最終更新: honorin1219 2023年01月18日(水) 23:38:37履歴
香港第一帝政(香港) | |
創立 | 2022年3月12日 |
---|---|
崩壊 | 2022年11月13日 |
創始者・皇帝 | ほんこんぼーる |
前身団体 | マ連(一部) |
公用語 | 日本語(笑) |
香港第一帝政通称香港はほんこんぼーるによって作られた雑談グループである。
選挙で首相を選出することとなっており、2週間に1回選挙が行われている。皇帝はほんこんぼーるであり、彼は選挙に出ることができない。
マ連から派生して生まれたという歴史を持ち、2022年2月〜3月頃にマ連邦から派生してできたグループでは唯一栄えている。新規を多数入れたためともいわれている。
選挙で首相を選出することとなっており、2週間に1回選挙が行われている。皇帝はほんこんぼーるであり、彼は選挙に出ることができない。
マ連から派生して生まれたという歴史を持ち、2022年2月〜3月頃にマ連邦から派生してできたグループでは唯一栄えている。新規を多数入れたためともいわれている。
香港は今と昔とでは様変わりしており、現在に至るまで、脱退した者も少なくない。この項では、香港が始まったばかりの頃をを概観する。
なおこの頃の香港を主導した閑神が脱退したため、この時期そのものを神話と俗称されることも少なくない。
なおこの頃の香港を主導した閑神が脱退したため、この時期そのものを神話と俗称されることも少なくない。
2022年3月12日、マカオ連邦共和国(マ連)から派生した、架空国家の雑談グループがこの日、ほんこんぼーるによって立ち上げられた。これが後の香港第一帝政である。
このグループはマ連系列であり、かつマ連からの流入と並行して新規加入者の勧誘を大々的に行ったため、初日から27人もの人々が参加。順調な滑り出しとなった。
なお、この日の内に架空国家として香港を本拠地とすることを定め、国旗の制定も行われた。ちなみに香港の国旗の原案を作成したのはラムネコーラである。
翌日13日、公式アカウントがほんこんぼーるの手によって作成され、新たに6人が加入した。
しかし、その内の一人デーニッツが、(おそらく)誰かのブロ解によって脱退。デーニッツ再加入審議が行われたが、投票の結果は賛成2、反対5、棄権1となり、再加入は認められなかった。(デーニッツブロ解事件)
この件により、デーニッツ率いる大インドシナ帝国が香港に向けてミサイルを発射する。彼の国の報道機関によると、全弾造船所や空港に命中したとのことだが真偽は不明である。しかし彼の国との国交が断たれたのは事実である。 デーニッツ再加入審議と並行して、この国の体制を大きく決定付ける審議、"皇帝の権力を首相より大きくする法案"が皇帝自らの手によって提出。賛成0、反対6となり、全会一致で否決される。 同時に"政党制の導入審議"が開かれ、賛成4、反対3の僅差で可決される。しかし香港の気風に合わないためか未導入のまま終わってしまった。
同日20:07、公式が僅かに遅刻したが、無事に第一回香港第一帝政首相選挙が開催される。この選挙は翌日14日の20:00まで続き、閑神が対抗馬まかおぼーるを破り当選した。票数は14票、投票率は3/8であった。
閑神 7票
まかおぼーる 5票
無効票 2票 スフォーイ@鳩山由紀夫 もう一つは既に削除済
このグループはマ連系列であり、かつマ連からの流入と並行して新規加入者の勧誘を大々的に行ったため、初日から27人もの人々が参加。順調な滑り出しとなった。
なお、この日の内に架空国家として香港を本拠地とすることを定め、国旗の制定も行われた。ちなみに香港の国旗の原案を作成したのはラムネコーラである。
翌日13日、公式アカウントがほんこんぼーるの手によって作成され、新たに6人が加入した。
しかし、その内の一人デーニッツが、(おそらく)誰かのブロ解によって脱退。デーニッツ再加入審議が行われたが、投票の結果は賛成2、反対5、棄権1となり、再加入は認められなかった。(デーニッツブロ解事件)
