最終更新:ID:x8TYx/aAEQ 2020年05月20日(水) 22:07:21履歴
第零幕 分かたれた運命
黄昏の日が採光窓から降り注ぐ。
細かく千切れた橙色の光が辺りを照らし、彼女たちの姿を明瞭なものとしていた。
傷ついた真紅の鎧に身を包んだ女性と、
黒く染まり壁にもたれかかる少年。
いや、それは本来青かっただろうか。
かつて鮮やかな青で染められた外套も、清廉なる白でまとめられた軍装も、全て真っ黒に塗り潰され汚れている。
それは苦痛と、怨嗟と、絶望の色だ。
side B:It deserve to be a life
流れる黒を辿り、時間を巻き戻す。
赤い女、ランサーのサーヴァント、パーシヴァルの記憶が流れていく。
「日本」を名乗る一派による、各モザイク市のカレンシリーズに対するクーデターから、全ての状況は一変した。
モザイク市の機能を統括するカレンを抑えられ、頭を「日本」にすげ替えられた事態に多くの都市が混乱し、
過去の国家模様に則した都市の再編と同化政策により、かつてのモザイク市のカラーは急激に失われつつあった。
故に、これまでのモザイク模様の都市で生まれた者達のレジスタンス活動は、次第に総力戦の様相を呈してきた。
そして、敗れた。実態の掴めぬ、天上の「星」を誰一人撃ち落とせなかった。
今、レジスタンス達は敗走の最中にある。
一部のメンバーが脱出を企て、ある者は逃げ切り、ある者は再び捕まった。
散り散りになった仲間の行先も判然としないまま、旗印であったアルスは自ら殿として追手と戦った。
そこで、限界が訪れた。
今、小さな王の肉体の腕に、背中に、頭に。割れた結晶のような黒い物質が、その表皮を破るように突出している。
―――「継承の王」のスタッフ達は、それを牙と呼んでいた。
王を王たらしめるピース。規範とすべき王の在り方を模倣するための触媒―――海中より引き揚げられたオリジナルの遺物。
アルスに埋め込まれた遺物の本来の衝動を抑え込むため、設けられたリミッターこそが牙の本質であった。
それはアルスが更なる力を引き出そうとした時―――無力の絶望が、暴力の欲求に転じた時、体内から這い出ていく。
パーシヴァルは、それを良く知っていた。
十三の牙、嵐の王を封ずる楔。最果てに至る輝きを、無理やり槍の形に押し込んだ神造兵装。
かの聖剣の製作者、湖の乙女さえ苦心した、最も強力にして苛烈な武具。
聖槍ロンゴミニアド。
その成れの果て、暗い魂に汚れたそれが、制御を失い宿主を喰らい始めていた。
どぼり、どぼりと、重い音を立てながらタール状の黒い液が流量を増していく。
さながらアルスという人形にホースを刺して流し込むかのように、その体躯を超えた質量のタールが傷口から、口から、目からも溢れ出した。
パーシヴァルの足元にまで広がった泥に触れるたびに、それは凍え、抉り、魂までも黒く侵していく。
本来持つ彼女の性質でさえ、泥の効力に抗うことは叶わない。それだけの怨嗟の澱みが、いま正に暴発の瀬戸際にある。
「―――っ」
正に地獄の様相。直視することさえ心が砕けそうになる。
だが、眼を逸らすことはできない。黒泥に浸かった脚を立たせ、右手に槍を握らせる。
―――いずれ、この状況に至ることは予期されていた。それを止める手立てを、パーシヴァルは心得ていた。
主が秘する呪いに落ちた時、絶対に止めてみせると。
澱みの呪いが主の身より溢れ、主を操り、この世へ這い出して全てを侵食する前に、
そのまま、主も呪いも、諸共に刺し貫いて殺す。
「……パー、シヴァル」
泥に汚れた顔を起こし、アルスが口を開く。
「約束を……覚えて、いるか」
「―――はい」
「頼む……最早、腕一本も動かせぬ。そなたに頼るしか……」
力なく咳き込み、泥の塊を吐き出した。
―――槍を握る手が震える。
「余が……消えて、しまう前に……余を……」
「……主……」
眼に光はなく、アルス/XXXIという少年の自我は急速に薄れていく。
―――表情が、手脚が硬直する。
「―――余を、殺して、くれ」
