Twitterグループの界隈、ソ共連界隈のwikiです。

2021年12月12日にソ社が崩壊してから、2022年5月29日にマ連が崩壊するまでの大動乱時代と、マ連崩壊から同年11月13日に香港が崩壊するまでの香港時代について解説する。
前の時代ソ共時代・ソ社時代
次の時代マ創時代


大動乱時代 2021.12.12〜2022.5.29

ソ社が崩壊した後には後継組織が乱立した。そして1月のプロ連抗争、2〜3月のソ民内の抗争やマ連及び諸国の確執、4〜5月の吉野家事件を筆頭としたマ連での大混乱…と、ソ社が死んでも争いは絶え間なく続いた。そしてあるグループの隆盛がこの時代の終わりの始まりを告げることとなる。

ソ社崩壊直後の動き

大東亜連邦
その日のうちにレヴァニラ主導で新しい選挙グループが作られ始められる。旧ソ社のメンバーも多数参加し、このグループが実質的なソ社の後継組織になると思われていた。嫌悪感を抱いていたスフォーイが適当に新グループを荒らして逃げ去った。結局そのグループは大東亜連邦と名付けられた。だがレヴァニラが何らかの理由で意気消沈してしまい、大東亜連邦は過疎っていくことになる。
この日、ソ民が「界隈趣味局(CHB)」に改名している。
プロ連建国
12月13日には、かつてソ社から離脱していたまっちゃんがプロレタリア共和国連邦(プロ連)を建国。旧ソ社と同じような選挙制度を採用した。
大東亜連邦崩壊
12月19日、ソ狂の一部メンバーが大東亜連邦に乗り込み攻撃。大東亜連邦はもともと過疎り気味だったこともあり壊滅的な状態に追い込まれ、選挙制度を放棄して普通の雑談グループとして生きていくこととなった(大東亜抗争)。しかし、過疎りきってしまった。

マ連建国

12月21日、かつてソ社にいたまかおぼーるが「マカオ連邦共和国マ連」を建国。旧ソ社メンバーや新規が参加しゆる〜い選挙を展開した。
24日にはCHBのクレムノフ主導でCHBとマ連の首脳会談が行われ、共同宣言を発表した
28日、CHBがソ民の名称に戻った

らね死亡

31日、両ソ共同宣言(ソ狂・ソ民)が締結(後の3月クーデター時にソ狂側から破棄された)。そして、らねがソ狂連最高指導者を引退し垢消しをした。らねの後継者はにほんへ運地鰤になった。ソ共界隈は、初期より最前線で活動し、ソ社でもアイドルとして活躍、そしてソ狂を建国するなどした英雄(戦犯)を失うこととなったのである。
そしてらねはソ共連勲章の記念すべき二人目の受章者となったのである。

1月(ラ創建国・プロ連抗争)

1月初めからソ狂の一部メンバーとプロ連との対立が激化。抗争状態に陥る(プロ連抗争の始まり)。
ソ糾(ラ創)建国
9日、ソ社のお間抜けクーデター以来姿を消していたhyotが赤単の手によって蘇民に復帰。そしてヘリウムが、ラムネコーラが12月末に作って放置していたグループを改造し、ソ糾(ラ創)を結成した。
界隈老人会結成
14日頃、界隈老人会がぶどうによって結成。昔話の場となる。
ロシア連邦結成
15日、ゴルバチョフによってロ連が結成。
ソ糾コムドット
17日には、ソ糾がソ社の後継を名乗り始める
プロ連崩壊
22日、プロ連支配者のまっちゃんが英検でいない間に反まっちゃん派がプロ連に突入し、グループは壊滅状態に(英検クーデター)。ゴタゴタの後、プロ連は解体された
→ヘリウムの計らいによって、プロ連・ロ連の一部メンバーがソ糾に合流している。
まっちゃんは雑談グループ(エスペランサ公国)を創設。
ソ糾、ラ創に改名
25日、ソ糾がラシュクリエ共和国に改名

29日、ラ創公式垢が下ネタ絵にいいねしたことにラ創の一部メンバーが激昂して混乱状態に。そして赤単がれらん(クレムノフ)に謹言したことにより、ヘリウムがソ民から追放される
ラ創一月戦争
30日、昨晩の混乱の勢いそのままにラ創一月戦争が起こる。ラ創での紛争がマ連邦などの他のグループにも波及した。界隈内のほぼすべてのグループから追放された自宅警備隊が界隈を引退することとなる。

1.31→ゆうぼーが帝国連邦、通称帝連を建国。

大動乱の始まり

2月上旬、ソ狂連にてらね爺批判が始まる。
ソ民の不協和音
2月2日、カレロフィン南ラシュクリエ連邦共和国を勝手に建国。多数のラ創メンバーが参加した。
3日、れらんが南ラをブロ解で爆破。それに激怒したスフォーイが蘇民を脱退する(南ラ爆破事件)。
マ連軍海南島侵攻事件
7日、マ連邦のスターリン大統領・デーニッツ国防大臣軍部主導で海南島に侵攻する事件が起きる。諸閣僚・国民から反発を受けるなどし、マ連邦は混乱状態に陥った(マ連軍海南島侵攻事件)。
国革一強体制問題
10日、ラ創では、建国時より国民革命党の候補ばかりが当選していた。それを野党などが問題視したために選挙が白熱する(国革一強体制問題)。
11日、ゆうぼーがソ社を復活させるが即崩壊。ソビエト革命戦線が結成されるも過疎化。
12日、ヘリウムが赤単との対立を理由に界隈を引退
13日ラ創の国民革命党が崩壊し、国革(国社)一強体制が崩れる

