最終更新:ID:toDdwnEh6A 2020年03月15日(日) 21:50:48履歴
私は耳と目を塞ぎ込み、口をつぐんだ人間になろうと考えた。
''I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes.''
(J・D・サリンジャー著『ライ麦畑でつかまえて』より)
人の精神が頭の中に或る事柄総てを関連付けることができない事こそが、
この世界の中で最も慈悲深い事である────などと言ったのは、果たして何処の誰だったか。
ならば、頭の中にある事象を1つ1つ、丁寧に積み上げて真実に至ることができる人間がいるとしたら、それはこの世で最も不幸な人間だ。
これは、そんな不幸をその身に味わった、一人の男の過去の記録である。
────7年前、2018年某日。
New嬰児編集部。ネットメディアで日々記事を書き続けるライターたちが集う場所で、電話の音が鳴り響く。
その鳴った電話を、奇怪な服装の男が手に取った。名を真田陰人……ペンネームを、レプティリアン真田という。
「はいこちらNew嬰児編集部……ああ親父? 何職場まで? …いやまぁ、携帯の電源切ってるのは俺だけど…。
それで? うん、うん……ああそう、分かった。じゃあ行くわ。うん、久々に顔出したいしね」
「社内電話を私用に使ってんじゃねーぞ真田ァ!」
「すんませーん!」
いつものようにふざけた調子の編集長の声が響き、オフィスに笑い声が響く。
少しの恥ずかしさに頭を掻きながらも、慣れた光景だと真田は編集長の机に向かって少し頭を下げた後に言葉を続ける。
「ところでサイコー編集長、ちょっと明日有給貰っても良いですか?」
「うち記事の歩合制だから有休もくそも無いんだが…別にいいぞ? さっきの電話か」
「ええ、10年前に亡くなった叔父の遺品が蔵から出てきたとかで…仲良かった自分に渡そうかって提案されましてね」
「そっか。じゃあ行ってこい。久々の里帰りに。お前の記事なら2,3度更新無くてもPv期待できるしな」
「あざっす」
頭を下げて礼を言う真田。その下げた頭の中では、10年前に亡くなった彼の叔父の記憶が思いだされていた。
世界が再編し、世界中の人間がサーヴァントと呼ばれる使い魔と聖杯を得てから8年になるが、それ以前に亡くなった叔父。
その存在は真田にとっては大きい物であり、彼が歴史を好むきっかけにもなった人物でもあった。
「(骨董品が好きで、よく自慢してたっけなー……守人叔父さん。
あらかた整理されたはずだけど、まだ出てくるもんなんだな)」
不死が当たり前になった世界でも、失われた命が帰ることは無い。
そんな諸行無常に思いを馳せながら、真田は自らの生地であるモザイク都市"横浜"へと向かった。
◆
「この蔵から?」
「ああ、守人の奴が良くコレクションを仕舞うのにスペースを借りててな。
整理しようとこの前入ってみたら、案の定あった。お前とはアイツ、付き合い長かったから欲しいかと思って呼んだ」
「うん、ありがたく拝見させてもらうよ。でもまぁー……、貰うかどうかはわからないけどね……」
「もし要らんとなったら売るか家に飾るかとするよ。どっか博物館に寄贈とかも良いかもな」
「そんな大層なもんが眠ってるのかねぇ……?」
そんな父親と談笑を終えて、庭に立つ蔵の中に入ってゆく真田。
中には古ぼけた箪笥や灯らなくなった照明などが所狭しと並んでいる。
その奥に、懐中電灯で照らされたままになっているスペースがあるのを真田は見つけた。
「ここか……どれどれ、どんなものがあるのやら」
真田が覗き込むように一角を見渡す。其処には所狭しと、されど整理された状態で多くの物品が並べられていた。
名前もわからないような仏像、古ぼけた冊子、少し錆びた鋳造の置物……どれもこれも、数年から数十年の時が経過していると一目でわかる。
そんな数多くの亡き叔父のコレクションの中で、真田はある1つの物に大きく気を惹かれた。
「これは……」
それは、絵画だった。立派……とはお世辞にも言えない簡素な額縁ではあったが、
しっかりとした額縁に収められた油絵の絵画だった。書かれているものは、夜空に浮かぶ月。
月光に照らされた枯れ木や、月を反射する水面などが、非常に悍ましく、されど何処か心惹かれるほどに美しく描かれていた。
「凄い……これは……誰が書いたものだ? …作者名は…不明か。
タイトルは……"臥待月が前"……書かれた日付は1983年か……」
その絵画は間近で見ると、筆で描かれた一筆一筆に力がこもっているかのような気迫が感じ取れた。
絵画に浮かび上がる油絵の具の浮き出た凹凸が、まるで優れた彫刻が如く脈動を感じさせるようであった。
まるでその絵画に、何か途方もない感情を、丁寧に、されど荒々しく込めたかのように、その絵画は見る者に訴える何かがあった。
その絵画に見惚れ少し経ったところで、真田はその絵の隣に冊子が1冊置かれているのが目についた。
「ん、これは……? …………あ、叔父さんの字だ……」
パラパラとめくり、その冊子にかかれている字を目で追う。
するとこうあった。『XX月YY日、男が絵画を売りに現れる。その日の私は────』とあった。
「……日記だ。叔父さんがこの絵を買った時の日記かこれは」
個人の日記を覗き見るのもいかがなものか、
そう考えが過ぎりながらも、この素晴らしい絵画を描いた人物の名前が分かるかもしれない。
そんな危うい好奇心に導かれるように、真田の手と目はその亡き叔父の日記帳を読み進めていった。
◆ ◇ ◆
1986年XX月YY日、その男は相も変わらず私のもとを訪れた。
『頼むから買ってくれ。1000円でもいい』と地面に頭をこすりつけてまで。
私は尋ねた。なぜそこまでして金が欲しいのかと。すると男は必死で叫ぶように己の身の内を語り出した。
なんでも、男は朔望輪廻という教団の熱心な信者だが、熱心が祟り無一文となり寄付金が出せないのだという。
私は呆れてものも言えなかった。苦心して稼いだ金を他人に見返りもなく渡すなど、気が違っているとしか思えない。
どれだけ懇願されても、買わぬ物は買わぬ。そうきっぱりと告げると、男は絵を背負って帰って行った。
◆ ◇ ◆
「この絵売りからこの絵を買う事になるのだろうか…?
そうなると叔父さんもこの絵の作者は分からないのだろうか……?
いや、購入の際に作者の名を問う事もあるかもしれない…か」
そう考え、絵を描いた者の名が記されている事に期待しつつ、
真田は日記をパラパラとめくり読み進める。が、真田の期待を裏切るように、
日記は予想外の方向へと進んでいった。
◆ ◇ ◆
1987年XX月YY日、朔望輪廻と呼ばれる新興宗教が集団自決を行ったとニュースが舞い込んだ。
聞いたことがある名だ、と考えが過ぎる。日記を読み返せばなるほどあの時にしつこく訪れた絵売りが言っていた名であった。
ニュースに曰く、その自決には数人の生き残りがおりとある病院で保護されているという。その中にあの男もいるのだろうか?
そう疑問が浮かぶといてもたってもいられなくなる。調べるとそれは我が家にほど近い病院であったので、私は向かう事とした。
しつこい押し売りではあったものの、このようなニュースを聞いては話を聞きたくなるというもの。いや、私が単に好奇心が強いだけであろうか。
病院に行くとその男はいた。どうやら生き残っていたようではあるが、以前あった時よりも痩せ細ろえている。
話を聞こうにも『やるだ様、やるだ様は救わなかった。俺の捧げた寄付が足りなかったからだ』などとうわごとの様に喚いていた。
近頃は新興宗教というものも活発で、それらが信仰する神や教祖は千差万別ではあるが、やるだ様という神も仏も聞いたことが無い。
興味が高まったが、話を聞こうにも救出されたという生き残りは皆このような有様か、毒薬の後遺症でまともに会話ができない状況。
そこで私は、彼らの自決現場を発見したという刑事に話を聞いた。彼は朔望輪廻について詳しいという。
曰く、その新興宗教は正式な宗教としての成立こそ新しいが、原型となる宗教団体は江戸時代まで遡るという。
だが信仰する存在が既存の仏や神と異なることから、弾圧の対象となることが多々あったという。
そんな中、最近になって活動が活発になったので用心をしていたのが彼だというのだ。
私は問うた。「何故、彼らは集団自決などを?」
それは刑事にも理由はわからない。だが救出された一人がうわごとで言っていたらしい。
『堕天使が邪魔をする。堕天使のせいでやるだ様は我らの時代には降りない。ならば生きている意味はない』と。
堕天使とは、やるだ様とは、それらが示す意味を探すべく残っている信者を調べたいそうだが、まともな会話ができる生き残りは絶望的だという。
『信者が静かになったと思ったらこの始末、彼ら以外に朔望輪廻と名乗っている奴らは知らん』と、刑事はぼやいていた。
私はそのような話を一通り聞いて、ふとあの絵売りが憐れに思えるようになった。
訳もわからない宗教の金づるにされるような一生のまま終えられなかったのが、せめてもの救いだろうか。
そう思うと、あの男の絵を買うのも悪くないように思えた。新興宗教との決別、その餞別としてならと。
◆ ◇ ◆
「……これは……随分思っていたものと違うな…」
其処から先を読み進めても、その絵売りとの回復の過程や交流が書かれているだけであり、
この絵の作者を表すような一文は何処にも書かれてはいなかった。
「となると宗教団体が描いた絵って事になるのかなぁこれ?
うはぁ……道理で凄いわけだ……。かける熱量が違うわけだ」
だが以前もっていた団体が集団自決をしたとなると、さすがに持って帰るのも躊躇われると真田は感じた。
朔望輪廻という名は、確かに真田自身も聞いたことがある。古いニュース特番で聞いた程度だったが、そこそこの規模はあったらしい。
だがある日を境にぱったりと活動が亡くなったと聞いていたが、その真相が集団自決であったというのは、真田自身も始めて聞く衝撃の事実だった。
「うーん……勿体ないが……これは、うん。見なかったことにしよう。
だが絵は良いものだから、美術館辺りに寄贈すれば叔父さんも名も知らない絵売りも喜んでくれるだろう」
そう一人ごちりながら、真田は他の叔父のコレクションに目を移す。
結局その仕分けは夕暮れまで続き、蔵から出たころにはもう既に空が暗くなり始めている頃合いであった。
晩飯を食べていくかと父に誘われるも、顔出せただけよかったよと言い、彼は帰路についた。
◆
帰路についた真田は、横浜駅前で夕食を軽く済ませ、
東京行きの特急を待ちながらぼんやりと駅前を往く人々とサーヴァントらを見ていた。
すると唐突に、拡声器からの声が駅前に響き渡った。
『ご通行中の皆さま!! 我らは真実を伝える者です!!』
『偉大なるや、ちゃんどら様の御声を届けるべく、今宵我らは参りました!!』
『我らと共に、この間違った世界を否定し、大いなる工匠が作り上げし理想郷へと至りましょう!!』
叫んでいたのは白衣の集団であった。真田はうんざりした。新興宗教に関する日記を見た夜にまた新興宗教か……と。
確かにサーヴァントと聖杯が当たり前の世界になってから、人々の不安もまた同時に増しているのは事実。
それを利用して…あるいは純粋に救済しようと、新興宗教団体が増えているのは事実である。
「在りし日の輝き」と言えば大阪で知らぬ人がいないほどの勢力を持つし、
『人類の倫理的完成』を唱える少年が日本中を回っている、という噂も聞いたことがある。
だが確かに増えているとはいえ、こういったコテコテの新興宗教の勧誘を実際に見せられると、さすがの真田も疲弊する。
場所を移そう、駅構内のスダパは何時頃まで開いていたかなと思いつつ、ベンチから立ち上がろうとする。
そんなとき、白衣の集団らの口から、ふと耳に残っていた言葉が飛び出した。
『偉大なる"やるだ様"の転生! ちゃんどら様!! ちゃんどら様こそが真実!!』
『穢れ切った世界こそが間違い! 我らがちゃんどら様のみが絶対なる真実!!』
「(……待て……。やるだ様、だって?)」
聞いたことのある、いや、"読んだことのある名"であった。
間違いない。その名前は叔父が遺した日記にあった、今は無き朔望輪廻という宗教の本尊らしき存在だったはず。
「(だけれど……朔望輪廻はたしか無くなったんじゃ……?)」
叔父の日記に確かに在った。朔望輪廻の生き残りは絶望的である、と。
生き残った者らは基本まともな会話ができないものばかりで、やるだ様とやらを信望する者は残っていない、と。
だが実際に目の前の彼らは、その"やるだ様"とやらの名前を口にしている。偶然だろうか?
