最終更新: nevadakagemiya 2018年11月10日(土) 23:45:31履歴
「なにサボってやがるテメェ!」
祷堂残七はボーダーの裏で悠々と一服していた同僚の脛を蹴飛ばした。
煙草休憩に勤しんでいた男、馬陸はニヤつきながら痛そうに目を細める。
「いいだろ別によ。どうせ俺の専門は惨殺と拷問だ。社長みてぇに殺してぇわけじゃないの俺は。
むしろあんたら殺しスキーにとっちゃ取り分減るだけ損だろ損。俺はサボってんじゃなくて譲ってやってるんだよ」
「んなわけねえだろボケ! 給金貰ってンだから働けや! 効率悪いだろ効率が!
つーか戦闘以外にも仕事有り余ってんだろうが!」
「効率ねぇ」
馬陸はボーダーの外壁にタバコを押し付けると吸い殻を投げ捨てる。
そして、観念したように諸手を挙げて進み出る。
「わーったよ残七。仕事すりゃいいんだろ。ま、俺も金貰ってる以上は働くさ。サラリーマンだからな」
「わかればいい。……とはいえ、アンタが専門外なのも理解してる。帰ったら一杯奢ってやるから我慢してくれ」
「りょーかい。そいつでチャラだ。──ってなわけで、そろそろ行くぞヘイヤの嬢ちゃん。……嬢ちゃん?」
馬陸は「おっかしいなぁ……」と訝しげに辺りを見渡す。
「おい、残七。ヘイヤの奴見かけなかったか?」
「アァ? ハムサンドの嬢ちゃんだァ……? いや、見てねえな」
「チィと前までその辺でうろついてたんだが……」
怪訝そうな馬陸を前に、残七はかったるそうに肩をすくめる。
「別にいいだろ。アイツは外注だ。バックアップ扱いで契約したからには契約外の仕事押し付けるわけにもいかねぇよ」
「待て、残七。俺はいいのか?」
「……テメェは社員だろ馬陸」
「ちぇっ、これもサラリーマンの宿命かねぇ」
つまらなそうに言った馬陸は渋々ながらも残七の後を着いていった。
後には草臥れた吸いカスだけが燻るだけであった。
同時刻。コロッセウム。
先日の矢衾一行の襲撃によって齎された殺戮劇、その痕跡さえ覆うほどの万雷の殺意がコロッセウムを満たしていた。
掃いて捨てるほどに観客席を埋め尽くす者たちは口々に暴力的衝動を喚き、叫び散らす。
渦巻く狂乱の中心にあるのは二対の人影。
片や如何にも剣闘士然とした肉達磨の大男。
片や彼の腰元にも及ばぬ小さく矮小な身体を襤褸切れで包んだ人物。
辛抱たまらず観客は声を揃えて呪いを歌い始める。
『血!血!!血が欲しい!!拳に!刃に!!魂に!!
血を捧げよ!臓物を捧げよ!!闘争の渇きを癒す血を!!』
彼らが望むは強者の勝利。彼らが望むは敗者の鮮血。
襤褸切れの人影がパチンと弾けて、密と詰まった赤い甘露を醜悪に臭わせるその時を誰もが望んでいた。
そう。これは試合ではなく処刑。
人類史上、多くの民衆を湧かせたエンターテイメント。
異聞の大地でも色褪せぬ魅力を艶めかせるそれが汎人類史と違う点は、処刑人が喜びに震えていることだろうか。
剣闘士が担ぐ大剣はギロチンの刃だ。振り下ろされる時にもう一つの命は為す術もなく吹き消される。
だからこそ彼らは単身で相対している。弱者が摘み取られる瞬間を観客に見せつけるために。なんと悪趣味なことだろうか。
『兎狩り』のエキシビジョンマッチに運良く任命された剣闘士はニヤニヤと大剣を振り上げる。
彼の頭の中では『兎』をどのようにいたぶろうかという妄想で満ち、絶望しきった表情を脳裏に夢想して下履きの中のモノをいきり立たせていた。
『殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!
殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!』
掲げられた剣を合図に観客のボルテージも最高潮に達する。
誰もが、その小さな『兎』の死を期待した。が、欲望の嵐が吹き荒れるその中で、
「……うるっさいなぁ」
襤褸切れを纏う『兎』が苛立ちを漏らした。
「なんで、私がこんなことしなきゃいけないのさ。めんどくさ。あーもう依頼受けなきゃ良かったよ。
でも、まあいいや。仕方ない。一度殺されて逃げるつもりだったけど、ムカついたらお腹減ってきたし」
『兎』は深く被っていたフードを取り払う。
現れた銀と赤が太陽に照らされ、光を反射した。
「では、矢衾警備保障契約社員ヘイヤ=ヘイ・ハムサンドウィッチことザイシャ=アンディライリー。
特に恨みはありませんが、これより臨時食料としてアナタの肉体を一片残らず食い尽くさせていただきます」
◆
実に呆気なく勝負は決した。
非魔術師の剣闘士は束縛魔術に捕らえられ、円形闘技場の入場口まで引きずられると、生きたまま『兎』に捕食された。
心臓をくり抜き、シャクシャクと林檎のように齧りつく少女を姿を最後に剣闘士の意識は永遠にブラックアウトした。
「よっと」
観客のブーイングもどこ吹く風。剣闘士が持っていた大剣を全身で使って、ザイシャは黙々と死体を解体する。
が、切断した腕を一舐めすると眉を潜めて、
「うわ……美味しくないなこれ……」
そう言って剣闘士の腕を投げ捨てた。
投げた腕は放物線状を描いて待機中の剣闘士たちの間に着地する。
彼らの間にどよめきが漏れ、ぎょっとした目を彼女に向けたがザイシャはスルー。
心臓で小腹も収まったため死体のことはどうでも良くなっていたのだ。
『やぁやぁ! いいね! 結構面白かったよ君! うん。最高!』
軽薄な声と共に備え付けられたスピーカーがハウリングを漏らす。
不快そうに表情を歪めたザイシャは声の主を探した。
『君、汎人類史から来たんだろ? もしかして死徒ってやつ? いやー、良いショーだったよ!
あ、僕の名前? 僕はベチュラ・メディスン。もしくはベチュラ"ゴースト"メディスン。
ちょっとしたVIP観客のようなものでね。そして、たった今からは君のファンでもある!』
姿はない。声はスピーカーから聞こえていた。
「……O-13ですね」
『正解! やっぱり汎人類史から来たみたいだね! 正解者の君と僕に20ポイント!』
しかし、ザイシャを監視しているようだ。
微かな呟きが彼に届いていることを知り、ザイシャは警戒に身を固めた。
「アナタの素性はどうでもいいです。それよりもO-13メンバーということなら聞きたいことが──」
『それよりも聞いてくれよ! ここの奴らときたら皆脳味噌までササミが詰まっててさ、明けても暮れても同じショーばっかり!
僕としては些か飽きが来てるんだよね。ってなわけで君みたいな変わり種の試合も見てみたいわけ。わかる?
で、話は変わるけど、君の首の所見てみてよ? 何か、黒っぽいものがつけてあるだろ? その、それだよ、首輪っぽいの』
ザイシャは首元を触る。確かに、何かプラスチックのようなものが首の周りについていた。
『それねー、対死徒用の爆弾なんだよ。僕の意志でいつでもドカーン! 首が吹っ飛んでさようならってわけ。
あとは分かるだろ? しばらくコロッセウムで試合をして欲しい。逃げたり負けたりしたらドカーン!
あー、でも報酬なしってのもアレだから、三日間生き延びたらさっきの質問に答えてあげることにしよう。
逃がす気はないから、汎人類史の仲間の救出を祈っておくといい。僕の退屈のためにも、頑張って耐えてくれ!』
面倒なことになった。ザイシャは溜息をついた。
街で拉致された時にも、この闘技場で行われる『兎狩り』という催しで嬲り殺されると知った時も大した動揺はなかった。
頭を破壊されようが、対死徒だろうがザイシャには関係ない。一度死んで復活すればいい。
が、今では話が違う。この異聞帯に来た目的を果たせるかもしれない。
問題は質問に答えさせる条件がついたこと。ここまで好き勝手にできるということは相手はそれなりの立場。
自分の尋ねることに関してかなり正確な回答を手に入れることができるだろう。
が、それには三日間生き残る必要がある。それも、脱出のことを考えれば一度も死ぬこと無く。
非常に面倒な依頼だとは一瞬で理解した。が、他に術もない。
「いいでしょう。その依頼を受けます。対戦のペースは?」
『お、快諾してくれるんだ! んー、そだね。一日一戦ってところかな。あんまり頻繁だと飽きちゃうし』
「わかりました。それでは私の檻に帰っても?」
『あー、ストップストップ! 一応賓客として扱うからむさ苦しい檻には戻せないよ。せめてもの誠意ってやつ?