14日、 クソガイジ問題児であるカリ金とエジョフが更生した。
神垢期間
17日、神垢、ラ創に参加。事実上の界隈復帰。
ラ創議会制
18日、ラ創にて議会制度導入後初の選挙
インドシナの建国
19日、ソ狂連軍が解散。そしてマ連邦にてスターリンとデーニッツの対立が激化し、デーニッツがマ連邦から追放された

翌20日、マ連邦から追放されたデーニッツが大インドシナ帝国を建国。旧軍部やマ連民の一部に加えて多数の新規も参加。マ連軍部の創始者であるちゃーちるを皇帝に据えてのスタートだった。インドシナはこれ以降マ連と激しく対立することとなる。
ソ民の静かなる和解
23日、ソ民内部の不協和音が表面化して口論となり、れらんがソ民を離脱。そしてその隙にスフォーイがソ民に復帰した。その翌日、れらんがソ民などに復帰し事実上スフォーイと和解。そしてヘリウムがソ狂に帰還し界隈に復帰した。
ソ狂連緊急事態宣言
23日、あまりのクソガイジ行為のためソ狂連を追放された後ヒトラーと化して暴れ回っていた南朝鮮軍の魔理沙が凍結された。この影響で何故かソ狂連のメンバーが一斉に垢ロックを食らうという事態が発生したため、ソ狂連緊急事態宣言が発令され、選挙などが一切行われなくなった

26日、ラ創内でのもつれが原因で独眼竜が界隈を引退。
エスペランサ公国破滅
27日にはソ狂でブロ解荒らし事件が起こる。(1年後、犯人はえすてぃと自白した。)そしてエスペランサ公国(まっちゃんの雑談グループ)が解散。
マ連邦の政党
28日、マ連邦にて国民投票の末、政党が解禁された。政党制には反対者も多数おり、後々マ連邦を揺るがす要因となっていく。
29日には帝国連邦が崩壊した。

3月突入、終わらない対立

ソ民騒動、再び
3月4日、ラムネがソビエト中央委員会(SCC)を結成。さらにれらんが主権国家共同体を発足させた。

5日、大荒れ状態となったラシュクリエがぶどう達の手によって強行解体。しかしヘリウムが即ラシュクリエを復活させた。

3.6→国連騒動。
ゆうぼー炎上未遂事件
9日、ゆうぼーの過去の行動を引っ張り出してきたエットムらがそれを晒したことでゆうぼー炎上未遂事件が起こる。そしてインドシナが過激派に爆破され、インドシナ国内の反マ連感情が高まった。爆破などを理由にインドシナ国民としても参加していたスフォーイが「インドシナ側からマ連と国交を断絶する」ことを提案し、結果的にインドシナはマ連&ラ創と断交する。

3.10→コーキノス合衆国崩壊。乙
谷垣追放事件
11日、マ連民の谷垣(橋本)が、れらん連続ブロ解の容疑で審議の末、マ連邦から追放されてしまう。しかしこの谷垣の追放は冤罪だという声も幾らかあった。
香港第一帝政建国
12日、マ連で二代目大統領を務めたほんこんぼーるが香港第一帝政を建国。当時は後に伝説となるグループである。

13日、谷垣が処分反対派の活動などもあって証拠不十分で無罪となり、マ連邦に復帰する。その後、イリイチがマ連邦を離脱してしまう。
ソ民の騒乱
14日、れらんが制止を振り切りメッセージを連投しつづけソ民で一時間謹慎を食らったりした。この頃からまたソ民が内部抗争状態に陥る。そしてイリイチがマ連邦に復帰した。

15日、ソ民などでブロ解が起こったりした。

16日深夜、赤単・スフォーイ・ラムネ・しょきちょーらがソ民を離脱。
ソ民3月クーデター
17日、ラムネがソ民復帰。さらに赤単がれらんに反発してマ連邦を離脱。
ラムネコーラはソ民代表の座を譲ることをれらんに提案し、2時間に及ぶ口論の末アンドロポフに代表を譲る。

直後、一部メンバーの画策によってソ民3月クーデターが起こされ、ソ民は崩壊。しかしれらんがソ民を即復活させ、さらにクーデター参加者の一部が造反して復活ソ民に参加したことで結果的にクーデターは失敗した

ちなみにこのクーデターにはゆうぼーやマルリンらが主導し、アンドロポフや16日にソ民を離脱したスフォーイなども参加した。そしてこの混乱の中でSCC、マ社などが崩壊。スフォーイがマ連邦を離脱。ぶどうもマ連邦などから離脱し界隈引退ソ狂はソ民と敵対した。ロシア連邦も復活し、中華ソビエト共和国としてスタート(中ソ)。
ソ狂緊急事態宣言解除発表
16日、ソ狂連にて緊急事態宣言解除が3月23日に行われるという発表があった。

18日、ソ民3月クーデター以降死亡していたスフォーイがマ連邦復帰。

19日には帝国連邦が復活している。
界隈の雪解け
20日、ラ創にて界隈の雪解け(まっちゃんがラ創参加、レヴァ浮上)が起こり、歓喜ムードに包まれた。ソ社時代・プロ連抗争時代からの因縁がようやく終わった。ヘリウムはこの和解の立役者となり、ラ創がマ連に対して劣勢ではないことを見せつけた。
ラ創改名
21日、ラシュクリエ共和国がラシュクリエ人民共和国に改名
同日、マ連邦にてスフォーイに対する不信任決議案が可決されかける。
インペリ民押しかけ騒動
22日、インペリアーム王国の国民だったエットムとその友人らがマ連に押しかけてゆうぼーの過去の行動を説明したりしようとした「インペリ民押しかけ騒動」が発生した。結局まかおが管理者権限で第二グルを爆破して無理矢理解決した。「デーニッツ、インペリから追放」

