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honorin1219 2023年04月03日(月) 17:19:29履歴
レヴァニラとはソ共界隈の政治家。
レヴァニラ | |
運地鰤.jpg,300 |
在籍歴のある主なグループ | ソ共?・大連?・ソ社?・ソ民?・プロ連?・ラ創?・マ連? |
---|---|
期間 | 2021.5.30〜6.5、7.10〜7.17 |
2021年5月24日に結成されたソ共連には初日に参加。選挙が始まる前の政治体制では、幹部役職は既に全部埋まっていたものの裁判局長の新設を要求し、自身が就任した。そして裁判副局長には自身のサブ垢であるスターリンbotを就任させた。
26日に選挙制度が導入され第一回党大会が行われてタービンが書記長に続投し、第二書記はスフォーイが就任。レヴァニラはKGB議長となり初代政治局入りした。
29日に派閥が形成され始めると、レヴァニラ派を結成。最初はほとんど人が集まらず一人派閥であった。
30日の第二回党大会ではスフォーイが当選。当時民主化を訴えていたラムネコーラや閑神ら実力者が政治局から外される中で、レヴァニラは国防相として入閣。この政権でレヴァニラは党大会の方式を推薦制から立候補制度に偏向するなど活躍し、次第に頭角を現し始める。
6月5日の第三回党大会ではレヴァニラ派のロシアが勝利し書記長となり、レヴァニラは第二書記となる。そしてレヴァニラ主導で法整備が行われた(レヴァニラ法)。
しかし6日、不信任決議案制度についての話し合いを妨害したカレロフィンが追放されたあと、ラムネコーラがロシア政権に対して不信任決議案を突きつける。お互いのこと対話は激化し、レヴァニラも政権側に立って参加した。結局は翌7日に政権の総辞職が決まり、8日に選挙を再度行うことで合意した。(不信任抗争)
8日の第4回党大会でレヴァニラは勝利。自派閥のゴルバチョフを第二書記につけた。
しかし9日、前書記長のロシアが急死する。世界史界隈全体に死が波及。しんろうによりゴルバチョフが第二書記を辞任すると、国家計画委員長のスフォーイを第二書記に繰り上げ、ゴルバチョフを逆に国家計画委員長に引き下げた。
10日、ロシア死去の影響からソ共を守るために、ロシアとその弟をソ共から追放。(ロシア死去事件)
11日には国民からの強い要望を受けて派閥をすべて解体。当時派閥の人数を制限するという概念は無く、レヴァニラ派は最盛期には7、8人ほどが所属していた。
12日の第5回党大会では落選するものの閣僚会議議長として入閣。
19日の第六回党大会ではhyotに対して敗北。しかし第二書記に就任して入閣。hyotが旧、レヴァニラ派出身だったため、レヴァニラ院政と揶揄された。
26日の第7回党大会でも落選するが、外相として入閣。しかし6月クーデターが勃発し、らねやカレロフィンが処罰された。
27日、クーデターで崩壊した政権が再建され、閣僚会議議長として入閣。
7月3日の第8回党大会ではまたもや落選。しかし国家計画委員長として入閣。
2023/2/3に、約1年半ぶりにマ創の大統領として政界に復帰
同年3月、ネ友と喧嘩して病んで界隈引退
26日に選挙制度が導入され第一回党大会が行われてタービンが書記長に続投し、第二書記はスフォーイが就任。レヴァニラはKGB議長となり初代政治局入りした。
29日に派閥が形成され始めると、レヴァニラ派を結成。最初はほとんど人が集まらず一人派閥であった。
30日の第二回党大会ではスフォーイが当選。当時民主化を訴えていたラムネコーラや閑神ら実力者が政治局から外される中で、レヴァニラは国防相として入閣。この政権でレヴァニラは党大会の方式を推薦制から立候補制度に偏向するなど活躍し、次第に頭角を現し始める。
6月5日の第三回党大会ではレヴァニラ派のロシアが勝利し書記長となり、レヴァニラは第二書記となる。そしてレヴァニラ主導で法整備が行われた(レヴァニラ法)。
しかし6日、不信任決議案制度についての話し合いを妨害したカレロフィンが追放されたあと、ラムネコーラがロシア政権に対して不信任決議案を突きつける。お互いのこと対話は激化し、レヴァニラも政権側に立って参加した。結局は翌7日に政権の総辞職が決まり、8日に選挙を再度行うことで合意した。(不信任抗争)
8日の第4回党大会でレヴァニラは勝利。自派閥のゴルバチョフを第二書記につけた。
しかし9日、前書記長のロシアが急死する。世界史界隈全体に死が波及。しんろうによりゴルバチョフが第二書記を辞任すると、国家計画委員長のスフォーイを第二書記に繰り上げ、ゴルバチョフを逆に国家計画委員長に引き下げた。
10日、ロシア死去の影響からソ共を守るために、ロシアとその弟をソ共から追放。(ロシア死去事件)
11日には国民からの強い要望を受けて派閥をすべて解体。当時派閥の人数を制限するという概念は無く、レヴァニラ派は最盛期には7、8人ほどが所属していた。
12日の第5回党大会では落選するものの閣僚会議議長として入閣。
19日の第六回党大会ではhyotに対して敗北。しかし第二書記に就任して入閣。hyotが旧、レヴァニラ派出身だったため、レヴァニラ院政と揶揄された。
26日の第7回党大会でも落選するが、外相として入閣。しかし6月クーデターが勃発し、らねやカレロフィンが処罰された。
27日、クーデターで崩壊した政権が再建され、閣僚会議議長として入閣。
7月3日の第8回党大会ではまたもや落選。しかし国家計画委員長として入閣。
2023/2/3に、約1年半ぶりにマ創の大統領として政界に復帰
同年3月、ネ友と喧嘩して病んで界隈引退
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