最終更新: nevadakagemiya 2019年03月10日(日) 23:45:13履歴
ハロウィンは苦手だ。
戸を叩く音は幾度耳にしただろうか。溜息をついて本を閉じた私は残り少なくなってきた袋入りのクッキーを手に取ると扉を開ける。
「Trick or Treat!」
思い思いの仮装に身を包んだ子供のサーヴァントたちが雛鳥のようにプレゼントを求める。私が少し屈んで彼らが掲げるカボチャのバケツにクッキーを押し込むと、波を引くようにキャッキャッとはしゃぐ声が遠ざかっていく。
戸を締めて、私は冷めた紅茶を一口含み、本を開く。
ノック音。また溜息をついた。
今日は始終その繰り返しだ。スパンの長短はあれど気の休まる余裕もない。静かに、落ち着いた時間を過ごすことを是とする私にとって、このイベントは軽度の拷問のようなものだ。避けたはずの喧騒が向こうからやってきては苛立ちも募るばかり。我ながら、自分の狭量ぶりには呆れる限りだ。
備え付けの時計を覗き見る。時刻は午後18時ちょうど。小一時間もすれば食堂でハロウィンパーティが始まり、お菓子を食べすぎて夕飯が入らなくなった子どもたちが叱られることになるだろう。その後はくちくなって眠気に揺蕩ってみたり、仲の良いもので集まって子供だけの秘密の茶会を開いたり、或いは、誰かに楽しかった今日の話をするのだろう。私の静寂が蘇るまで、あと少しの我慢だ。
気がつけば焼いてきたクッキーもすっかり売れてしまっていた。子どもたちの数より少し余裕が出るように用意したはずだったが、思いの外誤差は小さかったようで、残っていたのは半端に包装が潰れた包みが一つだけ。
これはプレゼントにはできない。どうせ、子どもたちには行き渡っているだろうからと、私はリボンを外して紙袋を開くと、二枚組のクッキーを一枚口に運ぶ。ポッシュ・ド・サブレ風の生地がサクサクと口中で解け、記事に混ぜたバニラがほんのりと香った。
手前味噌だがやはり美味しく出来ている。もう一枚、今度はココアパウダーを混ぜた黒いクッキーを口に含んで転がし、カカオの残り香を冷めた紅茶と一緒に飲み干した。
ほう、と一息ついたその時、また扉が数度叩かれた。ただし、今回は扉の向こうの気配は少ないから、集団ではなく一人だけのようだ。
──しまった。
ハロウィンの贈り物はたった今私の喉を滑り落ちていってしまった。慌てて部屋の中に代わりになりそうな物が無いか記憶を探ってみるが、茶菓子のストックはウィスキーボンボンくらいのもので、到底子供に与えるような菓子ではない。軽率な行動を酷く後悔した。
いっそ居留守を使ってやろうかと思ったが、催促するようにノックは繰り返される。仕方なく、贈り物を貰えなかった子供をどう慰めようかと半ば憂鬱気味な思考を巡らせながら、私は扉を開いた。
「Trick or Treat!」
「ごめんなさい。お菓子はちょうど切れてしま…何やってるんですか前斎宮」
「えへへー。和風魔女です」
「貴女子供じゃないでしょう…紛らわしい…」
思わぬ知り合いの来訪に、頭痛を堪えるように目を覆う。先程の憂鬱とは別方面に鬱憤が募る。真面目に悩んでいた自分が酷く滑稽に思えて、同時に八つ当たりに似た反発心が溜まりに溜まった苛立ちをスパークさせる。
「あ、もしかしてお菓子ないんですか? それなら是非是非イタズラで──」
「貴女にはこれで十分です」
冷たい眼差しで前斎宮を見下ろし、額に向けて思い切り中指を弾いた。へにゃっ、と妙な声を出した前斎宮は額を押さえて蹲る。
私は涙目の彼女を一瞥すると部屋に回れ右する。
「そういえば前斎宮、貴女、ウィスキーボンボンは嫌いでしたか?」
「いえ。んー、好きか嫌いかで言えば、まあ好きかな」
「それではお入りなさい。紅茶を淹れましょう。ハロウィンの贈り物を貰う歳でもありませんが、大人には大人なりの楽しみがあるものです」
「では、おねーさまに招待されてあげましょう!」
「なんで変に偉そうなんですか貴女。締め出しますよ」
「あ、お菓子くれるっていったのに! ルール違反! イタズラしますよイタズラ!」
「私の部屋では私が法です」
「横暴はんたーい!」
軽口を叩き合いながら私は客人をもてなす用意を始める。鬱屈はいつの間にか晴れていた。
ハロウィンは苦手だ。が、苦手は苦手なりに楽しみを探すのも良いのかも知れないと、そんな事を思った。
◆
その頬はほんの少し綻んでいて。