それとも口伝や書物が残っていたのだろうか? 真田の脳裏で疑問が渦巻いた。
真田は自分の中に、目の前で勧誘を続けている新興宗教への興味が生まれたのを感じた。
だが、正直なところああいった手前はあまり好きではないし、関わりたいとも思わなかった。
関わりたくない。けれど詳しく知りたい。そんな矛盾した感情に葛藤をしていると、勧誘をしている白衣の1人と目が合った。
「やっべ まずい」
嬉々として白衣の男がこちらに早足で近寄ってくるのを悟った真田は、
逃げるようにベンチから立ち上がってそのまま駅構内の人ごみに紛れるように逃げ出した。
白衣の連中は特に深追いをするようなことは無く、うまく撒くことに真田は成功した。
「あっぶなかったー……。早く帰ろう……人が多いところに長居すると…良いことないなぁ」
そう考えながら、彼は自分が帰るべく乗るべき電車が着くホームで、
駅構内のキオスクで購入した缶ビールと缶詰に入ったおつまみを手に晩酌を行うのであった。
「(それにしても……ちゃんどら……ちゃんどらねぇ……。インドの月の神様かぁ……)」
「(そういえば……あの叔父さんの残した絵も、月の絵だったなぁ……)」
New嬰児編集部。ネットメディアで日々記事を書き続けるライターたちが集う場所で、電話の音が鳴り響く。
その鳴った電話を、奇怪な服装の男が手に取った。名を真田陰人……ペンネームを、レプティリアン真田という。
「はいこちらNew嬰児編集部……ああ親父? 何職場まで? …いやまぁ、携帯の電源切ってるのは俺だけど…。
それで? うん、うん……ああそう、分かった。じゃあ行くわ。うん、久々に顔出したいしね」
「社内電話を私用に使ってんじゃねーぞ真田ァ!」
「すんませーん!」
いつものようにふざけた調子の編集長の声が響き、オフィスに笑い声が響く。
少しの恥ずかしさに頭を掻きながらも、慣れた光景だと真田は編集長の机に向かって少し頭を下げた後に言葉を続ける。
「ところでサイコー編集長、ちょっと明日有給貰っても良いですか?」
「うち記事の歩合制だから有休もくそも無いんだが…別にいいぞ? さっきの電話か」
「ええ、10年前に亡くなった叔父の遺品が蔵から出てきたとかで…仲良かった自分に渡そうかって提案されましてね」
「そっか。じゃあ行ってこい。久々の里帰りに。お前の記事なら2,3度更新無くてもPv期待できるしな」
「あざっす」
頭を下げて礼を言う真田。その下げた頭の中では、10年前に亡くなった彼の叔父の記憶が思いだされていた。
世界が再編し、世界中の人間がサーヴァントと呼ばれる使い魔と聖杯を得てから8年になるが、それ以前に亡くなった叔父。
その存在は真田にとっては大きい物であり、彼が歴史を好むきっかけにもなった人物でもあった。
「(骨董品が好きで、よく自慢してたっけなー……守人叔父さん。
あらかた整理されたはずだけど、まだ出てくるもんなんだな)」
不死が当たり前になった世界でも、失われた命が帰ることは無い。
そんな諸行無常に思いを馳せながら、真田は自らの生地であるモザイク都市"横浜"へと向かった。
◆
「この蔵から?」
「ああ、守人の奴が良くコレクションを仕舞うのにスペースを借りててな。
整理しようとこの前入ってみたら、案の定あった。お前とはアイツ、付き合い長かったから欲しいかと思って呼んだ」
「うん、ありがたく拝見させてもらうよ。でもまぁー……、貰うかどうかはわからないけどね……」
「もし要らんとなったら売るか家に飾るかとするよ。どっか博物館に寄贈とかも良いかもな」
「そんな大層なもんが眠ってるのかねぇ……?」
そんな父親と談笑を終えて、庭に立つ蔵の中に入ってゆく真田。
中には古ぼけた箪笥や灯らなくなった照明などが所狭しと並んでいる。
その奥に、懐中電灯で照らされたままになっているスペースがあるのを真田は見つけた。
「ここか……どれどれ、どんなものがあるのやら」
真田が覗き込むように一角を見渡す。其処には所狭しと、されど整理された状態で多くの物品が並べられていた。
名前もわからないような仏像、古ぼけた冊子、少し錆びた鋳造の置物……どれもこれも、数年から数十年の時が経過していると一目でわかる。
そんな数多くの亡き叔父のコレクションの中で、真田はある1つの物に大きく気を惹かれた。
「これは……」
それは、絵画だった。立派……とはお世辞にも言えない簡素な額縁ではあったが、
しっかりとした額縁に収められた油絵の絵画だった。書かれているものは、夜空に浮かぶ月。
月光に照らされた枯れ木や、月を反射する水面などが、非常に悍ましく、されど何処か心惹かれるほどに美しく描かれていた。
「凄い……これは……誰が書いたものだ? …作者名は…不明か。
タイトルは……"臥待月が前"……書かれた日付は1983年か……」
その絵画は間近で見ると、筆で描かれた一筆一筆に力がこもっているかのような気迫が感じ取れた。
絵画に浮かび上がる油絵の具の浮き出た凹凸が、まるで優れた彫刻が如く脈動を感じさせるようであった。
まるでその絵画に、何か途方もない感情を、丁寧に、されど荒々しく込めたかのように、その絵画は見る者に訴える何かがあった。
その絵画に見惚れ少し経ったところで、真田はその絵の隣に冊子が1冊置かれているのが目についた。
「ん、これは……? …………あ、叔父さんの字だ……」
パラパラとめくり、その冊子にかかれている字を目で追う。
するとこうあった。『XX月YY日、男が絵画を売りに現れる。その日の私は────』とあった。
「……日記だ。叔父さんがこの絵を買った時の日記かこれは」
個人の日記を覗き見るのもいかがなものか、
そう考えが過ぎりながらも、この素晴らしい絵画を描いた人物の名前が分かるかもしれない。
そんな危うい好奇心に導かれるように、真田の手と目はその亡き叔父の日記帳を読み進めていった。
◆ ◇ ◆
1986年XX月YY日、その男は相も変わらず私のもとを訪れた。
『頼むから買ってくれ。1000円でもいい』と地面に頭をこすりつけてまで。
私は尋ねた。なぜそこまでして金が欲しいのかと。すると男は必死で叫ぶように己の身の内を語り出した。
なんでも、男は朔望輪廻という教団の熱心な信者だが、熱心が祟り無一文となり寄付金が出せないのだという。
私は呆れてものも言えなかった。苦心して稼いだ金を他人に見返りもなく渡すなど、気が違っているとしか思えない。
どれだけ懇願されても、買わぬ物は買わぬ。そうきっぱりと告げると、男は絵を背負って帰って行った。
◆ ◇ ◆
「この絵売りからこの絵を買う事になるのだろうか…?
そうなると叔父さんもこの絵の作者は分からないのだろうか……?
いや、購入の際に作者の名を問う事もあるかもしれない…か」
そう考え、絵を描いた者の名が記されている事に期待しつつ、
真田は日記をパラパラとめくり読み進める。が、真田の期待を裏切るように、
日記は予想外の方向へと進んでいった。
◆ ◇ ◆
1987年XX月YY日、朔望輪廻と呼ばれる新興宗教が集団自決を行ったとニュースが舞い込んだ。
聞いたことがある名だ、と考えが過ぎる。日記を読み返せばなるほどあの時にしつこく訪れた絵売りが言っていた名であった。
ニュースに曰く、その自決には数人の生き残りがおりとある病院で保護されているという。その中にあの男もいるのだろうか?
そう疑問が浮かぶといてもたってもいられなくなる。調べるとそれは我が家にほど近い病院であったので、私は向かう事とした。
しつこい押し売りではあったものの、このようなニュースを聞いては話を聞きたくなるというもの。いや、私が単に好奇心が強いだけであろうか。
病院に行くとその男はいた。どうやら生き残っていたようではあるが、以前あった時よりも痩せ細ろえている。
話を聞こうにも『やるだ様、やるだ様は救わなかった。俺の捧げた寄付が足りなかったからだ』などとうわごとの様に喚いていた。
近頃は新興宗教というものも活発で、それらが信仰する神や教祖は千差万別ではあるが、やるだ様という神も仏も聞いたことが無い。
興味が高まったが、話を聞こうにも救出されたという生き残りは皆このような有様か、毒薬の後遺症でまともに会話ができない状況。
そこで私は、彼らの自決現場を発見したという刑事に話を聞いた。彼は朔望輪廻について詳しいという。
曰く、その新興宗教は正式な宗教としての成立こそ新しいが、原型となる宗教団体は江戸時代まで遡るという。
だが信仰する存在が既存の仏や神と異なることから、弾圧の対象となることが多々あったという。
そんな中、最近になって活動が活発になったので用心をしていたのが彼だというのだ。
私は問うた。「何故、彼らは集団自決などを?」
それは刑事にも理由はわからない。だが救出された一人がうわごとで言っていたらしい。
『堕天使が邪魔をする。堕天使のせいでやるだ様は我らの時代には降りない。ならば生きている意味はない』と。
堕天使とは、やるだ様とは、それらが示す意味を探すべく残っている信者を調べたいそうだが、まともな会話ができる生き残りは絶望的だという。
『信者が静かになったと思ったらこの始末、彼ら以外に朔望輪廻と名乗っている奴らは知らん』と、刑事はぼやいていた。
私はそのような話を一通り聞いて、ふとあの絵売りが憐れに思えるようになった。
訳もわからない宗教の金づるにされるような一生のまま終えられなかったのが、せめてもの救いだろうか。
そう思うと、あの男の絵を買うのも悪くないように思えた。新興宗教との決別、その餞別としてならと。
◆ ◇ ◆
「……これは……随分思っていたものと違うな…」
其処から先を読み進めても、その絵売りとの回復の過程や交流が書かれているだけであり、
この絵の作者を表すような一文は何処にも書かれてはいなかった。
「となると宗教団体が描いた絵って事になるのかなぁこれ?
