最終更新:ID:/yE2X4ZuEA 2020年10月25日(日) 22:02:27履歴
前回までのあらすじ
突如として、時間と空間が入り混じるという『人理渾然』に巻き込まれたモザイク市。
喪失帯や泥濘の新宿といった異世界が混ざり合う中、渾沌とする世界の中で異変を解決して回るタイタス・クロウと人々が出会う。
モザイク市の御幣島亨やヴァイスといった面々はタイタスと情報を交換し、突如として現れた喪失帯出身の少女ヴィクティ・トランスロードと共に異変解決に乗り出す。
特異点である泥濘の新宿に迷い込んだ御幣島亨とヴィクティ・トランスロード。
両面宿儺と酒呑童子の戦闘に巻き込まれ、壊れてゆく町に錯乱したヴィクティはその魔力を暴走させてしまう。
だが謎のパピヨンの協力を得たタイタスの宝具によって収束し、御幣島とヴィクティ、そして雪二香澄と両面宿儺らが土夏市に合流した。
そして土夏市に召喚された英霊、坂上田村麻呂が合流し全ての首謀者、ナイル・トトーティフと対峙した。
ナイルはルナティクスの水月砦、エノキアン・アエティールの幻想基盤、土夏のみしゃくじの魔力を組み合わせ"狂怖"を召喚する。
"狂怖"は周囲の人間の正気を削る嘲笑と絶叫を響かせながら、人間の恐怖の感情で進化しタイタスや田村麻呂と言った英霊達を圧倒してゆく。
その力の源の呼び水となっていたのが、慶田紗矢の恐怖と言う感情だった。彼女はルナティクスの一員であるが故に水月砦と繋がっていたのだ。
そして"狂怖"召喚に自分のサーヴァントが協力してたという事実から自己嫌悪に陥る。だがしかし、コーダがそんな彼女の闇を祓った!
紗矢の恐怖という呼び水が無くなった事で水月砦が増幅していた恐怖の感情はなくなり、英霊達の反撃が開始された。
◆ □ ◆
「█▂███▂█▇▂█▇▂█▂█▇▂█▇▂▂█▇▂█▇▂▇▂█▇▂!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
悍ましき金切声が如き悲鳴が、辺り一面に響き渡った。
だが先ほどまで"狂怖"が全身から響かせていた、精神を混沌に陥れる叫びは、もう既に聞こえない。
この戦場に立つ英霊達とそのマスターらは、完全とは言えないまでも、既にその精神に平静を取り戻していた。
「動く……体が思うように動く!!」
「喜んでいる場合じゃねぇぞアビエル! スクロール早く! このままじゃ消える俺!」
「了解了解!!」
「卑弥呼さん。今のうちにあの"狂怖"の動きを封じる算段のほどを」
「分かりました御幣島さん」
「▂█....▇▇▂▇▂█▇▂...ッ」
そんな、通常の動きを取り戻した英霊達とは真逆に、"狂怖"は困惑していた。
何だこれは? 体が動かない。
全身に痛みが走る。痛みの走る箇所から力が抜けていく。
分からない。理解できない。理由が不透明だ────! と。
"狂怖"のその全身には夥しい数の弓矢が突き刺さっており、その身体中に走る痛みに"狂怖"は悶えていた。
何分、生前というものがない生まれたばかりの精霊種。痛みなど初めて感じる感覚である。
初めて全身を覆う苦痛と言う未知に、"狂怖"は初めて困惑という感覚を味わっていた。
その困惑によってできた一瞬のスキを逃すような英霊など、此処にはいない。
「おいおいどうした? 動きが──────鈍っているぞ!!」
突如として"狂怖"の肉体が真横へ吹き飛ばされる。
肉片と化していた自らの霊基をかき集めた宿儺が、再生させた肉体から渾身を込めて一撃を"狂怖"へと叩き込む。
"狂怖"の霊基の隅から隅までその衝撃が電光石火が如く走り、逃す事の出来ない威力が"狂怖"の中心で爆発するように広がった。
田村麻呂の宝具によりできた傷口、"狂怖"の全身の孔という孔から漆黒の血が噴き出る。いや、それは血液ではない。
それは"狂怖"が貯め込み続けた、彼を形作る人間たちの恐怖の感情に他ならない。
「ケヒヒヒヒヒッ!!! 柔いなぁ……実に柔い!! 所詮は生まれたてか!!