3.23→独眼竜が界隈に復帰。ソ狂連にて緊急事態宣言が解除された。

3.25→スフォーイがソ民グループ2個目を設立

3.26→ムン茶がマ連邦を離脱

3.29→ソ狂連にて元ソ狂連軍最高司令官のヨッスゥィーフ・シュトゥァーリンがソ狂内で「ジジキン死亡おめでとう」、「ドリフ全員死ぬのまだ?」などと不謹慎発言を行った為大炎上。この際、ソ狂連の発言が何者かに切り抜かれ、晒される事態になり、ソ狂連が1番荒れた日になった。
その後シュトゥァーリンは垢消しをした。
この際にシュトゥァーリン追放を決断した当時の書記長のフェルマータがソ狂初の勲章を受賞された。
この出来事を受けてソ狂では最高議会が設立された。
ソ共界隈インターナショナル
3.30→ヘリウムがソ共界隈インターナショナル(事実上の国連)を創設。各国から数名ずつ代表者が招かれたものの大荒れとなってその日のうちに解体された。

4月

2日、ヘリウムがソ民書記長選挙を実施することを宣言、候補者を募集する。

3日、自主謹慎していたれらんが予定より早く自主帰還。ヘリウムがソ民から追放された。

8日、ソ狂でのらね爺批判が終わる。
同日、らね爺勲章が作られた。
政党制政変
9日、ラ創で政党制が復活。しかし政党制には反対派も多数おり、後々波乱を巻き起こすこととなる。
四選禁止法と反れらグループ事件
10日、マ連にて四選禁止法騒動が発生しまかおぼーるが一時マ連から脱退。抜ける時にゆうぼーがちょうど吉野家に行ったと言ったのでこの事件は吉野家事件と呼ばれた。またれらんの公約にケチをつけたりネガキャンをしたりしマ連は大荒れとなった(反れらグループ事件)。
政党制政変
13日、ラ創にて政党制騒動が発生(政党制政変)。政党制の賛否を巡って賛成派の独眼竜や反対派のラムネコーラらが激しく対立し、政党に反対するスフォーイ・まかお・ラムネコーラの三人がラ創を離脱した。

4.14→ラ創で独眼竜に対する不信任決議が可決。新国家主席にロスマンが就任した。

4.16→ソ共&ソ社復活

4.20→ソ狂連第2支部が崩壊。アンチョビによる政策らしい。

4.21→第一次マ連崩壊未遂事件
※カレロフィン垢消し
22日、ラ創にて真田信繁とhyotが対立し、それに便乗したスパムなどもあってラ創が大荒れに。hyotが公式垢を乗っ取って暴れたりもした。結果的にhyotと真田が永久追放となった。(真田事件
言の葉党との連立白紙撤回するんだ
なそれならラシュクリエ人民共和国
は敵だぞそれでもいいんだな


24日、ヘリウムが界隈引退。ラ創の崩壊権限が赤単に譲渡された。ソ民4月改革の開始
ラ創崩壊
25日、ドスドスの喘ぎ声をきっかけに、赤単の手によってラ創の崩壊が宣言される

4.26→マ連が大荒れする
4.27→マ連第二次崩壊未遂事件が発生しそれに疲れたスフォーイが界隈引退。(後に復帰)
4.30→ソ民深夜(1時〜3時)の大盛況。

5月

5.1→ソ民が9ヶ月目に突入
5.2→第三次マ連崩壊未遂事件が発生。れらんが事実上の界隈引退(ソ民には残る)。マルりん界隈復帰
5.3→シ連、中ソが崩壊。
5.4→ソ民で大量ブロ解事件が発生(5月クーデター)
5.5→ラムネコーラ界隈引退。カレロフィン復帰。マ連橋本辞任未遂事件。ア連・ソ合崩壊、ラシュクリエ人民共和国完全復活
5.7→マ連大荒れ
5.8→ソ狂連最高指導者のにほんへが近いうちに最高指導者の地位をダージリンに譲る可能性が示唆された。
5.9→ソ民がソ共界隈から独立。ニート界隈復帰
5.12→カレロフィンがマ連から追放されたことに激怒し界隈大荒れ
5.13→マ連公式がち○ぽ画像をリツイートしマ連が大荒れした
5.14→第四次マ連崩壊未遂事件発生
5.16→マ連崩壊に危機を覚えたスターリンなどの存続派が国家保安委員会を設立した
5.22→マ連にて崩壊派と存続派が対立
22年5.24→界隈一周年!!おめでとうございます!!
27日、香港にてぎんかが7代目首相に就任。
28日、まかおぼーるがマ連でクーデターを起こす(第五次マ連崩壊未遂事件)
その直後に上海首長国連邦を結成。マ連の執行部からは2週間の謹慎を言い渡された。
マ連邦の崩壊
5月29日、マ連が崩壊した。マ連邦の崩壊によりイリイチが大マカオ帝国を、まかおが上海首長国連邦を建国するなど、後継組織が乱立した。翌5月30日にはマ連崩壊反対派だったあいうえおかきくけこ、スターリンらによって新マカオ連邦共和国が建国された。
ソ狂最高指導者の交代
そしてソ狂連の最高指導者の日本兵と化したRyoyaが退任。にほんへの最高指導者就任は初代ソ狂最高指導者のらねが引退した2021年12月31日で、在職日数は149日間だった。後継者はダージリンに決定した。
さらにマスおぢのツイートによりスフォーイが界隈復帰を果たした
─大動乱時代が残したもの─
マ連邦の崩壊により界隈を渦巻いていた混乱は大方消え去り、長く続いた大動乱時代が幕を下ろした