ってなわけで、おーい! メギドラちゃーん! 監視役を兼ねてルームメイトお願いね!』
スピーカーの向こうから舌打ちが聞こえた。おそらくはメギドラ某から発せられたものだろう。
ザイシャも内心で舌打ちする。三日間生き残ったら逃げ出すつもりだったが、監視役が付いていてはやりにくい。
間違いなくO-13側の人物だろうから、なにかと面倒な予感しかしなかった。
『じゃ、そういうことで。しばらくそっちで待ってくれよ汎人類史ちゃん!』
ハウリングを残しスピーカーの音がブツリと途切れる。
ザイシャはまた溜息をついて、魔術回路を励起させた。
死徒への対策があるなら不死への対策もあるはずだ。リスクを減らすために自身の特性を知られる訳にはいかない。
回路からザイシャ自身の身体にアクセスすると再生システムをいじくり、速度を最低まで引き下げる。
これで外目からは怪我の治りが早い程度にしか見えないだろう。
と、一息ついたその時、
「ほぅ、面倒事を押し付けられたと思ったが。お主、これまた随分と珍妙な術を……」
振り返ると奇妙な風体の少女が興味深そうにザイシャを見ていた。
ザイシャより少し背が高く、長い三つ編みを二尾、側頭部から垂らす死色の顔。
その生気のない肌の色よりも深く濃い紫の大きな瞳が爛々と輝いている。
振り返ったザイシャに彼女はニタリと笑ってみせた。
「ようこそ、不死者のお客人。儂はメギドラ・エイハブ・サレナ。お主のルームメイトじゃよ」
◆
通された部屋は暗く、そして散らかっていた。
湿気の多い地下室には、不吉な予感を纏わせる家具や小物が山のように転がっている。
ガラクタの山の中で一層呪いが色濃いネックレスにザイシャの目が止まった。あれは美味しそうだ。
そうメギドラに言ってみると、
「いやいや食べさせんからな?! あれ儂のコレクションじゃからな?!」
と、食い気味に断られた。非常に残念である。
メギドラに促されてテーブルについたザイシャは改めて彼女に尋ねる。
「なぜ私が不死者だとわかったのでしょうか?」
「年の功じゃよ。お主のような外見で戦闘経験や判断力が豊富なら、ある程度予想は可能であろ?」
「私はそれに引っかかった、というわけですね……」
「くっふっふ。鎌掛けもテクニックじゃよ小娘。上手く使わねばな」
ザイシャは感情を読まれぬように瞠目する。
メギドラ・エイハブ・サレナ。『外天の黒百合』、『悪霊王女』、『怨念の墓地』。
名前だけは聞いたことがあったが噂以上に老練で手強い。
死に熟達した彼女ならザイシャの魂や肉体を見て不死者と見破れる可能性は大いに残る。
故に愚者を装い鎌をかけてみたが……ガードが硬いどころか暗に鎌掛けが下手だとまで返された。
「おや、小娘。眠いなら儂のベッドを貸してやろうか?」
「遠慮しておきましょう。死徒は眠りませんから」
「死徒ではないじゃろお主。遠慮するにしても断り方が下手じゃのう」
「……それも鎌掛けですか?」
「さぁ? どうであろうな」
やはり、メギドラはザイシャより数枚上手だ。
ザイシャは方針を情報の引き出しではなく、隠蔽に変更する。
「降参。私はヘイヤ=ヘイ・ハムサンドウィッチ。矢衾警備保障の契約社員。アナタのことは風の噂に聞いているよ『外天の黒百合』」
「矢衾……というと先日コロッセウムを襲ったという奴らか。ヘイヤ=ヘイ・ハムサンドウィッチ……。
……儂のあだ名も珍妙じゃが、お主の名前はもっと珍妙じゃな。お主の名付け親のセンス大丈夫かの?」
「珍妙当然。偽名だから」
「それは安心した。では、ヘイヤと呼ばせて貰うが構うまいな?」
「ご自由に」
先程の矢衾警備保障という名前への反応。どうやらメギドラはO-13に加わったわけでは無さそうだ。
脅威度が変わったわけではないが、それでも少しだけ気が軽くなる。
「なぜあのメギドラ・エイハブ・サレナがO-13に? 聞いた限りだとメギドラさんは組織に与するタイプでは無さそうだけど」
「この部屋の呪物と交換に少々用事を頼まれてのう。ギリー何とか? とディス何とか? とやらが帰ってくるまでの守衛を頼まれたのじゃ。
