サングリアル　騎士達の聖杯探求

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トマス・ブルフィンチ「中世騎士物語」(野上弥生子訳、岩波文庫)
アーサー王とその騎士たち/第十九章～二十一章「サングリアル」

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騎士パーシヴァル/Ⅰ

キャメロットを発つその日、城下街は常の旅発ちよりも尚異常な空気に包まれていた。
名だたる円卓の騎士、騎士王の配下となる数多の騎士、その数多くが城を離れるともなれば、民草は名残惜しみ、あるいは城の護りを不安に思って深い悲しみに包まれていた。
これまでに一度もないことだ。だが、騎士王にはそれを認めるだけの理由があった。
聖杯、奇跡の器の導きがキャメロットに齎され、彼らはその恩寵を預かるべく探求の道に就くこととなったのだ。
その一団の中に、パーシヴァルの姿があった。かつて森で暮らしていた頃の野生は既になく、まだ若くも騎士としての気位を深紅の鎧と共に身に纏うようになっていた。
「パーシヴァル、白い盾の話をご存じでしょうか？」
騎乗しながら行進する隣で話しかけてきたのは、ガウェインの白い兜だった。その奥の金の髪、整った淑女の表情は伺えず、パーシヴァルも赤兜のままに振り向く。
「いいえ、それはどのようなものなのでしょうか？」
「白い僧院に置かれているという白い盾です。帯びるに相応しいものしか持つことができない白い盾がある、と」
ガウェインが語る噂話は簡潔だが、不思議な話でもあった。盾の本分は身に着けた者を守ることであれば、それが人を選ぶだなんて。
「私はこれが、災難に立ち向かう騎士の資質を試すものと感じています」
「ユーウェインが先行して僧院に向かうと聞きました。私はエクターと共に続きます。パーシヴァル、あなたは？」
「そうですね……」
少し考えた。無論、盾に認められれば名誉となろう、認められずともより良くあらんとする励みになろう。
ただ、今は聖杯だ。パーシヴァルの若さはいくつかの冒険のステップを踏むよりも、本丸に早く挑みたいと逸る気持ちが僅かにあった。
「私はこのまま進みます。槍もあって、盾も担いではこの子の負担にもなりますから、ね」
そう言って、騎乗する馬の鬣を優しく撫ぜた。もう慣れたものだ。
「ふふ、構いません。回り道を好まないのもあなたの良い気質です。さて、盾は誰の手に渡るのか……」
ガウェインの方はというと、自身が盾を狙うよりも、それを帯びるに相応しい者をどう称えるかに意識が向いていた。話上手、褒め上手は彼女が黄金の舌とも呼ばれる所以である。
「パーシヴァルは、どう思いますか？」
「私は、そうですね―――ギャラハッドが、盾を手に入れるかもしれません」
視線が前の方に行くと、白い外套と藍色の鎧の取り合わせが眼に入った。騎士たちの中でも一層小柄な体躯はやはり少女のものだったが、ぴんと背筋を張った立ち振る舞いには一分の乱れもない。
「なるほど、確かに。彼女の試合の戦いぶりは私も見ましたよ。本当にランスロットに似て……いいえ、若き日のランスロットでさえ、あれほどは……」
彼女の評価は、どの騎士が語っても完璧の一言に尽きた。素行礼節はもちろんのこと、武具を取れば数度打ち合うだけで耐えきれる相手はいなかった。それは紛れもなく湖の騎士の血筋であったが、
溢れんばかりの才覚を見た者は、仄かにランスロットを上回る将来性を感じていたし、それが一つの時代の終わりのようで名残惜しむ声もあった。今のガウェインの、言い切れなかった言葉のように。
「……それに、ほら。彼女はまだ盾がありませんから。ちょうど手に入れればいいかと」
僅かに重力を増した空気を払いたくて、珍しく冗談を言ったつもりでパーシヴァルは話題を切り替えた。視線の先のギャラハッドは、騎乗して槍を手に剣を帯びてはいるが、提げる盾は何処にも無かった。
信じられないことだが、件の試合で彼女は身を護る盾の使用を拒否して、本当にどの攻撃も躱しながら勝利してしまったのだ。それもまた、彼女の技術の為せる技なのだろうが、神の恩寵だと慄く者さえいた。
だが、この先の聖杯の冒険ではどんな災難が降りかかるかわからない。ましてや、座したものに災厄が降りかかるという席に自ら座った彼女であれば。備えはあるに越したことはない。
「心配性、だったでしょうか？」
「……いえ、いいえ。友の身を心配することに間違いなどありません。あなたはあなたの思うが儘で構いませんよ。パーシヴァル」
再興の評価が揺るがぬギャラハッドに、そんな配慮をするのは無礼だろうか？パーシヴァルは一瞬迷ったが、白い兜の奥は、にっこりと笑ったような気がした。
「友？私が、彼女のですか？」
「ええ、そんな気がします。歳も近いようですし、共に期待されている。何より、あなたの素直で輝かしい気質は、きっとギャラハッドの清廉さに合うことでしょう」
「私と、ランスロットのように。この旅路が、あなたたちに終生の絆を結ばんことを願います」
その言葉と共に、掌で軽くパーシヴァルの肩を押した。
視線を前に戻し、ぼうっと考える。自身とかのギャラハッドが、友人に。それも、ガウェインとランスロットのような分かち難い親友に。
考えてみて、想像できなかった。……少なくとも、旅立ちの朝には。

