最終更新:ID:08+vxN/BUw 2021年10月17日(日) 23:34:05履歴
「もはや世界は1つとなった。君たちの抵抗は、全てが無為へと帰したんだ」
燃え盛る冬木の街に、悪意の声が木霊した。
サマエル────この世界全てをその手に握るために、此度の異変を引き起こした、"神の毒"を冠する天使。
その眼前に1人立つのは、影宮零史という名の青年。ここまでサマエルと戦うために、多くの人々と出会い、そして戦ってきた男である。
最後の戦いの地にして彼の育った場所、冬木にて彼は、世界を包む混濁の中心に立つ存在と対峙していた。
…………しかし、その彼の隣には、共に戦う仲間は1人としていなかった。
敵の操るジアブロスィ・サーヴァントに足止めされた者たちがいた。
扇動された民衆に捕らえられた者たちがいた。
苦しみ倒れた人を見捨てられず戻った者たちがいた。
敵に唆された悪なる魔術師集団の説得を試みた者たちがいた。
次々と彼から離れていく人々。倒れ往く仲間たち。だがそれでも影宮は折れずにいた。
その目元は前髪に隠れて読み取ることは出来ない状態にあるが、揺るがない戦いの決意と、確かなサマエルへの敵意がそこにあった。
いずれも眼前に立つ、この事態を引き起こした"悪意"に向けて。奴を倒せば全てが終わる。そういった確かな思いが影宮の胸のうちに渦巻いていた。
「一応確認する。お前が……この事態を引き起こした、張本人か」
「うん。僕の名はサマエル。神の毒────と人は呼ぶ。僕がこうして世界を1つにまとめ上げようとした、黒幕だ」
「何でこんなことをした。いくつもの世界をごちゃまぜにして、その世界の人々を戦い合わせて……! 何を企んでいる!!」
「んー…………。知りたいかい?」
サマエルはニタリと口端を吊り上げ、目を細めて笑いながらそう言った。
まるで全てを弄ぶかのような嘲笑だった。掌の上で敢えて全てを躍らせ、それを楽しむかのような口ぶりだった。
ひとしきりケタケタと耳障りな笑いを響かせた後に、サマエルは影宮に対して初めて、その自らの行動の理由を口にした。
「簡単な話だ。君たちは数が多すぎる。だから、減ってもらおうとしただけだ。邪魔なんだよ、君たち。
ルシファーが人類を滅ぼそうとしたのも理解できる。ああ、余りにも────醜悪だな、君たちは」
「──────────────。」
サマエルは、心底うんざりしたかのような口調と表情でそう告げた。
影宮は口を真一文字に結び、静かにそのサマエルの言葉に耳を傾け続けている。
その影宮の態度に、サマエルはどこか拍子抜けしたかのように目を見開いた。
「……あれ? 逆上したりしないの? 俺たちは醜悪じゃないー、とか」
「いいから続けろ。醜悪だと思った理由。お前が此処までした理由。その全てを聞いてからだ」
「あ、そ。律儀だね。じゃあ一から話してあげようか。この僕がどうして、これほどまでの事変を起こすに至ったのか────をね」
サマエルは挑発するかのような軽薄な笑みで言葉を続けた。
元々サマエル────"神の毒"という存在は、天上にとっての毒となる人間の悪意を持ち込ませないために、魂を天上に運ぶ際にその魂が持っている悪意を背負う廃棄孔としての役割を担っていたという。
悪性を持たぬ人間など、一部を除いて存在しない。天国とは神聖不可侵の領域。そこに人間の悪意が入り込むような事があってはならない。ゆえにサマエルという、悪意を背負う役割が必要不可欠であったのだ。
────────だが、そういった"悪と定められた"役割であるが故に、彼は全ての悪なる存在と結びつけられた。
「僕は悪であれと定められた。故にありとあらゆる悪なる概念が僕と同一の存在として扱われたのさ。
楽園で人類を唆した蛇、聖人に打ちのめされた憐れな天使、そして────堕天使の王にして魔王ルシファー。だがそれらは、僕と結びつくだけでなく同等の力を与えた。
世界を欺く者、自らを僭称する者────即ち、プリテンダーとして。僕は僕と同一視された全ての力を扱えるようになった。だから、僕は就いたのさ! 空席と化した"傲慢"の大罪を担う王の座にね!!」
「………………堕天使ルシファー。この戦いの中で何人もの人たちがその名を言及していたな。
随分と……大きな力の持ち主だったんだな」
「さてね。彼の座は、僕に絶大なる力を与えた。まさしく"魔王"たる力を僕は得た!
