最終更新: nevadakagemiya 2020年12月31日(木) 18:40:50履歴
「……どうにも、ぼくには外の世界は息苦しくて」
「これくらい色々なものから断絶していた方が、心が落ち着くんだ」
【氏名】柊 蘭
【性別】女性
【年齢】14歳
【出身】日本・東京都
【身長・体重】151cm・45kg
【肌色】モンゴロイド【髪色】鳶色【瞳色】ダークブラウン
【スリーサイズ】71/53/73
【外見・容姿】全体的に色素の薄い、ショートボブの少女
【属性】秩序・中庸
【魔術系統】魔女術 (現在)
【魔術属性】水・地
【魔術特性】際立ったものはなし。強いて言うならば読心術に長ける
【魔術回路】質:A 量:A 編成:正常
【起源】『重圧』
【所属】綺羅星の園
【階位・称号・二つ名】
【性別】女性
【年齢】14歳
【出身】日本・東京都
【身長・体重】151cm・45kg
【肌色】モンゴロイド【髪色】鳶色【瞳色】ダークブラウン
【スリーサイズ】71/53/73
【外見・容姿】全体的に色素の薄い、ショートボブの少女
【属性】秩序・中庸
【魔術系統】
【魔術属性】水・地
【魔術特性】際立ったものはなし。強いて言うならば読心術に長ける
【魔術回路】質:A 量:A 編成:正常
【起源】『重圧』
【所属】綺羅星の園
【階位・称号・二つ名】
何か特別な魔術ではない。魔術師世界にてふと周囲を見回せば、どこにでも転がっているような一般的な魔術。
その上、修得度合いは中途半端なもの。基礎を済ませ、応用の入り口に立ったあたり。
現在園で教えられている魔女術 とは繋がりがない魔術であり、使用する理由も価値もない。
その上、修得度合いは中途半端なもの。基礎を済ませ、応用の入り口に立ったあたり。
現在園で教えられている
『綺羅星の園』で教えられている魔術体系。
他の生徒と同じく、薬学や黒魔術、呪術についても学んでいる。
成績は比較的優秀であるが、目を引くほどではない。
このまま真っ当に学べばそれなりの成績を維持できるが、性格的に「自分自身の魔道を見つけ出す」ことは非常に厳しい。
ただし、大前提として蘭は園を出るつもりはないので、無用な心配ではある。
他の生徒と同じく、薬学や黒魔術、呪術についても学んでいる。
成績は比較的優秀であるが、目を引くほどではない。
このまま真っ当に学べばそれなりの成績を維持できるが、性格的に「自分自身の魔道を見つけ出す」ことは非常に厳しい。
ただし、大前提として蘭は園を出るつもりはないので、無用な心配ではある。
蘭が日常的に持ち歩いている執筆道具。
万年筆はこれで8本目、ノートはこれで27冊目。
小説の執筆が趣味の蘭は、日常的にその題材を求めており、何かがあればメモを書き込んでいる。
自室には別に登場人物を纏めたノート、プロットを纏めたノート、実際に執筆した小説を纏めたノートなどがあり、持ち歩いているのはあくまでも取材用のみ。
万年筆はこれで8本目、ノートはこれで27冊目。
小説の執筆が趣味の蘭は、日常的にその題材を求めており、何かがあればメモを書き込んでいる。
自室には別に登場人物を纏めたノート、プロットを纏めたノート、実際に執筆した小説を纏めたノートなどがあり、持ち歩いているのはあくまでも取材用のみ。
やや髪質の硬い鳶色の髪を、無造作に切り落としてショートボブにしている。基本的に美容院には行かず、伸びてきたと思ったら自分で鋏で切り落とす。
あまり頓着はしていないため、前髪・後ろ髪共に時期によって長さはまちまち。鬱陶しくなったら鋏を入れるため、ロングヘアにしたことはない。
インドア派ゆえ肌は全く日焼けしていない。全体的に色素が薄い傾向があり、ダークブラウンの瞳は透明度が高く、宝石のような奥深い輝きを湛えている。
日常的にやや気怠げな表情を浮かべていることが多く、顔つき自体もやや地味。少なくとも、顔だけで芸能人になれるような美人では決してない。
小柄で華奢な体型。ただし室内スポーツはそれなりに嗜むため、病的な細さではなく引き締まっている。
通常時は綺羅星の園の生徒としての模範服であるローブに魔女帽という出で立ちであるが、私服は無地のものを好む。パーソナルカラーはオータム。
可愛いものが苦手であるため、柄が入っているものを着るとしてもシンプルなものに限る。パーカー、デニム、ニットなど。
基本的に微笑を浮かべていることが多い。表情はあまり崩さず、いつも落ち着いている。ただし、愛想笑いは多い。
左利き。
あまり頓着はしていないため、前髪・後ろ髪共に時期によって長さはまちまち。鬱陶しくなったら鋏を入れるため、ロングヘアにしたことはない。
インドア派ゆえ肌は全く日焼けしていない。全体的に色素が薄い傾向があり、ダークブラウンの瞳は透明度が高く、宝石のような奥深い輝きを湛えている。
日常的にやや気怠げな表情を浮かべていることが多く、顔つき自体もやや地味。少なくとも、顔だけで芸能人になれるような美人では決してない。
小柄で華奢な体型。ただし室内スポーツはそれなりに嗜むため、病的な細さではなく引き締まっている。
通常時は綺羅星の園の生徒としての模範服であるローブに魔女帽という出で立ちであるが、私服は無地のものを好む。パーソナルカラーはオータム。
可愛いものが苦手であるため、柄が入っているものを着るとしてもシンプルなものに限る。パーカー、デニム、ニットなど。
基本的に微笑を浮かべていることが多い。表情はあまり崩さず、いつも落ち着いている。ただし、愛想笑いは多い。
左利き。
柊家は、それなりに歴史を持つ日本の魔術家系である。しかしながら何か大きな成果を出したり優秀な魔術師を輩出するようなこともなく、平凡の域を出られない家系であった。
そこで蘭の父は乾坤一擲の策として、日本のとある家系から母胎として非常に優秀な女性を見出し、娶ることとした。
魔術師の家系とはいえど、縁もゆかりもない家系から母胎を目当てに政略結婚を行うのは時代錯誤極まりない事例である。
結婚にこぎ着けるために、父は大量の金銭や私財をなげうち、漸くその女性を自らのものとした。
そうして生まれた初めての子供が蘭であった。
元より優秀な後継者を求めて結婚した父はもちろん、母親としても人生を棒に振っただけの価値のある優秀な子供を求めていた。
果たして蘭は質、量共に優秀な魔術回路を持ち、魔術属性も水と土の二重属性をもつという、少なくとも両親から見れば類い希なる才能を持って生まれた。