だからその前に、終幕を。自らの命を投げ打って、ここに滅びを防ぐ。
―――心を、凍りつかせる。
迷うな。
こうすると決めたのだから。
主に、アルスくんに誓いを立てたのだから。
脳裏に溢れる情報を踏みつぶし、アルスに向かってパーシヴァルが歩を進めていく。
一歩ずつ、ゆっくりと、槍で突き殺せる距離まで近寄り―――
そのまま、ゆっくりとアルスを抱きしめた。
泥に表皮を灼かれる感覚を味わいながらも、緩めることなく腕に力を込める。
「大丈夫です、アルスくん。必ず約束を―――私の使命を果たしてみせます」
「そして―――」
「絶対に、助けるから」
その言葉を、小さな少年は知覚しただろうか。
それを確認する間もなく、
アルスの肉体が、衝撃波を伴って破裂した。
逃げ込んだ廃棄区画の一部を轟音が揺らし、黒い魔力の嵐が空気を引き裂く。
パーシヴァルの身体が爆心地のアルスから引き剥がされ、コンクリートの地面に転がった。
「―――ぐっ……!アルスくん!!!」
すぐに身体を起こし、アルスの方に眼を向ける。
そこに、
『――――――――――――』
絶望がいた。
漆黒の外套と漆黒の鎧。髪も肌も冷たいほどに白く、眼球は金に輝き―――しかし何も映さない。
全身は黒泥で濡れて、突出していた牙は、まるで捻れた角のごとく形状を変化させている。
それは子供の絵本に出てくる魔王のようであり、あらゆる人が抱く恐怖の象徴を一点に集めたようでもあった。
『―――――――――――――』
言葉はない。
アルスのそれを象った表情は幽鬼のようで、暗い穴となった眼孔をパーシヴァルに向けていた。
「――――――」
暫し立ち尽くす。
間に合わなかった。
全ては懸念された通り。槍に封じられていた何者かが、黒い泥の正体が、アルスの肉体を支配している。
その事実を確信したパーシヴァルは、しかしそれを受け入れるかのように、
「この時を待っていました。我が王よ」
「王が我が主の内より、絶望と共に姿を顕す瞬間を」
片膝をつき、深く首を垂れる。
実態が何であれ、パーシヴァルは目の前の存在が、かつて仕えたアーサー王―――その一つであると感じ取っていた。
彼の叙勲を受けた騎士の一人。少なくとも、そういった一生を歩んだパーシヴァルを内包する存在として、礼を表す。
『――――――』
それを黒いアルスはどう感じたのか。凍りついた表情からは窺えない。
歩を進め、パーシヴァルに歩み寄る。いや、あるいは彼女を見ることなく先に進もうとする。
その瞬間、白亜の槍の穂先を、目の前の黒き王へ突きつけた。
「―――あなたを倒し、アルス君を解放するために!」
そう、だからこそ手を出さなかった。
それは主に手をかけることを避けた自己保身ではなく、今の主よりかつての王へ鞍替えしたのでもない。
最初から、パーシヴァルはこの選択に賭けていた。アルスの内に封じられた王の闇を、直接打ち倒さんと。
瞳に決意を込める。その眼を、騎士王の眼球が一瞥した。
『――――――――――――』
真意を見透かすように、揺れぬ視線がパーシヴァルを捉えた。
赤い騎士と、黒の王が立ち合う。
パーシヴァルの握る白亜の槍が光を増し、同時に、アルスの手に黒い影のような槍が顕れた。
「―――揮え」
『―――■■■』
「
『
そして、白と黒が衝突した。
いつか、この景色を見たような気がする。
タールの海。そう表現する他ないほどに、ただ重く黒い液体が満ち、他には何もない。
空もまた同じ色に染まり、水平線は同色に隠れて判然としない。あるいは、空というものが存在しないようにも見えた。
そこに幼い少年が、アルスがいた。ゆっくり起き上がった身体には、直前までの損傷は見られない。
まだ意識がはっきりとせず、ぼんやりと辺りを見回す。すると、
『目覚めたか』
知らないはずなのに、知っている声が聞こえてきた。そしていつの間にか、アルスの眼前に声の主が立っている。
漆黒の鎧と外套。色の抜け落ちた髪と肌、鈍い金の眼。
そして、どことなくアルスと似た顔で、冷たい表情を浮かべた男。