────けどね、1つ……1つだけ、見過ごせない事態が起こることを、"傲慢"の座に就いてすぐに演算できてしまったんだ」
サマエルは続けた。曰く、彼は"傲慢"の座に就いてすぐに、とある大きな脅威を感じたのだという。
世界全てを飲み込まんとするような、未知なる脅威の襲来。この世のものとは思えないほどに邪悪で、不可解で、そして大いなる脅威。
このままでは世界は即座に滅び去ると、サマエルは悟った。悪なる王として、"傲慢"の魔王として君臨してすぐに世界が滅ぶなどあってはならない。そうサマエルは思考したのだ。
「最初は君たちを救おうとしたのさ。せっかく魔王になったというのに、すぐに世界が他人の手で滅ぶだなんて、つまらないだろう?
だけど、この世界は余りにも可能性が広く分岐し過ぎている。更に加えて、お前たち人間は数が多すぎる。 ────端的に言えば、僕の手に余る。
もし僕が察した"未知の脅威による滅び"が起きた場合、それが広がるのは一瞬だ。僕では滅びを食い止めることは出来ない。余りにも広すぎるからね」
「だから、世界を1つに纏めようとした……。自分の手が届く範囲だけを、この世界の全てにしようとした……とでも言うのか」
「理解が早くて助かるよ」
「ならば、俺たち人間同士を争わせる必要はなかったはずだ」
怒りの感情を滾らせながら問いを投げる影宮に対し、こらえきれないようにサマエルは愉快気な含み笑いを漏らした。
影宮はここに至るまでに多くの人々と出会った。彼らは一様に、他の世界の人々を『世界が融和していく原因』と一方的に決めつけ、戦っていた。
サマエルがばら撒いた"悪意"がその正体ではあったが、実際にそれに扇動されて戦った英霊や人間の数は数知れない。
影宮たちの到着、説得があと少しでも遅れていれば、あわや大惨事になっていただろう事態も少なくなかった。
「何故わざわざ、俺たち人間同士の悪意を扇動して、憎み合うような状態を創り出した!? 答えろ!!」
「騙し、扇動するのは当然だろう。何故なら僕はプリテンダー。世界を敵に回す"欺くもの"だからね。嘘を扱うのは当然さ」
「……本当にそれだけが理由か。俺たちを何度もぶつけ合わせようとしたのは、本当にそれだけが理由か」
「他に何があると言うんだい?」
「ただ嘘を効率的に扱うというのならば、ここまで回りくどい事をする必要はなかったはずだ。
それなのにお前は、わざわざ何重にも罠を張り巡らさせ、俺たち人間同士がぶつかり合い、自滅するように仕向けた。
……そんなもの、ただプリテンダーというクラスを利用しようとしただけでは、到底出てこないやり方だ。
何か他に意図があったとしか、俺には思えない。それだけの話だ」
「────────面倒だな。のらりくらりと躱すのも」
影宮は一言、また一言とサマエルに追い縋るように、彼の行動の奥にある真意を聞き出そうとした。
対するサマエルは、鼻で笑いながら影宮の問いをのらりくらりと躱そうとするが、やがては心底面倒そうに眉を顰めた。
そして彼は、その内側に宿る人類に対する評価を吐き出し、彼が人々を騙して世界を混濁に導いた、その本当の理由を口にした。
「………………利用しようとしただけだ。どうしようもない汚濁に塗れた、お前たちの本性をな」
心の底から嫌悪感を催しているかのような表情で、サマエルはそう言った。
影宮は静かにそのサマエルの言葉を聞く。変わらず無反応を貫く影宮に対して、どこか厭気が差すかのような表情をしつつ、サマエルは続けた。
彼は人類を天上に運ぶ天使として、そして人間の悪意を背負う廃棄孔として、有史以前から多くの人間の歴史を見続けてきたというのだ。
「……俺たちの、本性……だと?」
「僕が役割を果たしていった中で見たのは、どうしようもない人間の本性だった。争い、憎み合い、妬み合い、僻み合う。
何処まで行っても自分の為。人間の本性なんていうのは、野生動物だった時代から何一つとして変わっちゃいない。
そんな君たちの世界を1つにしたらどうなると思う? 争いが起きるに決まっているだろう。思考・常識・言語、果ては人種……あらゆるものが違うんだからな」
「────────人の本性が醜いものだと証明したかった。……だからお前は、自らの手を汚さず、人間同士が敵対するように仕向けたというのか?」
「その通り!! 人間なんて、表向きは仲良しこよししていても結局は相手を出し抜く事しか考えていないだろう?