少しはこの俺を見習えよ。的確に霊核をずらしたおかげで、今だに生きているぞ?
それをお前は……。あのガキが恐怖するのをやめただけで────そのザマかぁ!!」
二撃、三撃、続けざまに叩き込まれる宿儺の拳。肉体的ダメージと、呪術による霊基的ダメージが二重に"狂怖"を襲う。
ダメージを受けるごとに"狂怖"の肉体を構成していた人間の感情が霊基の外部へと流出し、そして溶けだし霧散してゆく。
そしてそれに続くように、他の英霊達もまた動き出す。"狂怖"の放っていた瘴気────人間の精神を侵す魔力が消滅したからだ。
「……大丈夫、動けます! マスター・ヴァイス、ご無事ですか?」
「僕は大丈夫……。メアリーはサーヴァントたちのサポートをお願いできる?」
「でしたら私と一緒にアレを食い止める陣の構築をお願いできますか?」
「了解しました」
卑弥呼が巫術の詠唱を紡ぎながら、メアリーに対して提案する。
それに頷くとメアリーは、その霊基を変容させて『魔術師』である理想の英雄へと変化する。
"狂怖"はそんな彼女たちが行おうとしている"ナニカ"が、自分の害になると直感で感じ取り、その破損した肉体を動かし彼女らを滅そうとする。
だが、彼女たちを守るべく先鋒として"狂怖"へと立ち向かう英霊達が、その拳と刃を振るいて"狂怖"に追い打ちをかける。
「あの瘴気がなくなればこっちのもんだぜぇ!!」
「邪魔をするなよ若造が! もっと俺にこいつを殴る楽しみをくれよ!!」
「ちっ……こっちはしくじっちまったが……アビエル! スクロールまだか!?」
「あ、はいこちらに。……しっかし、いきなりあの"狂怖"のヤロー、弱くなりましたね。
さっきまではあの叫び声もありましたが。全然手も足も出なかったっちゅーに」
「ちげーよ。弱くなったんじゃねぇ。"強くならなくなった"んだ、あれは」
「………………?」
タイタスの千切れた腕に対して、この人理渾然という特殊な状況下で得たスクロールを発動しながらアビエルが首をかしげる。
理由は彼の言った言葉の違いが理解できないからだ。"弱くなった"ではなく、"強くならなくなった"という意味が分からなかったのだ。
そんなアビエルに対し、隣で涙をぬぐう紗矢を慰めながらコーダと、卑弥呼に令呪を通し魔力を供給する御幣島の2人が補足をする。
「つまり、弱くなったわけではなく……成長速度が停止しただけ……という事でしょうか。
あの"狂怖"は、人の感情を際限なく吸収して強くなる。その成長が今は停止した。だから英霊達が戦える、と」
「そうだ。普通英霊なら大抵の壁は超えることが出来る。だが……成長し続ける敵はまずい。何せ英霊と言うのは基本的に"完成"している。
その完成している英霊が、常に高くなり続ける壁を相手取るとなれば……いつか超えられなくなる。今までのはそういう状況だったんだ。
だが、その成長が止まれば……まだ可能性はある。結局は英霊ってのは困難に立ち向かうもんだからな。今はその困難に立ち向かう"路"が切り開いた状況だ。
………………アンタのおかげだ。アンタが切り開いたんだ。英霊(おれたち)が往く道を! お手柄だぜ」
「俺はそんな……。乗り越えられたのは、彼女です」
「………………ああ。そうだな」
紗矢と見つめ合い小さく頷くコーダの姿に、タイタスは短く肯定して頷いた。
タイタスはコーダという青年が、その全霊を以て彼女に対して言葉を投げかけたという結果だけを、ただ肯定するように笑っていた。
そんな腕が破壊されたタイタスに、紗矢は申し訳なさそうに謝罪をする。
「ごめんなさい……ごめんなさい。私のせいで……!」
「良いって良いって。俺はサーヴァントなんだからこれぐらい治る。
それに、誰誰のせいだとか言いだせばあのナイルの野郎に気付けなかった俺のせいでもある。気にしないでくれ」
そんな彼女に気負わせないようにと、タイタスは笑いながら言った。
同時にスクロールによって千切れた左腕の傷口がふさがったのを確認すると、ヨシと一言呟いた。
そのまま彼は、耳をふさいだまま震えているヴィクティの下へと向かい、反撃の狼煙が上がった事を伝えに走った。
◆
「ふむ………………」
一方その頃、"狂怖"を召喚した首謀者たるナイルはこの状況に訝しんでいた。
いや、言うならば彼は興味深そうに事象を観察するかの如く、事態を俯瞰していた。
紗矢というルナティクスの少女が、コーダと言う男の手で恐怖することを辞めた。
それはいい。確かに彼女の恐怖と言う感情を、ルナティクスの共有精神領域を満たしたみしゃぐじの魔力が増幅させていたのは事実。
共有精神領域を人類の持つ恐怖の坩堝にするための呼び水として慶田紗矢の持つ恐怖を利用していたのは事実である。
