最終更新:ID:QW+3MeAkhg 2019年09月09日(月) 23:43:11履歴
【元ネタ】史実
【CLASS】セイバー
【真名】フニャディ・ヤーノシュ
【異名・別名・表記揺れ】イオアン・デ・フネドアラ、ヨハネス・コルヴィヌス、白騎士、キリスト教世界の守護者
【性別】男
【身長・体重】cm・kg
【肌色】肌色 【髪色】白 【瞳色】金
【外見・容姿】
【地域】ハンガリー
【年代】1400年代
【属性】秩序・善
【天地人属性】人
【その他属性】人型・騎士
【ステータス】筋力:C 耐久:A 敏捷:B 魔力:B 幸運:C 宝具:A+
【CLASS】セイバー
【真名】フニャディ・ヤーノシュ
【異名・別名・表記揺れ】イオアン・デ・フネドアラ、ヨハネス・コルヴィヌス、白騎士、キリスト教世界の守護者
【性別】男
【身長・体重】cm・kg
【肌色】肌色 【髪色】白 【瞳色】金
【外見・容姿】
【地域】ハンガリー
【年代】1400年代
【属性】秩序・善
【天地人属性】人
【その他属性】人型・騎士
【ステータス】筋力:C 耐久:A 敏捷:B 魔力:B 幸運:C 宝具:A+
拡大傾向にあったオスマン帝国をたびたび退け、キリスト教世界の守護者と称された。
加えて敵対者であるオスマン皇帝も、彼に対してハンガリー王以上の敬意を示していたとされる。
常に一定以上の知名度補正を受け、ステータスの上昇及びバッドステータス耐性を得る。
守護者であると同時に彼は死の淵に立ってなお、信仰者達の協調を望んでいた。
加えて敵対者であるオスマン皇帝も、彼に対してハンガリー王以上の敬意を示していたとされる。
常に一定以上の知名度補正を受け、ステータスの上昇及びバッドステータス耐性を得る。
守護者であると同時に彼は死の淵に立ってなお、信仰者達の協調を望んでいた。
全カトリック教会において正午に響く鐘。
フニャディのベオグラードにおける勝利を祝福するもの。
教皇の指示のもとヨーロッパ中に広まった正午の祝鐘は、現代において世界各地で習慣化している。
それはそのままフニャディへの祈りであり、彼に対する信仰の強大さを担保するものである。
正午に向かうにつれステータスが上昇し、中天においては勝利によって増加した鐘撞の頻度に合わせ通常時の7倍に達する。
フニャディのベオグラードにおける勝利を祝福するもの。
教皇の指示のもとヨーロッパ中に広まった正午の祝鐘は、現代において世界各地で習慣化している。
それはそのままフニャディへの祈りであり、彼に対する信仰の強大さを担保するものである。
正午に向かうにつれステータスが上昇し、中天においては勝利によって増加した鐘撞の頻度に合わせ通常時の7倍に達する。
他者を守るとき、一時的に防御能力を向上させる。
キリスト教世界の守護者としては、本来Aランク相当に達する。
ただしヴァルナの戦いで王を守り切れなかったため、ランクとしてはBに留まる。
信仰の加護:A+
一つの宗教に殉じた者のみが持つスキル。
加護とはいっても最高存在からの恩恵ではなく、自己の信心から生まれる精神・肉体の絶対性。
ランクが高すぎると、人格に異変をきたす。
キリスト教世界の守護者としては、本来Aランク相当に達する。
ただしヴァルナの戦いで王を守り切れなかったため、ランクとしてはBに留まる。
信仰の加護:A+
一つの宗教に殉じた者のみが持つスキル。
加護とはいっても最高存在からの恩恵ではなく、自己の信心から生まれる精神・肉体の絶対性。
ランクが高すぎると、人格に異変をきたす。
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:0 最大捕捉:1
王の独断専行による敗北、キリスト教陣営の貴族の裏切りによる捕縛、オスマン帝国の進行に際する王の逃亡、危機に至ってなお反発する国内貴族……
非協力的な味方陣営を抱えながら、強大な敵に立ち向かい勝利したセイバーが困難の中で得た技能が宝具化したもの。
頼るものが数少ない状況への対処能力は単独での戦闘継続に特化した宝具として表れている。
同ランクのカリスマ、軍略、単独行動、黄金律、戦闘続行、仕切り直し、陣地作成スキルをあらゆるクラスに持ち込むことができる他、少数での戦闘時有利な補正を得る。