三日すれば元のねぐらに戻るからお主とはそれまでルームメイトというわけじゃな。あと、メギドラで良いぞヘイヤ」
「じゃあ、メギドラと呼ばせて貰う。アナタも私と同じ、客人だったってことね」
「首輪付きではないがの」
メギドラはトントンと自分の首元を叩いた。
「なぜお主、それを外して逃げ出さん? お主も不死者の類なら容易じゃろ?」
「……あのスピーカーの男に聞きたいことがあるから。三日生き残れば確実に聞き出せるの」
「なるほどのう。あいわかった。お主、不死者ということを知られたくないのじゃろ? 儂の胸に仕舞っておいてやろう。
……なぜわかったか、などとは尋ねるなよ? お主は少し露骨すぎるんじゃよ。が、その幼い蛮勇に免じてやろうとも」
メギドラがテーブルの下のザイシャの手に向けて人差し指をツイツイと動かした。
どうやら、ザイシャの目論見は全て筒抜けだったようだ。
ザイシャは体内奥深くでひっそりと励起させていた魔術回路をオフにする。
言質をとって強制的にギアスを掛け、不死者の事実を封じるつもりだったが……
「……バレてたか」
「ヘイヤ、お主は不死の体にかまけてろくに戦うための技術を磨いとらんじゃろ?
儂じゃなくても多少熟練した魔術師ならあんなブラフはすぐ見破れる。気をつけよ」
テーブルに突っ伏したザイシャにメギドラは愉快そうな口ぶりで言った。
幼い蛮勇と称した言葉通り、彼女にとってザイシャは敵にすらならない矮小な存在らしい。
メギドラの口ぶりや、事前情報を鑑みるに、彼女が言葉を翻すことはないだろう。
そう思うと、なんだか、色々と面倒くさくなってきた。
テーブルから立ち上がったザイシャはフラフラとした歩みで部屋の奥へ向かう。
「うむ? どこへ行くヘイヤ」
「寝る。なんか疲れた」
ベッドに身を投げたザイシャは、仰向けのまま毛布を被る。
ぽすん、と軽い音と衣擦れの音の後に規則正しい音が霞み始める。
漏れてきた寝息を耳にしたメギドラは、ふと思い出したように独りごちた。
「三日生き残る、か。『兎狩り』程度で済むとは思えんが……どうなることやら」
◆
キィンと円形闘技場内にハウリングが響き渡る。
『さぁさぁ皆さんお立ち会い! やぁ、僕はVIPのベチュラ・メディスンだ。今日の『兎狩り』はいつもと少し趣向が違う。
だって、ただ処刑ってのも芸がないだろ? ここのオーナーはエンターテイメントってものを何もわかっちゃいない!
だからだ! 今日の『兎狩り』は僕の主催! 進行も『兎』の調達も僕が主導で行ったから君たちもお溢れに預かると良い!』
初日。太陽が南中するころにザイシャは円形闘技場に入場した。
が、前日と違うことはその姿。
彼女は襤褸布のマントの代わりに耳の長い、白一色の、中世の宮廷道化師を想起させる衣装に身を包んでいた。
背面には尻尾をイメージしてか、球形のふわふわとした綿毛のポンポンが腰の少し下にくっついている。
そして、何より目を引くのは前にならえをするように揃えられた両手を縛る手枷だろう。
首輪と同じガンメタリックに塗装された手枷は元は拷問用なのだろうか。
内側に無数の長く鋭い棘を尖らせており、手枷はザイシャの細い腕に深く食い込んで道化衣装に体液を赤く滴らせていた。
『今日の『兎』は彼女、ヘイヤ=ヘイ・ハムサンドウィッチ! そう! 昨日の『兎狩り』を生き残ったツワモノ!
小さな身体で大の男を圧倒した秘密とは……なんと彼女は魔術師であり吸血鬼! とんだボーパルバニーだぜ!
バランの心臓を抉り取って貪り食らった姿はまさに怪物! そんな怪物を狩る勇者は我らが剣闘士リメイトだ!』
歓声が爆発し、ザイシャの正面の入場口から華やかな鎧を纏った大男が円形闘技場に歩みを進める。
リメイト、と呼ばれた剣闘士は曲刀を振り上げ、自分の名を繰り返し叫び続ける観客に応えた。
更に歓声が高まる。
彼の自信に満ち溢れた振る舞いは宛ら強者。自身の敗北の可能性など欠片たりとも覚えない力と肉体。
板金のヘルムの下から覗く瞳は自分の名を讃え続ける円形闘技場に酔いしれ、その糧となる『兎』へと残虐な光を浮かべていた。
『しかし、このままではあまりにも怪物に優位! 昨日のように一瞬でやられても何一つ面白くないよね?
