最終更新:ID:Z5FHCbM/VQ 2020年06月02日(火) 01:50:14履歴
「飆風は朝を終えず、驟雨は日を終えず。霹靂は永久の豊穣を実らせ、嵐涛は終ぞ黎明に至る――――」
【元ネタ】ウガリット神話
【CLASS】ランサー
【真名】バアル
【異名・別名・表記揺れ】豊穣神、嵐の神、雷雨の神、利水/治水の化身、慈悲の神、崇高なるバアル
【性別】男性
【身長・体重】183cm・80kg
【髪色】深い鉛色に白のメッシュ 【瞳色】光を帯びた紫電色
【外見・容姿】近代的な鎧、双角の兜を身に付け、常に身体に雷を纏った細身の青年
【地域】地中海沿岸
【属性】秩序・中庸
【天地人属性】天
【ステータス】筋力:A 耐久:B 敏捷:A++ 魔力:B 幸運:C 宝具:A+
【CLASS】ランサー
【真名】バアル
【異名・別名・表記揺れ】豊穣神、嵐の神、雷雨の神、利水/治水の化身、慈悲の神、
【性別】男性
【身長・体重】183cm・80kg
【髪色】深い鉛色に白のメッシュ 【瞳色】光を帯びた紫電色
【外見・容姿】近代的な鎧、双角の兜を身に付け、常に身体に雷を纏った細身の青年
【地域】地中海沿岸
【属性】秩序・中庸
【天地人属性】天
【ステータス】筋力:A 耐久:B 敏捷:A++ 魔力:B 幸運:C 宝具:A+
本来、バアルとはウガリット神話に於ける最高神イルの息子にして、王権を宿す主神である。
しかしながら、彼は世界で最も読まれたとされる書物にて貶められ、嘲笑され、その真名をも愚弄された。
故に彼の神性は―――この“聖杯”という機構から喚び出される上で―――皆無に等しく、持ちうるはずの権能、神としての力を失っている。
が、それでも英雄としての力は残されており、あくまでも「神であった」という神性のみが失われている状態である。
召喚場所によって差異はあるものの、聖書が一般化している欧米ではまず召喚されない。
しかしながら、彼は世界で最も読まれたとされる書物にて貶められ、嘲笑され、その真名をも愚弄された。
故に彼の神性は―――この“聖杯”という機構から喚び出される上で―――皆無に等しく、持ちうるはずの権能、神としての力を失っている。
が、それでも英雄としての力は残されており、あくまでも「神であった」という神性のみが失われている状態である。
召喚場所によって差異はあるものの、聖書が一般化している欧米ではまず召喚されない。
雷、雨、風。嵐を構成する全ての現象を司り、時には気象すらも変えてみせる“嵐の神”の力。
本スキルによって敏捷値に補正が齎されており、彼の動きはさながら暴風、或いは轟く雷の如き俊敏さとなる。
神としての権能というよりは、彼が持つ伝承の具現。そして彼が齎した「豊穣」が形となったもの。
発動時には魔術回路を思わせる、幾何学的な紋章が全身に浮かび上がる。
本スキルによって敏捷値に補正が齎されており、彼の動きはさながら暴風、或いは轟く雷の如き俊敏さとなる。
神としての権能というよりは、彼が持つ伝承の具現。そして彼が齎した「豊穣」が形となったもの。
発動時には魔術回路を思わせる、幾何学的な紋章が全身に浮かび上がる。
カリスマや軍略とは異なる、王としての絶対的な権限。
単独にして完成された王のカタチであり、確立されたスタンドアロン。
その魔力系統、テクスチャ自体が異なっているため、マスターを失ってもある程度限界を維持出来、デバフの類に耐性を得る。
単独にして完成された王のカタチであり、確立されたスタンドアロン。
その魔力系統、テクスチャ自体が異なっているため、マスターを失ってもある程度限界を維持出来、デバフの類に耐性を得る。
周囲へ齎す天の恵み。降りしきる雨は傷を癒やし、大地には恵みを齎す。
“死”、“災害”という負の概念と相反するスキルであり、即死判定や病魔、飢餓に関するデバフに高い耐性を得られる。
またこのスキルを加護として他者に分け与える事も可能。
“死”、“災害”という負の概念と相反するスキルであり、即死判定や病魔、飢餓に関するデバフに高い耐性を得られる。
またこのスキルを加護として他者に分け与える事も可能。
内面的なものではなく、形として現れた無辜の怪物。
悪魔を思わせる兜、鎧を身に着けており、装着中は幸運値が低下してしまう。