自分の利益しか考えていないなら、最初からぶつかり合うようにした方が早い!! だから、僕は君たちをぶつけあわせたのさ!
その方が人間の数も減るし、世界の容量も減っていく。非常に効率が良くて、リーズナブルな考えだ」
サマエルは両の手を叩いて軽薄に笑いながら、影宮の言葉を肯定した。
彼の言っている事は簡単だ。人類の歴史は闘争の歴史にして否定の歴史である。少しでも己と違うものがあれば、人間はいずれそれを否定する。
ならば違う世界が1つになろうとすれば、争いはもはや必然。さらにサマエルは悪意を操作し、言葉により扇動して、人間同士が争い合うように仕向けたというのだ
その方が人間の数が減るから。その方が世界の容量も削れていくからと。サマエルは朗らかに笑いながら嬉々として語った。
「そんな程度の事で……お前は俺たちを……衛宮を……多くの人々を争わせて……多くの死人を出そうとしたのか……っ」
「やっと怒ってくれたかな? でもこれが、お前たち人間の本質だろ? 自分と違う、だから否定する。猿と変わらない下等な理屈だ」
「お前のせいで多くの人々が傷ついた。多くの街が傷ついた……。それを、それをお前は笑って語るのか……!」
「そもそも僕が手を下さなくても、人間同士は争っていただろうさ。
全ては人間の醜悪性に由来する。だから、僕に対して怒るのは筋違いだ」
「………………つまり、お前はこういいたいのか。人類は手を下さずとも互いに争い合っていた、と。
人類は互いに憎み合い、争う存在だから。お前はそれを早めただけだと────そう言いたいのか?」
「最初から言っているだろう。人間は、醜悪だってね」
サマエルはまるで、吐き捨てるかのように表情を歪ませて言い放った。
その眉間には皺が寄せられ、口は苦虫を噛み潰したように歪んでいる。吐き気を催すとばかりに彼は人間の醜悪性を語り始めた。
彼はその口から、天界の廃棄孔として背負い続けた人間の悪性を語る。────それは言い換えれば、人類史1000万年の負の側面であった。
戦争、宗教、すれ違い、王権争い────あるとあらゆる形で、人間は様々な闘争を続けてきた。それをサマエルは人間の醜悪性と説いたのだ。
「そんな人間どもが、協力なんて最初から無理なんだよ!! 常に互いの足を引っ張り合う愚図共がさぁ!!
どうせ僕が馬鹿正直に出たところで、誰が倒した後に利権を得るかだとか、誰が戦いで主導権を握るとかの言い争いをするんだろうお前たちは!!
