解し無かったのもその一例である。
 そんな彼が再度知識を同期させ、ルーラーとして目覚めた理由はただ一つだけであった。

「お前が、お前こそがこの戦争の発端にして中心であるからだ」

 この戦争の中心にはオデュッセウスがいる。
 オデュッセウスを狙うキルケー。そしてキルケーを座に返そうとするオデュッセウス。
 言わばこの二人の痴話喧嘩こそが聖杯大戦の全てだ。
 彼らの愛憎劇こそが、美しいイングランドを焦土へと還そうとする序曲なのだ。
 ――――なんと、馬鹿馬鹿しいことか。

「……キミには前回の記憶もあるのか?」
「ああ。お前たちが渦中であるが故にな。……なあオデュッセウス。俺は永劫の唯一が欲しかった。そう、欲しかったのだ。もう俺は永劫を二つも見つけたのだよ。
 一つはお前たちと邂逅したあの戦争。そこで見つけた俺の名だ。そして、もう一つには今先程気がついた。イングランド。かつて俺の土地だった国だ」
 故に、
「オデュッセウス、貴様がこのイングランドを。この土地を破壊しようとするならば。――――ルーラーではなくイングランド王だった者として貴様を弑する」
 宣誓する。
 彼女の好き勝手で自分の土地が奪われるならば、自分もまた好き勝手に彼女を破砕しようと。
「誓え、オデュッセウス。我が土地を、このイングランドを侵さぬと」
「…………いいだろう」
「やめなさいアーチャー!もしもこれがセルフギアスクロールの類なら――!」
 鋭い勘だ。ジョンは内心で苦笑する。
 彼女らと正規の聖杯戦争で戦えば刃が立たなかったかもしれない。
 そんなことを脳裏で描きながらもオデュッセウスをただ見据える。
「大丈夫だよ。エリカ。もしも呪いをかけられてもきっとどうにかなるって」
「アーチャー!」
「それに、さ。ボクだって何かを守るために戦ったんだ。この人の気持ちはよくわかる」
 そう言ってオデュッセウスは笑顔を引っ込め、ジョンの前に向き直った。
 曇りのない眼差しは続く言葉に嘘が無いことを如実に語っている。
「ジョン王、約束するよ。このオデュッセウスの真名と我が妻エリカに誓い、あなたの土地には決して手を出させないと」
 瞬間、ぴしりと空気が凍った。
 まるで硝子細工を叩きつけたような劈きが残響する。
 ――――ああ、これでオデュッセウスが誓約を破ることはないだろう。
「契約は為った。我が宝具『万天統べる法の楔』は法の概念によりその遵守を強制する。その誓い、ゆめゆめ忘れるなよオデュッセウス」
 それだけ言い残してジョンは彼らの元を去っていく。
 が、その背中をオデュッセウスが呼び止めた。
「どこに行くんだいジョン王? ルーラークラスなんて戦力、できればボクの仲間になって欲しいなーとか思ってるんだけど」
「役目はここまでだ。本来俺のクラス適正はルーラーにあらず。今の俺はお前に釘を刺すための即興品。
 目的が達せられた今はもう必要がない。俺にマスターというものが存在していない以上、おそらく明日の朝には霊核が解けるだろう」
「えー……じゃあ令呪だけ貰えないかな、なんて。ほら、ボクだけデメリット付きっていうのも釣り合い悪いでしょ?」
「…………本来は貴様だけに肩入れは出来ないのだがな。まあいいだろう。これほどの魔力が俺と共に消えるのはちと勿体無い」
「やたっ! エリカー! 令呪貰えるって!」
 ウキウキとマスターに駆け寄るオデュッセウス。
 しかしエリカの表情は暗い。まるで偏頭痛でもするかのようにこめかみを抑えている。
 不思議に思っているジョンの腰元を細い指先がちょいちょいと突いた。
「どうしたザイシャ。……ああ、そういえばお前には一日世話になった。感謝する。しかしお前に何か与えようにもこの剣くらいしか残っていなくてな……」
「ううん。こっちも楽しかったよジョン。あとお礼についてならそれでいいから」
「それ?」
 ザイシャの指先を追うとジョンの右手。
 その甲に刻まれた赤い聖痕を指差していた。
「令呪、といわれてもだザイシャ。残念ながらマスターではないお前には渡しようがない上に先約があってだな」
「それなら問題ないよジョン」
「む?」
「ほら、この契約書。簡易自己強制証明付きなんだけど」
「ふむ。『私、黒咲恵梨佳は対象から手に入りうるあらゆる礼装・魔術のみをザイシャ=アンディライリーへ報酬として与えます』か。普通ならタダ働きに近いな」
「ねえねえジョン。令呪ってこのカテゴリに入るよね? あ、使い道も大丈夫だよ」
 私って実は魔力食べて動く生き物なんだーと嬉しげに足をパタパタさせている。
 ジョンはエリカの頭痛の種を察しながらザイシャの行動を思い返し――――。
「……なあザイシャ。まさかお前最初から」
「さあどうでしょう?」
 とぼけたようにザイシャは微笑んだ。