両親は常日頃から両親の大きな期待をかけ、幼い頃から魔術の教育を行った。
蘭もまたその期待を背負い、魔術の研鑽を怠らなかった。
苦しくても、痛くても、両親の期待に応えるために努力をし続けた。
両親は蘭の存在を親族にひけらかし、魔術の共同研究者にひけらかし、時計塔にすらひけらかした。
優れた娘。天才の娘。
親族は家の発展を夢見、蘭に大きな期待をかけた。
共同研究者は訝しみ、蘭がそれに当たる人物か注目した。
時計塔も組織として反応することはなかったものの、所属する魔術師が何人も蘭のことを認識した。
柊家の期待の後継者。後に大魔術師になると父が言って憚らない少女。
しかし、彼女の才能が花開くことはなかった。
呪文の覚えは悪い。薬の素材は忘れる。魔術を使用すれば失敗する。
もしかしたら、それは他の魔術師から見れば年齢と比較すれば十分と言えるレベルの修得には至っていたのかもしれない。
だが、両親の期待に応えられるほどではなかった。
蘭には弟がいた。
なんてことはない、魔術師ならば当然用意する、家系存続のためのスペアとして生まれた子供。
2つ下の弟。魔術回路は質も量でも蘭に劣り、魔術属性も地のみ。
そのため、生まれたばかりの教育は、あくまでも蘭のおまけでしかなった。
あくまでも嫡子は蘭。弟は予備でしかない。そのはずだった。
片手間で教えられているも当然であったのにもかかわらず、弟は見る見るうちに魔術を修得していった。
そしてある日、ついに弟は明確に蘭を追い抜いた。
蘭が弟に勝てる分野は、一つもなくなっていた。
父は当然のように蘭を嫡子から外し、その座に弟を添えた。
不思議と、悔しい気持ちは起こらなかった。
沸き上がってきたのは、むしろ安堵感だった。
蘭は『綺羅星の園』へと送られることとなった。
理由は至極単純。あれほどひけらかしたにも関わらず実際は不出来だった娘を、時計塔に送るのは両親のプライドが許さなかったから。
けれども、不出来な娘を家に置いておくのも耐えられなかったから。
つまりはただの厄介払い。
そうして蘭は私塾に籍を置いている。
それなりの成績を保ち、それなりに友人を作り、それなりに過ごしている。
期待のない人生は心地いい。
だから、もう誰にも期待されたくないししたくない。
そこで蘭の父は乾坤一擲の策として、日本のとある家系から母胎として非常に優秀な女性を見出し、娶ることとした。
魔術師の家系とはいえど、縁もゆかりもない家系から母胎を目当てに政略結婚を行うのは時代錯誤極まりない事例である。
結婚にこぎ着けるために、父は大量の金銭や私財をなげうち、漸くその女性を自らのものとした。
そうして生まれた初めての子供が蘭であった。
元より優秀な後継者を求めて結婚した父はもちろん、母親としても人生を棒に振っただけの価値のある優秀な子供を求めていた。
果たして蘭は質、量共に優秀な魔術回路を持ち、魔術属性も水と土の二重属性をもつという、少なくとも両親から見れば類い希なる才能を持って生まれた。
両親は常日頃から両親の大きな期待をかけ、幼い頃から魔術の教育を行った。
蘭もまたその期待を背負い、魔術の研鑽を怠らなかった。
苦しくても、痛くても、両親の期待に応えるために努力をし続けた。
両親は蘭の存在を親族にひけらかし、魔術の共同研究者にひけらかし、時計塔にすらひけらかした。
優れた娘。天才の娘。
親族は家の発展を夢見、蘭に大きな期待をかけた。
共同研究者は訝しみ、蘭がそれに当たる人物か注目した。
時計塔も組織として反応することはなかったものの、所属する魔術師が何人も蘭のことを認識した。
柊家の期待の後継者。後に大魔術師になると父が言って憚らない少女。
しかし、彼女の才能が花開くことはなかった。
呪文の覚えは悪い。薬の素材は忘れる。魔術を使用すれば失敗する。
もしかしたら、それは他の魔術師から見れば年齢と比較すれば十分と言えるレベルの修得には至っていたのかもしれない。
だが、両親の期待に応えられるほどではなかった。
蘭には弟がいた。
なんてことはない、魔術師ならば当然用意する、家系存続のためのスペアとして生まれた子供。
2つ下の弟。魔術回路は質も量でも蘭に劣り、魔術属性も地のみ。
そのため、生まれたばかりの教育は、あくまでも蘭のおまけでしかなった。
あくまでも嫡子は蘭。弟は予備でしかない。そのはずだった。
片手間で教えられているも当然であったのにもかかわらず、弟は見る見るうちに魔術を修得していった。
そしてある日、ついに弟は明確に蘭を追い抜いた。
蘭が弟に勝てる分野は、一つもなくなっていた。
父は当然のように蘭を嫡子から外し、その座に弟を添えた。
不思議と、悔しい気持ちは起こらなかった。
沸き上がってきたのは、むしろ安堵感だった。
蘭は『綺羅星の園』へと送られることとなった。
理由は至極単純。あれほどひけらかしたにも関わらず実際は不出来だった娘を、時計塔に送るのは両親のプライドが許さなかったから。
けれども、不出来な娘を家に置いておくのも耐えられなかったから。
つまりはただの厄介払い。
そうして蘭は私塾に籍を置いている。
それなりの成績を保ち、それなりに友人を作り、それなりに過ごしている。
期待のない人生は心地いい。
だから、もう誰にも期待されたくないししたくない。
穏やかで物静かな性格。校則はしっかりと守り、授業を欠席することもない模範生。しかし教員から特別褒められることもない。手のかからない一般的な生徒にすぎない。
意識的に守っているわけではなく、それは蘭にとっては当然のこと。わざわざ決められた枠組みから逸脱するだけの理由がないから。多くの人が守っているのだから、自分も守るというだけの話。
成績は上の下。学ぶ魔術系統が変わったからといって劇的に何かが花開くはずもなかった。比較的優秀な部類には入るが、特別優れているとは言えない程度。
友人関係はやや希薄。しかしクラスに折り合いの悪い生徒は一人もおらず、放課後遊びに誘ってくれる友人も何人かはいる。
自分から誰かを遊びに誘うことはない。遊びに誘われれば、それなりに乗る。乗らない日もある。
平々凡々、目立たない一般的な生徒。そうして生きていくことが、蘭の望む生き方なのだから。
特別でなければ、誰かに期待されることはない。誰かに失望されることもない。
友人が多ければ、それだけ自分の肩に掛かる期待が増える。それは重いから嫌だ。
けれど友人がいなければ、それはやはり「特別」だ。特別なりに、そうである理由を求められる。