だから逆に利用してやった! お前たちのその醜悪性を!! 何処までも狡賢く、何処までも愚かで、何処までも救いようのない人間性をね!!」
「……………………そうか」
サマエルは高笑いをしながら、人間の持つ悪性を語った。
人類は確かに、どうしようもない程に醜悪な部分は存在する。利益を得るために他人を踏み台にするし、少ない領地を奪い合う為なら何だってする。
間違った者たちが群れて正しきものを駆逐し、弱い者たちがさらに弱い者たちを搾取する。それらは全て人類の悪意が生み出した物であり、同時に人類史はそれらの繰り返しだ。
確かにそれらを見れば、人類史は悪意の歴史であると言えるし、人類という種族はこの上なく醜悪な存在として映るだろう。
だが────────────。
「滑稽だな」
だが影宮は、そのサマエルの言葉を切り捨てるかのように、ただ一言告げた。
サマエルはまるで動揺したかのように片目を見開き、そして影宮に対して問いを投げかけた。
「……何だと?」
「そもそも、何故俺たち全員が醜悪だと言い切れる。確かに、人類史を見れば醜悪な部分は目に余る。
現代だってそうだ。人が人を悪く言う事はあるし、世間を見ればデマゴーグに溢れている。だが、それで何故人類を醜悪だと言い切るんだ?」
「何を言うかと思えば……! 僕は人類の総てを見てきたんだぞ? 人類の廃棄孔として……! 人類の悪性を全て背負い続けてきた! だから分かる! 人類は悪なる物と────」
「それが滑稽だって言っているんだ!!!」
影宮は、声を荒げて叫んだ。怒りとも、あるいは憐憫とも聞こえるかのような叫びだった。
影宮は更に言葉を続ける。人類は醜悪だと主張するサマエルを否定するために、今を生きるただ1人の人間として、彼が今まで見てきた人々を語る。
「人類は確かに争い続けてきた。だが、それと同じくらいに誰かと手を取り合った。そして誰かを尊んだ!
俺たちには言葉がある。故に手を取り合える。人類の総てを見てきた……? とんだ勘違いだ。現にお前を倒すために、協力し合った人間を見ようとしていないんだからな」
「それは……! 君たちが異常なだけだ……!! 言ったはずだ。君たち人間は異なる物を排除しようとする!! それなのに協力した君たちこそが、排斥される異物!!」
「それも間違っている。異なる物を確かに人間は嫌うが────それでも、違う物から学び合う事も出来る。そのために人間は言葉を持つんだ。
俺にとって……いや俺たちにとって、この数日間は刺激の連続だった。知らない世界、知らない常識、知らないルール……その1つ1つが、俺を成長させてくれた。
知らないもの、違う物だからと言って否定するのは、ただの盲目でしかない。俺たち人類は、お前の思っている以上に馬鹿じゃないんだよ」
「ならこの惨状は何だ!!? 僕に歯向かえる人間は全て消えた! 残ったのはお前1人だけだ!! 出会いで成長した……? 馬鹿な事を!!
お前1人で僕に何ができる!? 誰1人として協力者のいなくなった惨状で、お前は何をするっているんだ!!?」
「────────────いなくなんか、なっていないさ」
影宮は静かに、ただ一言だけ告げた。
そして左胸を握り締めながら、小さく口端を吊り上げる。思い出されるのは、数えきれないほどの仲間たち。
ここに辿り着くまでに出会った、幾多もの仲間たちを脳裏に浮かべ、そして旅路を想起する。
人理を保障するという途方もない計画を掲げた組織と、それを見守る影の星見。彼らと出会った事で全てが始まった。
孔明を宿すロードと、数多くの聖杯戦争を生き抜いた青年に導かれ辿り着いたのは、英霊が当たり前の世界だった。そこで彼は、罪人と残骸と出会った。
エルメロイ教室の生徒たちと泥濘の新宿を駆け抜け、スノーフィールドにて見習いの魔女たちと狂月の徒を打倒し、戦時下の伯林で逃がし屋と死神を名乗る少女たちと共闘した。
電脳世界で呪詛を花に変える青年と走り、英霊を人間と混ぜ合わせる組織とぶつかった。英霊の力を宿すホムンクルスの少年と少女を西部開拓時代の下へ送り届けた事もあった。
死徒と呼ばれる存在の姫を連れる幸運の青年と勘違いから衝突した時もあれば、2つの直死の魔眼のぶつかり合いを見たこともあった。
────────そして何よりも鮮烈に記憶に残る、赤髪の青年。
「共に戦った彼らを、共に歩んだあの人たちを、俺は誰1人だって忘れてはいない。
誰も彼も、1人とて欠けていたら、俺はここまで来ることは出来なかった。俺は彼らに支えられたから此処にいる。俺は彼らの代わりに此処にいる!!」
「何だと……? 何を────────言っている……?」
「お前の言う通り、確かに最初は皆違った。考えどころか、生きる世界だって違った。
けれど────俺たちは手を取り合った。協力し合った。それだけじゃない。彼らは俺の心に……様々な物を残してくれた……!」
影宮は右胸を握り締める。
この戦いの中で得た全てを一瞬、されど永遠にも感じる時間で想起し、そしてサマエルを見据える。
「お前は言ったな……人間は醜悪だと。自分が手を下さずとも仲間割れを始めると! 俺はそれを否定する!