王の独断専行による敗北、キリスト教陣営の貴族の裏切りによる捕縛、オスマン帝国の進行に際する王の逃亡、危機に至ってなお反発する国内貴族……
非協力的な味方陣営を抱えながら、強大な敵に立ち向かい勝利したセイバーが困難の中で得た技能が宝具化したもの。
頼るものが数少ない状況への対処能力は単独での戦闘継続に特化した宝具として表れている。
同ランクのカリスマ、軍略、単独行動、黄金律、戦闘続行、仕切り直し、陣地作成スキルをあらゆるクラスに持ち込むことができる他、少数での戦闘時有利な補正を得る。
ランク:A++ 種別:対界宝具 レンジ:0〜50 最大捕捉:1000
敗北から立ち上がり勝利をもって騎士と称されたセイバーの象徴。
世界を背負い世界に臨む、不撓不屈の精神をもって対界へと昇華された騎士の誉れ。
偉大なる勝利の名のもとに布陣し、自身を教皇から称された世界の光と規定する大宝具。
一般的な布陣系宝具同様味方の強化、敵の弱体化を行う他、この陣地内の時刻を正午に固定する。
祝福を与えられたからこその勝利ではなく、勝利したからこそ祝福得たという、彼の栄光を示す自助効果。
陣地そのものの補正もあり、この宝具展開時のセイバーを正面から撃破することは非常に困難。
さらに、奇襲の逸話により魔力消費は大きいものの、瞬時に布陣し攻勢に出ることも可能である。
反面、ベオグラートの勝利後訪れた死の逸話により宝具収束後大きな負担に見舞われる。
即座に消滅には至らないものの、最低でも連続での戦闘は困難である。
敗北から立ち上がり勝利をもって騎士と称されたセイバーの象徴。
世界を背負い世界に臨む、不撓不屈の精神をもって対界へと昇華された騎士の誉れ。
偉大なる勝利の名のもとに布陣し、自身を教皇から称された世界の光と規定する大宝具。
一般的な布陣系宝具同様味方の強化、敵の弱体化を行う他、この陣地内の時刻を正午に固定する。
祝福を与えられたからこその勝利ではなく、勝利したからこそ祝福得たという、彼の栄光を示す自助効果。
陣地そのものの補正もあり、この宝具展開時のセイバーを正面から撃破することは非常に困難。
さらに、奇襲の逸話により魔力消費は大きいものの、瞬時に布陣し攻勢に出ることも可能である。
反面、ベオグラートの勝利後訪れた死の逸話により宝具収束後大きな負担に見舞われる。
即座に消滅には至らないものの、最低でも連続での戦闘は困難である。
ハンガリーの国民的英雄にして、ヨーロッパ圏における対オスマン戦線最大の旗頭。
年若いころから傭兵団と肩を並べ戦場へ出撃し、身をもって戦を学んだ戦術家。
貴族ながらに国を、キリスト教世界をほぼ独力で守護し今なお称えられる守護騎士。
若年時からハンガリー宮廷に出仕していたフニャディは、ハンガリー王ジグモンド(後の神聖ローマ皇帝)にその才を評価されヨーロッパ各地での戦闘に参加していた。
有力貴族や傭兵隊長のもとで戦いう中でめきめきと頭角を現してゆき、フス派やオスマン帝国との戦いの後その功績からハンガリー南部、オスマン帝国との前線となる土地の守護を任されることになる。
直後、代替わりしていたハンガリー王が没し継承争いが勃発、ウラースロー1世に味方し見事王位に就くことを助けた。
内乱の際荒れた国内の平定、さらに対オスマン体制を整えるため王はフニャディに重職とともに広大な土地を与える。この土地が、のちにフニャディが独力での対オスマン戦力の維持を助けていくことになる。
重職を得た1441年からその死までの15年間は戦いの連続の日々である。
セルビアでのオスマン軍迎撃に始まり、包囲されたトランシルヴァニアの都市の開放その報復を山脈越えの速攻による撃破など勝利を重ねその名声をキリスト教世界にとどろかせた。
勢いに乗りオスマン帝国との戦いに決着をつけるべくフニャディは、ハンガリー王に親征を進言、これにより実施された『大遠征』はハンガリーポーランド外からも兵が集められ類を見ない大軍勢と化した。
バルカン山脈を越えセルビアの都市を奪還、分かれていた本体との合流後オスマン皇帝ムラト2世率いる軍にも勝利し、首都陥落は目前であった。