だから、友人を作った。
友人と過ごすのはそれなりに楽しい。けれど、それなり以上に踏み込むつもりはない。
深すぎる人間関係は、まるで海に潜っていくように息苦しい。だから、浅瀬に留まっていたいのだ。
そうである理由を求められること。そうであって欲しいと思われること。それが蘭にとっての「期待」の形だった。
一人でする運動が好き。自分が好きなように動いて、自分がそれなりに苦しくなって、自分がそれなりに気持ちよくなる。他者の意識が介在しない行為だから。
本を読むのが好き。本は現実ではないから。期待をかけることが、誰かの重みにならないから。
そして……文章を書くことが好きだった。
積極的には、誰にも見せない文章。自分が、自分に当てて書く手紙。自分が、自分を楽しませるために書く小説。書きたい文章だけを、ただ書いてゆく。
自己で完結した世界を、他者に働きかけることのない世界を、文章はどんどん広げてゆける。それが、とても楽しくて仕方がなかった。
自分であることを保ちながら、けれど自分ではたどり着けないところまで到達できる。
自分でなら、自分が応えられるだけの期待ができる。そして、応えられる。
ある日、偶然蘭の小説をクラスメイトが目を通した。
凄く面白かったよ、と彼女は言った。そして、こうも言った。
続きが出来たら読ませてね。
現在進行形で執筆中のものを除いた、蘭の書いた小説のうち。
未完のものは一作品だけである。
意識的に守っているわけではなく、それは蘭にとっては当然のこと。わざわざ決められた枠組みから逸脱するだけの理由がないから。多くの人が守っているのだから、自分も守るというだけの話。
成績は上の下。学ぶ魔術系統が変わったからといって劇的に何かが花開くはずもなかった。比較的優秀な部類には入るが、特別優れているとは言えない程度。
友人関係はやや希薄。しかしクラスに折り合いの悪い生徒は一人もおらず、放課後遊びに誘ってくれる友人も何人かはいる。
自分から誰かを遊びに誘うことはない。遊びに誘われれば、それなりに乗る。乗らない日もある。
平々凡々、目立たない一般的な生徒。そうして生きていくことが、蘭の望む生き方なのだから。
特別でなければ、誰かに期待されることはない。誰かに失望されることもない。
友人が多ければ、それだけ自分の肩に掛かる期待が増える。それは重いから嫌だ。
けれど友人がいなければ、それはやはり「特別」だ。特別なりに、そうである理由を求められる。
だから、友人を作った。
友人と過ごすのはそれなりに楽しい。けれど、それなり以上に踏み込むつもりはない。
深すぎる人間関係は、まるで海に潜っていくように息苦しい。だから、浅瀬に留まっていたいのだ。
そうである理由を求められること。そうであって欲しいと思われること。それが蘭にとっての「期待」の形だった。
一人でする運動が好き。自分が好きなように動いて、自分がそれなりに苦しくなって、自分がそれなりに気持ちよくなる。他者の意識が介在しない行為だから。
本を読むのが好き。本は現実ではないから。期待をかけることが、誰かの重みにならないから。
そして……文章を書くことが好きだった。
積極的には、誰にも見せない文章。自分が、自分に当てて書く手紙。自分が、自分を楽しませるために書く小説。書きたい文章だけを、ただ書いてゆく。
自己で完結した世界を、他者に働きかけることのない世界を、文章はどんどん広げてゆける。それが、とても楽しくて仕方がなかった。
自分であることを保ちながら、けれど自分ではたどり着けないところまで到達できる。
自分でなら、自分が応えられるだけの期待ができる。そして、応えられる。
ある日、偶然蘭の小説をクラスメイトが目を通した。
凄く面白かったよ、と彼女は言った。そして、こうも言った。
続きが出来たら読ませてね。
現在進行形で執筆中のものを除いた、蘭の書いた小説のうち。
未完のものは一作品だけである。
ウリュエハイム先生。
学園の校長先生。いや、塾長先生という表記の方が正しいのか。
あれほどまでの力を持つのであれば、当然周囲からの羨望の目線も強くなることだろう。そして、嫉妬の目線も。
けれど先生には、そんな視線なんて気にしないでバリバリと踏み砕いてゆけるだけの強さがある。
わざわざ言葉にするまでもない、あの人には間違いなく揺るがない「自分」があるのだ。
その強さが、ぼくはどうにも苦手だ。
神南先輩。
風紀委員を自称し、学園の治安を守っているらしいのだが、いや、だからこそぼくとはあまり接点がない。
先輩にお世話になるということは今のところやっていないので、もしかしたら先輩の側からは存在すら認識されていないかもしれない。
でも、それでなにも問題はない。先輩は好きでやっているのかもしれないけれど、それでも、それは迷惑をかけているということになるのだろうから。
こうやって一方的に先輩の活躍が耳に入ってくる関係というのが、彼女とぼくの距離感としてはちょうどいいというものだろう。
ああ、それにしても。彼女の生き方は舞台役者として完璧だ。誰もに好かれるようなロールを、誰もに好かれるように演じきる。それを息を吐くようにできるのは、つまりは彼女は生まれながらの女優なのだろう。
直接の面識はない。いや、あったかもしれない。よく覚えていない。
名前ならばよく聞く。それもフルネームで。だって、幾度も先生が、怒りながらその名を連呼するから。
関わりのない相手だし、おそらくこれからも関わりなんて持たない相手だろう。
直接繋がりを持たない相手にまでどういう人間かわざわざ把握されるような行動を取るのは、ぼくには奇特に映る。
ファーランド先輩。
もう何年上かも分からない、古参の中の古参の先輩。
この学園からの卒業を望まず、長きにわたって在籍し続けていると耳にしたときは、もしかしたらと思ったのだが。どちらかというと、他者に影響を与えていきたい類いの人間だった。
やたらと敬うことを強要してくるため、顔を合わせた時には褒め称えることにしている。あれ、別に相手は大先輩なのだから、敬うのは当然のはずなのだけれど。
ぼくも先輩のようにずっとここに在籍し続けたいと思っているけれど、将来的には在籍年数を隠すようにした方が過ごしやすい環境になるのだろうな、と新たな気づきを得られた。貴重な気づきだったと思う。
けれど。ものを使わずに自分の視界を覆い隠すには、瞼を閉じるしかない。視界の中で、見たくないものだけを見ないことなどできない。ならば、いっそのこと瞼を閉じるのも、選択肢の一つなのだろうと思った。