「善なるバアル」として喚び出されて尚付き纏う風評。一応、真名を誤魔化せる程度のメリットはある。
悪魔を思わせる兜、鎧を身に着けており、装着中は幸運値が低下してしまう。
「善なるバアル」として喚び出されて尚付き纏う風評。一応、真名を誤魔化せる程度のメリットはある。
ランク:A+ 種別:対城宝具 レンジ:1-80 最大捕捉:1000人
彼の宝具『撃ち牽く駆逐 』と『鳴り響く霹靂 』を組み合わせることで発動する第一宝具。
組み合わせられた槍は両刃剣めいた形態となり、それを天へと掲げて振り回すことで竜巻を生み出し、天候を一変させる。
吹き荒れる暴風、降り頻る豪雨、止め処無い落雷……自然という現象が引き起こす災害の一変、即ち“大嵐”を発生させる気象宝具。
その莫大なエネルギーを圧縮して槍へと収め、それを敵軍へ向かって投擲。同時にエネルギーを開放することで、レンジ内全域に壊滅的なダメージを与える。
古来より人間が恐れ慄き、故にこそそれを神格化して崇め奉った――――貶められた神格を一時的に取り戻して扱う、極めて限定的な彼の“権能”。
混沌の軍勢、人に仇する災害、そして死……そういった側面を持つ者に対して特効性能を有する。
またバアルは神々に圧政を敷いた海神、ヤムを撃ち倒した逸話を持ち、この事から抑圧からの解放、そして竜に対する対抗性能も持つ。
彼が有する槍は自然の具現。嵐、稲妻、そしてそれにより齎される豊穣を元として工芸神コシャル・ハシスが鍛えた物。
故にこの宝具は神造兵器であり、星が有する神秘の象徴。本来であればEXランク相当の、まさに権能と呼べる性能を持っていたのだが……。
前述の理由により性能が下がっており、神造兵器としての格も貶められてしまっている。
そのため、性質としては“神槍”や“聖槍”ではなく“魔槍”に近い。
彼の宝具『
組み合わせられた槍は両刃剣めいた形態となり、それを天へと掲げて振り回すことで竜巻を生み出し、天候を一変させる。
吹き荒れる暴風、降り頻る豪雨、止め処無い落雷……自然という現象が引き起こす災害の一変、即ち“大嵐”を発生させる気象宝具。
その莫大なエネルギーを圧縮して槍へと収め、それを敵軍へ向かって投擲。同時にエネルギーを開放することで、レンジ内全域に壊滅的なダメージを与える。
古来より人間が恐れ慄き、故にこそそれを神格化して崇め奉った――――貶められた神格を一時的に取り戻して扱う、極めて限定的な彼の“権能”。
混沌の軍勢、人に仇する災害、そして死……そういった側面を持つ者に対して特効性能を有する。
またバアルは神々に圧政を敷いた海神、ヤムを撃ち倒した逸話を持ち、この事から抑圧からの解放、そして竜に対する対抗性能も持つ。
彼が有する槍は自然の具現。嵐、稲妻、そしてそれにより齎される豊穣を元として工芸神コシャル・ハシスが鍛えた物。
故にこの宝具は神造兵器であり、星が有する神秘の象徴。本来であればEXランク相当の、まさに権能と呼べる性能を持っていたのだが……。
前述の理由により性能が下がっており、神造兵器としての格も貶められてしまっている。
そのため、性質としては“神槍”や“聖槍”ではなく“魔槍”に近い。
ランク:C 種別:対死宝具 レンジ:- 最大捕捉:-
死の神モート/モトにより引き起こされたバアルの死、その死より甦った彼の逸話。その具現となる宝具。
乾季や死、飢餓を司るモートに対し、バアルは雨季や生、豊穣を司るとされ、この一連の流れは乾季雨季が巡るさまを指しているという。
そのため、バアルは生死という輪廻から逸脱した存在であり、既に死淵の幽谷を「乗り越えている」。
究極の即死耐性……というか、「死んで生き返っている」のでそもそも死の概念が存在しない。謂わば「死のストック」が尽きている。
尤も、それはあくまで「死」という概念に限る話であり、サーヴァントとしての消滅には影響しないのであまりメリットとはなり得ない。
死を司る者からの干渉、攻撃に耐性を持ち、「即死」という概念が通用しない。
死の神モート/モトにより引き起こされたバアルの死、その死より甦った彼の逸話。その具現となる宝具。
乾季や死、飢餓を司るモートに対し、バアルは雨季や生、豊穣を司るとされ、この一連の流れは乾季雨季が巡るさまを指しているという。