この件により、デーニッツ率いる大インドシナ帝国が香港に向けてミサイルを発射する。彼の国の報道機関によると、全弾造船所や空港に命中したとのことだが真偽は不明である。しかし彼の国との国交が断たれたのは事実である。 デーニッツ再加入審議と並行して、この国の体制を大きく決定付ける審議、"皇帝の権力を首相より大きくする法案"が皇帝自らの手によって提出。賛成0、反対6となり、全会一致で否決される。 同時に"政党制の導入審議"が開かれ、賛成4、反対3の僅差で可決される。しかし香港の気風に合わないためか未導入のまま終わってしまった。
同日20:07、公式が僅かに遅刻したが、無事に第一回香港第一帝政首相選挙が開催される。この選挙は翌日14日の20:00まで続き、閑神が対抗馬まかおぼーるを破り当選した。票数は14票、投票率は3/8であった。
閑神 7票
まかおぼーる 5票
無効票 2票 スフォーイ@鳩山由紀夫 もう一つは既に削除済
14日、第一次閑神政権が発足する。そして、現在(6/2)までに唯一組閣をした政権となった。以下はその内閣である。
首相 閑神
外務大臣 タービン
経済担当大臣 まかおぼーる
厚生労働大臣 スフォーイ
厚生労働大臣その2(?) 隙人
環境保護大臣 ラムネコーラ
国土交通大臣 イリイチ
防衛大臣 てるん
軍部大臣 八咫烏
なぜか厚労相が二人いるという謎な事態になったが、こうして閑神政権が始まった。
16日、万雪丽が脱退。香港の自主脱退は彼が初めてである。架空国家要素より雑談要素が上回っている香港に馴染めなかったそうだ。
同じくこの日、福島県沖で最大震度6強の地震が発生。閑神首相は繰り返し避難を呼び掛け続けた。以下はその声明文である。
「首相命令です。津波注意報発令対象地域はこんなところに顔出してないで避難してください」
「繰り返します。これは首相命令です。津波注意報発令対象地域はこんなところに顔出してないで避難してください」
この声明は後に大きく評価され、閑神政権はその支持率を大幅に増やした。
17日、ふと皇帝が首相の任期について触れ、未だに定まっていないことが問題となる。そして皇帝発案により、"首相の任期を二週間とする審議"が開始。
賛成4、反対0の全会一致で採択となった。
18日、香港と中華ソビエト共和国が姉妹都市となる。しかしこれ以上関係が一切進展せず、間接的な接触はマスカットおぢさんの二国爆破事件まで待つこととなる。
なお、この辺りから"過疎"という言葉が急激に増え、実際に浮上する人がかなり減り過疎化が急速に進行していた。
20日、閑神首相が憲法草案を作成、以下が実際に提案した当時の原文となる。
香港第一帝政憲法
1条 香港第一帝政は下記の憲法1条に基づき、政治を行う。
一項:香港第一帝政は皇帝を国家元首とする。
二項:皇帝は本政府の象徴であり、政治的権限を持たない。
三項:国民投票により選ばれし候補者が皇帝より任命され、首相となる。
四項:首相は政治的権限を持ち、組閣や立法草案などの権利を持つ。
五項:首相は国民より数名、信頼できるものを選抜し、組閣を行うことができる。
六項:国家の独裁を防ぐため、首相の任期は2週間とする。再選は可能とする。
七項:組閣時に首相により任命されたものは拒否権を持つ。
2条 香港第一帝政グループ内では以下のことを禁止する。
一項:暴言や誹謗中傷など、特定の相手を不快にさせる発言をここに固く禁ずる。
二項:ヘイトスピーチなど、不特定多数の相手を不快にさせる発言をここに固く禁ずる。
三項:下ネタなど、一部の者を直接に批判してはいなくても、不快な思いにさせる可能性のある発言をここに固く禁ずる。
四項:投票上の公平を記す為、別人のフリをした複数のアカウントを同時にグループに入れることをここに固く禁ずる。
これを皇帝の名のもと受理。実際に今現在の憲法でも、この草案部分がしっかりと残されており、閑神政権を評価する有力な根拠となっている。また、この時採決を取らなかったのは、既に過疎が深刻なレベルまで来ていたからであると考えられている。