香港時代 2022.5.29〜2022.7.29

マ連は死に、ラ創は息絶えた。そして台頭してきたのが香港第一帝政。界隈の伝統とも言える激しい紛争を忌避するこのグループが遂に圧倒的な力を持った。香港時代と呼ぶに相応しい時代であった。…あの国が誕生するまでは。

6月

6月1日、香港首相のぎんがが共産趣味者の集いを爆破するようふざけて指示したところ、実際にラムネコーラが破壊。趣味者の集いは一時崩壊した(ぎんが刺客事件)。
その後ぎんがは他国爆破禁止令を出して過激活動を統制した。そして投票用のグループも設立された。
りょくちい超謹慎
2日、香港にて数日前に謹慎になっていて発言が禁止されていたりょくちぃが34回以上発言。よって266日間の追加謹慎となり、2023年2月23日(木)までの謹慎が決定した(りょくちい超謹慎)。
5日、りょくちいが界隈引退。
6日、新マ連にて新マ連崩壊派(旧マ連崩壊派)と存続派の対立が激化。
10日、新マ連がマスおぢにより爆破される。

12日、閑神が香港を離脱。そして上海にて創設者のまかおが一時的に離脱したことによりDMグルの管理人が仕様上ぎんがとなった。
さらに大インドシナ帝国が「Twitter上で暴れ回っていたたぬき氏の横暴にうんざりだった大インドシナ帝国民はたぬき氏を追い出した。対極に居る葉月氏を大インドシナ帝国内に召喚する動きへと向かっている。現在進行形で過疎に見舞われている独=伊帝国との外交関係は悪化するだろう」と発表した(6月事変)。
新マ連、ベ連に改名
16日、新マ連邦(仮)がベルリン民主共和国連邦に改名。
臭すぎる
17日、ソ狂連軍が再建される
共集解体
18日、共産趣味者の集いが解体。上海に政治局制度が導入された。
また、コスモスの連邦通信がべ連のメディアになる。

19日、香港第一帝政が建国100日を迎えた。そしてベ連にて政治局が導入されたが、しょきちょーの永久追放や政治局を巡って少し荒れた。
20日、香港にて赤単の行動に嫌気が差してブロ解を繰り返したラムネコーラが香港を自主離脱する。
あ行大マ爆破事件
23日、まだ日も明けていない頃に、あいうえおがサブ垢を使って大マカオ帝国を爆破した(あ行大マ爆破事件)。
ベ連自民党危機
28日、べ連で自民党の伊吹文明(ロスマン)氏が無気力になり、自民党が解党寸前に陥りべ連が少し荒れた。与党・共産党側が政党の人数を4人程度に制限すると約束したため一旦落ち着いた(ベ連自民党危機)。

7月

2日、しょきちょーのべ連復帰を巡ってべ連内部は混乱に陥った。
3日、ベ連のwikiが何者かに荒らされる。
7日、マスおぢのベ連復帰を巡ってスターリンとマスおぢの対立が激化。さらにベ連では憲法が施行された

8日、香港にて水無瀬首相がちゃーちるをブロックした。ちゃーちるの再入国を問う投票が行われたが、反対多数により否決された。その後ブロ解に関することであいうえおと水無瀬の対立が激化。最終的に水無瀬は厳重注意処分となった。

更にぎんが主催でMinecraftが行われた。香港マイクラの始まりである。

10日、マスおぢらの強い要求などによって香港でMinecraft支部のTwitterDMグループが作られる。

12日、ラムネがネタで赤単をブロ解し、香港が一時的に荒れた。ネタブロ解ってなんだ?
しょきちょー超謹慎
15日、香港にてしょきちょーがスパムを行い、2023年6月13日までの謹慎となった(しょきちょー超謹慎)が、その後の交渉により減刑され1週間の謹慎となった。

16日、香港にてまかおぼーるが下ネタを言い、前科なども含めた結果7月28日までの謹慎となった
ぎんが鯖騒乱
17日、香港のぎんが主催のマイクラ鯖にてまた荒らしが発生し、一時はるはーる?が疑われるなどして大荒れし、結果的にぎんが主催のマイクラサバイバル鯖は閉鎖された(ぎんが鯖騒乱)。そしてまかおぼーるの香港謹慎が7日間に減刑された。上海が何者かに爆破されるという事件も起こっている。

22日、ベ連が何者かによって爆破された。グループは公式の中の人であるコスモスによって再建された。
23日、香港のwikiが何者かに荒らされる。
28日、香港にてマイクラが復活する。
マカオ=ラシュクリエ共和国建国
29日、スフォーイが「わかったぞ!新グループはマカオ=ラシュクリエ二重帝国だ!」と、ヘリウムのグループ創設新企画の名前を言い当ててしまったため、ヘリウムが予定よりも早く、正式にマカオ=ラシュクリエ共和国を建国。「澳創」「マ創」と略され、旧時代のような政争を目的としたグループヲ目指した。
同日、お茶がソ狂連より無秩序なスパム連邦共和国を建国した。スパムが乱射されたせいでガチで重くかった。
ベルリン爆発四散
30日、まかおがベ連を爆破したがすぐベ連は復活した。しかしマスおぢにもう一度爆破される。そしてまたすぐにべ連は復活した。
その後、べ連は瓦解し西ベルリン、東ベルリン、北ベルリン、南ベルリン、ベルリン評議会、ベルリン人民共和国の6つに分裂した。
22時頃にほのりんあ行によって南北ベルリン、西ベルリン、評議会が破壊された。
東ベルリンは爆破されかけたが回復し、名前を変えるなどしていたが翌31日にまかおに爆破され、関連組織も含めてベ連は完全に崩壊した(ベルリン爆発四散'')。

