最終更新: nevadakagemiya 2017年12月21日(木) 01:29:50履歴
山中。突如巻き起こった猛吹雪の中を、数人の男達が隊列を組んで歩く。
はぐれぬ様に、取り残されないように、先に行く者と後を追う者をしっかりと確認しながら、男達がゆっくりと吹雪の中を進む。
その足取りは重く、ゴーグル越しに見える目には気力は宿らず…その姿は、今の彼らの心境を如実に現しているかのようだった。
『山の天気は変わり易い。だからきっちり準備をしていこう』
リーダーの男の言葉に皆は同意し、万全の備えで山に挑んだが、けれどもそれすら無意味となる悪魔じみた白銀の暴力。
彼らは、決して山を甘く見ていた訳ではない。彼らは、山の恐ろしさを理解していた。
その彼らであっても、この猛吹雪は予測しえなかった。
「まただ…また、熊の声が聞こえた」
「やめてくれ…こんな吹雪の中で、そんなものが聞こえるものか」
男達の一人…殿を歩く若者の呟きに、先を歩く男が力なく言葉を返す。
彼が、「熊の声が聞こえる」と呟き始めてどれだけ経っただろうか?一時間か?半日か?それとも、一日だろうか?
全てを覆い隠す白は、彼らから時間の感覚すらも奪い去る。
「違う…今度のは、近いんだ…。もっとすぐ近く…」
「いい加減にしろ…!そんなもの幻聴に決まってる…」
「違うんだ…すぐ、すぐ後ろ…!すぐ後ろから聞こえるんだ…!」
叱責する声も力なく、若者の悲鳴は止まらず…それを止めたのは、獣の唸り声。
男達は、気力の無い瞳に恐怖を浮かべて振り返り、背後に迫るものを見た。
そこに居たのは、推定して全長3mをゆうに越えるの獣の影。
まるで、それこそが吹雪の中心であると言わんばかりに、白銀に染まる世界の中にはっきりと姿を現す…一頭の羆。
そのぎらつく瞳が男達を捉え、貪欲な欲望を唸りと涎に変えて着実に、確実に死と言う獣が近づいてくる。
数秒の硬直。その一瞬の間、男達の脳を支配するのは思考も出来ないほどの恐怖。
その硬直を破ったのは、誰かの悲鳴。恐怖が爆発し、その余波が悲鳴となって吐き出されれば、それを引き金に男達は我先にと前に駆け出す。
重かった足取りが嘘のように、今までの足取りを嘘にしようと足掻くように、体に残ったなけなしの体力を食い潰しながら。
そして、獣はそれを嘲笑うように悠々と…けれども確実に追い詰めていく速度で追いかけ始める。
最初に上がったのは、殿の若者の悲鳴と、肉の潰れる音。
男達は振り返り、そして後悔する。
次に上がったのは、その前に居た男の絶叫と、骨が砕ける音。
男達は振り返り、矢張り後悔する。
三番目は、その更に前を居た壮年の男の命乞いと、腸の撒き散らされる音。
彼らは、もう振り返らなかった。
走る。走る。走る。走る。再び重くなる足を無理矢理に動かして、男達が走る。
喰らう。食らう。喰らう。喰らう。その無意味な抵抗を笑うように、獣が追いかけ、次々と男達を喰らう。
また、男達の誰かが雪に足を取られて雪の中に倒れ、背骨を踏み潰されて息絶える。
生き残りは僅か三人。隊列は既に乱れている。次は誰が餌食になるのか分からない。
彼らの脳を支配するのは、恐怖一色。
と、ふと三人の中の一人が前方を見て目を見開く。
「山小屋だ!山小屋があるぞ!あそこに逃げ込め!!」
「馬鹿な!山小屋なんて一体どこにあるって言うんだ!!」
「い、いや…ある!あったぞ!目の前だ!すぐそこだ!!」
そこに在ったのは、吹雪の中に浮かび上がるように現れた山小屋。
何時からそこにあったのか?こんな偶然が果たして本当にあるのか?そもそも、こんな山小屋に逃げ込んだ所で助かるのか?