さて、古来より怪物退治に挑む勇者にはハンデが与えられたものだ。鏡の盾。魔法の剣。神風。祝福。人を超えた相手を滅ぼすための力!
僕がリメイトに与えたその曲刀もその一つ! 死徒を殺すために設えた概念礼装だ! 例え死徒でもそいつで切られれば傷は治らない!』
魔力を内包するシタールの銘は『サービタ』。
傷つけた者の再生を阻害する『不変』の概念礼装。
巻き戻しによって傷を治癒する死徒を相手にするには強力な武装だろう。
が、それは死徒相手の話。巻き戻しではなく新生によって修復するザイシャには痛くも痒くもない代物だ。
膾に裂かれようが田楽に貫かれようが秒とかからず傷は消えてしまうだろう。
だからこそ、あの曲刀の攻撃を受けることは許されない。目的のためには死徒でないことを知られてはならない。
『そして、怪物の手を縛る手枷もそうだ! 散り行くバランが怪物の力を削ぐために命を捨てて、その身を枷に変えてリメイトを助けている!
さぁ、リメイト! 頼みの綱の我らの勇者よ! バランの思いを受け継いで怪物ヘイヤを倒してくれ!!』
ベチュラの声がスピーカー越しにギィギィと割れて不協和音を高らかに響かせる。
その中で曲刀を振りかざしたリメイトが雄叫びを上げた。
湧き上がる観客。
円形闘技場の中心でその全ての光景をザイシャは苛立ちに満ちた赤眼に収めていた。
「……想定外、だった」
いまいましげに切歯する口から噛みしめるようにそう言った。
昨日の様式が続くとは思っていなかったが、彼女自身も高をくくっている面はあった。
まさか、概念礼装まで持ち出すとは。
ピクリとも動かない手枷の棘は骨にまで肉薄し、神経を断ち切っていて文字通り腕は死んでいる。
得意の契約魔術も束縛魔術もこれでは使いようがない。
電子的な戦闘技術も古臭いコロッセウムでは通じない。
普段のザイシャなら速やかに腕を引き千切り新たな腕を取り戻すのだが今はそれも不可能だ。
"お主は不死の体にかまけてろくに戦うための技術を磨いとらんじゃろ?"
昨夜のメギドラの言葉がリフレインする。
メギドラの言う通り、ザイシャの戦い方は死と復活を前提にするものだ。
殺されないのだからリソースの全てを術式の構築に費やし、猟犬のように標的を追い続け、殺す。
……そのツケがようやく回ってきた。
『血!血!!血が欲しい!!拳に!刃に!!魂に!!
血を捧げよ!臓物を捧げよ!!闘争の渇きを癒す血を!!』
スピーカーのノイズを掻き消すように観客が、リメイトが、声を揃えて叫ぶ。
濃密な殺意の気配を感じ取ったザイシャはアイドル状態の魔術回路を励起させ、思い切り右側に跳んだ。
「ウォォォォォァァァァァァ!!」
狂的な叫びと共に風切り音が耳朶を打つ。
銀閃は扇状の軌跡を残して、地に触れる寸前に止められた。
──まずい!
ザイシャは前方に頭から飛び込んだ。
瞬間、リメイトの鍛えられた肉体が捻じれ寝かせた切先が円を描くように振り抜かれた。
辛くも避けきったザイシャは着地点で受け身を取り、前転するように起き上がる。
魔術回路を流転する魔力を口元に集めた。
「"止まれ"!!」
命令。それは今のザイシャに行使可能な数少ない契約魔術。
極めて原始的かつ強制的な口頭契約である。
詠唱とは魔術を起動させるための動作。手続きの工程を例にすれば申請、受理、審査、発行のうちの申請。
自らを命令者として自己暗示することで一時的に相手の動作に介入することを可能としたのだ。
しかし、それは永久的なものではない。所詮は一工程(シングルアクション)。
リメイトに魔術の耐性がないために辛うじて作動したが強制を刹那に圧縮することでなんとか成り立った程度のものだ。
ザイシャが普段使う束縛魔術ほど長くは続かない。
「"強まれ"!!」
よって、初見殺しに戸惑っている今のうちに最大の脅威となる曲刀を奪う。
ザイシャは今度は自分自身を対象に瞬間的な強化命令を発した。
面食らっているリメイトの隙を逃さず、懐に潜り込むと曲刀を思い切り蹴り上げる。
が、
──ダメ! 通じてない!