騎士パーシヴァル/Ⅱ

キャメロットを発ってから4日。さらに昼に差し掛かったころ。山と山の谷間に入ったころ。
パーシヴァルの周りに現れたのは、同じく鎧と剣を備えた20人弱の集団であった。何れも見覚えが無い、騎士王の配下の者ではなかった。
「そこの騎士、何処から来た」
中心の人物だろう、騎乗した男が尋ねてきた。その声色は硬く、パーシヴァルを警戒か、あるいは拒絶しているように感じ取れた。
「アーサー王の宮廷より参りました。私は円卓の第二席、パーシヴァルという者です」
「そうか、そうか。貴公もまた、騎士王より遣わされた騎士であったか」
「―――ならば、死ね！」
武装した男たちは地を駆け、馬を走らせ、各々の手に刃を閃かせてパーシヴァルに一斉に迫った。
あぁ、そういうことか。と彼女は察した。意識を切り替え、握りしめた槍が鋭さを増す。そして向かい合わせに駆けだした。
まずは首領の男を狙う。男が繰り出した槍をいなして、掠った装甲が火花を散らす。そのまま距離を詰めてこちらの槍を繰り出した。
直撃。男の体躯は騎馬の勢いのままに後方へ吹き飛んでいく。地面に転がり倒れ伏した男はそのまま動かなくなったが、パーシヴァルはそれを眼で追うことはなかった。
続く敵を一人、二人と突き落としていく、調子よく見えたパーシヴァルであったが、20の数―――加えて、装備と戦いぶりは精鋭のものとしか思えない暴徒達に不利は明らかだった。
次の敵を探そうと視線を散らしたパーシヴァルの眼に飛び込んだのは、7騎が一斉に槍を構えて飛び込んでくる様。その瞳を兜越しに視えた気がした彼女は、僅かに反応が遅れた。
国を守らぬ、土地を焼いて民を追い立てる騎士王に正義は無し。それに仕える円卓など騎士の恥さらしなりて。なんとしても、ここで首を頂戴する。
敵わぬならば―――我ら20の命を以て刺し違えるまで。死ぬがいい、若き第二席！
その気迫に、あるいは嘆きに、微かばかり身体を圧された。その不覚がパーシヴァルの命取りとなった。突きかかる槍を捌いて7人を落とす前に、残る歩兵が肉薄した。
振り上げられた剣が、パーシヴァルが騎乗していた馬を斬りつける。鮮血が迸って、彼女の身ごと真横に倒れた。
兜鎧越しに伝わる落馬の衝撃に骨が砕けそうになる。歯を食いしばって堪えるが、起き上がる前にその装甲を踏みつけられて抑え込まれた。
未だ十人ばかり残った騎士たちがパーシヴァルの身体の上に群がり、彼らの恨みばかりが籠った刃が一斉に彼女を睨みつけた。
やられる。このまま滅多刺しにされて殺されるか、生きていたとしても生け捕りにされて、その身は次の騎士を誘う餌にでもされるかもしれない。
その末路の恐ろしさに、屈辱に、パーシヴァルの身体はそれを抑える精神も厭わずに芯から震えた。
その時、木々を裂いて駆ける馬の蹄の音が、雷鳴の如く鳴り響いた。
何れも手練れの男たちは即座に私刑の準備からパーシヴァルを離し、各々の防御態勢に移る。予定より早い次の客だが、彼らの闘志は幾分も衰えていなかった。
現れたのは、手に槍を、腰に剣を帯びた騎士。その外套は白く、藍色の鎧を纏う体躯は細くしなやかに―――
「ギャラハッド……！」
落馬の痛みか、安堵か。パーシヴァルの声は常より幾分か歪んでいた。
「その騎士の命は、私が預かる！歯向かうならばかかってくるがいい！」
敵を前にして、ギャラハッドの声は微塵も揺らぐことはない。そのまま乗り込んできた勢いを借りて、残る騎兵へと馬を突っ込ませた。
騎兵は自身らの戦力の軸として、これ以上の損失は許されないと一層気を張っていた。が、その威勢は数瞬も待たずに霧散していった。胸元には、既にギャラハッドの槍があった。
速すぎた。身を守る間もなく槍を滑り込まされ、奇麗に貫通した騎兵は絶命した。そしてギャラハッドは即座に槍を手放して、自ら馬を飛び降りて敵陣深くに舞い降りた。
鞘から剣を抜き放つ。その動作だけで着地を狙った男の手首が握りしめた剣ごと宙を舞った。そして剣を左に、右に振るうたびに、敵は大した抵抗を見せる間もなく倒れ伏した。
その早業を前に、残兵はあっという間に片付いてしまった。血だまりの渦中にあったギャラハッドは息を上げることも、装甲にたった一つでも傷をつけることさえなかった。
皆、現れた味方もまた円卓の騎士と認め、パーシヴァルを襲ったのと同等の殺意を以て迫った。が、彼女は身も心もまるで凪のように動かず、正確無比にただ敵を掃討しただけだった。