そのため、バアルは生死という輪廻から逸脱した存在であり、既に死淵の幽谷を「乗り越えている」。
究極の即死耐性……というか、「死んで生き返っている」のでそもそも死の概念が存在しない。謂わば「死のストック」が尽きている。
尤も、それはあくまで「死」という概念に限る話であり、サーヴァントとしての消滅には影響しないのであまりメリットとはなり得ない。
死を司る者からの干渉、攻撃に耐性を持ち、「即死」という概念が通用しない。
胸ほどまである短槍。ヤグルシュ同様、第一宝具の武装状態。
その名は撃退、駆逐という意味を持ち、槍ではなく槌と記されている場合もある。
そのためか矛先は広く厚みもあり、貫くと言うよりはその長い柄を利用して叩き付けるのが主な運用法となる。
魔力放出を用いて加速させれば相当な破壊力となり、相手の防御を打ち崩す「兜割り」としても機能。
一度振るえば遍くを駆逐する、彼の持つ「英雄としての荒々しさ」が形となっている宝具である。
その名は撃退、駆逐という意味を持ち、槍ではなく槌と記されている場合もある。
そのためか矛先は広く厚みもあり、貫くと言うよりはその長い柄を利用して叩き付けるのが主な運用法となる。
魔力放出を用いて加速させれば相当な破壊力となり、相手の防御を打ち崩す「兜割り」としても機能。
一度振るえば遍くを駆逐する、彼の持つ「英雄としての荒々しさ」が形となっている宝具である。
2m以上はあろうかという長槍。穂先は迸る雷電により構築される。アィヤムル同様、第一宝具の武装状態。
その名は追放という意味合いを持ち、嵐神たる彼が司る「稲妻」の象徴でもあるという。
リーチを自由に調節出来るメリットがあり、周囲の電気を吸収することで魔力を補い、消費を最小限に抑えられる。
基本的にはこの長槍をメインに扱い、敵が接近してきたら短槍で打ち払う……というのが主な戦法。
ちなみに魔力が十分に確保できていれば、遠距離の相手に落雷を見舞う事も可能となる。
その名は追放という意味合いを持ち、嵐神たる彼が司る「稲妻」の象徴でもあるという。
リーチを自由に調節出来るメリットがあり、周囲の電気を吸収することで魔力を補い、消費を最小限に抑えられる。
基本的にはこの長槍をメインに扱い、敵が接近してきたら短槍で打ち払う……というのが主な戦法。
ちなみに魔力が十分に確保できていれば、遠距離の相手に落雷を見舞う事も可能となる。
ウガリット神話に伝わる嵐、雷雨、暴風の神、主神バアル。
彼が呼ぶ嵐は恵みを呼ぶ慈悲の雨であるとされ、カナンにて豊穣をもたらす慈雨の神としても伝えられた。
最高神イル、或いはダゴンの息子とされ、海神ヤムや死神モートとは兄弟関係にあり、彼らと争いあった事も。
総じて、圧政や災害の象徴である竜、ヤムや死の象徴であり乾季の象徴でもあるモートなどを打ち倒す「生の象徴」として描かれ
荒々しい自然を収め、人々に恵みと糧を与え、実りを授ける神として信仰されていたとされる。
一方でその槍を担い、混沌の軍勢と渡り合う武の神、英雄神としての側面も持ち、多くの戦いを繰り広げてもいる。
同じくウガリット神話にて語られる愛と戦い、そして再生の神であるアナトは妻であり妹。
狩猟の神と呼ばれる彼女とは共に語られることが多く、彼女のバアルへの一途な愛、純情な思いを元にした逸話も多い。
……というか、その思いのあまり、彼女とのエピソードには常に血の香りが付きまとってしまっている。
と、このようにカナンに於けるウガリット神話にて、主神として語られていたバアルであるが
彼は旧約聖書にてその神格を貶められ、害をもたらす異教の神、災いをもたらす悪魔の化身と語られている。
崇高なるバアル という異名が蝿のバアル として嘲笑され、後にベルゼブブという悪魔の一柱として確立もされた。
その影響により、後の世ではバアルとベルゼブブ、またソロモン72柱がうちの一柱、バエルと同一視され、神としてではなく悪魔としての側面を強調されてしまった。
本来、英霊という器に収まる存在ではない主神バアルが、こうしてサーヴァントとして喚び出されるのは以上の要因が所以。
神であるはずのバアルは、多くの人々にその名を貶められ、神格を嘲られた末に神性を失い、神霊として召されること無く神代のテクスチャより「放り出された」。