だからこそ、言ってしまえば彼女の恐怖がそのまま増幅されて"狂怖"の力となっていたと言える。
だがしかし、彼女は言うならばあくまで呼び水に過ぎない。
彼女が恐怖をするのを辞めたとて、既にルナティクスの共有精神領域を満たした恐怖という"信仰"は消滅しない。
恐怖と言う狂気を持つルナティクスは彼女1人ではない。他にも精神領域を恐怖で満たしそして増幅させるルナティクスがいるはず。
だがしかし、まるで今の"狂怖"は力の源である領域から恐怖の感情が何らかに上書きされたかのように、本領を発揮できずにいた。
何が起きたのか? そう思考をしていた時、ナイルはあることに気付いた。
「────ッ。この周囲に満ちる微量の魔力……なんだ?」
ゾワリ、と嫌な魔力をナイルは足元に感じていた。
「………………これは……まさか、精神感応魔術……?」
それはまるで、何らかの結界魔術か何かのように"狂怖"の周囲を取り囲んで発動されていた。
卑弥呼とメアリーによる英霊達への援護か────とナイルは2人の英霊の方向を見るも、"まだ"彼女たちは魔術を行使していない。
ならば何者が────と思考した時、ナイルの脳裏に1つの可能性が浮かぶ。田村麻呂がこの地に来た際に言った『黒ずくめの男』……それが何者かは考慮していなかった。
周囲に満ちる精神への感応を主とした魔術。そしてそれにより弱体化する"狂怖"……。ナイルの予測はこの時、1つの可能性に行きあたっていた。
「………………やってくれましたね。狂月の徒……」
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「フン……案の定、外から来た降臨者(よそもの)が紛れ込んでいたか。
だが、どうだ。最高のタイミングで横合いから殴らせてもらったぞ? 気分はどうだ」
「見たか、余所者風情が。これが俺なりの歓迎(やりかた)だ」
英霊達と魔術師らが、"狂怖"と戦い続ける戦場を見下ろせる遥か高台に、その男は立っていた。
嘲笑と、侮蔑が混ざったような視線と、歓喜と称賛に満ちた笑み。2つの相反する感情を浮かべながら男は戦場を睥睨する。
その周囲に人はおらず、ただ男は閑散とした高台からその全身の魔術回路を励起させ、己の魔術を行使し続けていた。
魔術の名を『魔皇破邪神シン・デミウルゴス』。ルナティクスという狂月の徒となった彼が魂に刻んだ魔なる狂月の咒。
男の名は霧六岡六霧。この土夏に誰よりも早く駆け付け、そして異変を悟った男。
男はこの地の霊脈を調べると同時に、外より降臨した何者かが事件を引き起こそうとしていると知った。
同時に、男が所属する群衆たるルナティクスの拠り所ともいえる精神領域、水月砦が利用されようとしている事も。
故に男は準備をしていた。その準備を終えた上が今、戦場となっている。そして男は、最高のタイミングだとその眼で判断した瞬間に己の魔術を発動させたのだ。
その効果は端的に言えば、己の思考・感情・渇望、そして狂気で他の者の精神を染め上げるという精神魔術。
通常の人間や、狂気に染まりはしたが己の狂気をもてない"喪月徒"などといった連中を、己の意のままに操ることが出来る魔術だ。
本来ならば他者を操り壁や逃走経路の確保に用いるのが主な使い方だが、彼はあえてこの魔術を攻撃へとこの場においては転用した。
即ち、恐怖を力とする"狂怖"が、力の源とするルナティクスの精神領域────水月砦を、恐怖以外の感情で染め上げたのだ。
「我らの返るべき故郷ともいえる水月砦を、穢らわしい神の魔力なんぞで染め上げるなよ」
吐き捨てるように、男は見下しながら外よりの降臨者、ナイルへと言い放つ。
男は使い魔を通して彼らの話を全て聞いていた。そして使い魔越しに"狂怖"の魔力を浴びても尚、彼は自分を保ち続けた。
そうしてナイルの行いを洗いざらい聞き出した彼の内部に渦巻いていたのは、純粋なる怒りの感情だった。
「人を試したいと言うのならば、お前自身が立ち向かえよ。
何を安全圏からニヤついている。不快なんだよ。悪となるなら、堂々と悪を声高く唄え。
嬲り甚振ると言うならば、殴り返される覚悟を持て」
渦巻くは怒り、怒り。唯々怒り。
我ら狂気の同胞を利用して『面白い事』を成そうとしているナニカがいる。
そしてそれは、自分とは相いれない"外"の存在である。それもそのよそ者は、あろうことか自分ではなく他人の狂気と恐怖を使うと来た。
許せない。赦せない。ああ、何だそれは? "情けない"。
人を試すと言うのならば、邪神として君臨すると言うのならば、何故お前は自分から出向かない?