知らないはずなのに、アルスは彼のことを、これまで関わってきた誰よりも知っているような気がした。
「―――そなたは、何者だ」
『アーサー・ペンドラゴン。……より正確にはお前に与えられた槍に残された、アーサーの意思の残滓だ』
「違う。そなたが、誉れ高き騎士王であるはずがない」
『それは正しくないとも、正しいとも言えるな。私はアーサーではあるが、騎士王と呼ばれる存在ではない』
『私は絶望の王。かつて砕けた夢の残滓であり―――』
『お前の終焉に立つ、未来のお前自身だ』
廃棄区画。
時の流れは人に、都市に変化をもたらし、不要となった区画は忘れ去られる。
カレンシリーズのシステムから逸れたそこを好き好んで覗く者は無く、多少崩壊しようが人々の目に触れることは無い。
しかし、区画の基礎フレームが叩き切られる衝撃に誰も気づかなかったのは、奇跡と呼んで差し支えないだろう。
崩壊するコンクリートの岩盤を跳躍し、迫りくる海面から逃れたパーシヴァルが、左手に保持した赤槍を投射する。
これが最後の一本。魔力を込め放ったそれは光り輝き、致命の威力を以って黒衣の少年に迫った。
『――――――』
少年―――絶望王アルスは、それを避けようともしない。
先程から感情を一切見せない表情が揺らぐことは無く、ただその手に握る黒い影を、少しだけ動かした。
そして、赤い槍はそのまま消えた。
いや、それだけではない。
同時に絶望王の姿が掻き消える。直視するよりも速く、パーシヴァルはその場から離れようと飛び出した。
直後に彼女の左肩が裂け、胸骨まで真っすぐ断たれた切断面から、魔力の鮮血が噴き出した。
「―――っ!」
姿勢を崩したまま崩壊する区画の残存部に転がり落ち、飛び散った自身の血だまりの中に身を沈める。
沸騰するような痛みを無視して、残量少ない魔力で主要な骨格のみを接合。何とか立ち上がる余力を確保した。
眼前には、先ほど消滅した絶望王の姿が。
―――最果ての槍。その影を映した絶望王の槍は、空間を自在に切り裂き、接合する。
自身と相手との空白を切って繋げば間合いは消滅し、相手の攻撃を空間の切れ目に飲み込ませればそれ自体を無効化できる。
そして、空間ごと相手を裂く攻撃に対して、空間に支配された尋常の守りも回避もまるで意味を為さない。
攻防において、武装の差は絶対的だ。それでも尚戦闘を継続できる理由があるとすれば、
「(……やはり、「あのアルス君は未来を読んでこない」。まだ、あの中で、王に抗っている―――!)」
本来ならば、辛うじて回避する事すら叶わず霊核を両断されていた。
サーヴァントのパーシヴァルは、無数のイフにおけるそれぞれのパーシヴァルが複雑に混ざり合っている。
その中に出会った王の姿もまた、イフによって異なる姿を示した。それは幼い少女の姿であり、また槍携えた女性の王であり、
そして、この絶望王アルスから感じ取る王の形も、パーシヴァルは知っていた。
真に脅威であるのは空間を裂く槍のみならず、あらゆる武具・ブリテンの秘宝を収めた武器庫。攻防一体の魔力放出。
そして、完全な未来視を実現する規格外の直感。如何に手を撃とうとも、運命を掌握されて勝つ術など存在しない。
しかし現実はそうではない。槍の他に武器を見せる様子はなく、直感が読む範囲は―――アルスが持つ予測演算クラスタの程度を逸脱していない。
まだ絶望王は、アルスの全てを支配していない。未だ彼の身体と、彼の能力に頼らざるを得ない。
―――そして、完全な同化もまた、成されてはいない。
「―――後少し……もっと近くに……!」
最後に残った、白亜の槍を構えなおす。
ならば、諦めることなどありえない。主があの中で戦い続けている。だというのに騎士である自分が折れるはずがあろうか。
今はまだ、逆転の一手を打つ瞬間を待ち続ける。
再び、黒泥の海。
黒一色の世界に変化はなく―――先に繰り広げられた戦いの波紋さえ、残ることは無い。
いいや。それは、戦いではなく、
『よくぞ―――何ら勝機など無く、よく私に挑んだ。その蛮勇には敬意を表する』
「…………」
