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nevadakagemiya 2023年02月16日(木) 11:35:02履歴
「……私は生きるためにこの職に就いているだけだし。
他の子みたいなサービスは期待しないでね。まぁ、どうしてもって言うなら……話を聞かせてあげなくもない、けど」
【氏名】リカルダ・フロント
【性別】女性
【年齢】16歳
【出身】鉄の大洋
【身長・体重】153cm・42kg
【肌色】色白 【髪色】朝焼けのような濃紺と橙色、桃色のグラデーション 【瞳色】薄い青
【スリーサイズ】77/55/78
【外見・容姿】シンプルなビキニウェアに防水パーカー、バイザーグラスを身につける少女
【属性】中立・善
【起源】
【所属】青い林檎
【階位・称号・二つ名】海の映画館
【性別】女性
【年齢】16歳
【出身】鉄の大洋
【身長・体重】153cm・42kg
【肌色】色白 【髪色】朝焼けのような濃紺と橙色、桃色のグラデーション 【瞳色】薄い青
【スリーサイズ】77/55/78
【外見・容姿】シンプルなビキニウェアに防水パーカー、バイザーグラスを身につける少女
【属性】中立・善
【起源】
【所属】
【階位・称号・二つ名】
完全記憶能力の一つ。眼にした映像全てを克明に記憶し、留めておける。
対象は映像、それも実際に目の前で起こったものでなく「記録媒体を介して観た」ものに限られる。
直接目にした出来事でなく画面越しの情報……人の手によって作られた『映像作品』にのみ、その能力は発揮される。
つまるところ、一度観た映画やドラマ、番組を忘れることがない。いついかなる時でも鮮明に思い出し、感動し、咽び泣くことが出来る。
記憶するためのフックが「動き」に固定されているため、画面越しであっても文字だけの情報では意味を成さない。
このような記憶能力としてはやや不便な特性であり、現在の職に就くまでは才能を活かせずに居た。
対象は映像、それも実際に目の前で起こったものでなく「記録媒体を介して観た」ものに限られる。
直接目にした出来事でなく画面越しの情報……人の手によって作られた『映像作品』にのみ、その能力は発揮される。
つまるところ、一度観た映画やドラマ、番組を忘れることがない。いついかなる時でも鮮明に思い出し、感動し、咽び泣くことが出来る。
記憶するためのフックが「動き」に固定されているため、画面越しであっても文字だけの情報では意味を成さない。
このような記憶能力としてはやや不便な特性であり、現在の職に就くまでは才能を活かせずに居た。
人を惹き付ける話術。とりわけ物語を他人に聴かせる能力。
それは寝床で母が子に聞かせるような読み聞かせでも、教師が生徒に訓えるような朗読でもなく。
語りを超えた“演技”。時に身振りを交え、時に声色すらがらりと変えて、小さな画舫 の上で熱演を繰り広げる。
上述の記憶能力に紐付けられた形態模写により、聴くものに凄まじい臨場感と説得力……何だか分からぬ熱意を感じさせることが出来る。
故に付けられた渾名は「海の映画館」。初めは単なる気まぐれに映画のレビューを聞かせていただけだったのだが、いつしかその熱意が評判となり熱演を目撃すべく多くの客が現れた。
……聞かせるのは楽しいのだが、本人としては実際に映画を見て欲しいと語る。しかし画舫 に映像設備を持ち込むわけにもいかない。
妥協点として、現在は画舫 に備え付きのスピーカーを用意した。これにより、演技ではどうしようもない“BGM”の再現を可能とした。
それは寝床で母が子に聞かせるような読み聞かせでも、教師が生徒に訓えるような朗読でもなく。
語りを超えた“演技”。時に身振りを交え、時に声色すらがらりと変えて、小さな
上述の記憶能力に紐付けられた形態模写により、聴くものに凄まじい臨場感と説得力……何だか分からぬ熱意を感じさせることが出来る。
故に付けられた渾名は「海の映画館」。初めは単なる気まぐれに映画のレビューを聞かせていただけだったのだが、いつしかその熱意が評判となり熱演を目撃すべく多くの客が現れた。
……聞かせるのは楽しいのだが、本人としては実際に映画を見て欲しいと語る。しかし