31日、カリッカリに焦げた金正恩通りすがりのエジョフ?が元のアピャボケに戻ってしまった。

冷戦期 2022.7.29~2022.11.13

遂にマ創が起った。かつてのソ社・ラ創のような政治を中心としたグループを目指したこの国は、界隈の軌道修正を図る。香港とマ創は直接敵対しているわけではないが、イデオロギーは大きく違う。2つの国が並立するこの状況は、まるで冷戦のようであった。

8月

1日、ヘリウムが4月2日に募集したっきり忘れていたソ民書記長選挙を実施、界隈引退済みの蕪萄が当選。
2日、ソ民第三グループ爆破騒動を巡って香港が大荒れする。マスおぢ、ラムネなどが謹慎となった。またこの荒れに嫌気が刺したためかぎんが、スフォーイ、コスモス、あいうえおなどの高浮上メンバーが香港を離脱(ソ民八月攻勢)。

3日、ソ共連崩壊一周年!!祝砲!!!バァン!!

4日、大マ帝が崩壊。コミュニティーも一緒に消えてなくなった。これによってマ連の系譜を継ぐグループは上海のみとなった
同日、スフォーイがマ創に復帰。
大遅延の末にマ創政治局誕生
6日、香港でえすまじゃが首相に。またマ創で初めての選挙が行われ、当選したタービンが初代大統領となった。しかし組閣大幅に遅れ、一日近く経ってからようやくヘリウム・まっちゃん・赤単(後宮)・お茶・スフォーイ・あいうえおの政治局入りが発表された。

9日、レヴァニラがマ創に参加し、久しぶりに界隈民達と触れ合った。社会革命党に入党するも、当初から分派行動を繰り返した。
その後、てるん・ほのりん・レヴァニラの3人がDMPの話題で火花を散らしたが、なんとか大きな騒動に達する前に鎮火できた。他にも、みずき、トーストといった新規が入国。
こいつら今じゃもう全然浮上しねぇや。

さらにまっちゃんフィヨルド党を結成するが、すぐ''マ創国民党に改名した。ぎんがも界隈復帰。

10日、レヴァニラが社会革命党に入党、(おそらく)界隈史上初めて、スフォーイとレヴァニラが同じ党派に所属するといった状況が実現した。

11日、マ創にて一人政党が非合法化される。

12日、香港にて、下ネタ解禁をめぐり対立が起きる。
マ創では第2回大統領選の投票が始まる。恐らく界隈史上初めて投票率が8割を越えた。
ロリポム事変
13日、選挙に勝利した赤単が第2代大統領に就任するが、ポムポム真理党の不正選挙が発覚しロリポム事変が起こった。赤単は大統領を辞任。マ創は大統領不在の体制へ移行した。

14日、あ行ろりぃやがマ創にて謹慎となる。スフォーイがロリポム事変の影響もあってマ創を再離脱。クソ雑魚
さらにポムポム真理党が世界平和統一ポムポム連合に党名を変更した。
深夜に何故からね爺が復活したりもした。

15日、マ創の社会革命党から抜けた独眼竜によって言の葉党が結党される。hyot参加に伴い党名をシマエナガと言の葉党と愉快な仲間たちに変更。

16日に、ゆうぼーが特に理由なく社会革命党を離脱し国民党に移籍(仁義なき離脱α)した。社会革命党の党員がしょきちょーのみになり、解党することとなった。

16日、深夜にらね爺があの世に帰った。

17日、9日に起きていた喧嘩についてほのりんが騒ぎ出し、てるん氏が3日謹慎となる。
インム事件
19日、香港にてブロ解が発生、実行犯のモルドバは永久追放となった。さらにマ創では、インム(ユーリ・アンドロポフ)のセクハラに耐えかねたベルクトがマ創を離脱する事件が起こっている。対策としてネットストーカー禁止法が制定された。(インム事件)

同日、マ創第3回大統領選の開票が行われたが、先々の事件による過疎で投票率が低下してきた。結果、マ創国民党所属のまるちーが当選。

20日、マ創にて支部法が制定される。競馬部や野球部などが存在。

24日、まるちー、唐突な長文投稿。

26日、まるちー、マ創国民党を離脱し世界平和統一ポムポム連合に参加。まっちゃんが後に激怒。
同日、マ創第4回大統領選。2位と大差をつけてまかおぼーるが当選。

27日、世界平和統一ポムポム連合がポムポム海賊党に党名を変更する。

29日、マ創政治局の人数が7人から9人に変更された。

30日、香港にて首相の水無瀬が辞任、そして脱退。代理にほのりんが首相に就任した

31日、マスカットおぢさんによってソビエト珍見趣味共和国連邦(ソ珍)が建国される。下ネタ用グルーブである。

9月

多くの界隈民が夏休みを終え、日中は繁栄することがほとんどなくなった。
2日、スフォーイが界隈復帰。またかよ。

3日、まっちゃんがマ創に復帰。おかえり。

7日、マ創にて民社党・社会党・シマエナガ党(略称)の一部が合流して新生党が結党される。
まっちゃんマ創離脱
10日、マ創にて一人政党や公約の問題で議論が白熱。まっちゃんが「'思想が合わないグループを変えるよりも現実で勉強したほうがいい'」といった理由でマ創を離脱。そしてなんかゆうぼーもログアウトした。
なんやかんやあって、マ創の大統領はあいうえおとなった。
唐突あ行垢消し事件
11日、マ創大統領のあいうえおが突如垢消し。副大統領のほのりんが大統領に昇格した。しかしすぐにあいうえおのアカウントが復活し、大統領辞任の意はないと説明した(唐突あ行垢消し事件)。