ただ、一方的に打ちのめされるばかりであった。
己の心の内で剣を握り、立ち向かおうとしたアルスは、しかしあらゆる要素において絶望王に敵うものは無かった。
ただ攻撃を躱され、その度に空を裂く斬撃を浴びせられる。予測演算クラスタなど児戯に等しく、それはまるで未来予知そのものであった。
本来であれば身体が十数にも分割されていただろう。未だ人の形を残しているのは、戯れで加減をされたに過ぎない。
『そして、あえて問う。何故だ?お前が今まで行った全ては無為であるというのに』
「決まって、いるであろう……」
虫の息であっても、ここは心の内。折れるまで心は死なない。
全身を赤黒く汚したアルスが、苦し気な声を荒げる。
「そなたを、余は止めねばならぬ……なんと、してでも……!」
『何故だ?私は民を苦しませないために』
「どの口がそれを言うか!!」
血反吐の代わりに、黒い泥を零した。
自身の肉体―――ここでは精神を象徴するヒトガタが汚染される様を感じながらも、アルスは吠える。
「ここが余の心の内であるならば、余にはそなたの心が見える!人々の苦悩と、怨嗟と、絶望を煮詰めたこの泥を、外へと解き放つつもりであろう!!」
「これは最早人のみならず、草木も石も鉄も呪いつくす。万物を蝕む毒である!一度広がれば止める術はない……!」
「そなたの存在が、この世界を滅ぼし得る!それだけは決してあってはならんのだ!!」
絶望。
アルスが覗いた、絶望王の中に潜む心はただそれのみに染まっている。
誰かを破滅させたい。自分を破滅させたい。数多のデストルドーを一点に集め、煮詰めて生まれた、指向性無き破壊の泥。
それに呑まれてしまえば、アルスの身体を通して溢れた泥がモザイク市を、そして世界を焼くことになる。
日本による統治と文化の均質化など最早問題にもならない。文字通りあらゆる命と物質が、自死を選んでしまうのだから。
『―――そうだな』
『やはり、お前は私と同じだ』
その様に何ら感情も込めず、男はそう言い捨てた。
「何を言って、―――!?」
アルスの言葉が詰まった。
絶望王の姿が、いつの間にか黒いアルスの姿に変わっている。自身と同じ姿の表情は、やはり亡者の如く暗い。
『私には視える。戦いの中でなくとも、常に未来を感じ取れる。その点では、私はお前以上にお前を理解している』
放たれる言葉を、跳ねのけることが出来ない。
まるで心臓を鷲掴みにされたような冷たい感覚が背筋を走る。
『お前に王の形は未だ完成していない―――そして、これからも。ただ漠然と、全て幸福であれと願うだけの者に、現実は応えない』
黒いアルスは語り続ける。
それは未来の現実の話。今は未熟な王の未来は、進むべき道が無ければ未熟のまま。そして、決断とは都合よく降りかかるとは限らない。
『いずれお前は世界を背負う。少なくとも、王器と呼ばれるお前たち全員にその未来はあり得る。―――そして同時に、世界を背負う責任が生まれる』
『お前はあらゆる世界の問題を押し付けられるだろう。歪んだ支配、止まぬ外敵と朽ち往く大地。世界はお前の敵となる』
『そして、全て背負いつくそうとしても―――何時かは道を断たれる時が来る』
「継承の王」が始めた、この世界の統治者を決める戦い。ある意味では、「日本」もその候補と言えるかもしれない。
いずれにせよ、統治は言葉のように易しくなどない。無数の想定外が想定を崩し、多くを失い続ける。
これまでの戦いで、守り切れず失って、自らの敗北によって無意味となったきた命のように。
紡ぐ言葉の中で、道を断たれるという言葉に、重力を伴う実感が籠っていた。
『私は、とうにそれを諦めた』
脳まで黒く染まった感覚が滲む。震える口先で、微かに尋ねた。
「道を、断たれる……?」
『例えば、そう。仮にこの世界が―――』
口元が微かに動き、
その言葉を聞き取って、理解した瞬間。アルスの眼が見開かれた。
「それは―――それは、一体どういうことだ……!!」
『ただの例え話だ。だが―――』
『この世界で、一体何を成すか。その問いに答えろ、小さき器よ』
