ノスしるべ作文コンクール2019 テーマ【Op.2】Entry4
By yuki aikawa
By yuki aikawa
Op.2 Episode 0
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〜side 「E」〜
とても綺麗なピアノが飾られているお店が、すぐ近所にあった。
静かなお店だったから、母は自分を連れて行くのをためらっていたのは理解していた。
だがそんな幼い自分でも、ここが厳かな場所であり、大声を出したりすることは良くないことだと肌で感じていた。
むしろ時間の許す限り、その美しい楽器を隅々まで見ているだけで満足だった。
お店に行きたい、あの楽器を見たいと。
母に望んでは通った。何度も、何度も。
ある日、話に夢中になっている母の目を盗んで、とうとうその楽器に触れたことがある。
想像以上に重たい感触に反して、偶然発せられた透き通った旋律に、思わず身震いした。
母はここで気付いたようだった。何かを言いかけてから少し考えた様子になり、次いで諦めたように苦笑を浮かべる。
老いた店主に何かを伝えると、店主は微笑んで頷いたのを認めて、母は席を立つとこちらに近づいてきた。
・・・きっと怒られる、“これ”と引き離されてしまう。
そう恐れた矢先、母は目の前の椅子に座り、その膝の上に自分を座らせたのだった。
幼い自分には、鍵盤の端まで手が届かない。
それはまるで広い海のように、無限に広がる世界を思わせた。
そんな自分を背後から抱き込むように包みながら、綺麗な音を奏でる母の姿と、はじめのあの旋律は、いつも僕をあの日へと還らせるのだった。
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〜side 「P」〜
一羽は、その場を動くことができなかった。
季節の変わり目に、仲間たちはすでに発ってしまった。
まもなく冬が来る。
一番厳しいころになると、この湖ですらときどき白いものが空から舞い降りてくる。そんな季節だ。
それがわかっていても、飛び立てなかった理由が二つあった。
ひとつは、野犬に襲われて身体を傷つけていたこと。
もうひとつは・・・この季節外れに、まもなく孵るであろう我が子を、懐に抱いていたから。
やがて、雛は無事に孵った。
母鳥と二羽だけで、必死になって天敵から身を隠しつつ、飛び立てる日を待ち続けた。
湖畔の草むらに潜みながら暮らすこと数日。ある日、雛の耳に何かの音が聞こえてきたのだ。
母の鳴き声ではない。天敵たちの声でもない。生き物なのかすらわからない音のつながり。
それは、湖畔のそばにある小高い丘の上から、風に乗って聞こえてきた。
その音はなぜか母の鳴き声のように心地よく耳に響き、聴いているうちにいつも眠気を誘われていった。
数週間後、湖から靄が立ち上るある晴れた日の早朝。雛は自分が飛べることに気づいた。
足取りはおぼつかないが、それは他の鳥たちに比べて驚異的な成長だった。季節が変わることで、生き残るための必死の抵抗だったのだろう。
湖に下り、何度か水面を蹴り上げる動作を失敗していると、その瞬間は唐突に訪れた。
はじめて空を飛んでいる感覚に驚きつつ、自慢するかのように上空を旋回する。
母は、飛ばなかった。湖に浮かんだまま、顔を丘のほうへ向けて鳴いた。
行きなさい。皆のいる南へ。
子は驚いて、何度も何度も旋回して待った。が、母鳥は微動だにせず、子と、行くべき丘の向こうを目線で伝えてくる。
その姿を見下ろしているうちに気づいた。母の身体はあちこち傷だらけで、羽もボロボロだった。
必死に生き残っていたのだ―――ただ、今日のこの日のために。
と、あの音がまた丘から聞こえてきた。それは母鳥も同様だった。
母はもう一度鳴いた。
行きなさい。あの音の向こうへ。
子は、もう一度大きく旋回し・・・ひときわ高く飛ぶと、音のほうへ向かって力強く羽ばたきはじめる。
不思議なことに、湖を離れて、丘を、小屋を越えてもなお、音は飛ぶ先のほうから聴こえつづけていた。
母鳥は、その姿が朝日の彼方に消えゆくのを見届けて、満足そうに一声、啼いた。
遠くにいる仲間たちに向けて。高く、伸びやかに。
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〜side 「M」〜
彼は毎日朝になると、人の手によってスイッチを入れられ、ショーウインドウから道行く子どもたちの興味をあおぐ。
その電気を入れる時に鳴る起動音。その信号に、不愉快になるノイズは何ひとつない。
無駄をそぎ落とされたシンプルなプログラムは、こんなにも美しい。
