泥事件簿"第二章"『始まりの意思、その持つ意味』
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nevadakagemiya 2019年11月28日(木) 20:06:07履歴
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【第二章】
某駅、昼食をライネスさんたちと終えた私たちは、
送られた手紙の示す日付にオリジンストーン本家屋敷へと向かうべく電車を待っていた。
周囲には、休日だという事もあるからか、多くの人だかりが行き交っているのが分かる。
「いつ来ても……人だかりが多いですね」
「ああ、ロンドンという町は鉄道網の発展が盛んな街でもあるからな。
自動車産業が発展した現代でも、電車は人々の貴重な手段だ。当然、駅を行き交う人も多くなる」
懐から懐中時計を取り出し、現在時刻を確認しながら師匠が話す。
そして懐中時計を再び胸に仕舞い、顔を上げて短くため息をついた。
「まさか、その行き交う人々の中に顔を見知った魔術師がいるとは、思わなかったがね……」
「連れないことを言わないでください。それと、私たちが出会ったのは、偶然ではなく必然ですがね」
師匠が自分の隣に立つ人を見ながら、そうぼやく。
そう。オリジンストーン本家へと向かう集まりは、自分と師匠だけではなかった。
自分と、師匠と、そしてもう１人。或る偶然……いや、必然から屋敷へと向かう人物が１人増えたのだ。
年齢で言うならば、１２歳ごろの少女。しかしそれに見合わぬほどに大人びた……いや、老成したといえる風格。
人形のようなきめ細かく白い肌、腰まで届く編みおろしの黒髪、冷徹さを感じさせる黒の三白眼。その全てが調和を取っているような、
そんな風貌を感じさせる、少女がそこにいた。
「何故、ルフレウス翁お抱えの君が此処にいる？ ソフィー・シンフィールド嬢」
「“ノット”。ソフィー・ノット・シンフィールドですよ。
貴方の内弟子であるグレイさんから、少々興味深い事件の話を聞かせて頂いたので」
「グレイから？」
ソフィーさんがこちらに手を向けると同時に、師匠の視線がこちらに移る。
自分は申し訳なくなり、フードで顔を隠す。……事実、秘匿事項を漏らしてしまったようなものなのだから、
自分が悪いというのは疑いもなく明らかである。
「しかし……今の君は時計塔へ入学して間もないだろう？
聞いた話によると、ルフレウス翁の推薦により、全体基礎科と降霊科の２つに既に在籍していると聞く。
……そんな君が、グレイと近しかったという話は…………」
「グレイさんとは教室で知り合いまして。何せあの現代魔術科学部長の内弟子、興味を抱かないというほうが難しい。
話しかけてみたところ、思いの外話が合いました。特に死霊に関する話では、それはもう“色々と”得るものがありましたよ」
「────ああ、それでか」
師匠はどこか納得したようで、数度頷く。
自分がブラックモアの墓地出身という事は誤魔化すことが出来たが、
ソフィーさんの言葉は非常に興味深く、どれだけ聞いても飽きないものだったのは確かであった。
まるで幼いながらに、数百年の月日を生きているかのような、含蓄と深みのある会話であった。
そんな経緯があり、うっかりと数日前に廊下ですれ違った際に、オリジンストーンよりの手紙が届いたという事、
その事件解決に、師匠が出向くことになったという事を漏らしてしまったのは、自分の不徳というほかにない。
「事情は分かった。まぁ……事情が漏れたというのは正直遺憾ではあるが、仕方ない。
"どのみち君ならば、いずれ分かる事だろうからな。ソフィー嬢"」
「ええ。数日もしない内に、私の元にも同じ手紙が届いたでしょう。
“ブラックストーンの名代”、宛てに」
ソフィーさんと師匠が、互いに納得したように目を合わせる。どうやらソフィーさんも同行することになったようだ。
だが、一つ引っかかることがある。どうしてソフィーさんが、このオリジンストーン一族の事件に関わろうと考えたか、だ。
その理由を考えた時、ソフィーさんがあの日すれ違った際に言っていた言葉が、脳裏をよぎる。
『オリジンストーン本家屋敷で殺人？……物騒な話ですね。
となると、私としても他人事ではないか。“ブラックストーンの名代”としては……』
『……その事件、私も着いて行っても？迷惑をかけるような真似は、決してしませんので』
ブラックストーンの代理、という言葉が、自分の奥で引っかかっていた。
何かの称号なのか？ あるいは一族の姓なのか？ オリジンストーン一族と同じく、
ストーンという部分が含まれていることと何か関係があるのか？
その問いに、答えを出してほしく自分は問いを口にしていた。
「あ、あの…何故、ソフィーさんはオリジンストーン一族の事件に？」
「ん？ ああ、私の扱う死霊魔術は少々特別ですので。事件の解決に役立つと思いまして」
「いえ……そうではなく……、その、"ブラックストーン"とは、いったい何なのかと……」
その問いに、師匠が「ふむ…」と一言発し、そして懐中時計を再び見る。
「ふむ……そうだな。そう言えばまだ君には、ストーン一族について話していなかったな。
この話に君を巻き込んだのは私だ。故に、私にはこれから向かう先を説明する義務がある。
ブラックストーン、ひいてはオリジンストーン一族について一つ講義と行きたいところだが……、
電車の時間が来た。続きは、電車の中で行うとしよう……」
「ほう、あの“ロード・エルメロイ”の講義が聞けるとは、無理を言って同行した甲斐がありました。と、乗り場は確か……あちらですね」
「……できれば、２世をつけてほしい」
いつもの返答をソフィーさんに返しながら師匠が電車のホームへと歩く。
その後ろを、自分とソフィーさんがついてゆく形で、自分たち３人は電車へと乗り込んだ。
◆
「それで、あの……オリジンストーン、とは……」
電車に乗り込みすこし時間が経ってから、再び自分は師匠に問う。
オリジンストーン……"ストーン"を含む姓の家系こそ、時計塔の生活で何度か目にした記憶がある。
先ほどソフィーさんがおっしゃっていたブラックストーンもまた、その一つだとは何とか推測は出来る。
ただオリジンストーンという物は初耳ではあった。かろうじて、魔術の家系であることは分かるのだけれど、
どのような家系なのかまでは、どうにも実態がつかめないままでいた。
「分かった。では講義の時間としよう。先も言ったが、連れていく以上、私には君に教える義務がある」
「責任感が強いのですね、ロード・エルメロイ……�鏡い蓮�
「教師として人の上に『立つ』以上、当然のことだ」
そう言うと、師匠は加えた葉巻を指で挟み口から放す。
その後その煙をたゆたわせ、自分たちの周囲を囲む。おそらく、認識阻害の魔術だ。
周囲に人は少ないとはいえ、公共の乗り物。神秘の隠匿という概念から、こういった魔術は魔術師の基礎とされている。
「さて、何から話すべきか……。そうだな、まずはオリジンストーン一族について話そう。
オリジンストーンとは、時計塔に所属する魔術師の中で、最も多くの分家を持つ"一大勢力"だ」
師匠は葉巻の煙をたゆたわせながら、いつも講義をするような口調になる。
こういう時の師匠の解説は、決まって分かりやすい。聖書や神話の解釈から、
時計塔の内部事情まで、この時の師匠は分かりやすく自分に教えてくれる。
だがしかし、魔術家系の説明にしては大仰な単語が、開口一番に飛び出した。
「一大勢力……ですか？」
「そうだ。魔術師が分家を持つことは多い。
君も今までの経験の中で、そう言った魔術師たちを見てきただろう？」
振り返ってみると、確かに多くの魔術師を自分は見てきた。
確かに魔術師の中では、家を分けることで分家を作る家系は多い。
魔眼蒐集列車に於いて出会ったトリシャさんは、天体科のロードであるアニムスフィアの
源流刻印を受け継いだ分家であると、以前師匠から聞いたことがある。
ただ分家が多いと、その分問題が多発するのも常であるらしい。
相続や遺産、家系の跡継ぎの問題などは日常茶飯事だと言っていたのはライネスさんだったか。
だが家系……の話なのに、"勢力"という言葉が使われたことに自分はまず疑問を抱いた。
そう言い現わせられるほどに、人数が多い家系なのだろうか？
「魔術師が分家を作る理由……それは可能性を広げる為が主だ。
しかし、それでもあまり数を持たないのが普通だ。歴史のある家でも、持って３から４家と言ったところか」
「魔術の本質たる神秘は、知る者が増えれば増える程にその力を失いますからね」
人差し指、中指と立てた後に、それらを折り曲げて師匠は解説を続け、ソフィーさんが頷く。
魔術とは、古くから秘匿されるが故に神秘、即ち力を持つものなのだと最初期に教わった。
それは例えるのなら、器に注がれた水を複数の器に分け続ければ、やがて雫になるかのように、
魔術の神秘というものは、その最も深い部分を知った者が多いほどに、力を失うというのだ。
故に魔術師は、分家は作れど数は少ない。真なる秘奥は子孫に託す。と、かつての師匠も言っていた。
「だが、その例外がオリジンストーンだ。
彼らの保有する分家の数は、魔術世界の中でも群を抜いて多い。
その理由は、彼らが続けている"分割"にある。オリジンストーンは、数世代に一度、
"その魔術刻印を分割し、己の家系を文字通り枝分かれさせる"」
魔術刻印を、分割する。
口で言うだけならば非常に簡単な事だが、時計塔で半年とはいえど過ごし、
魔術師という人種がどういった存在なのかを知った自分には、少し信じられない言葉だった。
曰く、魔術刻印とは臓器のようなものだと剥離城アドラにて知った。
何年もかけて魔術師の体内で熟成され、受け継がれ、遺されていく最後の神秘。
それが失われる事は、魔術師にとっては命を失うよりも恐ろしい事だとも聞いた。
────それを、分ける。分割する。
それだけでなく、ただ分家として分けるのではなく、分割し継承し続ける。
確か、たった少し育つだけでも何世代もかかると聞いたけれど……
「ああ、分割継承だけならば珍しい話ではない。
少し前にエルメロイ教室の見学に訪れた、ラディア・ペンテルとナジカ・ペンテルの
ペンテル姉妹など、２人に同時に分割して継承し、互いが互いを補い合うという部類の家系もある。
アドラで出会ったエーデルフェイトの家も、「姉妹」の特性により代々２人の当主を出しているという。
こういったように、魔術刻印を分けたり、結合したりといった話は珍しくはない。………………のだが、
オリジンストーンは別だ。彼らは分割した刻印の主に、新たな"ストーン"を含む姓を与え、分家を増やしている」
「類似したものは、半世紀程前に解体されたユグドミレニア最後の当主が試みていましたか。
確か、最低限の識別機能だけを残した……シールのように薄い魔術刻印を考案していたと聞きます」
「詳しいな。さすがはルフレウス翁の秘蔵っ子と言うべきか。そうだ。ダーニック卿は他の家系……特に没落して他者に頼らざるを得ない、
弱小一族などに分配して傘下に収めようとしたらしい。もっとも、その試みは成功せず、今ではユグドミレニア家の消息は確認できなくなってしまった。