しかし、オスマン軍による峠の封鎖に加え厳冬に襲われたことにより進軍は断念、フニャディは帰路に付き、ムラト2世との間に10年間の和平が結ばれることになる。
帰国と同時期にムラト2世は息子のメフメトに後を任せ退位、船に乗り隠棲地へと向かった。
これに対しフニャディとつながりのある枢機卿チェザリーニが海峡を封鎖、海上で西欧の国がオスマン帝国を攻撃した際ハンガリーは地上からオスマンを攻める宣誓のもと、ハンガリー軍は再びオスマンへの侵攻を開始する。
オスマン帝国はこの窮地にムラト2世の復位を発表、セルビア公の裏工作もあり海峡を突破高額でジェノバの船舶を買収しヨーロッパへ帰国、こうしてフニャディ最大の屈辱ヴァルナの戦いが始まったのであった。
対するオスマン軍は倍以上であったもののフニャディの奮戦により、ムラトの軍の両翼は敗走し勝利の天秤はいずれに傾くかわからない盤面であった。
が、フニャディの奮戦に勢いづいたハンガリー王がムラト2世の本隊へ総攻撃を嘉行、イェニチェリに難なくいなされ死亡した。
混乱状態に陥ったハンガリー軍はフニャディの指示もむなしく壊滅。フニャディ自身も戦場から脱出できたもののワラキア公ヴラド2世に捕縛され投獄の憂気目に合っている。
以降数年は混乱するハンガリーの摂政として、大貴族を抑え中小貴族を宥め中央集権と国防強化のために尽力する。
とはいえ王権の全てを握れていたわけでなかったため、事業は難航しのちの苦労にもつながっている。
この時期に教皇から公の称号を授与されオスマン戦の再開を狙ったものの、貴族の裏切りにより友軍と合流できずコソヴォの戦いで再び敗れ虜囚の身となってしまう。
解放されたものの立場の弱まりは見過ごせず、オスマンとの休戦を結び政治工作に奔走することとなってしまった。
この時期は、王の成長とともにフニャディが国を動かすことへの反発も強まり、摂政の座も返上することとなる。
王はフニャディに地位、称号、恩賞地を多く与え労ったものの、かえって貴族の嫉妬を買うことにもなってしまった。
一方でオスマン帝国は、コンスタンティノープルを包囲、東ローマ皇帝からも援軍の要請が来ていたものの国内の不安定さと休戦条約によりフニャディは動けないままでいた。
ほどなくコンスタンティノープルが陥落、次なる目標をハンガリーと定めたオスマン軍は、南ハンガリーの玄関口ベオグラードへと迫っていた。
ベオグラードの陥落は中央ヨーロッパへの進路開拓も意味し、何としてでも防がねばならない状況でハンガリー王は逃走、大貴族たちも腰を上げるつもりはなかった。
そんななかフニャディは政敵との不和を解消し、自らの精鋭を率いて包囲を受けたベオグラードへ救援に向かった。
自ら調達した武器と食料と息子たちを指揮官として残し一時離脱、近隣でかき集めた小舟と教皇から派遣された貧民十字軍とともに時を待った。
そして1456年7月、メフメト2世率いるオスマン軍は、ベオグラード到着後即座に砲撃を開始。
貧民海軍によるかく乱、城内守備隊と合流したフニャディの城内に配置した伏兵による奇襲によってオスマン軍は大打撃を受けることとなった。
この勝利によりハンガリーは以降70年の平和を得たものの、数週間後軍内で流行したペストによりフニャディは死亡する。
彼の勇名はヨーロッパ中に尚轟き、キリスト教世界の守護者、ワラキアの白い騎士と称えられ、オスマンに対する勝利を願う週1の鐘撞は、彼を称える正午の鐘撞へと変化したのであった。
年若いころから傭兵団と肩を並べ戦場へ出撃し、身をもって戦を学んだ戦術家。
貴族ながらに国を、キリスト教世界をほぼ独力で守護し今なお称えられる守護騎士。
若年時からハンガリー宮廷に出仕していたフニャディは、ハンガリー王ジグモンド(後の神聖ローマ皇帝)にその才を評価されヨーロッパ各地での戦闘に参加していた。
有力貴族や傭兵隊長のもとで戦いう中でめきめきと頭角を現してゆき、フス派やオスマン帝国との戦いの後その功績からハンガリー南部、オスマン帝国との前線となる土地の守護を任されることになる。
直後、代替わりしていたハンガリー王が没し継承争いが勃発、ウラースロー1世に味方し見事王位に就くことを助けた。