うはぁ……道理で凄いわけだ……。かける熱量が違うわけだ」
だが以前もっていた団体が集団自決をしたとなると、さすがに持って帰るのも躊躇われると真田は感じた。
朔望輪廻という名は、確かに真田自身も聞いたことがある。古いニュース特番で聞いた程度だったが、そこそこの規模はあったらしい。
だがある日を境にぱったりと活動が亡くなったと聞いていたが、その真相が集団自決であったというのは、真田自身も始めて聞く衝撃の事実だった。
「うーん……勿体ないが……これは、うん。見なかったことにしよう。
だが絵は良いものだから、美術館辺りに寄贈すれば叔父さんも名も知らない絵売りも喜んでくれるだろう」
そう一人ごちりながら、真田は他の叔父のコレクションに目を移す。
結局その仕分けは夕暮れまで続き、蔵から出たころにはもう既に空が暗くなり始めている頃合いであった。
晩飯を食べていくかと父に誘われるも、顔出せただけよかったよと言い、彼は帰路についた。
◆
帰路についた真田は、横浜駅前で夕食を軽く済ませ、
東京行きの特急を待ちながらぼんやりと駅前を往く人々とサーヴァントらを見ていた。
すると唐突に、拡声器からの声が駅前に響き渡った。
『ご通行中の皆さま!! 我らは真実を伝える者です!!』
『偉大なるや、ちゃんどら様の御声を届けるべく、今宵我らは参りました!!』
『我らと共に、この間違った世界を否定し、大いなる工匠が作り上げし理想郷へと至りましょう!!』
叫んでいたのは白衣の集団であった。真田はうんざりした。新興宗教に関する日記を見た夜にまた新興宗教か……と。
確かにサーヴァントと聖杯が当たり前の世界になってから、人々の不安もまた同時に増しているのは事実。
それを利用して…あるいは純粋に救済しようと、新興宗教団体が増えているのは事実である。
「在りし日の輝き」と言えば大阪で知らぬ人がいないほどの勢力を持つし、
『人類の倫理的完成』を唱える少年が日本中を回っている、という噂も聞いたことがある。
だが確かに増えているとはいえ、こういったコテコテの新興宗教の勧誘を実際に見せられると、さすがの真田も疲弊する。
場所を移そう、駅構内のスダパは何時頃まで開いていたかなと思いつつ、ベンチから立ち上がろうとする。
そんなとき、白衣の集団らの口から、ふと耳に残っていた言葉が飛び出した。
『偉大なる"やるだ様"の転生! ちゃんどら様!! ちゃんどら様こそが真実!!』
『穢れ切った世界こそが間違い! 我らがちゃんどら様のみが絶対なる真実!!』
「(……待て……。やるだ様、だって?)」
聞いたことのある、いや、"読んだことのある名"であった。
間違いない。その名前は叔父が遺した日記にあった、今は無き朔望輪廻という宗教の本尊らしき存在だったはず。
「(だけれど……朔望輪廻はたしか無くなったんじゃ……?)」
叔父の日記に確かに在った。朔望輪廻の生き残りは絶望的である、と。
生き残った者らは基本まともな会話ができないものばかりで、やるだ様とやらを信望する者は残っていない、と。
だが実際に目の前の彼らは、その"やるだ様"とやらの名前を口にしている。偶然だろうか?
それとも口伝や書物が残っていたのだろうか? 真田の脳裏で疑問が渦巻いた。
真田は自分の中に、目の前で勧誘を続けている新興宗教への興味が生まれたのを感じた。
だが、正直なところああいった手前はあまり好きではないし、関わりたいとも思わなかった。
関わりたくない。けれど詳しく知りたい。そんな矛盾した感情に葛藤をしていると、勧誘をしている白衣の1人と目が合った。
「やっべ まずい」
嬉々として白衣の男がこちらに早足で近寄ってくるのを悟った真田は、
逃げるようにベンチから立ち上がってそのまま駅構内の人ごみに紛れるように逃げ出した。
白衣の連中は特に深追いをするようなことは無く、うまく撒くことに真田は成功した。
「あっぶなかったー……。早く帰ろう……人が多いところに長居すると…良いことないなぁ」
そう考えながら、彼は自分が帰るべく乗るべき電車が着くホームで、
駅構内のキオスクで購入した缶ビールと缶詰に入ったおつまみを手に晩酌を行うのであった。
「(それにしても……ちゃんどら……ちゃんどらねぇ……。インドの月の神様かぁ……)」
「(そういえば……あの叔父さんの残した絵も、月の絵だったなぁ……)」
数ヶ月後
レプティリアン真田、本名真田陰人は三流ライターだ。
徒然なるままに都市伝説を取り上げた記事を投稿し続けるライターだ。
だが、ライターとしては三流ではあるが史学者としては一流といっても過言ではなかった。
取り上げる都市伝説の見出しは三流であれど、その内容は史学者らを唸らせるほどに一般人に分かりやすい記事の数々。
人の目を引くタイトルで記事に衆目を集め、分かりやすい解説で間違いを正す。彼なりの矜持がそこにはあった。
都市伝説などというゴシップ塗れの題材を、かつて史学会の麒麟児とも呼ばれた青年が扱うことには、
それはもう始めこそ史学者らからの反発はあった。だがしかし、そのやり方は少しずつ共感と理解を集め、やがて理解者もできた。
今では史学者の集まりに彼が顔を出しても、いやな顔をする人の方が少ないほど彼の理解者は増えている。
故にこそ、彼は自分の活動を応援してくれる人たちへの敬意と感謝を忘れない。
自分の書く記事を認めてくれる全ての人々に対して、少しでも感謝を伝えたい。
そのために彼は史学者の講演や集まりなどがあれば必ず顔を出し、あいさつ回りを続けている。
彼は礼儀を重んじる性格であるがために、自分を理解してくれる人には必ず礼節を重んじるのだ。
この日もまた、大阪・天王寺にて行われるある史学の権威の講演会に顔を出す日であった。
なお、こう言ったあいさつ回りの際にはいつものような『下痢便以下』とすら揶揄される奇怪な格好はせず、
スーツ姿のフォーマルな彼を見ることができる。この服装の彼は非常に理知的に見え、
かつて『史学会の麒麟児』と呼ばれた面影を垣間見ることができる。
「おや? もしや……御幣島さん?」
「どなたか思うたら、真田さんでしたか。お久しぶりです」
真田がふと、面識のある顔を見かけたので青年に声をかける。
その捉えどころの無いような青年は振り向き、声をかけた者が顔見知りであると悟ると頭を下げ挨拶をした。
「久しぶりですねぇ、どれくらいぶりでしょうか?」
「2年とちょっとぶりでしょうかなぁ。月日が流れるのは、早いもんで」
「風に乗った噂は聞いてますよ。"ミュージアム・キーパー"と呼ばれているとか、いないとか」
「いや、お恥ずかしい…。やりたいことをやっとるだけの、単なる阿呆に過ぎんですよ」
そんなとりとめもない雑談を二人は続ける。
青年の名は御幣島亨。方向性は違えど、真田と同じように失われる歴史や文化を憂い保護をしている者だ。
真田はメディア方面から、御幣島は文化財の物理的な保護という方面から。それゆえ2人は時折顔を合わせる事も多い。
必然的に互いに顔と名前を覚え、こういった場所で交流を思わず深めることも多くなるというわけだ。
「学校の方は、どうですか?」
「ぼちぼちですなぁ。地道に続けてみるつもりです」
「応援しています」
「────ええっと……あの……すいません」
そんな会話をしている二人の間に、1人の女性が声をかける。
長めのコートを羽織り、黒縁メガネをかけた、一目見ると少女のようにも見える女性だった。
唐突な声かけに、それも史学会の講演会という場所に似つかわない女性の登場に、真田と御幣島は少し目を開く。
だがすぐに、2人は女性に対して大人な対応を見せた。
「どうされましたかな。何か困りごとでも?」
「あ、いえ……。いや困りごとと言えば困りごとなのですが……えっと……」
「?」
ごにょごにょと、口ごもりながら女性は言葉にならぬ言葉を口の中にため続ける。
『言っちゃっていいのかな…』や『でも休憩時間な今がチャンスだし…』などと言いつつ、
やがて決心したように、女性ははきはきとした声で自己紹介を2人へはじめた。
「あの、えっと、私は刑事の木原彩子と申します。その、とある事件を調査している者でして……。
その調査の中で、史学的な知識が必要になったため、このような場所まで足を運んだ次第であります。
えっと、あとなんか……あ!! すす、すみません!! ご歓談中失礼しますといい忘れました!」
「……史学的……」
「……知識……?」
◆
木原と名乗る女性曰く、彼女は真っ当な刑事らしく、とある事件を調査している。
だがその担当している事件の調査が難航しており、このままだと迷宮入りしてしまうらしい。
そんな中、彼女はその犯人が残したあるものを証拠として新しい解決の糸口を探しているのだが、
これが史学・民俗学的な物じゃないかという疑念が浮かんだため、その道のプロが集まるこの講演に訪れた、という話であった。
「なるほど……。事情は分かりました」
「すいません……。こんな史学の権威の方々が集まるレベルの高い場所だとは思っておらず……。
あまりにも話しかけるのがおこがましい人々ばかりで……あなた方は…その…とても話しやすそうな雰囲気でしたので……」
「あはは、いつもの僕の服装なら絶対言われないセリフだこれ」
それよりひとまず、と御幣島が話を区切り、木原と名乗った女性の本題へと移る。
「犯人が残した証拠の前に、その事件とは何ぞや……ということをお尋ねしたい」
「ああごめんなさい……話すのを忘れておりました。えっと、"銀鉤穿ち"……って、知っていますか?」
「ああ……その名前は……。はい、聞いたことがあります。ニュースでも何度か」
「ボクも知ってます。当時東京にいましたが、こっちにもその名前は響いてました」
"銀鉤穿ち"。それは5年前に大阪・難波で発生した通り魔事件の通称である。
"銀鉤"と名付けられた凶器を用いて、月もない深夜に決まってサーヴァントを連れていない一人のマスターを狙い、
殺傷を行うという悪質な通り魔がいた。負傷者6名、死者1名を出したその痛ましい事件は、5年経った今も尚も覚えている人は多い。
だがそのような横暴がいつまでもまかり通ることは無く、7人目の犠牲者が出ると思われた月無き深夜、偶然その場所を通りがかった女性がその通り魔を叩き伏せた事で事件は収束した。
助けられた被害者の証言によると、天にそびえる巌の如き筋骨隆々の年老いた女性だったそうだが、名前は名乗らなかったという。
「ですが、そんな過去の事件が、何故今になって?」
「それが…これ言っていいのかな? 守秘義務とかあるかな……。うーん…調査協力だし…良っか…。
えっとですね。その事件の犯人がこのままだと、心神喪失扱いで無罪になりそうなんです」
「心神喪失と言いますと……薬物や魔術の影響で、責任能力がないと判断された、いうことですか」
「はい。……ですが、その、明らかにその……違和感があるんです」
「……違和感?」
はい、と真田の問いに頷き答える木原。
そしてコートの内側に手を入れ、一枚の写真を取り出した。
その写真には、銀色のナイフが映っていた。いや、ナイフというには些か細すぎる形状ではあったが。
「これは……?」
「"銀鉤穿ち"……その通り名の由来にもなった礼装、銀鉤そのものです」
「これが……」
「これに一体、何が?」
「この凶器……凶器とニュースでは伝わっていますが……実は、"礼装"なんです。
調査したところ、最近この凶器は、サーヴァントにも傷をつけることが可能な武器であることが判明しました」
「…………それは……」
「ああ…なるほど」
目を見開いて驚く御幣島と、何処か納得したように頷く真田。
真田は彼女が調査していた事件が行き詰まった理由に、ある程度目星がついたようであった。
「この礼装が何処が出所なのか……協力者がいないか、否か……。
それを調べたいが、肝心の犯人が狂っているせいで調べられない……。
おまけに心神喪失で、そのまま逃げられてしまいそうだ。という事でしょうか?」
「凄いです、その通りです! これって明らかに協力者とかいる流れですよね! となっているんです!