俺たちは、お前による妨害があろうと手を取り合った! 違うから分かり合えないと言ったが、"違うからこそ手を取り合えた"んだ!!
異なるからこそ学び合う事があった。異なるからこそその違いを尊重できる!! だから俺たちは、互いに互いを心に刻むんだ!!!」
「────────────。五月蠅いなぁ…………」
「死んじゃえよ」
サマエルは、心の底から拒絶を示すかのような声を吐き出し、そして影宮に対して攻撃を放つ。
それに対して防ぐ手立てを探る影宮だったが、生憎彼は魔術師でもなければ英霊を従えているわけでもない。
ここまで辿り着く為に多くの仲間たちと出会ったと啖呵を切ったが、彼個人は何の力もない、ただの青年でしかないのだ。
「(────────参ったな。格好つけたは良いものの、打開策がないのは確かだ)」
「(こんな時……衛宮ならどうしていただろうか)」
死が目前に迫る中で、影宮の脳裏に浮かんだのは、影宮と共に冬木の災害から生き残った、誰よりも優しい男の顔だった。
この戦い────いや、異変の中で、一番最初に出会った男。人に優しく、自分に厳しく、何処までも他人の為に戦える正義の味方。
その男の顔が誰よりも強く浮かぶ。思い出される。そして────そんな男に会えた事を思い出しながら、影宮は目を瞑る。
「最後にもう一度…………お前と会いたかった────」
そう影宮が、自分の死を悟った、その時だった。
「エクス────────────ッ!!!
────────────カリバァァァァァァァアアアアアアアア!!!」
突如として、声が響いた。
瞬間、放たれるは星の光。それは影宮を貫かんとする漆黒の魔力と衝突し、そして相殺する。
それは、影宮が強く思い浮かべた青年が誰よりも信頼している、1人の英霊の宝具に違いなかった。
◆
「そんな…………馬鹿な……。
なぜ………お前たちが……ここにいる……!?」
「──────────えみ……や……?」
「悪い。遅くなった……影宮」
影宮は目を見開きながら振り返り、その背後から響いた声の主を目の当たりにする。
それはまさしく、彼が何よりも強く思い浮かべた、この旅の中で幾度となく苦難を共にした1人の男の顔だった。
衛宮士郎。かつて影宮と同じように、冬木の大災害を生き延びた少年の1人。影宮が一種の、シンパシーとでも言うかのような感情を影ながらに感じる青年。
この戦いの中でサマエルの策略により倒れた彼が今、影宮の目の前に立っている。影宮はその事実が信じられず、ただ目を見開いて呆然とするしか出来ずにいた。
「どう……して、お前が……ここに?」
「さぁな。俺も良く分かってないんだが、どうも知ってる人が言うには、お前のおかげらしい」
「────────俺の?」
「馬鹿な……!! 有り得ない……。君が……君が死ぬ所はこの目で確認したはずだ!
其れなのに……何で君は生きている!? いやそれだけじゃない! 何故そのサーヴァントを……!?