このランサー・バエルは「極めて神に近しい存在であり、極めて悪魔に近しい存在ながら、そのどちらでもない」。
神と悪魔の間……即ち「人」の境界を彷徨っている状態にある、英霊としてはとても不安定な存在である。
故に彼が喚び出される場合は……英霊の座からではなく、そのテクスチャの境界を彷徨っているバアルそのものの“分身”が赴く事となる。
尤も、彼は英雄としての側面も持っており、神性を失っているとはいえ強大なサーヴァントであることに代わりはない。
その精神性も変わっておらず…………人々に貶められ、神としての意義を剥奪されて尚、“人々に恵みを齎す”為にその力を奮っている。
彼が呼ぶ嵐は恵みを呼ぶ慈悲の雨であるとされ、カナンにて豊穣をもたらす慈雨の神としても伝えられた。
最高神イル、或いはダゴンの息子とされ、海神ヤムや死神モートとは兄弟関係にあり、彼らと争いあった事も。
総じて、圧政や災害の象徴である竜、ヤムや死の象徴であり乾季の象徴でもあるモートなどを打ち倒す「生の象徴」として描かれ
荒々しい自然を収め、人々に恵みと糧を与え、実りを授ける神として信仰されていたとされる。
一方でその槍を担い、混沌の軍勢と渡り合う武の神、英雄神としての側面も持ち、多くの戦いを繰り広げてもいる。
同じくウガリット神話にて語られる愛と戦い、そして再生の神であるアナトは妻であり妹。
狩猟の神と呼ばれる彼女とは共に語られることが多く、彼女のバアルへの一途な愛、純情な思いを元にした逸話も多い。
……というか、その思いのあまり、彼女とのエピソードには常に血の香りが付きまとってしまっている。
と、このようにカナンに於けるウガリット神話にて、主神として語られていたバアルであるが
彼は旧約聖書にてその神格を貶められ、害をもたらす異教の神、災いをもたらす悪魔の化身と語られている。
その影響により、後の世ではバアルとベルゼブブ、またソロモン72柱がうちの一柱、バエルと同一視され、神としてではなく悪魔としての側面を強調されてしまった。
本来、英霊という器に収まる存在ではない主神バアルが、こうしてサーヴァントとして喚び出されるのは以上の要因が所以。
神であるはずのバアルは、多くの人々にその名を貶められ、神格を嘲られた末に神性を失い、神霊として召されること無く神代のテクスチャより「放り出された」。
このランサー・バエルは「極めて神に近しい存在であり、極めて悪魔に近しい存在ながら、そのどちらでもない」。
神と悪魔の間……即ち「人」の境界を彷徨っている状態にある、英霊としてはとても不安定な存在である。
故に彼が喚び出される場合は……英霊の座からではなく、そのテクスチャの境界を彷徨っているバアルそのものの“分身”が赴く事となる。
尤も、彼は英雄としての側面も持っており、神性を失っているとはいえ強大なサーヴァントであることに代わりはない。
その精神性も変わっておらず…………人々に貶められ、神としての意義を剥奪されて尚、“人々に恵みを齎す”為にその力を奮っている。
神ではあるが誠実かつ木訥。嵐の神でありながら、その人柄は冷静沈着にして知性的。
これは彼が「荒々しい自然」ではなく「治められた自然」の象徴であり、その嵐も恵みを齎す雨である、という伝承に依るもの。
神として過ごしていた時代の感覚が抜けていないのか、少々“人間”の尺度を理解できなかったり、浮世離れもしている。
またお人好しな一面もあり、人々に慈悲と恵みを与えた神であるためか、基本的に人間への強力は惜しまない。
純粋な性格だが朴念仁。自身は他人を想い、分け与えるのだが、自身が想われることには慣れておらず
「他人からの好意」「他人からの想い」「他人からの愛」に疎く、また人々を平等に想っているためか、個人に執着することもない。
故に人を勘違いさせやすく…………その態度は神々にも同様であり、自分を殺した張本神であるモートとも復活後に和解してしまう程である。
神話に於いて彼は、少なくとも三人の妻……アナト、アシェラト、アスタルテを娶っており、彼女らを「等しく」「同様に」愛していた。
もし一人のヒロインを上げるとすれば、それは妹でもあるアナトとなるだろうが……彼にとっては皆、愛しく愛らしく美しい妻である。
なお、後の世で悪魔として取り沙汰されていることに関してはあまり言及していない。