妥協点として、現在は
水面の反射を防ぎ、操舵しやすくする為のアイテム。
一見するとフライトゴーグルのようにも見える、現代からするとややクラシカルな雰囲気が漂う逸品。
魔眼殺しとしての性能も持ち、前述する魔眼の暴発を抑えるために使われることもある。
……同時に、自身と周囲を隔てるための壁。自分は傍観者なのだと位置づけるための「画面」でもある。
一見するとフライトゴーグルのようにも見える、現代からするとややクラシカルな雰囲気が漂う逸品。
魔眼殺しとしての性能も持ち、前述する魔眼の暴発を抑えるために使われることもある。
……同時に、自身と周囲を隔てるための壁。自分は傍観者なのだと位置づけるための「画面」でもある。
○髪
短めの襟足に胸元まで届くもみあげ。左側のもみあげは三つ編み。
いつも寝癖と思しき跳ね毛がついていて、ショートカットではあるが比較的ボリュームを感じられるシルエット。
ゴーグルを頭に乗せていることも多く、トレードマークの一つにもなっている。
髪色は朝焼けを思わせる濃紺、毛先に向かうに連れて淡い橙色と桃色を帯びる。
○顔立ち
凛とした、切れ味の鋭い印象を与える顔立ち。
但し気を張っていればの話で、いつも眠たげに目を伏せているので若干だらしない、緩んだ雰囲気が加わる。
何れにせよ表情は豊かな方ではなく、概ね無表情だったりやや眉を顰めていたりまぶたが重たかったり。内向的な性格がそのまま顔に現れている。
タレ目がちではあるが、完全に目が覚めている時や驚いたときなどは本来の栗目となる。
映画の話をする時に限っては多彩な表情、というより演技を見せ、普段とは打って変わって喜怒哀楽がよく現れるようになる。
演技でなくとも、映画のことを話している時は表情が豊かになり自然な笑みも零すようになる。
○服装
防水加工が施されたビニール地のパーカーにシンプルなビキニウェア。
パーカーの質感はレインコートに近く、濡れたり湿気が強い時は張り付き身体のシルエットが浮き出る。
ビキニウェアは比較的布面積が広い。どちらかというとスポーツ的な競技用という印象を与えるデザイン。
色合いは万が一の時に発見されやすい白色で統一されていて、縁取りに黒、アクセントとして蛍光のオレンジカラーが設けられている。
○プロポーション
やや平べったい。本人は「水中の抵抗が少ないからこっちのほうが泳ぎやすい」と頑なに主張する。
短めの襟足に胸元まで届くもみあげ。左側のもみあげは三つ編み。
いつも寝癖と思しき跳ね毛がついていて、ショートカットではあるが比較的ボリュームを感じられるシルエット。
ゴーグルを頭に乗せていることも多く、トレードマークの一つにもなっている。
髪色は朝焼けを思わせる濃紺、毛先に向かうに連れて淡い橙色と桃色を帯びる。
○顔立ち
凛とした、切れ味の鋭い印象を与える顔立ち。
但し気を張っていればの話で、いつも眠たげに目を伏せているので若干だらしない、緩んだ雰囲気が加わる。
何れにせよ表情は豊かな方ではなく、概ね無表情だったりやや眉を顰めていたりまぶたが重たかったり。内向的な性格がそのまま顔に現れている。
タレ目がちではあるが、完全に目が覚めている時や驚いたときなどは本来の栗目となる。
映画の話をする時に限っては多彩な表情、というより演技を見せ、普段とは打って変わって喜怒哀楽がよく現れるようになる。
演技でなくとも、映画のことを話している時は表情が豊かになり自然な笑みも零すようになる。
○服装
防水加工が施されたビニール地のパーカーにシンプルなビキニウェア。
パーカーの質感はレインコートに近く、濡れたり湿気が強い時は張り付き身体のシルエットが浮き出る。
ビキニウェアは比較的布面積が広い。どちらかというとスポーツ的な競技用という印象を与えるデザイン。
色合いは万が一の時に発見されやすい白色で統一されていて、縁取りに黒、アクセントとして蛍光のオレンジカラーが設けられている。
○プロポーション
やや平べったい。本人は「水中の抵抗が少ないからこっちのほうが泳ぎやすい」と頑なに主張する。
唯一、自分の好きな『映画』の話となると“会話”の粋を超えた演技を見せ、臨場感溢れる語り口から“海の映画館”と呼ばれるまでに至った。