21日、過疎化脱却を図るため…という名目の下、香港第一帝政の植民地についての議論が行われた。紆余曲折ありながらも、最終的にHoi4のKRのような条約都市がモデルとなり植民地が決定した。また、植民地を統治する総督が設置され、首相の閑神は台湾と膨湖諸島の植民地総督に就任した。 また同日、かつて審議によって再加入が否定されたカール・デーニッツによる挑発により、正式に大インドシナ帝国との国交が断絶する。しかし、直後にデーニッツが失脚。彼は宰相の地位を終われ、香港公式アカウントは勝利声明を出した。一連の騒動の後、新政権側からの打診で国交を回復する準備が進められた。
22日、この日の夜、前日の国交回復交渉の一貫で大インドシナ帝国の新政権と首脳会談が行われた。
23日、前日の会談によって、無事に大インドシナ帝国と国交が回復された。また、マカオ=インペリ戦争における局外中立が発表された。 これら大インドシナ帝国をめぐる一連の出来事は、閑神政権下でも一際架空国家的要素が強く、特に21〜23日の3日間をインドシナ交渉?と呼ぶことがある。
24日、新たな植民地総督として、大連総督に渡部恒三(現橋本龍太郎)が、上海>上海地域?総督にKizi223?が立候補し就任。 また、就任直後に橋本龍太郎がラジオと呼称するトークを開始。皇帝が追認しラジオ?制度構想というものが生まれた。更に、Kizi223がラジオ上海という広報用のアカウントを設立し、この構想を完全に確立させた。
またこの日、閑神首相の手によって前wikiが作成される。これは制作者の閑神が香港を脱退した後も、ノラカノテ?による香港第一帝政wiki荒らし事件?が発生する7月中旬まで、長きに渡って使用されることになる。
26日、新たに杭州総督にスフォーイが、交趾都督にタービンが就任する。ちなみに、都督は総督と同格である。 また、入国審査を専門とする入国管理局が設立される。しかし、有効に活用出来ないまま廃れることになる。
27日午前9時ちょうど、皇帝が用事のため席を外し、代理として閑神首相のもと第2回香港第一帝政首相選挙?が開催された。結果として、現首相の閑神と前回に引き続き出馬したまかおぼーる、そして新たに立候補したゆうぼー?の3人が同数の3票を獲得したことにより、異例の決選投票が行われる運びとなった。 なお同日、北京総督にイリイチが就任したのだが、この日の選挙によって完全に忘れ去られている。
28日、第2回首相選挙の決選投票が開催された。しかし、前日の接戦が嘘だったかのようにかなりあっさりと決着が着き、閑神が他二人を突き放し続投が決定した。
首相 閑神
外務大臣 タービン
経済担当大臣 まかおぼーる
厚生労働大臣 スフォーイ
厚生労働大臣その2(?) 隙人
環境保護大臣 ラムネコーラ
国土交通大臣 イリイチ
防衛大臣 てるん
軍部大臣 八咫烏
なぜか厚労相が二人いるという謎な事態になったが、こうして閑神政権が始まった。
16日、万雪丽が脱退。香港の自主脱退は彼が初めてである。架空国家要素より雑談要素が上回っている香港に馴染めなかったそうだ。
同じくこの日、福島県沖で最大震度6強の地震が発生。閑神首相は繰り返し避難を呼び掛け続けた。以下はその声明文である。
「首相命令です。津波注意報発令対象地域はこんなところに顔出してないで避難してください」
「繰り返します。これは首相命令です。津波注意報発令対象地域はこんなところに顔出してないで避難してください」
この声明は後に大きく評価され、閑神政権はその支持率を大幅に増やした。
17日、ふと皇帝が首相の任期について触れ、未だに定まっていないことが問題となる。そして皇帝発案により、"首相の任期を二週間とする審議"が開始。
賛成4、反対0の全会一致で採択となった。
18日、香港と中華ソビエト共和国が姉妹都市となる。しかしこれ以上関係が一切進展せず、間接的な接触はマスカットおぢさんの二国爆破事件まで待つこととなる。
なお、この辺りから"過疎"という言葉が急激に増え、実際に浮上する人がかなり減り過疎化が急速に進行していた。
20日、閑神首相が憲法草案を作成、以下が実際に提案した当時の原文となる。
香港第一帝政憲法
1条 香港第一帝政は下記の憲法1条に基づき、政治を行う。
一項:香港第一帝政は皇帝を国家元首とする。
二項:皇帝は本政府の象徴であり、政治的権限を持たない。
三項:国民投票により選ばれし候補者が皇帝より任命され、首相となる。
