最終更新:ID:VuGy40dbDg 2020年06月14日(日) 21:07:11履歴
覚えているのは、血に染まった景色だけだった。
塵芥のように死んでいく人々と、その血飛沫が視界を染め上げる。
つんざくような叫び声が耳障りに響き渡る。命乞い、罵り、阿鼻叫喚、聞き分けるも馬鹿馬鹿しい程の数多の叫び。
それが、戦場という名の地獄だ。それ以上でもそれ以下でもない。ただ痛みと、憎悪と、叫び、そして死が渦巻く場所。
戦士の凱旋など何処にもなく、栄光に輝かしき勝利など何処にもない。ましてや誉れ高き清廉なる戦など、存在しない。
それを俺は、眼前で焼き付けた。全身で味わった。全霊を以てして、思い知った。
◆
最初こそ俺は、疑念を抱いた。"何故俺は殺す"と。
ウルバヌス2世は言った。正義は我らに或ると。だが、此処に正義などは在りはしない。
叫び、痛み、血飛沫、殺意、憎悪、怒り────これのどこが聖地だ。これのどこが、乳と蜜の流れる土地カナンだ?
我らが行っているのは聖地の奪還なのか? 本当に? 我らが行いは、ただ悪戯に命を奪う悪の所業ではないのかと。おれは思考した。
イスラム教。聞けば我らと同じ神を崇める信徒。されど小さな綻びゆえに、我らは歩む道を違え、そして互いに憎い合い、こうして血を流すに至っている。
『正義の相反は、また別の正義』────そう謡った男がいた。
十字教、イスラム教、我らの違いは何処に或る? 同じ神を信じ、違う道を歩む者。其処にどんな隔たりがある?
相手に正義があるのならば、我らが行いは悪であろう。其処に本当に、正義はあるのか?
そう俺は俺の在り方を疑いながら歩み続けた。俺は俺の生き方を悩みながら、殺し続けた。
血に染まった己の両腕が、何度も悪夢として俺を苛ませた。これが本当に正しい事なのか、と。
どこまで行っても、あるのは唯々、殺戮、虐殺、鏖殺────。何処まで行ってもあるのは、掛け値なしの地獄のみだった。
当然だ。これは戦なのだから。命が失われぬ戦などありはせず、戦が起きれば命が散る。
そして────命が散れば、その何倍もの悲哀が吹き荒れる。
「何故殺した」と問う者がいた。
「お前たちのせいで」と罵る者がいた。
「悪魔どもが」と憎む者がいた。
────────────俺は、俺が正義だと、答えることは出来なかった。
◆
何が為に進軍する。
何が為に剣を振るう。
何が為に俺の身は、異端の血に染まる?
唯々殺し続け、穿ち続け、切り裂き続け────殺戮の荒野に、ただ一人俺は歩み続けた。
大勢の十字軍が俺の後に続き異教徒を、異端を、異民族を殺し続けた。だが────どれだけの仲間を率いても、俺は独りだった。
何の為に俺たちは殺す? 誰かにそう問うても「神の為」と言い、誰も彼もが盲目的に、神の為だと正義の為だと、口を揃えては俺を崇める。
「お前は十字軍の誇りだ」と
違う。
違う。
違う、違う違う!!
誇りなど戦場にあるものか! 誉れなど我らにあるものか!!
命乞いをする異教徒を殺すのが正義か!? 隣人たる者どもを殺すのが正しいのか!?
それが我らの正義だというのならば────神は何故、我らを産み落とした────ッ!?
憎み合わせる為に、殺し合わせる為に、我らが神は我らを作ったというのか!!
どれだけ慟哭をしたとて、俺を勇者だと崇める者どもには届かないだろう。
同じ神を信じながらも、互いを信じる事を知らない者たち。そんな空虚なる魂に、この声は届かない。
ただただ自らの盲目も疑わずに、与えられた信仰を崇めるだけの行為に、果たして命があるといえるのか?
────────そんな人間たちの為に、俺は殺戮を働いたというのか?
違う、と。俺は俺を否定する。
何のために戦った、と問われたならば────嗚呼、答えよう。
上っ面も、信仰も、外聞も、戒律も、ありとあらゆる総てを捨て去って、俺が何の為に戦ったかを答えよう。
俺は俺自身の迷いを断ち切るかのように、その答えを受け入れた。
俺は、俺の為に戦ってきた。
俺の信じる者の為だけに、戦ってきた。
正義の為? 違う。そんな物はまやかしだ。集団の数だけ正義がある。
いや、言ってしまえば────人の数だけ正義がある。ただそれらの最大公約数が、人々の、そして国家の正義となるだけだ。
故に俺は、俺の正義の為に戦い続けてきた。ああ受け入れよう。嘘も、偽りも、建前も総て捨て去って、愚かしくも声高に叫ぼう。
俺は俺の為に戦った。俺の信じる神の子の遺物の為に、それを異教徒どもから、異端共から守るために、人を殺し続けたのだと。
なればどうする?
俺が神の子の遺した異物の為に血に染まったと言うのなれば、俺は如何とする?
答えは明白だ────この俺の殺戮を、無意味にしないためにも守り続けるだけだ。
神の子は杯を遺した。神の子は十字架を遺した。
神の子は槍を遺した。神の子は聖骸布を遺した。
神の子は────────その生涯の全てを賭け、教えを我らに遺した。
その全てを俺は、命を賭して、いや、命を失った後も、永劫に守り続けると誓おう。
この手により流れた数多の血を無駄にしない。永劫に俺は神の子の遺物の為に、殺し(まもり)続けるとこの剣に誓う。
故に俺は、聖なる墳墓の守護者となった。
その守護者としての在り方はやがて世界へと召し上げられた。
そして俺は────、神の子が遺したものを悪用せんと世界の敵となる、異端共を殺戮する存在となった。
世界の機構、抑止の守護者、人は数多の名で呼ぶが、俺からすればどれも変わらない。ただ俺が守ると誓ったものを守り続けているだけの事。
全人類が信じる神はただ一つ。変わらぬ大いなる主であるが────人は幾千年経とうと、争いをやめず、己が利益を貪り続ける。
その果てに世界すらも飲み込まんとする大欲を抱き、神の子の遺物に手を伸ばす異端を、俺は殺し続けている。
それは永劫に終わらぬ、孤独なる十字軍。
カナンはとうに消え失せた。十字の旗は失われた。それでも俺は、この殺戮の荒野という名の墳墓に独り立つ。
この戦場に立ち続けた事で受けた怒りを、憎悪を、怨嗟を、俺はその全てを我が身で引き受けると約束しよう。
異端は俺が殺した。異教徒は俺が屠った。なればこそ、その殺戮による怨嗟は俺一人が受けるに相応しい。
俺は俺の為に殺し続けた。ならば俺だけを憎め。俺だけを恨め。
その怒りを、悲哀を、俺は永劫に背負い続けよう。
十字架を背負うなどと烏滸がましい事は言わない。
ただ同情なく
ただ理解もなく
俺は己の為だけに、お前たちを殺すのだから。
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