本人的にはレビューだけで満足せず全編見て欲しい、という。また、物語の結末だけは絶対に口にしない。
イメージカラー:何も投影されていないスクリーン
特技:形態模写、暗記
好きなもの:映画(特に旧文明のもの)、人の営み、地球の景色
苦手なもの:優柔不断、距離が近い人、ジャンプスケア
天敵:
願い:「……自分の目で、地球の景色を見てみたい。自分の足であの星に立ってみたい。彼らが……あの人たちが生きた街を、自分も歩いてみたい。子供みたいな夢かもだけど……ね」
【一人称】私*1 【二人称】きみ、あなた、○○さん、お前*2 【三人称】あの子、あの人、あいつ*3
出身は鉄の大洋。
父はスカベンジャーとして活動しており、特に旧文明の“娯楽作品”を主に収集していた。
母は居らず父も家を開けてばかりで、孤独な幼少期を過ごす。そんな中で唯一の楽しみと言えるものが、父が拾い集めた“映画”であった。
初めて映画を見たのは5歳の頃。古ぼけた映像設備に映し出された輝かしい情景を、この海にはない世界を、瑞々しい物語を目にして虜となった。
以降、彼女は映画の虫となった。魔眼による没入感も相まって、彼女は数世紀を隔てた創作世界に“生きていた”。
転機となったのはほんの数ヶ月ほど前のこと。
探索中の事故により父が大怪我を負い、暫くの間働くことが出来なくなったと知らされた。
食い扶持が無くなるもそうだが“映画”を見られなくなるのはもっと困る。ということで、少女は自ら働きに出ることにした。
自分の年齢でも問題なく働くことの出来る職業……初めは酩酊横丁で、という事も考えたが、流石にそこまで自分の体に自信は持てなかった。
私のような貧相な肉体ではそう稼げないだろう。であれば、と思いついたのが……女性でも問題なく働くことの出来る(比較的)安全な職業、珊瑚の海の「画舫 乗り」。
海を隔てることに躊躇はあったが致し方なし。比較的名の知れていた父の名を用いて“手紙”を獲得し、少女は初めて……鉄と享楽ひしめく海を後にした。
そうしてゲートを超え、目の前に広がる仄暗い街並みを目にした時。
言い表せぬ不思議な安寧感と……私はこの世界では生きられないという、一抹の疎外感を覚えたのだった。
父はスカベンジャーとして活動しており、特に旧文明の“娯楽作品”を主に収集していた。
母は居らず父も家を開けてばかりで、孤独な幼少期を過ごす。そんな中で唯一の楽しみと言えるものが、父が拾い集めた“映画”であった。
初めて映画を見たのは5歳の頃。古ぼけた映像設備に映し出された輝かしい情景を、この海にはない世界を、瑞々しい物語を目にして虜となった。
以降、彼女は映画の虫となった。魔眼による没入感も相まって、彼女は数世紀を隔てた創作世界に“生きていた”。
転機となったのはほんの数ヶ月ほど前のこと。
探索中の事故により父が大怪我を負い、暫くの間働くことが出来なくなったと知らされた。
食い扶持が無くなるもそうだが“映画”を見られなくなるのはもっと困る。ということで、少女は自ら働きに出ることにした。
自分の年齢でも問題なく働くことの出来る職業……初めは酩酊横丁で、という事も考えたが、流石にそこまで自分の体に自信は持てなかった。
私のような貧相な肉体ではそう稼げないだろう。であれば、と思いついたのが……女性でも問題なく働くことの出来る(比較的)安全な職業、珊瑚の海の「
海を隔てることに躊躇はあったが致し方なし。比較的名の知れていた父の名を用いて“手紙”を獲得し、少女は初めて……鉄と享楽ひしめく海を後にした。
そうしてゲートを超え、目の前に広がる仄暗い街並みを目にした時。
言い表せぬ不思議な安寧感と……私はこの世界では生きられないという、一抹の疎外感を覚えたのだった。
内向的、受動的。自分から何かを主張するタイプではない。
人との触れ合い自体は嫌いではないが、淡々とした雰囲気もあって相手に冷たい、ドライな印象を与えてしまいがち。
基本的に自分自身の感情を表に出すことが苦手で、根本的には「自分」というものの表現に躊躇を感じているのだと推測される。
輪の中に加わるのではなく、その輪を外側から眺めていたい。既に構築された輪を崩してしまうのが怖く、その一歩を踏み出せずに距離を置いてしまう。
