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honorin1219 2023年01月04日(水) 16:32:39履歴
かみんとは、旧・ソ共メンバー。
かみん | |
在籍歴のある主なグループ | ソ共? |
---|---|
在任期間 | 2021年7月3日 - 7月10日 |
ソ共では結成当時に参加した古参として当初から政治に深く関わり、実力者の一人となる。ソ共連の名付け親である。途中埋没期を経験するが後に立て直し、9代目書記長に就任する。7月23日にソ共を離脱した。その後は界隈から引退し、ソ社を含む界隈グループにも参加していなかったが、2022年8月にペテルブルク=レーテで浮上が確認された。
2021年5月24日にソ共が結成されると、その日のうちに入国した。そしてソビエト共産趣味共和国連邦の名を提案し、スフォーイが導入した初期役職制度では第二書記に就任した。
26日にスフォーイによって選挙制度が導入されると、初期役職体制で書記長だったタービンがもう一度書記長に選出された。かみんは第二書記には選ばれなかったが、閣僚会議議長に就任し、第一期政治局に参加した。
かみんは当初より積極的に活動し、ソ共の実力者の一人となる。
30日に発足したスフォーイ政権では、第二書記に就任。
6月5日の第三回党大会ではレヴァニラら改革派の候補者の当選を阻止するためにスフォーイと強調してタービンを擁立するも、結局はレヴァニラと同じ改革派のロシアが当選し第3代書記長に。かみんは閣僚会議議長として第三期政治局に参加した。
6日の不信任抗争の際は、相手側の一匹狼ラムネコーラと激突した。翌7日に政治局員は総辞職することとなり、かみんも辞任している。
8日に成立したレヴァニラ政権ではかみんは入閣できなかった。この政権ではスフォーイ・隙人・ラムネ・タービンの政治局経験者の他に、レヴァニラ派のhyot105・マルクス・ペタンの三人が初入閣を果たしている。ここから一時期かみんは埋没する。
9日、変わり果てたソ共に嫌気が差していたかみんは、ソ共を離脱する。同時に、ウクルシア派も解体された。
12日、突如としてかみんはクレムノフによってソ共グループにぶち込まれ、流れでそのまま正式復帰することとなった。同日行われた選挙でタービンが当選し5代目書記長となるが、かみんはまたしても入閣できなかった。
19日に行われた選挙ではhyotが当選。またしてもかみんは入閣できず。
26日に行われた第7回党大会でタービンが当選し7代目書記長となり、かみんは国家計画委員長として久しぶりの入閣を果たす。しかし直後に起こった6月クーデターでソ共は大荒れになり、一時的にかみんもソ共を離脱した。政治局は解散されている。
翌日政治局が再構築されてメンバーも多数入れ替わる。かみんは第二書記に就任することとなった。
この頃にスフォーイにより「ソ共で大きな功績を残した実力者」を選んだソ共四天王というものを作り、かみんもそれに名を連ねている。
7月3日の選挙でかみんは当選し、9代目書記長となった。第二書記には隙人を選び、自身が選挙前から公約として掲げていた憲法の制定に積極的に取り組み、その日のうち「ソビエト共産趣味共和国連邦憲法」を制定させた。その後、七月上旬政変により外相のクレムノフを永久追放にした。後任の外相にはペタンを就任させた。この頃始まった派閥復活の動きには反対の構えを見せていた。
10日の選挙でスフォーイが当選すると、モスクワ市党第一書記として入閣。
12日に派閥結成の許可が下り、ウクルシア派を結成。当初はかみんの他にラムネとタービンが所属していた。
14日には近代ウクルシア委員会に改名。
17日に行われた選挙でレヴァニラが当選すると、国防相として入閣。
18日、ラムネが近代ウクルシア委員会を離脱。
23日、かみんはソ共からの離脱を決意。タービンは既にレヴァニラ派に移籍していたため、委員会に再加入したラムネに派を託した。その後かみんはその日のうちにを雑談グループ・SEABLUEを設立死ている。
ソ共離脱後の9月中旬、タービンとともにセンクス連邦共和国を建国した。かつてのソ共のような選挙グループを目指していた?ようだが、途中から低浮上になっていった。その後センクスは10月中頃に左派と右派の対立が激化して弱体化している。かみんはその後のソ社などの界隈グループには一切参加しておらず、実質的に界隈を引退している。
22年12月マ創に加盟
26日にスフォーイによって選挙制度が導入されると、初期役職体制で書記長だったタービンがもう一度書記長に選出された。かみんは第二書記には選ばれなかったが、閣僚会議議長に就任し、第一期政治局に参加した。