そんな事を考える余裕など男達には残っていない。ただ目の前に現れた、その山小屋に救いを求め、最後の力を振り絞って足を動かす。
そのすぐ後ろ、獣が急に動きを早める。
一人目が、山小屋のドアに手をかける。鍵は掛かっていない。
二人目が、一人目の開いたドアへと諸共に転がり込む。
三人目の背を獣の爪が捉え、血飛沫と共に前に跳ね飛ばす。
一人目と二人目が倒れた三人目の腕を掴み、山小屋の中へと引きずり込む。
獣が山小屋に体当たりするのと、山小屋のドアが独りでに閉じるのは…同時だった。
「助かったのか…俺達は?」
「分からん。だが、ここに山小屋が無ければ俺達は全員、あいつの腹の中だったのは確かだ…」
「そ、そうだな…生き残ったのは、三人だけか。怪我の手当てが出来そうな物は、あるか?」
「分からん…少し探してみよう。お前は、そいつの事を見ておいてくれ」
「あぁ…」
一人目は、呻く三人目を抱えて部屋の中央に運び、二人目が山小屋の奥に足を進める。
外から聞こえるのは、吹雪の音と獣の咆哮。そして、ドン!ドン!と山小屋に獣が体をぶつける音。
疲労と安心感からだろうか、今の彼らには不思議と山小屋の外の音が酷く遠いもののように感じられていた。
「大丈夫か?生きてるな?もう暫くの辛抱だぞ」
果たして、自分達は無事に山を降りられるのだろうか?
一抹の希望に縋るゆに、一人目は何度も何度も三人目に元気付けるよう言葉を掛ける。
三人目は呻きながら、その言葉に応えて何度も頷く。その背中は血と雪で染め上げられていた。
「おい!救急箱に包帯があったぞ!それに食糧に酒もだ!!」
「…!?ほ、本当か!」
「それだけじゃない、綺麗なベッドに風呂だってある!吹雪が止むまでの間、ここに留まっても大丈夫そうだ!」
「はは、至れり尽くせりってやつか?冗談みたいだな、まるで…!」
「まったくだ!だが、ありがたい…。とにかく、まずは手当てを始めるぞ。」
「あぁ…酷い傷だな。救急箱の中の薬で、大丈夫そうか…?」
「分からん…こいつはドイツ語か?ラベルの絵で、何に使うのかは何となく分かるが…」
「ドイツ語だろうが何だろうが、薬には変わらんだろ。ありがたく使わせて貰おう」
「おう、そうだな」
一人目と二人目が三人目の治療を始めてから暫くして、ふと外の世界の音が変わる。
まるで獣と何かが争うような音。金属と毛皮がぶつかり合い、咆哮と叫びが飛び交うような音。
何が起きているのだろう?遥か彼方から聞こえるかのような音に、疑問を浮かべながらも治療の手を休めない。
外で何かが起きているにしても、今ここで手を止めてしまえば生き残った命がまた一つ失われるかもしれない。
だから、彼らは治療を続けながら祈る。外の音が、更なる絶望を運ぶものではない事を。
ふと、外の世界の音が止んだ。
吹雪も、咆哮も、衝突音も…先程までの、激突音も。
男達がそれに気付いたのは、音を立てて開く山小屋のドアと…その先から届く暖かな日光を感じてからだった。
ドアの向こうにあったのは、晴天の空と一面の銀世界。白雪に刻まれた夥しい血の痕と獣がのた打ち回ったような痕跡。
引き摺るような獣の足跡が、遠くに見える森の方へと続いている。
何が起きたのかは分からない。だが、自分達は助かったのは確かだ。一人目は、その事を理解しながら獣が去ったであろう森の方に視線を向ける。
「ん?」
「どうかしたのか?」
「い、いや…多分、見間違いだな。おっ、そんな事より意識が戻ったようだぞ」
「おっ!本当か!」
「お…俺達は、生きてる…のか?」
「おう!助かったんだ!結婚したばっかりの嫁さんに、また会えるな!」
「体力が戻るまで、この山小屋で休んでから下山するぞ!元気な姿を見せてやらないとな!」
「あぁ…あぁ…!そうだな…!」
男は、その森に向かう一団の事を、何故か誰にも話す気にはなれなかった。
『登山には似合わない白い服を着た若者と全身斧だらけの女を見た』なんて言っても、きっと誰も信じてくれないだろうと、そう思ったから。
はぐれぬ様に、取り残されないように、先に行く者と後を追う者をしっかりと確認しながら、男達がゆっくりと吹雪の中を進む。
その足取りは重く、ゴーグル越しに見える目には気力は宿らず…その姿は、今の彼らの心境を如実に現しているかのようだった。
『山の天気は変わり易い。だからきっちり準備をしていこう』
リーダーの男の言葉に皆は同意し、万全の備えで山に挑んだが、けれどもそれすら無意味となる悪魔じみた白銀の暴力。
彼らは、決して山を甘く見ていた訳ではない。彼らは、山の恐ろしさを理解していた。
その彼らであっても、この猛吹雪は予測しえなかった。
「まただ…また、熊の声が聞こえた」
「やめてくれ…こんな吹雪の中で、そんなものが聞こえるものか」
男達の一人…殿を歩く若者の呟きに、先を歩く男が力なく言葉を返す。
彼が、「熊の声が聞こえる」と呟き始めてどれだけ経っただろうか?一時間か?半日か?それとも、一日だろうか?
