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興浜線(こうひんせん)は、名寄県紋別郡興部町の興部駅から同県枝幸郡浜頓別町の浜頓別駅に至る日本旅客鉄道(NR)の鉄道路線。オホーツク海沿岸に位置し、天北線や名寄本線、湧網線などとともに「オホーツク縦貫鉄道」の一部を構成している。
日本旅客鉄道
興浜線
基本情報
大日本帝国
所在地名寄県
起点興部駅
終点浜頓別駅
駅数
開業1935年
全通1939年
所有者日本旅客鉄道
運営者
車両基地名寄運転所
路線諸元
路線距離100.6km
軌間1,067mm(狭軌)
線路数単線
電化方式非電化
閉塞方式タブレット閉塞式



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駅一覧


駅名駅間
キロ
営業
キロ
接続路線所在地
興部駅-0.0日本旅客鉄道名寄本線?名寄県紋別郡興部町
沢木駅8.38.3雄武町
元沢木駅2.010.3
栄丘駅3.113.4
雄武共栄駅2.216.2
雄武駅3.719.9
元稲府駅2.923.8
北見音稲府駅4.127.9
北見幌内駅3.430.3
枝枝幸駅2.332.6
北見音標駅5.838.4枝幸郡枝幸町
風烈布駅5.944.3
乙忠部駅5.349.6
北見山臼駅5.254.8
徳志別駅4.058.8
岡島駅3.462.2
南枝幸駅6.168.3
枝幸駅3.071.3日本旅客鉄道美幸線
問牧駅7.378.6
山臼駅3.381.9
目梨泊駅2.184.0
斜内駅5.489.4浜頓別町
北見豊浜駅2.191.5
豊牛駅3.394.8
頓別駅5.3100.1
浜頓別駅2.7102.8日本旅客鉄道天北線?

沿線概要

歴史

大正期の稚内までの経路選定の際、北見枝幸からオホーツク海岸沿いに北上、稚内へ至る予定だった。しかし、実際には旧宗谷本線(現在の天北線)は音威子府から浜頓別を経由するルートを採用したため、この地を通ることはなかった。
着工は1933年(昭和8年)にやっと始まり、1935年(昭和10年)興部駅 - 雄武駅間の興浜南線が開通した。
また、1936年(昭和11年)に浜頓別駅 - 枝幸間の興浜北線が開通した。そして、北線開通の3年後、1939年(昭和14年)に雄武駅 - 枝幸駅間が開通し、興浜線として全線開通が達成された。

その後は、通学生や鮮魚商で活況を見せ、新たに仮乗降場が設置された。また、蒸気機関車牽引列車に替えてレールバスの運行を開始した。さらに1966年(昭和41年)には大型気動車が導入され、スピードアップに成功した。

年表

1935年(昭和10年)興部 - 雄武間を興浜南線として開業。沢木駅・雄武駅を新設。
1936年(昭和11年)浜頓別 - 枝幸間を興浜北線として開業。
1939年(昭和14年)雄武 - 枝幸間が開業し、興浜南線、興浜北線が統合され、興浜線として開業。
1948年(昭和23年)栄丘仮乗降場を新設。
1955年(昭和30年)元沢木仮乗降場・雄武共栄仮乗降場を新設。
1956年(昭和31年)栄丘仮乗降場が駅に昇格。頓別仮乗降場、豊浜仮乗降場、山臼仮乗降場を新設。
1989年(平成元年)国鉄民営化により、NRに承継される。全ての仮乗降場が駅に昇格。

運行

地域輸送

全線直通列車を含め1日あたり上り12往復、下り10往復で、上りは雄武折り返しが内4往復、名寄本線?紋別直通が内4往復であった。

広域輸送

特急「オホーツク」
興部ノロッコ号
毎年4月末から5月にかけて、ゴールデンウィーク期間を中心に運行されているトロッコ列車である。

停車駅
興部駅 - 雄武駅 - 雄武駅 - 北見幌内駅 - 北見音標駅 - 乙忠部駅 - 枝幸駅 - 目梨泊駅 - 浜頓別駅
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