『その言葉が、お前の運命を決める』
一方的に、王は裁定を下した。
受け入れることすら難しい、その「もしも」に自身の結論を示す。そして、その答えにこそ自身の運命を委ねる。
答えを裁く刃は、眼前にまで迫っていた。
廃棄区画の戦いが、終幕に向けて動き出す。
接近の隙を探るパーシヴァルに対して、絶望王の動きは次第に鋭く最適化されていく。まるで、アルスとの同一化が進んだかのように。
繰り返される攻防の中で、次々とパーシヴァルの霊基が削られ、四肢の形を失っていく。
「―――!!」
既に魔力は底を尽きかけ、マスターであるアルスの肉体を掌握されている以上回復は望めない。
血染めのパーシヴァルが疾駆する。
これが最後のチャンス―――漸く、道が見えた。
絶望王にとっては、それは無策の突撃に見えただろう。真の力を取り戻していなければ。
パーシヴァルに止めを刺すために、黒い槍を動かそうとする。
その瞬間を、彼女は待っていた。
「――――――そこだ!!!」
白い槍を輝かせ、光の波が地面を走る。
枯渇寸前の魔力で放った攻撃。十全な状態のそれにはまるで及ばない威力に過ぎないが、放つことさえできればいい。
攻撃はそのまま地面を、絶望王の足元を破壊した。
そう、絶望王はこの攻撃を消さなかった―――打ち消しが間に合わなかった。
真に強力な武器には、それ相応の適性が求められる。
アルスの肉体、彼の力相応の直感では、常に最適な形で槍を扱うことはできない。故に、打ち消しの一手をパーシヴァルへの攻撃に回した。
その瞬間を狙われたのだ。
仮に直撃のコースであれば、魔力防御で防ぐこともできただろう。しかし足場を崩され、今度は移動に槍の機能が割り振られる。
槍を動かす間に、赤い騎士は限界まで距離を詰めた。
そして、白亜の槍の穂先が、黒いアルスの肉体を貫通して空を指した。
『―――大丈夫』
『ほんのわずかな間だけど、力を貸してあげれる』
戦いの直前。脳裏に声が走った。
『―――
『■■回帰、反応認められず』『封印深度-2.7、反転■■i、更なる■■顕現傾向を確認』
『―――鋳造者■■■■■■の提言受託、特例措置手順に基づき、機構「
『強制封鎖までの制限時間、人類認識■■■秒。解放タイミングを■■■■と同時に設定―――』
虚う空に乙女の声が響く。
その内容はパーシヴァルが知るものではなく、しかし、どこかで聞いた覚えのある手順と感じた。
「パーシヴァル」という英霊の、いずれかのイフ―――恐らくは、かつてこの王と出会った可能性だろう―――において、
その折に託された「
『ここまでが、私の役割よ。これ以上、他所の世界から空想具現化してんのがバレたらシャレにならないし……』
『
『―――これは』
全身を黒く染めた男が、黄昏の陽を眩しそうに見つめる。
外に出た。自身の内には器からの干渉がない。―――いや、そんなはずが無い。侵食するには余りにも唐突に、自身はあの心の内から「弾き飛ばされた」
一体どうやって。器に仕込まれた最果ての槍の残滓は、生まれた時からある不可分の力。切り離すことは困難なはずだ。
いや、仮に切り離したとして、それは器の生命とイコールだ。自分を失った器が、肉体を保てるはずもない。
故にこそ、外で戦っていた者―――パーシヴァルには、器を殺す選択肢しか無かった。そう、未来は定められていた。
「これで、一つ目の問題は片付いた」
器の声が耳に届く。
振り返った先で、男が―――絶望王が、初めて表情を怪訝に動かした。
「次は二つ目。―――そなたを、今度こそ倒す」
亜麻色の髪。
翠色の眼。
そして、燃えるような真紅の装いと、手にするは白亜の槍。
パーシヴァルの姿はない。
代わりに、彼女と同じ色に染められた器が―――アルスがそこに立っていた。
『成程、パーシヴァルの槍を埋め込んだか』
英霊憑依。
サーヴァントと融合することで、その英霊の能力を行使する特異な技術。
アルスの内から絶望王の槍を取り除き、有り得ざる白亜に輝く槍を代入する。それによって肉体の崩壊を免れた。