全てを覆い隠す白は、彼らから時間の感覚すらも奪い去る。
「違う…今度のは、近いんだ…。もっとすぐ近く…」
「いい加減にしろ…!そんなもの幻聴に決まってる…」
「違うんだ…すぐ、すぐ後ろ…!すぐ後ろから聞こえるんだ…!」
叱責する声も力なく、若者の悲鳴は止まらず…それを止めたのは、獣の唸り声。
男達は、気力の無い瞳に恐怖を浮かべて振り返り、背後に迫るものを見た。
そこに居たのは、推定して全長3mをゆうに越えるの獣の影。
まるで、それこそが吹雪の中心であると言わんばかりに、白銀に染まる世界の中にはっきりと姿を現す…一頭の羆。
そのぎらつく瞳が男達を捉え、貪欲な欲望を唸りと涎に変えて着実に、確実に死と言う獣が近づいてくる。
数秒の硬直。その一瞬の間、男達の脳を支配するのは思考も出来ないほどの恐怖。
その硬直を破ったのは、誰かの悲鳴。恐怖が爆発し、その余波が悲鳴となって吐き出されれば、それを引き金に男達は我先にと前に駆け出す。
重かった足取りが嘘のように、今までの足取りを嘘にしようと足掻くように、体に残ったなけなしの体力を食い潰しながら。
そして、獣はそれを嘲笑うように悠々と…けれども確実に追い詰めていく速度で追いかけ始める。
最初に上がったのは、殿の若者の悲鳴と、肉の潰れる音。
男達は振り返り、そして後悔する。
次に上がったのは、その前に居た男の絶叫と、骨が砕ける音。
男達は振り返り、矢張り後悔する。
三番目は、その更に前を居た壮年の男の命乞いと、腸の撒き散らされる音。
彼らは、もう振り返らなかった。
走る。走る。走る。走る。再び重くなる足を無理矢理に動かして、男達が走る。
喰らう。食らう。喰らう。喰らう。その無意味な抵抗を笑うように、獣が追いかけ、次々と男達を喰らう。
また、男達の誰かが雪に足を取られて雪の中に倒れ、背骨を踏み潰されて息絶える。
生き残りは僅か三人。隊列は既に乱れている。次は誰が餌食になるのか分からない。
彼らの脳を支配するのは、恐怖一色。
と、ふと三人の中の一人が前方を見て目を見開く。
「山小屋だ!山小屋があるぞ!あそこに逃げ込め!!」
「馬鹿な!山小屋なんて一体どこにあるって言うんだ!!」
「い、いや…ある!あったぞ!目の前だ!すぐそこだ!!」
そこに在ったのは、吹雪の中に浮かび上がるように現れた山小屋。
何時からそこにあったのか?こんな偶然が果たして本当にあるのか?そもそも、こんな山小屋に逃げ込んだ所で助かるのか?
