ImgCell-Automaton。 ここはimgにおけるいわゆる「僕鯖wiki」です。 オランダ&ネバダの座と並行して数多の泥鯖を、そして泥鱒をも記録し続けます。










ガチャリ、ガチャリと金属同士の擦過音が木霊する。
渇いた大地に、陽炎が揺らめく荒野に、武器持つ者たちの行進の音が鳴り響く。
ある者は剣を持ち、あるものは槍を握り、ある者は弓を構え、ただ1点を目指しながら行進を続ける。

「────そして、彼らは大声で叫んで言った。
 "聖なる真の主よ。何時まで貴方は裁かずにいるのか? 地に住む者に対して、我らが血の報復をなさらないのか"、と────」

武器持つ騎士たちの1人が言葉を放った。
その言葉は誰に言うものでもない。敢えて言うのであれば、この場に立つ全ての者たちに対して放つ鼓舞の為に口にした言葉であった。
それはこの場に立つほとんどのものが知る聖典の一節。此れより我らが赴くは、決して略奪や支配の為ではない。
正当なる神の裁きの代理であると知らしめるが如く、その声は行進を続ける者たち全てに対して凛と響いた。

「だが今は違う。我らは神の裁きを以てして報復とするのではない。
 我らは他ならぬ我らが刃を以てして、異教徒を屠る裁きを成すのだ。正しき裁きを今此処に成すのだ!
 此れより向かうは、奪われし我らが聖地! 神の子が処刑された悲しみの聖墳墓! エルサレムに他ならない!!」

雄叫びが響く。既に距離にして何十kmという距離を歩いた男たちであるが、一向に疲れを見せる様子など無い。
むしろその戦意は進むごとに、否、奪還するべき聖地へと近づくごとに高揚しているかと思わせるほどに、彼らの魂は猛り続けていた。
そして彼らの猛りは、もはや抑えきれぬと言うかの如く雄叫びとなって、1人の男の鼓舞により発散され宙へと霧散し消えてゆく。

彼らの名を、彼らの進軍を、後世で知らぬ者は誰1人とていないだろう。
ローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけにより、キリスト教の聖地エルサレムの回復のために始められた軍事行動。
聖地回復支援の為に行われた短い呼びかけが、当時の民衆らを国境を超えて集結させ、宗教意識の高め西欧の国々を巻き込む一大運動へと発展させた。
その極致こそが、聖地エルサレムを奪還するべく歩みを続ける彼らに他ならない。

────名を、十字軍。クルセイダー。異教徒に奪われし約束の地を目指す騎士と貴族の群れ。
必ずや我らに聖地を、必ずやこの手に聖墳墓をと誓う絶対的正義を掲げし行軍。それこそが歩み続ける彼らを示す本質であった。
そんな行軍の端。1人の青年が隣を歩む甲冑の男に対して、その男にだけ聞こえるように小さな声で問いを投げかけた。

「良い言葉を放つなぁゴドフロワさんは。しかし黙示録を使うのは少し不吉な気もするけど」
「な、なぁ。さっきの言葉って……? 聖書の一節で良いんだよな?」
「何だお前知らないのか? 黙示録だよ、ヨハネの黙示録。常識だろう?」
「あ……ああ。そうだったな。すまん。忘れてたよ」
「オイオイしっかりしてくれよ」

甲冑の男が笑うので、青年もまた笑う。
青年はうっかり忘れていたかのように振る舞っているが、嘘である。青年はヨハネの黙示録などという聖典など一切知らない。
何故なら青年は本来、この十字軍に携わるような騎士や貴族などではない。普段はボロ布を纏うような平民に他ならないからだ。

青年の名はザックライアス。姓は既に存在しない。
かつては約束の民たるユダヤ人としての氏族名が存在したが、今は捨て去られている。
理由としては、彼はかつてユダヤ人であったが故に迫害の対象となっていたため、一家揃ってキリスト教徒へ改宗したという過去がある。
そんな彼であるが、地位と名誉────否、人としてごく当たり前の普通の生活を手に入れるために、こうして十字軍に参加している。

通常、後世で第一回十字軍運動における本隊と言われたのは、1096年の夏ごろに出発した貴族や諸侯、騎士から成る隊に当たる。
そういった本隊においてザックライアスのような庶民が参加している理由は、彼らが出発するよりも先にエルサレムへ向かった民衆十字軍の生き残りゆえである。
ローマ教皇ウルバヌス2世の聖地奪還を訴えかける演説はヨーロッパ中に熱狂を生み出し、やがてその熱狂は民衆らをエルサレムへと駆り立てた。
後世において民衆十字軍と呼ばれるその進軍は、武器も持たねば統率もされぬ進軍であったが故に、そのほとんどが壊滅した。
だがそれらを扇動した隠者ピエール他を含め数名は生き残り、本隊たる十字軍に加わり道行を指し示す者として隊列に加わったのだ。

「しかしお前も災難だろう。民衆十字軍は酷い有様だったと聞いた。
 食料もなければ統率もなく、ただ周辺の国々から略奪をする蛮族の如き様であったと!」
「あ、ああ。まさしくその通りだった……よ」
「確かに異教徒から略奪するのは正解だが、それで全滅しちゃあ世話ねぇよな!」

呵々大笑する甲冑の男を見て、ザックライアスは心の中で嘆息した。
ああ、こいつもだ。こいつも結局、異教徒を"殴ってもいい存在"として見ている────と。
だがしかし、幸運にもこの十字軍本隊にザックライアスがかつてユダヤ教徒であったからと後ろ指を指し陰口を叩く者はいなかった。
準備が整っているが故のストレスの無さか、あるいは単純にザックライアスの過去を知る者がいないか。それとも教育が行き届いている者ばかりなのか……。