仲間たちが次々と買われていく中、彼だけは店に残り続けた。早くに店頭に並べられた「見本」だったためか、季節が変わる頃になると動きの一部がわずかに鈍ってきた。客はそんな彼を見て、商品を気に入りはしても新品で倉庫で眠る仲間たちを引き取ってゆくのだ。
このまま自分だけが売れ残って、最後は“ハイキ”になるかもしれない。そんな恐れを抱いたある日、ふと彼はある子どもに持ち上げられた。
「おかあさん、ぼくこれがいい!」
子どもは彼をしっかりと抱いて叫んだ。他のおもちゃは一切目に入らない様子だった。
「そのおもちゃがいいの? それじゃあ新しいものをお店の人にお願いしてくるわね」
「やだ!このこがいい!!」
子どもはその場に座り込んで、彼を手放そうとしない。母親はそれが展示品だとわかっているため、柔らかく説得する。
「同じロボットの、綺麗なものをもらいましょう。腕を上げるときにちょっと動きが遅いみたいよ?」
「やだやだ。この腕の動くのがなんか好きなんだもん!これがいいの!」
このぎくしゃくした動きが、かえって子どもの心を掴んだようだった。しばらく母子で押し問答をしていたが、最後には母親が折れる形になった。
「それじゃあ、それを持ってお店の人に渡してあげて。重たいけれど落としたらだめよ?せっかくだから、綺麗にリボンもかけてもらいましょうね」
「やったー!これからぼくのうちに来るんだよ。いっしょにあそぼうね!」
子どもの無邪気な瞳と、彼の大きな目が合った。その光を認識するや否や、あのコードが全身を駆け巡る。・・・その短い“コード/旋律”は、ここで少年と出会った記憶として新たに記録され、消えることはないだろう。
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〜side 「A」〜
私は幼いころから身体が弱かった。
兄と母が一緒に出掛けていく時も、自分は家で留守番をしているか、共に外出できてもごく短い時間だけだった。
唯一の楽しみは、両親が買ってきてくれる本を読むことだった。その中でも架空の物語は、見たことのない外の世界にもしかしたら実在するかもしれないと思うと、胸が躍った。
ある日、母と外出していた兄が帰ってくるや否や、興奮した様子で「おかあさんピアノが弾けるんだよ!」と告げてきた。それはそれは綺麗な曲を弾いてくれたという。家に音楽を流す機械はあったが、生の演奏は聴いたことがなかった。それが母の弾いたものだと聞くと、うらやましいを通り越して兄が妬ましくなり、目に涙が浮かんでくる。まだ話し続ける兄を無視して、何も言わずにベッドのシーツを頭からかぶった。
数か月後。私は日常は相変わらずだった。冬のある日、家の前に運送のトラックが停まり呼び鈴が鳴った。母の案内で、布で覆われた大きな荷物が家に運ばれてゆくのを二階の窓から見ていたが、中身まではわからない。仕事を終えたトラックが走り去ってしばらくすると、階下の母から呼ぶ声がした。降りてゆくと、先ほどの大きな荷が居間の隅に鎮座している。近づくよりも早く、傍に立っている兄の手で覆われている布がさっと取り払われた。
「・・・!」
曇り一つなく、黒く艶やかに輝く姿。蓋を開けると、白と黒の鍵盤が両手を広げても余るほどに整然と並んでいる。思いがけない事態に声も出せずにいると、兄が母の腰にしがみついて懇願した。
「あのきれいな曲を弾いてあげて!」
母は嬉しそうに微笑むと、子どもたちに向かって食卓の椅子を指さし、「それでは、おうちの演奏会をはじめます。みなさまどうぞお座りください」と茶目っ気たっぷりに言った。私と兄は急いで椅子に座ると背を正し、精一杯の拍手を送る。母は二人の聴衆に向かって、エプロンの裾をそれらしく持ち上げて優雅に一礼し、着席した。
まず聴こえてきたのは、まるで天使たちが世界を祝福しているような旋律。透明で、喜びに満ちたメロディーに没頭していると、次に猫がころころとじゃれている景色が見えてくる。かと思ったら、しとしとと降り続く雨音の音階に思わず窓を振り返り、あるいは古代の戦士たちが剣を交えるような緊張感のある音に身を強張らせた。それから湖に映る三日月、新天地を目指す船乗りたち、教会の祈り、春の草花の息吹、人形たちの深夜のパーティ。
・・・どのくらいの間、聴き続けていただろう。
音の世界に没頭していた私は、演奏が終わったことにしばらくの間気づかなかった。そんな茫然としている妹に向かって、兄が興奮して言った。
「おかあさんがピアノを教えてくれるんだって。よかったね!」