水月砦を利用するな。他世界の幻想基盤を利用するな。土地に染み付いた神の魔力を利用するな。
何故そうも厚顔無恥に他者を利用している? 安全圏から楽しんでいる? 人を試すならば、まずは試す対象に敬意を払え。
人を試すと笑うのならば、安全圏に立つのではない。腹を括って潔く立ち、敗北をすれば殴られる覚悟をもてよ。
お前は労もせず外から無遠慮に顔を出し、俺たちの狂気を踏み台に、他人の感情に殴らせて楽しいのか?────と。
ただただ男は、狂気を超えた憤怒の感情を滾らせ続けていた。
「俺に対する、そして俺たちに対する侮辱と取らせてもらう。────これはその、最大限の礼だ」
男のこの言葉を聞いて、まるで義憤に駆られる正義の漢と勘違いする人間は少なからずいるだろう。
事実男のやっている事は確かに正義の為に戦う英霊達への手厚い補助だ。彼の放つ魔術が、"狂怖"を強める感情を薄めている。
怯えるだけで満足するな。立ち上がれ。奮い立て。そして己の命すらも顧みずに武器を執れと。男がその思考で水月砦を支配する恐怖を消滅させてゆく。
だが、それが正義であるかと言われれば否である。ただ男は己の為に動き、己の在り方に狂喜を染め上げ、そして己の認める色しか見ていない。
それは言うなれば、何処までも求道の極致と言えるだろう。他者を率い染め上げ導く覇道とは程遠い。言ってしまえば、男に"正しさ"は無い。
何故なら霧六岡という男は何処まで行っても自分しか見ていないからだ。
ナイルという外よりの降臨者が最も嫌う行いをしている理由は簡単だ。彼の行いが気に食わないからだ。
もしナイルのやり方が逆に彼の気に入るやり方だったならば、いの一番に彼の友として英霊達の前に立ちはだかっただろう。
というよりそもそも、彼が今嫌っている『他人を利用するやり方』を、彼がやったことがないかといえばその答えは否となる。
ただ今の自分の気分が、偶然ナイルのやり方を気に入らない気分だから横やりを入れているに過ぎない。その在り方は例えるなら、醜悪な万華鏡としか言いようがない。
彼にとって神羅万象世界遍く全ての物差しは、ただ常に移ろい往く自分自身が基準であり、全てなのだ。
────────故にこそ、男はその表情を笑みに固定する。
何故? 理由など至極単純。明瞭。歴然。彼は自分の価値観が全ての男。
そんな男が笑う理由なぞ、その見下ろす戦場に"彼が最も美しいと断ずる光景"があった故に他ならない。
「ああ……素晴らしい。素晴らしいぞ……よくぞ立ち上がった……」
「お前が立ち上がったおかげで、俺は歓喜(ぐろぉりあす)に包まれている。祝福(はれぇるや)に満ち溢れている……!」
「お前のおかげだ! ああ! お前のせいだ!! 名も知らぬ同胞(ルナティクス)の一員よォ!!」
「お前がいるが故に! お前が立ち上がったがためにィ!! あの異邦者は今宵死ぬであろう!!」
ギチチ……ッ、と狂気に染まった笑みで、霧六岡はその口を曲げ上げる。
その笑みは本来は怒りが根源にあったものだが、今はその真逆の感情────"歓喜"に満ち溢れていた。
何故? そんなものは聞くまでも無い。自分の同胞であったルナティクスの一員が、今まさに恐怖から立ち上がる様を見たからだ。
男にとって、恐怖から立ち上がる人間は、恐怖に立ち向かう英霊は、この世で最も彼が美しいと定める"善の極光"に他ならない!!
