最終更新:ID:/yE2X4ZuEA 2020年10月11日(日) 01:26:40履歴
前回までのあらすじ
突如として、時間と空間が入り混じるという事件に巻き込まれたモザイク市。
喪失帯や泥濘の新宿といった異世界が混ざり合う中、渾沌とする世界の中で異変を解決して回るタイタス・クロウと人々が出会う。
モザイク市の御幣島亨やヴァイスといった面々はタイタスと情報を交換し、突如として現れた喪失帯出身の少女ヴィクティ・トランスロードと共に異変解決に乗り出す。
特異点である泥濘の新宿に迷い込んだ御幣島亨とヴィクティ・トランスロード。
両面宿儺と酒呑童子の戦闘に巻き込まれ、壊れてゆく町に錯乱したヴィクティはその魔力を暴走させてしまう。
だが謎のパピヨンの協力を得たタイタスの宝具によって収束し、御幣島とヴィクティ、そして雪二香澄と両面宿儺らが土夏市に合流した。
土夏市でタイタスは、この世界が混ざった理由は人理渾然という事件であると説明する。
そうして、この混ざった世界で悪事を働こうとするナイアルトホッテプこそがタイタスらの追うべき真の敵だと説明。
その名を出すと同時に土夏市に突如として出現するナイルと名乗る神父。さらにそこに土夏のライダー、坂上田村麻呂が現れ、
今ここに全ての役者がそろう事となった。
◆ □ ◆
「噂をすれば影が差す……役者は全員揃ったようですね」
ニィ、とナイルがその現れた2人を見て、笑った。
彼が笑うと同時に、周囲に満ちる禍々しい魔力は一段と激しく励起していた。
そんな余裕に笑うナイルを、複数人の歴戦の英雄たちとそのマスターが見据える。
ある者は拳を握り締め、ある者は剣を構え、ある者は詠唱を唱えその手で術式を結んだ。
彼らは皆揃って、ナイルの放つ禍々しくも悍ましき魔力に対して毅然と態度を崩さず、臨戦態勢を崩さずにいた。
理由は簡単な話だ。彼らからすれば、ナイルという男は未知ではあれど倒すべき存在。そのようなものに恐怖などしていられない。
それは彼らのマスターも同じこと。多くの戦いと修羅場を潜り抜けた英霊が隣にいる、共に戦うという自負があるからこそ、彼らはナイルに恐れを抱かなかった。
「………………何、なの……? あれ……」
だがそんな彼らの中に1人例外がいた。その例外は声を震わせながら疑問符を口にした。
その少女の名は、慶田紗矢。彼女はここ土夏市にモザイク市横浜から迷い込んだ少女である。
彼女は此処にいるマスターたちのようにサーヴァントをもってはいるが、現在連れてはいない。彼女は自分のサーヴァントと距離を置いているのだ。
戦う術となるサーヴァントを、彼女は連れていない。だからこそ彼女は此処に立つマスターの中で1人恐怖にさらされていた。
彼女がサーヴァントを連れていない理由は、彼女の過去に由来する。
彼女はかつては、神戸という町に住んでいた。大きな戦争を超え、世界が再編された後彼女の住んでいた町は発展した。
その発展に伴うように、人々は聖杯という新しい力を得た。そんな中で彼女は、変わった世界に着いていくべきと度の過ぎた教育を強いた。
まるで何かに焦るように彼女の両親は、娘である彼女に令呪や聖杯を使いこなすように何度も何度も厳しい言葉を投げた。
だが彼女がどれだけ努力をしても、彼女のサーヴァントは召喚されなかった。
理由は分からない────────というよりそもそも、聖杯が個人個人に宿ってからサーヴァントが召喚されるまでの期間は個人差があった。
だからこそ彼女を攻めるのはお門違いと言うべき両親ではあったが……。彼女はそのすぐ後に、神戸の凄鋼暴走の事故に巻き込まれる。
かろうじて生き延びた彼女であったが、事故のトラウマで心を砕かれていた彼女を待っていたのはデマゴーグによるバッシングだった。
友を置いて逃げ出しただの、自分1人だけ助かっただの、ある事ない事を不特定多数に囁かれ、彼女は親からも見捨てられて1人になった。
そんな過去があった故だろう。彼女が"普通"に拘るのは。彼女は今自分が"マイナス"にあると信じている。だからこそ人を助け続ければ、
"プラス"を重ね続ければ"普通(ゼロ)"に戻れると信じ続けている。聖杯も、令呪も、『普通じゃない』として、彼女は嫌っているのだ。
