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macauball1220 2024年05月07日(火) 10:24:56履歴
まかおぼーるとは、インドのマレン族の民族料理。
所属政党に関してはこちらも参照
まかおぼーる | |
在籍歴のある主なグループ | 上海、マ連、大埼玉、ソ民、マ創、べ連、香港、ラ創、ソ狂連、ソ社 |
---|---|
称号 | 期待の新人 |
特筆 | マ連、上海、大埼玉創始者 |
期間 | 2021年12月4日 - 12月11日 |
期間 | 2021年12月27日-2022年1月2日 |
2022年1月17日-1月23日 | |
2022年2月28日-3月6日 | |
期間 | 2022年5月28日-11月9日 |
期間 | 2022年6月19日 - 6月26日 |
期間 | 2022年8月26日 - 9月3日 |
2022年10月29日-11月4日 | |
2023年8月8日-8月8日 | |
期間 | 2023年5月28日 - 6月4日 |
選挙区 | (旧5人区→) 3人区 |
当選回数 | 9回 |
期間 | 2023年4月9日-4月22日 |
2023年5月2日-5月6日 | |
2023年6月24日-7月5日 | |
2023年7月8日-8月5日 | |
2023年8月26日-9月16日 | |
2023年9月22日-10月16日 |
その他の界隈でのキャリア(笑) | ソ社改革相 ソ社民社党委員長 新生党代表 正義党代表 自由統一党代表 国民新政党幹事長 国民新政党政調会長 西川きよし党代表 次世代のマ創暫定代表 |
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所属政党 | (社会革命党→) (民主社会党→) (無所属→) (民主社会党→) (国民の力→) (国民新党→) (マカオ進歩党→) (マカオパチプロ党→) (マカオのための選択肢→) (無所属→) (ベルリン共産党→) (労働党→) (憲進会→) (無所属→) (民生党→) (無所属→) (民主社会党→) (新生党→) (無所属→) (社生党→) (民生党→) (急進的共産主義者同盟→) (正義党→) (無所属→) (マ創社会党→) (マ創改革党→) (自由統一党→) (澳門糾創統一党→) (国民新政党→) (ふゆぅ〜!!→) (北辰共産党→) (無所属→) (西川きよし党→) (北辰共産党→) (マ創共産党→) (創造民主党→) (新党カメイ→) (我らの選択肢→) (西川きよし党→) (次世代のマ創→) (無所属→) (ブレイキングダウン党→) 無所属 |
ソ共界隈に入ったのは2021年末であり、11月頃ソ社に入国した。ソ社に入った最初の頃はあまり活躍がなかったがしょきちょー政権になると改革大臣に任命された。その後は社会革命党を離党し民主社会党(民社党?)を結成し書記長選挙に挑むもレヴァニラに敗北。だがレヴァニラから第二書記に任命された。その後のビスマルク政権でも外相となり三期連続政治局に入局した。またこの頃ソ社が崩壊した。
ソ社崩壊後マ連結成の中心となった。そしてヤゾフ(ゆうぼー)と共に多選大統領として暴れてきた。
マ連が荒れる原因の1つを作っており、それを自負していた。吉野家事件で荒れたのもこいつのせいである。
最初の方は政党制を成立させるなど架空国家路線賛成派だったものの、途中からは一転、マ連の架空国家路線には反対していくこととなる。また途中まではマ連崩壊に強硬に反対していたが、らいんと率いる“国家”安全保障会議が権限を増していくと共に崩壊賛成派へと転じる。5月28日にクーデターを決行し、2週間の謹慎となる。その翌日にマ連は崩壊した。
クーデターから1日でマ連が崩壊したことから、マ連はまかおぼーるの反対によって首の皮一枚で繋がっていたという意見もある。
現在は政界の最前線を退き、共産趣味者の集い以外での選挙に出馬していない。香港、ソ民、上海を中心に生きている。と思ったらやっぱり飽きて新マ連を架空国家化した。懲りずに選挙に立候補して勝利、初代大統領に就任。ちなみに香港をある意味神聖な場所と捉えており、香港では選挙に立候補しないことを約束している。
新しくヘリウムが作ったマ創では第4代大統領に就任した。
ソ社崩壊後マ連結成の中心となった。そしてヤゾフ(ゆうぼー)と共に多選大統領として暴れてきた。
マ連が荒れる原因の1つを作っており、それを自負していた。吉野家事件で荒れたのもこいつのせいである。