浅葱先輩。
何度か学園内で顔を合わせたことがある。
そのあまりにも鮮烈な容姿は、どうしても目を引くものだ。そして、そういう理由で目立つ存在と、ぼくは関わり合いを持ちたくない。
けれど、人間関係というものは夏の夜に蚊のように複雑にぼくに迫ってくる。あるとき、ぼくの友人の一人が、ぼくの与り知らぬ理由で彼女の部屋へ招待された。
それがきっかけで、先輩の夜の行為を耳にすることとなった。特定の誰かを相手にしない。あらゆる周囲へと手を伸ばして、そして掴めるものを全て掴みにかかっているように見えた。
なぜ、先輩はわざわざより深くへ潜ろうとするのだろう。空気があるのは上だと分かっているはずなのに、なぜ。
シュルトライン先輩。
ぼくの方は、何度も先輩がピアノを演奏している様子を目撃している。そして、先輩にはおそらくぼくは無数の聴衆の内の一人だろう。
ただ、ぼくは先輩の演奏をなるべく聴かないようにしていた。この学園のことだし、もしかしたら魔術に関連する何かがあのピアノに仕組まれているのかもしれない。けれど、ぼくが演奏を好まない理由は別のものだ。
演奏の音が嫌いだからではない。むしろ、その音はぼくの耳には心地よすぎて、それが不快だった。まるで誰かを誘い込むような。誰かを求めているような。
そして、聴き手に何かを期待するような、そんな渇望に満ちた音だったから。
なぜだろう。シュルトライン先輩はあんなにもエレガントで大人びているのに。なぜか、彼女の演奏は、ぼくには母親を求めているだけの赤ん坊の泣き声にしか聞こえなかった。
レンフィールド先輩。
直接何か関わりを持った記憶はない。……のだが、いつの間にか存在を認識されていた。
本人は呼称として「ステフ先輩」をご所望のようで、ぼくもなるべく本人の前ではそう呼ぼうと努力している。しかしながらどうにも先輩を砕けた呼び方で呼ぶのには慣れず、うっかりレンフィールド先輩と呼んでしまい訂正されることが多い。
その浮世離れした雰囲気ゆえに、ただ会話しているだけであっても、どうしても周囲から注目されているような感覚を覚えてしまうため、やや苦手な相手である。
もちろんレン……じゃなかった、ステフ先輩の方はそんなことは気にしていないようで、廊下で目が合っただけでも気軽に話しかけてくるものだから頭が痛い。
けれどどうしてか、ぼくは彼女との会話を拒みづらかった。
理由は分からないけれど、それはきっと人懐っこいからというだけではなく――「誰かに関わること」を一種の碇として使っているような気がしたから。
直接の関わりはない。
ただ、友人たちの中には彼女のショップを利用している者もおり、ぼくの方から一方的に日常的にどのような行動をしているのかはなんとなく把握していた。
最初の印象は、とても器用な生き方をしていると思ったものだった。人間関係をそつなくこなし、好きなように授業をボイコットしながらも決して派手に教師に目をつけられるような行動はしない。
人との関わり方を常に意識しているぼくだからこそなのかもしれないが、それには並大抵ではないスキルが必要とされるのだと、たとえ伝聞であったとしても理解することができたのだ。
だから、初めて本人を見かけたとき、その傷跡にうっかり気づいてしまったとき、その印象が掻き消えるとは思ってもみなかった。
及川汐音の目には、何も映っていないように見えた。
きっとあの人にとって、この学園こそが夢なのだと思う。幻想だと分かっているからこそ、あのように笑って誰かと会話ができるのだろう。
ヴェルヴァロッサ先輩。
委員長、と呼ぶことはあまりない。皆がそのあだ名で呼ぶことは把握しているが、ぼくにはどうにもしっくり来ない。
彼女には負の意味でお世話になったことこそないものの、その風紀委員とおぼしき活動を行っている様子を目にする機会自体は比較的多い。
ゆえに神南先輩同様、おそらく彼女の側からぼくという個人はおそらく認識されていないだろう。それはぼくにとっては喜ばしいことではある。
彼女は学園における模範生の代表として相応しいように行動しているし、その姿はぼくもまた一般的な塾生を装うために参考とする機会は多いのだけれど。
時に塾生たちに語っている楽園の概念が、アルカディアというよりはユートピアの概念に基づいているように感じる。それは、ここが学園という閉鎖空間だからというだけなのだろうか。
ゆえに、ぼくはどうにも委員長とは呼びづらい。彼女のその立ち姿に、「長」という表現は不適であるように感じてしまうのだった。
サヤカさん。
ぼくより序列は下位なのだから先輩ではないのだけれど、年齢の差もあってつい「さん」をつけて呼んでしまう。
決して親しい仲ではなく、お互いに面識がある、という程度の間柄なので、ぼくが彼女について知っていることはあまりない。
ぼくが知っていることはほんの少し。
いつもどこかに、小さな生傷が絶えないことと、昔に何か辛い過去があったのだろうということと、その亡霊から未だに逃れられてはいなさそうだということ。
そして、自分自身になんの価値もないのだと、きっと彼女は思っているのだ。人間観察が得意なつもりはないけれど、それくらいはぼくにも分かる。だって、そんなことよく分かるに決まっている。
期待することを諦めた方がそういうときには生きやすいものだと、ぼくは伝えることはできなかった。伝えてしまったら、彼女は本当に壊れてしまうような悪寒がした。
四ノ霰さん。
彼女もまた、ぼくより年上の後輩である。こういう相手にはどういう距離感で接すればいいのだろうか。とりあえずさん付けで呼ぶようにしている。
とはいえ、ぼくが彼女と関わりを持ったのは一度きりで、しかもその時の会話では彼女についてぼくが呼びかけることはなかった。それゆえ、ぼくが彼女を「四ノ霰さんと呼んでいる」という表現には少し語弊があるかもしれない。
とにかく喧しい人であるという印象だった。一つ一つのリアクションが大きく感情を表に出しがちな様子は、ぼくとはある意味対極に位置するタイプの人間であるような感覚すらあった。
しかし、同時にぼくが歩み、取り繕おうとしている生き方は彼女のような生き方なのかもしれないとも思ったことは否定できない。
だからこそ、杞憂であればいいのだが。
もし彼女を彼女たらしめているそのスタンスが仮面によるものなのだとしたら。その下に果たして顔はあるのだろうか、なんて心配をしてしまう。
ヴィオーラ。