眼にして、胸が熱くなるどころが凍りつくような戦いぶりだった。その様を唖然と見つめていたパーシヴァルは、自身の背後にあるものの存在を漸く思い出した。
「あ……あぁっ……！」
彼女が乗っていた馬。その亡骸であった。不慣れだった騎乗にもやっと慣れてきて、今回の旅にも連れて行った馬が。斬り苛まれて息絶えていた。
それは大事な相棒を殺された、騎士として誰もが抑えられないであろう嘆きだった。兜を脱いで駆け寄ると、溢れた涙がその亡骸を弔った。
「……すまない。もう少し早く駆け付けることができていれば」
「いえ、いいんです。これは私の不徳の結果ですから……今は、命を救ってくれたことに、礼を言わせてください」
ギャラハッドもまた兜を脱いだ。青い髪に青い瞳、精緻に美しい顔立ちはやはり乱れた様子を見受けられなかったが、パーシヴァルの哀しみを前に彼女もまた表情を陰らせていた。
「大事にしていたんだね。ここまで共に戦ってこれたことを、この子もきっと誇りに思っているだろう」
「……はい」
共に跪いて、その命が天に昇ることを祈る。一連の儀式的な葬送を終えて、ひとまずの悲哀はなんとか過ぎ去ろうとしていた。
「そういえば、ギャラハッド。その盾は？出発の時には身に着けていませんでしたね？」
「あぁ、これか。これは白い僧院で授かったものだよ。もとよりこの盾は、私の血統の白い騎士が守っており、私が得ることが定められていたのだという」
先の戦闘では使わなかったが、彼女は新たに白い盾を帯びていた。まるで血のような赤い十字が飾られた盾は、本当に彼女のためのものであるように自然に馴染んでいた。
「じゃあ、ギャラハッドは本当に選ばれた騎士だったのですか！？」
「そんなことはないよ。人は生まれた時から騎士でないように、私も最初からその資格を持つわけではない」
思わず眼を丸くしたパーシヴァルだったが、ギャラハッドはそれをやんわりと否定した。
「だが、求められる使命は確かにこの胸に刻まれている。私は、それに違えることなく進み続けるだけさ」
胸甲に手を当てて、ギャラハッドはパーシヴァルの瞳を見つめた。それはただの言葉ではない。彼女は、自身の背負う覚悟を語っていたのだ。
迷いは、ある。怖れもある。しかして、進むことを望まれているのだから、臆せずに足を踏み出す。彼女は勇気の人だ。パーシヴァルには、そう光り輝いて映った。
「……では、私はこれで。すまないが、私の馬に二人は乗せられないから、君は新しい馬を探すといい」
「―――待ってください！！」
思わず、言葉が走った。一度は視線を外したギャラハッドが、驚いたようにこちらを向く。
「馬は探します。少し遅れるかもしれませんが……ただ、もし馬が見つかったら、私は―――」
「ついていかせてください。―――いいえ！私はあなたと共にいきます！」
なんでそう叫んだのかはわからない。ただ、どうしてもその言葉が必要なものに思えた。
ギャラハッド、勇気の人。けれど、こうして出会って、話した姿は、あの時試合場で見た完璧な騎士とは少し違って見えたのだ。
彼女は戦う時ばかりは恐ろしいほどに冷静で、だけど戦いが終われば、死した命を嘆き悲しみ、厳かに弔う。
そして、得たものがあればその不思議な話を語ってくれて。どの言葉も、騎士である前に歳の近い少女として、柔らかさを感じさせるものだったから。
だから、彼女が完璧であるのはとても過酷な道だ。私は、それを共にしたい。救われた命ならば、それを分かち合って、彼女を助けたいのだ。それが、私の覚悟だ。
「―――わかった。合流したら、必ず一緒に行こう。パーシヴァル」
「はい！」
そして、ギャラハッドは笑顔で応えた。
「そうだ、パーシヴァル。馬を求めるなら、ここで少し待つといい」
「え？なんでですか？」
「そういう気配がするんだ、良いことも悪いこと洗い流して待てば、新たな出会いが来る、と」

