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adgjmptxtpgjmda 2023年10月28日(土) 22:06:41履歴
蕪萄(ぶどう)
11月後半、彼はソ狂連の入国募集に突如として現れた。フォロワーも少なく、最初はレヴァニラの複垢だと思われていた。しかし彼はレヴァとは全く異なり、ラムネコーラに次ぐかなりの暴言厨であった。
こうして彼はソ狂連経由でソ社に入国した。ビスマルク政権で初入閣を果たし、当時ソ狂連では反ソ社ムードが広がっていたためか、ソ社の崩壊決議に賛成した一人となった。
こうして彼はソ狂連経由でソ社に入国した。ビスマルク政権で初入閣を果たし、当時ソ狂連では反ソ社ムードが広がっていたためか、ソ社の崩壊決議に賛成した一人となった。
ラ創では、新たな国名募集の際に、糾創主義というヘリウムの造語から、「ラシュクリエ」という言葉を考案し、採用された。
ほぼ毎回入閣していて、第一期ラ創議会でも当選し、首班指名にて初代首相、即ち第6代最高指導者に任命された。
しかし、その翌週、「ラ創はもう駄目だ」の言葉と共にラ創の崩壊決議を押し進める。この翌日、ラムネコーラのソビエト中央委員会(SCC)の建国に関与した。
ほぼ毎回入閣していて、第一期ラ創議会でも当選し、首班指名にて初代首相、即ち第6代最高指導者に任命された。
しかし、その翌週、「ラ創はもう駄目だ」の言葉と共にラ創の崩壊決議を押し進める。この翌日、ラムネコーラのソビエト中央委員会(SCC)の建国に関与した。
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