年下の後輩については、基本的に姓を呼び捨てにして呼ぶようにしている。「ちゃん」をつけようか迷った時期もあったけれど、ぼくらしくはないと思って採用しなかった。
名前を把握したのは何度かすれ違いを重ねた後で、それまでは日常的に妙におめかししている後輩がいるものだ、と少し他の後輩よりも意識が向きやすい程度の存在でしかなかった。
彼女の方からは早めの内に名前を認識されていたようで、少しぼくが群衆の中へ没入できているのか不安になったことがある。
その後名前を知り、彼女を明確な個人と認識できるようになったことで、やや他の後輩よりも意識して挨拶をするようになった。
なんとなく、その外見の印象の中に物々しさを感じるようになったのもその頃からだったように思う。
――えっ、同い年? 嘘だろう、ぼくよりも背が小さいのに? ……まあ、確かにぼくよりもスタイルが女性的なのに目を背けていたことは否定しないけどさ。
ウェインさん。
またしても年上の後輩である。ぼくはこう、大人っぽさとは無縁の容姿なのだから、なんとかならないだろうか。
それはそうと、夢に向かって真面目かつ真剣に立ち向かう様は、かつてのぼくを見ているようで微笑ましくなり、そして同時に胸が苦しくなる。
とはいえ、彼女はぼくと違って自分で選んだ道を進んでいるようだし、十分な才能も持っているように感じる。自分がたどり着けるような場所を見つけても、その先まで羽ばたいていけるような強さも。
あるいは、ぼくがぼくでなかったのだとしたら、父と母が本当に望んでいた子供は、彼女のような人間だったのかもしれないだなんて自嘲してしまう。
学園の風潮についてはまあ、おいおい慣れていくと思っているよ。きみと同じような困惑顔をした後輩も今はすっかりぼくを「お姉様」って呼んでくるからさ。
まあ、ぼくはあまり「お姉様」って言葉は使わないけれど。
サウストン。
よかった、今度こそ本当に年下の後輩だ。
正直、関わり合いにはなりたくない類いの人間ではある。けれどそれはぼくが所謂不良と呼ばれる学生たちと関わり合いになりたくないのと同じ理由であって、つまりは彼女と関わり合いを持つことが目立つことに繋がるからであった。
個人的に彼女への私見を述べるのならば、周囲の塾生たちが嫌っているほど、ぼくは個人としては嫌悪感を抱くことはない。というより、彼女を否定できる権利はぼくにはない。
ただ思うのは、不器用だなということ。
誰かの望むように自分を変えてゆけと求められても、少なくともぼくはそれに応じられない。ただ波風を立たせないようにするためにまやかしのペルソナを被って、自分という存在が誰かの何かにならないようにやり過ごすのがぼくの人生だ。
彼女もいつか、そんな生き方を学んでしまうのかもしれないと思うと、ぼくは物寂しさを感じざるを得なかった。
普済。
いい苗字だと思う。少なくとも、棘だらけの葉で全身を覆い、寒々しい冬にこっそりと隠れるようにこっそりと実をつける植物などよりはとても。
あれくらいの年頃だと、知らない漢字を見かけたら、誰かにその読み方を訊きたくなってしまうものなのだろうか。ぼくも魔術の勉強の狭間、両親に呼んでいた本に出てきた言葉を尋ねたことがある。返答は「それよりも学ぶべきことがあるだろう」だったが。
小さな子供は好きだ。特に、純粋な子供たちは大好きだ。
そして同時に、酷く苦手でもあった。彼女たちは、誰もに期待の目線を向けるから。やめてくれ、ぼくはその期待に相応しい存在などではないのだと、そう言いたくなってしまう。
それにしても、この学園に彼女ほど普通な子も珍しいものだ。普通すぎて、逆に周囲から浮いてさえいる。
けれどまあ、彼女が意図的にそれ以外の場所を隠しているようには見えない。非凡たる何かを隠しているようには感じられない。だから、生まれながらにして普通な子なのだろう、普済は。
アザミノ先輩。
あまり深く関わったことはない。というよりは、一種の不気味さを感じて近づきがたい存在だと言える。
いつも流麗で華やか、その場にいるだけで目を引くような、ある種アイドル染みた先輩である。友人の中も、彼女のファンを公言する者がいるほどに目立つ存在だ。
――まるで、そうであるようにデザインされて作り出されたかのように。
ぼくには、彼女がそのような偶像に相応しいだけの積み重ねを経た上で今の人物像に至ったようには思えなかった。人生を積み重ねた結果としてその境地に至ったのでも、そこを目指して自ら人生を積み重ねたのではなく、まるでその終着点が生まれた理由なのだと思えてしまった。
倒すために整然と並べられたドミノ牌。壊すために作られたミニチュアの街並み。
けれど、屠殺されるために育てられた家畜には見えない。トラックに乗せられるときに、せめて蹄で地面を踏みしめるような、そういう見苦しさを感じない。
ああ、まただ。彼女を見ていると、ぼくの中には一人の人間に対して浮かべるには失礼過ぎるほどの感情が幾つも浮かんでくる。
当然だ。ぼくは自分を守護るために、他人に期待されないよう振る舞い続ける、そんな根底からのエゴイストなのだから。
こんなに精巧なガラス細工の美しさには、耐えられるはずがないのだ。
おそらく彼女もまたぼくのことを認識してはいない。しかしながら、ぼくに限らず彼女の存在を認識していない塾生は非常に少ないだろう。
姿を見かけることこそ少ないが、その強烈とも言える人物像は塾生の間では語り草になっているのだから。
実際に姿を見かけたことすらないのは、ぼくにとっては不幸なのか否か。伝え聞くその評判から察するに、おそらく否であるような気もする。
しかし、評判というものは即ち他者からの評価であり、そしてそれはあるべき形として外的に人物像を定義する。そうした仮想の人物像が行き着く先は「本人が人物像通りの存在であって欲しい」、もしくはそれを裏切って欲しいという一種の期待である。
彼女もまた、実像がどうであるのかを知らずに判断するのは尚早といえよう。
根拠が曖昧な伝聞ではなく、教員から聞いた確かな「情報」として、彼女が選択した命題は「涜神」であるらしい。
「涜」は「けがす」という意味を持つのだから、その身を清めることがないらしいのにも、彼女なりの何か理由があるかもしれないじゃないか。
五月雨さん。げっ、また年下の後輩かぁ……。
それはともかく、こういう生活環境だ、女性が女性に愛を囁く姿は幾度も目にしてきた。ぼくだって初恋なんてしたことはないけれど、それでも美しかったり可愛かったりすれば同性であっても惹かれる気持ちは分からなくはない。