曲刀は微動だにしない。ザイシャは強化した足先を踵から叩きつける。
伸び切った足先が斧のように落とされるのはリメイトの腕ではなく地面。
インパクトを運動エネルギーに変換し、砂埃を大きく立てながら背後に飛び退った。
ここまで一秒。
一工程の束縛命令は程なくして効力を失う。
砂埃の向こうのリメイトの様子は聞き耳を立てようにも観客が煩く探れない。
従って、ザイシャは斜め方向に向けて走る。今は少しでもリメイトと距離を取らねばならない。
「ふぅ…………ふぅ…………」
曲刀を軌道を損ねるだろう石造りの壁面を背にしてザイシャは息を整える。
現状、最大の問題は"リメイトをどうやって倒すか"だ。
瞬間強化で蹴り上げた際の手応えならザイシャの体術程度では態勢を崩すことすら一手間だ。
彼が重装備なら手枷を腕に絡めて投げ飛ばせば落下時の衝撃でダメージを与えられただろうが生憎の簡易鎧。
おまけに鍛え上げた肉体とくればザイシャの膂力では投げ飛ばす前に抜け出され斬りつけられるのがオチだ。
リメイトの身体を守るのは鎧ではなく強靭な筋肉そのもの。
堅牢極まりないその守りは無手のザイシャにどうにか出来るものではない。
「ア、ア、オァァァァァァァァ!!!!」
獣のようなリメイトの雄叫びが砂埃の中を駆ける。
近づく声に気がついたザイシャは思考を中断し壁の上に飛び上がった。
全身で思い切り息を吸う。
リメイトがザイシャを見た。
「"強まれ"!! "強まれ"!! "強まれ"!!」
ザイシャは吸い込んだ息で瞬間強化を連続させながら細い壁の上を駆け抜ける。
ちら、と背後を振り返ると数メートル後方のリメイトは壁に沿ってザイシャを追っていた。
止まるのを待つ、という考えはないようだ。脳味噌まで筋肉なのかもしれない。
ザイシャは時折息継ぎをしながら適度な距離でリメイトを引きつけ思考時間を稼ぐ。
傍からは狩人に怯える獲物に見えるのだろうか。
リメイトの名を叫ぶ観客達は余計に興奮して絶叫し始める。
『殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!
殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!』
リメイトの姿を記憶から呼び起こす。
ガード付きのヘルム。手甲。脚絆。腹部と急所を覆う鉄の腹巻き。
必要最低限の鎧だが刃先が埋まる鍛えられない柔らかな部分は的確に守られている。
ザイシャが仕込んでいる"虎の子"もあれでは通用する箇所がない。
真正面から打倒する案を破棄。
次。
リメイトの性格を利用し罠に掛けることを提案。
その性格は単純かつ本能的。
ザイシャを殺すための最も短絡的なルートを選択する。
詠唱だけでも一小節モノなら設置型の束縛魔術を用意できる。
却下。
あの驚異的なスタミナを以てすれば罠を仕立てる隙すら生まないだろう。
止まって詠唱すること自体がナンセンスだ。
破棄。
次。
呪歌の唱歌を提案。
身動きが自由になれない以上、詠唱に複雑性を持たせることができないが呪歌は音階によって意味付けが可能。
通常詠唱に比べ多くの効果を持たせることが出来るためリメイト殺害に有力と思われる。
却下。
リメイト攻略は逃げ回るのが前提となる。
通常の詠唱と異なり呪歌は息継ぎのタイミングが決まっている上に効果が現れるまでが長い。
今、一工程魔術で逃げ回るのも限界に近づいているのに、息をたくさん吐き出す呪歌を歌うのは無理だ。
破棄。
次。
『殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!
殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!』
観客が俄に湧き上がる。
ザイシャは危険を感じて跳躍した。
その股下を数本の閃光が切り裂く。
「がへっ!」
「ぐぎぃっ!」
閃光は直線上の観客達を串刺しにして止まった。
数人の観客の身体に鈍い音を立てて突き立った何本もの細身の剣。
跳躍して、宙返りしながらザイシャは断末魔の根本に視線を飛ばす。
新たに放たれた三本の的となった観客がブクブクと血の泡を吹いて倒れる。
その剣の形はザイシャもよく知るものだった。
『逃げ回ってばかりじゃ面白くない! というわけでここで黒鍵の登場だ! 僕は詳しくないが教会連中の武器らしいぞ!