資金面や政治の巡り合わせなど様々な理由があるだろうが……つまりは原理的に可能だということと、実際に実現することには大きな差がある、ということだ」
なるほど。つまり特異な点は分割し継承を続けることではなく、
それをまるで大樹の枝のように、家系の血を世界中に広げていく点にあるのだろうか。
数十……となると、よほど古い家系なのだろうか。それ程の歴史を持つ家系の分家の数となると、きっと多いのだろう。
……それにしても、ソフィーさんは思った以上に魔術界隈の事情に詳しい。
とても年下には思えず、少し気落ちしてしまう気持ちもある。数年前まで閉じた村で、
魔術は学べど時計塔を知らずに育った事を度外視しても、この知識の差は埋めがたいものを感じる。
「その困難な事を、実現したのがオリジンストーン…と言えますか。
時計塔が把握しているだけでも、相当の数の魔術師がいるとは聞いています」
「ああ。一説によると、オリジンストーンは"魔術師をしている家系だけ"で、
軽く時計塔の一学部の人数を超えるのではないか……とまで噂されている。
まぁ、これは流石に誇張が入っているだろうがね」
そんなに、と口に出そうになった。
魔術師の部分を強調したのは、おそらくそのオリジンストーンの分家には魔術使いになった人も多いのだろうと考えた。
魔術師とは根源を目指す生き物、だが魔術使いとは魔術をあくまで便利な道具としか見ていない人種を言う。そう言った存在は魔術師にとっては最大の侮辱らしい。
あるいは、刻印は受け継いだものの、神秘の探求の道をあきらめ一般の人々になった人たちもいるという事だろうか。
……確かに、数が増えればそう言った人たちが出てくるのは、至極当然だろう。
でもそこまでして数を増やして、一体何を彼らは目指しているのだろう、とふと疑問が走る。
数十世代前、おそらくは千年近く前から続く…………何故か、自分の生まれたブラックモアの墓地がよぎった。
「そして、その分家の数々が多くの実績を残している。
錬金術と召喚術の双方の関係を見出し大成したマイルストーンをはじめとし、
遅延魔術という新たなる部門を開拓したディレイストーン、高い教師の才覚を発揮するシングルストーン、
根源接続者を作ることを目的としたディスストーン等と言った、時計塔でも注目を浴びる様々な研究に着手している家系も多い。
現代の時計塔に関連しないが、東洋に渡り陰陽道を研究しようとした両石家なども記録に残っている」
なるほど。数多くの分家を生み出す、という事はそれだけ多角な魔術を研究できる、という意味もまたあるらしい。
オリジンストーンという源流が何を願ってこのような分割を続けているかはわからないが、
こうして時計塔やその他の魔術世界に少なからずの影響を与えているという事は分かった。
そんな中、一つの疑問が脳裏をよぎる。
「ストーンと姓につく人は大勢いましたが、
それだけ数が多いと、時計塔でも非常に影響力があるのでしょうか？」
時計塔は権力と策略が蔓延る場所、とライネスさんは日々口を酸っぱくして言っていた。
数と、そしてそれだけの研究成果があれば、時計塔でもさぞ名をはせる事が出来るのではないだろうか。
しかし、自分が今まで時計塔で過ごしてきた中で、オリジンストーンという名前は聞いた記憶がなかった。
確かにストーン(石)の意味を含む姓を持つ講師や生徒は何度か耳にしたものの、そういった人たちがまとまった派閥に関わっているとは、
少なくとも今まで時計塔で過ごしてきた記憶の中では思い至らなかった。
自分のその問いに対して、師匠はかぶりを振って明確に否定した。
「いや、オリジンストーンは時計塔の権力争いにはそこまで深くは関与しない。
まず、ストーンの分家全てが一枚岩というわけではないというのが大きな一点だ。
これだけ枝葉が広がれば、本家への関わりが薄い分家もかなり多くなる。君の聞いたストーンと名が付く家全てが密接な関係というわけではない。
特に本家と深い関係にあるのは、最初に分岐した12の家系だが……これについてはまた後で話そう」
「橋渡しをしなければ、まともに外と繋がりを持てない家もありますからね」
どこか達観したような口調でソフィーさんが言う。
スゥ、と葉巻を吸いなおし、師匠は続ける。
「さて、全ての分家が密接ではない……ということを前提としての話だが、
オリジンストーン本家、並びに本家と交流の深い分家たちも権力争いにはあまり関与しない傾向にある。
例えば、ソフィー嬢が関わるブラックストーンは、名義上は時計塔に所属してこそいるが、まず表には出てこない。
逆にシングルストーンのダイオニシアス卿のような、権力争いに重きを置く家系もある」
「……まあ、ブラックストーンは極端な例に入りますが、基本的にストーン一族は自身の家系の研究を第一として、時計塔にはまず顔を出しませんね」
「そう、多くのストーン一族は、基本的に自身の家系の研究に重きを置き、時計塔にはまず顔を出さない」
「……中立主義、と言う事でしょうか？」
時計塔には３つの派閥がある。
魔術は選ばれた人間のみ使うべきだと言う貴族主義、取り入れるべきものは取り入れるという民主主義、
そしてそれらに加え、自身の研究こそが第一だと考え、どちらでもないという中立主義だ。
だが、師匠はその言葉にもまたかぶりを振った。
「それらは学部の派閥だが、着眼点は良い。
時計塔の魔術師……とりわけ歴史の深い魔術師の家系は、
多かれ少なかれそういった派閥に所属せざるを得なくなるからな」
我らエルメロイの一派が貴族主義のようにな、と付け加えて師匠は続ける。
「その視点から言えば、オリジンストーンは貴族主義に位置する」
「貴族主義……なの、ですか？ 刻印を枝分けし続け、分家の数を増やすというのは…民主主義に近いと思えますが…」
「まぁそうだろうな。実際に、彼らオリジンストーンが何故貴族主義なのかを疑問視する声も多い。
彼らが言うには、血を分かち続ける行為は選ばれし魔術師を作るための手段だというが……、
逆にそれが玉石混交を生んでいると批判の的にもなっている」
言われてみれば、確かにそうだ。
数を増やせば、その分優秀な魔術師も増えるだろうが、比例してその逆も増える。
先程師匠が、"魔術師"に限ってオリジンストーンの分家の数をカウントしたのもそれが理由だろう。
「でも基本は時計塔の政治には口出ししない。行動だけで言えば、中立主義ともいえますね」
「そうだな。そして家系が続けている魔術家系の分割は、民主主義に片足を着けていると批判する魔術師もいる。
だが彼らの中には、民主主義、貴族主義、そして中立主義の入り混じる。そう言う意味ではオリジンストーンは、
時計塔の魔術一派の中でも一歩変わった立ち位置にいると見ていいだろう」
一歩変わった立ち位置、とはいってもオリジンストーンの分家のほとんどは時計塔に馴染んでいるらしい。
研究が凄いのか、それともそれがオリジンストーンの長い歴史で築いた信頼なのかは、自分にはついぞ分からなかった。
その疑問が口に出ていたのか、師匠は「前者だ」と短く言葉を発し、解説を続ける。
「いや……研究、というよりは……彼らが保有する資源にある……というべきか」
「霊地……などの事でしょうか？ その保有する土地の霊脈が、非常に高品質な魔力を編み出すなど…？」
「近い、が微妙に異なるな。彼らの保有する霊地からは、非常に特異な魔術鉱石が採れる」
魔術鉱石、とは魔力を帯びる宝石の事で、主に魔術の呪体や触媒として用いられる。
もともと宝石というものそれ自体が持ち主の念や魔力を蓄積させやすい特性があり重宝されるのだが、
中でも長く地中に眠っていた鉱物には自然霊が宿るなどして、さらに強力なものとなる場合もあるとか。
現代は神秘に乏しいと時計塔でもよく言われており、そういった触媒は大変貴重だと聞いた。
魔術の世界ではそういった物の鉱脈の確保は、油田を確保するに等しいとかなんとか。
「彼らが初代より保有する土地……かつてテンプル騎士団が以前保有していたとされている場所では、
代々漆黒に染まった水晶が採れる。これを彼らは『大いなる黒水晶(アーク・クリスタル)』と呼んでいる。
その孕む神秘の度合いは、霊墓アルビオンの中層〜下層で採れるものよりも高いと言われている。
……のだが、加工が難しい。オリジンストーンの家系に連なる者以外、この水晶を魔術で使える触媒として
加工するのが困難と言われている。これが、オリジンストーンが時計塔で地位を持つ所以だ」
「貴重な触媒を……その手で独占、ですか……？」
貴重な神秘の触媒の利権を独占する。
魔術師にとってこれほどのアドバンテージはないだろう。
それを用いれば、時計塔でもかなりの地位を得れるのではないか……と思考する。
だがこれはないだろう。とすぐに思考する。なぜならオリジンストーンは先も言ったように、
時計塔の権力争いには顔を出していないからだ。
「いや、彼らはあくまでこの黒水晶は交渉の材料としている。
これを時計塔に提供する。だから我らの研究・継承には口を一切出すな……とね」
「なるほど……。そう聞くと、研究主義の中立派のようにも思えますね」
「実際オリジンストーン本家の魔術師の多くは、中立派に属する伝承科に行くことが多いと聞く。
その点の波長が合ったのかもしれないな」
ふっ、と師匠が笑う。
そしてつぎの葉巻に火をつけて煙を大きく吸って、そして静かに吐き出す。
一息つくと、オリジンストーンの持つ特徴について講義を続け始めた。
「他の特徴というならば、そうだな。2つほど大きな特徴がある。
まず１つは、ある者が『始まりの意思』と呼ぶ、目的への欲求だ」
「目的への欲求……？」
「知っての通り、通常の魔術師は根源を求める。
だが、彼らの内のいくつか……特に、オリジンストーンの本家は、
根源ではなく…………もっと何か、別の物を求めている。そのように分析した魔術師が、過去に何人かいた」
根源、と聞いて自分はハッとなる。
魔術師が求めてやまない物、根源、もしくは「」と呼ばれる物……。
それを求めず、それ以上に別の何かを求め続ける家系……？ それは確かに、
魔術師にとっては非常に特異な立ち位置と言えるだろう。
「しかし、彼らは目指す物は違えど、そこにたどり着く為ならば何を犠牲にしてでも、
何世代を重ねてでもそこにたどり着くという、確固たる意志を持つ。決して止まらない強さがある。
その進み続ける意思を、オリジンストーンの名にちなみこう呼んでいる者もいる。
────────『始まりの意思』と…………、ね」
「何処まで行っても、何を求めようと、止まることは無い……。魔術師は魔術師故……、ですか」
「そう。この確固たる目的への意思はどう足掻いても、魔術師と呼ばざるを得ない。故に彼らは、生粋の魔術師だよ」
師匠は、若干眉をしかめながら言った。その姿は何処か呆れるような、いや……見ようによっては、
どこか魔術師という人種そのものに対して、ため息をつくような姿にも見えた。
ソフィーさんも、どこか遠いものを見るような眼で電車の窓の外を流れる景色を見ていた。
それはまるで、家族を思い出す少女のような年相応の姿に、あるいは遠い昔に過ぎ去った過去を想起する壮年の女性のような姿に、