この時になってようやく理解した。このピアノは、家からあまり出られない自分への、家族からの贈り物だと。「ありがとう。おかあさん、おにいちゃん・・・」涙で到底言葉にならず、ささやくように言うのが精いっぱいだった。無数の世界を生み出す大好きな手のひらが、泣き止むまでいつまでも頭を撫でてくれていた。
―――数年後。
「いってきます」
母と娘がいるのは、照明を浴びているピアノへ続く舞台の袖。父も兄も、彼女が来るのを多くの人たちと共に向こう側で待っている。
「いってらっしゃい。素敵な時間になるように祈ってるわ」
そう言って微笑む母に同じ笑顔で応えると、ドレスを翻して一歩を踏み出した。
ここにいるすべての人々へ、“天使の祝福”を届けるために。
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〜side 「N」〜
ごめんね。一緒に連れていけなくて。
そう言って何度も謝りながら、小さな主人は猫を抱きしめていた。
朝から見知らぬ人間が多数やってきたと思ったら、部屋の中のものが次々と運び出されてゆく。その光景を不思議そうに見上げながら気ままにあちらこちらと行き来していたのだが、「邪魔だよ」と言われて何度も踏まれそうになるので、やがて隅に座ってその様子をおとなしく見守ることにした。
部屋が広くなるにつれて失われていく、生活感と慣れた匂い。
ほとんどの荷物の搬出が終わり、作業員らは最後に幼い少女の愛用していたピアノに手をかけた。その直後、今まで沈黙を守っていた猫はピアノの上に飛び乗って、動かしたらダメと言わんばかりに鎮座する。男たちは一瞬戸惑ったが、作業に支障があるわけではないのでそのまま持ち上げようとした。
「ダメよ、ここに上がっちゃ」
聞きなれた声がして、身体が優しく持ち上げられると猫はそっと床におろされた。
主人に向かって、みゃあ、と少しだけ非難を込めて鳴いた。少女は唇を噛み締め、その頬は一筋の涙で濡れていた。
人間の家族は、車に乗って都会の住まいへ去っていった。
それは、猫にとってすべてを無くした日だった。
大好きだった少女も。
暖かくて良い匂いのする部屋も。
何度も聴かせてくれたピアノの心地よい旋律も。
―――あれからどれだけの月日が経ったのか。
とぼとぼと歩みを進めていると、ひとひらの白い雪が視界をかすめた。気付くと息も白い。空を見上げると、曇天の中に一羽の渡り鳥らしき姿が南を目指して翔んでいた。彼の者の目指す土地は、きっと仲間がたくさんいて、穏やかで暖かい空気に満ちていることだろう。少しうらやましく思いながらなんとなく見送っていたが、やがてその姿も点になって完全に見えなくなると、猫は再びあてもなく歩き始める。
ひとまず風を凌げて、落ち着いて眠れる場所が欲しかった。
街を歩いていると、おもちゃ屋の前を通りかかった。ショーウインドウはクリスマスの装いで明るく賑やかだ。男の子がわくわくしそうな乗り物のおもちゃから、女の子が目をキラキラさせるに違いない、美しい衣装を纏った人形たち。もみの木と、無数に飾り付けられた煌びやかなイルミネーション。赤、青、緑、黄、金、銀・・・雪景色の中を歩くこの自分となんと対照的なことか。
店先を通り過ぎる中、ショーウインドウのその端にふと視線を感じた。顔を上げると、たくさんの商品が展示されている中で、不思議そうに猫を見つめる大きな一つ目のロボットと目が合った。“不思議そうに”というのもおかしな話だが、猫はこの相手が何かを伝えたがっている気がした。ロボットは片手をあげて、交差点の向こうを示した。もともと人間によって作られ、決められた動作をするだけの機械は、そこで唐突に動きを止めたのだ。
どのみち行く先など決まっていない。猫は彼の指した方向へ向かうことにした。
猫が歩き去った後、大きな一つ目のロボットは再び両手両足を動かして、同じリズムを繰り返していく・・・。
たどり着いたのは、木造の小さな駅舎だった。周囲の人気はまばらだ。おそらく列車の乗り降りの時間だけ、人の動きがあるのだろう。
駅舎の奥から温かく香ばしい匂いが外に漂ってきている。猫が食欲をそそる匂いとは違うが、不快なものではない。雪の降り方が強まってきたこともあり、猫はここで休むことにした。入り口をくぐると、古い木造特有の良い香りがした。
小さな窓口には、高齢の駅員が一人。改札は無人。こじんまりとした待合室。その真ん中に、列車を待つ乗客が暖をとるための小型のストーブが赤々と燃えている。駅舎の左手には喫茶店が併設しており、待合室からよく見える店の隅に、一台のグランドピアノが置いてあった。引き寄せられるように近づいてゆく。