単純に気にかけていない、というのもあるのだろうが……。
これは彼が「荒々しい自然」ではなく「治められた自然」の象徴であり、その嵐も恵みを齎す雨である、という伝承に依るもの。
神として過ごしていた時代の感覚が抜けていないのか、少々“人間”の尺度を理解できなかったり、浮世離れもしている。
またお人好しな一面もあり、人々に慈悲と恵みを与えた神であるためか、基本的に人間への強力は惜しまない。
純粋な性格だが朴念仁。自身は他人を想い、分け与えるのだが、自身が想われることには慣れておらず
「他人からの好意」「他人からの想い」「他人からの愛」に疎く、また人々を平等に想っているためか、個人に執着することもない。
故に人を勘違いさせやすく…………その態度は神々にも同様であり、自分を殺した張本神であるモートとも復活後に和解してしまう程である。
神話に於いて彼は、少なくとも三人の妻……アナト、アシェラト、アスタルテを娶っており、彼女らを「等しく」「同様に」愛していた。
もし一人のヒロインを上げるとすれば、それは妹でもあるアナトとなるだろうが……彼にとっては皆、愛しく愛らしく美しい妻である。
なお、後の世で悪魔として取り沙汰されていることに関してはあまり言及していない。
単純に気にかけていない、というのもあるのだろうが……。
狛原トキハのサーヴァント。彼女の召喚に応じ参上した嵐のランサー。
教育が途絶え、神秘も薄れた世界ではより霊格が削れているようだが、それでも依然として英霊としての格は健在。
率先して戦闘を行うことはなく、あくまでもトキハの保護者として寄り添っており、彼がその槍を抜くのはマスターに危機が迫ったとき……そして「世界」に危機が迫ったときくらいなもの。
傍観者という立場を貫き、移ろいゆく時代を眺める様子は、かつて主神としてありながらも人々に貶められ、それでもなお意志を保ち続けた彼の寛大さ故であるのか。
…とはいえ、この大きく変化した世界に興味はあるようで、海底に籠もりっぱなしのマスターと比べ比較的外界と触れ合っている。
一切の乱れもないスーツにコートを羽織り、長髪を後ろで束ねた出で立ちは、荘厳さとフォーマルさを孕んだ独特の雰囲気を醸し出している。
イメージカラー:鉛色
特技:慈悲と恵みを与えること
好きなもの:三人の妻、人間たち、快晴の空、豊かな実り
嫌いなもの:人間たちに害を齎す存在
天敵:強いて言うならば父、そして“自分”
願い:人々に再び恵みを齎すための力を得ること
【一人称】私 【二人称】貴方、君(親しい人のみ)、汝(敵対者のみ) 【三人称】彼、彼女
教育が途絶え、神秘も薄れた世界ではより霊格が削れているようだが、それでも依然として英霊としての格は健在。
率先して戦闘を行うことはなく、あくまでもトキハの保護者として寄り添っており、彼がその槍を抜くのはマスターに危機が迫ったとき……そして「世界」に危機が迫ったときくらいなもの。
傍観者という立場を貫き、移ろいゆく時代を眺める様子は、かつて主神としてありながらも人々に貶められ、それでもなお意志を保ち続けた彼の寛大さ故であるのか。
…とはいえ、この大きく変化した世界に興味はあるようで、海底に籠もりっぱなしのマスターと比べ比較的外界と触れ合っている。
一切の乱れもないスーツにコートを羽織り、長髪を後ろで束ねた出で立ちは、荘厳さとフォーマルさを孕んだ独特の雰囲気を醸し出している。
イメージカラー:鉛色
特技:慈悲と恵みを与えること
好きなもの:三人の妻、人間たち、快晴の空、豊かな実り
嫌いなもの:人間たちに害を齎す存在
天敵:強いて言うならば父、そして“自分”
願い:人々に再び恵みを齎すための力を得ること
【一人称】私 【二人称】貴方、君(親しい人のみ)、汝(敵対者のみ) 【三人称】彼、彼女
ベルゼブブ:バアルという存在の裏。霊基に付き纏う影にして半身。
自らの神格を貶めた存在そのものであり、逆に言えば彼という存在が居るからこそ、バアルはこうして「英霊」として呼び出された。
直接的な関わりは無く、原典での繋がりがあるわけでもない。彼ら二人を結びつけるものは、偏に――――――「人間の悪意」である。
反転存在でもなく霊格として共有されている要素があるわけでもない。だが彼らは密接に、ごく近い位置で“背中合わせとなっている”。