12日、スパム連邦共和国がカリキムにより破壊、崩壊した。
レヴァニラ国連
13日、レヴァニラが国連を復活させると発表。
しかし現在の4大グループである香港、マ創、上海、ソ珍が参加せず人数は集まらず。
その頃ソ狂連にてらね爺批判が再加熱して、ヘリウム?によって今まで使用されていた勲章が全て廃止された。
エドワード誤ブロ事件
16日、香港・ソ珍にてエドワードが「リトワ(かつて問題を起こしたことがある)」なる人物と疑われ、またブロ解される事件が発生した。
疑いは晴れ、無事復帰を果たした(エドワード誤ブロック事件)。
そして、マ創で第7回大統領選挙の投票が始まる。

17日、マ創第7回大統領選挙にて新生党のてるんと民社党のH1ROが決選投票となったが、また決着が付かなかった。政治局が急遽法律の制定を行い、選挙は翌日12:00まで延長されることとなった。
H1RO政権樹立
18日、マ創大統領選の延長戦の結果、わずか2票差で民社党のH1ROが勝利。以下、政権樹立当初の政治局員。
所属政党氏名備考
民主社会党H1RO第7代大統領
コーバ(スターリン)
ユーリ
新生党てるん副大統領
ほのりん
ポムポム海賊団マスおぢ
あ行
朝倉未来党独眼竜
北海党hyot
ヘリウムは政治局参加を控え禅譲した(後に少しばかり後悔している)。また、当初スフォーイが政治局に入っていたが、「独眼竜が入っていないのは遺憾」と発言し、独眼竜に禅譲した。
その後、hyot脱退。副大統領てるんの下ネタ緩和政策などが原因である。これを気に下ネタ緩和について国内で議論がなされ、
マ創の政党変動
19日、ヘリウムが香港で下ネタを発したため一日謹慎となった。そしてhyotもマ創に復帰している。
その他、レヴァニラが民主平和党を結党。党名は周囲から候補を募り、その中から決定された。前日に新生党第2代代表に就任したばかりのスフォーイが新生党を離党しhyotの北海党に移籍したりもしている。
新生党はこの後少しの間代表が空席状態となり、他党から追及されることとなる。
漢りょくちい
20日、りょくちぃがソ民第四グループを爆破しマ創などが潰されそうになる。

9/20、スフォーイによって4コマ漫画『滅べ!ソ共界隈』第1回が連載される。

22日、レヴァニラが民社党に入党する。この時、レヴァニラが19日に結党していた民主平和党もそのまま存続させようとして問題となる(二重党籍自体この頃は禁止されてない)が、結局解党させた。また、生粋の香港人であるぎんがが遂にがマ創に入国し、ポムポム山口組に入党した。

23日、マ創大統領選挙開始。当初は民社党のレヴァニラとポムポム山口組のマスおぢがほぼ同じ票数であったが、新生党がマスおぢ支援に回ったことで、一気に均衡が崩れた。
マスおぢ政権樹立
24日、午前中に、新生党が社会民主進歩党に改名した。社会民主進歩党とは、鈴木しんじ率いる実在の政党である。
18時頃にはマスおぢが14票以上も獲得し、第8代マ創大統領に就任した。以下、政権樹立当初の政治局員。
所属政党氏名備考
ポムポム山口組マスおぢ第8代大統領
あ行か行
赤単(後宮)
ぎんが
民主社会党レヴァニラ副大統領
新生党てるん
ほのりん
らいんと
(無所属)日村
その後まかおぼーるが新生党を離党し、国民党への参加を打診するが断念し、新生党に1時間後に復帰するが、5分後に再度離党。結局は無所属となった。
ソ狂民入国
ソ狂連民族として有名なにほんへダージリンがマ創に入国した直後、にほんへ達やりょくちぃ、その他の低浮上者を狙った謎の中ブロ解事件が発生した(チマチマ陰湿ブロ解事件)。

その後また社会民主進歩党が「社会を生きる党(社生党)」に党名変更した。略称が「しゃせい」とうなんですって。なんて卑猥なッ❗❗

また、夜にあいうえおがログアウトした。この人いっつも垢消しとログアウトしてんな。
その為、同じポムポム山口組所属のヴィルヘルムが政治局入りを果たした。
怪しいブロ解
25日、午前中にまたブロ解が発生した。犯人特定には至らず。
そして午後3時頃から社生党代表選が開始され、ほのりん、てるん、ゆうぼーの三人が立候補した。
ダージリンによってアピャボケ狂讃党が結党され、にほんへ(フルシチョフ)、金与正・独眼竜が参加。これにより、9月10日から存続していた独眼竜の朝倉未来党は消滅した。また、マカオが社生党に復帰し、緑の党が消滅した。