歌舞伎の大見得の如く男は大げさに身振り手振りを行いながら、その全身で歓喜を表す!
「素晴らしい……素晴らしいぞ……! ぐろぉりあす!! 雄々!! ぐろぉりあす!!
そうだ……怯えるな。立ち上がれ!! 震えるな。雄々しく前を見よ!! 泣くな。怒れェ!!!!!
美しい! 美しいィィィィィィィ! 嗚呼ッ!! 斯くも美しきかな英霊賛歌!! そうだ! 立ち向かう英霊達こそ陣理の正しき姿ァ!!」
「いいやそれだけではない……! なんだ。なんだあのルナティクスは! あの手を差し伸ばす青年はァ!!
恐怖の底に沈みし女! それを救い上げる男! 自らの意志を以てして立ち上がり救うその姿ぁ!! まさに極光!!
もっと俺を楽しませろ……もっと戦いを激しくしてくれよ!!! そうだ!! よそ者など…その手で打ち砕いてくれぇ!!
その目を潰さんばかりの輝きでェ!! 俺にお前たちをォ!! 愛させてくれぇええええええ!!!!」
それはもはや愛の告白だった。極まった渇望が天へと木霊する。そしてその木霊は魔術の式となり"狂怖"を縛る。
慶田紗矢という1人の少女の恐怖ゆえに、彼の発動した魔術は水月砦を染め上げる事は出来なかった。理由は至極単純。
"狂怖"という存在と相乗することで、紗矢の恐怖が強まっていた故だ。だが紗矢の恐怖はなくなった。いやそれだけではない。
その紗矢が恐怖から解放される姿を見て、霧六岡が歓喜という強い感情に包まれ狂気を最大限に開放した故だ。
霧六岡は、英霊が好きだ。人間が好きだ。闘争が好きだ。立ち上がる人間が大好きだ。
だからこそ恐怖する人間は嫌う。しかし恐怖から立ち上がった人間は心の底から愛する。
彼は思い出したのだ。自分の根源たる狂気を。そうだ。これだ。今まで数多くの紆余曲折を経て忘れていた。
そう男は咽び泣きたいほどに極まった喜びの中に己の想いに馳せる。
「────俺はこれが見たいからこそルナティクスになったのだ。
感謝するぞ名も知らぬ同胞よ。それに手を差し伸べた名も知らぬ青年よ!!」
「嗚呼!! 俺は今"生きている"ッ!!
雄々!! 俺は今"満ち溢れている"ゥゥゥゥゥゥゥッッッ!!!!」
彼は最大限の感謝と歓喜を同時に抱く。
そしてそれを魔術式として流出させて水月砦を染め上げる。
恐怖など知らん、存ぜぬ、消えうせろと────外よりの降臨者の計画を踏み躙らんばかりに。
精一杯に、胸一杯に、その全霊を以てして、水月砦に己が狂気を響かせる。
「だが俺にできるのは"これ"だけだ。"これ"までだ。後はお前たちに任せよう……。
人類の栄光を以てして世界を輝かせるのは、お前たち人理の極光たる英霊と、そのマスターの特権だ。
俺は魔王だからな……。そちら側に立つのはマナー違反だ。精々、俺の"応援"を活用してくれ」
そう呵々大笑しながら、男は懐からコンビニで購入したワンカップの蓋を開き、ぐいと一口で飲み干した。
そしてさらに歓喜と感謝が流出する。もはや彼の狂気は留まること無し。永劫に止まぬその狂気と言う名の歓喜が、"狂怖"の霊基を蝕み続けていた。
◆
「……なんか、寒気しませんか?」
「どうした? やっぱり怖いようなら無理せんでも……」
「いえ! それは大丈夫です! あの人がやった事…許せませんから!!」
そう声高く叫ぶ声があった。ヴィクティ・トランスロード。喪失帯から迷い込んだ少女のものだ。
彼女は訳が分からないままにモザイク都市天王寺に迷い込み、そして理屈もわからないまま泥濘の新宿へと迷い込んだ。
そこで過去のトラウマゆえに自分でもわからない力に覚醒してしまい、そのまま気が付けばこの土夏という地に移動していた。
正直に言って、彼女にとってこの一連の事件は分からない事づくめである。
言霊という幻想基盤が当たり前であった喪失帯の住人である彼女からすれば、汎人類史は理解できないことだらけの非日常だ。
タイタスと名乗った青年が、これが終われば全て元通りになると言ってはいたが、それすらも本当から理解しがたい感情が彼女にはあった。