「(ったく、どいつもこいつも……、異教徒は死んでもいいみたいなこと言いやがって。
 違うだろ……。お前らの本心は違う。誰だってそうだ。死んで良いと思ってるのは異教徒だけじゃねぇだろ……)」

兎にも角にも、今自分が迫害されない理由は分からない。
だがしかしそれでも、民衆十字軍の時のようにたびたび後ろ指を指されるような毎日に比べれば何倍もマシだと考えながら、ザックライアスは言葉にせず独りごちる。
異教徒への迫害だの、自由を得るための奪還だのと聞こえの良い言葉を謳っているが、結局のところ人間が行きつく先は一つだと、彼は知っている。

「(全員だ……。自分と、自分が大切にしている家族、恋人、友人……それ以外全部、全部、全部……!!
 言ってしまえば誰だってそうだ…自分が一番可愛い……。知らねぇ他人が死のうが苦しもうが一切関係ねぇ…関係ねぇんだ……!!)」

それはまるで、自分に対して言い聞かせるかのように、ザックライアスは何度もそう反芻して思考した。
彼はこの本隊に加わる数日前に、共にエルサレムへと向かった数万の民衆全てが全滅したという報を受け呆然とした過去がある。
その中で扇動をした隠者ピエールに対して当たり散らすも無意味だと悟り、そして自分が何の為にエルサレムを目指すのかを悟った。
自分は自分の為。ひいてはただ1人いる妹ヘレナの為と。死んだ人間の数から目を逸らすかのように、彼は自分に言い聞かせたのだ。

「(だから俺は止まらない……。俺は進み続ける。目指し続ける! この脚がある限り!!
 自由になってやる……権利を得てやる……! 財産を得てやる!! 元ユダヤなんつう糞ったれなこの今から脱却してやるッ!!)」

少年は歯を食いしばり決意を新たにする。己が目指した自由を手に入れるために。
多くは目指さない。贅沢も望まない。ただ妹と2人。人並みの生活を歩めればそれで良いのだと。
そのために少年は荒野を歩む。少年は聖地を目指す。エルサレムに眠る聖人の聖遺物を手に入れ、財と権利と自由を、その手に握るために────。


だが、その手が握るのは最悪の運命であることを、少年はまだ知らない。



◆  ◇  ◆


魔術師異聞伝承『はじまりのいし』 中編


◆  ◇  ◆



「黙示録。ヨハネと名乗る謎の男の幻視を語る……という形式で書かれた新約聖書が正典の一。
 世界の最後に訪れるという"怒りの日"。かの日に救世主イエスが全世界の人間を蘇らせ、そして全てを裁く最後の審判の時が訪れる。
 罪深き者は地獄へ落ち、救われるべきものは天へと招かれる。そして永劫に安らぎある千年帝国が幕を開くという預言書だろう? それがどうかしたか?」
「いや、別になんてこたないよ。ただちょっと知っているかなーって、抜き打ち検査をな」
「なんだそりゃあ。初対面だけどお前、面白い奴だな」

ハハと弓を構えながら男が笑った。その隣で同じく弓を構えている少年、ザックライアスもつられて笑う。
ザックライアスは学がない。そもそも家が貧乏だったが故にそういったこととは無縁であり、成熟してからも迫害のせいでまともに学べない状況にあった。
生活が苦しく書を買う余裕もなく、結果として聖書の知識に疎く、前提となる様々な事柄が分からない。故に彼はあの手この手を用いて、このように様々な知識を周囲から吸収するのだ。
もちろんかつてユダヤ教徒であったことや、貧民層であるが故の知識不足を悟られぬように、様々な工夫を凝らしながら質問をし、ザックライアスは知識を得ていた。
もっとも、当時はまだ騎士や貴族の間でも聖書の内容に深く通じる者は数少ないため、結果的には取り越し苦労だったのだが。

「ま……、こんな状況を前にしちゃあ、黙示録を想起するのも、無理はねぇわな」
「………………そうっすよねぇ……」

ザックライアスがため息交じりに返答する。
対してその隣に立つ兵士は、眼前に広がる光景を前にして乾いた笑いを響かせていた。

彼らの目の前には大きな城門があった。その向こう側では既に戦いが始まっていた。
地より掘り起こしたと主張する聖槍が天高くに掲げられ、それを手に持つレーモンと呼ばれる男の声が、軍の指揮を高く鼓舞していた。
北メソポタミア・モースルの領主ケルボガが向かわせた軍が今まさに、十字軍が占拠したシリア地方の重要都市アンティオキアを奪還せんと戦いを挑んだ最中であった。

「飢餓もあったし、戦争もあるし、略奪もあった。ああ、まさに黙示録の地獄絵図だ」
「………………怖いか? 正直言うと、俺は怖い。少し、いや、ちょっとだけ、ほんの少し」
「まぁ向こうも弓持ってるからな。何が"弓矢で援護するだけの簡単なお仕事です"だよ……。気付かれたら死じゃねぇかって言うな」
「だがもう俺は振り向かねぇぞ……。こうなったら何だってやってやる! 俺だって聖遺物が欲しいんだからな!!」
「やる気だなお前! 俺そう言うの好きだぜ!」

ザックライアスは血走った眼で弓矢をつがえ、そしてそのまま突撃した。
それに続くように隣に立っていた男も戦場へと突入していく。1098年6月28日、この日ケルボガの軍勢は完全に退却を余儀なくされ、アンティオキアは十字軍の手に落ちることとなる。
本来であれば死ぬような戦いなんぞしたくないというスタンスであるザックライアスが、このような戦闘に死に物狂いで参加するのには理由があった。