騎士ガウェイン

この静寂は、既に遅かったということらしい。
先行したユーウェイン達の話を聞きながら、ガウェインは少し落胆した気持ちで石壁に背を預けた。
白き僧院に持ち主を選ぶ白き盾が置かれている。今や騎士王に仕える騎士の悉くが聖杯探索に駆り出される中、
ガウェインのような古い騎士は、そんな少々の不思議を求める寄り道を好んでいた。彼女の若い頃は、そのような不思議はこと身近に存在したからだ。
特に盾の噂話には、それが騎士の素質を選んでいるのだと解釈して、聖杯探索の前の運試しに白き僧院を訪ねた、という次第である。
しかし結果は、既に盾は別の騎士……サー・ギャラハッドが獲得し、彼女は僧院を去ってしまったという。
ギャラハッド。無二の親友と同じ色の髪をした少女の背を、未だ血を知らないような神秘的な後ろ姿を、ガウェインはぼんやりと脳裏に思い浮かべていた。
「願わくば、私もその騎士が盾を帯びる瞬間を間近で見たかったものです。きっと私が見たあらゆる騎士よりも勇ましく見えたことでしょう」
「同感だ、サー・ガウェイン。我々が気づいた時には、既にギャラハッドと盾は共に僧院を離れてしまっていたからな」
兜を脱ぎ、柔らかな金髪を露わにしたガウェインは、拗ねたように両掌を顎に当ててしゃがみ込んだ。その言葉に、鉄兜に顔を隠した騎士の一人が応える。
結局、その決定的瞬間を見たものはユーウェイン達の中にも一人もいない。彼女は人知れず盾と共に去ってしまったというのだから、
ギャラハッドの行動を讃える金の言葉も、今は朝の空気の冷たさに熱が逃げてしまっていた。
「卿はこれよりどのように動く？私達は手傷を負った騎士の手当がある」
騎士の問いに、少し空を仰いで考え込んでからガウェインは答えた。
「このまま、ギャラハッドの進んだ道を追ってみようと思います。盾は彼女を選んだ。ならばその先にはきっと―――」
「しかし、かの騎士はあなたの仲間ではありますまい」
青い眼球だけが真横に動いて、言葉を挟んだ僧に的を絞った。
「何故です？彼女は私と同じく、騎士王の円卓の席に着いた名誉ある人物です」
「円卓には上座も下座もない。なれば、私と彼女の、一体何が違うと？」
「かの騎士は神の恩寵がございます。円卓の災厄の席に着き、尚も健在たることがその証左」
「されど、あなたはその身に、神に対する罪を残していることでしょう。苦行を以てそれを懺悔せねば、あなたは同じ道には辿り着けない」
冷たい空気が、痛みを伴って周囲の騎士達の肌を苛んだ。
眼前の太陽の騎士の視線が凍り付くようで、それが彼らを困惑もさせた、戦場にあって熱く猛り、しかし平時には暖かな彼女の表情ではなかった。
「―――では、私が為すべき苦行とは何でしょうか？」
「私が手本を示しましょう」
そう答えた瞬間、しわがれた声の僧の姿は消え失せていた。代わりに、鋭く白い鎧を纏う騎士が、白い剣と、白い盾を携えてそこに現れた。
流石に、氷漬けでい続けるわけにはいかなかった。冷気を飲み込み、周りの騎士達が目の前の幽鬼を前に一斉に武器を向けた。
「待ちなさい！」
「しかし、ガウェイン卿！」
「その鎧、色は違えどギャラハッド卿のものではないか！卿は己を偽ってガウェイン卿を嘲り、ここで闇討とうとしたのか！」
手を横に伸ばして騎士を制しながら、幽鬼の鎧に目を向ける。確かにそれはギャラハッドのものに近く、左手の盾こそが、彼女が持ち去った白き盾であると確信させる神聖さを帯びていた。
しかし、声を荒げる騎士達と対照的に、ガウェインの様子は未だ落ち着いたものだった。
「鎧を変えて変装など、昔ランスロットがよくやっていた悪戯。腹を立てるまでもありません」
「それよりも、親友の子に疑いをかける方が、ずっと私の名誉を陰らせます……大丈夫ですよ。彼女はこのような仕掛け方をする子ではありませんから」
その言葉の後半に、いつものガウェインの柔和を感じた騎士は、緊張状態が解けたものとして僅かに武器に込める力を抜いた。そして、
「それに」
「いずれにせよ、鎧を砕いて兜を剥がせば分かることです。可愛い悪戯か―――彼女を騙る愚か者か」
握り締めた太陽の剣が、金の輝きと共に火を噴き上げた。