……ですが……、はい。証拠が少なく……と、思っていたその時、家宅捜索で1つ仲間に辿り着けそうなものがあったんです」
そう言いながら木原は、懐からもう一枚の写真を取り出す。
取り出された写真には、不気味な像が映し出されていた。人型のようには見えるが、
歪に捻じ曲がり所々が血に塗れ汚れていた。見る人全てに生理的な嫌悪感を抱かせるような、
醜悪な像がそこに在った。だがしかし、それには何処か、人の目を引く怪しい美しさがあった。
前衛芸術、と言われればそれと信じてしまうかのような、神々しさとも言い換えられるものが。
「(……なんだ? この感覚、どこかで……)」
「これが、その犯人の自宅から押収されたいうことで?」
「はい。本人に確認を取りましたので間違いはありません。
まぁ……会話にはなりませんでしたけど、反応を見るに彼のモノであるのは、確かです」
「ふむ? どういった反応をしたのですか?」
「ええっと……、写真を見た瞬間に、血相を変えて……、うぅ…思いだしたくない……。
"造物主様、造物主様!"って自分の顔をガリガリ掻きながら叫んだんですよ……。取り押さえましたけど」
「それはまた……随分な話ですな」
「心神喪失扱いされるわけだ……」
「面白い話をしているね」
3人が会話をしていると、唐突に低い声が割り込んできた。
声の聞こえたそちらの方を向くと、其処には真田と御幣島が見知った顔があった。
「あ……天草教授!?」
「これはどうも。お久しぶりです」
「うん、久しぶり。休憩時間になかなか盛り上がっている声が聞こえたので気になってきてみれば、
顔見知りの2人が楽しそうな話をしているじゃないか」
彼らに声をかけた男性の名は、天草ヒロヒトという。この講演会の中心的人物で、真田と御幣島の顔見知り。
特に真田に関しては、史学会からまだバッシングを受けている頃の彼を全面的にサポートしたことから非常に深い恩がある相手であった。
史学会でもその冷静な判断力と、その権威をひけらかさない慎ましさは一目置かれており、雲心月性(清らかな心があり、地位や利益にこだわらないこと)
とも例えられる人格者であった。
「そちらの女性は?」
「は、はい。初めまして。木原アヤコと申します。本日は────」
目線を送られた木原が、しどろもどろになりながらも自分の名と職業、
そして自分が此処に訪れた理由と経緯を話し、最後に先ほど2人に見せた写真を天草教授へと見せた。
天草教授はその2枚の写真を興味深そうに見つめながら、顎髭を投げつつ2,3度程、見聞きした事象を咀嚼するように頷いた。
「ふむ……なるほど。出所不明の礼装に、意図不明な信仰対象のようなもの……か。
加えて犯人は心神喪失扱いか……。このようなことを言うと失礼かもしれませんが、興味深いですね」
「礼装の出所がですか? それともこの謎の宗教的シンボルについてですか?」
「誤解を恐れずに言うのなら、後者かな。私としてもこのような宗教的な象徴は見たことは無い」
しかし、と付け加えて天草教授は続ける。
「造物主、という言葉なら聞き覚えはある。……というより、こういった仕事をしていると聞くことは多いね」
「クリエイター……あるいはライフメイカーとでも言うものでしょうか。それこそ世界中にありますなぁ」
「Y.H.W.H.などがやはり有名ですかねぇ? と言っても、こうして偶像を作ってる時点で本当にそれを信仰しているかは定かではないですが……。
となると其れの変化形と見るべきか……あるいは多神教を変化させて無理やり1つの神にしたものを便宜上そう呼んでいるのやら」
「交代神の場合も考えられるんじゃないかな真田君。ヴェーダ群を端とする宗教ではその時代に応じて最高神を変化させたからね。
そういう意味では、"交代するからこそ"造物主という名前で便宜的に呼んでいる可能性もあるんじゃないかな?」
「なるほど。日本の神仏習合にもそういった"信仰"の交代という属性は見えますなぁ」
「他に造物主言うんなら……やはりグノーシス辺りでしょうか? しかしそれならわざわざ造物主を崇めます?
グノーシス主義者なら唯物的な造物主(デミウルゴス)より、アイオーンを崇めるはずですし……」
「あ……あの……」
天草教授の何気ない一言から、あれよこれよとIQの高い考察が飛び出てくる。
その話に混ざれない木原が申し訳なさそうに会話に混ざろうとすると、真田と御幣島が頭を下げた。
「すいません……こちらで盛り上がってしまい……」
「いえいえ…ありがとうございます。自分だけじゃ全然わからないので……」
「とはいえ休憩時間ももうすぐ終わりだ。すまないけれど、またいずれこの件についてはじっくりと話そうじゃないか」
「良いですね。あ、連絡先とか交換しておきます? 僕のアドレス帳空ですからいくらでも交換できますよ」
「女の子のアドレス欲しいだけなんと違いますかな、それ……」
色々とあったが、最終的に真田と天草教授、御幣島の3人がアドレスを木原に渡し話は一旦終幕と相成った。
その日の講演会は何事もなく終わったが、真田の中には少し不穏な予感が残されていた。例えるのなら、喉に小骨が引っかかるような、
そんなどうにもできないものの、気になるような違和感が
「……しかし、なんでその銀鉤穿ちは月のない夜にわざわざ出没してたんだ?」
「それだけの思考ができるのなら、心神喪失扱いになるほど気が狂うのだろうか……?」
真田は気づかない。造物主と呼ばれた"それ"が何なのかを。銀鉤という言葉が示す意味も。
通り魔が心神喪失となった理由も。数ヵ月前に目にした月の絵画と"造物主"の写真を見た時に抱いた感情が、同一だという事も
「────────」
「────────────アハッ」
通りすがったゴシックロリータファッションに身を包んだ少女が、月を見上げて微笑んだことにも
彼は何一つ、気づかない。
レプティリアン真田、本名真田陰人は三流ライターだ。
徒然なるままに都市伝説を取り上げた記事を投稿し続けるライターだ。
だが、ライターとしては三流ではあるが史学者としては一流といっても過言ではなかった。
取り上げる都市伝説の見出しは三流であれど、その内容は史学者らを唸らせるほどに一般人に分かりやすい記事の数々。
人の目を引くタイトルで記事に衆目を集め、分かりやすい解説で間違いを正す。彼なりの矜持がそこにはあった。
都市伝説などというゴシップ塗れの題材を、かつて史学会の麒麟児とも呼ばれた青年が扱うことには、
それはもう始めこそ史学者らからの反発はあった。だがしかし、そのやり方は少しずつ共感と理解を集め、やがて理解者もできた。
今では史学者の集まりに彼が顔を出しても、いやな顔をする人の方が少ないほど彼の理解者は増えている。
故にこそ、彼は自分の活動を応援してくれる人たちへの敬意と感謝を忘れない。
自分の書く記事を認めてくれる全ての人々に対して、少しでも感謝を伝えたい。
そのために彼は史学者の講演や集まりなどがあれば必ず顔を出し、あいさつ回りを続けている。
彼は礼儀を重んじる性格であるがために、自分を理解してくれる人には必ず礼節を重んじるのだ。
この日もまた、大阪・天王寺にて行われるある史学の権威の講演会に顔を出す日であった。
なお、こう言ったあいさつ回りの際にはいつものような『下痢便以下』とすら揶揄される奇怪な格好はせず、
スーツ姿のフォーマルな彼を見ることができる。この服装の彼は非常に理知的に見え、
かつて『史学会の麒麟児』と呼ばれた面影を垣間見ることができる。
「おや? もしや……御幣島さん?」
「どなたか思うたら、真田さんでしたか。お久しぶりです」
真田がふと、面識のある顔を見かけたので青年に声をかける。
その捉えどころの無いような青年は振り向き、声をかけた者が顔見知りであると悟ると頭を下げ挨拶をした。
「久しぶりですねぇ、どれくらいぶりでしょうか?」
「2年とちょっとぶりでしょうかなぁ。月日が流れるのは、早いもんで」
「風に乗った噂は聞いてますよ。"ミュージアム・キーパー"と呼ばれているとか、いないとか」
「いや、お恥ずかしい…。やりたいことをやっとるだけの、単なる阿呆に過ぎんですよ」
そんなとりとめもない雑談を二人は続ける。
青年の名は御幣島亨。方向性は違えど、真田と同じように失われる歴史や文化を憂い保護をしている者だ。
真田はメディア方面から、御幣島は文化財の物理的な保護という方面から。それゆえ2人は時折顔を合わせる事も多い。
必然的に互いに顔と名前を覚え、こういった場所で交流を思わず深めることも多くなるというわけだ。
「学校の方は、どうですか?」
「ぼちぼちですなぁ。地道に続けてみるつもりです」
「応援しています」
「────ええっと……あの……すいません」
そんな会話をしている二人の間に、1人の女性が声をかける。
長めのコートを羽織り、黒縁メガネをかけた、一目見ると少女のようにも見える女性だった。
唐突な声かけに、それも史学会の講演会という場所に似つかわない女性の登場に、真田と御幣島は少し目を開く。
だがすぐに、2人は女性に対して大人な対応を見せた。
「どうされましたかな。何か困りごとでも?」
「あ、いえ……。いや困りごとと言えば困りごとなのですが……えっと……」
「?」
ごにょごにょと、口ごもりながら女性は言葉にならぬ言葉を口の中にため続ける。
『言っちゃっていいのかな…』や『でも休憩時間な今がチャンスだし…』などと言いつつ、
やがて決心したように、女性ははきはきとした声で自己紹介を2人へはじめた。
「あの、えっと、私は刑事の木原彩子と申します。その、とある事件を調査している者でして……。
その調査の中で、史学的な知識が必要になったため、このような場所まで足を運んだ次第であります。