だが1つだけ理解できるものがある。今目の前に立つ浅黒い肌の男と、それが従える気味の悪い何かが、敵だという事。
あの存在がいるから周囲のみんなが苦しんでいる。あの人がいるから紗矢という少女が泣き喚いていた。だったら、どうにかしないといけないと。
あの気味の悪い何かの声のせいで、紗矢を助けるために動けなかった自分に慙愧し、ならば今だけはせめて、人を助けるために動かなければと彼女は思考する。
「(………………本当に倒しちゃっていいのかな? 倒すって…殺すっていう事だよね……。
本当に? そんなことしちゃっていいのかな……。確かに、何でかわかんないけどそれが出来る力は、持っちゃってるし……)」
「嬢ちゃん……、たしかアンタ、言霊が当たり前の喪失帯から来たんだったか」
「へ? あ、はい」
だがそんな彼女にも、正直な事を言うと疑問があった。
目の前の存在が悪とはいえ、本当にこの力をぶつけて良いものなのだろうか、と。
あの町を滅茶苦茶にした2人に拮抗できるほどの詳細不明な力をぶつければ、確実に目の前の存在は死ぬ。
それを自分がしていいものか? そう迷っていた彼女に対し、土夏のライダーが言葉をかける。
「俺の時代も良くそういうのが出て来たから分かる。
んだから、あの浅黒い肌の男のことをわかりやすく言ってやろう」
「? は、はぁ……」
「あれも一種の言霊だ。人を嘲笑う、人を馬鹿にするっていう感情だけが人の形を取ったものだ。
そもそも人間じゃねぇし、なにより今殴ってもあとでまたどっかで出てきちまう」
「そうなんですか? だったら今攻撃しても、意味なんて……」
「いいや? 意味ならあるさ」
ニィと快活に笑い、ライダーはその手に持つ刃を"狂怖"へと向けてヴィクティへと拍車をかけた。
「あいつに、もうしませ〜〜んごめんなさぁ〜〜いって吠え面かかせるんだよ!!
情けねぇ泣きっ面させて、こっぱずかしくて二度と悪さが出来ねぇようにしてやれぇ!!」
「えーっと………………。あ、そっか。つまり痛い目見せて反省させれば良いって事ですね?」
「そういう事だ」
「そして精霊並みの存在だから大火力ぶつけないと痛い目見ないって事ですね!?」
「そういうこったぁ!!」
「なら分かりやすいです!!! 全霊で!! 行きます!!」
分からないことだらけだった。意味が不明な事件だった。右も左も分からない汎人類史(せかい)だった。
けれど、これだけは分かる。今自分に宿ったこの力。タイタスという青年曰く、未来に得る可能性を先取りした力。
────ヴィクティ自身も、正直に言えば不安だった。自分にこんな力が宿ってしまうのか? 何故? どうして? と。
無数にある可能性の内の一つで、自分は一体どうなってしまっているのかという不安が彼女の中にはあった。
だがしかし、今は迷っている場合じゃない。心配している時間はないと彼女は腹を括った。
彼女は確信する。自分が今この力を得たのは、今目の前に立つ存在達を叩きつけるためにあるのだと。
それは彼女が分からないことだらけのこの事件の中で掴んだ、唯一の真実とすら言える強い決意であった。
今まで言霊なんて使えなかったが故に、その力は大降りもいいところだ。だが、もはや数値で表せないほどの魔力を宿す彼女を止められるものなど誰もいない。
「怖いですが、不安ですが!! ヴィクティ・トランスロード! 行きます!」
「よぅし! 俺もいっちょやったるかぁ! 久々に孫娘が出来た気分だねぇ!」
「ライダー、それ軽井沢たちの時も言ってましたよね」
「ま、お前らと一緒で手がかかるって意味だよ」
そう笑い合い、彼らはそれぞれナイルと"狂怖"にその拳と弓矢の照準を合わせた。
◆
「よーし発破はかけ終えたようで……
いでででっ!? 霊基修復してもまだいてぇ…!」
「ああ? ビビってんのかよ。近代の英霊だからか?」