矛盾する二つの姿が重なり合っているかのように一瞬見えた。
「だが、かと思えば魔術師の一子相伝の鉄則を外れた分割継承を続け、
しかしそれが神秘を薄めるかと思いきや、それぞれの家系が独自の道を歩み成功をおさめている。
それほどの実力を持ちながら、時計塔の権力争いには口を出さない……」
そこまで言うと、少し師匠は物憂げに窓の外を眺めた後に続ける。
「ある意味ではオリジンストーン家……並びにその分家、ストーン一族は、
最も魔術師らしく……されど最も魔術師から遠い魔術師ともいえる」
「…………なんだか、対極の二つが同居しているみたいです」
自分の何気ない一言に、師匠は少し驚いたように目を開いた。
隣に座るソフィーさんは、ほんの少しだけ笑顔に見えるような表情でこちらを向いている。
「……正鵠を得ているな。その通りだ」
「えっ、え…………。何が、ですか？」
唐突な師匠の言葉に思わず戸惑う。
何か、おかしい事を言ってしまっただろうか？
「オリジンストーンのもう一つの特徴だよ。彼らは大なり小なり、二面性を持つことが特徴なんだ。
本家に近づくほどにその二面性は強くなり、時には二重人格という形で現れる者も多いらしい……。
最も、この特徴は最近は出るものも少なくなってきていると言われているので、説明は後回しとなってしまったがね」
「は、はぁ…………」
二重人格。これは魔術の世界では珍しい事ではないらしい。
これは極東では両義と呼ばれ、根源を求める……中国では太極などと呼ばれる思想に基づくと、
こういった概念が非常に重要になってくるらしい。男性が陽、女性が陰として表せられ、
それらを同時に持つ存在は完全であると伝えられている。この二つの魂が、
重なり合うことを完全とする考えは世界中にあるらしい。
「こういった二面性も、ひょっとしたら彼らの分割継承に関わっているのかもしれないな」
そういって、師匠は少し微笑んだ。
その微笑みと同時に、列車のアナウンスが自分たちの降りる駅の名を告げた。
結局、師匠のその笑みの意味が分からないまま、私達は目的地に到着し講義は終了となった。
◆
駅へと降りると、そこは人通りの少ない駅だった。
まるでその駅だけ、誰も目に留まらないし、気にもしないとでもいうように、誰も下りない駅。
駅にも職員は少なく、利用客もまるでいない。なのにずっとそこに駅は存在し続ける…と言うような、
そんな不思議な雰囲気に包まれているような駅であった。
「変わっていませんねこの周辺は……」
「それにしても……本当に、何もありませんね。お店はおろか、民家も……」
『イッヒヒヒヒ！！ こりゃ降りる駅間違えたんじゃねぇかぁオイ！？』
「いや、オリジンストーン本家はここから車で少しいった場所にある。
手紙によると、確か迎えが来ているはずであるが………」
師匠が周囲を見渡す。しかし周囲には車や出迎えの人は、見る限りではいない。
見渡す限り何もなく、有るのは人通りが無いといっても良い道路と、その脇に生えた街路樹、
そしてその街路樹の影────そう見渡していた時に、見えていた風景に変化が起きた。
スゥ、と、街路樹の影から何かが急に浮かび上がったのだ。
「っ！？」
「ああ、そこにいましたか」
あまりにも唐突で突然の出現だったので、声を上げそうになる。
その浮かび上がった影は、蝙蝠や雀のように小さい、羽をもつ小動物のような形を取った影であった。
影で出来たその何かは、こちらに視線を合わせると、ぎこちなく羽ばたいて自分たちの方向へと向かってきた。
「し、師匠。これは……？」
「ふむ、これは…使い魔か…？」
『失礼ですが、魔力の励起を確認しましたので確認を取らせていただきます。
オリジンストーン本家、あるいはストーンに類する分家への訪問客でございましょうか？』
突然、影でできた使い魔（？）が言葉を発した。
言葉を媒介し遠距離での通話を可能にする使い魔は実際に多いため珍しい事ではない。
ただ、目の前を羽ばたいている影でできた何かが使い魔である、という事実が、自分によっては驚きであった。
「こちらに招待状があります。そちらで発生した、
ダイオニシアス卿の殺人事件解決の依頼を仄めかすような文面がかかれていました」
『………………』
師匠が懐から、数日前に送られてきた招待状を取り出して使い魔の前にかざす。
その招待状を前にして、使い魔はほんの少しの間だけ、言葉を発せずに沈黙をした。
「……あの、なにか？」
『いえ、失礼しました。少々、正規の招待状か確認させていただきます』
そう使い魔が言うと、招待状に羽根が少しだけ触れ、何か魔力が流れてゆくのを感じる。
すると、何も絵柄の書いていなかった招待状の封筒の上に、何やら紋章のようなものが浮かび上がった。
「これは………、」
「ストーン家共通の証印ですね。魔力を通すとこのように浮かび上がるんです。
その中でも本家に近いものですねこれは。ブラックストーン宛ての手紙にも使われていました」
「なるほど……」
『失礼いたしました。オリジンストーン本家屋敷へのお客人と確認いたしました。
お迎えに上がらせていただきますので、お手数でございますが少々お待ちくださいませ』
そう、使い魔が申し訳なさそうに謝罪する。
頭を下げるような仕草をしたかと思うと、そのまま街路樹の木陰へと戻っていった。
そして、自分たちがくる以前と同じように、影の中へと溶け込んで風景と一体化した。
「師匠……あれは一体？」
「おそらくは、変質させ扱いやすくした使い魔の一種だろう。
動物科の線も考えられるが、ソフィー嬢の見立てはどう考える？」
「そうですね。恐らくは、動物の霊魂を影に模写しているものかと」
「やはり、そう考えるか」
少し考える仕草を見せて、ソフィーさんは自分の考えを述べる。
その言葉を聞いて、ふむ、と一度頷いて師匠は葉巻へ火を灯す。
「影という物は昔から人や魂の写し身という一定の信仰があった。
古代ギリシア語のプシューケーはもともと、"魂の影"または"人の影"というような意味を持っていた。
夢や想像に現れる死者などのイメージもあり、魂に付随する第二の魂とも言われている。人の生死とも
深く結びついており、近代ではユングの哲学の比喩にも用いられている。……おそらくこれは、召喚術にそういった
影への信仰を付与する形で、低位の動物霊を能力の高い使い魔として昇華させたものだろう」
使い魔の溶け込んだ街路樹の影の方向を見ながら、師匠は流れるように語る。
召喚術に詳しいと考えられるソフィーさんもまた、ふむふむと頷きながらその師匠の言葉を聞く。
「それは、珍しい事なのですか？」
「召喚により使い魔を呼びだすことは多い。だがしかし、
それに新しい属性を付与することは、少し手順が多くなるため避けられる傾向にある。
……だが、その複雑な過程をマニュアル化させ、錬金術に置ける黄金錬成に近い手法を
召喚術を通して試した魔術家系が、ストーン一族にいる。これはおそらく……」
と、師匠が言葉を連ね終わる前に、駅の出入り口付近の道路に車が止まった。
閑散とした駅の光景とは、不釣り合いなほどに漆黒の、高級そうな車であった。
その車の出入り口から一人の女性が出てきた。先ほどの影のように黒い髪と、緩やかなドレス。
華美ではなく、素朴な印象を見せるが、それでも美しく感じさせるような、そんな女性だった。
女性はこちらに気付くと、丁寧な仕草でお辞儀をしてこちらへ向かってきた。
「オリジンストーン本家屋敷へのお客様でございますね？」
「ロード・エルメロイ２世と申します。貴方がオリジンストーン本家の屋敷まで案内してくださる方ですか？」
「はい。お迎えに上がりました、ミランダ・マイルストーンと申します。
本日は短い間のお付き合いになるかとは思われますが、どうぞよろしくお願い致します」
「……マイルストーン、ですか？ あの錬金術と召喚術を掛け合わせた名家の？」
「────ええ、はい」
師匠はその名前を聞くと、大きく目を見開いて驚いた様子を見せた。
聞き返した師匠の問いに対し、ミランダさんは少し目を伏せ気味に肯定の意を示した。
少しの沈黙が走った後、ミランダさんはペンダントを先ほど影の使い魔が消えた方向へ向けた。
すると、そのペンダントに向かって先ほどの影の使い魔が出現したと思えば、そのペンダントにはめ込まれている、
黒色の宝石に吸い込まれるようにして消えていった。
「やはり、マイルストーン手製の改造使い魔でしたか」
「あら……ソフィーちゃんもいらしたんですね。声が聞こえたからもしかしてと思ったのだけれど……。
ブラックストーン当主へお手紙を渡して以来かしら？ 時計塔での生活は息災？」
「お久しぶりです、ミランダさん。時計塔では、まあ、不自由なく過ごせていますよ」
それはよかった、とミランダさんは嬉しそうに笑う。
どうやら二人は面識があるようだ。ストーン家の親戚は仲が親密な家もあると聞いたが、
どうもブラックストーンとマイルストーンはそれにあたるらしい。ブラックストーンと親交があるソフィーさんが、
ミランダさんと親しいのもまた納得がいく。
「あの使い魔は、常に配置させているのですか？」
「ええ、そうです。本家に加え、私たちマイルストーンの屋敷もこの付近にあります。
基本、本家か私たちへの客人はこの駅か、あるいはあちらのバス停を経由して来られますから……。
なのでこのように、客人にご足労掛けないためにも、使い魔を常に配備させているんです。
日光の下でないと動けず、定期的な魔力供給は必要ですけど……」
そう笑いながら、ミランダさんは再びペンダントを街路樹の方向へ掲げる。
すると先ほどペンダントの黒い宝石へ吸い込まれた影の使い魔がスゥと出現し、
羽搏いて街路樹の影へと吸い込まれるように再び溶けていった。
「なるほど、活動範囲・時間が限られる分、魔力供給の頻度は少なく済み、
加えて通話機能や、操作可能領域の拡大などを可能にしているというわけですね？」
「流石は時計塔のロードですね。その通りです」
「一つお聞かせください。この出迎えや使い魔の待機は、貴方が自発的に行っているのですか？」
「────────はい」
「………そうですか……」
「で、ではお乗りください。屋敷までご案内します。
入り組んだ道を往きますので、お時間がかかりますが……」
師匠はミランダさんの肯定を聞くと、何やら思案するように顎を撫でながら短くうなずいた。
ミランダさんは車の後部座席のドアを開いてくれたので、私たち３人はそれに応えるように車に乗り込む。
だがしかし、師匠は何処か腑に落ちない、というような表情をしていた。
「(どうしたんですか？)」
「(ヒヒッ、大方慣れない長距離列車に酔いでもしたんじゃねぇかあ？)」
茶化すアッドを軽く揺さぶり黙らせ、小声で師匠に問う。気分が悪いだとか、そういう顔色ではない。
こういった表情の師匠は決まって、何らかの不自然な点を発見した時の表情だとは、自分も理解していた。
そしてふと、理由はミランダさんの名乗りに驚いたことであるのでは、と思考した。彼女が"マイルストーン"という、
おそらくはオリジンストーンの分家の１つであろう姓を名乗った時に、師匠が目を見開いて驚いたことを自分は思いだしていた。
