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メキシコ内戦
1942年〜1943年
場所メキシコ全土
結果赤衛軍の勝利
交戦勢力
赤衛軍帝国国防軍
指揮官
レフ・トロツキーアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
損害
12000人42000人


背景

トロツキーの私兵組織「赤衛軍」は民衆からの支持を集めその規模は徐々に拡大していた。皇帝を自称していたアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナによる独裁政権は「赤衛軍」をテロ組織として弾圧を開始、赤衛軍に協力した疑いでメキシコシティ市民4000人を連行し処刑した。これに対しトロツキー率いる赤衛軍は蜂起を行い、メキシコシティで帝国国防軍に対して戦闘行動を開始した。アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナはメキシコ南部へ逃亡し、メキシコ全土の国防軍にメキシコシティの制圧を命令した。こうして1942年2月、メキシコ内戦は開始した。

経過

メキシコシティ攻防

メキシコシティへ向けて14万人もの国防軍が迫る中赤衛軍は市民と協力しバリゲートを構築、ゲリラ戦を展開した。市街戦開始から4ヶ月で国防軍の士気は大きく低下し、最初の投降部隊が出てからわずか6日間で大半が赤衛軍に寝返った。これにより国防軍は瓦解し各地へ赤衛軍が進軍を開始することとなる。

メキシコ北部の戦い

メキシコ北部ではアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナの側近が指揮する大軍が動員を行なっているところだった。赤衛軍が侵攻すると、大半の兵士は投降するも、国防軍が督戦隊を置いたことにより規律が回復、ゲリラ戦によって赤衛軍を苦しめた。しかし督戦隊までもが赤衛軍に寝返ったことで国防軍は完全に瓦解し、9月には全部隊が投降した。

メキシコ南部の戦い

メキシコ南部ではアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナが直接指揮する大軍が抵抗を続けていた。しかし12月、一部の部隊がサボタージュを行い、1943年1月にはほぼ全ての部隊が命令通り機能しなくなった。2月には一部の部隊がアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナを拉致、赤衛軍に引き渡した。その後いくつかの部隊が赤衛軍に対し抵抗したものの1943年5月には殲滅された。

影響

メキシコ帝国は皇帝が廃位され、第四インターナショナル連邦共和国と国名が変更され、トロツキーが最高指導者に就任した。また、皇帝を自称していたアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナは処刑された。

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