加えて彼女のサーヴァントが、神戸の凄鋼暴走よりも時が経った時期に召喚された事も、彼女とサーヴァントの距離に関係している。
彼女のサーヴァントは、彼女がバッシングを受け初め1人となり、逃げるように横浜へと移り住み、やがて月夜に灯る狂人の夢を見るようになってから、やっと召喚された。
自分の目の前に現れたサーヴァントに、彼女はたった一言告げた。
「遅すぎるよ」と。
それが、彼女が自分のサーヴァントと交わした、最初で最後の言葉である。
彼女にとって、英雄とは困っている人を救う存在だと思っていた。だが現実は違った。
自分がどれだけ困っても、英雄は来てくれない。例え来てくれたとしても、全てが手遅れになってからという事もあり得るのだと。
そう彼女は自分のサーヴァントを通して理解した。だから彼女は、自分のサーヴァントを拒絶しているし、嫌っているし、憎んでいた。
フォーリナーという通常有り得ない、即ち『普通じゃない』クラスであることも一因となり、彼女は自分のサーヴァントから距離を置いているのだ。
故にこの場に立つ彼女を言葉に表すのならば、戦場で武器持たぬ赤子というが相応しい。
目の前の未知なる存在であるナイルに対し、対抗する術を、武器を、仲間をもたない。頼れる相手がいない。
それは何よりも恐怖すべき事実であった。
「(どうしよう……何なのあの人……怖い……怖い、怖い!!)」
「(私のフォーリナーと同じ魔力を感じるし……"何もわかんない"……!
真っ暗な洞穴を見ちゃったみたいに何もわかんない…………!!)」
紗矢は怯えていた。人数で言えば自分たちの方が有利のはず。
なのに震えと悪寒が止まらない。恐怖と言う感情が思考を汚染して飲み込んで、理性を蝕むような錯覚すら覚える。
それは例えるのなら、脳髄の内側に蛆が無数に湧き出て正気と言う名の脳漿を啜っているかのような不快感を彼女に抱かせた。
だが
「大丈夫」
震える彼女の手を握り、そして彼女を守るように、彼女の前に立つ影があった。
「大丈夫、心配しなくていいよ。紗矢ちゃん」
「コーダ…………さん………」
彼女の隣にいた、同じようにモザイク市の横浜から土夏市へ迷い込んだ青年、
コーダ・ラインゴルトは周囲の英霊やそのマスターたちのように、毅然とした態度でナイルの姿を見据えていた。
その姿を見て、彼に握られる手のぬくもりを感じるとともに、彼女は自らの脳を覆っていた恐怖が薄れてゆくのを感じていた。
だが同時に、紗矢は不思議でならなかった。何故彼は、こんなにも強いのか、と。何故こんなにも強くあれるのか、と。
思えば彼の出身や実態は未だに分かっていない。モザイク市の中で旧令呪を持ち、加えてモザイク市についても知らない。
もしかしたら彼も、タイタスの言ったような混ざった世界の住人なのではないかと紗矢は考えた。ならば自分と同じように、未知に怯えるものではないのか、とも。
だが彼は怯える様子なく毅然として立っている。その理由が紗矢には分からない。だが、その立つ背は彼女の眼にとても頼もしく映った。
「ありがとう……ございます。
すみません。その、怖がり過ぎちゃって」
「いいよ。とはいえまだ危険だ。油断はしないように」
「はい……」
そう紗矢を導くように言い、手を引いてサーヴァントたちの背後へと連れていくコーダ。
紗矢はそんな彼の手を握り返し、臨戦態勢となるサーヴァントたちに隠れるようにコーダと行動を共にした。
◆
「オイ、こいつは一体どういう状況だ?」
土夏市に一団体を形成しているマスターとサーヴァントの集団を前にして、坂上田村麻呂が問いを投げかけた。
彼は土夏市にて幕を開いた聖杯戦争にライダーのクラスとして呼ばれたサーヴァントである。故に、土夏で感じた魔力の異常を辿ってここまで来た。
するとどうであろうか。聖杯戦争の定員である7を優に超えるほどのサーヴァントとマスターがこの場に集っているではないか。
当然、初代征夷大将軍として様々な場面を潜り抜けた経験豊富な彼であっても、疑問符の1つや2つ上げたくなるものである。
「テメェら……さっき聖杯を探っていた黒づくめの仲間か何かか?」
「………………」