最初の方は政党制を成立させるなど架空国家路線賛成派だったものの、途中からは一転、マ連の架空国家路線には反対していくこととなる。また途中まではマ連崩壊に強硬に反対していたが、らいんと率いる“国家”安全保障会議が権限を増していくと共に崩壊賛成派へと転じる。5月28日にクーデターを決行し、2週間の謹慎となる。その翌日にマ連は崩壊した。
クーデターから1日でマ連が崩壊したことから、マ連はまかおぼーるの反対によって首の皮一枚で繋がっていたという意見もある。
現在は政界の最前線を退き、共産趣味者の集い以外での選挙に出馬していない。香港、ソ民、上海を中心に生きている。と思ったらやっぱり飽きて新マ連を架空国家化した。懲りずに選挙に立候補して勝利、初代大統領に就任。ちなみに香港をある意味神聖な場所と捉えており、香港では選挙に立候補しないことを約束している。
新しくヘリウムが作ったマ創では第4代大統領に就任した。
2020年3月の休校を機にツイッターを初め、当初は淫夢界隈にいた。2021年3月以降はなりきり界隈へ。スパイ騒動をはじめとしたいくつもの問題を起こしている。「まかおぼーる」を名乗り始めてなりきり界隈から距離を置いた後は特にグループや界隈に所属することはなかったが、ゴルビーから勧誘を受けて同年11月頃ソ共界隈で当時栄えていたソ社にたどり着いた。
書記長選挙に出馬するために社革党を離党し、自ら民社党を立ち上げ委員長に就任。
レヴァニラ政権で第二書記、ビスマルク政権で外務相を務め、ソ社は散っていった。ちなみに閣僚の中では唯一ソ社崩壊に反対していた。
レヴァニラ政権で第二書記、ビスマルク政権で外務相を務め、ソ社は散っていった。ちなみに閣僚の中では唯一ソ社崩壊に反対していた。
初期においては権力を維持できていたが、だんだん権力を奪われるようになっていた。
四選禁止法が出来てからは結局権力闘争を諦め、興味を持たなくなっていった。権力闘争が原因でマ連荒れてもあまり意見を出さなくなり、2回ほど離脱している。
四選禁止法が出来てからは結局権力闘争を諦め、興味を持たなくなっていった。権力闘争が原因でマ連荒れてもあまり意見を出さなくなり、2回ほど離脱している。
四選禁止法が解除されて立候補自体はするようになったものの、以前のように圧勝できなくなった。
選挙ではなく雑談だと気付いたのか、メインで話すグループをソ民や香港に移すこととした。本来の界隈は実は雑談であり、権力闘争ではなく雑談に立ち返ることが大切と説いている。
選挙ではなく雑談だと気付いたのか、メインで話すグループをソ民や香港に移すこととした。本来の界隈は実は雑談であり、権力闘争ではなく雑談に立ち返ることが大切と説いている。
ベ連(新マ連から改称)に参加した。新マ連の動きには消極的だったが、1ヶ月も選挙がないことに飽きてきたためベ連への関与を強めていく。
新マ連からの国名変更や選挙・政党制導入を積極的に当時の臨時大統領であるあいうえおかきくけこに提言した。
大統領選挙に立候補して初代大統領に就任。マ連でのお間抜け閣僚から態度を一転、真面目な閣僚で埋め尽くした。
新マ連からの国名変更や選挙・政党制導入を積極的に当時の臨時大統領であるあいうえおかきくけこに提言した。
大統領選挙に立候補して初代大統領に就任。マ連でのお間抜け閣僚から態度を一転、真面目な閣僚で埋め尽くした。
澳創の建国に伴い、選挙グルをあまり分散させるべきではないと判断し、ベ連を爆破することを決意する。そしてサブ垢を使って爆破することに成功する。コスモスによって復活するものの、色々あって完全に崩壊。
新しくできたマ創では民社党を結成。第1回選挙に立候補するも次点で落選。第2〜3回選挙は他の民社党員が立候補したものの、これまた次点で落選する。第4回選挙では再び立候補。初当選を果たす。
また初めてマ創で政治局入りすることとなった。
早速政治局員の人員を7人から9人にすることに成功した。
また初めてマ創で政治局入りすることとなった。
早速政治局員の人員を7人から9人にすることに成功した。
公式垢を使い、モン安倍(とされる人物)を蹴ったため永久追放となる。長きにわたる復帰交渉が実を結び、てるん大統領によって恩赦された。
復帰後は新生党の後継政党である社生党に復党。その後は独眼竜大統領によって政治局入りした。
復帰後は新生党の後継政党である社生党に復党。その後は独眼竜大統領によって政治局入りした。
まかおは11/29に青島にてスパム禁止法が作られることを知った。「作られる前にラストスパムをしよう!」といいうどんスパムを行い、真田?とほのりんとあ行?にどんどん罪を重たくされ、最終的に永久追放にされて青島から追放された。