四項:首相は政治的権限を持ち、組閣や立法草案などの権利を持つ。
五項:首相は国民より数名、信頼できるものを選抜し、組閣を行うことができる。
六項:国家の独裁を防ぐため、首相の任期は2週間とする。再選は可能とする。
七項:組閣時に首相により任命されたものは拒否権を持つ。
2条 香港第一帝政グループ内では以下のことを禁止する。
一項:暴言や誹謗中傷など、特定の相手を不快にさせる発言をここに固く禁ずる。
二項:ヘイトスピーチなど、不特定多数の相手を不快にさせる発言をここに固く禁ずる。
三項:下ネタなど、一部の者を直接に批判してはいなくても、不快な思いにさせる可能性のある発言をここに固く禁ずる。
四項:投票上の公平を記す為、別人のフリをした複数のアカウントを同時にグループに入れることをここに固く禁ずる。
これを皇帝の名のもと受理。実際に今現在の憲法でも、この草案部分がしっかりと残されており、閑神政権を評価する有力な根拠となっている。また、この時採決を取らなかったのは、既に過疎が深刻なレベルまで来ていたからであると考えられている。
21日、過疎化脱却を図るため…という名目の下、香港第一帝政の植民地についての議論が行われた。紆余曲折ありながらも、最終的にHoi4のKRのような条約都市がモデルとなり植民地が決定した。また、植民地を統治する総督が設置され、首相の閑神は台湾と膨湖諸島の植民地総督に就任した。 また同日、かつて審議によって再加入が否定されたカール・デーニッツによる挑発により、正式に大インドシナ帝国との国交が断絶する。しかし、直後にデーニッツが失脚。彼は宰相の地位を終われ、香港公式アカウントは勝利声明を出した。一連の騒動の後、新政権側からの打診で国交を回復する準備が進められた。
22日、この日の夜、前日の国交回復交渉の一貫で大インドシナ帝国の新政権と首脳会談が行われた。
23日、前日の会談によって、無事に大インドシナ帝国と国交が回復された。また、マカオ=インペリ戦争における局外中立が発表された。 これら大インドシナ帝国をめぐる一連の出来事は、閑神政権下でも一際架空国家的要素が強く、特に21〜23日の3日間をインドシナ交渉?と呼ぶことがある。
24日、新たな植民地総督として、大連総督に渡部恒三(現橋本龍太郎)が、上海>上海地域?総督にKizi223?が立候補し就任。 また、就任直後に橋本龍太郎がラジオと呼称するトークを開始。皇帝が追認しラジオ?制度構想というものが生まれた。更に、Kizi223がラジオ上海という広報用のアカウントを設立し、この構想を完全に確立させた。
またこの日、閑神首相の手によって前wikiが作成される。これは制作者の閑神が香港を脱退した後も、ノラカノテ?による香港第一帝政wiki荒らし事件?が発生する7月中旬まで、長きに渡って使用されることになる。
26日、新たに杭州総督にスフォーイが、交趾都督にタービンが就任する。ちなみに、都督は総督と同格である。 また、入国審査を専門とする入国管理局が設立される。しかし、有効に活用出来ないまま廃れることになる。
27日午前9時ちょうど、皇帝が用事のため席を外し、代理として閑神首相のもと第2回香港第一帝政首相選挙?が開催された。結果として、現首相の閑神と前回に引き続き出馬したまかおぼーる、そして新たに立候補したゆうぼー?の3人が同数の3票を獲得したことにより、異例の決選投票が行われる運びとなった。 なお同日、北京総督にイリイチが就任したのだが、この日の選挙によって完全に忘れ去られている。
28日、第2回首相選挙の決選投票が開催された。しかし、前日の接戦が嘘だったかのようにかなりあっさりと決着が着き、閑神が他二人を突き放し続投が決定した。
30日、界隈の国家を集めたインターナショナル(通称国連)が新設されることを受け、香港も代表団を選抜することになる。また、代表団の人数は国民の数によって決まるため、サブアカウントを入れる運動が行われた。 結果、39個だったアカウントが61個にまで増加し、この運動自体に盛り上がりが見られるようになった。このまま盛り上がりが続くのか…と思われたが、突然の国連壊滅の一報により全てが頓挫した。なおこの間僅か1時間。(国連加盟運動?)