アンティオキア攻囲戦では、ペトルス・バルトロメオという男が聖槍を発掘したという記録が残されている。
聖遺物をその手に握り人並みに生きる権利を手に入れたいザックライアスにとって、聖槍発見の報はまさしく悪夢以外何物でもなかった。

聖遺物というものの数は限られている。
もちろん聖ゲオルギウスが龍を屠ったとされるアスカロンや、聖ウルスラの遺骨など、諸聖人に由来する"聖遺物"は数多い。
だがザックライアスが求めているのは、聖地エルサレムに眠るとされる5つの聖遺物、救世主イエス本人に由来する特級の物品に他ならない。
聖槍、聖釘、聖骸布、聖杯。そして聖十字架。それらを手にして地位のある者に引き渡す代わりに相応の地位と財を要求する。それこそがザックライアスの思い描く成功への路だった。
かつてユダヤ人として虐げられ、キリスト教徒となった後も迫害を受け続けた彼にとって、人並みに生活するための、絶対にして唯一の方法であった。

「だから……!! もう後には退けねぇ!!
 逃げるわけには……!! いかねぇんだよおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

少年が雄叫びを上げ、戦場に弓矢を放つ。
血で血を洗う第一回十字軍。その中でも消えぬ思い、貫くべき信念が少年にはあった。
少年は進む。少年は歩む。その脚が止まらぬ限り。その意志が尽きぬ限り────。





その後、アンティオキアを制圧した十字軍一行は、制圧したアンティオキアの領有を巡って対立し足止めを喰らう。
チフス蔓延や食料不足などが発生し11月。アンティオキア領主が決定し再び十字軍進撃。マアッラ包囲戦を仕掛け、12月に勝利。
翌年1099年1月。マアッラの城壁を破壊し、続けてアルカ攻囲戦。戦いは5月まで長引くも進軍続行。その後は破竹の勢いと言わんばかりの進軍を十字軍は続けた。
海岸沿いにベイルート、ティール、ラムラと進軍を続け、そして6月6日。ゴドフロワ隊が神の子の生まれし土地、ベツレヘムへと侵入し征服したとの報が十字軍を包み込んだ。

『進め!! 武器を執れ!! 我らが勝利は目前にあり!!
 取り戻すべき聖地は眼前にあり!! そして正義は我らの手のうちにあり!!!』

翌6月7日。十字軍エルサレム到達。エルサレム攻囲戦開戦。

先導するゴドフロワの声に続き、地を割らんばかりの雄叫びが荒野に響き渡った。同時に進軍が開始される。
進軍する彼ら十字軍の周囲に満ちるは。夥しい数の屍の数々。彼らは皆、己の正義の為に戦った者たちだ。
生きるために、あるいは信じる神の為に。あらゆる尊厳と力を振り絞った上で戦い、死んでいった者たちだ。
彼らからすれば十字軍は悪に他ならぬだろう。突如として来訪し、聖地奪還を掲げた上で殺戮を働いた悪魔の軍勢に映るであろう。

だが、それは十字軍からして見てもまた同じであった。

「地獄への道は善意で舗装されている」と。そう謳った言葉がある。
第2回十字軍を推進したクレルヴォーのベルナルドゥスが「地獄は善意や欲望で満ちている」と書いた事が由来とされる。
事実それは真理であり、十字軍からすればこの地に生きる異教徒たちは、自らの聖地に土足で踏み入り寄生している野蛮なる存在に他ならない。
それを殺すことは間違いなく、彼らにとっての善意、正義だ。

中にはただ日々の暮らしの鬱憤をぶつけるために殺した者もいるだろう。
ただ金銭を得るために殺した者もいるだろう。だが大半の十字軍は、己にある正義の為に彼らを殺したのだ。
正義と正義がぶつかり合い、そして最終的に十字軍と言う名の正義が勝利した。この地に住んでいた者たちの正義が敗北した。ただそれだけの事実なのだ。
善悪の問題ではない。善悪などこの世で最も曖昧な言葉だ。ならばこの血で血を洗う戦場において確固たるものとは何か?

それは、この場に立ちし1人1人が胸に持つ、己に取っての絶対なる正義に他ならない。

『戦え! 走れ!! そして勝利せよ!!
 総ては神の為に!! 総ては我ら基督教の為に!!!』
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!』

"それ"は神と言う名で呼ばれ、そして基督教と言う名で呼ばれ、そして異教徒と言う名で呼ばれた。
あるいはそれは欲望と言う名で呼ばれ、そして名誉と言う名で呼ばれ、そして平穏と言う名で呼ばれたこともあった。

全ては正義────ただ己が命を賭すに足る理由、絶対的なる己の正義の為に彼らは戦う。
故にその開戦はもはや防ぐことの出来ない領域にあった。相互理解などもはや不要。互いの刃を以てのみ解を見出す。
人類の歴史において、幾度となく繰り返され続けた、そんな正義のぶつかり合いが、今火蓋を切って落とす。

『相変わらず食料も水もねぇ!! どうなってやがるんだ! 周囲の村から水持ってこい!』
『ダメです!! どこの井戸にも毒が投げ込まれ……! 住民たちが全員躍起になっているかのようです!』
『城壁が崩れやしねぇ!! 畜生どうなっていやがるんだ糞!!』
『ペトルス司祭のお告げがあった!! 断食だ!! 断食をすれば城壁は崩壊する!!』