「ところでさ、ジョン。あの誓いって結局のところどうなの?」
 気を落とした二人組が立ち去ってもジョンとザイシャはドーヴァーに残っていた。
 共に埠頭に座り込み、ジョンは思い出に自らを沈め、ザイシャは切り落とされた右腕を飴のように舐め舐め夜の海を眺めていたのだが、唐突にそんなことを尋ねた。
「あの時の音、あれ霊核に罅が入った音でしょ? 宝具じゃなくて」
「ほう、耳ざといなお前は」
「ふふふ、霊核って魔力の塊で腹持ち良さそうだから狙ってたんだよね」
「…………もしや令呪を渡さなければ俺が危なかったのか?まあ、お前の質問に答えるのならばイエスだ。
 俺の宝具は両者が等価値のものに誓わなければ発動しない。剣なら剣。名前なら名前というようにな」
「よかったの?」
「何がだ?」
「ジョンの好きなイングランド。守ってもらえないかもよ」
 真面目な表情でザイシャが覗き込んだ。
 他人を信用していない、しかしそれでいて優しい子なのだろう。
 彼女が自分を心配しているのかと思うと少し愉快な気分になった。
「……心配してあげてるのになんで笑うのさ」
「いや、今日一日だけの付き合いだがお前が他人を心配するほど殊勝な人格をしているとは思えなくてな」
「――――霊核食うぞ」
「そいつはやめてくれ」
「がおー!」
「ははは、愛いやつめ。腕のない右側から来るとはお前もなかなか――――おい待てザイシャ!お前っ!本気で噛み付くやつがあるか!」
「がおー!!」
 夜闇の中、互いに夜目が効かない状態のデスマッチが勃発。
 霊核破損済みの消えかけルーラーと魔力食い少女の攻防は続く。
 が、くんずほぐれつの暗闘も長くは続かず、心配症の朝日が上ってきてタオルを投げた。
「よしザイシャ止まれ!朝日が上ったぞ!ほら、令呪食べ終わらないと消えるぞ!」
「あ、しまった……。……仕方ない顎外そうか」
「顎……?って待ってザイシャ今人間から聞こえてはいけない音が聞こえたというか何その食べ方怖い怖い怖い怖い怖い!!」
「ごちそーさまでしたー。さ、ジョン。お待ちかねの朝日だよ。感動する?」
「お前のお陰で感動も何も浮かばぬわ!」
「それは良かった。可愛い女の子の顔が最後の記憶なら本望でしょ?」
「薪を飲み込んだ蛇みたいなのを俺は女の子とは呼びたくない……」
「霊核抉る?」
「なんでもないぞザイシャ」
 東の水平線から徐々に輝きが持ち上がり、ジョンの姿も薄れる。
 時間が来たのだ。
「そういえばザイシャ、先程の質問についてだが」
「それが?」
「アイツは例えギアスに縛られてなかろうとこのイギリスを守るだろうさ。アレは紛れもない英雄なのだからな」
「そういうものなの?」
「ああ。俺とは違ってな」
 微かに寂しさの混ざる薄笑い。
 そんな彼に向かってザイシャは薬指を立てて押し付けた。
「ザイシャ……?」
「極東のおまじない。こうして指を絡めて約束事をして針を飲ませるんだって」
「針を飲ませるのか……極東の者たちは頭がオカシイのだな」
「そんなわけで、はい」
「……針は飲まんぞ」
「飲まなくていいからやろうよ」
 左手の指を絡める。
「何を誓うのだ?」
「じゃあジョンが立派な英雄になれるように。正義の味方みたいな」
「もうちょっと達成目標が低いものに出来ないか……」
「うーん……じゃあ困ってる女の子助けるとか」
「あ、ではそれで頼む」
 指切りげんまん。
 ザイシャのハミングとともに指が揺らされ。
 そしてハミングの終わりとともにすり抜けた。
「あらら外れちゃった」
「そうだな。どうやら時間のようだ、丸一日済まなかったなザイシャ」
「こちらこそ。結構楽しかったよローマの休日みたいで」
「よくわからんが楽しかったなら俺も嬉しい」
「じゃあね。ジョン」
「さらばだザイシャ」
 波間に朝日が反射する。
 そのチラツキに混じり消える男の姿に一つだけ尋ねた。
「ねえジョン。最後に聞いておきたいんだけど守るのってイングランドじゃなかったの?」
 オデュッセウスに彼が誓わせたのはイングランドの守護。
 だと言うのに彼はオデュッセウスが"イギリス"を守るだろうと言ったのだ。
 虚をつかれたようなジョンは、しかし軽薄に笑いながらこう続ける。
「何を言ってるんだザイシャ! 他はともかくイングランドに危機が訪れたら兄上が墓から出て俺諸共外敵をぶっ飛ばすに決まってるだろう!
 兄上はあの誉れ高き獅子心王ことリチャード! ギリシャだかペルシアだか知らんが兄上に劣るだろう英雄共に任せるのはイングランド以外だ!
 ああ、もしお前が兄上を返り討ちにしてイングランドを荒れ野に帰せるものがいると本気で思っているのなら一度腕のいい医者にかかることを勧めておこう!」
「うわ、別れのムード台無し」
「ははっ! 最後に兄上の話が印象に残るというのなら幸せだろうさ!」
 旋風が舞い上がる。
 飛沫を上げた波の中に彼の姿は消えていった。

