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アイヴォリーコースト処分は、リベリア自由国によりコートジボワールが強制併合された一連の過程をさす言葉である。
この一連の動きにより、6大グループ63民族の雑居地であったコートジボワールは、アイヴォリーコースト地方としてリベリア自由国に併合された。

過程

リベリア自由国は弱小国であったが、だからこそ列強諸国に追いつくべく拡張政策を推進していた。
コートジボワールに暮らすバウレ族の首長ポンレは、リベリア自由国の要請によりルポンキとクバを使節としてモンロビアに送った。リベリア大統領ハウトンによる、ポンレをコートジボワール王とみなしリベリア自由国とコートジボワールとの間に国交を樹立する提案をルポンキが代理で受ける。これによりコートジボワールは名目上、ポンレを王とするバウレ王国となった。しかし実際には未開の部族雑居地のままであり続けた。

しかし、名目上コートジボワールが統一された主権国家となったことは大きかった。バウレ族以外の部族が割拠する部族雑居地状態を、政府に従わない国民がいる内戦状態を解釈することができるからである。
ポンレ率いるバウレ王国は「反政府勢力の制圧」に対する協力をリベリア自由国に要請し、リベリア自由国はそれを受諾した。リベリア自由国は弱小国であるが、木製の原始的な武器しか持たないコートジボワールの部族は、小銃で武装したリベリア国軍の敵ではなかった。

これと平行してリベリア自由国とバウレ王国は第一次カバリー川条約、次いで第二次カバリー川条約を締結し、バウレ王国へのリベリア人政治顧問の派遣やバウレ王国の外交権をリベリア自由国へ委譲する旨を定めた。

やがてリベリア国軍によって全ての民族が征服され、バウレ王国が統一されると、ほどなくして第三次カバリー川条約が締結されバウレ王国はリベリア自由国の属国であることが明言された。
そしてバウレ王国併合条約によってバウレ王国は消滅し、コートジボワールはリベリア自由国の一部となった。

リベリア自由国は属領統治法を制定し、バウレ王国の王族や官僚を属領統治の要職に任命させ、また地名をフランス語のコートジボワールから英訳であるアイヴォリーコーストへ変更した。

以上のように、バウレ王国が成立してからバウレ王国併合条約が締結されるまでの一連の流れを、アイヴォリーコースト処分という。

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