最終更新: adgjmptxtpgjmda 2022年03月05日(土) 01:17:18履歴
しょきちょーはソ共連界隈の政治家(笑)第八代ソ社書記長、第二代ソ糾国家主席、第五代マ連大統領、労共連書記長等を歴任した。このwikiを作った間抜け。
しょきちょー | |
在籍歴のある主なグループ | ソ社?・プロ連?・ソ民?・マ連?・ソ狂?・ラ創? |
---|---|
在任期間 | 2021年11月27日 - 12月4日 |
ソ社初期に参入し、ソ社崩壊後現在でも精力的に活動している。イツメン五人衆の一人。旧ソ社では書記長などを歴任した。ソ社の中でも安定を築いた政権ともいわれている。ソ社が崩壊した後にはマ連、ラ創でトップになった
2021年11月9日、ソ社に参加する。13日に蘇教(スフォーイ派)に加入。
20日に政党制へと移行すると、そのまま社会革命党へ。
23日にはスフォーイの意向で「事務副局長」職が導入されることとなり、最高会議の決定でしょきちょーはヴィルヘルムとともにその職に就いた。
その後社会革命党委員長のスフォーイがお間抜けクーデターで追放されて混乱の後にらね政権が発足すると、第二書記として初入閣を果たした。政治局同党の党員であるヘリウムと共に共同委員長となった。
27日の第5回党大会で8代目書記長に選出された。この政権では第二書記に独眼竜を指名し、ヘリウム・タービン・レヴァニラ・橋本ら経験者の他に、ほのりん・ゲッベルス・まかおの3人が初入閣を果たした。
この頃までにはソ狂に参加していたようである。
12月4日に成立したレヴァニラ政権では財務大臣として入閣。三権分立を成し遂げるために裁判所導入が最高会議にて話し合われ、無事可決されるが、しょきちょーは裁判所導入に反対の意を示していた。
12月11日成立のビスマルク政権では入閣できず。
そして月日は経ち、ソ社は崩壊ししょきちょーはマ連に加入。そして見事に4代目首相・5代目大統領になることになる。その後帝国連邦では21票17票がしょきちょーという快挙を成し遂げた
20日に政党制へと移行すると、そのまま社会革命党へ。
23日にはスフォーイの意向で「事務副局長」職が導入されることとなり、最高会議の決定でしょきちょーはヴィルヘルムとともにその職に就いた。
その後社会革命党委員長のスフォーイがお間抜けクーデターで追放されて混乱の後にらね政権が発足すると、第二書記として初入閣を果たした。政治局同党の党員であるヘリウムと共に共同委員長となった。
27日の第5回党大会で8代目書記長に選出された。この政権では第二書記に独眼竜を指名し、ヘリウム・タービン・レヴァニラ・橋本ら経験者の他に、ほのりん・ゲッベルス・まかおの3人が初入閣を果たした。
この頃までにはソ狂に参加していたようである。
12月4日に成立したレヴァニラ政権では財務大臣として入閣。三権分立を成し遂げるために裁判所導入が最高会議にて話し合われ、無事可決されるが、しょきちょーは裁判所導入に反対の意を示していた。
12月11日成立のビスマルク政権では入閣できず。
そして月日は経ち、ソ社は崩壊ししょきちょーはマ連に加入。そして見事に4代目首相・5代目大統領になることになる。その後帝国連邦では21票17票がしょきちょーという快挙を成し遂げた
当時ソ社に入りたてだったまかおぼーるはしょきちょー政権で改革相として初入閣。その後第二書記・外相を歴任。次第に力を付けていき、ソ社崩壊後はマ連を建国する。
結果的にしょきちょー氏はマ連を作った男となったのである。
結果的にしょきちょー氏はマ連を作った男となったのである。
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