けれどまあ、こうやって大っぴらに表に出すような人種を目にすることはあまりなかったような気もする。女性が好きなだけではなく、男性を嫌っている様子なのには何か理由があるのだろうか。
しかし、そのような……その、性にオープンそうな振る舞いの割には、浅葱先輩のように複数人のパートナーを持っているような様子もない。誘い受け……というようなものなのかな。
どちらかというと、平等にだれもに愛を囁くことで、逆に複数の塾生との間にフラットな関係を保とうとしているような風にも捉えられる。多くの塾生と会話できる環境そのものを目的としているような、そんな感じだ。
それに何らかの目的があるのか、それともそういう距離感こそが彼女の求める女性との関係なのかは、ぼくには判断が付かない。
ただ、いつも毎日楽しそうではあるよね、彼女。
エヴァーゾーン。
ふと見ると、様々な場所で絵を描いていることが多い後輩。特別親しいわけではないのだが、なぜか鉢合わせるる機会がそれなりに多い。
自己の表現として何かを描いているという彼女の情動と行動は、少し共感を覚えるところがあるのは否めない。
きっと彼女にとっても、絵を描くことは、自分という存在を自分たらしめるための自己満足なのではなかろうか。
こういう世界を覗いてみたい、こういう場所に立ち会ってみたい。そのような衝動をこっそりと盗み見た絵から感じ取ったことがある。
けれど、彼女の絵はぼくの小説とは決定的に違う部分があった。
彼女はまだ、夢を見られている。理想を純粋に理想の形として出力できている。自分という存在がどうしようもなく期待外れで、誰かの求めるものに応じることなど出来ないのだと悟ったぼくとは、根底が異なる。
願わくは、彼女の未来がぼくのようなものではなく、その理想に手の届くような輝かしいものであることを。
学園の校長先生。いや、塾長先生という表記の方が正しいのか。
あれほどまでの力を持つのであれば、当然周囲からの羨望の目線も強くなることだろう。そして、嫉妬の目線も。
けれど先生には、そんな視線なんて気にしないでバリバリと踏み砕いてゆけるだけの強さがある。
わざわざ言葉にするまでもない、あの人には間違いなく揺るがない「自分」があるのだ。
その強さが、ぼくはどうにも苦手だ。
神南先輩。
風紀委員を自称し、学園の治安を守っているらしいのだが、いや、だからこそぼくとはあまり接点がない。
先輩にお世話になるということは今のところやっていないので、もしかしたら先輩の側からは存在すら認識されていないかもしれない。
でも、それでなにも問題はない。先輩は好きでやっているのかもしれないけれど、それでも、それは迷惑をかけているということになるのだろうから。
こうやって一方的に先輩の活躍が耳に入ってくる関係というのが、彼女とぼくの距離感としてはちょうどいいというものだろう。
ああ、それにしても。彼女の生き方は舞台役者として完璧だ。誰もに好かれるようなロールを、誰もに好かれるように演じきる。それを息を吐くようにできるのは、つまりは彼女は生まれながらの女優なのだろう。
直接の面識はない。いや、あったかもしれない。よく覚えていない。
名前ならばよく聞く。それもフルネームで。だって、幾度も先生が、怒りながらその名を連呼するから。
関わりのない相手だし、おそらくこれからも関わりなんて持たない相手だろう。
直接繋がりを持たない相手にまでどういう人間かわざわざ把握されるような行動を取るのは、ぼくには奇特に映る。
ファーランド先輩。
もう何年上かも分からない、古参の中の古参の先輩。
この学園からの卒業を望まず、長きにわたって在籍し続けていると耳にしたときは、もしかしたらと思ったのだが。どちらかというと、他者に影響を与えていきたい類いの人間だった。
やたらと敬うことを強要してくるため、顔を合わせた時には褒め称えることにしている。あれ、別に相手は大先輩なのだから、敬うのは当然のはずなのだけれど。
ぼくも先輩のようにずっとここに在籍し続けたいと思っているけれど、将来的には在籍年数を隠すようにした方が過ごしやすい環境になるのだろうな、と新たな気づきを得られた。貴重な気づきだったと思う。
けれど。ものを使わずに自分の視界を覆い隠すには、瞼を閉じるしかない。視界の中で、見たくないものだけを見ないことなどできない。ならば、いっそのこと瞼を閉じるのも、選択肢の一つなのだろうと思った。
浅葱先輩。
何度か学園内で顔を合わせたことがある。
そのあまりにも鮮烈な容姿は、どうしても目を引くものだ。そして、そういう理由で目立つ存在と、ぼくは関わり合いを持ちたくない。
けれど、人間関係というものは夏の夜に蚊のように複雑にぼくに迫ってくる。あるとき、ぼくの友人の一人が、ぼくの与り知らぬ理由で彼女の部屋へ招待された。
それがきっかけで、先輩の夜の行為を耳にすることとなった。特定の誰かを相手にしない。あらゆる周囲へと手を伸ばして、そして掴めるものを全て掴みにかかっているように見えた。
なぜ、先輩はわざわざより深くへ潜ろうとするのだろう。空気があるのは上だと分かっているはずなのに、なぜ。
シュルトライン先輩。
ぼくの方は、何度も先輩がピアノを演奏している様子を目撃している。そして、先輩にはおそらくぼくは無数の聴衆の内の一人だろう。
ただ、ぼくは先輩の演奏をなるべく聴かないようにしていた。この学園のことだし、もしかしたら魔術に関連する何かがあのピアノに仕組まれているのかもしれない。けれど、ぼくが演奏を好まない理由は別のものだ。
演奏の音が嫌いだからではない。むしろ、その音はぼくの耳には心地よすぎて、それが不快だった。まるで誰かを誘い込むような。誰かを求めているような。
そして、聴き手に何かを期待するような、そんな渇望に満ちた音だったから。
なぜだろう。シュルトライン先輩はあんなにもエレガントで大人びているのに。なぜか、彼女の演奏は、ぼくには母親を求めているだけの赤ん坊の泣き声にしか聞こえなかった。
レンフィールド先輩。
直接何か関わりを持った記憶はない。……のだが、いつの間にか存在を認識されていた。
本人は呼称として「ステフ先輩」をご所望のようで、ぼくもなるべく本人の前ではそう呼ぼうと努力している。しかしながらどうにも先輩を砕けた呼び方で呼ぶのには慣れず、うっかりレンフィールド先輩と呼んでしまい訂正されることが多い。