えっと、あとなんか……あ!! すす、すみません!! ご歓談中失礼しますといい忘れました!」
「……史学的……」
「……知識……?」
◆
木原と名乗る女性曰く、彼女は真っ当な刑事らしく、とある事件を調査している。
だがその担当している事件の調査が難航しており、このままだと迷宮入りしてしまうらしい。
そんな中、彼女はその犯人が残したあるものを証拠として新しい解決の糸口を探しているのだが、
これが史学・民俗学的な物じゃないかという疑念が浮かんだため、その道のプロが集まるこの講演に訪れた、という話であった。
「なるほど……。事情は分かりました」
「すいません……。こんな史学の権威の方々が集まるレベルの高い場所だとは思っておらず……。
あまりにも話しかけるのがおこがましい人々ばかりで……あなた方は…その…とても話しやすそうな雰囲気でしたので……」
「あはは、いつもの僕の服装なら絶対言われないセリフだこれ」
それよりひとまず、と御幣島が話を区切り、木原と名乗った女性の本題へと移る。
「犯人が残した証拠の前に、その事件とは何ぞや……ということをお尋ねしたい」
「ああごめんなさい……話すのを忘れておりました。えっと、"銀鉤穿ち"……って、知っていますか?」
「ああ……その名前は……。はい、聞いたことがあります。ニュースでも何度か」
「ボクも知ってます。当時東京にいましたが、こっちにもその名前は響いてました」
"銀鉤穿ち"。それは5年前に大阪・難波で発生した通り魔事件の通称である。
"銀鉤"と名付けられた凶器を用いて、月もない深夜に決まってサーヴァントを連れていない一人のマスターを狙い、
殺傷を行うという悪質な通り魔がいた。負傷者6名、死者1名を出したその痛ましい事件は、5年経った今も尚も覚えている人は多い。
だがそのような横暴がいつまでもまかり通ることは無く、7人目の犠牲者が出ると思われた月無き深夜、偶然その場所を通りがかった女性がその通り魔を叩き伏せた事で事件は収束した。
助けられた被害者の証言によると、天にそびえる巌の如き筋骨隆々の年老いた女性だったそうだが、名前は名乗らなかったという。
「ですが、そんな過去の事件が、何故今になって?」
「それが…これ言っていいのかな? 守秘義務とかあるかな……。うーん…調査協力だし…良っか…。
えっとですね。その事件の犯人がこのままだと、心神喪失扱いで無罪になりそうなんです」
「心神喪失と言いますと……薬物や魔術の影響で、責任能力がないと判断された、いうことですか」
「はい。……ですが、その、明らかにその……違和感があるんです」
「……違和感?」
はい、と真田の問いに頷き答える木原。
そしてコートの内側に手を入れ、一枚の写真を取り出した。
その写真には、銀色のナイフが映っていた。いや、ナイフというには些か細すぎる形状ではあったが。
「これは……?」
「"銀鉤穿ち"……その通り名の由来にもなった礼装、銀鉤そのものです」
「これが……」
「これに一体、何が?」
「この凶器……凶器とニュースでは伝わっていますが……実は、"礼装"なんです。
調査したところ、最近この凶器は、サーヴァントにも傷をつけることが可能な武器であることが判明しました」
「…………それは……」
「ああ…なるほど」
目を見開いて驚く御幣島と、何処か納得したように頷く真田。
真田は彼女が調査していた事件が行き詰まった理由に、ある程度目星がついたようであった。
「この礼装が何処が出所なのか……協力者がいないか、否か……。
それを調べたいが、肝心の犯人が狂っているせいで調べられない……。
おまけに心神喪失で、そのまま逃げられてしまいそうだ。という事でしょうか?」
「凄いです、その通りです! これって明らかに協力者とかいる流れですよね! となっているんです!
……ですが……、はい。証拠が少なく……と、思っていたその時、家宅捜索で1つ仲間に辿り着けそうなものがあったんです」
そう言いながら木原は、懐からもう一枚の写真を取り出す。
取り出された写真には、不気味な像が映し出されていた。人型のようには見えるが、
歪に捻じ曲がり所々が血に塗れ汚れていた。見る人全てに生理的な嫌悪感を抱かせるような、
醜悪な像がそこに在った。だがしかし、それには何処か、人の目を引く怪しい美しさがあった。
前衛芸術、と言われればそれと信じてしまうかのような、神々しさとも言い換えられるものが。
「(……なんだ? この感覚、どこかで……)」
「これが、その犯人の自宅から押収されたいうことで?」
「はい。本人に確認を取りましたので間違いはありません。
まぁ……会話にはなりませんでしたけど、反応を見るに彼のモノであるのは、確かです」
「ふむ? どういった反応をしたのですか?」
「ええっと……、写真を見た瞬間に、血相を変えて……、うぅ…思いだしたくない……。
"造物主様、造物主様!"って自分の顔をガリガリ掻きながら叫んだんですよ……。取り押さえましたけど」
「それはまた……随分な話ですな」
「心神喪失扱いされるわけだ……」
「面白い話をしているね」
3人が会話をしていると、唐突に低い声が割り込んできた。
声の聞こえたそちらの方を向くと、其処には真田と御幣島が見知った顔があった。
「あ……天草教授!?」
「これはどうも。お久しぶりです」
「うん、久しぶり。休憩時間になかなか盛り上がっている声が聞こえたので気になってきてみれば、
顔見知りの2人が楽しそうな話をしているじゃないか」
彼らに声をかけた男性の名は、天草ヒロヒトという。この講演会の中心的人物で、真田と御幣島の顔見知り。
特に真田に関しては、史学会からまだバッシングを受けている頃の彼を全面的にサポートしたことから非常に深い恩がある相手であった。
史学会でもその冷静な判断力と、その権威をひけらかさない慎ましさは一目置かれており、雲心月性(清らかな心があり、地位や利益にこだわらないこと)
とも例えられる人格者であった。
「そちらの女性は?」
「は、はい。初めまして。木原アヤコと申します。本日は────」
目線を送られた木原が、しどろもどろになりながらも自分の名と職業、
そして自分が此処に訪れた理由と経緯を話し、最後に先ほど2人に見せた写真を天草教授へと見せた。
天草教授はその2枚の写真を興味深そうに見つめながら、顎髭を投げつつ2,3度程、見聞きした事象を咀嚼するように頷いた。
「ふむ……なるほど。出所不明の礼装に、意図不明な信仰対象のようなもの……か。
加えて犯人は心神喪失扱いか……。このようなことを言うと失礼かもしれませんが、興味深いですね」
「礼装の出所がですか? それともこの謎の宗教的シンボルについてですか?」
「誤解を恐れずに言うのなら、後者かな。私としてもこのような宗教的な象徴は見たことは無い」
しかし、と付け加えて天草教授は続ける。
「造物主、という言葉なら聞き覚えはある。……というより、こういった仕事をしていると聞くことは多いね」
「クリエイター……あるいはライフメイカーとでも言うものでしょうか。それこそ世界中にありますなぁ」
「Y.H.W.H.などがやはり有名ですかねぇ? と言っても、こうして偶像を作ってる時点で本当にそれを信仰しているかは定かではないですが……。
となると其れの変化形と見るべきか……あるいは多神教を変化させて無理やり1つの神にしたものを便宜上そう呼んでいるのやら」
「交代神の場合も考えられるんじゃないかな真田君。ヴェーダ群を端とする宗教ではその時代に応じて最高神を変化させたからね。
そういう意味では、"交代するからこそ"造物主という名前で便宜的に呼んでいる可能性もあるんじゃないかな?」
「なるほど。日本の神仏習合にもそういった"信仰"の交代という属性は見えますなぁ」
「他に造物主言うんなら……やはりグノーシス辺りでしょうか? しかしそれならわざわざ造物主を崇めます?
グノーシス主義者なら唯物的な造物主(デミウルゴス)より、アイオーンを崇めるはずですし……」
「あ……あの……」
天草教授の何気ない一言から、あれよこれよとIQの高い考察が飛び出てくる。
その話に混ざれない木原が申し訳なさそうに会話に混ざろうとすると、真田と御幣島が頭を下げた。
「すいません……こちらで盛り上がってしまい……」
「いえいえ…ありがとうございます。自分だけじゃ全然わからないので……」
「とはいえ休憩時間ももうすぐ終わりだ。すまないけれど、またいずれこの件についてはじっくりと話そうじゃないか」
「良いですね。あ、連絡先とか交換しておきます? 僕のアドレス帳空ですからいくらでも交換できますよ」
「女の子のアドレス欲しいだけなんと違いますかな、それ……」
色々とあったが、最終的に真田と天草教授、御幣島の3人がアドレスを木原に渡し話は一旦終幕と相成った。
その日の講演会は何事もなく終わったが、真田の中には少し不穏な予感が残されていた。例えるのなら、喉に小骨が引っかかるような、
そんなどうにもできないものの、気になるような違和感が
「……しかし、なんでその銀鉤穿ちは月のない夜にわざわざ出没してたんだ?」
「それだけの思考ができるのなら、心神喪失扱いになるほど気が狂うのだろうか……?」
真田は気づかない。造物主と呼ばれた"それ"が何なのかを。銀鉤という言葉が示す意味も。
通り魔が心神喪失となった理由も。数ヵ月前に目にした月の絵画と"造物主"の写真を見た時に抱いた感情が、同一だという事も
「────────」
「────────────アハッ」
通りすがったゴシックロリータファッションに身を包んだ少女が、月を見上げて微笑んだことにも
彼は何一つ、気づかない。
数日後
「真田よぉ……記事にここ最近パンチ足りてねぇんじゃねぇのか?」
「え? そ、そうですかねぇ」