まさしく地獄と呼ぶにふさわしい状況がそこにはあった。だがそれも全ては、彼ら1人1人が正義を成すため。
殺し、殺され、夥しいまでの血が流れた。後に第一回十字軍を指揮したレーモン・ダジールはこう語る。「騎馬の兵は膝や手綱まで血に浸かって歩いた」と。
数万を超える命が正義の為に死ぬ戦は1月以上続き────────。7月15日、ゴドフロワ隊がエルサレム中央へと侵入。エルサレム包囲戦はその幕を閉じた。

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その後、勝利に大きく貢献したゴドフロワ隊の長、ゴドフロワ・ド・ブイヨンはエルサレムの実質的王となる。
レーモン・ダジールは巡礼を行い勝利を讃え、そしてエルサレム総司教としてアルヌールが就任する形と成った。
数多くの十字軍の指揮者たちが栄光と名誉、そして地位を掴む中、未だなお己の正義を成し得ずに、飢えた獣の如く這いずり回る者がいた。
決して日の当たらぬ影の中。栄光とは真逆────歴史に名を残さぬ悲しみの路を歩む者たちが、エルサレムの日陰にて歩み続けていた。

「……だ、だ……」
「まだ………、だ……」

「まだ終わっていねぇ……!! まだ、俺が欲しいものは……、なに、一つ……掴んで……ねぇ……!!」

ザックライアス。己の生活を、当たり前の水準にするために十字軍として立った男。
多くは望まない。ただ誰からも差別されず、ただ誰からも石を投げられることもない、妹と2人安息を生きることが出来ればそれでいい。
そう願い、聖遺物を手に入れ地位を得ることだけを己の正義として歩み続けた男が、日陰を彷徨い歩いていた。
全身に生傷を残し、痛々しい流血を地に残しながら、まるで亡者の如く、朦朧として歩み続けていた。

彼はエルサレム包囲戦の中で幾度となく倒れ、命を失いそうになりながらも耐えた。
理由など聞くまでもない。歩み続けると決めたから。権利を手に入れるために進み続けると誓ったから。
故に戦う。故に歩む。どんな手を使ってでも、周囲で何万という人間が死のうとも、その歩む脚がある限り────。

そう誓ったが故か、あるいは生と死の狭間に立ち続けたが故に生死の境界が曖昧になったのか。
既にザックライアスは他人を殺すという選択肢が、この段階では自然と割り込むように精神が研ぎ澄まされていた。
聖遺物がどこにあると問うて知らぬと答えた者を刺した。死にはしなかったものの、正しい在りかが答えられることも無かった。
問うて、刺して、問うて、刺して、問うて、刺して、問うて、刺して────。何度も反撃を受け、気付けば意識すらもはっきりしない様であった。
数えきれないほどに問い続けた中、東方正教会の一員を名乗る男がこう答えた。エルサレム神殿の隠されし地下領域、そこにキリストが処された十字架があると────。

進み続ける。歩み続ける。そこに可能性がある限り。
それが葦の如く脆きものであろうと、そこに掴める可能性があるのならば進み続ける。
ザックライアスはまさしく、己の正義を体現するために、ただ無心で前を向いて歩み続けた。
全身に走る痛みすらも忘れ、進んで、進んで、進んで────進み続けた。ただ当たり前の生活を得るために。


────────その先でザックライアスは、運命と邂逅することとなる。





「なんだよ……これ……」

隠されし神殿の地下へと足を踏み入れたザックライアスが目にしたのは、大量に倒れている人々であった。
甲冑を纏っている者や剣を握ったまま死んでいる者、ザックライアスが見覚えのある者も数人いた。彼らは皆、十字軍の一員として従軍していた騎士たちだ。
周囲にはイスラムの兵士などは見当たらず、一見は仲間割れなどが行われ共倒れをした現場のようにも見える状況が其処にあった。
だがその倒れている周囲には争った形跡が見られない。どころか血の一滴すら見当たらない。
戦場と無縁のザックライアスであっても、こればかりは妙であると悟っていた。

「(罠……、いや罠とかでも死ぬなら外傷の1つや2つはあるよな……。
 毒……とかか? 何にせよ注意して……、ええいままよ!!)」

覚悟を決めてザックライアスは、一歩神殿の地下へと足を踏み入れた。
毒への対策としてボロ布で口を覆ったせいで気分は最悪であったが、それでも命には代えられないと考えながら前に進んでいた。
1歩、また1歩。罠を警戒しながら進む。恐る恐る、傍から見れば滑稽に映るほどに注意深く進んで、どれほど時間が経っただろうか。
時間で言えば1分にも満たないものの、ザックライアスにとっては数時間とすら言える時間が過ぎた。

「糞……なんだこの地下は……! 入り組んでるわけでもないのに時間の感覚が狂う!
 俺がビビってるからか……? それとも何か……得体の知れない術だか何かがかけられてるのか?」

ザックライアスの根幹の生存本能が、逃げるべきかどうかと戸惑った。
そんな弱気な心をザックライアスは振り払う。「それこそ冗談だろう、何の為に俺は此処に来たのだ」、と。
自由を得るため。権利を得るため。何処までも歩む脚がある限り進み続けると彼は決めた。そのために彼は歩き続ける。
その"当たり前の生活"を手に入れる第一歩が今目の前にあるのだ。止まる理由が、引き返す理由が一体どこにあるというのであろうか。

「東方教会が隠していた場所だ……絶対何かがある……聖遺物……キリストの遺したお宝が……!
 それさえ手に入れれば……手に入りさえすれば……俺は自由────に────……」