「(ミランダさんが、マイルストーンという家系の方だというのは、驚くべきことなのでしょうか……？)」
「(ああ、マイルストーン家は時計塔では名の知れた家系だ。２００年前、召喚術と錬金術の双方の技術の融和を完成させ、
降霊科において非常に高い評価を受けた家系だ。…………そんな家系の現当主が、このような出迎えをすることが、少し不自然に思えただけだ)」
「……あっ……」
言われてみれば、確かにそうである。先ほど師匠は言った。錬金術と召喚術の融和の"名家"と。
魔術に於いてその名前は、現実で言えば貴族にも等しい権力や人脈を持つ、と言える。そんな家系の人物が、
このような従者のように来客を出迎えるという事は、魔術界隈でなくとも珍しい事ではある。
「ああ、いえ……。これは私めから名乗り出た事なので……。
決して本家から命令されたことではありませんので、ご安心ください」
「っ！ し、失礼しました……」
小声で話したつもりでも聞こえていたらしく、反射的に謝罪をしてしまった。
山道に車を走らせながら、ミランダさんは続ける。
「………自分から？」
「はい……。現在オリジンストーン本家が、我々分家の者に直接命令やオーダーを下すようなことはありません。
────ですが……私としてはこのように、人のお役に立てる領分の方が肌に合っていますので……、
このように、自主的に本家や自家への来客を使い魔で監視し、出迎えをしているのです」
「なるほど……。何か複雑な事情があるのだと考え過ぎていました。申し訳ございません」
師匠が頭を下げて謝罪する。
その謝罪に対し、ミランダさんは驚きながら否定した。
「い、いえ！ 良いんですよ！ こちらも少し、勘違いさせるような事をしておりました！
……それにしても、こちらも驚きました。何せ、時計塔のロードがオリジンストーン本家屋敷を訪れるとは……」
「オリジンストーンと時計塔は、基本関りがないですからね。……ですが、」
助手席に座っていたソフィーさんが、唐突にミランダさんの方を向きながら言う。
「時計塔のロードがストーン分家で発生した事件に介入する。
そちらのほうが、貴方にとっては驚きなのでは？」
「………………ええ、そうですね。私としても、これは初めての経験です」
「どういう、ことでしょうか？」
話しの点と点が繋がらず、つい問いを投げかけてしまった。時計塔が、事件に関わることが珍しい。と言いたげである。
だが、時計塔には魔術師の秩序を守る法政科が存在する。確かに現代魔術科のロードである師匠が訪れることは珍しいかもしれないが、
何も"時計塔"と大きな括りで言うほどなのだろうか？ そう疑問に思っていると、ソフィーさんが問いに対する答えを投げかけた。
「オリジンストーン、並びに分家間で発生した事件は、数世紀程前から時計塔以外の外部の組織が担当するようになりました。
その組織がまた大きな勢力を持っているため、法政科も下手に口を挟めないのです」
「えっ……、それじゃあ……何故、招待状が……？」
「推測ですが、あくまで外部組織の担当は監査だけですので、
本家が意見を得るためにロードを招くこともできなくはないのです。
亡くなられたダイオニシアス卿は、先代のロード・エルメロイとも親交があったと聞いていますし」
なるほど。そう考えると不自然ではない。
そう言えば師匠は、オリジンストーンから時計塔、それもロードに手紙が届いた際に"珍しい"と言っていた。
あの言葉には、そういう意図があったと今更ながら気づかされた。
「本家以外の家系が……呼んだという可能性は？」
「手紙の証印はオリジンストーンと12の分家共通のものではありましたが……
本家以外がオリジンストーンの掲げた規則を破ってまで、わざわざ時計塔の、
それもロードを招いてまで得られるメリットは無いでしょう」
「ソフィーちゃんの言う通りです。分家ならばともかく、オリジンストーン一族の本家屋敷に
ロードを呼ぶなど、邪険に扱われてもおかしくはありませんし。………それに」
「────それに？」
ミランダさんは、少し言い淀むような、
あるいは躊躇するような間をおいてから、ゆっくりと口を開く。
「……それに、私たちは、あくまで起源なる石の影なのです。
どれだけ名をあげても、最後には彼らに帰依するのが、我ら石の分家ですので……。
ですから……本家に無断で……時計塔の君主を招き入れるなど……」
「………………」
その言葉は、まるで彼女が自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
確かに師匠は言った。ストーン一族は、本家であるオリジンストーンより分かれた一族だと。
だが、それほどまでに強く縛られるものなのだろうか？ 曰く、自由な研究を分家はしていると聞いたけれど……。
先ほども、本家が直接命令を下すことは無いとミランダさんは言っていた。それなのに、なぜそのような、
自分から本家の言いなりになるような事を口走るのだろう？
「……ミランダさん？」
「あ、いえ……。すいません。日々の研究の疲れでしょうか……。
何か"みょう"な事を口走ってしまいました……。申し訳ありません。お気になさらず…」
「そうですか……。…………影、…ですか」
ミランダさんの口から出た"影"という言葉を、師匠が口元を手で覆いながら反芻する。
おそらく師匠は、数日前に受け取った手紙の文面を想起し、そして何らかの思考を巡らせているのだろう。
『始まりの石に宿る、殺意の影をどうか祓って欲しい』
その言葉が、いったいどのような意味を持つのか。
答えは分からないままに、いやそれ以上に、多くの謎の因子……種とも言い換えられるか、
を抱えたまま、私たちを乗せた車は山の麓に佇むオリジンストーンの屋敷へと到着した。
◆
辿り着いた屋敷は双貌塔イゼルマや剥離城アドラと言った、
今まで訪れた屋敷とはまた違い、小規模な物であった。
「これは…………屋敷というよりは、邸宅……？」
「オリジンストーンは一つの屋敷ではなく、複数の屋敷をイギリスにいくつか構えていますからね」
「おそらくこれは、その中でも本家と呼ばれる物になるのだろう。あるいは、中枢とも言い換えられるか。
霊脈も程よくまとまっているし、ここに本家たるオリジンストーンが居を構えているのだろうな」
師匠が辺りを見渡しながら言う。
自分にはよくわからないが、どうも魔術師の屋敷というのは霊脈を基礎として建てられることが多いらしい。
そういった土地や、はたまた神秘の追求のための呪体や触媒の売り買い、そういった利権が絡み、
今の時計塔のような権力の入れ子構造になったとは、ライネスさんの談だったか
「加えて、近場に黒水晶の採掘場もありますからね」
「はい。結果として、自然と此処ら一帯がオリジンストーンとその分家一族の本拠地となるのです。こちらです」
ミランダさんの案内に導かれる形で、オリジンストーン本家屋敷の玄関を潜る。
その先に在ったのは、非常に大きな１枚の絵画のレリーフであった。
逆さにしたような円錐で、されど螺旋のように段が積み重なっているような、
そしてその一段一段に、様々な苦悶の表情に染まった人々が描かれていた。
「サンドロ・ボッティチェリの……、神曲の"地獄絵図"か」
ほう、と感心するように一息ついて師匠が言葉を発した。
「神曲？」
「１３世紀にイギリスの詩人、ダンテ・アリギエーリによって書かれた作品だ。
筆者をモデルに描かれた主人公が地獄、煉獄とめぐり、最後には同じく実在の人物をモデルに描かれたという永遠の淑女、
ベアトリーチェの手により至高天へと向かうというストーリーだ。この地獄の緻密、かつ真に迫る描写……そして、
堕落した教皇などを容赦なく地獄に叩き落す作風、高い技術、そして生き生きとした人間描写などは絶賛を浴び、
文化・歴史に大きく影響を与えた。それは人の手による文芸復興期、ルネサンスの先駆の１つとして位置付ける見解もあるほどだ」
神曲、確かによく聞く名前だ。ロンドンを訪れてから、図書館や本屋で何度か見かけたタイトルである。
ただそれが、ルネサンスの先駆であるだとか、主人公と永遠の淑女が実在の人物をモデルにしただとかは初耳であった。
…………主人公は筆者自身だからともかくとして、勝手に永遠の淑女扱いされた当のベアトリーチェさん本人はどう考えているのだろう、
などとどうでも良い疑問が一瞬自分の脳裏を駆け抜けたのを感じたが、すぐさまに払いのけた。
「だが入り口にこれを配置するとはな……。何らかの魔術的な意図の合っての配置なのだろうか？」
「あるいは……『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』と、
オリジンストーンの屋敷そのものが暗に語りかけているようにも感じますね」
「……まぁ、魔術師にとって希望など端から持つものでもないしな」
ソフィーさんの言葉に、自嘲気味に師匠は鼻を鳴らし笑った。
それから続くように、玄関から延びる大廊下には、地獄絵図を併せて１３枚の絵画が飾られていた。
複数浮かぶ太陽に向かい弓矢を掲げる男の図、降り注ぐ星々で大地が焼かれる図、
巨大な魚のような海の怪物が大地を飲み込む図と、種類は実にさまざまであった。
「おや、以前と少々配置が異なるように感じますが」
「ふむ……、これは射日神話を描いたものか？ こちらは…洪水の擬図化か……。
見たところ全て世界の破滅に関連する絵画だろうか。しかし順番に関連性が無い……。
太陽……水…水星か？ いやそれならば射日神話が９番目はおかしい…。加えて最初の地獄の絵図も謎だ…。
これは……数秘術？ いやそれだと数が合わない……だとすると────」
師匠が口元を抑えながらぶつぶつと呟く。
どうやら今まで見たことのない魔術体系(というのだろうか？)を目の当たりにし、
勝手にいつものスイッチが入ってしまっているようであった。
そのまま少し歩くと、廊下の突き当りに大きな扉があった。
「この先は広間となっております。本日は参考人として、事件当時に屋敷にいた魔術師を全員お呼びしておりますので、
当主夫妻以外、事件当日にいた全員がそろっております。彼らには、本日は事件の調査のための検査官が来ると、書簡を通じて本家からの連絡がありましたので」
「……？ 当主のお二人は、現在は何処へ？」
「当主夫妻は現在、先ほどお話しした外部組織の担当の者を迎えに行っております」
なるほど。当主が不在だった時に私たちが訪れたのも、ミランダさんが迎えに来た１つの理由なのかもしれない。
となると、少し間が悪かっただろうか？ そう思うと少し申し訳ない気分になった。
「当主様が戻られるまで、事件当日の様子や個々の魔術師の当日の状況を聞いていただけたら…と思います」
「ありがとうございます」
師匠が礼を言いつつ、扉の前に立つ。この扉の前にいるのは複数人の魔術師たち。どのような人たちが待っているのだろうか？
アドラやイゼルマでも、個性豊かな魔術師たちと交流があった。今度もそういった魔術師達と出会うのだろうか。
そんな緊張を抱きながら、自分と師匠は重い扉をゆっくりと開けた。
第三章へ→
前回までのあらすじ 
エクストラクラス、アークエネミーについて調査していたロード・エルメロイ2世の下に１通の手紙が訪れた。