無論、即座に適合するものではない。パーシヴァルは本能的に、残されたリソースの全てを支払い、アルスとの融合を果たした。
その融合体―――紅のアルスが、絶望王に向けて駆け出す。
『―――!』
即座に、王は未来を視た。
素直な突撃。躱すには十分。そして、弱点を断てば問題なく倒せる。
アルスの肉体から弾き飛ばされた以上、自身の現界には制限がある。無力化し、再び彼の肉体を奪えば―――
「―――はぁっ!!」
『何―――!?』
そこまで思考し、途切れた。
迫りくる槍の穂先を、「咄嗟に」槍で受けて飛び退く。
それは、彼が絶望王として誕生して以来初めてであったかもしれない、自身の中にある戦士の感性に従った行動であった。
『(―――未来が、ズレた?一体これは―――)』
「想定外が、想定を崩す―――世界が敵になるとそなたは言ったな?」
「これもまた、想定外の一つだ。総てを思い通りにはさせない!!」
『―――戯言を!!』
再び、互いの槍を交差する。しかし空を裂く槍の攻撃は、必殺の間合いを幾度となく逃し続けた。
当然、英霊憑依によって紅いアルスの戦闘能力はパーシヴァルのそれを加算した値に上昇している。しかしそれだけではこの結果を導き出せない。
確かに未来は視えている。しかし結果はズレていく。その原因を、絶望王は直感に頼ることなく悟った。
即ち、運命の誤差。
アルスの運命にパーシヴァルの運命が―――あるいはその逆か、何れにせよ本来二人に分かれて存在する運命が、今は重なっている。
しかし絶望王の視点で視る未来には、一人分の運命しか観測されていない。何れかの未来がそこに加算され、僅かな誤差が積み重なって未来視を狂わせている。
つまり、この融合は、本来この世界では為しえないことが「為しえないまま実現されている」ことになる。
それを可能とせしめるのは―――
『(―――邪魔が入ったか、この世界でない、外側から)』
脳裏に浮かぶ輝きが疎ましい。だが、既に彼の心は、この劣勢を受け入れつつあった。
ここまで丁重に邪魔が入るのであれば、自身の目的は達成できない。―――少なくとも、「今のうち」は。
ならば。
戦いは続く、未来視を狂わされても尚、基礎能力で圧倒する絶望王に対し紅いアルスが追いすがっていく。
その最中、黒き王が、幼い紅の王に語り掛けた。
『―――覚悟はあるか』
「何を、だ」
『この世界の未来に向けて、私はお前に問いかけた。あの瞬間は、お前は回答できなかったはずだ』
『それこそが、お前が王として不完全たる理由の一つであり―――私を喚んだ、「お前自身の絶望」だ』
あの時、アルスが相対した黒いアルス。
それは単に絶望王が化けたのではない。彼の本質は全ての絶望の王。不特定多数の負の感情を受け止め、それを表出するもの。
故に、彼が見せる貌は誰かの絶望であり―――あの時見せた者、あの時語った絶望こそが、アルス自身の内より生まれたものあった。
無力、迷い、重責。
本来の目的とは、何ら関係はない。しかし絶望王は、それをアルスに問おうとした。
『昏き未来に向けて、尚進む覚悟があるのならば』
「―――元より」
小さき王が答える。
「元より、未来に燦々たる輝きなどはない。いずれも暗く黄昏て―――しかして、時にそれは暁へと向かうもの」
「故に、足元の澱みばかりを、もう余は見ない」
「その痛みと冷たさの中で、しかし余は、天の光を見て、光の方へ手を伸ばすのだ」
「答えよう、絶望王よ。かつて、そなたが諦めた解答を」
「余の、答えは」
「―――――――――」
口元が微かに動き、
その言葉を聞き取って、理解した瞬間。絶望王が金の眼を静かに閉じた。
「……そうか」
「ならば、いい。―――それが、『君』が示すものであるならば」
はっと焦点を目の前の男に合わせる。
僅かな一瞬、男の雰囲気が変化していたように感じた。
冷たい金色が、澄んだ翠へと。
男はそれきり、何も語らない。
ただ、いつの間にか右手にあった白銀を、アルスに向けて伸ばしていた。
小さき王が、手を伸ばし白銀に触れる。
それが、最後に知覚した澱みの終わりであった。