かみんは当初より積極的に活動し、ソ共の実力者の一人となる。
30日に発足したスフォーイ政権では、第二書記に就任。
6月5日の第三回党大会ではレヴァニラら改革派の候補者の当選を阻止するためにスフォーイと強調してタービンを擁立するも、結局はレヴァニラと同じ改革派のロシアが当選し第3代書記長に。かみんは閣僚会議議長として第三期政治局に参加した。
6日の不信任抗争の際は、相手側の一匹狼ラムネコーラと激突した。翌7日に政治局員は総辞職することとなり、かみんも辞任している。
8日に成立したレヴァニラ政権ではかみんは入閣できなかった。この政権ではスフォーイ・隙人・ラムネ・タービンの政治局経験者の他に、レヴァニラ派のhyot105・マルクス・ペタンの三人が初入閣を果たしている。ここから一時期かみんは埋没する。
9日、変わり果てたソ共に嫌気が差していたかみんは、ソ共を離脱する。同時に、ウクルシア派も解体された。
12日、突如としてかみんはクレムノフによってソ共グループにぶち込まれ、流れでそのまま正式復帰することとなった。同日行われた選挙でタービンが当選し5代目書記長となるが、かみんはまたしても入閣できなかった。
19日に行われた選挙ではhyotが当選。またしてもかみんは入閣できず。
26日に行われた第7回党大会でタービンが当選し7代目書記長となり、かみんは国家計画委員長として久しぶりの入閣を果たす。しかし直後に起こった6月クーデターでソ共は大荒れになり、一時的にかみんもソ共を離脱した。政治局は解散されている。
翌日政治局が再構築されてメンバーも多数入れ替わる。かみんは第二書記に就任することとなった。
この頃にスフォーイにより「ソ共で大きな功績を残した実力者」を選んだソ共四天王というものを作り、かみんもそれに名を連ねている。
7月3日の選挙でかみんは当選し、9代目書記長となった。第二書記には隙人を選び、自身が選挙前から公約として掲げていた憲法の制定に積極的に取り組み、その日のうち「ソビエト共産趣味共和国連邦憲法」を制定させた。その後、七月上旬政変により外相のクレムノフを永久追放にした。後任の外相にはペタンを就任させた。この頃始まった派閥復活の動きには反対の構えを見せていた。
10日の選挙でスフォーイが当選すると、モスクワ市党第一書記として入閣。
12日に派閥結成の許可が下り、ウクルシア派を結成。当初はかみんの他にラムネとタービンが所属していた。
14日には近代ウクルシア委員会に改名。
17日に行われた選挙でレヴァニラが当選すると、国防相として入閣。
18日、ラムネが近代ウクルシア委員会を離脱。
23日、かみんはソ共からの離脱を決意。タービンは既にレヴァニラ派に移籍していたため、委員会に再加入したラムネに派を託した。その後かみんはその日のうちにを雑談グループ・SEABLUEを設立死ている。
ソ共離脱後の9月中旬、タービンとともにセンクス連邦共和国を建国した。かつてのソ共のような選挙グループを目指していた?ようだが、途中から低浮上になっていった。その後センクスは10月中頃に左派と右派の対立が激化して弱体化している。かみんはその後のソ社などの界隈グループには一切参加しておらず、実質的に界隈を引退している。
22年12月マ創に加盟
・ソ共の事実上の創設者であるスフォーイとは2021年の4月始めから大変態共栄圏で、タービンやラムネとは18日の東日本内戦(後のJW)から交友がある。
・5月24日の初期役職では、スフォーイとかみんは同じ第二書記への就任を希望していた。しかし、争いを嫌ったスフォーイにより第二書記の座を譲られている。スフォーイは宣伝局長に就任した。
・5月30日の選挙では、スフォーイが僅差であんのうんを破り当選。かみんは当初「得票数2位のあんのうんが第二書記になるだろうな〜」と思っていたが、スフォーイは自らと同じ「保守派」(法整備に反対する勢力)であるかみんを第二書記に指名。かみんは驚いたようである。
・5月24日の初期役職では、スフォーイとかみんは同じ第二書記への就任を希望していた。しかし、争いを嫌ったスフォーイにより第二書記の座を譲られている。スフォーイは宣伝局長に就任した。
・5月30日の選挙では、スフォーイが僅差であんのうんを破り当選。かみんは当初「得票数2位のあんのうんが第二書記になるだろうな〜」と思っていたが、スフォーイは自らと同じ「保守派」(法整備に反対する勢力)であるかみんを第二書記に指名。かみんは驚いたようである。
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