田村麻呂がこの集団を見て一番に想起したのは、昨夜に戦闘した漆黒の衣服に身を包んだ男だった。
サーヴァントの追跡すらも振り払う魔術に長けた人間。田村麻呂は彼を聖杯を調査に来た外部の魔術師だと思っていた。
その彼が、仲間として何らかの裏技を用いてサーヴァントを召喚した魔術師を集めたのかと考えた。
だが見る限り、邪悪な気配を纏っているのは集団が対峙している浅黒い肌の男だというのは田村麻呂の直感で理解できた。
多くの修羅場や戦場を潜り抜けた彼には、どういった存在が異常なのかなど匂いで分かる。浅黒い肌の神父はそういう意味では分かりやすい。
うさん臭さが服を着て歩いているかのような気配しかなかった。どうやらそれは、田村麻呂のマスターである赤コートも同じことを考えていたようだ。
「────。────」
「ふぅーむ……お前はそう思うかマスター」
「────────。────────────」
「ま、そうだな。ダメで元々だしな」
何か言葉をいくつか呟いて田村麻呂と会話をする赤いコートのマスター。
タイタスらが距離が遠いため、その言葉を聞き取ろうとしても美味く聞き取ることは出来ない。
その言葉に数度田村麻呂は頷くと、瞬きよりも早く移動しタイタスの目の前へと現れる。
「────────ッ……。この聖杯戦争に召喚された、ライダーか」
「ああそうだ。真名は言わないでおくがな」
その放つ気迫は、凄まじい圧であった。
精密に掘られた仏像や石像と言った類が意志をもったとしたらこのような圧を放つのだろう、とタイタスは感じた。
正直に答えろと一言だけ告げた上で、坂上田村麻呂はタイタスに対して質問を放った。
「お前らは何だ? 何故ここ土夏に来た?」
「俺は抑止力の使者として、ここ土夏で発生している異変を収束しにやってきた。
こいつらはその手伝いとしてやってきただけだ。責任は俺1人にある」
「その異変っていうのは聖杯戦争に関係があることか?」
「あるともいえるし、無いともいえる。黒幕はあいつだ」
タイタスが顎で浅黒い肌の神父……ナイルと名乗った男を差す。
ナイルは田村麻呂を見ながらンッフッフッフッフ……と不気味に笑うのみである。
田村麻呂からすればそれだけで十分だった。なるほど、と一言呟くと同時に、推測が確信に変わったかのように大きく頷く。
「あいつがこの土地の聖杯で何か企んでいる。
あいつをぶっ倒せば、アンタの召喚された聖杯戦争は正常に戻るよ」
「ほう、そいつは分かりやすいな。理解したぜ。あいつをぶん殴ればいいんだな」
グギリ、ゴギ、と指を鳴らしながら田村麻呂は弓を構えて臨戦態勢に入った。
その姿を見てナイルは肩を竦め、まるで通販番組の司会のようにうさん臭く鼻で笑う。
「おやおや……彼が嘘をついていると思わないのですか?
そう疑う事を知らないと、あとで苦労することになりますよ? 名も知らぬ英霊殿?」
「あ? 簡単だよ。お前を信じるよりこいつを信じる方が俺の直感に合う。それだけの話だ」
「なるほどそれは、仕様のない。ンッフッフッフッフ」
「けっ、不気味な野郎だな」
吐き捨てるように田村麻呂が言う。嫌悪感の込められている視線であった。
だがそんなことは気にもせず、ナイルはただ不気味に微笑み続けている。
そんなナイルに舌打ちをする田村麻呂の背後に、遅れて彼のマスターである赤いコートの人影がトトト……と駆け寄った。
「ライダー、状況はどうです?
私はなんとなくこっちの人たちが正しいかなと思ったんですがあってました?」
「ああ、まぁあっちのは胡散臭さの塊みてぇなやつだからな。10人が10人あいつを怪しがるだろうよ」
「……分かりました。……あの人を、斬ればいいんですね」
不気味な笑みを浮かべ続けるナイルを赤いコートのマスターが見据える。
その笑みに苛立ちを覚えたのか、赤コートは懐からナイフのような礼装を取り出して臨戦態勢となった。
同時にコートのフードが風でめくれ、眼鏡をかけた少女の素顔が明らかになる。そんな彼女を田村麻呂は肩を掴んで制止した。
「いやお前待て待て。いきなり出る奴があるか迂闊に攻撃するのは危険だ」
「ライダーがそう言うのなら……。あ、自己紹介とかした方がいいでしょうか?