New嬰児編集部にて、所属ライターのレプティリアン真田の書いた記事に目を通しながら、
編集長にしてNew嬰児創始者である男、高田才次郎が呟くように真田に対して言う。
「歴史や偉人に関する考察と解説はそりゃあもういつもと変わんねーけどよ……、
なんつーんだこれ。見出しに使う都市伝説にパンチがねぇ。もっとこう目を引くようなのに出来ねぇか?」
「あー……そうですか? ちょっとインパクトが少なすぎましたかね」
「お前らしくもねぇな。なんか別の考え事でもしながら書いたかこれ?」
「うぐっ」
鋭い、と真田は編集長に感じる。2人はそこそこ長い付き合いになるが、
今まで出会った人間の中で高田編集長はかなり勘が鋭い方の人間だと真田は感じている。
実際真田はと言うと、ここ最近は大阪・天王寺の講演会の際に知った"造物主"と呼ばれる謎の存在で頭がいっぱいだった。
月のない夜に出没していた通り魔、"銀鉤穿ち"が崇めていたという謎の存在……それが歴史上のどういった存在に端を発するのか。
気になって仕方がなく、仕事中も時間が出来れば思いつくワードで論文検索を続けている日々であった。
真田はライターであるが、それ以前に史学者だ。職業ではなく、魂が。
そのため記事の主題に対する考証や考察は大の得意だが、読者の気を引く見出しを考えるのには集中力を要する。
多くのライターの場合は、通常見出しから考察の順序だが彼に至っては逆なのだ。考証を伝えるために見出しを盛り上げる。
その為、謎の"造物主"に気が散っている今の彼では、読者の気を十分に引く見出しを書けないでいたのだ。
「まぁお前の記事は1つ出るのに時間かかるし、少しぐらい遅れても良いよ。
何なら書き直してでもいいぜ? もっとこう、すげぇ題材見せてくれ。えーっとなんつったか、
なんたらソーメンみてぇな秘密結社の名前とか出せばみんな食いつくんじゃねぇのか?」
「フリーメイソンですか? あれ実在の組織ですし……下手したら名誉棄損になりかねませんよ。
もう既に無くなってますけど、だからこそ下手な風聞を立てる事は出来ませんよ……」
「そうなんか? お前真面目だなー。そこが人気の秘訣なんだろうが」
「は、はぁ…………ありがとうございます」
フリーメイソン。都市伝説に少しでも触れた者ならば必ずと言っていいほどに名を聞いたことがある秘密結社。
その正体は魔術結社という存在であったが、表向きには友愛活動の同好会という形で存在しており、ある程度表社会でも名が広まっている。
だが世界が一変し、世界中の人類が聖杯を得てから3年が経ったある日、突如として"消滅した"という都市伝説がネット中を駆け巡った事があった。
動画サイトにフリーメイソンの首魁を名乗る男の解散宣言が暴露されたり、かつてメイソンリーであったという魔術師が公に名を出したり、
様々な憶測や風聞、根も葉もない噂からデマまで様々に飛び交うもやがて収束した、という一連の流れが5年前にあったのだ。
「(確か……今調べてもフリーメイソンのトップを名乗っていた男の終焉宣言の動画出てくるよな……)
すいません、ちょっと記事のネタ探してみます」
「おう、サンキューな。時間はかかってもいいわ」
ふと思い立ち、動画サイトで『フリーメイソン 解散』で検索をする。
怪しげなニュース模倣動画や、サムネイルに大きく装飾文字が書かれているような動画が並ぶが、
マウスカーソルをスクロールさせ続けると、やがてそれは出てきた。
『フリーメイソン首魁 解散宣言 再々うp版 2013/2/16』と
「これだ……」
息を呑みながら、イヤホンを耳に差して再生ボタンを押す。
映像は無く、ただ漆黒の映像に簡素な字幕とノイズが多分に混ざった質の悪い音声だけが抑揚なく聞こえてきた。
『私は────ザー────"死────ザザ──終──ザ』
『堕天─ザ───子ザザ────、お前たち──ザ────天敵ザ──ザ──』
『我ザらフリーメイザザ──ザ────宣戦────ザ─此─ザ──』
『ザ──ザ──ザ──逃げザ──ザザい者は────て良いザ──』
ブツリ、と音声が唐突に途切れて、代わりに画面には廃墟の写真が次々と映る。
そして画面に字幕が流れていく。『この音声は、2013年初頭に唐突にネット上に流出したものだ』と。
続いて『それから数日後、イギリスで大規模な災害が発生。半径十数mにおよび、建物は崩れ地盤は捩り曲がる異常事態が起きた』
『表向きには危険思想を持ったまま召喚されたサーヴァントによる大規模テロと紹介されているが、メイソン解散宣言と関連があると思われる』と字幕が流れた。
その後は突飛な考察や都市伝説、悪魔崇拝などといったオカルティックな話が続いたが、真田はそれら全てに目を通して、静かに頭の中で咀嚼した。
「(イギリスでの大規模災害…………? そんなものがあったのか……。
日本で報道は余りされていないみたいだな……。)」
気になった真田が、動画内で触れられていたロンドンの災害について検索をする。
少し時間はかかったが、マイナーなニュースサイトが国際ニュース欄で小さくをそれを取り上げているのが見えた。
「(────……あった、これか。2013/1/24……日付は確かに5年前だ。
……確かに、サーヴァントによるものと書いてあるな…どこの記事でも)」
大規模災害が襲ったのは、住所で言うならばロンドンのWC2B-5AZ。
大英博物館やロイヤル・オペラ・ハウスのある周辺を、まるで大嵐と震災が同時に襲ったかのような破壊が襲っていた。
曰く、サーヴァントが暴れただの、魔術テロ組織が蜂起しただのと、様々な原因が考察されているがどれも真相は闇の中に埋もれている状態であった。
だが調べるうちに、その事件が起きる前後で大規模な魔術師たちの部隊編成があったという証言を行っている者が数名いるという情報があった。
なんでもイギリスを破壊が襲うよりも前に、複数の魔術師たちに伝達があったらしい。『経歴不問、力ある者を求む』と。
一説によるとその呼びかけに集った魔術師達は数百とも千に届くとも噂されているが、信用できるソースは見当たらず、
結局どれだけ調べてみても都市伝説の枠を出なかった。
「………………待てよ?」
一通りモニターに映る情報を脳内に流し込んで、ふと疑問が真田の脳裏に浮かぶ。
画面に映った情報に? 違う。その引っかかりは、彼が先ほど思考した1つの情報だった。
「(5年前……? そういえば……先日木原さんが調査していた銀鉤穿ちも5年前だったな)」
何か関係があるんじゃないか……などとふと考える。
だがただ発生した年が被っただけで関連付けるのはさすがに短絡的すぎるか……と、
思考を一旦落ち着かせ、真田は何時ものように記事の見出しの為のネタ探しに戻った。
「(フリーメイソン関連はこれ結構"深い"やつだなー……。あんま調べないほうがいいかも)」
◆
────数日後
真田は迷走していた。考えすぎて"読者の目を引く記事"の書き方が分からない袋小路に陥っていた。
真田は書く記事の特色に反し、非常に真面目な男である。真面目過ぎるが故に、一度嵌ると頭が固くなるタチであった。
最初に調べたのがフリーメイソンという事もあり、ひとまず彼は古今東西の秘密結社について自宅のパソコンで調べていた。
薔薇十字、カルボナリ、黒手組、洪門……著名な物から既に歴史の影に埋もれて無くなったもの。
古いものなら神話に端を発するものから、新しいものは最近できた新興宗教まで、調べればそれはもう烏合のように出てくる。
モニターに並ぶそれらの組織の特徴や簡易な歴史、そして名前を見ていた所で、ふと見たことがある名が真田の目に留まった。
「……これは……」
"朔望輪廻"
聞いたことが、いや見たことがある名前だった。数ヶ月前、叔父の遺品を整理していた時の日記にあった名前だった。
やるだ様という起源不明の本尊を崇め、そして1980年代に集団自決を決行しその教えは失われ信者も消えたという謎の新興宗教……と解説がある。
『起源不明の本尊』という単語に、真田は"銀鉤穿ち"が崇めていた造物主を連想するが、今は仕事に集中するべく考えを振り切る。
「────ん?」
待てよ、と真田は思考を止め、今までの思考を巻き戻しもう一度思考する。
朔望輪廻は確かに集団自決をした。だが、その集団自決の理由は何だったか……。
叔父の日記にはこう書かれていた。『堕天使が邪魔をするからやるだ様は来られない』と
「(たしか……フリーメイソンって……ルシファー信仰してるって都市伝説あったよな……)」
それは、まだ真田が駆け出しライターだったころの話。
参考までに話を聞きに行った、とある都市伝説のプロ、関アキラから聞いた話だった。
『フリーメイソンは表向きは友愛を掲げている。しかし、しかしだ。その実彼らは悪魔を信仰している。
神ではない、悪魔をだ。何故かって? 彼らのトップが悪魔だからだ。彼らのリーダーは、創始者であるジャック・ド=モレーの名を代々名乗っている。
何故? それはね、ジャックが不老不死のまま上に居座っているから。代々襲名してるんじゃなくて全員が同一人物なの。これ写真ね、全員そっくりでしょ?
それは彼が悪魔だから。ルシファーとかルシフェルとかサタンとか、そう言うのだね? 信じるか信じないかは、あなた次第』
与太話……とまでいうのは失礼だが、話を盛り上げるための1つの冗談だと思っていた。
だがしかし、現実に新興宗教の一員が……それもメイソンがまるで関係ない日本住まいの男性が、
『堕天使が邪魔をする』といった意味とどうしても繋げて考えてしまっていた。
「(もし堕天使=フリーメイソンだというのならば……、
"やるだ様"にとってフリーメイソンの存在が邪魔だった…と取れる。
なら、メイソンが無くなった今はその"やるだ様"とやらは復活しているとでも……?