魔力を流すと剣が出てくるが勇者リメイトは魔術回路を持っていない! ではなぜ? どうやって?
答えは簡単! 普段は清掃員やってる部下が剣を出して勇者リメイトに提供だ! 勇者には仲間がつきものだからね!』
ザイシャは心の中で盛大に舌打ちした。
態度を隠したいわけではなく実際に舌打ちする暇が無かったのだ。
リメイトの投げる黒鍵はザイシャ目掛けて真っ直ぐに飛ぶため跳び続けていれば当たらないが、非常に忙しい。
肩上を、足元を、腕の下を、紙一重で掠めていく。
投擲され続ける黒鍵は、狙いも良いが何より理不尽なまでに速い。
リメイトは闘技場の中心にいるのにザイシャの元へ届くまでコンマ5秒と経っていない。
「なんて無茶苦茶!」
身につけた真っ白な兎道化の衣装に返り血が届かない速さで、走り、跳ぶ。
これより遅くてはザイシャ自身で服を真っ赤に染めることになる。
弓矢に追い立てられる兎のように円形の壁の上を駆け抜ける。
その背中を追うように観客に黒鍵が突き刺さり、めいめいに血の花を咲かせた。
『殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!
殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!』
開花が一巡りしようとする時になっても観客は狂乱に酔い続ける。
円状の花壇に斃れた人々を養分に咲き誇る花は彼らには見えていない。
大きく見開かれた眼差しに灯るのは、死に追われる『兎』と、その毛皮を赤黒く染める未来のみ。
彼らは強者。
生きる資格を持つ強者。
己の強さを知る彼らにとって悲鳴を上げ、助けを求め、嗚咽する者どもは敗北した弱者。
彼らは信じている。強者たる己があのような弱者になるはずがない。
いや、正確に言えば"弱者となる道理も謂れもこの世に存在しえない"と。
──気持ち悪い。
ザイシャは彼らのあり方を、強くそう思った。
「"強まれ"!! "強まれ"!! "強まれ"!! "強まれ"!! "強まれ"!! "強まれ"!!!!」
加速する。より加速する。詠唱を。疾走を。跳躍を。思考速度を。
感性を閉じ、入力を閉じ、心情を閉じ、円環を閉じ、触覚以外の五感を閉じ。
ありとあらゆる機能を切り捨てて、ただ、ただ、演算の海に潜る。
息が切れるまで希望的観測でも残り十秒。
思考を深く沈める。パターン化した動作を反射に任せて残された十秒を可能な限り引き伸ばす。
死体を盾にすることを提案。
却下。
黒鍵は例外なく刃を貫通させている。
許される時間は一人の身を起こす程度しかない。
破棄。
次。
観客席上方に跳躍し身を潜めることを提案。
却下。
逃亡と見られた場合、目的を果たせない懸念がある。
破棄。
次。
黒鍵の供給源を断つことを提案。
却下。
黒鍵は脅威としては下位、曲刀の届く範囲に飛び込む脅威度のほうが高い。
破棄。
次。
黒鍵が尽きるまでルーチン続行を提案。
却下。
残弾が定かではなく、残り十秒では足りない。
破棄。
次。
逃亡を提案。
却下。
論ずるに値しない。
破棄。
次。
提案。却下。破棄。次。提案。却下。破棄。次。提案。次。提案。次。提案。次。次。次。次。次。次。次。次。次。次。次。次。次。次。次。次。次。次。次。次。次。次。次。次。次。次。次。次。次。
「────っ!!」
息が持たない。
意識が引き摺り上げられる。
乾いた喉の粘膜が僅かな空気に縋りついている。
経過時間は九秒。希望的観測より一秒早く限界に達した。
これが最後の跳躍。
飛翔する黒鍵。
咲いた血花。
息がもう。
決断を。
さぁ。
今。
「────"
ザイシャの足が、宙を蹴った。
空を切り、重力に従うはずの身体が見えない足場から飛び上がったように再び浮き上がった。
頬を裂いて黒鍵が空に飲まれる。が、次弾はない。
黒鍵を具現するはずの魔術師達は呆気に取られて固まっていたからだ。
それもそのはず。ザイシャは宙空で止まっていた。