不肖軽井沢、お力になれることなら何でも…あ、いや倫理の許す限りでお手伝いはいたしますよ!
倫理とは言っても聖杯戦争なら普通の殺人まではセーフってなっちゃんが……あれ? これ聖杯戦争にカウントされるんでしょうか?
もしカウントされないなら殺人他色々で捕まるような事だけはどうかご勘弁を……軽井沢にも家族がいるんです……。というわけでよろしくお願いいたします!」
「あー……うん。よろしく」
タイタスが間の抜けた声で頷き、そして唖然とした表情のままに差し出された手を握る。
周囲にいる他のマスターやサーヴァントの大半もそのような状況だったからだ。理由は軽井沢と名乗った少女にある。
田村麻呂の威圧感とは相克に位置するような少女が、その手に礼装と思しきナイフを持って臨戦態勢を取りつつ、
その口ではいたって普通の少女と変わらない口調で会話をしてくるのだから。言うならば、ギャップで風邪をひきそうという状態に近かった。
とはいえ協力者が増えるのはありがたいと、タイタスは気合を入れナイルを睨み付けながら田村麻呂へと問う。
「とりあえず、協力してくれるって解釈で良いんスかね。征夷大将軍様」
「おうよ。あいつが何かしでかす前にぶちのめせばいいんだろ? 簡単じゃあないか。その話、乗ってやるぜ」
「……何か、する、前に?」
田村麻呂の言葉を聞いて、ナイルはニィとその口を三日月状に吊り上げて、その笑みを尖らせた。
「残念ですが、"事はもう既に終わっていますよ"」
そう呟くと同時に、土夏に集いし英霊とマスターたち全員の足元に、不気味に輝く文様が出現した。
◆
「さて……こんな所か」
御幣島とヴィクティ、そして宿儺達のいなくなった新宿にて、竜狩りのランサーが一息つく。
タイタスの宝具により彼らと、この新宿に突如として出現した酒呑童子が去った新宿にて民衆の避難を誘導していたのだ。
同時に新宿に残党として残った酒呑童子の率いていた鬼どもを討伐し終えたというのが今の彼女の状況だ。
「しかし……人理渾然下とは言えこうも異変が多いと苦労が絶えない。
だが今はあのカルデアからの喧しい陰陽師の通信も無いし、安心と言えるだろう」
ハァと短く息を吐き、漆黒に淀んだ空を見やる竜狩り。
コキリと首を鳴らしながら、今は別の世界にて様々な事象に取り組んでいるであろう抑止力の仲間、タイタスを思う。
「あいつだけでは心配だが、あの卑弥呼がついていれば安心だろう。
ひとまずの所は、心配はいらんと思おうか……」
そんな中、1つ懸念があった。あのヴィクティ・トランスロードと呼ばれた少女の持っていた力だ。
彼女の持つ力は喪失帯という本来ならば有り得ない泡沫の異世界の常識、即ち本来ならばこの世界に存在しない力だ。
通常であれば対抗する術はこの世界に存在しない。今回はうまく対処が出来たが、1つの懸念が竜狩りにはあった。
「あの少女がこの世界に迷い込んだ理由……おそらく何か、きっとあるはずだ」
「もし、あの少女の持っていた力の法則を敵が利用するような事があれば……やもすれば、勝ち目はないかもしれん」
◆
「ちっ……術式が励起し始めた!! 召喚でも行う気か!」
「はぁ!? 何が召喚されるってんだ? こんなえげつねぇ淀んだ魔力、大獄丸を思い出すほどだぞ!?」
「もう止める事は出来ないのです。せめてもの憐れみとして、教授して差し上げましょう」
「必要ないィ!!」
両面宿儺がその腕を極大に変化させナイルを叩き潰す。
だがしかし、まるで幻影のようにナイルの像はブレたかと思えば、即座にその姿を両面宿儺の背後に出現させる。
「無駄ですよ。今の私はとある概念と融和している状態にあります。
私を倒すと言うのは、1つの言葉をこの世界から消し去ることと等しい程に難しいでしょう」
「概念? 言葉? 何を────────」
「……………………言、霊?」
そのナイルの言い放った言葉を聞いて、ヴィクティが1つの概念に思い当たる。
彼女はナイルが出現してからというもの、どこか懐かしくもある気配を1つ感じ続けていた。