「……馬鹿だなジョン。あなただって例え領地じゃなくてもイギリスを守るでしょうに」
 一人残されたザイシャはウンと伸びをしながら、ただ、思い返す。
 獅子心王を讃え、自分よりも兄を覚えておけと言外に述べたジョンを。
 きっと理由なくとも英国とその民を守ったであろう英雄(オデュッセウス)、その姿をどんなに明るい星よりも眩しそうに見つめていた瞳を。
 凪ぎゆく海風と波。上りきった太陽が朝を告げる。
 服に付着した砂埃を払ってザイシャは埠頭を後にする。
「さて、ネグラにでも帰って今日は一日中寝ますか!」
 頬をくすぐる旋風の残滓を感じながら少女はロンドン行きの列車へと歩みを急がせた。
 もしも夢で逢ったら今度こそ、あの煮えきらなさごと食べてやろうなんて思いながら。


『extra_opening "a vow of his domain"』――――END.


 そして、荒野の男は本を閉じた。
 自動で消えるという使い勝手の悪さに守護者としても呼び出されない自分に残された記録はこの二篇。
 でも、彼にとってはそれだけのヒントで十分だ。
 ふと立ち上がる。ざざりと足元の砂が軋みを上げた。
 ――――永劫の唯一が欲しかった。
 失い、零れる運命の中で、決して無くさない何かが。
 欲しくて、欲しくて、たまらなくて。
 でも、あの狂乱の鎖の中でも簡単にわかったのだ。
 永遠かつたった一つの何かなんて、案外そこら辺に転がっているのだと。
 かつてこの荒野は牢獄だった。
 今の荒野は果たしてどうなのだろうか?
 自問しながら歩みを進め、舞い踊る旋風へと踏み込んでいく。
 渦の中からはやはり誰かの呼び声が聞こえて――――。
「いいだろう――――この俺が応えよう!」
 宣誓する。
 満面の笑みと共に喜びを溢れさせて。
 また何か大切なものに気づくため。
 欠地の王は、新たな土地へと飛び込んでいった。
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このページへのコメント

20170428/19:32
オデュの呼称を修正 遅れてごめんね…

0
Posted by 書いた人 2017年04月28日(金) 19:34:07 返信

補足しておくと時系列はプロローグ→阿蘭陀→SS→エピローグの順番です。ですから憔悴ジョンはバサジョンが答えを得る前、SSは答えを一つ得た後と言うことになります。あと勝手にルーラーにしちゃいましたが所詮は即興作りのため新しく正規のルーラー出てもいいと思います!

0
Posted by 書いた人 2016年11月15日(火) 09:25:37 返信

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http://www.hajimeteno.ne.jp/dhtml/dist/js06.html

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