「―――か、パーシヴァル」
「おい――――――を開けよ、どうしたのだ」
「―――ん、ぅ―――」
微かな呻きを上げて、深い眠りから醒めたような怠い身体を持ち上げる。
そして、意識の覚醒と共に、壮絶な違和感の正体に気付いた。
「―――え!?アルス君!?無事だったんですか!!?いえ無事にするようにしたんですけど、なんで私はここに―――!?」
「う、うむ。どうか落ち着くがよい。色々あってだな―――」
「色々って……!!王はどうしたんですか?私がここにいるってことは、アルス君は―――」
そう、アルスを救うために自身の全てを捧げて消滅した―――というのがパーシヴァルの想定であった。
そして自身の力を継いだアルスが絶望王を討ち倒し、彼の槍を破壊し、アルスを縛る呪いを解き放つ―――はずだったのだが。
「うむ……そなたの槍は、そなたに返却した。そして―――」
「―――!!そん、な……」
アルスが上衣をはだけさせる。
少年の白い肌、まだ薄い胸板には、手術痕を思わせる傷と共に、黒い破片が埋め込まれていた。
それは、絶望王が持っていた槍と同一のもの―――つまり、振り出しに戻ってしまった形になる。
だが、
「……ですが、その。何でしょうか」
「これまでより、少し落ち着いたような……そのような感覚があります」
「―――うむ、そうであるな」
彼の返答の真意を、パーシヴァルは理屈よりも感覚で受け止めた。
つまりは―――拒絶ではなく、受け入れることで、手綱を握ったのだろう。かつて、二人でそう誓ったように。
ならば、これが一番、価値のある前進であったかもしれない。
そう感じ取って初めて、パーシヴァルは安堵の笑みと共に、彼を抱きしめた。
「―――でもごめんなさい!アルス君!急に槍を刺したりして痛かったですよね!!」
「え!?余刺されてたの!?一体いつ……!?」
「だって……知ってるようで知らない声の主が直接打ち込まないと機能が使えないって……あの人たち血も涙もないですよ……!!うぅぅ……」
……その後、暫しの間は泣きだしたパーシヴァルを宥めるのに費やされた。
廃棄区画の崩壊は、すっかり落ち着いたように見えた。
流石に派手に暴れ過ぎた以上、長居はできない。今の二人は梅田都市軍のエースではなく、「日本」に弓引いたお尋ね者である。
すぐにでも移動しなければ、ここも彼らに嗅ぎ付けられるだろう。
「では、行こう。パーシヴァル」
「……はい、アルス君!捕まった皆を助けに行きましょう!」
「うむ。その準備のやめに、余はこれから地下に潜る」
その中で、今後の展望を話し合う。
まずは「日本」に囚われた仲間達の救出。相手は大きな社会構造を担う組織であるが、それ故に無法の動きは行えない。
国家への叛逆と言い立てても、数多くの市民の中から多数の同意を得ねば抹殺できない。その間に、奪い返すチャンスがある。
「地下……市議会の監視範囲外のエリアですね」
「カレンも関与していない、アングラのネットワークがあるという。今一度同志を募り戦力を整えるのだ」
各モザイク市の中枢は「日本」に落ちた。しかし、元々モザイク模様の都市である以上、カレンの掌握と都市の全ての掌握はイコールではない。
民営と国営は違う。個人の意志によって動かされる組織の内のいくつかは、「日本」のやり方にメリットを見いだせずに宙に浮いたままとなっている。
非公式のパイプを通じて彼らの協力を取り付けることに成功すれば、管理外の裸の戦力を確保することが可能なはずだ。
「打開は絶望的ではある。しかし―――」
希望の影に絶望があるというのであれば、絶望から辿った先にこそ希望がある。
立ち上がった小さな王がゆっくりと歩き出し、赤い騎士が側に並ぶ。
まだ、戦いは終わってはいない。
『―――この通信は、「日本」の外から流れている。それを知った上で、余の言葉に耳を傾けてほしい』
『余は、アルス/XXXI。今より、一色に塗り替えられたこの都市を開放する』
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