内乱の際荒れた国内の平定、さらに対オスマン体制を整えるため王はフニャディに重職とともに広大な土地を与える。この土地が、のちにフニャディが独力での対オスマン戦力の維持を助けていくことになる。
重職を得た1441年からその死までの15年間は戦いの連続の日々である。
セルビアでのオスマン軍迎撃に始まり、包囲されたトランシルヴァニアの都市の開放その報復を山脈越えの速攻による撃破など勝利を重ねその名声をキリスト教世界にとどろかせた。
勢いに乗りオスマン帝国との戦いに決着をつけるべくフニャディは、ハンガリー王に親征を進言、これにより実施された『大遠征』はハンガリーポーランド外からも兵が集められ類を見ない大軍勢と化した。
バルカン山脈を越えセルビアの都市を奪還、分かれていた本体との合流後オスマン皇帝ムラト2世率いる軍にも勝利し、首都陥落は目前であった。
しかし、オスマン軍による峠の封鎖に加え厳冬に襲われたことにより進軍は断念、フニャディは帰路に付き、ムラト2世との間に10年間の和平が結ばれることになる。
帰国と同時期にムラト2世は息子のメフメトに後を任せ退位、船に乗り隠棲地へと向かった。
これに対しフニャディとつながりのある枢機卿チェザリーニが海峡を封鎖、海上で西欧の国がオスマン帝国を攻撃した際ハンガリーは地上からオスマンを攻める宣誓のもと、ハンガリー軍は再びオスマンへの侵攻を開始する。
オスマン帝国はこの窮地にムラト2世の復位を発表、セルビア公の裏工作もあり海峡を突破高額でジェノバの船舶を買収しヨーロッパへ帰国、こうしてフニャディ最大の屈辱ヴァルナの戦いが始まったのであった。
対するオスマン軍は倍以上であったもののフニャディの奮戦により、ムラトの軍の両翼は敗走し勝利の天秤はいずれに傾くかわからない盤面であった。
が、フニャディの奮戦に勢いづいたハンガリー王がムラト2世の本隊へ総攻撃を嘉行、イェニチェリに難なくいなされ死亡した。
混乱状態に陥ったハンガリー軍はフニャディの指示もむなしく壊滅。フニャディ自身も戦場から脱出できたもののワラキア公ヴラド2世に捕縛され投獄の憂気目に合っている。
以降数年は混乱するハンガリーの摂政として、大貴族を抑え中小貴族を宥め中央集権と国防強化のために尽力する。
とはいえ王権の全てを握れていたわけでなかったため、事業は難航しのちの苦労にもつながっている。
この時期に教皇から公の称号を授与されオスマン戦の再開を狙ったものの、貴族の裏切りにより友軍と合流できずコソヴォの戦いで再び敗れ虜囚の身となってしまう。
解放されたものの立場の弱まりは見過ごせず、オスマンとの休戦を結び政治工作に奔走することとなってしまった。
この時期は、王の成長とともにフニャディが国を動かすことへの反発も強まり、摂政の座も返上することとなる。
王はフニャディに地位、称号、恩賞地を多く与え労ったものの、かえって貴族の嫉妬を買うことにもなってしまった。
一方でオスマン帝国は、コンスタンティノープルを包囲、東ローマ皇帝からも援軍の要請が来ていたものの国内の不安定さと休戦条約によりフニャディは動けないままでいた。
ほどなくコンスタンティノープルが陥落、次なる目標をハンガリーと定めたオスマン軍は、南ハンガリーの玄関口ベオグラードへと迫っていた。
ベオグラードの陥落は中央ヨーロッパへの進路開拓も意味し、何としてでも防がねばならない状況でハンガリー王は逃走、大貴族たちも腰を上げるつもりはなかった。
そんななかフニャディは政敵との不和を解消し、自らの精鋭を率いて包囲を受けたベオグラードへ救援に向かった。
自ら調達した武器と食料と息子たちを指揮官として残し一時離脱、近隣でかき集めた小舟と教皇から派遣された貧民十字軍とともに時を待った。
そして1456年7月、メフメト2世率いるオスマン軍は、ベオグラード到着後即座に砲撃を開始。
貧民海軍によるかく乱、城内守備隊と合流したフニャディの城内に配置した伏兵による奇襲によってオスマン軍は大打撃を受けることとなった。
この勝利によりハンガリーは以降70年の平和を得たものの、数週間後軍内で流行したペストによりフニャディは死亡する。