「んなわけねぇでしょうがよ。此処が正念場! そろっと全快しましたんで動きましょうか!!」
「言われなくても分かっているわ! さっさとオメェもこいよ抑止力!」
「ったく手厳しぃねライダー様は!」
取れた左腕の真逆、右腕を握り締めながらタイタスは気合を入れて吠える。
同時に動きが鈍った"狂怖"に対して田村麻呂はその手に力いっぱい握った弓から無数の弓矢を放つ。
全身に弓矢を浴び痛みに悶える"狂怖"に、タイタスの握り締めた拳がさく裂し、凄まじい速度で弾き飛ばされてゆく。
「っし、効いたか」
「こいつぁどういう理屈だ。短時間で攻撃が効くようになるたぁ……」
「あの嬢ちゃんがビビるのやめたからじゃねぇか? あの子の恐怖が増幅されて力になっていた。
ただそれが無くなれば、あとは俺たち英霊が奴にビビらなければ攻撃は通る。そういう事だろう」
「否定するだけじゃダメだったんだろ? そいつはどういう理屈だよ」
「簡単っすよそんなの」
ニィと笑ってタイタスは拳を握る。
「あの嬢ちゃんも、俺たちも! 皆揃って恐怖を受け入れた上で戦ってるって事だ!」
轟音が響き渡り、タイタスの拳が弧を描いて"狂怖"の顎を上方向に殴りぬける。
"狂怖"はよろめき、そしてやがて地面に描かれた文様の上へと誘導される。
「今だ!!」
「メアリー・スー、変容拡大全開!」
「幻術……鬼道……共に最大開放! 捕縛します!!」
タイタスと田村麻呂が追い詰めた"狂怖"に、詠唱を終えた卑弥呼が叫び術式を起動する。
同時にメアリー・スーが"理想"を具現化するスキルによって、"狂怖"を抑えきれるだけの魔力を用いて周囲に陣地を展開する。
周囲に鏡が浮遊すると同時に魔力が満ち、満ちる魔力が光となり、光は束ねられ無数の鎖となり、同時に"狂怖"の霊基を雁字搦めに捕らえ拘束する。
そしてその周囲に存在する鏡から光が放たれ、"狂怖"を照らし出してその霊基を削る。
「█▇▂▂█────!!! █▂█▇▂...██▂█▂█▂ッ!!」
「『日輪照神獣鏡』……。まだ数は増やせますのでご注意のほどを」
「流石は邪馬台国の女王様だ。俺なんかにゃあ敵わねぇなぁオイ」
「そんな……。魔性殺しに関しては貴方には敵いません」
「ん、俺の真名に心当たりでも? 別にいいが、聖杯戦争前なんで誰にも言わないでくれよ?」
「ええ。了解しました」
一通り弓矢を放ち終え、魔力を貯めるべく体力を回復していた土夏のライダーが背後から語りかける。
卑弥呼の持つ類稀なる巫術と鬼道の実力に感嘆しつつも、日本最古の女王に褒められたことを喜ぶように微笑んでいた。
「さて……ここからどうするか」
「私が出ましょうか?」
「いやヴィクティはまだだ。火力が高すぎる。
このままだと卑弥呼やメアリーに対しても攻撃することになりかねない」
「そ、そうですか。すみません」
「大丈夫だよ。拘束中に殴り続け、1撃で消し去れるとなった瞬間に殴りぬけてもらう」
……だが卑弥呼の拘束もずっとじゃねぇし、殴れる英霊も俺、宿儺、ライダーと3人だけじゃ物足りな……」
「────────1人、可能性のある英霊がいます」
タイタスが頭を掻きながら案を模索しているとそうコーダが口を開いた。
そしてそのまま1つ決意したように頷くと、彼の令呪の刻まれた手が握り締められた。
「コーダ……さん?」
「大丈夫。危ないから、少し離れていて」
そう言ってコーダは少しだけ紗矢から距離を取った。
紗矢もまたコーダのその言葉を信頼し、コーダの背後に立ってその背中を見つめる。
唯一無二の守るべき少女を背に、コーダはその手の甲に刻まれている令呪を励起させる。
光り輝くその令呪は、まるでコーダの持つ強い意志を反映しているかのように、強い光を放っていた。
それは戦うために。それは守るために。それは────信頼している仲間を、呼び出すために。
眼前に立つ"狂怖"と戦うために、彼は魔力を励起させる。
倒すべきナイルを討伐するために、彼は令呪に意志を込める。