4月3日、皇帝が香港初の低浮上者蹴りを敢行した。前述の国連加盟運動の際に、入れるだけ入れて放置されていたサブアカウントを含め、13個のアカウントが脱退した。
7日、ヴィクトリア共和国からの提案で、同国と友好条約及び通商条約を締結、友好国となる。しかしその後、現在に至るまで交流等は特に行われていない。 同日、香港の主要人物の見なされていたまかおぼーるとゆうぼーが相次いで脱退するという事件が発生。 特に悲惨な所が、まかおぼーるは意味不明な理由で、ゆうぼーに関しては理由さえ告げずにただの便乗で離脱した点である。香港の凋落振りが目に見えた事件であった。
11日、そんな過疎の真っ只中の香港において、第3回香港第一帝政首相選挙?が開催される。前回に引き続き三期目を目指す閑神と、新しく出馬したマスカットおぢさんと友引?の3人で接戦が演じられるかと思われたが、以外にもあっさりとマスカットおぢさんが当選した。 過疎の全盛期とも言えるこの時期に開催したためか、総票数は香港史上最低の8票であった。
4月3日、皇帝が香港初の低浮上者蹴りを敢行した。前述の国連加盟運動の際に、入れるだけ入れて放置されていたサブアカウントを含め、13個のアカウントが脱退した。
7日、ヴィクトリア共和国からの提案で、同国と友好条約及び通商条約を締結、友好国となる。しかしその後、現在に至るまで交流等は特に行われていない。 同日、香港の主要人物の見なされていたまかおぼーるとゆうぼーが相次いで脱退するという事件が発生。 特に悲惨な所が、まかおぼーるは意味不明な理由で、ゆうぼーに関しては理由さえ告げずにただの便乗で離脱した点である。香港の凋落振りが目に見えた事件であった。
11日、そんな過疎の真っ只中の香港において、第3回香港第一帝政首相選挙?が開催される。前回に引き続き三期目を目指す閑神と、新しく出馬したマスカットおぢさんと友引?の3人で接戦が演じられるかと思われたが、以外にもあっさりとマスカットおぢさんが当選した。 過疎の全盛期とも言えるこの時期に開催したためか、総票数は香港史上最低の8票であった。
12日、第三回首相選挙にて、マスカットおぢさんが勝利し首相に就任した。 当時の香港は37人が在籍していたのたが、この選挙で集まった有効投票数は8票だけであり、過疎対策は急務であった。 そこで、まずは低浮上者を洗い出すためリストを作成。次に新規入国者を集めるため、個人DMにて直接勧誘という手法に踏み切った。また、全権委任法も通過させ、活動のための体制を盤石にした。 これらが功を奏し、香港は復活への道のりを歩み始めるのだが、当初は結構悲観的に見られており、会話も弾まなかった。
13日、マスカットおぢさんは前述した手法の勧誘によって6人を加入させるという破格の成果を叩き出した。 特に、たらなま?とぎんが?を加入させた事は大きい功績であり、香港において久しく見なかった盛り上がりを見せた。 しかし同日、中浮上だった独眼竜や、入って一日も経ってなかったたらなまも脱退する。更には主要人物と見なされていた閑神も脱退を仄めかせたことで、一筋縄では解決出来ない問題ということを突き付けられる形となった。
14日、初日に挙げた手法によって、界隈の有名人である、大東亜戦争に勝った大日本帝國?が加入する。 この出来事はマスカットおぢさんの有能をアピールするためによく言われるが、当時の寂れた香港には青天の霹靂であり、当時から在籍するメンバーが彼を評価する大きな根拠になる程度には凄まじいことであった。
しかし、結局この日も会話が盛り上がらずに終わってしまった。