その為人と仲良くなることは少ないが、社会自体には溶け込みやすい。“どこにでもいる”存在である……ど、自己を評価する。
意外と熱くなりやすいが、同時に冷めやすい。怒りが持続しない。
感情を強く表現すること、自分の考えを主張することが苦手なので、怒り慣れてない。
同時に自分に対して強い感情を向けられることにも慣れていない。
お人好し……というよりも、他人に負の感情を抱かれるのが怖い。
一応前置きは告げておくものの、頼まれたら断れず願われたら余程のことでない限りは請け負ってしまう。
本心としてやりたくない、面倒だと思いながら、それが「自分にできること」ならば引き受けてしまうタイプ。
自分のせいで物事が円滑に運ばなくなること、その遅延で負の感情を抱かれてしまうという流れが嫌なので、損を承知の上で承諾する。
肉体的な疲れよりも精神的な疲れを嫌うタイプ。というのが的確な評価だろう。自分の評価が下がるくらいなら苦労や手間は我慢できる性格。
一方、自分よりも優れた人間が居てその者に頼める環境であれば、そちらを頼ったほうが良いと提案して苦労を避ける。
仲介役なら任されてもいい。これは疲れるのが嫌というよりも、より成功率・達成率に期待が出来る方に任せた方がいいだろう、という判断に依る。
その上で自分を頼る、というなら渋々受け入れる。即座に断るのは、どうあがいても自分では不可能な頼み事くらいなもの。
自分に素直になれない。自分の心がわからない。
リカルダの魔眼は「壁を超える眼」。自分ではない他人にのみ向けられる魔眼であり、その感覚を受け取る瞳である。
故にその瞳に自分は含まれない。他人の人生を眺め続けてきた少女には、本来構成されて然るべき『自分』というものがない。
正しくは自分を見つけることが出来ていない。自分は、どういう人物なのか?どう考え、どう生きるのが自分らしいのか?その答えが何一つ見つからない。
映画にのみ人生を費やしていた頃ならまだしも、独り立ちした今となってはその疑問が常に付きまとう。
多くの同僚、他人と触れ合ってきたことでそれが明らかになり始めた。会話を重ねるごとに、自分の心の不明瞭さが顕になった。
リカルダは自分を表現しないのではない。表現できる自分がない。彼女を構築する要素の殆どは、他人の人生に由来するものばかりなのだ。
だから彼女は壁を作る。自分には何もないから、付き合っても意味は無いよと。私は面白い人間ではないよ、と。予防線を張るように。
壁を作り上げる感情は「恐怖」に依るもの。それぞれの人生を生きる者たちと触れ合い、比較され、薄っぺらな自分であることを曝け出すのが怖い。
彼女に渦巻く感情は疎外感。虚無感。焦燥感。
自分には何もない、何をしたら良いのかわからない。
その漠然とした恐怖故に他人との間に壁を築き、自分は輪を眺める「傍観者」であろうと決めたのだ。
────なにもないからこそ、何色にも染まることが出来る。
他人の心がよく分かる。人の気持ちを誰よりも理解できる。その喜びを、怒りを、悲しみを共有できる。
それこそが誰にもない、リカルダ自身の特徴なのだということに気が付けるのは……暫く後のこと。
その瞬間が訪れるまでは、仄暗い雲の下でただ舵を取り続けるしか無い。
……このように全体的にじめっとした雰囲気のインドア派だが、映画にかける情熱は本物である。
というより、胸を張って「自分にあるもの」と言えるのはこの映画への情熱くらいなもの。
父の影響もあり、物心付いた頃から旧文明……1000年近くも前の映像娯楽作品を見続けてきた。
一日に一本は欠かさず見るほどの映画フリークで、ジャンルは問わない。映画というもの全てが尊く、敬われるべきものだと考える。
その前提の上で好き嫌いはあるし「これはひどい」と評する事もある。が、映画に対して悪意を抱くことはない。枕詞に必ず「最高だった」と付く程なのだから。
人の人生を切り取り、世界を作り上げた魂の結晶。それが映画というもの。二時間ほどに収められた映像には、それ以上の情熱が注がれている。
今は亡き地球の景色。望むべくもない日常。あり得ざる物語。遠い未来を生きる自分だからこそ、その映像はより鮮烈に映る。
画面の向こうに広がる景色を、目の前にあるかのように感じ取る事が出来る────そんな彼女が映画にドハマリするのは、もはや必然と言えよう。