それを見た瞬間、ザックライアスは声を失った。


十字架があった。木を原料として作られ、何百年と経過したかの如くボロボロに劣化した十字架があった。
所々に血が付着し、一見すればとてもそれが聖なるものには見えない。だがそれでも、ザックライアスはそれを一目見て尋常ならざるものだと直感した。
知識がなくとも、外見がみすぼらしくても、魂の根幹を以てして"違う"と悟らせるその清廉さ。存在の根源へと働きかける"聖"の概念。

ザックライアスは直感した。此れが話に聞いていた、キリストを磔刑に処した十字架であるのだと。

「これ────が…………聖遺…………物……。
 ………すげぇ……。俺みたいな奴でも……一目で……」

呆然自失とするザックライアスであったが、ハッと我に返り自分が此処に来た理由を思い出す。
自分は一秒一瞬たりとも止まる事など出来ない。聖遺物は確かにあった。ならばこれをあとは教皇でも司教でも何でもいい。
位の高い人間に渡すことが出来ればそれで自分は救われる。そうザックライアスは悟り、その十字架を外へと運びだそうとした。

「ようやく……。ようやくこれで……俺は報われる。もう糞みたいな生活をしないで……済むんだ……。
 頼む……! 俺を……妹を……救ってくれ……!! 頼むよ……救世主様なんだろ……! 救世主を処刑した十字架でも何でももういい……!
 俺を……俺たちを……! どん底から救ってくれぇ……!」

まるで縋りつくように、救いを乞うかのように、ザックライアスはその十字架に手を差し伸べた。
そして手が触れる。欲に塗れていないとは言えず、邪で無いともまた断言できない1人の男の手が十字架に触れる。
だがその手が求めていたのは確かに救いであった。救い求めるものなれば、その伸ばされた手に、聖遺物は確かな声を以てして応えるだろう。
────────しかし、これより開くは救いに非ず。幕開くは悲劇と呼ぶべき物語に他ならない。


救い求めしその手が、救うものとしての器を持つ場合に限り────────

────────聖遺物は差し伸ばされしその手に、救いではなく呪いを齎す。


「ガァ……ッ!!? ギ、……な……んだ────こ、グアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

十字架にザックライアスの手が触れたその刹那、それは巻き起こった。
情報の奔流がザックライアスの内側へと流れ込む。一瞬のうちに彼の脳裏に、悠久の時をかけて紡がれたかの如き終末の光景が泡沫のように次々と浮かび上がっていった。
常人ならば処理を仕切る前に発狂するか廃人になるかの二択と言えるような破滅的な場面の数々。嘆く人々。死ぬゆく民。怨嗟する声────。ありとあらゆる破滅の情報がなだれ込んでいく。

「────んだ……これ……!!? なんだ……!?
 聖遺物なら…救世主なら、人を救うんじゃねぇのかよ……!! なんで……こんなのを、見せ……!!」

それでも尚もザックライアスは壊れない。壊れずに叫ぶ。自由が欲しい。権利が欲しいと。
天より落ちる星々、地を飲み干す大洪水、星を包み込む植物、人々の暮らしを凍結させる冬、人々を喰らう糖の嵐に至るまで、ありとあらゆる"災害"が彼の脳内を蝕む。
だがしかしそれでも彼は止まらない。進み続ける。歩み続けると誓ったが故に。滅び等には屈しない、これも試練だと、彼は声高く果敢に叫んだ。

「俺に────"普通"を……寄越せええええええええええええええええ!!!!」


そう叫んだ、瞬間だった。

周囲が、真っ白な空間に包まれた。


「…………なんだ?」


状況が飲み込めない中、ザックライアスは眼前に1人の老人が座しているのを見た。

老成した男だった。簡素な服装を纏い、必要最低限の機能しか持ちえない簡素な椅子に座していた。
だがそんな簡素な出で立ちであっても分かる。深く、深く、何処までも深く、そして重い魂を老人は持っているとザックライアスは悟った。

「(……十字架を見た時と、同じ……。この爺さん、とんでもねぇ……!!)」

老人はゆっくりと顔を上げた。その顔に刻まれた皺の1つ1つが威厳を感じさせるような、そんな老人であった。
その表情は暗く、目は悲しそうな色を帯びていた。老人はその眉間に寄せた皺を深めながら、眼前に立っているザックライアスを見据え、そして口をゆっくりと開いた。

「────────1000年。長い、長い月日であった」

その響く声だけでザックライアスは根幹を揺るがされそうになる。そんな強い意志が老人にはあった。
1000年と老人は言った。確かに老人の言葉からは、それほどの長い年月を経て熟成されたかの如き重い意志が感じられる。
だが人間が1000年も生きられるのか? そんな純粋な疑問を抱いたザックライアスは、気付けば不意に老人へと問いを投げかけていた。
そもそも此処がどこなのか、自分はどうなったのか。そんな疑問すら消え去るほどに、目の前の老人には圧倒的な存在感があった。

「1000年って……、あんた…そんな長い間……ここに?」
「────。私は、残滓だ。かつて生きた命、その影法師にも満たぬ……"声"に過ぎない……。
 かの裏切者とは違う……。人理の影法師ともまた、違う。ただの老いさばらえた男の……最後の声に過ぎぬ……」
「…………?」

ザックライアスは老人の言葉の意図が掴めずにいた。
裏切者、人理の影法師。それらの言葉が示す意味を理解できない。ただ1つ。老人が人間ではないという事は理解できた。
ならば次に溢れる問いもある。此処はどこなのか、自分は今どうなったのかと。────だがその問いが放たれる前に、老人が突如として立ち上がった。

「託さねばならない……。我が身の受けし最後の使命を……」
「……託す? 使命? 待て、何の話だ、一体……!?」
「────────。お前のような……苦しみの中で育った魂に……このような使命を託すこと……。慙愧の念に堪えない……。
 だが……今を生きる者に……。"救いの器を持つ汝に"……。此れは、託さなくてはならない……。それが、主の意志なのだから」