15日、復興の日とも呼ぶべきその日は、過疎対策の成功をはっきりと見せた。 その辺のグループと比較しても、全く見劣りがしないくらい雑談が盛り上がったのである。すなわち、香港の最大の敵であった過疎を脱却したのだ。 ちなみにこの日、香港第一帝政迷言集?が作られたが、現在は活動していない。
16日、盛況振りは一切衰えず、15:00より皇帝主催のスペース、FM香港の一回目が行われた。また、Kizi223?を資料改竄大臣に任命した。
17日、この日、非常に様々な出来事が起きた。 まず、ふと建国してから1ヶ月が経過していたことが話題に持ち出され、その勢いのまま建国1ヶ月祭が開催される。衰退期の香港を懐古したり、スフォーイが皇帝位を僭称したり(皇太子クーデター事件?)した。 次に、香港の内輪ネタの元祖とも呼ばれる、ほら、しんのすけ、見てみろ。構文?が開発された。 更には、済州島・対馬植民地が新設が採決によって決定された。(なお現在も総督は決まってない。) そして、香港初のコミュニティ(初代コミュニティ?)がぎんがによって作られた。 また、多くの大臣が設置され、
このように任命された。
また同日、れらんが入国したことにより、若干荒れた。しかし、あくまで若干であったため、そもそも荒れてなかったと主張する者もいる。(4.17の騒乱?) この時点で、過疎は完全に無くなったと言っても過言ではなく、マスカットおぢさんは「やることないので辞任するまでお」と言い放ち、首相代理に閑神を指名し、流れるように辞任した。
13日、マスカットおぢさんは前述した手法の勧誘によって6人を加入させるという破格の成果を叩き出した。 特に、たらなま?とぎんが?を加入させた事は大きい功績であり、香港において久しく見なかった盛り上がりを見せた。 しかし同日、中浮上だった独眼竜や、入って一日も経ってなかったたらなまも脱退する。更には主要人物と見なされていた閑神も脱退を仄めかせたことで、一筋縄では解決出来ない問題ということを突き付けられる形となった。
14日、初日に挙げた手法によって、界隈の有名人である、大東亜戦争に勝った大日本帝國?が加入する。 この出来事はマスカットおぢさんの有能をアピールするためによく言われるが、当時の寂れた香港には青天の霹靂であり、当時から在籍するメンバーが彼を評価する大きな根拠になる程度には凄まじいことであった。
しかし、結局この日も会話が盛り上がらずに終わってしまった。
15日、復興の日とも呼ぶべきその日は、過疎対策の成功をはっきりと見せた。 その辺のグループと比較しても、全く見劣りがしないくらい雑談が盛り上がったのである。すなわち、香港の最大の敵であった過疎を脱却したのだ。 ちなみにこの日、香港第一帝政迷言集?が作られたが、現在は活動していない。
16日、盛況振りは一切衰えず、15:00より皇帝主催のスペース、FM香港の一回目が行われた。また、Kizi223?を資料改竄大臣に任命した。
17日、この日、非常に様々な出来事が起きた。 まず、ふと建国してから1ヶ月が経過していたことが話題に持ち出され、その勢いのまま建国1ヶ月祭が開催される。衰退期の香港を懐古したり、スフォーイが皇帝位を僭称したり(皇太子クーデター事件?)した。 次に、香港の内輪ネタの元祖とも呼ばれる、ほら、しんのすけ、見てみろ。構文?が開発された。 更には、済州島・対馬植民地が新設が採決によって決定された。(なお現在も総督は決まってない。) そして、香港初のコミュニティ(初代コミュニティ?)がぎんがによって作られた。 また、多くの大臣が設置され、
CRY&Weep of sob? | 軍大臣 |
スフォーイ | 迷言大臣 |