ナイルの放つ悍ましい魔力により掻き消されていたが、彼の言葉によってその気配の正体に彼女は気づいたのだ。
「言霊?」
「言葉そのものに宿る力、ですな」
「はい。私がいた……えっと、世界? では言葉が力になるんです。
力が凄い言葉はそれそのものが意志を持って実体化もすることがあって、ひょっとしたら……あの人はそれを利用しているのかも」
「ンッフッフッフッフ、ご明察ですよ」
手をゆっくりと叩きながら、ニヤついてヴィクティをナイルは称賛する。
そして同時に彼は語り始める。彼が利用したのは確かに、エノキアン・アエティールと呼ばれる喪失帯の"言霊"という幻想基盤であると。
言葉そのものが力になる幻想基盤を用いる事で、自分自身を不滅の存在に変える事を実現させたのだという。
「ほら、私はなんにでもなれますからね。言葉に成るのも簡単でしたよ。
この幻想基盤と繋げるために、あるルーンを用いれる英霊に協力いただきましたがね」
「……………………ルーン?」
「嘘くせぇな。お前はそもそも不滅に等しいだろうが。答えろよ。まだ何か企んでるんだろ?」
「────────流石は幾度となく"私たち"を追い詰めた男。良くご存じですね」
そう言うと、ナイルはパンと手を軽く叩いた。
同時に巻き起こる魔力の奔流。周囲に渦巻いていた肌に触る魔力が凄まじい勢いでナイルの周囲へと集まって往く。
そしてその集まった魔力は、次第に目に見える漆黒の粒子へと変貌してゆき、やがてその粒子は人型へと昇華されていった。
「私が本当に欲しかったのは、"これ"ですよ。"これ"に実体を持つ霊基を与えたかったのです。
そのためには言霊という幻想基盤は非常に都合のいいものでした。何故なら信仰が集えば、どのような言葉だって肉体を持てるのですから」
「信仰……!? しかし、彼が本当に外から来た神だとしたら、そんな大きな信仰や思いが向けられるなど……!」
「誰が、私を霊基(カタチ)にすると言いました? 私はここに確かに存在する」
「ならば一体────────!!」
そう言いかけて、ヴァイスは周囲に満ちる漆黒の魔力の正体に気付いた。
酷く悍ましく、酷く吐き気がこみあげて、それでいて理解できる。彼はその意味を理解できた。
ヴァイスはこの魔力を────いや、感情を知っている。
「この魔力……まさか……具現化した……感情? ……恐怖!?」
「正解ですよ。意外でしたね。実体化する以前に気付くものがいましたとは」
「感情に関してならば……王として立てと創り出された程度には、精通していますからね」
強がりながらも、ヴァイスは小刻みに震えていた。彼は感情を誰よりも理解できるよう調整された、王器という存在1人だ。
人を導く為に作られた王器の中でもとりわけ感情を理解することに長ける故に、この魔力を恐怖だと理解することは出来た。
だがそれは逆に言えば、彼はこの夥しい量の恐怖という存在の影響を大きく受ける事でもあった。
だが彼は毅然として立ち、ナイルの企みを考察して、言葉にし、そして暴いてゆく。
「……恐怖という感情を、貴方は具現化しようとしているのですね……。
それも……これは、何か魔力によって……増幅させている……?」
「ご明察です。そのために選んだのがこの地ですよ。土夏────今まで5度の聖杯戦争が行われたこの恵まれた霊地。
かつてこの地で、とある一柱の憐れな神が召喚され、この地の聖杯が汚染されてしまったのが全ての始まりでした」
「………………………汚染、だと?」
田村麻呂が眉をしかめる。彼のマスターはまだ言霊などの概念を理解できていないのか首をかしげている。
その田村麻呂を嘲笑うように、ナイルは口端を吊り上げながら言う。
「ええ、貴方が願いを求めて召喚された聖杯など、願いを叶える力など無いのですよ。
いえあると言えばありますが────それは、出力の調整などできない、無制限の魔力を孕んでいる。"みしゃくじ"という、ね」
「みしゃぐじ……旧信濃国、特に諏訪地方での尊崇が篤い土着神ですな」
「詳しいですね」