そう涙を流しながら言い放つ老人は、手をゆっくりと伸ばしてザックライアスの額に指で触れる。

刹那、ザックライアスの脳裏に響く声があった。男のようで、女のようで、幼子のようで、老人のようで────。
この世のありとあらゆる二面性が詰め込まれたかの如き、声が脳裏に響いた。


『────始まりの大敵を御せ』

『人類の全てを以てして立ち向かい、その手で────────』


『さすれば人類(なんじら)へ、魔術のその先を与えん』


「……今、のは……」
「────すまない……。主の使命を……成せなかった、この咎人を恨んでくれ……。
 ただ伝えることしか出来ぬこの声を。ただ託すしか出来なかった、この罪深き魂を……。
 許せとは言わない。永劫に責め立ててくれていい……。私はきっと、座などへ至らず、辺獄へと落ちているだろうから……」

そう涙を流しながら、老人は縋りつくようにザックライアスへと訴えかけた。
ただ困惑するしか出来ないザックライアス。だが、突如として目の前の老人が薄れ、消えていくのに気づき声を張り上げた。

「おい……待て……アンタ、一体……」
「────私の役割は終わった……。次は……君だ。この過酷な運命を背負わせた罪を、許してくれとは言わない」


「だがこれだけは言わせてほしい……。どうか君に、最大級の主の祝福が……あらんことを────────」


それだけ言い残すと、老人は消えた。
何が起きたのかすら理解できず、ただザックライアスは真っ白な空間の中で呆然と立ち尽くすしか出来ずにいた。
そしてそのまま、ザックライアスは視界を埋め尽くす白に意識まで侵食されていき────、やがて、眠るようにその意識を失った。





『ここは!? 人が…大勢倒れて……!?』
『────ッ! 十字架だ! 十字架があったぞ!!』
『何で今まで気付けなかったんだ……! 認識阻害の魔術による隠蔽か……! おい大丈夫か君たち!』
「(…………なん、…………だ……?)」

声が響いた。朧気な意識の中で複数人の男の声が聞こえるのを、ザックライアスは感じていた。
何があったのかという記憶すら不明瞭な中、ザックライアスは冷静に自分の身に起きた出来事を冷静に振り返っていく。
1つ、また1つと自分が体験した出来事を振り返るごとに、彼はその意識を取り戻してゆく。

「(確か……、俺は…………。十字軍で……エルサレムに、来て……。
 そして……聖遺物を……、求めて……。そうだ……、地下で……十字架を見つけて……そして────)」
「────────1人、生きている人間がいるな」
「うわぁ!!!?」

突如として顔を覗き込まれ、ゆっくりと意識を取り戻していたザックライアスは驚愕した。
漆黒の服で全身を覆った、例えるのならばこの世界にぽっかりと空いた虚空のような男が突如として視界に入ったために突如として意識が覚醒してしまった。
仰向けに倒れていた彼は飛び起き、そして周囲を見渡して自分の今の現状を把握する。周囲には複数人のローブを纏った男たちがいた。
ただ2人。豪奢な服装を纏った男と、全身が漆黒に包まれた男────ザックライアスを覗き込んだ男だけが違う雰囲気を持っていた。

「おお……! 生きていたか……!
 良かった……。敬遠な信徒の命が喪われたとあっては悲劇だからな……」
「……? あれ……? ここ、は……。というか、アンタは?」
「口の利き方に気を付けろ。こちらにおわすはどなたと心得ている!」
「いや良いよ。大丈夫。というか、君こそ先まで気を失っていた少年に対して厳しい物言いじゃないかな?」
「はっ……。申し訳ございません」

豪奢な服装を纏った男が微笑みながらザックライアスの無事を喜んだ。
服装と周囲のの男たちの言動からして、相当に位の高い人物であると推測される。
その後にその男が名乗った名前から、ザックライアスの予想通りに非常に権力のある人間だった。

「アルヌール……、と名乗れば分かるかな?
 未熟な身ではあるが、この度はエルサレムの総司教という誉れある地位を戴いた者だ」
「アルヌールさん……? ああ……そういえば……。すいません。服装が変わってて気付けませんでした」
「はっはっは。大丈夫だよ。敬語も使わなくて良い。────さて、目覚めたばかりで申し訳ないが……本題に入るとしようか」

アルヌール総司教はそれまでの温厚な雰囲気から切り替え、真剣な眼差しでザックライアスへと問う。
その雰囲気の切り替えから、ザックライアスは聖十字架に関する会話が行われるのであろうと悟った。
ザックライアスが緊張して生唾を飲み込むと同時に、アルヌール総司教は質問を投げた。

「この聖十字架は、君が見つけたのかね?」
「え……ええ。俺が見つけた時に、此処に既に存在してました」
「では、この周囲に倒れている彼らは?」
「俺が来た時には……既に。多分……この部屋に仕掛けられてた罠か何かにやられたのかとばかり……」
「ふむ」

ザックライアスの言葉を聞き、アルヌール総司教は頷いて周囲にいるローブの男らに対して指示を出す。
同時にローブの男たちは部屋に倒れ伏して物言わぬ屍となっている者たちの死体を確認し、死因を確認する。
身体にある外傷を確認したり、あるいは瞳孔を確認したり、意図不明な仕草も複数混ざってはいた。
そして幾度かの確認が済むと、男たちは口を揃えてアルヌール総司教へ報告をした。

