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南洋興発株式会社(なんようこうはつ)は、南洋庁彩帆市?南興町に本社を置く企業。
南洋興発株式会社
種類株式会社
市場東証1部
本社所在地日本 南洋庁
彩帆市?南興町
設立1922年
代表者松村 雄一郎
(代表取締役社長)
資本金100億円
売上高2000億円
利益60億円
総資産5000億円
従業員数1,000人
決算期



概要

南洋興発は、南洋諸島を舞台に発展した南洋庁を代表する大企業である。
製糖業のほか、鉱業、観光業、貿易業、不動産業にも進出している。

事業

本社・支社

  • 彩帆本社(南洋庁彩帆市?チヤランカノア町)
  • 大阪支社(大阪府?大阪市?西区西道頓堀通五ノ四)
  • 下関支社(下関県?下関市?岬町三〇)
  • 東京支社(東京都東京市?麹町区内幸町一ノ二東拓ビルディング内)

製糖業

  • 彩帆製糖所
  • 天仁安製糖所
  • ロタ製糖所

石油業

  • 南興石油

水産業

  • 南興水産(株式90%)
    • コロール本社
    • ペリリュー水産事務所

観光業

  • 南興観光(株式80%)

不動産業

  • 南興不動産(株式80%)

歴史

設立までの経緯

大戦後の恐慌の影響を受けて初期の進出会社は経営に行き詰まった。
1920年に南洋殖産、1921年には西村拓殖が倒産した。
そして、後には従業員である約1,000人の移民が取り残された。
残された労働者は飢餓に苦しみ、土着の住民の主要な食糧である
ヤシがカイガラムシによる虫害を受け、彼らも食糧難に襲われていた。
これらの2社の倒産の同時期に、日本内地と台湾で製糖業に携わっていた松江春次は、
移民の救済と南洋での製糖業の将来性を主張していた。
これらの失業者の救済と南洋開発のため、松江春次を中心に設立されたのが南洋興発である。

設立

南洋群島の統治を受任した日本が直面する国際的な社会問題を解決するため、松江に白羽の矢が立てられる。
設立時の資本金の約70%を東洋拓殖とその子会社が出資、松江春次を初めとする社員と技術者が内地・台湾の製糖会社から招致された。
1922年に、松江は西村拓殖を買収して南洋興発を立ち上げ、南洋殖産のサイパン島、テニアン島における権利と事業を継承した。
設立に際し、ドイツ製の最新の製糖機が導入され、50km近い鉄道路が敷設された。
南洋殖産、西村拓殖の元従業員1,000人に加え、沖縄県からの約2,000人の移民が従業員として雇用された。
経営方針として、日本、特に琉球の無産農民を導入した開拓の推進と、日本経済の南方への進出が掲げられた。
1923年よりサイパン島の製糖工場が稼働するが、オサゾウムシによる虫害、サトウキビを運搬する鉄道路の不備が会社を悩ませた。
また、同年に発生した関東大震災により、東京に蔵置していた製品の砂糖が焼失する被害を受ける。
先行きの見えない経営のため、内地からは南洋群島の開発の可能性を疑問視する「南洋群島放棄論」も呈された。
ジャワ品種のサトウキビの導入による虫害の撲滅、輸送状況の改善により、1925年から経営は好転する。
1925年に南洋興発の工場で9,000トンの砂糖が生産され、1935年には68,000トンにまで増加する。
製糖業の中心地であるサイパン島とテニアン島のジャングルは開拓されて工場・農場に変わり、道路・軽便鉄道が敷設された。

現代

日本を代表する企業に数えられている。
近年は、観光業(南興観光)などに進出し、事業拡大を進めている。

関連会社

  • 南興石油
  • 南興水産
  • 南興観光
  • 南興不動産
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