空を、飛んでいた。
魔術師にとって身一つで空を飛ぶことは容易ではない。
浮遊の魔術自体は極めて単純だが質量が増えるほど魔力消費が指数関数的に跳ね上がっていく。
そう。これは物量の問題だ。
かの魔術元帥の第二魔法のように莫大な供給源があれば困難ではない。
専用の礼装や、女性なら箒さえあれば浮遊程度は造作もないことだ。
宝石魔術の使い手ならば溜めに溜めた魔力で似たようなことはできるだろう。
しかし、何の補助も受けていないザイシャが飛ぶのはありえない。
不可能だ。
例え死徒でも個人に生成できる魔力量は限りがある。
リメイトから逃げ回った後に人間の質量を数秒に渡って支えるほどの魔力が残っているわけがない。
──そう。私が、"普通の人間"だったらね。
繰り返す。これは物量の問題だ。
人間の体重の五割近くを占めるのは胴体だが、その大部分は内臓と骨。
五十キログラムの成人女性なら内二十二キログラムが内臓と骨の重量となる。
が、ザイシャには内臓はない。
彼女を構成するのは器官ではなく機関。物質を魔力に変換する炉。故に彼女は見かけより遥かに軽い。
浮遊に使用する魔力は質量が増えるほど指数関数的に増大していく。だが、逆に質量が少なければどうだろうか?
答えは彼女が実証していた。
──ぶっつけ本番だったけど、なんとかなった!
ザイシャは魔力が切れかかった身体をもう一度跳ね上げると、頂点で重力に身を任せた。
自由落下する身体が浮遊の名残で最も重い安全靴を下にして滑り落ちる。
彼女の落下地点にはリメイト。
「"止まれ"!」
魔力を振り絞り彼の身体を止める。これで曲刀は封じた。
先程の停止命令よりも時間は稼げない。
でもそれで十分だ。落下には刹那さえあればいいのだから。
彼のヘルムを両の踵が打ち鳴らした。
「ガァアアアァァァッ!」
ヘルムへ伝わる衝撃と、フルフェイスの金属の中に響く音。
脳を揺らし、鼓膜を穿つ二つの波に苦しむリメイトは剣を取り落とし思わず頭を抱えた。
それをザイシャは見逃さない。
転がって受け身を取ったザイシャは身を屈め、リメイトに飛びかかり彼の首に文字通り"喰らいついた"。
ワンテンポ遅れて観客がどよめき、リメイトが藻掻く。
しかしザイシャの犬歯はリメイトの首に固着したように突き刺さり離れない。
──いただきます。
ザイシャが犬歯の差し歯に魔力を通すと内部でマイクロカプセルが潰れ、差し歯の先からフッ化水素酸がリメイトの体内に流し込まれる。
二腹筋と胸鎖乳突筋の間を器用に掻い潜って突き立った歯は細胞をグズグズにしながら上大動脈に毒を届かせた。
無論、ザイシャも口中に毒物を浴びる。が、その程度の痛みは常日頃から感じている。
剥がれた組織と差し歯型の礼装をプッと吐き出すとズタズタになった口の中が瞬時に修復した。
一方、全身にフッ化水素酸が巡ったリメイトは声にならない声を上げ、芋虫のように身を捩らせている。
「グ、ア、アアアアアア、アア、アアアアアアアアアアアア!!!!」
「煩い」
ザイシャはリメイトの顔を蹴り飛ばす。
そのまま膝を地につけると犬が皿の上の餌を貪るように改めてリメイトの首に噛み付いた。
腐食した血が剥がれ落ちる細胞や千切れた筋肉もろとも流し込まれ、ザイシャはコクコクと喉を鳴らす。
大量失血によってリメイトの体温が急速に下がっていた。
死を予感しながらザイシャは死徒のように血を啜り続け、魂を喰らい、リメイトが冷たくなったころにようやく唇を離した。
「ふぅ……ごちそうさまでしたっ。お腹いっぱい」
少女の姿をした化物は綺麗なソプラノでそう言うと円形闘技場の入場口目掛けて退出していく。
観客席は静まり返っている。あれほどあった熱が約一分の捕食時間の間にリメイトの死体同様冷めきっていた。
そして、その中で一人。
血の花が咲き乱れる観客席で死者の魂を取り込んでいたメギドラが興味深そうにザイシャの後ろ姿を見ていた。
【第一回 了】
第二回『不死者、あるいは擬死者と死霊』に続く。
コメントをかく