閑神 | 下ネタ取り締まり大臣 |
迷言集 | 迷言取り締まり大臣 |
また同日、れらんが入国したことにより、若干荒れた。しかし、あくまで若干であったため、そもそも荒れてなかったと主張する者もいる。(4.17の騒乱?) この時点で、過疎は完全に無くなったと言っても過言ではなく、マスカットおぢさんは「やることないので辞任するまでお」と言い放ち、首相代理に閑神を指名し、流れるように辞任した。
5月3日、ぎんが?が首相に就任する。
7月23日、当wikiが荒らされるという事件が発生した。 wikiの各ページには、崩壊した等の言葉が記載されていた。
8月2日、香港ガスト事件 マスおぢやラムネがソ民爆破を企てた事件。結果は未遂に終わり、マスおぢ、ラムネなどは謹慎処分となった。 首相代理にユーリが就任
歴史は謎が多く、残りは分からない。
11/13日に香港マイクラで荒らしが行われ、その犯人探しがレスバに発展しそのまま音を立てるように崩壊。朝鮮半島のようにほんこんぼーる主導の香港維新政府、ほのりん主導の香港共和国に分裂、両者は別々の道を歩むことになる。
7月23日、当wikiが荒らされるという事件が発生した。 wikiの各ページには、崩壊した等の言葉が記載されていた。
8月2日、香港ガスト事件 マスおぢやラムネがソ民爆破を企てた事件。結果は未遂に終わり、マスおぢ、ラムネなどは謹慎処分となった。 首相代理にユーリが就任
歴史は謎が多く、残りは分からない。
11/13日に香港マイクラで荒らしが行われ、その犯人探しがレスバに発展しそのまま音を立てるように崩壊。朝鮮半島のようにほんこんぼーる主導の香港維新政府、ほのりん主導の香港共和国に分裂、両者は別々の道を歩むことになる。
任期は2週間。連続で立候補することも何回立候補することも許されている。
代数 | 氏名 | 備考 | 任期 |
---|---|---|---|
1 | 閑神 | 任期満了 | 2021年3月14日〜3月28日 |
2 | 閑神 | 任期満了 | 3月28日〜4月11日 |
3 | マスカットおぢさん | 辞任 | 4月12日〜4月17日 |
閑神 | 代理 | 4月17日〜4月18日 | |
4 | スフォーイ | 辞任 | 4月18日〜4月27日 |
マスカットおぢさん | 代理 | 4月27日〜5月2日 | |
5 | ぎんが? | 任期満了 | 5月3日〜5月17日 |
6 | フランス第三共和制? | 辞任 | 5月18日〜5月25日 |
ぎんが? | 代理 | 5月25日〜5月27日 | |
7 | ぎんが? | 任期満了 | 5月27日〜6月11日 |
8 | スフォーイ | 任期満了 | 6月11日〜6月25日 |
9 | 水無瀬 | 任期満了 | 6月26日〜7月11日 |
10 | kizi | 自主謹慎 | 7月11日〜7月24日 |
マスカットおぢさん | 代理 | 7月24日〜7月25日 | |
11 | マスカットおぢさん | 謹慎 | 7月25日〜8月2日 |
ユーリ・アンドロポフ | 代理 | 8月2日〜8月6日 | |
12 | えすまじゃ | 任期満了 | 8月6日〜8月20日 |
13 | 水無瀬 | 任期満了 | 8月20日〜9月3日 |
14 | しょきちょー | 任期満了 | 9月3日〜9月18日 |
15 | ほのりん | 任期満了 | 9月18日〜9月30日 |
16 | ユーリ・アンドロポフ | 任期満了 | 10月1日〜10月14日 |
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