それはオリジンストーン本家屋敷にて発生した殺人事件の解決を願う内容が読み取れる、意味深な手紙であった。
グレイと共に２世は、オリジンストーン本家屋敷へと向かう。
それはオリジンストーン本家屋敷にて発生した殺人事件の解決を願う内容が読み取れる、意味深な手紙であった。
グレイと共に２世は、オリジンストーン本家屋敷へと向かう。
【第二章】
某駅、昼食をライネスさんたちと終えた私たちは、
送られた手紙の示す日付にオリジンストーン本家屋敷へと向かうべく電車を待っていた。
周囲には、休日だという事もあるからか、多くの人だかりが行き交っているのが分かる。
「いつ来ても……人だかりが多いですね」
「ああ、ロンドンという町は鉄道網の発展が盛んな街でもあるからな。
自動車産業が発展した現代でも、電車は人々の貴重な手段だ。当然、駅を行き交う人も多くなる」
懐から懐中時計を取り出し、現在時刻を確認しながら師匠が話す。
そして懐中時計を再び胸に仕舞い、顔を上げて短くため息をついた。
「まさか、その行き交う人々の中に顔を見知った魔術師がいるとは、思わなかったがね……」
「連れないことを言わないでください。それと、私たちが出会ったのは、偶然ではなく必然ですがね」
師匠が自分の隣に立つ人を見ながら、そうぼやく。
そう。オリジンストーン本家へと向かう集まりは、自分と師匠だけではなかった。
自分と、師匠と、そしてもう１人。或る偶然……いや、必然から屋敷へと向かう人物が１人増えたのだ。
年齢で言うならば、１２歳ごろの少女。しかしそれに見合わぬほどに大人びた……いや、老成したといえる風格。
人形のようなきめ細かく白い肌、腰まで届く編みおろしの黒髪、冷徹さを感じさせる黒の三白眼。その全てが調和を取っているような、
そんな風貌を感じさせる、少女がそこにいた。
「何故、ルフレウス翁お抱えの君が此処にいる？ ソフィー・シンフィールド嬢」
「“ノット”。ソフィー・ノット・シンフィールドですよ。
貴方の内弟子であるグレイさんから、少々興味深い事件の話を聞かせて頂いたので」
「グレイから？」
ソフィーさんがこちらに手を向けると同時に、師匠の視線がこちらに移る。
自分は申し訳なくなり、フードで顔を隠す。……事実、秘匿事項を漏らしてしまったようなものなのだから、
自分が悪いというのは疑いもなく明らかである。
「しかし……今の君は時計塔へ入学して間もないだろう？
聞いた話によると、ルフレウス翁の推薦により、全体基礎科と降霊科の２つに既に在籍していると聞く。
……そんな君が、グレイと近しかったという話は…………」
「グレイさんとは教室で知り合いまして。何せあの現代魔術科学部長の内弟子、興味を抱かないというほうが難しい。
話しかけてみたところ、思いの外話が合いました。特に死霊に関する話では、それはもう“色々と”得るものがありましたよ」
「────ああ、それでか」
師匠はどこか納得したようで、数度頷く。
自分がブラックモアの墓地出身という事は誤魔化すことが出来たが、
ソフィーさんの言葉は非常に興味深く、どれだけ聞いても飽きないものだったのは確かであった。
まるで幼いながらに、数百年の月日を生きているかのような、含蓄と深みのある会話であった。
そんな経緯があり、うっかりと数日前に廊下ですれ違った際に、オリジンストーンよりの手紙が届いたという事、
その事件解決に、師匠が出向くことになったという事を漏らしてしまったのは、自分の不徳というほかにない。
「事情は分かった。まぁ……事情が漏れたというのは正直遺憾ではあるが、仕方ない。
"どのみち君ならば、いずれ分かる事だろうからな。ソフィー嬢"」
「ええ。数日もしない内に、私の元にも同じ手紙が届いたでしょう。
“ブラックストーンの名代”、宛てに」
ソフィーさんと師匠が、互いに納得したように目を合わせる。どうやらソフィーさんも同行することになったようだ。
だが、一つ引っかかることがある。どうしてソフィーさんが、このオリジンストーン一族の事件に関わろうと考えたか、だ。
その理由を考えた時、ソフィーさんがあの日すれ違った際に言っていた言葉が、脳裏をよぎる。
『オリジンストーン本家屋敷で殺人？……物騒な話ですね。
となると、私としても他人事ではないか。“ブラックストーンの名代”としては……』
『……その事件、私も着いて行っても？迷惑をかけるような真似は、決してしませんので』
ブラックストーンの代理、という言葉が、自分の奥で引っかかっていた。
何かの称号なのか？ あるいは一族の姓なのか？ オリジンストーン一族と同じく、
ストーンという部分が含まれていることと何か関係があるのか？
その問いに、答えを出してほしく自分は問いを口にしていた。
「あ、あの…何故、ソフィーさんはオリジンストーン一族の事件に？」
「ん？ ああ、私の扱う死霊魔術は少々特別ですので。事件の解決に役立つと思いまして」
「いえ……そうではなく……、その、"ブラックストーン"とは、いったい何なのかと……」
その問いに、師匠が「ふむ…」と一言発し、そして懐中時計を再び見る。
「ふむ……そうだな。そう言えばまだ君には、ストーン一族について話していなかったな。
この話に君を巻き込んだのは私だ。故に、私にはこれから向かう先を説明する義務がある。
ブラックストーン、ひいてはオリジンストーン一族について一つ講義と行きたいところだが……、
電車の時間が来た。続きは、電車の中で行うとしよう……」
「ほう、あの“ロード・エルメロイ”の講義が聞けるとは、無理を言って同行した甲斐がありました。と、乗り場は確か……あちらですね」
「……できれば、２世をつけてほしい」
いつもの返答をソフィーさんに返しながら師匠が電車のホームへと歩く。
その後ろを、自分とソフィーさんがついてゆく形で、自分たち３人は電車へと乗り込んだ。
◆
「それで、あの……オリジンストーン、とは……」
電車に乗り込みすこし時間が経ってから、再び自分は師匠に問う。
オリジンストーン……"ストーン"を含む姓の家系こそ、時計塔の生活で何度か目にした記憶がある。
先ほどソフィーさんがおっしゃっていたブラックストーンもまた、その一つだとは何とか推測は出来る。
ただオリジンストーンという物は初耳ではあった。かろうじて、魔術の家系であることは分かるのだけれど、
どのような家系なのかまでは、どうにも実態がつかめないままでいた。
「分かった。では講義の時間としよう。先も言ったが、連れていく以上、私には君に教える義務がある」
「責任感が強いのですね、ロード・エルメロイ……�鏡い蓮�
「教師として人の上に『立つ』以上、当然のことだ」
そう言うと、師匠は加えた葉巻を指で挟み口から放す。
その後その煙をたゆたわせ、自分たちの周囲を囲む。おそらく、認識阻害の魔術だ。
周囲に人は少ないとはいえ、公共の乗り物。神秘の隠匿という概念から、こういった魔術は魔術師の基礎とされている。
「さて、何から話すべきか……。そうだな、まずはオリジンストーン一族について話そう。
オリジンストーンとは、時計塔に所属する魔術師の中で、最も多くの分家を持つ"一大勢力"だ」
師匠は葉巻の煙をたゆたわせながら、いつも講義をするような口調になる。
こういう時の師匠の解説は、決まって分かりやすい。聖書や神話の解釈から、
時計塔の内部事情まで、この時の師匠は分かりやすく自分に教えてくれる。
だがしかし、魔術家系の説明にしては大仰な単語が、開口一番に飛び出した。
「一大勢力……ですか？」
「そうだ。魔術師が分家を持つことは多い。
君も今までの経験の中で、そう言った魔術師たちを見てきただろう？」
振り返ってみると、確かに多くの魔術師を自分は見てきた。
確かに魔術師の中では、家を分けることで分家を作る家系は多い。
魔眼蒐集列車に於いて出会ったトリシャさんは、天体科のロードであるアニムスフィアの
源流刻印を受け継いだ分家であると、以前師匠から聞いたことがある。
ただ分家が多いと、その分問題が多発するのも常であるらしい。
相続や遺産、家系の跡継ぎの問題などは日常茶飯事だと言っていたのはライネスさんだったか。
だが家系……の話なのに、"勢力"という言葉が使われたことに自分はまず疑問を抱いた。
そう言い現わせられるほどに、人数が多い家系なのだろうか？
「魔術師が分家を作る理由……それは可能性を広げる為が主だ。
しかし、それでもあまり数を持たないのが普通だ。歴史のある家でも、持って３から４家と言ったところか」
「魔術の本質たる神秘は、知る者が増えれば増える程にその力を失いますからね」
人差し指、中指と立てた後に、それらを折り曲げて師匠は解説を続け、ソフィーさんが頷く。
魔術とは、古くから秘匿されるが故に神秘、即ち力を持つものなのだと最初期に教わった。
それは例えるのなら、器に注がれた水を複数の器に分け続ければ、やがて雫になるかのように、
魔術の神秘というものは、その最も深い部分を知った者が多いほどに、力を失うというのだ。
故に魔術師は、分家は作れど数は少ない。真なる秘奥は子孫に託す。と、かつての師匠も言っていた。
「だが、その例外がオリジンストーンだ。
彼らの保有する分家の数は、魔術世界の中でも群を抜いて多い。
その理由は、彼らが続けている"分割"にある。オリジンストーンは、数世代に一度、
"その魔術刻印を分割し、己の家系を文字通り枝分かれさせる"」
魔術刻印を、分割する。
口で言うだけならば非常に簡単な事だが、時計塔で半年とはいえど過ごし、
魔術師という人種がどういった存在なのかを知った自分には、少し信じられない言葉だった。
曰く、魔術刻印とは臓器のようなものだと剥離城アドラにて知った。
何年もかけて魔術師の体内で熟成され、受け継がれ、遺されていく最後の神秘。
それが失われる事は、魔術師にとっては命を失うよりも恐ろしい事だとも聞いた。
────それを、分ける。分割する。
それだけでなく、ただ分家として分けるのではなく、分割し継承し続ける。
確か、たった少し育つだけでも何世代もかかると聞いたけれど……
「ああ、分割継承だけならば珍しい話ではない。
少し前にエルメロイ教室の見学に訪れた、ラディア・ペンテルとナジカ・ペンテルの
ペンテル姉妹など、２人に同時に分割して継承し、互いが互いを補い合うという部類の家系もある。
アドラで出会ったエーデルフェイトの家も、「姉妹」の特性により代々２人の当主を出しているという。
こういったように、魔術刻印を分けたり、結合したりといった話は珍しくはない。………………のだが、
オリジンストーンは別だ。彼らは分割した刻印の主に、新たな"ストーン"を含む姓を与え、分家を増やしている」
「類似したものは、半世紀程前に解体されたユグドミレニア最後の当主が試みていましたか。
確か、最低限の識別機能だけを残した……シールのように薄い魔術刻印を考案していたと聞きます」
「詳しいな。さすがはルフレウス翁の秘蔵っ子と言うべきか。そうだ。ダーニック卿は他の家系……特に没落して他者に頼らざるを得ない、
弱小一族などに分配して傘下に収めようとしたらしい。もっとも、その試みは成功せず、今ではユグドミレニア家の消息は確認できなくなってしまった。