お前は、お前たちは……! 僕が手ずから分断したはずだ!!!」
「簡単な話だ。それは、"この世界が不安定だからこそ"、だ」
サマエルが狼狽えながら、この場に士郎とそのサーヴァント、アルトリア・ペンドラゴンが立つ意味を問う。
彼にとって、既に消滅させたはずの人間がこの場に立つ意味は、あまりにも理解しがたいものだったからだ。
その中でも衛宮士郎という存在は、サマエルにとって"膨大な分岐を生み出す基点"とみており、他の魔術師や英霊よりも数段警戒が強められていた。
だからこそ何よりも優先的に排除を試みていた。しかし────今こうして、この場に立っている。その意味を声高に問うた、その時だった。
低い声が、影宮の背後から突如として響いた。
「……君は……まさか。いや……君も僕自身が……殺したはずじゃ……!!」
「────孔明……いや、エルメロイ2世……!」
影宮が振り向くとそこには、眉間に皺の寄った長い黒髪の青年がふらつきながらも立っていた。
ロード・エルメロイ2世。またの在り方を、疑似サーヴァント孔明。ファルス・カルデアに召喚され、影宮と共に多くの世界を渡った、サーヴァントにして魔術師である。
思わぬ人物の登場にサマエルは目を見開いて驚いていた。影宮はふらつく2世へと駆け寄り、その身体を急いで支えるべく肩を貸した。
「へ……へぇ、生きていたんだ。あの大きな車両ごと潰したと思っていたんだけど」
「間一髪で逃れることが出来た。サーヴァントという身になった事には、感謝してもしきれない」
「しかし……どういう事ですか? この世界が……不安定だというのは?」
「どうもこの人が言うには、俺たちが今いるこの世界は、あのサマエルという奴が作った、偽りの世界……コピーでしかないそうだ」
「────サマエル、という天使が持つ役割を考えれば、自ずと辿り着く推理だった……」
そう言って2世は、彼が考えていた推理を丁寧に語り始めた。
「かつて、天球にはその1つ1つに天使が宿っているという考えがあった。当然それは、サマエルにも当て嵌まる。
天球、つまり星の運営だが、当時の世界観では星は宇宙ではなく、高次の形而上領域に属する概念だった。
つまり現代では物質世界には属さない存在のはずだ。例えば座、あるいは星幽界のような異次元、高次元でしか存続できない。
────────ならば、と私は考えた。"そもそもサマエルが、下位たる物質世界に降りてくることはありえるのか"────と」
「………………」
影宮らは静かに2世の言葉を聞く。その言葉にサマエルは、ぴくりと眉を動かして口を真一文字に閉ざした。
何か、何らかの確信に迫っていると2世は察した。サマエルの攻撃が来れば即座に影宮を連れて逃げ出せる準備だけを整える。
そのうえで一言ずつ、彼が時計塔ロードとして培った知識を、推理として組み立てて言葉として口にしていく。
「通常の役割のように、人間の魂を運ぶなどの場合であれば降り立たなくもないだろうが……今回の事変は明確な世界への敵対行為。
抑止の介入が確実に想定できる状況で、わざわざ自分の支配領域から出るとは考えにくい……。だから私は、最初は自身の複製を物質世界に投影しているのでは……と考えていた」
「確かに、彼の分身である"影"は世界中に存在し、悪意をばら撒いて人々の衝突を扇動していた……」
「だが……実態は違うと判断した。初めはもしやという仮説ではあったが、奴の言葉で確信に変わった」
「サマエル、君は────────"複数の世界を星幽界側に複製したな"。
だから君は口を滑らせた。これは全て、"嘘"であると」
図星を突かれたとでも言うかのように、サマエルはその眉を動かして動揺の色を見せた。
だがそれでも2世の推理は止まらない。一字一句欠かさずにその推理を口にして、サマエルが成した世界を融和させる大偉業の真相を解き明かし解体していく。
「初めに感じたのは、アクシア聖団からの報告だった。サーヴァントと拮抗した戦いが出来ている、と。
通常人間ではサーヴァントに勝利することは出来ない。だが、サーヴァントと人間の双方が高次の霊子で編まれた"再現体"であると仮定すれば、その両者の力が拮抗するのはつじつまが合う。