基本どのジャンルも好きで、どちらかというと映像を重視するタイプ。
物語……ドラマ、ストーリー、設定も勿論だが、それらは映画以外の作品でも楽しむことが出来る。
けれど画面に広がる映像は、音楽は、人物の表情は、演技は、この映画という媒体にのみ許された表現方法である。
故にリカルダは映像を第一として映画を楽しむ。どれだけ画質が悪かろうと「味がある」と捉える。
なお、ホラーは苦手。特にジャンプスケア*4がとても苦手。
嫌いというわけではない。が、魔眼の性質上その恐怖を何よりも敏感に感じ取ってしまうので、登場人物以上に叫び声を上げる。
次に苦手なのは……濡れ場。本格的な場面でなくとも、キスシーン程度でも強く印象を感じ取ってしまう為にやり場のない興奮を覚える。
機嫌が良い時には映画の主題歌や伴奏を口ずさんでいる。特に「ふふふん…ふん…ふふふん…ふん…♪*5」と鼻歌を歌っている時はすごく上機嫌。
人との触れ合い自体は嫌いではないが、淡々とした雰囲気もあって相手に冷たい、ドライな印象を与えてしまいがち。
基本的に自分自身の感情を表に出すことが苦手で、根本的には「自分」というものの表現に躊躇を感じているのだと推測される。
輪の中に加わるのではなく、その輪を外側から眺めていたい。既に構築された輪を崩してしまうのが怖く、その一歩を踏み出せずに距離を置いてしまう。
その為人と仲良くなることは少ないが、社会自体には溶け込みやすい。“どこにでもいる”存在である……ど、自己を評価する。
意外と熱くなりやすいが、同時に冷めやすい。怒りが持続しない。
感情を強く表現すること、自分の考えを主張することが苦手なので、怒り慣れてない。
同時に自分に対して強い感情を向けられることにも慣れていない。
お人好し……というよりも、他人に負の感情を抱かれるのが怖い。
一応前置きは告げておくものの、頼まれたら断れず願われたら余程のことでない限りは請け負ってしまう。
本心としてやりたくない、面倒だと思いながら、それが「自分にできること」ならば引き受けてしまうタイプ。
自分のせいで物事が円滑に運ばなくなること、その遅延で負の感情を抱かれてしまうという流れが嫌なので、損を承知の上で承諾する。
肉体的な疲れよりも精神的な疲れを嫌うタイプ。というのが的確な評価だろう。自分の評価が下がるくらいなら苦労や手間は我慢できる性格。
一方、自分よりも優れた人間が居てその者に頼める環境であれば、そちらを頼ったほうが良いと提案して苦労を避ける。
仲介役なら任されてもいい。これは疲れるのが嫌というよりも、より成功率・達成率に期待が出来る方に任せた方がいいだろう、という判断に依る。
その上で自分を頼る、というなら渋々受け入れる。即座に断るのは、どうあがいても自分では不可能な頼み事くらいなもの。
自分に素直になれない。自分の心がわからない。
リカルダの魔眼は「壁を超える眼」。自分ではない他人にのみ向けられる魔眼であり、その感覚を受け取る瞳である。
故にその瞳に自分は含まれない。他人の人生を眺め続けてきた少女には、本来構成されて然るべき『自分』というものがない。
正しくは自分を見つけることが出来ていない。自分は、どういう人物なのか?どう考え、どう生きるのが自分らしいのか?その答えが何一つ見つからない。
映画にのみ人生を費やしていた頃ならまだしも、独り立ちした今となってはその疑問が常に付きまとう。
多くの同僚、他人と触れ合ってきたことでそれが明らかになり始めた。会話を重ねるごとに、自分の心の不明瞭さが顕になった。
リカルダは自分を表現しないのではない。表現できる自分がない。彼女を構築する要素の殆どは、他人の人生に由来するものばかりなのだ。
だから彼女は壁を作る。自分には何もないから、付き合っても意味は無いよと。私は面白い人間ではないよ、と。予防線を張るように。
壁を作り上げる感情は「恐怖」に依るもの。それぞれの人生を生きる者たちと触れ合い、比較され、薄っぺらな自分であることを曝け出すのが怖い。
彼女に渦巻く感情は疎外感。虚無感。焦燥感。
自分には何もない、何をしたら良いのかわからない。
その漠然とした恐怖故に他人との間に壁を築き、自分は輪を眺める「傍観者」であろうと決めたのだ。