資金面や政治の巡り合わせなど様々な理由があるだろうが……つまりは原理的に可能だということと、実際に実現することには大きな差がある、ということだ」
なるほど。つまり特異な点は分割し継承を続けることではなく、
それをまるで大樹の枝のように、家系の血を世界中に広げていく点にあるのだろうか。
数十……となると、よほど古い家系なのだろうか。それ程の歴史を持つ家系の分家の数となると、きっと多いのだろう。
……それにしても、ソフィーさんは思った以上に魔術界隈の事情に詳しい。
とても年下には思えず、少し気落ちしてしまう気持ちもある。数年前まで閉じた村で、
魔術は学べど時計塔を知らずに育った事を度外視しても、この知識の差は埋めがたいものを感じる。
「その困難な事を、実現したのがオリジンストーン…と言えますか。
時計塔が把握しているだけでも、相当の数の魔術師がいるとは聞いています」
「ああ。一説によると、オリジンストーンは"魔術師をしている家系だけ"で、
軽く時計塔の一学部の人数を超えるのではないか……とまで噂されている。
まぁ、これは流石に誇張が入っているだろうがね」
そんなに、と口に出そうになった。
魔術師の部分を強調したのは、おそらくそのオリジンストーンの分家には魔術使いになった人も多いのだろうと考えた。
魔術師とは根源を目指す生き物、だが魔術使いとは魔術をあくまで便利な道具としか見ていない人種を言う。そう言った存在は魔術師にとっては最大の侮辱らしい。
あるいは、刻印は受け継いだものの、神秘の探求の道をあきらめ一般の人々になった人たちもいるという事だろうか。
……確かに、数が増えればそう言った人たちが出てくるのは、至極当然だろう。
でもそこまでして数を増やして、一体何を彼らは目指しているのだろう、とふと疑問が走る。
数十世代前、おそらくは千年近く前から続く…………何故か、自分の生まれたブラックモアの墓地がよぎった。
「そして、その分家の数々が多くの実績を残している。
錬金術と召喚術の双方の関係を見出し大成したマイルストーンをはじめとし、
遅延魔術という新たなる部門を開拓したディレイストーン、高い教師の才覚を発揮するシングルストーン、
根源接続者を作ることを目的としたディスストーン等と言った、時計塔でも注目を浴びる様々な研究に着手している家系も多い。
現代の時計塔に関連しないが、東洋に渡り陰陽道を研究しようとした両石家なども記録に残っている」
なるほど。数多くの分家を生み出す、という事はそれだけ多角な魔術を研究できる、という意味もまたあるらしい。
オリジンストーンという源流が何を願ってこのような分割を続けているかはわからないが、
こうして時計塔やその他の魔術世界に少なからずの影響を与えているという事は分かった。
そんな中、一つの疑問が脳裏をよぎる。
「ストーンと姓につく人は大勢いましたが、
それだけ数が多いと、時計塔でも非常に影響力があるのでしょうか？」
時計塔は権力と策略が蔓延る場所、とライネスさんは日々口を酸っぱくして言っていた。
数と、そしてそれだけの研究成果があれば、時計塔でもさぞ名をはせる事が出来るのではないだろうか。
しかし、自分が今まで時計塔で過ごしてきた中で、オリジンストーンという名前は聞いた記憶がなかった。
確かにストーン(石)の意味を含む姓を持つ講師や生徒は何度か耳にしたものの、そういった人たちがまとまった派閥に関わっているとは、
少なくとも今まで時計塔で過ごしてきた記憶の中では思い至らなかった。
自分のその問いに対して、師匠はかぶりを振って明確に否定した。
「いや、オリジンストーンは時計塔の権力争いにはそこまで深くは関与しない。
まず、ストーンの分家全てが一枚岩というわけではないというのが大きな一点だ。
これだけ枝葉が広がれば、本家への関わりが薄い分家もかなり多くなる。君の聞いたストーンと名が付く家全てが密接な関係というわけではない。
特に本家と深い関係にあるのは、最初に分岐した12の家系だが……これについてはまた後で話そう」
「橋渡しをしなければ、まともに外と繋がりを持てない家もありますからね」
どこか達観したような口調でソフィーさんが言う。
スゥ、と葉巻を吸いなおし、師匠は続ける。
「さて、全ての分家が密接ではない……ということを前提としての話だが、
オリジンストーン本家、並びに本家と交流の深い分家たちも権力争いにはあまり関与しない傾向にある。
例えば、ソフィー嬢が関わるブラックストーンは、名義上は時計塔に所属してこそいるが、まず表には出てこない。
逆にシングルストーンのダイオニシアス卿のような、権力争いに重きを置く家系もある」
「……まあ、ブラックストーンは極端な例に入りますが、基本的にストーン一族は自身の家系の研究を第一として、時計塔にはまず顔を出しませんね」
「そう、多くのストーン一族は、基本的に自身の家系の研究に重きを置き、時計塔にはまず顔を出さない」
「……中立主義、と言う事でしょうか？」
時計塔には３つの派閥がある。
魔術は選ばれた人間のみ使うべきだと言う貴族主義、取り入れるべきものは取り入れるという民主主義、
そしてそれらに加え、自身の研究こそが第一だと考え、どちらでもないという中立主義だ。
だが、師匠はその言葉にもまたかぶりを振った。
「それらは学部の派閥だが、着眼点は良い。
時計塔の魔術師……とりわけ歴史の深い魔術師の家系は、
多かれ少なかれそういった派閥に所属せざるを得なくなるからな」
我らエルメロイの一派が貴族主義のようにな、と付け加えて師匠は続ける。
「その視点から言えば、オリジンストーンは貴族主義に位置する」
「貴族主義……なの、ですか？ 刻印を枝分けし続け、分家の数を増やすというのは…民主主義に近いと思えますが…」
「まぁそうだろうな。実際に、彼らオリジンストーンが何故貴族主義なのかを疑問視する声も多い。
彼らが言うには、血を分かち続ける行為は選ばれし魔術師を作るための手段だというが……、
逆にそれが玉石混交を生んでいると批判の的にもなっている」
言われてみれば、確かにそうだ。
数を増やせば、その分優秀な魔術師も増えるだろうが、比例してその逆も増える。
先程師匠が、"魔術師"に限ってオリジンストーンの分家の数をカウントしたのもそれが理由だろう。
「でも基本は時計塔の政治には口出ししない。行動だけで言えば、中立主義ともいえますね」
「そうだな。そして家系が続けている魔術家系の分割は、民主主義に片足を着けていると批判する魔術師もいる。
だが彼らの中には、民主主義、貴族主義、そして中立主義の入り混じる。そう言う意味ではオリジンストーンは、
時計塔の魔術一派の中でも一歩変わった立ち位置にいると見ていいだろう」
一歩変わった立ち位置、とはいってもオリジンストーンの分家のほとんどは時計塔に馴染んでいるらしい。
研究が凄いのか、それともそれがオリジンストーンの長い歴史で築いた信頼なのかは、自分にはついぞ分からなかった。
その疑問が口に出ていたのか、師匠は「前者だ」と短く言葉を発し、解説を続ける。
「いや……研究、というよりは……彼らが保有する資源にある……というべきか」
「霊地……などの事でしょうか？ その保有する土地の霊脈が、非常に高品質な魔力を編み出すなど…？」
「近い、が微妙に異なるな。彼らの保有する霊地からは、非常に特異な魔術鉱石が採れる」
魔術鉱石、とは魔力を帯びる宝石の事で、主に魔術の呪体や触媒として用いられる。
もともと宝石というものそれ自体が持ち主の念や魔力を蓄積させやすい特性があり重宝されるのだが、
中でも長く地中に眠っていた鉱物には自然霊が宿るなどして、さらに強力なものとなる場合もあるとか。
現代は神秘に乏しいと時計塔でもよく言われており、そういった触媒は大変貴重だと聞いた。
魔術の世界ではそういった物の鉱脈の確保は、油田を確保するに等しいとかなんとか。
「彼らが初代より保有する土地……かつてテンプル騎士団が以前保有していたとされている場所では、
代々漆黒に染まった水晶が採れる。これを彼らは『大いなる黒水晶(アーク・クリスタル)』と呼んでいる。
その孕む神秘の度合いは、霊墓アルビオンの中層〜下層で採れるものよりも高いと言われている。
……のだが、加工が難しい。オリジンストーンの家系に連なる者以外、この水晶を魔術で使える触媒として
加工するのが困難と言われている。これが、オリジンストーンが時計塔で地位を持つ所以だ」
「貴重な触媒を……その手で独占、ですか……？」
貴重な神秘の触媒の利権を独占する。
魔術師にとってこれほどのアドバンテージはないだろう。
それを用いれば、時計塔でもかなりの地位を得れるのではないか……と思考する。
だがこれはないだろう。とすぐに思考する。なぜならオリジンストーンは先も言ったように、
時計塔の権力争いには顔を出していないからだ。
「いや、彼らはあくまでこの黒水晶は交渉の材料としている。
これを時計塔に提供する。だから我らの研究・継承には口を一切出すな……とね」
「なるほど……。そう聞くと、研究主義の中立派のようにも思えますね」
「実際オリジンストーン本家の魔術師の多くは、中立派に属する伝承科に行くことが多いと聞く。
その点の波長が合ったのかもしれないな」
ふっ、と師匠が笑う。
そしてつぎの葉巻に火をつけて煙を大きく吸って、そして静かに吐き出す。
一息つくと、オリジンストーンの持つ特徴について講義を続け始めた。
「他の特徴というならば、そうだな。2つほど大きな特徴がある。
まず１つは、ある者が『始まりの意思』と呼ぶ、目的への欲求だ」
「目的への欲求……？」
「知っての通り、通常の魔術師は根源を求める。
だが、彼らの内のいくつか……特に、オリジンストーンの本家は、
根源ではなく…………もっと何か、別の物を求めている。そのように分析した魔術師が、過去に何人かいた」
根源、と聞いて自分はハッとなる。
魔術師が求めてやまない物、根源、もしくは「」と呼ばれる物……。
それを求めず、それ以上に別の何かを求め続ける家系……？ それは確かに、
魔術師にとっては非常に特異な立ち位置と言えるだろう。
「しかし、彼らは目指す物は違えど、そこにたどり着く為ならば何を犠牲にしてでも、
何世代を重ねてでもそこにたどり着くという、確固たる意志を持つ。決して止まらない強さがある。
その進み続ける意思を、オリジンストーンの名にちなみこう呼んでいる者もいる。
────────『始まりの意思』と…………、ね」
「何処まで行っても、何を求めようと、止まることは無い……。魔術師は魔術師故……、ですか」
「そう。この確固たる目的への意思はどう足掻いても、魔術師と呼ばざるを得ない。故に彼らは、生粋の魔術師だよ」
師匠は、若干眉をしかめながら言った。その姿は何処か呆れるような、いや……見ようによっては、
どこか魔術師という人種そのものに対して、ため息をつくような姿にも見えた。
ソフィーさんも、どこか遠いものを見るような眼で電車の窓の外を流れる景色を見ていた。
それはまるで、家族を思い出す少女のような年相応の姿に、あるいは遠い昔に過ぎ去った過去を想起する壮年の女性のような姿に、