その頃マ創では会派という制度(複数の政党が組んでたくさんの人を入れれるもの)があり、25名の社会ポム労働会派という物が内閣を支配しており、その中の人々からまかおはヘイトを買っていた。マ創造 における予防的追放(その名の通り他グループで荒らしをした場合マ創で追放するというもの)を前述の青島スパムにおいて満たしているため、マ創からほぼ全会一致で追放が決定されまかおぼーるはマ創から追放された。そしてその衝撃のあまりまかおは第四世界にて界隈を引退する旨を公表し、Twitterのアカウント名をあかぺん大佐へと変更した。後々マスカットおぢさんが作成した、ソ人に入るものの界隈グループということを知ったあとすぐ抜けているのをみると界隈引退は本心であることが伺える。現在は大埼玉合衆国というグループを作って運営している。
その頃マ創では会派という制度(複数の政党が組んでたくさんの人を入れれるもの)があり、25名の社会ポム労働会派という物が内閣を支配しており、その中の人々からまかおはヘイトを買っていた。マ創造 における予防的追放(その名の通り他グループで荒らしをした場合マ創で追放するというもの)を前述の青島スパムにおいて満たしているため、マ創からほぼ全会一致で追放が決定されまかおぼーるはマ創から追放された。そしてその衝撃のあまりまかおは第四世界にて界隈を引退する旨を公表し、Twitterのアカウント名をあかぺん大佐へと変更した。後々マスカットおぢさんが作成した、ソ人に入るものの界隈グループということを知ったあとすぐ抜けているのをみると界隈引退は本心であることが伺える。現在は大埼玉合衆国というグループを作って運営している。
新たに作った大埼玉合衆国というグループに居たまかお、しかしメイニャの目とかいう界隈民のサブ垢と思われるものが混じっており、まかおは激怒した。その後大埼玉wikiが爆破され悲しみのあまりTwitterのアカウントを消すことに繋がったのだった…
これにてまかおの1年にわたる界隈生活は完全に幕を閉じることとなり、まかおにブロられたが為にかなりの数の人が旧政治局等から蹴られる二次災害が勃発した。
これにてまかおの1年にわたる界隈生活は完全に幕を閉じることとなり、まかおにブロられたが為にかなりの数の人が旧政治局等から蹴られる二次災害が勃発した。
ほのりんの計らいによってマ創社会党に入党し、政治活動を再開。議員を2期と副大統領をつとめた。
マ創以外では大埼玉合衆国を建国した。なお大埼玉の選挙システムはコーキノスをパクったものとなっている。
6/10、所属していたマ創改革党で離党騒ぎがあったため、便乗して離党し、その後は1人政党である自由統一党を結成。しかしその1日後には澳門糾創統一党に入党。その2日後に国民新政党を結成。
マ創以外では大埼玉合衆国を建国した。なお大埼玉の選挙システムはコーキノスをパクったものとなっている。
6/10、所属していたマ創改革党で離党騒ぎがあったため、便乗して離党し、その後は1人政党である自由統一党を結成。しかしその1日後には澳門糾創統一党に入党。その2日後に国民新政党を結成。
8/6、モン安倍に大統領選挙で敗北し、副大統領になった。国民新政党が崩壊したためスフォーイのふゆぅ〜に入党したが1日で離党し共産党へ。しかしこの渡り鳥行為には批判が相次いだ。その後モン安倍の辞任に伴い大統領に昇格するも、上記の議論によって1日足らずで辞任した。辞任する際には下ネタを吐き、自動失職という形で大統領を辞任した。
大統領辞任後は一旦は政界の引退宣言をしたが、すぐに撤回して政界復帰宣言。運良く議員に無投票で当選した。当選後は西川きよし党を結成し、古巣の共産党と統一会派を組んだ。その1週間後には共産党に合流し、第三極への挑戦は終わった。
政治ネタを取り扱う大連を建国し現在に至るまで運営をしている。最終的に大統領選は廃止され、架空国家ではなくあくまで雑談グループとして存続している。
マ創跡地から脱退し、現在は大連とヒムランドのみに在籍する。
マ創跡地から脱退し、現在は大連とヒムランドのみに在籍する。
グループ | 選挙 | 所属政党 | 票数 | 当落 |
---|---|---|---|---|
ソ社 | 第6回書記長選 | 民社党 | 9票 | 落選 |
ソ社 | 第7回書記長選 | 民社党 | ?票 | 落選 |
マ連 | 第1回大統領選 | 無所属 | 14票 | 当選 |
マ連 | 第4回大統領選 | 無所属 | 7票 | 当選 |
マ連 | 第10回大統領選 | 無所属 | 15票 | 当選 |
マ連 | 第18回大統領選 | 無所属 | 13票 | 落選 |