────なにもないからこそ、何色にも染まることが出来る。
他人の心がよく分かる。人の気持ちを誰よりも理解できる。その喜びを、怒りを、悲しみを共有できる。
それこそが誰にもない、リカルダ自身の特徴なのだということに気が付けるのは……暫く後のこと。
その瞬間が訪れるまでは、仄暗い雲の下でただ舵を取り続けるしか無い。
……このように全体的にじめっとした雰囲気のインドア派だが、映画にかける情熱は本物である。
というより、胸を張って「自分にあるもの」と言えるのはこの映画への情熱くらいなもの。
父の影響もあり、物心付いた頃から旧文明……1000年近くも前の映像娯楽作品を見続けてきた。
一日に一本は欠かさず見るほどの映画フリークで、ジャンルは問わない。映画というもの全てが尊く、敬われるべきものだと考える。
その前提の上で好き嫌いはあるし「これはひどい」と評する事もある。が、映画に対して悪意を抱くことはない。枕詞に必ず「最高だった」と付く程なのだから。
人の人生を切り取り、世界を作り上げた魂の結晶。それが映画というもの。二時間ほどに収められた映像には、それ以上の情熱が注がれている。
今は亡き地球の景色。望むべくもない日常。あり得ざる物語。遠い未来を生きる自分だからこそ、その映像はより鮮烈に映る。
画面の向こうに広がる景色を、目の前にあるかのように感じ取る事が出来る────そんな彼女が映画にドハマリするのは、もはや必然と言えよう。
基本どのジャンルも好きで、どちらかというと映像を重視するタイプ。
物語……ドラマ、ストーリー、設定も勿論だが、それらは映画以外の作品でも楽しむことが出来る。
けれど画面に広がる映像は、音楽は、人物の表情は、演技は、この映画という媒体にのみ許された表現方法である。
故にリカルダは映像を第一として映画を楽しむ。どれだけ画質が悪かろうと「味がある」と捉える。
なお、ホラーは苦手。特にジャンプスケア*4がとても苦手。
嫌いというわけではない。が、魔眼の性質上その恐怖を何よりも敏感に感じ取ってしまうので、登場人物以上に叫び声を上げる。
次に苦手なのは……濡れ場。本格的な場面でなくとも、キスシーン程度でも強く印象を感じ取ってしまう為にやり場のない興奮を覚える。
機嫌が良い時には映画の主題歌や伴奏を口ずさんでいる。特に「ふふふん…ふん…ふふふん…ふん…♪*5」と鼻歌を歌っている時はすごく上機嫌。
純粋にお金を稼ぐため。生きるため。
父だけであればある程度の貯蓄があるので、とりあえず自分の食い扶持を稼ぐために働いている。
趣味は映画鑑賞だが、珊瑚の海では入手が困難ということもあってヤキモキしている。とりあえず持ち込んだ映画を何度も繰り返し鑑賞している。
父だけであればある程度の貯蓄があるので、とりあえず自分の食い扶持を稼ぐために働いている。
趣味は映画鑑賞だが、珊瑚の海では入手が困難ということもあってヤキモキしている。とりあえず持ち込んだ映画を何度も繰り返し鑑賞している。
- ノノイ・5255
- 同僚。優しい人。泳ぎが上手。自分と似ているようで、全然違う。
何事もそつなくこなし、第一印象とは裏腹な暖かい優しさを兼ね備える人物だと認識する。同時に、だからこそ近寄りがたいのだ、とも。
仕事仲間として接することはあっても個人として接する事はない、否……そうあってはならない、と思いこんでいた。
自分のような人間が、彼女という存在の時間を奪ってはいけないと思っていた。が、彼女から声を掛けられたことで認識が変化していく。
誰に対しても優しく甲斐甲斐しい振る舞いは救いになった。何もかもがアウェイな土地で、彼女の案内があってこそある程度の居場所を見つけられた。
強い人だ。彼女の内面全てを知っているわけではない。彼女にもきっと、弱いところはあるのだろう。それでも、グラス越しに映る……リカルダにとっての彼女は、「強い人」なのだ。
彼女に対してはある程度壁を和らげ、表情が柔らかくなる。多少なりとも心を許す事が出来る相手……という意味では、友人とも呼べる間柄なのかもしれない。
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