冷気を熱気が裂く、白んだ青空を赤い火が焼く。
身の丈に迫る巨大な剣を、細身の鎧に身を包んだ女性が片手で自在に手繰り、灼熱の刃を浴びせかける。
流石に、周囲の草原と僧院を丸ごと焼くほどの火は上がっていない。しかしそれを見る騎士は、もはや直撃して鎧が砕けるだけで済むものかと確信させた。
振るう、縦に、横に、車輪が巡るように。一撃が必殺で在りながら、挙動は冗談のように軽やかで激しい。いかに幽鬼とて、尋常の騎士が数秒と保つ剣閃ではない。
しかし、
躱す、後ろに、左右に。風に揺れる草花のように、それに触れれば一瞬で燃え尽きることを知らぬように。幽鬼の立ち回りは、ガウェインを前にして一切の畏れというものが感じられなかった。
膠着を破ったのは、短く2回放ったガウェインの袈裟斬り。それが幽鬼の左右の退路を塞ぐと、飛び退く鎧に剣を突き立てる。
誰もが、鎧が刃に砕かれ、火に焼かれる様を見た。はずだった。
火ではない、冷たい鮮血が飛び散る。幽鬼でなく、ガウェインの肩に突き立てられた白い剣から。
太陽の騎士が倒れ伏せる。その様を見た騎士は、むしろ幽鬼の正体が、ガウェインに敵うその騎士がギャラハッドではないかという疑いが確信に迫っていた。
「―――これにて、あなたの難行の使命は果たされました。後は自由に」
「……いえ、待ちなさい」
白い剣から血を落とした幽鬼が、起き上がったガウェインに振り向いた。兜を脱ぎ、汗に塗れた顔を拭った彼女に継戦の意思は見受けられなかった。
「あなたは、それを何故問うのです？」
「……」
沈黙。
「あなたは、己が罪に既に気づいているはず」
「……」
沈黙。
「もし、貴方が友の子に負けることを恥じ、それを認めぬ心がそうさせるのであれば―――」
「肩に力が入っていませんでしたよ？」
それまでの気迫が嘘であるかのように、ガウェインは快活に答えた。
「……肩？」
「彼女、結構何にしても無理をしているところがあるというか……未だ若いですからね。私とて、同じ年頃の時は苦労を重ねたもの。心配でもけして手助けしすぎないよう注意を払っていました」
「その点、貴方の剣はギャラハッドと似ていますが、そのものではない。明らかに戦い慣れている。私達のように、幾度も血に濡れて覚えたことでしょう」
「いえ、あるいはずっと長く、古い技の妙が貴方からは感じられた。見事としか言いようがない。大事な冒険の最中でなければ直ぐに王に紹介したかったのですが……」
饒舌になったガウェインを前に、幽鬼は―――ギャラハッドの血統を遡る、今は霊となった古い騎士は、微かに頬を緩ませた。
ギャラハッド、我が血統の最後の者、完全なる騎士。それがこの太陽の騎士に言わせれば、未だ可愛げを隠しきれていないようだ。