「俺の知識からでは、何故そうなるかを理解することはできませんが。こうなっとる以上は、そういうものなんでしょう」
御幣島が歯噛みしながら言う。
その表情を愉快気に眺め、ナイルは自分の行った"召喚"の最後のパーツを口にする。
「ここまで言えばわかるでしょう。分かった上で、"どうしようもない"という、絶望が貴方の思考を覆い尽くすはずです」
「無限とすら言える出力の壊れた魔力……それで恐怖という感情を増幅させ、そして言霊という基盤で実体化させるわけかよ!!」
「その通り」
「だが解せんな。いくら異なる世界の基盤を用いたとしてもこの地上に顕現させるのは無理があるだろう。
拒絶が起きるはずだ。加えて……恐怖で覆い尽くすと言っても、その触媒はどう用意した?」
宿儺がグギリ、とその手の骨を鳴らしながらナイルへと問う。
宿儺はいうならば、呪いそのものといえる。だからこそ暴威の化身と言える存在でありながらこういった術式には詳しい。
加え、この召喚に"恐怖"という負の感情が関わっているが故に、負の感情を起点とする呪いの王たる彼は、即座にその矛盾に気付いた。
基盤を基として実体化させるのならば、まずその基盤が根付いた地でなくてはならない。そして感情を増幅させるなら、その感情に満ちた群衆がいるという事に。
「ええ。それが苦労しました。ですが1つ……1つだけ、
まるで空いたパズルのピースを埋めるかのように、ちょうどいい形の構成要素が転がっていたのですよ」
そう言ってナイルは、コーダの背後に隠れるように立つ少女を見た。
ナイルと目が合った少女────慶田紗矢はその悍ましさにビクリと肩を震わせ、"恐怖"する。
同時に、その後にナイルの放った言葉により、更に彼女の恐怖は増す事となる。
「ルナティクス、というものをご存じですか?」
「………………何度か聞いたことがある。狂人集団だろ」
「僕は……彼らを追うと決め、御苑に発とうとしていた所です」
「なるほど。では彼らがその狂気を、ある一定の精神領域で共有しているという事は?」
「………………」
ナイルの言葉に応えたタイタスとヴァイスが、揃って沈黙をする。
一方で、彼らの背後に立つ少女、慶田紗矢はそのナイルの放った言葉に全て覚えがあった。ルナティクスという言葉、日々夢に見る狂人たちの集う夢。
その全てが彼女の知っている────否、一員としてあるものだったからだ。故に彼女は、恐ろしくてたまらなかった。
まるで自分と言う存在が、ナイルに見透かされているように思えたからだ。
「その精神領域にまず、この土夏市のみしゃくじの魔力を一滴だけ流し込んだのですよ。
同時に、堕天使と呼ばれた存在の翼片で方向性を定めました。恐怖せよと────ただそれだけ。
ええ、元より狂気に身を落とした人間たちの精神領域……即座に染まってくれましたよ。際限のない恐怖の狂気……。
ンッフッフッフッフ…………………あえて名付けるのならば、"狂怖"とでも、呼びましょうか」
「なら……それが今こうして顕現しようとしている理由はなんだ!!!」
「簡単な話ですよ。協力者がいただけの話です」
田村麻呂が何とかその召喚を防ごうと、弓矢の雨を集う漆黒の魔力やナイルへと向ける。
同時にタイタスや卑弥呼、両面宿儺もまたナイルへと攻撃を行う。土夏の霊脈へと干渉を行う者もいた。
だが既に、みしゃくじという際限のない魔力によって後押しされた恐怖の感情は止まることを知らずにいた。
そんな彼らの無力さを嘲笑うように、ナイルはその両腕を拡げて高揚しながら言葉を続けた。
「この地の常識という名のテクスチャを薄れさせ、そして幻想基盤を嵌め込む手伝いをした英霊がいたのですよ。
ええ、彼はよくやってくれました。彼がいなければ"狂怖"の召喚は成り立たなかったでしょう! 彼に感謝したいですよ。
本当に────────かの魚貌のフォーリナーには、ね」
「………………フォーリナー……魚貌……?」
紗矢は、背筋が凍るような恐怖を感じた。
氷柱を脊髄に突き刺されたかのような悍ましい恐怖が全身を支配する。