「外傷なし。魔術により精神が焼き切れた痕跡が見られます」
「ふむ……。大方、聖十字架へかけられた防護の魔術だろうか?」
「………………? ……魔術……? いったい、何を……」
「そうだとしたら、この男だけ生きていることは不自然かと。この男が魔術を行使したのでは?」
「だ、そうだけれど。どうでしょうか? ポスポロス殿」
「────。」

音もなく突如として、全身が漆黒に包まれた男がザックライアスの背後へと回った。
まるで影そのものが人の擬態をしているとでも言うかのような存在感の無さと不気味さに、ザックライアスは根源的な恐怖を覚える。
何者なんだこいつは────と。問うよりも早くその漆黒の男はアルヌール総司教のもとへと向かい、耳打ちをするように報告する。

「魔術回路賦活記録なし。この男は魔術師ではない」
「ふむ……、なるほど。君がそう言うのならば、そうなのだろう」
「信用できないというのならば、聖堂教会の者らの到着まで、彼を此処に縛り付けようか。総司教殿」
「いやそこまでする必要はないよ。聖十字架を前に時間が惜しい。この場に倒れている者たちは、彼が殺したわけじゃない。そういう事にしよう」
「はい……了解しました。お時間を取らせる提言、申し訳ございません」
「大丈夫だよ。─────それに、私には最初から彼は聖十字架の加護を受けた者、罪なき者と感じていたからね。
 私は彼の体中の傷が治癒されたかのような痕跡を見て、聖十字架に選ばれた者だと確信していたよ」
「────え?」

アルヌール総司教の言葉を以て、初めてザックライアスは自分の身体中に刻まれていた傷が治癒している事に気付いた。
十字架を見つける以前は歩くのすらやっとだった身体であったのに、今はその全身にあった傷が1つ残らず消えうせているのだ。
注意深く観察すると、その肌はまるで急速に傷を埋め立てたかのような不自然さがあったが、それでも生活をする事に何一つ不自由がない程に傷が治癒していることは明白であった。

「彼の身体にあのような傷跡はなかった。私は十字軍で君を時折見かけていたからね。
 エルサレム攻囲戦で傷つき、そしてここまでたどり着いて聖十字架に治癒されたのだろう。
 326年、聖ヘレナがここエルサレムへ訪れた時、聖十字架は触れた病の女性を癒したと言われている。
 他の者は邪な感情を以て触れたか何かしたのだろう。つまり、君は聖十字架に選ばれたんだろう……。ザックライアス君」
「────────俺の、名前……」
「ピエール氏から君のことはよく聞いているよ。民衆十字軍の数少ない生き残りだとね」
「………………じゃあ、俺の……素性も……」
「ああ知っている。だが、かつてユダヤ人だったからなんだというのだろう。
 今我々と同じく十字を信じるというのなら、それに石を投げる者の方が間違っている。
 事実君は、聖十字架の加護を受けて傷が治癒されている。これが何よりの証左じゃないか」
「………………アルヌール……さん……」

荒んだ心と過去故に、キリスト教徒という存在そのものを憎んでいたザックライアスは、アルヌール総司教に心から感謝をした。
今まで誰からも否定され続けたザックライアスが受けた、初めての暖かい肯定の言葉。それは今まで受けた迫害に対する怒りを払拭して余りある物があった。
一種のカリスマ性とでもいうのだろう。アルヌール総司教の言葉にはどこか安心できる響きがあった。今でいう1/fゆらぎとでもいうような、人の精神を安定させる波長。
生来よりそういった話し方に長けていたが故に、長い間受け続けた迫害によって荒んだザックライアスの心を包み込むかのような、安心する言葉を投げかけることが出来たのだ。

そんな安心するような響きに心を包まれていたザックライアスだったが、突如として漆黒の男に顔を覗き込まれ我へと帰った。

「────総司教殿。この場にはもう他に聖遺物は無い。
 このような場に総司教という地位ある者が長く留まるものではない。引き返す頃合いかと」
「うわぁ!! あ、アルヌールさん何なんですかコイツ!?」
「そう怯えないで良い。彼はこのエルサレムにいたユダヤ教における宗教指導者────ラビだよ。
 宗教の対立の壁を超えて、エルサレムの地理に詳しくない私たちへの案内を買って出てくれたんだ。名前は────」
「ポスポロス。ギリシャ圏において、光を齎す者を意味する名だ」
「何でこのエルサレムでギリシャ圏の名前なんだよ…………。
 つーか、ユダヤの宗教指導者が何普通に俺たち十字軍に協力してるんだ?」
「ユダヤ名とは別の、対外的な名前だそうだ。ギリシャ語は聖書が最初に訳された言語でもあるからね。
 協力した理由は定かではないが────。まぁ、私たちキリスト教の教えに目覚めてくれたのだろう。我々も快くその協力の申し出を受け入れたさ」
「………………そう、っすか……分かりました」

どれほど説明が重ねられても、ザックライアスはポスポロスという男を信用できなかった。
他の者は信用しているようだが、どうにもザックライアスからすれば、そのポスポロスという男は不気味に見えてならなかった。
例えるなら人の形をした虚空。そこだけ夜闇になったとでも言うかのような違和感が拭えないでいた。不信感を抱くのは当然だろう。
加えて、アルヌール総司教の言葉から漏れ出るユダヤ教徒への軽視とも取れる発言も手伝い、ザックライアスの心から安堵という感情は完全に消え去っていた。

そんな不信感と疑惑が拭えずにいると、物音が背後から響いた。
見ると総司教の武かと思しきフードの男たち数人が、聖十字架を運ぼうと数人がかりで持ち上げている姿が見えた。