背後に立つ守ると決めた少女、慶田紗矢を守るために……彼は令呪を輝かせる。
何よりも信頼する1人の仲間を呼ぶために────彼はたった3画しかない、英霊への絶対命令権を行使する。
「令呪を以て命ずる────ッ!!」
目の前で英霊達が戦っている。"狂怖"を倒すために、ナイルを退けるために戦っている。
コーダもまた、彼らと同じようにナイルを、"狂怖"を否定する。その心の奥底から、彼は『勝利』を願っていた。
かつて遠き地で出会った英霊から受けた契約。勝利を目指しただ邁進せよという、生き方の指標。彼はその誓いに従い『勝利』の為に行動する。
何もない空虚な生き方しか出来なかった彼に、芯というべき生き方を授けた一柱の戦乙女をその胸に浮かべ、彼は『勝利』を呼び寄せる。
だからこそその名を呼ぶ。勝利の戦女神の名を。コーダはその全霊を以てして、己のサーヴァントの名を叫んだ。
何よりも信頼する、己に生き方を与えた英霊の名を────────!
「来い!! ジークルーネ!!」
刹那、周囲を包み込む光。そして現出する一柱の英霊の影。
それこそコーダと紗矢が探し続けた、コーダのサーヴァント・ジークルーネに他ならなかった。
彼は今この場所で戦うために、たった3つしか存在しない英霊への絶対命令権を行使し、その戦うための刃を此処に招いたのだ。
光が収束し、その霊基が形を成すと同時に、呼び出されたその勝利の戦乙女は振り返り、自らのマスターとその背後に守られる少女に微笑む。
「────────サーヴァント、ジークルーネ。呼びかけに応じ、推参したわ」
「……来てもらって早々で悪いけど、戦いだ。────導きをくれ、ジークルーネ」
「ええ、貴方が望むのなら。約束された勝利の涯まで、永久に貴方を導きましょう」
剣を抜き、そしてその切っ先を"狂怖"へと向けジークルーネは微笑みながら言葉を紡ぐ。
「屈すること無かれ。諦めること無かれ。負けること無かれ。
私たちの契約は覚えていて? 貴方には、勝利以外は許されない」
「……ああ、分かっている」
「そこの貴女も、いつまで彼の背に隠れているつもりかしら?
さあ、早く立ちなさい。貴女もこの舞台の主演、しゃんと胸を張らないと」
「へっ? わ、私ですか!?」
突然のその指名に紗矢がおっかなびっくりと言ったようにジークルーネに問い返す。
そんな少女の疑問に答えず、ジークルーネは微笑みながら頷き、そしてその視線を敵であるナイルへと向ける。
「どうあれ、貴女はアレに立ち向かうという意志を示した。
進むべき道を決めた以上、迷うことなんて何もないでしょう?」
「で、でも……」
「いいから。ほら、前だけを見て進みなさい。大丈夫、貴女ならきっと勝てるから」
「……えーっと……」
「諦めてくれ。ジークルーネはこういう奴なんだ」
半ば呆れ気味に、勝利を掲げて高らかに笑いその刃を掲げるジークルーネを見て紗矢に苦笑いを向けるコーダ。
そんな彼らの姿を前にして、攻撃の手が止まっていた"狂怖"は不気味にその口端を吊り上げて笑い、次に攻撃するべき"敵"として見定めていた。
更にその背後────────"狂怖"の影に隠れるように立ちながら微笑むナイルが、その出現したジークルーネの姿を見てほくそ笑んだ。
「ンッフッフッフッフ…………。英霊が呼び出されるのかと身構えてみれば……。
これは……これは…………。フッ……ハッハッハッハ! これは傑作だ……!!」
パチ、パチ、パチ……と、乾いた拍手を響かせながら、まるで堪えきれないとでも言うように笑い声を響かせながらナイルが出現する。
そうして召喚されたジークルーネの姿を見下すように笑いながら、さながら親愛を告げる神父のような優しい声色で、その言葉を口にした。
「久しぶりですね。ジークルーネ」
「
「"
to be continued...→
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