さらにヘリウムが民社党を離党してちーかまを巻き込んでちいかまの胸を揉みしだく党を結党。
これに民社党員の土下座外交官・H1RO・ユーリ、国民党員のしょきちょーが参加した。
新規獲得と大荒れ
その後お茶のマ創国民募集ツイートを拡散する戦法が行われ、多数の新規入国者を獲得したが、一斉に大量の国民が浮上し喋りまくったため、少しの間混乱状態となった。
さらに伊吹がマ創を離脱したことにより、マ創国民党にが消滅。8月9日からの47日間の歴史に幕をおろした。

26日に入った頃、下ネタを繰り返し吐いていた金与正が翌日0:26まで謹慎となった。
昨晩のうちに基本法7条が政治局にて可決されていたが、本来基本的の追加削除改正は国民投票が必要なものであり、国民投票を介さず7条が追加されたことが発覚し、急遽国民投票が行われた。

この日、伊吹が30日に正式に界隈を引退することを表明。マ創に一時帰還して挨拶しようとしたが拒否され、インドシナでして挨拶をヘリウムがラ創に貼り付ける形となった。

26日、ソ狂連にてソ狂連軍最高司令官金与正がソ狂連人民軍に対して降伏して、ソ狂連軍が崩壊した。ソ狂連軍は前から荒らしを行っており、最低最悪の軍隊と言われていたため英断である。
ぎんが引退
28日、ぎんががマ創や香港などを離脱し、事実上の界隈引退

さらにあ行が復帰し、マ創にてぎんが離脱により枠が一つ空いていたポムポム山口組に復帰した。

29日に入ると、香港で選挙廃止の投票が行われ始めた。さらにマ創からジョークbotが追放される事件が発生し、犯人であるまかおがマ創から逃亡した。
それから1時間ほど経った頃にマスカットおぢさんが香港を爆破し、後に永久追放となる。

さらに香港の暫定的な公式垢が誕生した。

同日、またマ創で大量ブロ解が発生。結局は犯人が特定できないまま荒れ続け、コスモスがマ創を離脱。さらにマスおぢが追放されかけるが、大統領権限により回避した。

30日、ポムポム山口組が政治局に提出した恩赦法が僅差で否決される。
マ創で第九回大統領選が始まる。ほのりんが離脱し、ちいかまが出馬を撤回した。スフォーイが当選。独眼竜は逆転敗けで足怪我した

10月

不明、スパム連邦共和国が復活。(極小規模)
1日、らねによりソ狂にて永久指名手配を受けていた独眼竜英国面に堕ちた金与正の提案により恩赦され、ソ狂連に入国した。

2日、マ創にてカリッカリに焦げた金正恩がカリキム事件を起こす。山一證券やね。
ソヴィエト狂讃主義連邦共和帝国
5日、ソ狂連がらね爺批判等をきっかけに正式国名をソヴィエト狂讃主義連邦共和帝国に変更した。
これにより、ソ狂連が正式に略称として使えるようになった。
香港は首相職の名前を寒河江市長に変更した。
狂創協定締結
6日、ソ狂連がマ創と友好関係を結んだ(狂創協定)。カチューシャ、マ創に復帰。

7日、マ創を脅かしたエカチェリーナが垢消し。→後に復活
スフォーイ死亡
11日、香港が愚痴で埋めつくされ、関連は不明だがスフォーイがまた界隈を離脱した。173日後に帰ってきたけど。

12日、マ創で売国政変発生。失言により大統領の土下座外交官が辞任、一時脱退した。

13日、スパム連邦共和国再爆破。後に復活。
マ創では、まかおぼーるが恩赦され、復帰した。
また、カチューシャがアピャボケ狂讃党を脱退し、ソヴィエトロシア戦車を愛する党を結成した。

14日、にほんへダージリンが香港第一に入国。

15日、マ創にて独眼竜公約騒動が起き、あ行と独眼竜が一時間謹慎になる。謹慎明け後再び独眼竜と対立したあ行はマ創を脱退し垢消しもした

16日、香港選挙にてぎんが?が勝利。初の寒河江市長に。またマ創では老害事件が発生

19日、香港にてフランスが恩赦される。それに伴ってマスおぢが激怒し香港の旧コミュニティを爆破。

20日、あ行が界隈引退、金与正が仲本工事の訃報を受けて精神を病んでしまい、行方不明になる。後に前向きに捉えるようになり何とか持ち直した。

21日、香港クラフト2期始動。参加勢は10人くらい?
独眼竜の失脚
22日、カリ金・ほのりんと独眼竜の昨日から続いてたレスバ?によりほのりんが独眼竜にブロックされ、そのままほのりんが別垢で独眼竜をブロ解して独眼竜はソ狂から蹴られた。ついでに独眼竜と仲が悪いあ行がソ狂に復帰。その後あ行はマ創にも復帰した。そのマ創ではゆうぼーが大統領選挙に当選した。

24日、インドシナのtwitter側が崩壊

26日、キャベツ政変未遂。ゆうぼーがまかおぼーるにアイコンを変えることを要求し、拒否されたところ「政治局員罷免するぞ😡😡😡😡」と発言したため、不信任案を提出されかける。なお、この2人は同じ社生党に属している。
同日深夜、狂讃党内ゲバ事件。ソ狂連での独眼竜とその他の因縁が、独眼竜のアピャボケ狂讃党離脱をトリガーにマ創で爆発してしまった。
 また、この日に土下座外交官の手によって安連が建国された。

27日、26日の内ゲバ事件にて独眼竜が5日謹慎の処分に猛抗議してまたもや大喧嘩を起こす。その独眼竜は金与正のブロックや反省の意を見せなかったため、マ創から追放された。また金与正は恩赦された。(独金事変