「ならば、それで構わない。あなたはその善きことを、最期まで離さぬことだ」
「離す、ですか？私が？」
「そう、いかに憎悪の渦中にあっても。それを忘れた時、あなたは再び罪を背負うこととなる」
罪。
それがガウェインの胸中を騒がせた。騎士は自身の善きを讃えたが―――自身が全て潔白でないことは、承知の上であったからだ。
これまで憎んだもの、殺したものが、今は頭の上で保留になっただけ。その魔法が解けたときに、自分はその灰を被り、きっと苦しみと共に果てるのだと。
「それは有り得ません」
「確かに私は罪を犯し―――しかし、全ては終わりました。灰で溺れ死ぬことは覚悟の上でも、その上にある、私が護るべき全ては二度と焼けることはないでしょう」
「王と、我が友と、我が家族に、確かに安寧はあると信じています」
疑いなくガウェインは答え、白い騎士は姿を消した。

騎士ベディヴィエールとグリフレット

「たまには普通に駒を持つのも楽しいものだな」
金の駒を一つ北へ。
「それが普通です、サー・ベディヴィエール。駒が勝手に動いては戦略の意味がありません」
銀の駒を一つ南へ。
向かい合って座る二人の騎士の間には、小さな机に置かれた金と銀のゲーム盤があった。
かつては自ら駒が動き戦ったというブリテン13の秘宝の一つは、今はこうして尋常の玩具として彼女らの指先に駒を摘まれている。
中央を守る役の金の駒をベディヴィエールが、四方から攻める銀の駒をグリフレットが操るが、その手番はここ数手重苦しく動かない。
「…………」
グリフレットは暫し考え込む。定石に従い、彼女はそれを違わず実行してはいるものの、盤上には期待した通りの手応えを感じられていなかった。
「ん、グリフレット。あまり盤ばかり見ても面白くはないぞ」
「せっかくこうして面を合わせて戦うのだから、言葉の一つか二つでも投げかけてやればいい。耳の痛い話の一つでもしてやれば上手く切り崩せるものだ」
ベディヴィエールが左手で頬を支えながら話しかける。
要は、盤外戦術を使うのも戦術のうちと言いたいらしい。実際、彼女はそれで多くの相手を打ち倒し、物理的に打ち倒されたことも少しはあった。
グリフレットは勝負事においてまだ多くを知っているとは言い難い。が、それを知れば正確に使いこなすだろうことをベディヴィエールは期待していたのだ。
「では、サー・ベディヴィエール。少し尋ねたいことがあります」
「いやもうちょっと不意に聞いたほうがいいぞ？一体何だ、パーシヴァルが応援した方が負けたからって怒ってこいつを投げ捨てた話か？」
「いえ、そのことでは……いえそれは非常に気になるのですが。後にしましょう、私が聞きたいのは」