そんな事を考える余裕など男達には残っていない。ただ目の前に現れた、その山小屋に救いを求め、最後の力を振り絞って足を動かす。
そのすぐ後ろ、獣が急に動きを早める。
一人目が、山小屋のドアに手をかける。鍵は掛かっていない。
二人目が、一人目の開いたドアへと諸共に転がり込む。
三人目の背を獣の爪が捉え、血飛沫と共に前に跳ね飛ばす。
一人目と二人目が倒れた三人目の腕を掴み、山小屋の中へと引きずり込む。
獣が山小屋に体当たりするのと、山小屋のドアが独りでに閉じるのは…同時だった。
「助かったのか…俺達は?」
「分からん。だが、ここに山小屋が無ければ俺達は全員、あいつの腹の中だったのは確かだ…」
「そ、そうだな…生き残ったのは、三人だけか。怪我の手当てが出来そうな物は、あるか?」
「分からん…少し探してみよう。お前は、そいつの事を見ておいてくれ」
「あぁ…」
一人目は、呻く三人目を抱えて部屋の中央に運び、二人目が山小屋の奥に足を進める。
外から聞こえるのは、吹雪の音と獣の咆哮。そして、ドン!ドン!と山小屋に獣が体をぶつける音。
疲労と安心感からだろうか、今の彼らには不思議と山小屋の外の音が酷く遠いもののように感じられていた。
「大丈夫か?生きてるな?もう暫くの辛抱だぞ」
果たして、自分達は無事に山を降りられるのだろうか?
一抹の希望に縋るゆに、一人目は何度も何度も三人目に元気付けるよう言葉を掛ける。
三人目は呻きながら、その言葉に応えて何度も頷く。その背中は血と雪で染め上げられていた。
「おい!救急箱に包帯があったぞ!それに食糧に酒もだ!!」
「…!?ほ、本当か!」
「それだけじゃない、綺麗なベッドに風呂だってある!吹雪が止むまでの間、ここに留まっても大丈夫そうだ!」
「はは、至れり尽くせりってやつか?冗談みたいだな、まるで…!」
「まったくだ!だが、ありがたい…。とにかく、まずは手当てを始めるぞ。」
「あぁ…酷い傷だな。救急箱の中の薬で、大丈夫そうか…?」
「分からん…こいつはドイツ語か?ラベルの絵で、何に使うのかは何となく分かるが…」
「ドイツ語だろうが何だろうが、薬には変わらんだろ。ありがたく使わせて貰おう」
「おう、そうだな」
一人目と二人目が三人目の治療を始めてから暫くして、ふと外の世界の音が変わる。
まるで獣と何かが争うような音。金属と毛皮がぶつかり合い、咆哮と叫びが飛び交うような音。
何が起きているのだろう?遥か彼方から聞こえるかのような音に、疑問を浮かべながらも治療の手を休めない。
外で何かが起きているにしても、今ここで手を止めてしまえば生き残った命がまた一つ失われるかもしれない。
だから、彼らは治療を続けながら祈る。外の音が、更なる絶望を運ぶものではない事を。
ふと、外の世界の音が止んだ。
吹雪も、咆哮も、衝突音も…先程までの、激突音も。
男達がそれに気付いたのは、音を立てて開く山小屋のドアと…その先から届く暖かな日光を感じてからだった。
ドアの向こうにあったのは、晴天の空と一面の銀世界。白雪に刻まれた夥しい血の痕と獣がのた打ち回ったような痕跡。
引き摺るような獣の足跡が、遠くに見える森の方へと続いている。
何が起きたのかは分からない。だが、自分達は助かったのは確かだ。一人目は、その事を理解しながら獣が去ったであろう森の方に視線を向ける。
「ん?」
「どうかしたのか?」
「い、いや…多分、見間違いだな。おっ、そんな事より意識が戻ったようだぞ」
「おっ!本当か!」
「お…俺達は、生きてる…のか?」
「おう!助かったんだ!結婚したばっかりの嫁さんに、また会えるな!」
「体力が戻るまで、この山小屋で休んでから下山するぞ!元気な姿を見せてやらないとな!」
「あぁ…あぁ…!そうだな…!」
男は、その森に向かう一団の事を、何故か誰にも話す気にはなれなかった。
『登山には似合わない白い服を着た若者と全身斧だらけの女を見た』なんて言っても、きっと誰も信じてくれないだろうと、そう思ったから。
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