その浮世離れした雰囲気ゆえに、ただ会話しているだけであっても、どうしても周囲から注目されているような感覚を覚えてしまうため、やや苦手な相手である。
もちろんレン……じゃなかった、ステフ先輩の方はそんなことは気にしていないようで、廊下で目が合っただけでも気軽に話しかけてくるものだから頭が痛い。
けれどどうしてか、ぼくは彼女との会話を拒みづらかった。
理由は分からないけれど、それはきっと人懐っこいからというだけではなく――「誰かに関わること」を一種の碇として使っているような気がしたから。
直接の関わりはない。
ただ、友人たちの中には彼女のショップを利用している者もおり、ぼくの方から一方的に日常的にどのような行動をしているのかはなんとなく把握していた。
最初の印象は、とても器用な生き方をしていると思ったものだった。人間関係をそつなくこなし、好きなように授業をボイコットしながらも決して派手に教師に目をつけられるような行動はしない。
人との関わり方を常に意識しているぼくだからこそなのかもしれないが、それには並大抵ではないスキルが必要とされるのだと、たとえ伝聞であったとしても理解することができたのだ。
だから、初めて本人を見かけたとき、その傷跡にうっかり気づいてしまったとき、その印象が掻き消えるとは思ってもみなかった。
及川汐音の目には、何も映っていないように見えた。
きっとあの人にとって、この学園こそが夢なのだと思う。幻想だと分かっているからこそ、あのように笑って誰かと会話ができるのだろう。
ヴェルヴァロッサ先輩。
委員長、と呼ぶことはあまりない。皆がそのあだ名で呼ぶことは把握しているが、ぼくにはどうにもしっくり来ない。
彼女には負の意味でお世話になったことこそないものの、その風紀委員とおぼしき活動を行っている様子を目にする機会自体は比較的多い。
ゆえに神南先輩同様、おそらく彼女の側からぼくという個人はおそらく認識されていないだろう。それはぼくにとっては喜ばしいことではある。
彼女は学園における模範生の代表として相応しいように行動しているし、その姿はぼくもまた一般的な塾生を装うために参考とする機会は多いのだけれど。
時に塾生たちに語っている楽園の概念が、アルカディアというよりはユートピアの概念に基づいているように感じる。それは、ここが学園という閉鎖空間だからというだけなのだろうか。
ゆえに、ぼくはどうにも委員長とは呼びづらい。彼女のその立ち姿に、「長」という表現は不適であるように感じてしまうのだった。
サヤカさん。
ぼくより序列は下位なのだから先輩ではないのだけれど、年齢の差もあってつい「さん」をつけて呼んでしまう。
決して親しい仲ではなく、お互いに面識がある、という程度の間柄なので、ぼくが彼女について知っていることはあまりない。
ぼくが知っていることはほんの少し。
いつもどこかに、小さな生傷が絶えないことと、昔に何か辛い過去があったのだろうということと、その亡霊から未だに逃れられてはいなさそうだということ。
そして、自分自身になんの価値もないのだと、きっと彼女は思っているのだ。人間観察が得意なつもりはないけれど、それくらいはぼくにも分かる。だって、そんなことよく分かるに決まっている。
期待することを諦めた方がそういうときには生きやすいものだと、ぼくは伝えることはできなかった。伝えてしまったら、彼女は本当に壊れてしまうような悪寒がした。
四ノ霰さん。
彼女もまた、ぼくより年上の後輩である。こういう相手にはどういう距離感で接すればいいのだろうか。とりあえずさん付けで呼ぶようにしている。
とはいえ、ぼくが彼女と関わりを持ったのは一度きりで、しかもその時の会話では彼女についてぼくが呼びかけることはなかった。それゆえ、ぼくが彼女を「四ノ霰さんと呼んでいる」という表現には少し語弊があるかもしれない。
とにかく喧しい人であるという印象だった。一つ一つのリアクションが大きく感情を表に出しがちな様子は、ぼくとはある意味対極に位置するタイプの人間であるような感覚すらあった。
しかし、同時にぼくが歩み、取り繕おうとしている生き方は彼女のような生き方なのかもしれないとも思ったことは否定できない。
だからこそ、杞憂であればいいのだが。
もし彼女を彼女たらしめているそのスタンスが仮面によるものなのだとしたら。その下に果たして顔はあるのだろうか、なんて心配をしてしまう。
ヴィオーラ。
年下の後輩については、基本的に姓を呼び捨てにして呼ぶようにしている。「ちゃん」をつけようか迷った時期もあったけれど、ぼくらしくはないと思って採用しなかった。
名前を把握したのは何度かすれ違いを重ねた後で、それまでは日常的に妙におめかししている後輩がいるものだ、と少し他の後輩よりも意識が向きやすい程度の存在でしかなかった。
彼女の方からは早めの内に名前を認識されていたようで、少しぼくが群衆の中へ没入できているのか不安になったことがある。
その後名前を知り、彼女を明確な個人と認識できるようになったことで、やや他の後輩よりも意識して挨拶をするようになった。
なんとなく、その外見の印象の中に物々しさを感じるようになったのもその頃からだったように思う。
――えっ、同い年? 嘘だろう、ぼくよりも背が小さいのに? ……まあ、確かにぼくよりもスタイルが女性的なのに目を背けていたことは否定しないけどさ。
ウェインさん。
またしても年上の後輩である。ぼくはこう、大人っぽさとは無縁の容姿なのだから、なんとかならないだろうか。
それはそうと、夢に向かって真面目かつ真剣に立ち向かう様は、かつてのぼくを見ているようで微笑ましくなり、そして同時に胸が苦しくなる。
とはいえ、彼女はぼくと違って自分で選んだ道を進んでいるようだし、十分な才能も持っているように感じる。自分がたどり着けるような場所を見つけても、その先まで羽ばたいていけるような強さも。
あるいは、ぼくがぼくでなかったのだとしたら、父と母が本当に望んでいた子供は、彼女のような人間だったのかもしれないだなんて自嘲してしまう。
学園の風潮についてはまあ、おいおい慣れていくと思っているよ。きみと同じような困惑顔をした後輩も今はすっかりぼくを「お姉様」って呼んでくるからさ。
まあ、ぼくはあまり「お姉様」って言葉は使わないけれど。
サウストン。
よかった、今度こそ本当に年下の後輩だ。