「今、騎士達が探し求めている聖杯。あれは一体何なのでしょうか」

ベディヴィエールの手が止まった。
それは確かに効果的だった。長く複雑な話だが、今まさに誰もが関与する重大な関心事でもあったのだから。彼女にはそれを伝える義務があった。
今、このキャメロットに残る騎士はベディヴィエールとグリフレットを加えてもごく僅か。残りのものはその殆どが、聖杯探索なる既知の中で最も困難であろう冒険に旅立ち、まだ誰も帰ってきていないのだから。
「———そうだな。少し長くなるが、話をするとしようじゃないか……まあ、ウチの宮廷魔術師の受け売りでしかないんだがな」
腹の立つ柔らかな白い髪を思い浮かべながら、ベディヴィエールはゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

「そもそも聖杯というものは、かつて救世主が最後の晩餐で使った盃のことだ。要するにただのカップだ」
「なんでも、それをアリマタヤのヨセフとかいう男が、救世主の血に濡れた聖槍と一緒にこっちに持ち込んできたらしい」
「救世主の名残を残すものなのだから、当然そいつらは聖遺物ってわけだ。聖遺物は、この地に神の恩寵を齎した———精霊に守られた古来のブリテンとは異なる、新しい祝福だ」
「で、ヨセフの子孫は代々その聖遺物を守り続けていた。というわけだな」
「いた？今は違うのですか？」
いた。即ち、現在その子孫は聖遺物の守りの任についていないことを意味していた。
どれほどの年月といえども、それを守ることを放棄するとは俄に信じがたいことであった。ならば、その原因は偶発的な事故にあったのではないか。
「ああ、聖遺物を守るに当たって必要なものはなんだと思う？」
「厳重な守りです」
グリフレットは即答した。事実、彼女達円卓の騎士達はその精強さを以ってブリテンと秩序を守ってきたことは確かだ。
「まあ普通に考えればそうだ。が、必要だったのはそれの側にある資格……人としての正しさだとか、純潔こそ求められたそうだ」
「考えること、言うこと、為すこと、その悉く邪なかれ。聖職者の言葉の通りですね」
聖職者。正しく神の恩寵たる秘蹟を守る彼らは、騎士達のような武力が触れられぬ一線を引き、力なき者を守るもう一つの盾となっていた。
「ただ、子孫はそれを果たせなかった。偶然見えた巡礼の女の肌を邪な目で見たからだと言うが……」
「それも聖遺物の守護者にとっては重い罪だったんだな。聖槍はその者の上に落ちて、二度と癒えない傷を与えた」
「で、以来聖遺物の守護者は罪の王と呼ばれ———聖杯は隠れてしまった。誰もそれを見つけることはできなかった」
「では、聖杯の恩寵も同時に隠れてしまったと？」
「ああ。それからが、今の時代さ。人が人の力でどうこうしようとして果たせない、鉄臭い血の時代がな」
ベディヴィエールは肩をすくめて言った。かくして聖杯の恩寵は絶えた———そして今、精霊と国土に由来する神秘もまた消えかかっている。
かつて駒が勝手に動いた不思議なゲーム盤が、ただのゲーム盤に戻ってしまったように。神より人へ移りゆく時代の中で、
恩寵なきブリテンは取り残され、色褪せていく。それに起因する国土と人心の荒廃、止まぬ戦禍と疫病。それは今まさに、彼女達の首を絞めつつあったのだ。
「そして———」
問題の核心が近い。思わずグリフレットは言葉を繋いだ。
「あぁ」
「聖杯は、まさに我々の前に現れた。———マーリンの予言通りにな」
そこから先は、グリフレットにとっても既知の出来事だ。