そんな話は………。────ッ!!)」
やるだ様、と呼ばれる存在の正体の推測に思考が移っていた彼は、
叔父の遺した日記から、"それ"が堕天使と敵対している者だと考えた。
堕天使をフリーメイソンだとして仮定するならば、おそらくメイソンが滅びた今なら"それ"は自由。
すなわち"それ"が昨今に蘇っている、あるいは信仰が復活しているのではないか? という思考にシフトした。
だがそのような存在が蘇ったという話は聞かなかった。……はずなのだが、彼は実際にその名前を聞いていた。
創幸教団
実家からの帰路につく際に、駅前で勧誘をしていた新興宗教団体。
彼らは確かに言っていた。やるだ様と呼ばれる存在の名を。すでに信者はいなくなったはずの朔望輪廻と同じ本尊の名を。
そんなまさか……と考えながら、興味本位で創幸教団が活動を開始した時期を調べてみた。
すると、本格的に新興宗教として活動を開始したのが、5年前だと発覚した。
「……一致する……。フリーメイソンが滅びた時代と」
調べると、創幸教団はそれまでは人の少ない辺境の山村や田舎で細々と活動していたらしい。
だが根城とした村や地では、家事や崩落などの災害が多く、信者の獲得には成功していたが移転が連続していた。
だが5年前、突如として新興宗教として力を持ち拠点も設立。力を拡大させ現在に至るとあった。
それらの記録が物語る。5年前に確実に"なにか"があったのだ、と。
それがあったから、フリーメイソンは解散し、そしてそれによって"やるだ様"が動き出したのではないか…と。
真田の脳内で、断片であった情報たちが組みあがって一つの仮説になっていく。だが、それでも"やるだ様"の正体だけは分からない。
一切正体も起源も分からない新興宗教の本尊に対して、真田の心は怪しい光に惹かれる羽虫のように誘われていった。
「なんなんだ……このやるだ様って存在は……? 全くもって起源が不明だというのに……、
大きな存在感を放っている……。分からない……。これは……"なんなんだ"…?」
「おい」
突然声をかけられて、ビクリと肩を震わせる真田。
振り向くと、彼が召喚したサーヴァントであるアレイスター・クロウリーがそこに立っていた。
「なんだ……アレイスターさんでしたか。どうしたんですか?」
「酒が切れた。買ってくる。金は何時ものように稼ぐが前借りで良いか?」
「あー…良いですよ。でもこの前みたいに勝手にウィスキーまで買ってくるのは無しですからね?」
「キキカキ!! 分かっているさ……。誘惑には勝って見せる……」
アレイスター・クロウリー。20世紀最大の魔術師と呼ばれる男。
彼はマスターである真田とは、比較的相性が良い。アレイスターが語る魔術理論を真面目に聞くというのが第一の理由であり、
次に真田としても彼が語る理論────主にビーストや、召喚魔術などの英霊の基礎────についても、非常に役に立っている。
知識を語りたいものと、知識を得たい者。互いに相性が良いために、良好な主従関係を築けているというわけである。
「────貴様も」
「はい?」
「貴様も誘惑には負けるなよ。"フリーメイソンには手を出すな"」
玄関のドアノブに手をかけながら、アレイスターが睨みつけるように真田を見据えながら言う。
やせ細った指が、魂の芯まで見据えるかのように真田の方を向いていた。
「は………はぁ……お、お知り合い?」
「昔の話だ。いや……今は2025年……だから、ふむ……最近の内、か。まぁ良い」
ぶつぶつと言葉を呟きながら、アレイスターは買い出しへと出かけた。
真田はただ、自分の奇妙な同居人のいなくなった玄関の方を向きながら、首を傾げるしか出来なかった。
────深夜。New嬰児編集部にて
「うーん………………さて……ここからどうするか……」
数週間のスランプを終え、記事を書き終えた真田が大きく伸びをする。
タイトルは『5年前に起きた一大事件! 世界崩壊の序曲と共に暗躍する結社達!』と画面に大きく映されている。
先日のフリーメイソンの崩壊という情報を得てから、彼はそのことしか頭に残らなかった。あまりにも印象が強すぎたからだ。
結果何を書こうにもそのネタが気になってしまい、気づけば5年前の事件を検索かけている自分に気付いた彼は、『じゃあいっそそれを中心にしよう』と考えた。
大阪・天王寺で知った銀鉤穿ちの事件を発端に、創幸教団の設立、フリーメイソンの崩壊……。
彼がここ数日の経験の中で知ったそれらの事件や出来事は、そのどれも5年前がキーワードだった。
それに加えて、それらに付随する"造物主"と、それを邪魔すると言われた"堕天使"。そして関連する"月"というキーワード。
それらがいつまで経っても頭の中から消えないでいた彼は、いっそのこと振り切ってそれを中心に記事を書いてみようと試みたというわけだ。
幸い5年前という時系列の繋がりと、分かりやすいキーワードがあるから読者の気を惹く記事の見出しは書きやすかった。
ただ問題が1つあった。上記3つの単語に絞って5年前に起きた事件を調べた所、数があまりにも多かったのである。
それらは全て秘密結社が関係する事件であり、1つ1つは些細な物であったが、キーワードで絞って調べた所、真田が予想だにしない数がヒットした。
まるで石の塊から彫刻を掘り出すように彼は気づいてしまったのだ。フリーメイソンの崩壊を契機として、世界中で古今東西様々な"秘密結社"と"月"が結びついている事に。
どれも手法や理由、時間、場所、そして起こした集団の全ては異なったが、どれも"月"あるいは"造物主"といった存在が関わっていることを知ったのだ。
"血命団、深夜に集団決起。決起時の情景になぞらえ組織名を月下血盟へと改名"
"トゥーレ教会、ドイツ・バイエルンの地にて大規模集会。月に祈りを捧げる集団ヒステリー状態を引き起こす"
"シオン修道会を名乗る存在がスイス大使館ホームページをクラッキング。『笑う月ウィルス』が初めて使われた事件"
"フィリキ・エテリア残党を名乗る人物による、月夜の集団暴行事件発生。父たる工匠へ捧げようとした、などと供述"
"ゾルタクスゼイアン、集団自殺。『クリエイター』と呼ばれる存在を崇めながら投身自殺を続ける"
「(そして創幸教団の設立…か。表向きにはかつてあった戦争の被害と、
大きく様変わりした世界への鬱憤が噴出した、と推測されているな……。
でも……個人的に気になるのはこれなんだよなぁ……)」
カチカチ、とPCを操作しながらエクセルを起動する真田。
そこには世界地図が描かれており、それに加えて大小様々な紅い円が記されているのが見えた。
「(まるで何かが移動しているかのように……多く事件が起きた場所と時期を線で繋げられる……。
イギリスから始まって、フランス…エジプト…インド……中国…日本……そして何より、今でも途切れていない。
頻度は低くなったものの……まだ世界中で秘密結社を名乗っていた彼らの"狂"行は続いている……)」
これを"月の狂気"による一大事件である、とする事を見出しにしようとしていた真田であったが、
もしかするとそれが真実なのではないか、という疑念が真田の中にはあった。何らかの…バーサーカーのような、
強力な英霊の仕業ではないかと。考えすぎだ。と自分に言い聞かせてもなお、真田は自分の中に生じた疑念が拭えないでいた。
如何せん、叔父の日記にあった"やるだ様"という名前が現実にある新興宗教の本尊と繋がった事実を体験してしまったからか、
彼の脳内では、この月と狂気に関連する一連の事件には本当に、嘘偽りで無く大きな繋がりがあるのではないかと、どうしても疑ってしまう状態にあった。
「(だとすると…やはり首謀者は造物主と呼ばれる何か……。それしか考えられない。
でももしそんなのが本当にいるなら…記事のネタにするのは辞めたほうがいいか?
うーん…………、でもなぁ……正直これ以外にもうネタは無いし締め切りも……)」
「おっ、レプティリアンさんもこんな時間まで残業ですか。お疲れ様です」
「ああどうもアングラさん。コンビニ帰り? そっちの記事は順調?」
「ええまぁ、順調です。ちょっと読んでみます?」
画面を真剣に覗き込んでいた所、唐突に声をかけられる。
声をかけた青年の名は、同じNew嬰児編集部に所属する安倉太郎というライター。
ストリートアーティストやインディーズバンド等、知名度がほとんどないマイナー専門の紹介記事を担当しているライターである。
席から立ち上がり画面を覗いて見ると、今回も路上ライブを行っているようなマスターやサーヴァントを複数紹介している。
そんな記事で、真田はその記事のタイトルに注目をした。
「あれ? これって……"同一なれど違う英雄たち"って?」
「あれ知らないんです? サーヴァントって複数の、えーっと、側面って言うんですかね?
そういうのがあるらしいですよ。このヴラドさんとか分かりやすいですかね。この人がワラキアの偉い人のイメージで、
こっちはドラキュラのイメージで召喚された人っすね。これがまた違いが結構あって、どっちもヴラドさんなんですけどマスターの好み? とか、
そういうのが出ているんですかね。片方がホラーなロックでもう片方はクラシックって感じで、マスターのライブに力を貸している所はどっちも似てるんですけど、
アプローチが違うといいますか、其れよりもやっぱ────────」
早口になり始めた安倉の会話をよそに、真田は記事に掲載されている写真をまじまじと見つめる。
なるほど、似ても似つかない2人ではあるが、どちらも同じ英霊らしい。歴史に詳しい真田はそれを見て、納得の感情を抱いていた。
確かに英霊と言っても一枚岩ではない。例えば神話のオデュッセウスなどは、アカイアからすれば戦争を終わらせた智将の英雄だが、
トロイア側からすれば卑劣なる策で国を滅ぼした悪人ともいえる。このように、見る立場によって英雄という存在は価値が変わる。
立場だけじゃない。時代、国、流行、風説、時節、様々な要因が英雄という存在の構成要素となる。
聞けば英霊とは信仰によって形作られると聞いた。其れならばなおさらだ。ある時は清廉潔白なる英雄だったが、
時代を下れば大罪人として扱われていた事など、歴史を探ればしょっちゅうだ。そういった文献を真田は今までいくつも見てきた。
だからこそ彼は納得したのだ。こういった形で、サーヴァントは"分かれる"のか、と。人の思いが形を作るならば、相反する思いは2つに分かれる。
考えてみればそれは、当たり前の事なのかもしれない。
「…………次の記事のネタに出来るかもな」
「お? レプティリアンさんも音楽に目覚めました? 初心者に良いストリートライブの公園があるんですよ。
演るほうから入ります? それとも見る方から? どっちにも詳しいですよ自分。まずそうですね、初心者には────────」
考えを整理する前に、安倉の早口になった語りに真田は呑まれて往き、
結局その話は明け方近くになるまで続いて、真田は朦朧とした状態で記事の続きを書き続けることとなった。
◆
「うーん……、眠い……。でも…さすがにこれ以上……記事掲載を延ばすわけには……」
「人間というのは不便なものだな、睡眠を必要とするなどとは。その点サーヴァントに肉体は実に良い」
クキッ、と笑い声が響き、真田の背後に彼のサーヴァントであるアレイスターが顕れる。
突然の出現に驚くも、今はそれにリアクションをするより記事を書き上げる事に注力をしていた為、
彼にリアクションを返す余裕は真田には存在していなかった。
「何の用っすかアレイスターさん……」
「いやなに、我が"銀の星"とのSkype通話による神託が終わったので、邪魔しにきたまでよ」
「ああ……玄孫でしたよね。元気でした? その、アドリアナさんは」
「フッ、ああ……。相変わらず、健康体だったよ」
普段のアレイスターからは到底想像がつかない穏やかな笑みを浮かべながら、アレイスターは語る。
だが画面に注力している真田はそんなことを気付かず、いつもの世間話を続けるように会話を次の話題へ移す。
画面には、造物主やクリエイター、工匠などといった単語が躍っては文章の形をなしてゆく。
「ところでアレイスターさん。"造物主"で"工匠"って言ったら何連想します?」
「────? 謎かけか? 黄金の夜明けでメイザースの奴に問いかけられたものにも劣るレベルに聞こえるが?」
「いやそうじゃないっすよ…………。ただちょっと、20世紀で一番すごい魔術師がこの単語から何を考えるかなって思って」
「ふむ…………。なら敢えて、単純な答えを投げてやろうか」
顔を傾けながら、既に薄く明るくなり始めている東の空の方を向き、アレイスターは一言、その名前を言い放つ。
「"デミウルゴス"」
「…………グノーシス神話の、偽りの神……でしたよね」
「分かっているな。その通り。造物主で、工匠となればそれしかないであろうよ。
お前も薄々感づいてはいたのではないか? 勘づいていたからこそ、聞いた。違うか?」
「まぁー…………うん……ええ。選択肢にはありました。これ見てくださいよ」
そう言って真田は、モニターに創幸教団のホームページを見せる。
そこには『間違った世界を否定し、やるだ様の導きの下に〜〜』と目が痛くなるような文章が綴られている。
「なんだこのちんどん屋の如き集団の造語は?」
「いえ……思ったんですよ。"やるだ"って、ヤルダバオートじゃないか…って」
「────────ふむ。なるほど。では逆に問うが、何故そう考えた?」
「5年前から……色んな秘密結社が世界中で事件を起こしてるんですよ。
そのどれもが、"月"、"造物主"に類する単語を伴って行動を起こしている……。
妙だと思いませんか? それでもし、このやるだ様? ってのがヤルダバオートなら……
「なるほど、貴様はこう考えるか? "こいつらとその造物主とやらもまた、繋がっている"と」
「実際思います。彼らの教祖……"ちゃんどら様"って名前も、インドの月の女神でしょ?
だから彼らもまた、この一連の事件の首謀者と関りがあるんじゃないかって」
「なるほど。少し見せて見ろ」
そう言って、真田の机に置かれている記事を印刷したものをひったくるようにアレイスターは奪う。
書かれている内容、5年前に崩壊したフリーメイソン、5年前から起き続ける事件と、その背後にある"月"と"造物主"。
それらは実はある巨大なサーヴァントが狂気を用いて人々を操っていた! ……という内容であったが、文章には迷いがあるのをアレイスターは見過ごさなかった。
最終的にその文章を数度読み返した後に、フリーメイソンのマークを見て短くため息をついて、そして短く鼻で笑った。
「お前、この文章に自信が無いな?」
「ええ!? いきなり罵倒されていますか僕!?」
「当然だ。お前、肝心な点と点が繋がらない事に自分で気づいているんじゃあないか?