戸を叩く音は幾度耳にしただろうか。溜息をついて本を閉じた私は残り少なくなってきた袋入りのクッキーを手に取ると扉を開ける。
「Trick or Treat!」
思い思いの仮装に身を包んだ子供のサーヴァントたちが雛鳥のようにプレゼントを求める。私が少し屈んで彼らが掲げるカボチャのバケツにクッキーを押し込むと、波を引くようにキャッキャッとはしゃぐ声が遠ざかっていく。
戸を締めて、私は冷めた紅茶を一口含み、本を開く。
ノック音。また溜息をついた。
今日は始終その繰り返しだ。スパンの長短はあれど気の休まる余裕もない。静かに、落ち着いた時間を過ごすことを是とする私にとって、このイベントは軽度の拷問のようなものだ。避けたはずの喧騒が向こうからやってきては苛立ちも募るばかり。我ながら、自分の狭量ぶりには呆れる限りだ。
備え付けの時計を覗き見る。時刻は午後18時ちょうど。小一時間もすれば食堂でハロウィンパーティが始まり、お菓子を食べすぎて夕飯が入らなくなった子どもたちが叱られることになるだろう。その後はくちくなって眠気に揺蕩ってみたり、仲の良いもので集まって子供だけの秘密の茶会を開いたり、或いは、誰かに楽しかった今日の話をするのだろう。私の静寂が蘇るまで、あと少しの我慢だ。
気がつけば焼いてきたクッキーもすっかり売れてしまっていた。子どもたちの数より少し余裕が出るように用意したはずだったが、思いの外誤差は小さかったようで、残っていたのは半端に包装が潰れた包みが一つだけ。
これはプレゼントにはできない。どうせ、子どもたちには行き渡っているだろうからと、私はリボンを外して紙袋を開くと、二枚組のクッキーを一枚口に運ぶ。ポッシュ・ド・サブレ風の生地がサクサクと口中で解け、記事に混ぜたバニラがほんのりと香った。
手前味噌だがやはり美味しく出来ている。もう一枚、今度はココアパウダーを混ぜた黒いクッキーを口に含んで転がし、カカオの残り香を冷めた紅茶と一緒に飲み干した。
ほう、と一息ついたその時、また扉が数度叩かれた。ただし、今回は扉の向こうの気配は少ないから、集団ではなく一人だけのようだ。
──しまった。
ハロウィンの贈り物はたった今私の喉を滑り落ちていってしまった。慌てて部屋の中に代わりになりそうな物が無いか記憶を探ってみるが、茶菓子のストックはウィスキーボンボンくらいのもので、到底子供に与えるような菓子ではない。軽率な行動を酷く後悔した。
いっそ居留守を使ってやろうかと思ったが、催促するようにノックは繰り返される。仕方なく、贈り物を貰えなかった子供をどう慰めようかと半ば憂鬱気味な思考を巡らせながら、私は扉を開いた。
「Trick or Treat!」
「ごめんなさい。お菓子はちょうど切れてしま…何やってるんですか前斎宮」
「えへへー。和風魔女です」
「貴女子供じゃないでしょう…紛らわしい…」
思わぬ知り合いの来訪に、頭痛を堪えるように目を覆う。先程の憂鬱とは別方面に鬱憤が募る。真面目に悩んでいた自分が酷く滑稽に思えて、同時に八つ当たりに似た反発心が溜まりに溜まった苛立ちをスパークさせる。
「あ、もしかしてお菓子ないんですか? それなら是非是非イタズラで──」
「貴女にはこれで十分です」
冷たい眼差しで前斎宮を見下ろし、額に向けて思い切り中指を弾いた。へにゃっ、と妙な声を出した前斎宮は額を押さえて蹲る。
私は涙目の彼女を一瞥すると部屋に回れ右する。
「そういえば前斎宮、貴女、ウィスキーボンボンは嫌いでしたか?」
「いえ。んー、好きか嫌いかで言えば、まあ好きかな」
「それではお入りなさい。紅茶を淹れましょう。ハロウィンの贈り物を貰う歳でもありませんが、大人には大人なりの楽しみがあるものです」
「では、おねーさまに招待されてあげましょう!」
「なんで変に偉そうなんですか貴女。締め出しますよ」
「あ、お菓子くれるっていったのに! ルール違反! イタズラしますよイタズラ!」
「私の部屋では私が法です」
「横暴はんたーい!」
軽口を叩き合いながら私は客人をもてなす用意を始める。鬱屈はいつの間にか晴れていた。
ハロウィンは苦手だ。が、苦手は苦手なりに楽しみを探すのも良いのかも知れないと、そんな事を思った。
◆
その頬はほんの少し綻んでいて。
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