文字通りに表裏一体、バアルという光により生まれた影。ウガリット神話に於ける主神という強い光は、真性悪魔という強い影を落とした。
故に彼らは切っても切り離せぬ縁で結ばれており、お互いがお互いの存在証明を成す、極めて特殊な関係となっている。
個人として彼に思う事はない。彼に対する認識は、人々の祈りが移り変わった事により生まれた「もう一人の自分」といったもの。
加えて血を分けた兄弟、或いは双子として捉えているようで、自身の仇敵とも呼べる存在でありながら、接する態度はとても親しく、穏やかである。
敵意を向けられようと、食欲をぶつけられようと臆すること無く、彼という存在全てを受け止める。彼もまた己そのものであり、人々が生み出したものであるがゆえに。
……何気に、妻達よりも気を許して接している部分があり、そういった点では唯一の「友人」と呼べる相手なのかもしれない。
「君を受け入れた時から既に覚悟は決まっている。君がどんな存在に成り果てようと、私は寄り添うと――――人々を受け入れたその日から、決めていたのだ」
「無論だ。私は遍くを愛し、遍くを受け入れる。妻達の愛も同様に、だ……しかし受け入れるだけではいけないのか。悩ましいな、愛情というものは」
アナト:原典に於ける妻であり、妹。
上述のように、バアルは三人の妻からの愛を一身に受け、同じくその愛を等しく分け与えている。
逆に言うと、バアルは「特定の誰か」だけに愛を注ぐ事はなく、同じ愛を同じ分だけ、妻達に分け与えているのである。
とはいえ、ウガリット神話にてバアルとアナトは共に語られることが多く、バアルの武勲に彼女という存在は欠かせぬもの。
その面では深い感謝を抱いているが……如何せん自分に向けられた「愛」に疎いので、その有り余る一筋な愛を受け止めきれていない。
もし出逢えば、少々異なる姿に始めは驚くだろうが、すぐにその内情を察していつもと変わらずに接することだろう。なでなでとかする。
ぶっちゃけ、どの妻に対してもわりと愛妻家な面を見せるので、各々に100の愛を向けられたら全員に80の愛を返す。残り20の愛は、恵みと慈雨に混ぜて人間たちに。
……正直、エ○ゲなら優柔不断でバッドエンド待った無し。ラブコメモノなら優柔不断だと叩かれそうなムーブをかます。
アスタルテ:原典に於ける妻であり、妹。
アナト同様、バアルにとってかけがえのない妻、そして妹であり、向けられた愛を等しく返す。
アナトが「共に戦う者」であるならば、アスタルテは「共に寄り添う者」。例え戦う力を持たないからといって、分け与える愛に偏りなどは無い。
自分と同じく強力な神格を持ちながら、人々の手でその神格を貶められた“悪魔”としての側面を持っている。
自身が悪魔と呼ばれる分には構わないが……妻にまでその悪名が及ぶとは想定外だったようで、不要なその一点に関しては申し訳なくも感じていた。
現界に際しては、彼女に「彼女以外の信仰」が紛れていることを見抜き、その中にある“アスタルテ”を即座に見つけ出して寄り添う程度には愛おしく思っている。
その胸に関しても気がついてはいるが、アナトがそうであったように、サーヴァントとなって変化、成長したのだろうと認識している。成る程、豊穣とはそういう。
そして、そのアプローチに鈍いのも神代の頃と変わりはない。当てられても平然と接する。
シャパシュ:原典に於いて支えられた太陽神。
嫁達や兄弟、父程ではないにせよ、原典では幾度と無く世話になった間柄であり、頭が上がらない。
バアル的には頼れる姉……いや、母……歳を考えると祖母……のような認識を抱いていて、いつか対等に、面と向かって話し合えたらと望んでいた。
なので実際に出会えたなら一通りの感謝を述べた後で再開を喜ぶ。そして…………「何だそのクラスは」と、最初に入れるべきツッコミを最後に持ってくる。
多分聞いても2割ほどしか理解が及ばないだろうが、丁寧に説明すれば納得するし受け入れられる。それはそれとして何やってるんだ。
ハンニバル・バルカ:自身が与えた加護を最大限生かしている英雄。
基本的に、バアルは遍く人々に等しく加護を与えている。要はその加護をどれだけ理解し、どれだけ引き出せるかに依る。
彼などはその加護を最も引き出し、扱っていた英雄であり、その覇道は嘗て自身が王覇を極めていた頃と重なって映るという。
