最終更新: nevadakagemiya 2022年08月28日(日) 00:00:05履歴
【元ネタ】史実 異説 伝説
【CLASS】セイバー
【真名】源義経
【異名・別名・表記揺れ】牛若丸 遮那王 九郎判官
【性別】男性
【身長・体重】168cm・55kg
【容姿】赤糸縅胴丸鎧のパーツを各所にあしらった派手な和服を着た源氏武者
【属性】混沌・中庸
【天地人属性】人
【ステータス】筋力:C 耐久:C 敏捷:A+ 魔力:B 幸運:B 宝具:A+
【CLASS】セイバー
【真名】源義経
【異名・別名・表記揺れ】牛若丸 遮那王 九郎判官
【性別】男性
【身長・体重】168cm・55kg
【容姿】赤糸縅胴丸鎧のパーツを各所にあしらった派手な和服を着た源氏武者
【属性】混沌・中庸
【天地人属性】人
【ステータス】筋力:C 耐久:C 敏捷:A+ 魔力:B 幸運:B 宝具:A+
瞬時に相手との間合いを詰める技術。多くの武術、武道が追い求める歩法の極み。
単純な素早さではなく、歩法、体捌き、呼吸、死角など幾多の現象が絡み合って完成する。
壇ノ浦の八艘跳びや武蔵坊弁慶の激しい攻撃を躱し切った身の軽さ、軽業早業。
単純な素早さではなく、歩法、体捌き、呼吸、死角など幾多の現象が絡み合って完成する。
壇ノ浦の八艘跳びや武蔵坊弁慶の激しい攻撃を躱し切った身の軽さ、軽業早業。
戦闘を行う直前、もしくは敵に発見されていない状態で先手を打つ才能。
武士道騎士道何するものぞ、戦の作法なぞ知ったことか。命の取り合いに卑怯も卑劣もあるものか――。
――とばかりに、戦場を誰より自由に何より自在に駆け回る。
武士道騎士道何するものぞ、戦の作法なぞ知ったことか。命の取り合いに卑怯も卑劣もあるものか――。
――とばかりに、戦場を誰より自由に何より自在に駆け回る。
戦闘を続行する為の能力。
決定的な致命傷を受けない限り生き延び、瀕死の傷を負ってなお戦闘可能。
「往生際の悪さ」あるいは「生還能力」と表現される。
義経の場合は身体的な頑強さよりも、主として生来の生き汚さによるもの。
相手が平家であれ同門源氏の者であれ誰であれ、矢の雨が降り槍の壁に阻まれ剣の波が打ち寄せる激戦の中にあって確実に生還する能力。
敗色濃厚であろうと生き残り、負けてなお死なずに逃げ延びて、死して消えぬ伝説を残す。
本人の技量才能のみならず、後世の人間が語った『源義経は奥州で死なず生き続けた』という伝説がこれほどの力を生み出している。
決定的な致命傷を受けない限り生き延び、瀕死の傷を負ってなお戦闘可能。
「往生際の悪さ」あるいは「生還能力」と表現される。
義経の場合は身体的な頑強さよりも、主として生来の生き汚さによるもの。
相手が平家であれ同門源氏の者であれ誰であれ、矢の雨が降り槍の壁に阻まれ剣の波が打ち寄せる激戦の中にあって確実に生還する能力。
敗色濃厚であろうと生き残り、負けてなお死なずに逃げ延びて、死して消えぬ伝説を残す。
本人の技量才能のみならず、後世の人間が語った『源義経は奥州で死なず生き続けた』という伝説がこれほどの力を生み出している。
星の開拓者に似て非なるスキルにして、無辜の怪物によく似たスキル。
敵が強ければ強いほど、状況が困難であればあるほど、危機に瀕していればいるほど、それに応じた力を発揮する。
不利を覆すことに特化した能力、逆転するための能力とも言える。
『源義経』という伝説の英雄の本質的な部分と言ってもいい能力。
敵が強ければ強いほど、状況が困難であればあるほど、危機に瀕していればいるほど、それに応じた力を発揮する。
不利を覆すことに特化した能力、逆転するための能力とも言える。
『源義経』という伝説の英雄の本質的な部分と言ってもいい能力。
ランク:D〜B 種別:対人/対軍宝具 レンジ:1〜2/1〜20 最大捕捉:1人/100人
一本の刀でありながら四つの名を持つ源氏の宝刀。
同時使用こそ不可能なものの事実上これ一つで四つの宝具を所持しているに等しい。
開放する名によって性能が大きく変わる。
一本の刀でありながら四つの名を持つ源氏の宝刀。
同時使用こそ不可能なものの事実上これ一つで四つの宝具を所持しているに等しい。
開放する名によって性能が大きく変わる。
《何もいらねえ――真っ二つだ。他には何も――。
砕け――『膝丸 』!!》
源満仲の代、義仲の命で作られ、試し切りの際に首だけに留まらず膝までを両断したことからこの名を付けられた。
単純な破壊力においてはこれが最も強い。
砕け――『