彼女は魚貌のフォーリナーを知っている。きっと、彼女が関わっている英霊の誰よりも、その存在を知っている。
何故なら、魚のような風貌のフォーリナーという特徴は、ピッタリ彼女の召喚したサーヴァントと一致する故だ。
いや、違う。そんなはずが無い。自分のサーヴァントが、こんな事態に加担するはずが無いと。
まるで根拠のない言葉を彼女は頭を抑えながら言い聞かせる。もし、自分のサーヴァントがこの事件に加担していたとなれば────。
それはあの日のように、自分が此処にいる全ての人から責められるに違いないと。そんな経験からくる直感が彼女の脳裏を支配していた。
だからこそ願う。違ってくれ。自分の英霊の責任でないで欲しい。どうか無関係であって欲しい、と。
だが、真実は残酷に彼女を嘲笑う。
「オーベット・マーシュ。彼を召喚してくれて、本当に感謝しますよ。慶田紗矢」
「────あ……ぁああ、あああ……………!!」
嫌な予感が、現実となる。自分はまた、普通(ゼロ)から遠ざかっていくと、紗矢は心から絶望した。
また責め立てられる。また地獄(マイナス)へと自分は落ちていくんだと────────恐怖が彼女を、ルナティクスの心を、支配した。
そして同時に
漆黒に染まった、黒より昏き"狂怖"が、人型を成す。
キャハハハハハハ
ケケケケ キャハハハハハハ
ゲタゲタゲタゲタ ヒヒヒヒヒ
アハハハハハハハ
ギャハハハハ
カカカカ クケケケケケケ
ヒャホホホホホホホホ
嘲笑が響き渡る。恐怖を生み出す、群衆の声が支配する。
そして、暗黒に包まれし領域は晴れ渡り、"それ"は姿を現した。
「▅█▅▇▂█▅▂▇▂▇█▇▂█▅█▅▂▇...」
痩駆の人間であった。触れればそのままへし折れそうなほどに、弱い人間の肉体をしていた。
簡素な布で作り上げたかのような衣服と、まるで全てを拒絶するかのように耳と目を覆った細長い布が特徴的な人間だった。
だが最も悍ましきは、その身に纏う布にあった。
無数の目があった。無数の口があった。そしてその全てが、等しく生きているかのように蠢いていた。
眼は周囲に立つ英霊達を観察するように動き、そして口は全てをあざ笑うかのような笑い声を響かせ続けていた。
言葉とも言い表す事の出来ない、人の神経に本能的な拒絶を訴える声。
例えるのならば金属同士を擦り合わせた音を呟きながら、"それ"は周囲を見渡す。
「なんだ…………こいつは……?」
初代征夷大将軍は、その悍ましい見た目に驚嘆を隠せずにいた。
「面白い……。鬼種の王の次は、恐怖そのものと来たか」
呪いの王は、その目の前に出現した"それ"を値定めるように微笑んだ。
「下がっていてください、御幣島さん。……力の限り、食い止めます」
邪馬台国の女王が、鬼道の詠唱を唱えて最大限の準備を整えた。
「マスター・ヴァイス。最悪の場合は、貴方だけでもお逃げください」
理想の英雄が、その霊基の全てを用いてこの場を止めると誓いを挙げた。
「………………………」
言霊を宿す少女は、ただ静かにその拳を握り締めた。その拳の周囲には、僅かではあったが紫電は迸った。
「…………………どうなっている」
彼らが戦いをその胸に誓う中で1人。神殺しだけが、冷や汗をその額に流していた。
「霊基数値だけでも……グランドサーヴァントに匹敵する……だと……?」
「────────▇ア▂▂▂....」
「ア█ア▂アア▅ア█▂ア▇ア▅ア▅ア▂ア▅アア█ア▅ア▂ア▅ア▂アア█ア▅ア▅アア▂ァァ█ァ▅ァァ▂ァァ█▂ァァ▅ァァ▅ァ▂ァ
ァ▅ア█ア▇ア█ア▂アア▇ア█アア▅ア▇ア▂アア▅ァァ█▇ァァ▇ァァ▂アア█アア▂アアア!!!!!!!!!!!!!!」
"狂怖"が、その全霊を以てして叫び声を上げた。
その声はまるで、この世界に我在りと叫ぶ、赤子の産声のように、世界中に響き渡っていた。
to be continued...→
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