君は手始めに、目についたいくつかの世界を1つにするべくこの星幽界に、住んでいる人々ごと再現した。そしてそれをぶつけ合わせることで世界の融合を進めようとしたのだ」
「世界を……再現? そんなことが、出来るんですか? いや再現するだけならまだしも……それを1つにするなんて……」
「その部分は、彼が
恐らく彼は、それを"太陽としてなぞることで1つに取りまとめた"。黄道を征く偽りの太陽として、自分自身を照応したのだ。それにより彼は、世界中に悪意をばら撒くと同時に、世界を融和させ、天球儀の中心に新たな地球を作ろうとしたのだ。
それらの現象が、世界の住民らの主観的には、大規模な消滅や上書き、あるいは過去改変にも見えたのだろう。後はそこに、彼が悪意をばら撒いて人類同士をぶつけ合わせた……というわけだ」
「そうか……。世界を複数ただぶつけ合わせても、1つの世界にはならない。だから互いの世界を喰らい合わせるかのように……俺たちを戦わせようとしたのか」
「────────そうだ……。その通りだ。だが……それがどうした……!!? 分かったところで、どうだって言うんだよ!!」
計画の総てを解体され、苦虫を噛み潰したように顔を顰めるサマエル。
しかし、この現状は変化しない。今この場に立つのは、1人の英霊と1人の疑似サーヴァント、魔術を使えるだけの人間と一般人のみ。
依然としてサマエルの有利に変わりはない。故にサマエルは叫ぶ。分かったところで何一つとして打開策が浮かぶわけでもないと。サマエルは嘲るように叫んだ。
「理屈が分かった所で! 君たちが僕に立ち向かえるはずがない!!
僕は魔王になったんだ!! そして世界を支配できる力を手に入れた! そんな僕の前に、お前たちが数人群れた所で何ができるって言うんだ!!」
「だからこそ、私は言ったんだ。"この世界は不安定だ"と。あくまで星幽界に再現された世界だというのならば……その根幹にあるものに1つのイメージが浮かんだ」
「────────なに、を…………?」
「簡単な話だ。この世界が、私たちが、1つの再現体であるというのならば────────」
「私たちの記憶が、思いが、再び"彼ら"を呼び戻す為の切り札になり得るんだ」
「────────ッッッ!!!」
サマエルは顔を強張らせた。星幽界とは言うならば、物質という制約に囚われない上位の世界。
そこは言うのならば────人の感情が、思いが、確かな力となる世界。そもそもの発端が"再現"だというのならば猶更だ。
この世界はまさしく、人々のイメージによって大きく形作られている。故にこそ人々の悪意が強まれば崩壊するが────逆に言えば、人の想いがあれば、何度でも人々が蘇る事を意味していた。
「思えば、多くの人々の記憶を司り、繋がりを絶とうとしていた理由も理解できた。
お前は……自分の計画の障害の邪魔になるであろう強力な英霊達を、あるいはカルデアなどの強大な力を持つ組織を、忘れさせて"消滅させる"ことで消そうとしたのだ。
星幽界に再現された世界。そこは言うならば、人間の意識が直接的に影響の出る────全ての存在が英霊の座の存在のように、イメージに引き寄せられる。
誰もが忘れればその存在は消え、そして悪意を向けられればその悪意が人間たちを染め上げる。だが逆に言えば────────」
「誰かが覚えている限り、その記憶がその人を蘇らせる……。ああ、そうか……。だから、お前はここに来てくれたんだな。衛宮」
「ありがとう影宮。俺を覚えていてくれて。セイバーも、来てくれてありがとう。お前がいなかったら、俺は……」
「礼を言うのはこちらです、士郎。貴方が覚えていてくれたからこそ、私は此処にいるのですから」
「ふざけるな……ふざけるなぁぁぁぁぁああああ!!!!」
サマエルは初めて声を荒げ、感情を激昂させて叫び、半狂乱になりながらも攻撃を放つ。
だがその攻撃はアルトリアの魔力放出によって遮られる。それでもなおサマエルは叫ぶ。有り得ない、こんなことはあり得ないと。
否定する。否定する。何処までも否定する。何故なら、今彼の目の前で起きている事こそ、彼が否定し続けた人間同士の繋がりの証左に他ならないのだから。
「人間は醜悪な生き物のはずだ……! 互いに利益をむさぼり合い、奪い合う存在のはずだ!!