源満仲の代、義仲の命で作られ、試し切りの際に首だけに留まらず膝までを両断したことからこの名を付けられた。
単純な破壊力においてはこれが最も強い。
《さあ飯の時間だ、化け物どもが喰い放題だぞ――。
啜れ――『蜘蛛切 』!!》
源頼光の代、土蜘蛛を切ったことで付けられた名。
魔性のものに対する特攻能力を持ち、対魔力の+補正はこれを用いて魔術を切り捨てることを加味したもの。
啜れ――『
源頼光の代、土蜘蛛を切ったことで付けられた名。
魔性のものに対する特攻能力を持ち、対魔力の+補正はこれを用いて魔術を切り捨てることを加味したもの。
《建速 の いざ八雲立つ 鳴嵐 ――。
叫べ――『吼丸 』!!》
源為義の代、蛇が泣くような声で吠えたことからこの名が付いた。
後に熊野権現に奉納されたことを所縁として僅かに神気を帯びている。
名の通りの吼え声と共に嵐を巻き起こす、唯一の対軍性能を持つ名前。
叫べ――『
源為義の代、蛇が泣くような声で吠えたことからこの名が付いた。
後に熊野権現に奉納されたことを所縁として僅かに神気を帯びている。
名の通りの吼え声と共に嵐を巻き起こす、唯一の対軍性能を持つ名前。
《風より疾く、音より迅く、光 より速く、時より早く――。
趨れ――『薄緑 』!!》
源義経の代、義経本人が付けた名であり義経にとっては最も手に馴染んだ得物。
速度に特化した性能を持ち、四つの名の中で最も速く最も鋭い。
この剣、生来の身軽さ、天狗から学んだ縮地法の極意の全てを合わせて放つ一撃。
空間を跳び越え光を追い抜き時すら欺く、条理さえ追いつけない神速の斬撃を放つ。
趨れ――『
源義経の代、義経本人が付けた名であり義経にとっては最も手に馴染んだ得物。
速度に特化した性能を持ち、四つの名の中で最も速く最も鋭い。
この剣、生来の身軽さ、天狗から学んだ縮地法の極意の全てを合わせて放つ一撃。
空間を跳び越え光を追い抜き時すら欺く、条理さえ追いつけない神速の斬撃を放つ。
ランク:E〜A++ 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1人
――アホかっつうの。
船の上ぴょんぴょん跳んで渡るのなんてちょっと身が軽けりゃ俺じゃなくっても出来るだろ。
崖駆け下りたのはすげえのは馬の方だし義連だってやったし重忠なんか逆に馬背負って下りてるし、そっちの方が有り得ねえだろ。
薄緑はともかく他の名前は俺の剣じゃあねえし、仁王立ちしたのは弁慶だろうよ。
だってのにどれもこれもが『俺』の伝説だ。
――つまりはこうだろ。
『源義経がやることはなんだって伝説だ』ってな。
だったら当然、死んだはずの俺が今現世 に蘇って暴れてるのだって、遮那王流離譚 の一景に決まってるだろうがよ――。
源義経が持つ伝承再現型の宝具、遮那王流離譚。
――が、本来とは明らかに違う形で出力されているもの。
源義経の伝説――過去に成し遂げたことが宝具となる。
であれば、過去がそうなるのなら現在がそうならない道理はどこにもない。
少なくとも義経当人が認識する限りにおいて、それは自明の理であり説明の必要もなく他人の納得など求めもしない至極当然のことである。
殴ろうが蹴ろうが切ろうが射ようが、飛んでも跳ねても寝ても起きても――義経が『これが俺の宝具だ』と言えばそうなる。
ルールがどうした決まりがなんだ、法則など知ったことか。
『俺が宝具だっつってるんだからそうに決まってんだろうが』――。
そんな理屈にもなっていない理屈で無理を押し通して道理を踏み付け蹴り飛ばす、伝承再現ならぬ伝承創成宝具とでもいうもの。
ランクは気分がどれだけ乗るかで大きく変動する。
――アホかっつうの。
船の上ぴょんぴょん跳んで渡るのなんてちょっと身が軽けりゃ俺じゃなくっても出来るだろ。
崖駆け下りたのはすげえのは馬の方だし義連だってやったし重忠なんか逆に馬背負って下りてるし、そっちの方が有り得ねえだろ。
薄緑はともかく他の名前は俺の剣じゃあねえし、仁王立ちしたのは弁慶だろうよ。
だってのにどれもこれもが『俺』の伝説だ。
――つまりはこうだろ。
『源義経がやることはなんだって伝説だ』ってな。
だったら当然、死んだはずの俺が今
源義経が持つ伝承再現型の宝具、遮那王流離譚。
――が、本来とは明らかに違う形で出力されているもの。
源義経の伝説――過去に成し遂げたことが宝具となる。
であれば、過去がそうなるのなら現在がそうならない道理はどこにもない。
少なくとも義経当人が認識する限りにおいて、それは自明の理であり説明の必要もなく他人の納得など求めもしない至極当然のことである。
