貴方が考えた独自の架空国家を作ろう

原内閣と政友党の結束

大正中期の国政は、立憲政友会が衆議院において一党優位状態を確立させていたが、天皇への首相の奏請権(事実上の任命権)を持っていた山縣有朋筆頭元老が政友会を嫌っており、同党の原敬総裁の首相就任を拒否していた。しかし1918年、山縣率いる藩閥の直系である寺内正毅が、政友会の協力を得られずに、寺内の健康問題が理由で辞職すると、山縣はついに原を首相に奏請、9月29日、政友会を与党とする原内閣が発足した。
「平民宰相」と渾名されるなど、民衆の期待は大きかった。
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