30日、あ行が界隈引退

31日、呪!!!ソ社建国一周忌!!!くたばれ!!!
マ創ではソ社建国一周年を記念して、一日限定でグループの名前とアイコンがソ社仕様のものになった。

11月

1日、ソ社第8回選挙が行われ、しょきちょーが当選した。コスモスが10ヶ月ぶりにニュースソビエトを行った。
同日、ほのりんがマ創に復帰。政治局で正式に入国審査を通過したが、ろりやによってブロックされていて、彼はブロック解除するぐらいなら抜けると言ってマ創を自主抜けした。事実上の追放処分である。

2日、マ創でブロ解事件が起きたが、犯人が今期政治局で入ったニット帽(カリキムの複垢)と特定される。しかしニット帽はマ創に存在せず、一部からは見えてるが、他の国民からは既に見られない存在となっていた。これにより、今期政治局の入管体制が批判された。

4日、マ創にて選挙期間中に虚偽政変。公約不履行のまかおぼーるに対してマ創初の不信任決議案が提出され、大統領選と並行して国民投票がなされた。
  そして22:20、全会一致のまままかおぼーるが辞任を表明。コスモスが就任した。

5日、マ創にてスターリン批判が起こる。労働党からスターリン【公式】が大統領に就任したが、アピャポケ狂讃党党首であるダージリンを知らなかった上、テスト期間と言うのを選挙後に発表したため強く批判され、また院政と揶揄される。さらに、最速辞任を発表しかけた。
7日、突如ソビエト民主連邦共和国(ソ民)とソヴィエト狂讃主義連邦共和帝國(ソ狂連)が和解。一生和解することがないと思われていたが、和解した模様。
また、まかおぼーるが管理していた過疎グループである東民(東京民主共和国)が上海に吸収合併された。
8日、ソ狂連にて特大規模のブロ解が発生。約2、30人くらい蹴られるという凄まじい被害が出た。その際にベルクトが英国面に堕ちた金与正をブロ解したため香港とソ狂連にて罰せられた。
また同日上海が崩壊。これによって、旧マ連の後継勢力が完全に崩壊
同時に真田を首長として青島自由民主主義連邦が建国された。
11日、マ創にて第15回大統領選、議員の改選が焦点となった。今回は、選挙制度が変わり一部がケチをつけて喧嘩が起きた。
また、コスモスがポムポム党を離脱。
12日、あ行がマ創に復帰。まかおぼーるが民生党離脱を示唆するも、後に撤回。同日、ア狂から入閣者が1人もいなかったことに大きな反発が起き、ア狂党員が #アピャボケ狂讃党迫害やめ郎 を連呼した。結果としてダージリンが入閣した。同日、マ創にて議会制導入が決定。これにより、政治局は今期が最後となった。

界隈で一番長い日

13日、つくば駅前のフードコートでエンカしていたまかおぼーる、固定資産税、土下座外交官にほのりんが電話し、その場でまかおぼーるの民生党離党と急共入党が決定した。(つくば会談)
また当時選挙を行っていた香港ではほのりんによる、以前行われたにほんへ、フェルマータの荒らしの疑いでマイクラからのBANが行われた。この不当な処分に怒ったソ狂連は香港との友好協定を破棄し、ソ狂の代表のダージリンは香港から離脱した。また同時間帯に金与正がサブ垢を入れた直後に数人が抜ける事件が発生。
ダージリン(当時首相で行われていた選挙の1位得票者数)が居なくなったためほのりん(2位得票者数)が政権を握ったと宣言し、荒らしの疑いでアピャボケを全員追放。その最中にぎんがが香港公式垢を乗っ取っり香港を爆破。ほのりんの手により公式垢を蹴り、香港を復活させ得票数2位のほのりんが暫定市長(3代目)となった。その後しばらく落ち着いていたものの、帰還した香港球が憲法の緊急時に法律を作れるというものを理由に、アピャボケを全員復活させると宣言した。また「崩壊してもいい」といった内容の発言をしたため、廃位の議論が始まり投票が始まった。
そのまま大混乱に陥り、香港球の手により崩壊が宣言され、遂に香港が崩壊した。しかし、香港は皇帝派の香港維新政府と、ほのりん派の香港民主共和国に分裂した。またマ創ではアピャボケ達に予防的追放を適用するかどうかについて白熱の議論が行われ、証拠不十分で無罪となった。
さらに同日20:00頃、まかおぼーるがマ連の再建国を宣言。その後、マスおぢはポムポム帝国の建国を宣言。土下座外交官もNEXT香港の建国宣言をした。

前の時代ソ共時代・ソ社時代
次の時代マ創時代

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界隈大辞典

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界隈に参入した時代ごとに分けてある。

大動乱時代(2021.12.12〜2022.5.29)

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りょくちぃ
スバルガス
アンチョビ
最弱のあいうえおかきくけこ
ぎんが?
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kizi
てるん
お茶
えすまじゃ
水無瀬
陽菜
日村
H1RO
土下座外交官
カルパッチョ
アピャボケ(ゴミ箱)
カリッカリに焦げた金正恩
通りすがりのエジョフ
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英国面に堕ちた金与正
ムスカ大佐
ヤジューコフ・オマエノコトスキー
南朝鮮軍の魔理沙
世界基督教統一神霊協会の妖夢
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ヨッスゥィーフ・シュトゥァーリン
一般朝鮮人民軍陸軍兵士
エカチェリーナ
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