正直、関わり合いにはなりたくない類いの人間ではある。けれどそれはぼくが所謂不良と呼ばれる学生たちと関わり合いになりたくないのと同じ理由であって、つまりは彼女と関わり合いを持つことが目立つことに繋がるからであった。
個人的に彼女への私見を述べるのならば、周囲の塾生たちが嫌っているほど、ぼくは個人としては嫌悪感を抱くことはない。というより、彼女を否定できる権利はぼくにはない。
ただ思うのは、不器用だなということ。
誰かの望むように自分を変えてゆけと求められても、少なくともぼくはそれに応じられない。ただ波風を立たせないようにするためにまやかしのペルソナを被って、自分という存在が誰かの何かにならないようにやり過ごすのがぼくの人生だ。
彼女もいつか、そんな生き方を学んでしまうのかもしれないと思うと、ぼくは物寂しさを感じざるを得なかった。
普済。
いい苗字だと思う。少なくとも、棘だらけの葉で全身を覆い、寒々しい冬にこっそりと隠れるようにこっそりと実をつける植物などよりはとても。
あれくらいの年頃だと、知らない漢字を見かけたら、誰かにその読み方を訊きたくなってしまうものなのだろうか。ぼくも魔術の勉強の狭間、両親に呼んでいた本に出てきた言葉を尋ねたことがある。返答は「それよりも学ぶべきことがあるだろう」だったが。
小さな子供は好きだ。特に、純粋な子供たちは大好きだ。
そして同時に、酷く苦手でもあった。彼女たちは、誰もに期待の目線を向けるから。やめてくれ、ぼくはその期待に相応しい存在などではないのだと、そう言いたくなってしまう。
それにしても、この学園に彼女ほど普通な子も珍しいものだ。普通すぎて、逆に周囲から浮いてさえいる。
けれどまあ、彼女が意図的にそれ以外の場所を隠しているようには見えない。非凡たる何かを隠しているようには感じられない。だから、生まれながらにして普通な子なのだろう、普済は。
アザミノ先輩。
あまり深く関わったことはない。というよりは、一種の不気味さを感じて近づきがたい存在だと言える。
いつも流麗で華やか、その場にいるだけで目を引くような、ある種アイドル染みた先輩である。友人の中も、彼女のファンを公言する者がいるほどに目立つ存在だ。
――まるで、そうであるようにデザインされて作り出されたかのように。
ぼくには、彼女がそのような偶像に相応しいだけの積み重ねを経た上で今の人物像に至ったようには思えなかった。人生を積み重ねた結果としてその境地に至ったのでも、そこを目指して自ら人生を積み重ねたのではなく、まるでその終着点が生まれた理由なのだと思えてしまった。
倒すために整然と並べられたドミノ牌。壊すために作られたミニチュアの街並み。
けれど、屠殺されるために育てられた家畜には見えない。トラックに乗せられるときに、せめて蹄で地面を踏みしめるような、そういう見苦しさを感じない。
ああ、まただ。彼女を見ていると、ぼくの中には一人の人間に対して浮かべるには失礼過ぎるほどの感情が幾つも浮かんでくる。
当然だ。ぼくは自分を守護るために、他人に期待されないよう振る舞い続ける、そんな根底からのエゴイストなのだから。
こんなに精巧なガラス細工の美しさには、耐えられるはずがないのだ。
おそらく彼女もまたぼくのことを認識してはいない。しかしながら、ぼくに限らず彼女の存在を認識していない塾生は非常に少ないだろう。
姿を見かけることこそ少ないが、その強烈とも言える人物像は塾生の間では語り草になっているのだから。
実際に姿を見かけたことすらないのは、ぼくにとっては不幸なのか否か。伝え聞くその評判から察するに、おそらく否であるような気もする。
しかし、評判というものは即ち他者からの評価であり、そしてそれはあるべき形として外的に人物像を定義する。そうした仮想の人物像が行き着く先は「本人が人物像通りの存在であって欲しい」、もしくはそれを裏切って欲しいという一種の期待である。
彼女もまた、実像がどうであるのかを知らずに判断するのは尚早といえよう。
根拠が曖昧な伝聞ではなく、教員から聞いた確かな「情報」として、彼女が選択した命題は「涜神」であるらしい。
「涜」は「けがす」という意味を持つのだから、その身を清めることがないらしいのにも、彼女なりの何か理由があるかもしれないじゃないか。
五月雨さん。げっ、また年下の後輩かぁ……。
それはともかく、こういう生活環境だ、女性が女性に愛を囁く姿は幾度も目にしてきた。ぼくだって初恋なんてしたことはないけれど、それでも美しかったり可愛かったりすれば同性であっても惹かれる気持ちは分からなくはない。
けれどまあ、こうやって大っぴらに表に出すような人種を目にすることはあまりなかったような気もする。女性が好きなだけではなく、男性を嫌っている様子なのには何か理由があるのだろうか。
しかし、そのような……その、性にオープンそうな振る舞いの割には、浅葱先輩のように複数人のパートナーを持っているような様子もない。誘い受け……というようなものなのかな。
どちらかというと、平等にだれもに愛を囁くことで、逆に複数の塾生との間にフラットな関係を保とうとしているような風にも捉えられる。多くの塾生と会話できる環境そのものを目的としているような、そんな感じだ。
それに何らかの目的があるのか、それともそういう距離感こそが彼女の求める女性との関係なのかは、ぼくには判断が付かない。
ただ、いつも毎日楽しそうではあるよね、彼女。
エヴァーゾーン。
ふと見ると、様々な場所で絵を描いていることが多い後輩。特別親しいわけではないのだが、なぜか鉢合わせるる機会がそれなりに多い。
自己の表現として何かを描いているという彼女の情動と行動は、少し共感を覚えるところがあるのは否めない。
きっと彼女にとっても、絵を描くことは、自分という存在を自分たらしめるための自己満足なのではなかろうか。
こういう世界を覗いてみたい、こういう場所に立ち会ってみたい。そのような衝動をこっそりと盗み見た絵から感じ取ったことがある。
けれど、彼女の絵はぼくの小説とは決定的に違う部分があった。
彼女はまだ、夢を見られている。理想を純粋に理想の形として出力できている。自分という存在がどうしようもなく期待外れで、誰かの求めるものに応じることなど出来ないのだと悟ったぼくとは、根底が異なる。
願わくは、彼女の未来がぼくのようなものではなく、その理想に手の届くような輝かしいものであることを。
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