この記事の主題……5年前から人々を動かす"狂気"とやらと、首謀者とみられる"造物主"とやらに接点がない事に」
「うぁー…………はい。全くもって、その通りです。とりあえずデミウルゴスと狂気ってゴールまでは辿り着いたんですけどねー……。
デミウルゴスについても色々調べてみたんですけど、とにかく曖昧とした物ばかりで……。狂気と関係なくないか? って」
「そもそも、連中が月を掲げ、凶行を続けているからその2つを繋げて狂気と推測したのだろう? そんなものでは甘いよ。
お前は狂気が何なのか理解していない。事件を起こした側の外にいる。それでは真相に辿り着くことなぞ出来ん」
「んー…………、じゃあ……アレイスターさんは、狂気とは何だと思いますか?」
真田はぼそりと、呟くように"それ"を問うた。
アレイスターはピクリ、と片目を見開いた後、口端を徐々に吊り上げて往き、高く笑いながら答える。
「キ、キキ! クカクキクキキキ!! こ、コノ! この私にそれを問うか!!
ヒッ! ヒャカカカカカ!! 良いだろう! 知りたいならお前に理解できるレベルで端的に答えてやろう!!」
「………………………エイワスやコロンゾンにまで通じた貴方が、端的に言う狂気とは、いったい……?」
「簡単だ。"世界を否定したい"んだよ……狂人(わたしたち)は」
「────世界、を……否定?」
「そうだ」
キヒッ! と笑ってアレイスターは明るくなり始めている東の空を指差して、声高く叫ぶ。
「我々はこの世界が気に入らない。この世界が、環境が、常識が、他人が、自分が気に入らない!
だからこそ外れたいのだ。世界から外れているのだ! ゆえに世界が狂人とレッテルを張るのだ! 分かるか!?」
「え……あ……ま、まぁ確かに。この一連の事件で協力したと思われる人たちはみんな常識を逸脱していますけど……」
「違う! 違う! もっと根本だ! お前はそもそも"狂気"を一言で括っている! だから袋小路に迷うのだ!
狂人など、狂気など! 時代地域人種風聞流行時節民族法則学問によってそれこそ様々に違う! そんな狂人共が手を取り合うか?
無いと断言しよう! だが! 唯一この既存世界を否定するという思いだけはァ!! ……狂人の遍くは、抱いているだろうさ」
「…………………! 既存の…………世界を……否定、する…………?」
アレイスターの高らかな声と共に宣言される演説に圧倒される真田。
だがその言葉には確かな説得力があった。何せ狂人と世界中から言われ、
最終的には「世界最悪の悪人」とまで言われた男だ。その主張を荼毘に付すなど出来やしない。
それが例え正解でなくても、非常に貴重な意見の一つ、あるいは世界の真実の一側面であろうと真田は理解していた。
故に────その主張と共に、今までの総ての情報がまるでパズルのように組みあがってゆく。
狂人とは、即ち世界を否定するモノ……。そう定義するとして────その狂人たちが、一斉に掲げ始めた"造物主"。
そして、その造物主を"デミウルゴス"あるいは"ヤルダバオート"と定義するとして────その名が指し示すは、グノーシス主義。
確かにグノーシス主義は、そもそもこの世界を間違いであるとする学問だ。世界を否定するとしたら掲げる事に相性はいい。
しかし、デミウルゴスという神は本来存在しない。その語源はプラトンが書物の内部で触れた、工匠を意味する言葉だ。
それが神として扱われるようになったのは、グノーシス主義が神話を取り入れたソピアー型神話というものの中での話でしかない。
旧約聖書やギリシャ神話のように歴史を持つわけではない。確かにその名前は、Y.H.W.H.の信仰を組み込んでもいるが……
「いや…………待て……待て、待って、待ってくれ!!?」
「どうした?」
突如として真田は血相を変えてモニターに向かい、記事を書いていたテキストソフトを閉じ、
インターネットブラウザを開いて思い当たる節と今までの彼が学んだ歴史・神話の記憶を総動員させて検索をかける。
文字を入力し検索、そしてそのモニターに表示されたデータを咀嚼、そしてまた浮かんだ疑問を入力、検索…………。
数分ほど繰り返し、一つの仮説に至った真田は椅子から立ち上がり、アレイスターと向き合って一つの問いを投げる。
「アレイスターさん……。20世紀最大の魔術師にして、最新の召喚魔術の権威と見込み、1つ問います」
「許そう。いくらでも問え。その結果が、例えお前の破滅だとしても問え。躊躇は許さん」
「────を────として、────させサーヴァントとして召喚する事は可能ですか?」
真田は、それが出来る事であるという確信をもって問うた。
今まで彼が体験し、そして知ったすべての事実が、これまで彼が知った一連事件が"それ"を目指していると、彼の全ての脳細胞が告げていた。
だが同時に、それを否定したいという気持ちもあった。もしこの仮説が実際にこの世界で実行されれば、文字通り世界が終わる。
そう確信があった。故に真田は心の底から願っていた。頼む、否定してくれ、出来ないと、一言でいいから言ってくれ、と。
だが
「通常は無理だ。神はこの地に呼べない」
「じゃあ………!」
「だが、神を呼ぶ土壌……即ち神殿……そして"信仰"さえ用意できれば……不可能ではない。
……例えそれが実在しようが、しなかろうが、"そう望まれたのならば"、召喚は可能だ」
「────────あ………ぁあ……、そ……そんな………!」
「人の信仰が英霊を生む。それが神霊とて変わらん。多少の手順は必要になるであろうが────どこへ行く!?」
「ちょ……電話!! まずい…これまずい、マジでまずい!!」
真田は思った。自分が書こうとした存在は大きすぎる。
これをそのまま世に出せば、自分はきっと"彼ら"に消される。
そして何よりも────あの日調査を続けていた彼女、木原が危険だと。
自分の記事は削除すればいい。まだ世に出していないから。だが彼女は既に調査している事を大きく公にしていた。
もし自分の仮説が本当なら、これを成そうとしている狂人の群衆は常軌を逸している。自分が気に入らない、それだけの理由で世界を亡き者にしようとしてる。
故に彼は走った。伝えなくては。木原さんが危ない。彼は使命感のようなそんな感情に支配されながらロッカールームに走り、
自分のロッカーの中に仕舞っていた安物の携帯電話を取り出して、唯一登録されている女性の番号に電話をかける。
だが
『おかけになった電話番号は電波がとどかないところにあるか、電源が入っていないためお繋ぎできません』
「んぁ!! くそ!」
ガン!! とロッカーに蹴りを入れる。
疑問が脳内を走る。別人に電話するべきか、いやそもそも警察へ相談するべきか?
いや、サーヴァント関連に警察はあまり役に立たない。こうなったら秋葉原にいるという聖痕に頼るべきか?
そう彼は、電話から響き続ける平坦な音声を聞きながら思考していた。
「どうする……どうすればいいんだ……」
『おかけになった電話番号は電波がとどかないところにあるか、電源が入っていないためお繋ぎできません』
「いやまだ仮説の段階……。それにもしこんな仮説が本当だとしたら誇大妄想が過ぎる!」
『おかけになった電話番号は電波がとどかないところにあるか、電源が入っていないためお繋ぎできません』
「だけど…サーヴァントは何でもありだ…。だからこれも100%在り得ないとは断言でき」
『おかけになった電話番号は電波がとどかないところにあるか────────』
『私が殺しちゃったので、お繋ぎできませーん♪」
電話越しに響いていた平坦な機械音声が人としての感情を突如として持つ。
そして同時に、電話越しに響いていたはずの女性の声が、自分の背後から響いた声と重なり合う。
刹那
腹部に走る
冷たい感触
「…………へ?」
それは、冷たい金属を突きさされたような感触で
それは、後ろに突如として少女が出現したかのようで
それは、痛いようでとても安心感があるようで
それは、まるで眠くて仕方がないようで────
「あぁら、やっぱり男の子でしたかぁ。ざぁんねん。ワンチャン、セクハラ対策で男装してる女の子だと思ったんですがネ。
男の子に生んでくれた両親に感謝してくださいねぇ? ではでは、おやすみなさぁ〜い」
窓越しに輝く沈みゆく月の下で、ゴシックロリータの少女が朗らかに微笑んでいた。
◆
◆
◆
◆
「────────だ……」
「────────なだ……」
「さなだ……!」
「オイ真田ァ!! 起きねぇか馬鹿野郎!
ロッカーで寝るとかおめーとうとうアパート追い出されたかぁ!?」
「ぇは!!? え? はぇ!!? 編集長!? あれ? え? え? ここ何処!!?」
聞きなれた怒鳴り声によって、真田は意識をはっきりと覚醒させる。
周囲は見慣れた、自分の勤めるNew嬰児編集部のロッカールーム。灰色の天井と、眩しい朝日が網膜に光を齎す。
そうして彼はというと、そのロッカールームの床に大の字になって寝っ転がっているという事実に気付くまで少し時間がかかった。
「あれ? え……僕もしかしてロッカールームで寝てました!?」
「気づいてなかったんかいおめー! 仕事熱心もいい加減にしろアホ!!」
バゴォ、と丸めた新聞紙で頭を引っ叩かれる真田。
その痛みは間違いなく現実のものであり、今の情景が夢ではないと感覚を以て教えてくれた。
「まぁー良いや。そんだけ熱心に記事書いてたって事だろう。
んで? 進捗はどんなもんよ? もうそろっと記事の第一稿出せそうか?」
「───────────────え? …………記事?」
「………もしかしてよ、忘れてた…………とか、冗談ねぇよな?
昨日も熱心にひーひー言いながらキーボード叩いてたろ?」
「いえ……。えっと……」
「すいません。ここ数ヶ月、何やってたか全然覚えてないんです…………」
その後数十分ほど真田は、高田編集長と対話をしたが、本当に記憶が抜け落ちていると分かると病院へ連れていかれた。
何度か精密検査をしてみたものの、異常はなし。根を詰め過ぎた過労による記憶障害である……と診断され、真田は初めて原稿を落とした。
ライバル編集部による魔術での妨害か!? とまで話が広まったが、その後しっかり真田が何時ものように記事を書けていたため騒ぐ人はやがていなくなった。
いやむしろ、この事件を契機に真田の見出しを書く力が飛躍的に向上したとも言われ、今ではこの事件を覚えている者の方が少ないぐらいだ。
故に、この事件は、この今までの一連の流れは、誰も知らないし、覚えていない。
ただ知ってはいけない事件に近づきすぎたら、痛い目を見る。それだけの教訓だ。
「まぁ皆さんは、何事もあんまり知りすぎないほうがいいですよ?」
「この世界は、怖い人がいっぱいなんですから」
満月の下に、微笑む少女が一人、謡うように言葉を紡ぐ。
そして、時は流れる。7年の時が過ぎ、一人の継承の王が、理性を掲げ、物語の歯車は再び動き始める。
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