始まりは、ガウェインがマーリンから騎士王へ届けた言伝にあった。
“サングリアル。聖杯を再び探し出すことが、今ブリテンが取り組むべき最大の使命となる“
“この神聖な使命を果たす騎士は既に生まれ、いつでも出発の準備は整っている“
そして、騎士王と彼の配下の全ての騎士が会食をしている最中に、雷鳴と稲妻が轟いた。しかしそれは恐ろしい光景ではなく、輝きに照らされた全てのものが
常より遥かに美しくあるように感じられた。部屋の中には心地よい空気が満ち、誰もがその瞬間を幸福と感じたのだという。
そして、その合間に白いヴェールに包まれた杯が入って来て、そのまま広間を横切って消えていった。
「しかしグリフレット。卿は良く冷静にその様を見届けたものだ。私はとてもじゃないが詳しく見ている余裕は無かったぞ……」
あまりに突然のことであったため、そして、長らく神秘が薄れ不思議な出来事も起こってはいなかったため、騎士達の多くはその現象を呆然と見つめていた。
「いえ、私は———」
「？」
その返答に、僅かに眉を寄せたが、すぐに気にならなくなった。
「よし、これで勝負ありだな」
「……あ」
二人の盤上の趨勢が、ベディヴィエールの勝利で決着したからだ。興味深い話で注意を引くはずが、完全にグリフレットの方が聞き入ってしまっていた。
「負けました。見事です、サー・ベディヴィエール」
「いや。前にも言ったが、卿は盤上でも実戦でも筋自体はかなり良い。後は経験の問題だから、気長にやっていればすぐに伸びるさ」
銀の駒と、金の駒をそれぞれ片付ける。これも昔は勝手に片付いて面倒が無かったが、今となっては叶わない機能でしかなかった。
「あの事件から今まで、気がつけばあっという間の時間だったな。騎士達が我こそはと名乗りを上げて、結果城が空になってしまったわけだ」
“必ず私が見つけ出し、それまでは城に帰ることはありません！”とガウェインが真っ先に先制し、それに感化された騎士が次々と立ち上がった。
無論、城を本当に空けるわけにもいかないので、最終的にはベディヴィエールやグリフレットが最低限の守りとして残った形となる。
「卿は、旅立った騎士の中で誰が聖杯を持ち帰ると信じていますか？皆口々に、聖杯を得るのはサー・ギャラハッドであると噂されています」
ギャラハッド。マーリンの予言と共に現れた天性の才を持つ湖の騎士の子。
あまりにも出来すぎた出自と、出来すぎた能力。それを間近で見たからこそ、その騎士の名を挙げる者は少なくは無かった。だが、
「———全く、これでは探索というより選別……いや、巡礼だろうかな」
「はい？」
聖杯にたどり着くものは、その側に在ることを許されるのは、真の純潔を保つ者のみ。
ならば、旅立った騎士達が考えるのは、聖杯に選ばれた時こそ自らの過去の罪が赦されるのだという一縷の望みであったのだろう。
それを否定はできない。真に無垢なるものがこの世に何人いることだろう。望みがあるのであれば、それに縋ってもいいではないか。
例え、極僅かを除いて挫折する他ない道程であったとしても。
「いや、誰が勝つかなんぞ私にもわからんさ。どうせマーリンの奴が勿体ぶって黙っているから、気になるなら締め上げてやればいい」

「ただ」
「そんなに都合よく、罪ある私たちが救われるものだろうかな？」
抗い続けた罪は、誰に赦しを乞えば良い。

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