殴ろうが蹴ろうが切ろうが射ようが、飛んでも跳ねても寝ても起きても――義経が『これが俺の宝具だ』と言えばそうなる。
ルールがどうした決まりがなんだ、法則など知ったことか。
『俺が宝具だっつってるんだからそうに決まってんだろうが』――。
そんな理屈にもなっていない理屈で無理を押し通して道理を踏み付け蹴り飛ばす、伝承再現ならぬ伝承創成宝具とでもいうもの。
ランクは気分がどれだけ乗るかで大きく変動する。
『薄緑』
最も好んで使うのがこれ。
『今剣 』
愛用の短刀。
宝具ほどの力はないが守刀として忍ばせている。
『黄金太刀 』
もう一本太刀使いてえなあ!と言う時に持ち出す、宝具ではないがそれなりに強力な武器。
かつての弁慶が刀狩り千本目として求めていた(そして得られなかった)のがこの太刀であり、クラスによってはこれを用いて弁慶を呼び出すことが可能。
『薄墨 』
龍笛。
武器ではない。
最も好んで使うのがこれ。
『
愛用の短刀。
宝具ほどの力はないが守刀として忍ばせている。
『
もう一本太刀使いてえなあ!と言う時に持ち出す、宝具ではないがそれなりに強力な武器。
かつての弁慶が刀狩り千本目として求めていた(そして得られなかった)のがこの太刀であり、クラスによってはこれを用いて弁慶を呼び出すことが可能。
『
龍笛。
武器ではない。
源義経。
牛若丸、遮那王、九郎判官などとも。
日本でもっとも有名な英雄の一人。
そしてそう言った人間には付き物の、歴史的事実を越えた伝承伝説の類もまた豊富である。
その中でも『史実では奥州で自害したとされているが実はその後も生きていた』という、いわゆる『源義経不死伝説』がとくに有名。
奥州から北上し現在で言う東北地方へ逃げた、更に北へ行き北海道でアイヌに様々な技術や知識を教えた、そこから更に海を越えロシアやモンゴル、中国に渡って名を上げた――等々。
なるほどありえそうだ、と言える話から冗談めいた眉唾物の話まで多岐に渡る。
こういった異説奇説もまた英雄と言うものに託されたある種の祈りであり、祈るものがいればそれに応えるものもあるのが常である。
こういった『真贋すら定かでない』数々の伝説や伝承を背負った英霊――それがこのセイバー・源義経である。
牛若丸、遮那王、九郎判官などとも。
日本でもっとも有名な英雄の一人。
そしてそう言った人間には付き物の、歴史的事実を越えた伝承伝説の類もまた豊富である。
その中でも『史実では奥州で自害したとされているが実はその後も生きていた』という、いわゆる『源義経不死伝説』がとくに有名。
奥州から北上し現在で言う東北地方へ逃げた、更に北へ行き北海道でアイヌに様々な技術や知識を教えた、そこから更に海を越えロシアやモンゴル、中国に渡って名を上げた――等々。
なるほどありえそうだ、と言える話から冗談めいた眉唾物の話まで多岐に渡る。
こういった異説奇説もまた英雄と言うものに託されたある種の祈りであり、祈るものがいればそれに応えるものもあるのが常である。
こういった『真贋すら定かでない』数々の伝説や伝承を背負った英霊――それがこのセイバー・源義経である。
“俺”。
俺。俺。俺。
圧倒的な我意、絶対的な個我。
己の他に何者にも依ることなく、ただひたすらに『俺』の一つのみで世界の全てと向かい合う独立不撓の男。
何か信念のもとに覚悟を決めて、あるいはそうせざるを得ない事情に駆られて――などということはなく、当たり前のようにそう在る。
傲岸不遜の四文字で出来た体に傍若無人の四肢を生やし、その上に唯我独尊の頭を乗せたような人間性。
例えば戦いにおいて、善悪も勝敗も生死も『俺が俺であり俺を全うすること』に比べれば全て些細なことと言い切る、そんな人間(もちろん基本的には勝って殺して生き延びることを狙うのだが)。
本当の意味で誰かの下につくことはない。
誰かの命に従って動くとしても、それはあくまで『俺』が主体であり絶対。
だから命を下す側であったはずの兄も、これは扱いきれぬと部下として抱え込むことを諦めた。
逆に誰かの上に立つことも本当の意味ではありえない。
『俺』だけで全てと向かい合える人間にとって、部下というものは本質的に必要ではない。
だからそんな男と旅路を共にしようと考えるような奴は少なく、そしてその数少ない奴らは一人残らず自らを由として生きる同胞たちだった。
そして、その生涯の最後まで『俺』は『俺』であり続けて――はて。
最後とはいつのことだ。
最期を迎えたのはどこだ。
『俺』は一体、どうなった?