矛盾する二つの姿が重なり合っているかのように一瞬見えた。
「だが、かと思えば魔術師の一子相伝の鉄則を外れた分割継承を続け、
しかしそれが神秘を薄めるかと思いきや、それぞれの家系が独自の道を歩み成功をおさめている。
それほどの実力を持ちながら、時計塔の権力争いには口を出さない……」
そこまで言うと、少し師匠は物憂げに窓の外を眺めた後に続ける。
「ある意味ではオリジンストーン家……並びにその分家、ストーン一族は、
最も魔術師らしく……されど最も魔術師から遠い魔術師ともいえる」
「…………なんだか、対極の二つが同居しているみたいです」
自分の何気ない一言に、師匠は少し驚いたように目を開いた。
隣に座るソフィーさんは、ほんの少しだけ笑顔に見えるような表情でこちらを向いている。
「……正鵠を得ているな。その通りだ」
「えっ、え…………。何が、ですか？」
唐突な師匠の言葉に思わず戸惑う。
何か、おかしい事を言ってしまっただろうか？
「オリジンストーンのもう一つの特徴だよ。彼らは大なり小なり、二面性を持つことが特徴なんだ。
本家に近づくほどにその二面性は強くなり、時には二重人格という形で現れる者も多いらしい……。
最も、この特徴は最近は出るものも少なくなってきていると言われているので、説明は後回しとなってしまったがね」
「は、はぁ…………」
二重人格。これは魔術の世界では珍しい事ではないらしい。
これは極東では両義と呼ばれ、根源を求める……中国では太極などと呼ばれる思想に基づくと、
こういった概念が非常に重要になってくるらしい。男性が陽、女性が陰として表せられ、
それらを同時に持つ存在は完全であると伝えられている。この二つの魂が、
重なり合うことを完全とする考えは世界中にあるらしい。
「こういった二面性も、ひょっとしたら彼らの分割継承に関わっているのかもしれないな」
そういって、師匠は少し微笑んだ。
その微笑みと同時に、列車のアナウンスが自分たちの降りる駅の名を告げた。
結局、師匠のその笑みの意味が分からないまま、私達は目的地に到着し講義は終了となった。
◆
駅へと降りると、そこは人通りの少ない駅だった。
まるでその駅だけ、誰も目に留まらないし、気にもしないとでもいうように、誰も下りない駅。
駅にも職員は少なく、利用客もまるでいない。なのにずっとそこに駅は存在し続ける…と言うような、
そんな不思議な雰囲気に包まれているような駅であった。
「変わっていませんねこの周辺は……」
「それにしても……本当に、何もありませんね。お店はおろか、民家も……」
『イッヒヒヒヒ！！ こりゃ降りる駅間違えたんじゃねぇかぁオイ！？』
「いや、オリジンストーン本家はここから車で少しいった場所にある。
手紙によると、確か迎えが来ているはずであるが………」
師匠が周囲を見渡す。しかし周囲には車や出迎えの人は、見る限りではいない。
見渡す限り何もなく、有るのは人通りが無いといっても良い道路と、その脇に生えた街路樹、
そしてその街路樹の影────そう見渡していた時に、見えていた風景に変化が起きた。
スゥ、と、街路樹の影から何かが急に浮かび上がったのだ。
「っ！？」
「ああ、そこにいましたか」
あまりにも唐突で突然の出現だったので、声を上げそうになる。
その浮かび上がった影は、蝙蝠や雀のように小さい、羽をもつ小動物のような形を取った影であった。
影で出来たその何かは、こちらに視線を合わせると、ぎこちなく羽ばたいて自分たちの方向へと向かってきた。
「し、師匠。これは……？」
「ふむ、これは…使い魔か…？」
『失礼ですが、魔力の励起を確認しましたので確認を取らせていただきます。
オリジンストーン本家、あるいはストーンに類する分家への訪問客でございましょうか？』
突然、影でできた使い魔（？）が言葉を発した。
言葉を媒介し遠距離での通話を可能にする使い魔は実際に多いため珍しい事ではない。
ただ、目の前を羽ばたいている影でできた何かが使い魔である、という事実が、自分によっては驚きであった。
「こちらに招待状があります。そちらで発生した、
ダイオニシアス卿の殺人事件解決の依頼を仄めかすような文面がかかれていました」
『………………』
師匠が懐から、数日前に送られてきた招待状を取り出して使い魔の前にかざす。
その招待状を前にして、使い魔はほんの少しの間だけ、言葉を発せずに沈黙をした。
「……あの、なにか？」
『いえ、失礼しました。少々、正規の招待状か確認させていただきます』
そう使い魔が言うと、招待状に羽根が少しだけ触れ、何か魔力が流れてゆくのを感じる。
すると、何も絵柄の書いていなかった招待状の封筒の上に、何やら紋章のようなものが浮かび上がった。
「これは………、」
「ストーン家共通の証印ですね。魔力を通すとこのように浮かび上がるんです。
その中でも本家に近いものですねこれは。ブラックストーン宛ての手紙にも使われていました」
「なるほど……」
『失礼いたしました。オリジンストーン本家屋敷へのお客人と確認いたしました。
お迎えに上がらせていただきますので、お手数でございますが少々お待ちくださいませ』
そう、使い魔が申し訳なさそうに謝罪する。
頭を下げるような仕草をしたかと思うと、そのまま街路樹の木陰へと戻っていった。
そして、自分たちがくる以前と同じように、影の中へと溶け込んで風景と一体化した。
「師匠……あれは一体？」
「おそらくは、変質させ扱いやすくした使い魔の一種だろう。
動物科の線も考えられるが、ソフィー嬢の見立てはどう考える？」
「そうですね。恐らくは、動物の霊魂を影に模写しているものかと」
「やはり、そう考えるか」
少し考える仕草を見せて、ソフィーさんは自分の考えを述べる。
その言葉を聞いて、ふむ、と一度頷いて師匠は葉巻へ火を灯す。
「影という物は昔から人や魂の写し身という一定の信仰があった。
古代ギリシア語のプシューケーはもともと、"魂の影"または"人の影"というような意味を持っていた。
夢や想像に現れる死者などのイメージもあり、魂に付随する第二の魂とも言われている。人の生死とも
深く結びついており、近代ではユングの哲学の比喩にも用いられている。……おそらくこれは、召喚術にそういった
影への信仰を付与する形で、低位の動物霊を能力の高い使い魔として昇華させたものだろう」
使い魔の溶け込んだ街路樹の影の方向を見ながら、師匠は流れるように語る。
召喚術に詳しいと考えられるソフィーさんもまた、ふむふむと頷きながらその師匠の言葉を聞く。
「それは、珍しい事なのですか？」
「召喚により使い魔を呼びだすことは多い。だがしかし、
それに新しい属性を付与することは、少し手順が多くなるため避けられる傾向にある。
……だが、その複雑な過程をマニュアル化させ、錬金術に置ける黄金錬成に近い手法を
召喚術を通して試した魔術家系が、ストーン一族にいる。これはおそらく……」
と、師匠が言葉を連ね終わる前に、駅の出入り口付近の道路に車が止まった。
閑散とした駅の光景とは、不釣り合いなほどに漆黒の、高級そうな車であった。
その車の出入り口から一人の女性が出てきた。先ほどの影のように黒い髪と、緩やかなドレス。
華美ではなく、素朴な印象を見せるが、それでも美しく感じさせるような、そんな女性だった。
女性はこちらに気付くと、丁寧な仕草でお辞儀をしてこちらへ向かってきた。
「オリジンストーン本家屋敷へのお客様でございますね？」
「ロード・エルメロイ２世と申します。貴方がオリジンストーン本家の屋敷まで案内してくださる方ですか？」
「はい。お迎えに上がりました、ミランダ・マイルストーンと申します。
本日は短い間のお付き合いになるかとは思われますが、どうぞよろしくお願い致します」
「……マイルストーン、ですか？ あの錬金術と召喚術を掛け合わせた名家の？」
「────ええ、はい」
師匠はその名前を聞くと、大きく目を見開いて驚いた様子を見せた。
聞き返した師匠の問いに対し、ミランダさんは少し目を伏せ気味に肯定の意を示した。
少しの沈黙が走った後、ミランダさんはペンダントを先ほど影の使い魔が消えた方向へ向けた。
すると、そのペンダントに向かって先ほどの影の使い魔が出現したと思えば、そのペンダントにはめ込まれている、
黒色の宝石に吸い込まれるようにして消えていった。
「やはり、マイルストーン手製の改造使い魔でしたか」
「あら……ソフィーちゃんもいらしたんですね。声が聞こえたからもしかしてと思ったのだけれど……。
ブラックストーン当主へお手紙を渡して以来かしら？ 時計塔での生活は息災？」
「お久しぶりです、ミランダさん。時計塔では、まあ、不自由なく過ごせていますよ」
それはよかった、とミランダさんは嬉しそうに笑う。
どうやら二人は面識があるようだ。ストーン家の親戚は仲が親密な家もあると聞いたが、
どうもブラックストーンとマイルストーンはそれにあたるらしい。ブラックストーンと親交があるソフィーさんが、
ミランダさんと親しいのもまた納得がいく。
「あの使い魔は、常に配置させているのですか？」
「ええ、そうです。本家に加え、私たちマイルストーンの屋敷もこの付近にあります。
基本、本家か私たちへの客人はこの駅か、あるいはあちらのバス停を経由して来られますから……。
なのでこのように、客人にご足労掛けないためにも、使い魔を常に配備させているんです。
日光の下でないと動けず、定期的な魔力供給は必要ですけど……」
そう笑いながら、ミランダさんは再びペンダントを街路樹の方向へ掲げる。
すると先ほどペンダントの黒い宝石へ吸い込まれた影の使い魔がスゥと出現し、
羽搏いて街路樹の影へと吸い込まれるように再び溶けていった。
「なるほど、活動範囲・時間が限られる分、魔力供給の頻度は少なく済み、
加えて通話機能や、操作可能領域の拡大などを可能にしているというわけですね？」
「流石は時計塔のロードですね。その通りです」
「一つお聞かせください。この出迎えや使い魔の待機は、貴方が自発的に行っているのですか？」
「────────はい」
「………そうですか……」
「で、ではお乗りください。屋敷までご案内します。
入り組んだ道を往きますので、お時間がかかりますが……」
師匠はミランダさんの肯定を聞くと、何やら思案するように顎を撫でながら短くうなずいた。
ミランダさんは車の後部座席のドアを開いてくれたので、私たち３人はそれに応えるように車に乗り込む。
だがしかし、師匠は何処か腑に落ちない、というような表情をしていた。
「(どうしたんですか？)」
「(ヒヒッ、大方慣れない長距離列車に酔いでもしたんじゃねぇかあ？)」
茶化すアッドを軽く揺さぶり黙らせ、小声で師匠に問う。気分が悪いだとか、そういう顔色ではない。
こういった表情の師匠は決まって、何らかの不自然な点を発見した時の表情だとは、自分も理解していた。
そしてふと、理由はミランダさんの名乗りに驚いたことであるのでは、と思考した。彼女が"マイルストーン"という、
おそらくはオリジンストーンの分家の１つであろう姓を名乗った時に、師匠が目を見開いて驚いたことを自分は思いだしていた。