それが……それが互いに覚えているから……蘇るだと!!? バカな……! 馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な!!」
「これが人間です。確かに互いに違う。けれど、だからこそ互いに学び合い、そして互いを心に残す。そうして人同士が繋がって、後世へと残す。それを────人理と呼ぶのです」
「人理だと……!? 繋がりだと!!!? そんなものは方便だ!! そんなものは無意味だ!! お前たち人間が互いに喰らい合う為だけの嘘でしかない!!」
「嘘から始まったものだろうと────お前にとって無意味だろうと! 今俺たちは確かにこの想いを感じている!!!」
アルトリアがサマエルへと突貫し、それに続いて士郎が投影魔術を発動、両手に干将・莫邪を構えてサマエルへと駆ける。
2世はその両者の攻撃を魔術で援護しつつ、影宮に対して叫ぶ。この世界は人々の記憶こそが、想いこそがカギになる。ならばするべきことは1つしかないと。
「影宮、君はこの短くも長い戦いの中で、多くの人々と出会ったな」
「…………ええ。色々な人たちと出会い、様々な世界を渡り、数多くの常識を見てきました」
「ならば思い出すんだ。その全てを。その人々を! その記憶が、今苦しんでいる人たちの想いと結びつけば……彼らは必ず帰って来る!!
そして、あの"神の毒"を穿つ力となる!! だから思い出せ!! 君がこの戦いの中で出会った人たちを!!」
2世の言葉が発破となり、影宮はその胸の内側にある記憶を1つ1つ思い浮かべた。
この戦いの中で出会った人々を。彼らは確かに、影宮の胸の中に息づいている。それらが今きざはしとなり、そして人々を繋ぐ架け橋となる。
影宮の記憶が、思いが、この世界で戦う人々の記憶と繋がり、喪われ傷ついた"彼等"を蘇らせる切り札となるのであった。
◆ ◇ ◆
星幽界に再現された、重なり合いし無数の世界。
それが今、終わりを告げる。偽りを紡ぎし神の毒の目論見が、幕を引く。
「悪いが、俺たちの過去は消させない。俺たちの繋がりを、断ち切らせはしない」
「どれだけ嘘偽りで塗り替えようと、繋がりがある限り僕たちは……この世界は滅びない」
絆が蘇る。世界が、再び始まる。
神の毒を穿つために、満天の星空に輝く星辰。それぞれに輝く歴史と繋がりを抱いて────。
「どうキルケー?」
「────────ばか。遅いのよ。貴方」
「てんか……君? なん、で……」
「ごめん。今はちょっと、話している時間は無くて……。いかなくちゃいけない」
「令呪を以て────────!!」
「────────我が肉体に命ずるッ!!」
「マシュ……俺と一緒に、戦ってくれる?」
「行こう、モニカ。みんなが待っているから」
「来てくれたのか……お前たち。もう、会えないものかと……」
「僕たちもそう思っていた。けど、どうもこの世界ではそうでもないみたい。
会えると信じれば、いつでも、何度でも再開できる。そう言う世界なんだ」
全ての始まりとなった地、冬木にて、今彼らが集う。
偽りによって分断され、そして偽りを破るために集いし星。その輝きが今、星座の如く繋がり合う。
そして全ては、泡沫の如く────────────
「衛宮、君の」
「君の、人生は────っ!!」
次回、完結。
その泥濘を、貴方は覚えているか?
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