――聖杯に懸ける願いは、『源義経の最期を知ること』。
本人は『この俺が奥州 なんかで死ぬわけねえだろ』と嘯くものの、実際のところ己がどのような結末を迎えたのかを知らない。覚えていない。
やはり奥州で果てたのだと言えばそんな気もするし、いや北へ逃げたのだという気もする。
北の果ての更に先、海を越えて新たな土地へ辿り着いたと言うのも間違いではないように思う。
大陸へ渡って一旗揚げた? ああそうだ、そんなこともあったかも知れない。
逃げたか死んだかしたのは部下を影武者に仕立て上げた偽者で、義経本人は名を変えて別人として生きているのだ――。
そのどれもが正しい気がするし、どれも違う気がする。
知らない。覚えていない。分からない。
それが許せない。
『俺』を何よりも上に置き何よりも最初に置く人間である義経にとって、俺のことで俺が分からないことがあると言うのが気に入らない。
その性質上、アイヌ、ロシア、モンゴル、中国等の人物や神々、出来事などについても実感のないまま知識だけはある程度所有しているという奇妙な状態。
唯一、ひたすらに『俺』のみで生きている我の塊である男とは思えぬような点として、笛を吹くのが趣味と言うことが挙げられる。
『薄墨』と呼ばれる龍笛を牛若丸の名の頃から愛用しており、サーヴァントとして現界した際にも所持している。
俺。俺。俺。
圧倒的な我意、絶対的な個我。
己の他に何者にも依ることなく、ただひたすらに『俺』の一つのみで世界の全てと向かい合う独立不撓の男。
何か信念のもとに覚悟を決めて、あるいはそうせざるを得ない事情に駆られて――などということはなく、当たり前のようにそう在る。
傲岸不遜の四文字で出来た体に傍若無人の四肢を生やし、その上に唯我独尊の頭を乗せたような人間性。
例えば戦いにおいて、善悪も勝敗も生死も『俺が俺であり俺を全うすること』に比べれば全て些細なことと言い切る、そんな人間(もちろん基本的には勝って殺して生き延びることを狙うのだが)。
本当の意味で誰かの下につくことはない。
誰かの命に従って動くとしても、それはあくまで『俺』が主体であり絶対。
だから命を下す側であったはずの兄も、これは扱いきれぬと部下として抱え込むことを諦めた。
逆に誰かの上に立つことも本当の意味ではありえない。
『俺』だけで全てと向かい合える人間にとって、部下というものは本質的に必要ではない。
だからそんな男と旅路を共にしようと考えるような奴は少なく、そしてその数少ない奴らは一人残らず自らを由として生きる同胞たちだった。
そして、その生涯の最後まで『俺』は『俺』であり続けて――はて。
最後とはいつのことだ。
最期を迎えたのはどこだ。
『俺』は一体、どうなった?
――聖杯に懸ける願いは、『源義経の最期を知ること』。
本人は『この俺が
やはり奥州で果てたのだと言えばそんな気もするし、いや北へ逃げたのだという気もする。
北の果ての更に先、海を越えて新たな土地へ辿り着いたと言うのも間違いではないように思う。
大陸へ渡って一旗揚げた? ああそうだ、そんなこともあったかも知れない。
逃げたか死んだかしたのは部下を影武者に仕立て上げた偽者で、義経本人は名を変えて別人として生きているのだ――。
そのどれもが正しい気がするし、どれも違う気がする。
知らない。覚えていない。分からない。
それが許せない。
『俺』を何よりも上に置き何よりも最初に置く人間である義経にとって、俺のことで俺が分からないことがあると言うのが気に入らない。
その性質上、アイヌ、ロシア、モンゴル、中国等の人物や神々、出来事などについても実感のないまま知識だけはある程度所有しているという奇妙な状態。
唯一、ひたすらに『俺』のみで生きている我の塊である男とは思えぬような点として、笛を吹くのが趣味と言うことが挙げられる。
『薄墨』と呼ばれる龍笛を牛若丸の名の頃から愛用しており、サーヴァントとして現界した際にも所持している。
コメントをかく