彼の勇名はヨーロッパ中に尚轟き、キリスト教世界の守護者、ワラキアの白い騎士と称えられ、オスマンに対する勝利を願う週1の鐘撞は、彼を称える正午の鐘撞へと変化したのであった。
セイバーによる召喚の場合守護騎士としての特色が強く出ており、集団の指揮よりも単体での戦闘に重きを置いている。
人格的にも策略家な面は薄まり民を自身の信じる世界の守護のため、理性を超えて行動する場面も見られるだろう。
さらに、守護騎士としての側面が強まったことで、生前果たせなかった王を守護することに執着を見せマスターを生き残らせることに全力を注ぐ。
他の相手の悪感情を稼ぎすぎるような行為は流石に制止するが、そうでなければ道義にもとる行為でも指示されたのならば実行する。
地位も、名誉も、財産も、華々しい勝利も得たが主を守り戦うことが出来なかった後悔、それがフニャディが聖杯戦争を望む理由である。
無論、特異点のような異常事態であっても召喚に応じないというわけではない、むしろ少数を率いての反攻こそ真骨頂。様々な状況でその力をふるってくれることだろう。
イメージカラー:白
特技:防衛戦、奇襲、少数での戦い
好きなもの:平和、人々の笑顔
嫌いなもの:勝手に動く味方、攻め込んでくる敵、裏切り
願い:主を守護すること
【一人称】私 【二人称】キミ(主、わが主) 【三人称】貴方、貴殿(〇〇殿、○〇様、呼び捨て)
人格的にも策略家な面は薄まり民を自身の信じる世界の守護のため、理性を超えて行動する場面も見られるだろう。
さらに、守護騎士としての側面が強まったことで、生前果たせなかった王を守護することに執着を見せマスターを生き残らせることに全力を注ぐ。
他の相手の悪感情を稼ぎすぎるような行為は流石に制止するが、そうでなければ道義にもとる行為でも指示されたのならば実行する。
地位も、名誉も、財産も、華々しい勝利も得たが主を守り戦うことが出来なかった後悔、それがフニャディが聖杯戦争を望む理由である。
無論、特異点のような異常事態であっても召喚に応じないというわけではない、むしろ少数を率いての反攻こそ真骨頂。様々な状況でその力をふるってくれることだろう。
イメージカラー:白
特技:防衛戦、奇襲、少数での戦い
好きなもの:平和、人々の笑顔
嫌いなもの:勝手に動く味方、攻め込んでくる敵、裏切り
願い:主を守護すること
【一人称】私 【二人称】キミ(主、わが主) 【三人称】貴方、貴殿(〇〇殿、○〇様、呼び捨て)
ヴラド3世;
自身の後を継いだ対オスマンの旗頭の1人。
急死した自身の後継者として強い感謝の念を持つと同時に、彼の父・自身の息子とのそれぞれの因縁もあり関係は複雑。
貴族の統制での苦労など共通する話題はあるものの、どうしても対応がぎこちなくなってしまう。
ムラト2世:
一進一退の攻防を繰り広げた宿敵。
たがいに戦法を手本とした他、帝位を退いた隙を突けば即座に復位するなど因縁は深い。
ヴァルナの戦いでは敗れたものの、ヤーノシュの過失は大きくなく、ベオグラートの戦いではすでに亡くなっていたため決着もついていない。
オスマン皇帝という位への敵愾心は薄いものの決着を付けたい相手。
ガウェイン:
白い鎧、特定時間の自己強化、マスターによく仕えることを良しとするなど共通点が多い。
自身の後を継いだ対オスマンの旗頭の1人。
急死した自身の後継者として強い感謝の念を持つと同時に、彼の父・自身の息子とのそれぞれの因縁もあり関係は複雑。
貴族の統制での苦労など共通する話題はあるものの、どうしても対応がぎこちなくなってしまう。
ムラト2世:
一進一退の攻防を繰り広げた宿敵。
たがいに戦法を手本とした他、帝位を退いた隙を突けば即座に復位するなど因縁は深い。
ヴァルナの戦いでは敗れたものの、ヤーノシュの過失は大きくなく、ベオグラートの戦いではすでに亡くなっていたため決着もついていない。
オスマン皇帝という位への敵愾心は薄いものの決着を付けたい相手。
ガウェイン:
白い鎧、特定時間の自己強化、マスターによく仕えることを良しとするなど共通点が多い。
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