マ連 | 第19回大統領選 | 無所属 | 11票 | 落選 |
マ連 | 第23回大統領選 | 無所属 | 1票 | 落選 |
ベ連 | 第1回大統領選 | 共産党 | 9票 | 当選 |
ベ連 | 第4回大統領選 | 無所属(民生党) | 4票 | 落選 |
マ創 | 第1回大統領選 | 民社党 | 6票 | 落選 |
マ創 | 第4回大統領選 | 民社党 | 11票 | 当選 |
マ創 | 第13回大統領選 | 社生党 | 18票 | 当選 |
マ創 | 第10回5人区選 | マ創社会党 | 4票 | 当選(2位) |
マ創 | 第11回5人区選 | マ創社会党 | 4票 | 落選(6位) |
マ創 | 第11回5人区補選 | マ創社会党 | 10票 | 当選(1位) |
マ創 | 第30回大統領選 | マ創改革党 | 9票 | 落選 |
マ創 | 第11回5人区補選 | マ創改革党 | 10票 | 当選(1位) |
マ創 | 第4回3人区選 | 国民新政党 | 無投票 | 当選 |
マ創 | 第5回3人区選 | 国民新政党 | 6票 | 当選(1位) |
マ創 | 第6回3人区選 | 国民新政党 | 8票 | 当選(1位) |
マ創 | 第25回5人区選 | 無所属 | 無投票 | 当選 |
ソ社時代、初期は社会革命党に所属していた。しかし書記長選挙に出れなかったため民主社会党を自ら結成し離党。書記長になるという夢を果たせぬままソ社は崩壊。
マ連時代では政党制が長らく存在しなかったため無所属であった。政党制が導入された際には民社党を復活させる。しかし組織が大きくなりすぎたため離党する。ここからの流れは割愛するが、最終的に無所属に落ち着く。結局マ連での政党制は約1ヶ月で幕を閉じた。
ベ連では共産党に所属。初代大統領になる。共産党が強すぎると問題になったため人数制限をかけることとなり、共産党を離党し労働党を結成。その後はゆうぼーの憲進会に入党し、彼の大統領就任に尽力するもその後離党、無所属になる。最終的に民生党を結成するが、自らベ連でクーデターを起こし、その翌日ベ連は崩壊。
新しくできた澳創では再び民社党を結成した。3回目までの選挙では僅差で競り負けたものの、4回目の選挙で勝利を飾る。ついに民社党は与党になる。
その後は民社党を抜けて新生党結成。しかし離脱して未来の党を結成。その2日後には新生党の後継である社生党に復党。その後は社生党の後継である民生党を離脱して急共に入党するが、1週間後に除名される。正義党を結成するも、界隈を引退したため自動的に解散。
23年4月に恩赦されマ創に復帰。急共の後継であるマ創社会党に復党した。5月、社会党は星野源党と合流してマ創改革党となった。
6月10日、改革党で離党騒ぎが起きると便乗して離党。自由統一党を結成する。しかしその1日後には澳門糾創統一党に合流。旧改革党や社会淫ク党勢力の結集を目指し、14日には国民新政党を結成した。
マ連時代では政党制が長らく存在しなかったため無所属であった。政党制が導入された際には民社党を復活させる。しかし組織が大きくなりすぎたため離党する。ここからの流れは割愛するが、最終的に無所属に落ち着く。結局マ連での政党制は約1ヶ月で幕を閉じた。
ベ連では共産党に所属。初代大統領になる。共産党が強すぎると問題になったため人数制限をかけることとなり、共産党を離党し労働党を結成。その後はゆうぼーの憲進会に入党し、彼の大統領就任に尽力するもその後離党、無所属になる。最終的に民生党を結成するが、自らベ連でクーデターを起こし、その翌日ベ連は崩壊。
新しくできた澳創では再び民社党を結成した。3回目までの選挙では僅差で競り負けたものの、4回目の選挙で勝利を飾る。ついに民社党は与党になる。
その後は民社党を抜けて新生党結成。しかし離脱して未来の党を結成。その2日後には新生党の後継である社生党に復党。その後は社生党の後継である民生党を離脱して急共に入党するが、1週間後に除名される。正義党を結成するも、界隈を引退したため自動的に解散。
23年4月に恩赦されマ創に復帰。急共の後継であるマ創社会党に復党した。5月、社会党は星野源党と合流してマ創改革党となった。
6月10日、改革党で離党騒ぎが起きると便乗して離党。自由統一党を結成する。しかしその1日後には澳門糾創統一党に合流。旧改革党や社会淫ク党勢力の結集を目指し、14日には国民新政党を結成した。
このページへのコメント
変なコメあって草
政党をコロコロ変えすぎ。一貫性がないんだよ
政党をコロコロ変えすぎ。一貫性がないんだよ
政党をコロコロ変えすぎ。一貫性がないんだよ