「(ミランダさんが、マイルストーンという家系の方だというのは、驚くべきことなのでしょうか……？)」
「(ああ、マイルストーン家は時計塔では名の知れた家系だ。２００年前、召喚術と錬金術の双方の技術の融和を完成させ、
降霊科において非常に高い評価を受けた家系だ。…………そんな家系の現当主が、このような出迎えをすることが、少し不自然に思えただけだ)」
「……あっ……」
言われてみれば、確かにそうである。先ほど師匠は言った。錬金術と召喚術の融和の"名家"と。
魔術に於いてその名前は、現実で言えば貴族にも等しい権力や人脈を持つ、と言える。そんな家系の人物が、
このような従者のように来客を出迎えるという事は、魔術界隈でなくとも珍しい事ではある。
「ああ、いえ……。これは私めから名乗り出た事なので……。
決して本家から命令されたことではありませんので、ご安心ください」
「っ！ し、失礼しました……」
小声で話したつもりでも聞こえていたらしく、反射的に謝罪をしてしまった。
山道に車を走らせながら、ミランダさんは続ける。
「………自分から？」
「はい……。現在オリジンストーン本家が、我々分家の者に直接命令やオーダーを下すようなことはありません。
────ですが……私としてはこのように、人のお役に立てる領分の方が肌に合っていますので……、
このように、自主的に本家や自家への来客を使い魔で監視し、出迎えをしているのです」
「なるほど……。何か複雑な事情があるのだと考え過ぎていました。申し訳ございません」
師匠が頭を下げて謝罪する。
その謝罪に対し、ミランダさんは驚きながら否定した。
「い、いえ！ 良いんですよ！ こちらも少し、勘違いさせるような事をしておりました！
……それにしても、こちらも驚きました。何せ、時計塔のロードがオリジンストーン本家屋敷を訪れるとは……」
「オリジンストーンと時計塔は、基本関りがないですからね。……ですが、」
助手席に座っていたソフィーさんが、唐突にミランダさんの方を向きながら言う。
「時計塔のロードがストーン分家で発生した事件に介入する。
そちらのほうが、貴方にとっては驚きなのでは？」
「………………ええ、そうですね。私としても、これは初めての経験です」
「どういう、ことでしょうか？」
話しの点と点が繋がらず、つい問いを投げかけてしまった。時計塔が、事件に関わることが珍しい。と言いたげである。
だが、時計塔には魔術師の秩序を守る法政科が存在する。確かに現代魔術科のロードである師匠が訪れることは珍しいかもしれないが、
何も"時計塔"と大きな括りで言うほどなのだろうか？ そう疑問に思っていると、ソフィーさんが問いに対する答えを投げかけた。
「オリジンストーン、並びに分家間で発生した事件は、数世紀程前から時計塔以外の外部の組織が担当するようになりました。
その組織がまた大きな勢力を持っているため、法政科も下手に口を挟めないのです」
「えっ……、それじゃあ……何故、招待状が……？」
「推測ですが、あくまで外部組織の担当は監査だけですので、
本家が意見を得るためにロードを招くこともできなくはないのです。
亡くなられたダイオニシアス卿は、先代のロード・エルメロイとも親交があったと聞いていますし」
なるほど。そう考えると不自然ではない。
そう言えば師匠は、オリジンストーンから時計塔、それもロードに手紙が届いた際に"珍しい"と言っていた。
あの言葉には、そういう意図があったと今更ながら気づかされた。
「本家以外の家系が……呼んだという可能性は？」
「手紙の証印はオリジンストーンと12の分家共通のものではありましたが……
本家以外がオリジンストーンの掲げた規則を破ってまで、わざわざ時計塔の、
それもロードを招いてまで得られるメリットは無いでしょう」
「ソフィーちゃんの言う通りです。分家ならばともかく、オリジンストーン一族の本家屋敷に
ロードを呼ぶなど、邪険に扱われてもおかしくはありませんし。………それに」
「────それに？」
ミランダさんは、少し言い淀むような、
あるいは躊躇するような間をおいてから、ゆっくりと口を開く。
「……それに、私たちは、あくまで起源なる石の影なのです。
どれだけ名をあげても、最後には彼らに帰依するのが、我ら石の分家ですので……。
ですから……本家に無断で……時計塔の君主を招き入れるなど……」
「………………」
その言葉は、まるで彼女が自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
確かに師匠は言った。ストーン一族は、本家であるオリジンストーンより分かれた一族だと。
だが、それほどまでに強く縛られるものなのだろうか？ 曰く、自由な研究を分家はしていると聞いたけれど……。
先ほども、本家が直接命令を下すことは無いとミランダさんは言っていた。それなのに、なぜそのような、
自分から本家の言いなりになるような事を口走るのだろう？
「……ミランダさん？」
「あ、いえ……。すいません。日々の研究の疲れでしょうか……。
何か"みょう"な事を口走ってしまいました……。申し訳ありません。お気になさらず…」
「そうですか……。…………影、…ですか」
ミランダさんの口から出た"影"という言葉を、師匠が口元を手で覆いながら反芻する。
おそらく師匠は、数日前に受け取った手紙の文面を想起し、そして何らかの思考を巡らせているのだろう。
『始まりの石に宿る、殺意の影をどうか祓って欲しい』
その言葉が、いったいどのような意味を持つのか。
答えは分からないままに、いやそれ以上に、多くの謎の因子……種とも言い換えられるか、
を抱えたまま、私たちを乗せた車は山の麓に佇むオリジンストーンの屋敷へと到着した。
◆
辿り着いた屋敷は双貌塔イゼルマや剥離城アドラと言った、
今まで訪れた屋敷とはまた違い、小規模な物であった。
「これは…………屋敷というよりは、邸宅……？」
「オリジンストーンは一つの屋敷ではなく、複数の屋敷をイギリスにいくつか構えていますからね」
「おそらくこれは、その中でも本家と呼ばれる物になるのだろう。あるいは、中枢とも言い換えられるか。
霊脈も程よくまとまっているし、ここに本家たるオリジンストーンが居を構えているのだろうな」
師匠が辺りを見渡しながら言う。
自分にはよくわからないが、どうも魔術師の屋敷というのは霊脈を基礎として建てられることが多いらしい。
そういった土地や、はたまた神秘の追求のための呪体や触媒の売り買い、そういった利権が絡み、
今の時計塔のような権力の入れ子構造になったとは、ライネスさんの談だったか
「加えて、近場に黒水晶の採掘場もありますからね」
「はい。結果として、自然と此処ら一帯がオリジンストーンとその分家一族の本拠地となるのです。こちらです」
ミランダさんの案内に導かれる形で、オリジンストーン本家屋敷の玄関を潜る。
その先に在ったのは、非常に大きな１枚の絵画のレリーフであった。
逆さにしたような円錐で、されど螺旋のように段が積み重なっているような、
そしてその一段一段に、様々な苦悶の表情に染まった人々が描かれていた。
「サンドロ・ボッティチェリの……、神曲の"地獄絵図"か」
ほう、と感心するように一息ついて師匠が言葉を発した。
「神曲？」
「１３世紀にイギリスの詩人、ダンテ・アリギエーリによって書かれた作品だ。
筆者をモデルに描かれた主人公が地獄、煉獄とめぐり、最後には同じく実在の人物をモデルに描かれたという永遠の淑女、
ベアトリーチェの手により至高天へと向かうというストーリーだ。この地獄の緻密、かつ真に迫る描写……そして、
堕落した教皇などを容赦なく地獄に叩き落す作風、高い技術、そして生き生きとした人間描写などは絶賛を浴び、
文化・歴史に大きく影響を与えた。それは人の手による文芸復興期、ルネサンスの先駆の１つとして位置付ける見解もあるほどだ」
神曲、確かによく聞く名前だ。ロンドンを訪れてから、図書館や本屋で何度か見かけたタイトルである。
ただそれが、ルネサンスの先駆であるだとか、主人公と永遠の淑女が実在の人物をモデルにしただとかは初耳であった。
…………主人公は筆者自身だからともかくとして、勝手に永遠の淑女扱いされた当のベアトリーチェさん本人はどう考えているのだろう、
などとどうでも良い疑問が一瞬自分の脳裏を駆け抜けたのを感じたが、すぐさまに払いのけた。
「だが入り口にこれを配置するとはな……。何らかの魔術的な意図の合っての配置なのだろうか？」
「あるいは……『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』と、
オリジンストーンの屋敷そのものが暗に語りかけているようにも感じますね」
「……まぁ、魔術師にとって希望など端から持つものでもないしな」
ソフィーさんの言葉に、自嘲気味に師匠は鼻を鳴らし笑った。
それから続くように、玄関から延びる大廊下には、地獄絵図を併せて１３枚の絵画が飾られていた。
複数浮かぶ太陽に向かい弓矢を掲げる男の図、降り注ぐ星々で大地が焼かれる図、
巨大な魚のような海の怪物が大地を飲み込む図と、種類は実にさまざまであった。
「おや、以前と少々配置が異なるように感じますが」
「ふむ……、これは射日神話を描いたものか？ こちらは…洪水の擬図化か……。
見たところ全て世界の破滅に関連する絵画だろうか。しかし順番に関連性が無い……。
太陽……水…水星か？ いやそれならば射日神話が９番目はおかしい…。加えて最初の地獄の絵図も謎だ…。
これは……数秘術？ いやそれだと数が合わない……だとすると────」
師匠が口元を抑えながらぶつぶつと呟く。
どうやら今まで見たことのない魔術体系(というのだろうか？)を目の当たりにし、
勝手にいつものスイッチが入ってしまっているようであった。
そのまま少し歩くと、廊下の突き当りに大きな扉があった。
「この先は広間となっております。本日は参考人として、事件当時に屋敷にいた魔術師を全員お呼びしておりますので、
当主夫妻以外、事件当日にいた全員がそろっております。彼らには、本日は事件の調査のための検査官が来ると、書簡を通じて本家からの連絡がありましたので」
「……？ 当主のお二人は、現在は何処へ？」
「当主夫妻は現在、先ほどお話しした外部組織の担当の者を迎えに行っております」
なるほど。当主が不在だった時に私たちが訪れたのも、ミランダさんが迎えに来た１つの理由なのかもしれない。
となると、少し間が悪かっただろうか？ そう思うと少し申し訳ない気分になった。
「当主様が戻られるまで、事件当日の様子や個々の魔術師の当日の状況を聞いていただけたら…と思います」
「ありがとうございます」
師匠が礼を言いつつ、扉の前に立つ。この扉の前にいるのは複数人の魔術師たち。どのような人たちが待っているのだろうか？
アドラやイゼルマでも、個性豊かな魔術師たちと交流があった。今度もそういった魔術師達と出会うのだろうか。
そんな緊張を抱きながら、自分と師匠は重い扉をゆっくりと開けた。
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