ここならストーブの灯を見ながら、ゆっくりと休めるだろう。猫はピアノの下にもぐりこみ、身体を丸めて間もなく眠りに落ちた。
「おにいちゃん、あそこにねこがいるよ。ぴあののした。まっしろでとてもきれい」
「どこに?・・・ほんとだ! ねえねえおかあさん、ねこがいる!」
列車の時間が近づいてきたのだろうか。周囲に人の気配が増えたと思って目を覚ましたら、二組の瞳が眼前にあった。男の子と女の子。人間の子どもが二人、ピアノの傍にしゃがみこんで無邪気に猫を見つめていたのだ。一瞬懐かしい主人の姿が、女の子のそれに重なる。
そんな子どもたちの後ろ、改札へ向かう人波の中に、別の親子が通り過ぎていった。母親が抱えている大きな箱の一部は透明で、中のおもちゃがよく見えるようなつくりになっている。赤い大きなリボンで飾られており、嬉しそうに一緒にいる男の子への贈り物と思われた。箱の中には、どこかで見た丸い頭と大きな一つ目のロボット。電源が入っていないはずのその目が、猫を認めてキラリと笑った気がした。
「そろそろ行くわよ。二人ともこっちへいらっしゃい」
「はーい。ねこちゃんばいばいー」
「ばいばーい!」
子どもたちは名残惜しそうに去ってゆく。小さな手を、母親の両手にそれぞれ優しく握られて。後を追って改札口を出ると、いつの間にか雪は止んでいた。曇天だった雲の合間から、わずかに陽の光が差し込んでいる。
カーン
カーン
出発を告げる鐘の音が響くと、それに応えるように猫は、にゃあ、と鳴いた。
次の列車が来るまで、ゆっくり眠るとしよう。あのピアノの下で。
いつの日か、懐かしい音が聴こえるかもしれないから・・・。
―――それは、名もない者たちの、昔のお話。
fin 〜 Continued to 「Nostalgia Op.2 はじまりの場所」
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〜あとがきを兼ねて、お礼と雑記〜
まずは拙文ながら最後までお読みいただきありがとうございます。また最初に、全編書きあがっていないにもかかわらず「連載」という形で快く寄稿を受けて下さった管理人様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
今回ノスしるべ様が作文を募集されると知り、期間が短いながらも勢いで書き上げました。本来のストーリーから逸脱したオリジナルの設定ですので、もし世界観が壊れる等、不快感を覚えた方がいましたらお詫びいたします。あくまでノスタルジアの雰囲気をイメージした「パラレルワールドのお話」と広く受け止めていただければ幸いです。
前作まで(無印〜folte)もそうでしたが、文字を一切使わずに画と音だけで物語を進めるというノスタルジア特有なシナリオ運びに魅了され、ストーリーの要所要所では何度も泣かされてきました。文字で補完することの是非について葛藤はありましたが、この優しい世界を文字で一度起こしてみたいという欲求が勝りました。
長年音ゲーをプレイしていますが、最初はキーマニと同様の鍵盤音ゲーの一つ、という位置付けで始めた稼働初日から考えると、物語にこんな思い入れができるゲームになるとは夢にも思いませんでしたね。
今回は4人(?)の主人公それぞれの小話と、のちに彼らの導き手となる「N」(の母親かも)が、過去無意識のうちに交差していた、という架空の物語になります(ごく一部に未来の表現も含まれていますが)。背景に「minneの旋律」が「彼らと大切な誰かを繋ぐ」というのを副題として描いてみたつもりですが、いかがでしたでしょうか。
少々脱線しますが、「N」の駅舎について補足のお話。
北海道内、改札が無人の駅は無数にありますが(笑)、「N」の駅舎については道東の温泉地「川湯温泉駅」が主なモデルです。喫茶店を兼ねた美味しい洋食レストランが、本当に併設されています。木造のレトロな駅舎で、もともと貴賓室だった場所をカフェとして再利用しており、その雰囲気も味も非常に評判のお店です。主要都市からは遠いですが、お近くを通る機会があればぜひ覗いてみてください。(温泉もとても良いですよ)
今回のお話も含め、書き切れないことは無限にありますが、ひとまずはこれでお開きとしたく思います。Op.3ではどんな物語が紡がれるか、また一からの旅路を皆さんと共に楽しんでプレイできれば幸いです。
この度は誠にありがとうございました。またお目にかかる機会がありますよう。
by Yuki Aikawa(@ARK_LUNARK)2019.12.12
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