故に贔屓はしないが、応援はする。神であっても英雄であっても、等しく神々/人の子らと一纏めにするバアルが、極めて珍しく「個人」として認識している英雄。
ニコール・オブリー:自身が加護を与えた人物にして、自身のせいで貶められた少女。
自分がベルゼブブと同一視されたことで悪魔憑きと呼ばれ、その人生を狂わせてしまった事を悼む。
この時代にあって尚弛まぬ信仰心を抱き、貫き通した彼女の在り方に敬意を評していて、だからこそ“神格を降ろす”という行為にも寛容であった。
彼女一人の為に動くことはないが―――“彼女のような信心者”を救う為に、バアルはランサーとして、サーヴァントとして……“英霊”として槍を振るう。
ガグンラーズ:自身と同じく嵐を扱う、異なる神話の主神。
とはいえ、彼女が扱う嵐は数ある力の一端に過ぎないので、神としての格では劣る……と認識している。
それでも興味を抱いており、異なる地方、異なる文化に於ける「嵐」の捉え方の違いを知りたがっている。
……しかし、ふむ。少女の姿で現れるというのも、面白い。私も真似てみるか?……いや、アナトに怒られるだろうな。
藤田・“セオドア”・哲也:自身が扱う「嵐」という現象を解き明かした偉大なる碩学。
神々の叡智であった嵐、台風を人々の領域に落とし込んだ人物であり、バアルが称賛し応援する極めて珍しい英雄の一人。
嵐とは恵みを齎すものであるが、同時に破壊を齎すものでもある。その性質は紙一重であり、神ですら分けては扱えぬ代物だった。
しかし彼がその原理を解き明かしたことにより、人類は嵐への対抗策を得た。この功績こそ、バアルが最も称賛している部分である。
ハンニバル含め、バアルが「個人名」で英霊を呼ぶことはとても希少。それほどまでに大きな功績を残した……ということなのだろう。
自らの神格を貶めた存在そのものであり、逆に言えば彼という存在が居るからこそ、バアルはこうして「英霊」として呼び出された。
直接的な関わりは無く、原典での繋がりがあるわけでもない。彼ら二人を結びつけるものは、偏に――――――「人間の悪意」である。
反転存在でもなく霊格として共有されている要素があるわけでもない。だが彼らは密接に、ごく近い位置で“背中合わせとなっている”。
文字通りに表裏一体、バアルという光により生まれた影。ウガリット神話に於ける主神という強い光は、真性悪魔という強い影を落とした。
故に彼らは切っても切り離せぬ縁で結ばれており、お互いがお互いの存在証明を成す、極めて特殊な関係となっている。
個人として彼に思う事はない。彼に対する認識は、人々の祈りが移り変わった事により生まれた「もう一人の自分」といったもの。
加えて血を分けた兄弟、或いは双子として捉えているようで、自身の仇敵とも呼べる存在でありながら、接する態度はとても親しく、穏やかである。
敵意を向けられようと、食欲をぶつけられようと臆すること無く、彼という存在全てを受け止める。彼もまた己そのものであり、人々が生み出したものであるがゆえに。
……何気に、妻達よりも気を許して接している部分があり、そういった点では唯一の「友人」と呼べる相手なのかもしれない。
「君を受け入れた時から既に覚悟は決まっている。君がどんな存在に成り果てようと、私は寄り添うと――――人々を受け入れたその日から、決めていたのだ」
「無論だ。私は遍くを愛し、遍くを受け入れる。妻達の愛も同様に、だ……しかし受け入れるだけではいけないのか。悩ましいな、愛情というものは」
アナト:原典に於ける妻であり、妹。
上述のように、バアルは三人の妻からの愛を一身に受け、同じくその愛を等しく分け与えている。
逆に言うと、バアルは「特定の誰か」だけに愛を注ぐ事はなく、同じ愛を同じ分だけ、妻達に分け与えているのである。
とはいえ、ウガリット神話にてバアルとアナトは共に語られることが多く、バアルの武勲に彼女という存在は欠かせぬもの。
その面では深い感謝を抱いているが……如何せん自分に向けられた「愛」に疎いので、その有り余る一筋な愛を受け止めきれていない。
もし出逢えば、少々異なる姿に始めは驚くだろうが、すぐにその内情を察していつもと変わらずに接することだろう。なでなでとかする。