「お、おい何を……!」
「何って……持ち帰るに決まっているだろう? いつユダヤ教徒などに持ち去られるか分からない。
 故に、聖十字架はエルサレム教会へ持ち帰り厳重に保管させていただくこととするよ」
「お、俺が……見つけ……」
「………………。ああ。うん。そうだね。うん。大丈夫。
 君が発見者だ。それ相応の生活は保証するよ。安心してくれたまえ」

アルヌール総司教は部屋を去る一瞬、冷めた目つきでそう言った。
それだけ言い残すと、アルヌール総司教は聖十字架を数人の部下に運ばせ、地下を後にした。
ザックライアスと、案内人としてこの場に来たポスポロスという男だけがその地下に残されていた。

「……んだよ……、これ……。願いがかなったってのに……。
 普通の生活ができそうだってのに……、なんだ……このもやもやは……?」

聖遺物は発見した。それを位ある人間に差し出して普通の生活も手に入ると保証された。だがしかし、ザックライアスの心にはもやがかかるような気分が残った。
何故と言ったが、理由は明白だった。アルヌール総司教が最後に一瞬だけ見せた、冷めた視線。まるで家畜か何かを見るかのような眼。それが記憶にこびりついて離れなかった。
ザックライアスはその視線から、何かを感じ取った。元ユダヤ人が何を生意気な事を────という、侮蔑にも似たような感情を。

それが思い込みであるか、あるいは本当に総司教が考えていた思考なのかは定かではない。
それでもザックライアスは感じずにはいられなかった。アルヌール総司教の心の内にあるであろう、当たり前に根付いたユダヤへの差別を。
当然のように、常識のように前提として置いた、ユダヤ教よりもキリスト教が優れているとでも言うかのような言動を。

そう考えた瞬間にザックライアスは、彼の中にあるキリスト教への怒りや怨嗟が沸々と内側から蘇ってくるのを感じた。
日常的に迫害された事実────ではない。自分たち一家がかつて信仰していた宗教が、自分たちよりも劣っているとでも言いたげな彼らの言動にだ。
十字架の加護があったことを殊更に取り上げたのも、「本来なら元ユダヤ教徒に加護があるはずない」という考えが根底にある裏返しとも取れる。
そして何より、聖十字架の発見者だと主張した時の、心の底から物憂そうに感じる視線。まさしくそれが、ザックライアスの中でキリスト教への怒りを確信に変えた。
そのように考えると、先ほど表面上の態度だけであっさりとアルヌール総司教を信用した自分が、心底憐れに思えてきた。

悔しくて堪らなかった。憎くて堪らなかった。悲しくて堪らなかった。
どれだけ進んでも自分は所詮は元ユダヤ教徒というレッテルから逃れることは出来ないのかと涙があふれ出した。
流れる涙は止まらない。普通の生活は保証された。しかしこんなザマでは、保証される"普通"は本当に思い描いた"普通"なのか?
そんな疑問だけがザックライアスの脳裏に渦を巻き、更に悔恨と怨嗟と憎悪と怒りで情緒がぐちゃぐちゃにかき混ぜられていく。

────そんな混沌とした感情の中に、突如として一石が投じられた。

「キリスト教が、不満か。現状が────気に入らないか」
「………なんだよ、お前」
「気に入らないかと聞いている。不満だというのならば、我が問いに答えよ」

突如として背後に立っていたポスポロスという男に話しかけられ、不満げにザックライアスは応えた。
ただ言葉を放つ事もなく、歯噛みし、拳を握り締め、堪え切れない怒りが言葉ではなく態度として形になる。
それを見てポスポロスは、クキリと首を鳴らしてただ一言だけ問いを投げかけた。

「"啓示"は受けたか」
「………………あ……?」
「啓示だ。聖十字架に本当に選ばれた、というのであれば……。お前は何らかのメッセージを受け取るはずだ。
 奴らにはその可能性を考える脳がない。何故なら"自分たちより下である"、"元ユダヤ教徒に"、"神の御言葉が届くはずなど無い"と、高を括っているからだ」
「………………なんだよ……それ………………」
「反証したくないか? その予想を嘲笑いたくはないか?
 奴らのその傲慢を踏み砕きたいと、考えないか?」
「………………。」
「肯定するというのならば答えろ。お前は何を授かった。
 ────万が一、何も授かっていないというのならば、お前はその程度の存在だったという事だ。
 あの十字に縋りし、無知蒙昧の猿共に付いていくがいい。そして二度と、聖遺物を手にしたなどと公言しないことだ」
「勝手に決めつけんなよ……」

絞り出すように、ザックライアスは低く呟いた。
そして同時にポスポロスの胸倉に掴みかかって、そして吠えた。

「何も授かってねぇだとか……。元ユダ公はキリスト教徒より下だとか……。
 勝手に決めつけて話決めてんじゃねぇよ!!!」
「ほう」
「全部話してやるよ!! 俺があの十字架に触れて見たもん全部!!
 そして────ああそうだ……! 俺はあいつらを見返したい!! 得意げなキリスト教徒共全部ぶっ壊してやる!!!
 当たり前の生活もだ!! 普通に食って! 普通に寝て!! そして……! 誰からも石も投げられず後ろ指も指されず!! そんな生活も手に入れてやる!!!」
「吠えたな」

神殿の地下に反響する大声であった。対してポスポロスは小さく呟いた。
同時にポスポロスは一瞬のうちに地下の出口にまで移動する。瞬きよりも早い速度で自分の手から男が消えたという事実を脳が処理できずにいるザックライアスに対し、
ポスポロスは低い声で、まるで彼を導くかのように伝えた。

「そのお前が授かった啓示。骨の髄まで研究する。そのために────」

「────お前をブリテン島、魔術協会へと連れてゆく」







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