ぶっちゃけ、どの妻に対してもわりと愛妻家な面を見せるので、各々に100の愛を向けられたら全員に80の愛を返す。残り20の愛は、恵みと慈雨に混ぜて人間たちに。
……正直、エ○ゲなら優柔不断でバッドエンド待った無し。ラブコメモノなら優柔不断だと叩かれそうなムーブをかます。
アスタルテ:原典に於ける妻であり、妹。
アナト同様、バアルにとってかけがえのない妻、そして妹であり、向けられた愛を等しく返す。
アナトが「共に戦う者」であるならば、アスタルテは「共に寄り添う者」。例え戦う力を持たないからといって、分け与える愛に偏りなどは無い。
自分と同じく強力な神格を持ちながら、人々の手でその神格を貶められた“悪魔”としての側面を持っている。
自身が悪魔と呼ばれる分には構わないが……妻にまでその悪名が及ぶとは想定外だったようで、不要なその一点に関しては申し訳なくも感じていた。
現界に際しては、彼女に「彼女以外の信仰」が紛れていることを見抜き、その中にある“アスタルテ”を即座に見つけ出して寄り添う程度には愛おしく思っている。
その胸に関しても気がついてはいるが、アナトがそうであったように、サーヴァントとなって変化、成長したのだろうと認識している。成る程、豊穣とはそういう。
そして、そのアプローチに鈍いのも神代の頃と変わりはない。当てられても平然と接する。
シャパシュ:原典に於いて支えられた太陽神。
嫁達や兄弟、父程ではないにせよ、原典では幾度と無く世話になった間柄であり、頭が上がらない。
バアル的には頼れる姉……いや、母……歳を考えると祖母……のような認識を抱いていて、いつか対等に、面と向かって話し合えたらと望んでいた。
なので実際に出会えたなら一通りの感謝を述べた後で再開を喜ぶ。そして…………「何だそのクラスは」と、最初に入れるべきツッコミを最後に持ってくる。
多分聞いても2割ほどしか理解が及ばないだろうが、丁寧に説明すれば納得するし受け入れられる。それはそれとして何やってるんだ。
ハンニバル・バルカ:自身が与えた加護を最大限生かしている英雄。
基本的に、バアルは遍く人々に等しく加護を与えている。要はその加護をどれだけ理解し、どれだけ引き出せるかに依る。
彼などはその加護を最も引き出し、扱っていた英雄であり、その覇道は嘗て自身が王覇を極めていた頃と重なって映るという。
故に贔屓はしないが、応援はする。神であっても英雄であっても、等しく神々/人の子らと一纏めにするバアルが、極めて珍しく「個人」として認識している英雄。
ニコール・オブリー:自身が加護を与えた人物にして、自身のせいで貶められた少女。
自分がベルゼブブと同一視されたことで悪魔憑きと呼ばれ、その人生を狂わせてしまった事を悼む。
この時代にあって尚弛まぬ信仰心を抱き、貫き通した彼女の在り方に敬意を評していて、だからこそ“神格を降ろす”という行為にも寛容であった。
彼女一人の為に動くことはないが―――“彼女のような信心者”を救う為に、バアルはランサーとして、サーヴァントとして……“英霊”として槍を振るう。
ガグンラーズ:自身と同じく嵐を扱う、異なる神話の主神。
とはいえ、彼女が扱う嵐は数ある力の一端に過ぎないので、神としての格では劣る……と認識している。
それでも興味を抱いており、異なる地方、異なる文化に於ける「嵐」の捉え方の違いを知りたがっている。
……しかし、ふむ。少女の姿で現れるというのも、面白い。私も真似てみるか?……いや、アナトに怒られるだろうな。
藤田・“セオドア”・哲也:自身が扱う「嵐」という現象を解き明かした偉大なる碩学。
神々の叡智であった嵐、台風を人々の領域に落とし込んだ人物であり、バアルが称賛し応援する極めて珍しい英雄の一人。
嵐とは恵みを齎すものであるが、同時に破壊を齎すものでもある。その性質は紙一重であり、神ですら分けては扱えぬ代物だった。
しかし彼がその原理を解き明かしたことにより、人類は嵐への対抗策を得た。この功績こそ、バアルが最も称賛している部分である。
ハンニバル含め、バアルが「個人名」で英霊を呼ぶことはとても希少。それほどまでに大きな功績を残した……ということなのだろう。
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